第8回(11/13) 立憲制度とはなにか(再論)

第8回(11/13)
立憲制度とはなにか(再論)
阿川尚之
『憲法で読むアメリカ史(上)』
(PHP新書)より。
アメリカ合衆国は
いかにして建国されたか?
対外的独立・承認・国内的形成
1)「アメリカ独立宣言」による建国ののろし
~独立主権国家設立の宣言
2)「パリ条約」による独立の承認
~主権国家システム内での承認
3)「合衆国憲法」の発効と連邦政府発足による
1つの独立主権国家の誕生
~主権国家形成から国民形成へ
1)「アメリカ独立宣言」による
建国ののろし
独立主権国家設立の宣言
1)「アメリカ独立宣言」による
建国ののろし
「1776年のこの日[7月4日]フィラデ
ルフィアで、トマス・ジェファソンが
起草した独立宣言に13植民地
(州)連合の代表が署名し、独立を
目指す共通の意思を確認した。」
(p.56)
2)「パリ条約」による独立の承認
主権国家システム内での承認
2)「パリ条約」による独立の承認
「独立を宣言しても英国はこれを認めず、
武力による革命の鎮圧。」
「外交努力の結果、イギリスの宿敵フランス
がアメリカを国家として承認し、同盟国とし
て援助の手を差し伸べた」
「1783年に調印されたパリ条約によって、
英国をはじめとする列国はアメリカを主権
国家として承認し、これによってこの国の独
立が確定した。」
だが。。
「英国からの独立はアメリカ合衆
国誕生にとって必要条件ではあっ
たが、十分条件ではない。」「独立
宣言とパリ条約によって誕生した
のは1つの国家ではなく、実際に
は13の独立主権国家だった。」
(以上、p.57)
3)「合衆国憲法」の発効と
連邦政府発足による
1つの独立主権国家の誕生
主権国家形成から国民形成へ
3)「合衆国憲法」の発効と
連邦政府発足による
1つの独立主権国家の誕生
「1787年の夏、各州の代表がフィラデルフィア
に集まり四ヶ月かけて起草したのがアメリカ合
衆国憲法」「翌年7月までに11の州が批准して、
発効」「1789年3月4日連邦政府が正式に発足、
4月30日には新憲法の規定にしたがい・・・
ジョージ・ワシントンが・・・初代大統領に就任」
「さらに翌年2月、合衆国最高裁判所が・・・正式
に開廷」
対外的独立・承認・国内的形成
1)「アメリカ独立宣言」による建国ののろし
~独立主権国家設立の宣言
2)「パリ条約」による独立の承認
~主権国家システム内での承認
3)「合衆国憲法」の発効と連邦政府発足による
1つの独立主権国家の誕生
~主権国家形成から国民形成へ
なぜ憲法を制定したのか?
A.主権性の確保
「それは英国からの独立を達成し
たにもかかわらず、連合規約のも
とでの体制維持にさまざまな問題
が発生したから」(p.59)
~徴税・通商・信用
主権性の創造
徴税・通商・信用
(信用確保のための行政と司法)
1)徴税
「第一に、連合規約のもとで議会に
は徴税権がなく、自身の財源がな
かった。各州に資金の提供を求め
ることができても、強制はできな
い。」(p.60)
~独立戦争の戦費負担
2)通商
「第二に、連合議会には通商規制権
がなかった。・・・独立と同時に各州が
独自の通商政策をとるようになり、さ
まざまな通商摩擦が生じる。・・・独立
を達成したことによって、かえって通商
問題が発生し、アメリカ全体としての
通商活動が阻害。」(p.60)
~交易・通商問題の発生
3)信用
「第三に、・・・各州の議会が、徳政令
を発布して借金を帳消しにしたり、通
貨を濫発したり、あるいは裁判所の判
決を無効にしたり・・・。連合議会は独
自の行政権も司法権も有しないので、
州に対し命令を発してこうした政策を
正すことができない。」(p.61)
B.全会一致(「異論無き合意」)の
機能不全
少数者の専制
(異論の存在による決定不能)
「こうした状況を改善するために、
連合規約の改正が何度も試みら
れるが、ことごとく失敗する。その
最大の原因は、連合議会では各
州がそれぞれ一票を有し、しかも
連合規約の改正は全会一致でな
ければならないという規定の存在
である。」(p.61)
民主主義の行き過ぎと
主権性・対等性
「いずれか一州が反対票を投じれ
ば、改正はできない。」
「全会一致規定自体、全会一致の
賛成がない限り変更できなかっ
た。」
「各州は・・・それぞれ主権を有し対
等である。」
○主権性の喪失状況
「各州が完全な独立を達成し、主権国
家として何者にも左右されない民主的
な共和政体を樹立したために、かえっ
てお互いに身動きが取れなくなった。
国王を取り除いた人々は、国王に代わ
る何らかの統合の仕組みが必要なこと
に、遅ればせながら気づく。」(p.62)
C.立憲的行為
「連合規約のもとでは事態の改善
が望めないと考えた一部の人々
は、ついにまったく別個の新しい
国家体制を構築(constitute)する
ことを考え始める。」
「1785年、ヴァージニアとメリーラ
ンドのあいだで、両者の境を流れ
るポトマック川の水運に関する合
意が成立する。この成功に味をし
めた両州は、より一般的な州間の
通商問題に関する会議を、他の州
をも招いて開催することにした。」
「1986年9月メリーランド州アナポリ
スで、5州の代表が集まる。そして
この会議で、ニューヨークの代表ア
レキサンダー・ハミルトンとヴァージ
ニアの代表ジェームズ・マディソン
が音頭を取り、87年の5月にフィラ
デルフィアで各州の代表が、『連邦
政府の憲法を、連合の緊急課題に
対処しうる内容とする』ために集ま
ることが決まった。」 (p.63-64)
○革命的行為としての制憲議会
「参加者はまず、討議の非公開を
決定する。」
「次に代表たちは連合規約にとら
われず、まったく新しい連邦政府
樹立を討議することに合意する。」
(p.65)
(「実は、連合議会は、フィラデル
フィア会議の議題を連合規約の改
正のみに限るよう命令していた。ま
た、代表の多くは出身州の議会か
ら、それ以外の議題を討議するな
との指示を受けていた。」「ところが
会議が始まってすぐに、参加者は
これらの命令を無視した。」)
○非合法行為としての立憲行為
「そもそも連合規約には、制憲会
議開催についての規定がない。し
かも憲法草案が完成した際には、
連合規約が定める連合会議での
全州一致の投票による改正手続も、
各州議会での承認手続も、一切取
られなかった。」
「そのかわりに各州で州民投票が
行なわれ憲法会議が召集されて、
批准がなされる。」「しかも、全州一
致ではなく、九つの州による批准に
よって、新憲法は発効する。」
(p.65)
「全会一致主義」から
「多数決主義」への
転換!!
○制憲議会の争点
1)徴税権と通商規制権について
は異論がなかった
2)独自の行政府を設け執行権を
与えることにも異論はなかった
3)州に対する次の行為の禁止
(通貨鋳造、契約無効、徳政令発
布、遡及効を有する法律の制定、
関税賦課などを禁止する規定)
=信用しうる政府(債権者にとって
信用しうる政府)