「数学」の美しさと 勁さ(つよさ)と ロマンを伝えるために 真理の探究 これがわれわれの行動の 目標でなければならない。これをおいて は行動に値する目的はないのである。 (略)われわれが人類を物質的苦労から だんだんに解放して行こうと望むのは、 人類がかくして得られた自由を真理の研 究と観照とに用い得るようにするために ほかならない。 地質史の示すところによれば、生命は 二つの永遠の死の間における短いエピ ソードにすぎず、このエピソードの中に おいてさえ、意識された思想は一瞬の 間しか続かなかった、今後も続かないだ ろう、ということになる。思想は長い夜の さなかにある一閃の光に過ぎない。しか し、この一閃の光こそすべてなのである。 第一次大戦の渦中、 英国の将軍が バートランド・ラッセル(1872~1970)に聞いた。 「いま、フランスで一番偉大な人物は誰なのか」と。 ラッセルは言下に「ポアンカレです」と答えた。 将軍がフランス共和国大統領のレイモン・ポアンカレ ことかと思って、「ほう、あの男がね」と応じたところ ラッセルは「いや、偉大なのは(レイモンの従兄の)数学 者のアンリ・ポアンカレですよ」 コンゴのイシャンゴ獣骨に刻まれた素数 (凡そ25000年前) メソポタミア数学 古代バビロニア数学 1152000を7で割った余り (BC2500年頃) 2の平方根の高精度の近似値 プリンプトン322 (BC1800年頃) 古代エジプトの数学 リンド・パピルス、モスクワ・パピルス (BC1650年頃) 実用のための必要性を大きく超えている ユークリッドの『原論』(BC300年頃) 公理に基づく論証の体系 「ギリシャ以来、数学を語るものは証明を語る」(ブルバキ) ピタゴラス(BC582年 – BC496年) ソクラテス(BC469年頃 – BC399年) プラトン(BC427年 – BC347年) ユークリッド(BC365年頃 – BC275年頃) アリストテレス(BC384年 - BC322年) アルキメデス(BC287年 – BC212年) 「全西洋の哲学はプラトンの脚注にすぎない」 (ホワイトヘッド) 東ローマ帝国とは、東西に分割統治されて以降のローマ 帝国の東側の領域を指す通称。特に最終的な分割統治 が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。 ローマ帝国は5世紀後半に西の皇帝と西方領土を失うが、 東はその後も生き延び、最終的に1453年にオスマン帝国 によって滅ぼされるまで続いた。首都はコンスタンティノポ リス(現在のトルコ領イスタンブル)。 ビザンティン帝国、ビザンツ帝国のほか、中世ローマ帝国、 ギリシア帝国、ギリシャ帝国とも呼ばれるが、これらの名称 はどれも後世の呼称。当時の政府や住民は、自国を「ロー マ帝国」と称した。 アラビア数学 アル・フワーリズミーの『アル・ジャブル』 9世紀前半、バグダードで活躍。イスラム科学者。 ルネサンス期の数学 カルダーノの『アルス・マグナ(偉大なる術)』(1545年) 3次方程式の解法、数学競技からの脱却 科学革命(コペルニクス、ケプラー、ガリレイ、ニュートンらによる 科学の大変革)の時代 デカルト(1596-1650)の『方法序説』(1637年) 『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問におい て真理を探究するための方法についての序説および この方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』 Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences(La Dioptrique,Les Météores,La Géométrie) 試論(屈折光学・気象学・幾何学)を除いて序説単体 で読まれるときは、『方法序説』Discours de la méthode と略す。 ガウスの『数論講究』(1801年) 博物学的な18世紀数学を締め括る フーリエの『熱の解析的理論 (Théorie Analytique de la Chaleur) 』(1821年) 「任意の関数は、三角関数の級数で表すことができる」 (フーリエの定理)と主張。この証明は不十分なもので あったが、多くの数学者たちによって19世紀を費やし て厳密化が行なわれた。 1798年、ナポレオンはイギリスとインドの連絡を絶つため、 「不幸な人民を救い、文明の恩恵を与える」ことを口実に エジプトへ遠征。フーリエはこのとき編成された文化使節 団の一員に選ばれ、モンジュやベルトレらとともにナポレ オンに随行。 フーリエは新設されたエジプト学士院の書記としてさまざ まな数学的・考古学的研究を行い、のちに発表された『エ ジプト誌 (Description de l‘Egypte) 』(1808年-1825 年)も監修した。なお、このエジプト滞在でロゼッタ・ストー ンを発見してフランスへ持ち帰っている。 ヒルベルトの『幾何学の基礎』(1899年) 形式主義、現代的公理論。 「ヒルベルトの問題」(1900年、ICM@Paris) ポアンカレの著作 常微分方程式―天体力学の新しい方法 - Les méthodes nouvelles de la mécanique céleste(1893) 科学と仮説 - La Science et l'hypothèse(1902) 科学の価値 - La Valeur de la Science(1905) 科学と方法 - Science et méthode(1908) 科学者と詩人 - Savants et écrivains(1910) 晩年の思想 - Dernières pensées(1913) ゲーデルの「不完全性定理」(1931年) 数理論理の限界 ブルバキの『数学原論』(1935~98年、7千頁に及ぶ。) 形式主義から構造主義へ 非ゼロ和的状況における意思決定 「囚人のジレンマ」にみる合理性の限界 コンピュータの数学 現代暗号理論
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