仙厓と中山森彦博士 ~対話する禅画~ 福岡市博物館 中山喜一朗 1 2 1 禅画と仙厓義梵(1750~1837)について 3 禅画の特徴 「禅画」は、室町時代の「禅宗絵画」とは区別 される。 江戸時代に、在野の禅僧によって、民衆に対 する教化の目的をもって描かれたものを「禅 画」と呼ぶ。 仙厓(1750~1837)に先立ち、臨済宗中興の 祖といわれる白隠慧鶴(1685-1768) が「禅 画」を描いている。 4 仙厓の禅僧としての位置 在野の僧。古月派に属する。 白隠の活躍によって、古月派の優れた僧が 白隠の弟子となるなど、仙厓の時代には古 月派は衰退の一途を辿っていた。 禅の中心核に向かって突進するような峻烈 な禅風の白隠禅と異なり、古月派は、幅広い 知識や教養も要求する文人的性格を有する 法系だった。 5 仙厓の略歴 仙厓義梵(1750~1837)は、美濃国(岐阜県武儀郡)の農 民の子として生まれる。11歳の頃清泰寺の空印円虚の もとで得度。 19歳で武州(横浜保土ヶ谷)東輝庵の月船禅慧の門下と なり、32歳までの間に印可を受ける。 月船没後、諸国行脚ののち39歳で博多に下り、翌年聖福 寺の第123世住持となる。 62歳で法席を退いて虚白院に隠棲し、人々に詩文や書画 を描き与えた。禅の境地をわかりやすく説き示す軽妙洒 脱でユーモアに富んだその味わいは、当時から現代まで、 人々に広く愛されてきた。 天保7年10月7日88歳で遷化。 6 2 対話する禅画 7 禅画を通して仙厓と鑑賞者が対話する 作家 作品 鑑賞者 仙厓 禅画 鑑賞者 8 対話を成立させるための条件 誰が作品を見るのかということを、作家が強く 意識していること。 何を対話のテーマとするかという制作目的が 明確であること。 鑑賞者を対話に引き込むための仕掛けがな されていること。 鑑賞者が作家に対する興味、関心を持ってい ること。 9 仙厓の場合 誰が作品を見るのかということを、少なくとも 晩年の仙厓は強く意識している。 仙厓のテーマは、笑いを通して自由な境地を 鑑賞者と共有すること。 簡単明瞭な図柄、賛文と画による問いかけ。 仙厓の場合、鑑賞者が「仙厓さんの絵」という ことを最初から意識している場合が多い。 10 対話する禅画の典型例 11 12 龍虎図 70代半ば~後半頃 「これは何でしょう」 「龍です」 「みんな大笑いするよ。自分 も大笑いさ」 「猫かな」 「虎かな」 「はたまた和唐内かな」 13 龍虎図 70代半ば~後半頃 意味を考える着眼点 ・なぜマンガのような表現を しているのか ・これは何ですかという問い かけをしている目的は何か ・この作品の鑑賞者としては どのような人物が想定されて いるか。 14 15 対話する禅画の成立 仙厓は、 73歳の頃に「厓画無法」を標榜し、 世の中の絵画と自分の画は違うということを 宣言した。 無法の画は、人が笑ってくれるのを愛すると 言っている。 ユーモア表現の変化を見ていくと、仙厓の無 法とは何かが理解できる。 さらに、無法の画イコール対話を成立させる 画であることがわかる。 16 17 18 寒山拾得図で画風変遷をたどると、仙厓の意識の流れが理解できる 19 20 21 22 23 24 25 画風変遷から分かること 60代前半頃までの仙厓は、絵画表現の熟達をめざ していた。それが意識的な画面構成に現れている。 本来的に持っていたユーモアの資質が、次第に意 識的な表現として現れるようになった。 画技の熟練に従って、作画の目的が何であるのか を意識するようになった。 作品の鑑賞者が現れ、またその階層が幅広くなる に従って、画題の幅が広くなり、同時に、漠然とした 目的意識が明確な形をとるようになった。 26 対話する禅画の進化 対話する禅画にも様々なバリエーションがある。お そらくは、鑑賞者が誰であるのかを意識し、鑑賞者 の違いによってバリエーションが生まれている。 また、禅画の鑑賞者として常に最初にいるのは仙厓 自身である。禅画を描くことは、自分との対話を促し、 その結果、テーマがさらに掘り下げられ、画も賛も一 段と練られたものになっていく。 しかしながら、70歳代後半から80歳代の最晩年の 作品には、意識的な対話さえ捨て去ったようなもの も生まれている。 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 指月布袋図 70歳代後半頃 お月様いくつ 十三七つ まだ年ァ若いな あの子を産んで この子を産んで だれに抱かしょう お万に抱かしょう お万どこへ行った 油買いに茶買いに 油屋のかどで すべって転んで 油一升こぼした その油どうした 太郎どんの犬 と 次郎どんの犬と みんななめてしもた その犬どうした 太鼓に張って あっち むいちゃドンドコドン こっちむいちゃドンドコドン たたきつぶしてしまった 39 指月布袋図 70歳代後半頃 あの月が落ちたら だれにやろうかい 同じ指月布袋図であるが、構図が違う。布袋さん が指さしている方向に、空間が広がっている。しか し、そこに描かれるべき月が描かれていない。前 の作品では、月は画面の外に描かれているから 画面には見えないという解釈ができたが、この作 品ではそれができない。 あきらかにわざと月が描かれていない。 出てもいない月を見て、布袋さんと子供たちが笑 っているのはなぜか。 40 月をじかに心で見ることが、仏の教えをつかむことにつながる。月を見ようとして、 布袋の指先(仏の教えを説いた教典・文字)ばかりを追いかけても、仏の教えはつ かめないという寓意が込められている。 描かれた布袋さんと子供は、確かに月を見て笑っている。見えているから笑って いる。では、我々はどうしたら、彼らが見ているはずの月を見ることができるだろう か。それが、このふたつの作品の問いかけである。 41 42 43 よく観察してみると、□と△がかさなったところの墨のにじみ具合が妙である。こ れは、薄い□を描いて、その墨がまだ乾ききらないうちに濃い墨で△をあとから 描いた時に生じるにじみかたである。 つまり、この作品は「○△□」ではなく、描いた順序からすれば、「□△○」なので ある。しかし○△□と描いて、最後にサインを入れたように見せかけている。 謎は深まるばかりである。 44 先人たちの解釈 古田説「□は天台、△は真言、○は禅」(栄西の建立した建仁寺は三宗の寺) 伝統的解釈「○△□は仏の身体(□)、言葉(△)、心(○)」三密 泉説「○は仏教、△は儒教、□は神道」(東嶺円慈・神儒仏三合法図) 鈴木説「円は無または無限、△は一、□は多。三つ合わせてユニバース」 45 絶対に間違いないことその1は、この図を見れば、だれでも「これはいったい何だ ろう」と疑問に思うことである。 絶対に間違いないことその2は、あれこれ考えて、いろんな答えをひねりだしてみ ても、それが最終的に正解かどうかは、証明できないということである。 絶対に間違いないことその3は、そうやって人が悩んであれこれ考えてしまうよう に、仙厓は意識して描いたのだということである。 絶対に間違いないことその4は、しかしただの○△□ではないということである。 46 47 ◆出典◆ (法量=センチメートル) 【P2】円相図/紙本墨画/43.2×56.2/九州大学文学部蔵 【P12,13,14,15】龍虎画賛/紙本墨画(双幅)/128.5×55.3/出光美術館蔵 【P17】布袋画賛/絹本墨画/28.5×36.5/出光美術館蔵 【P18】十六羅漢図/絹本墨画/73.7×39.0/出光美術館蔵 【P19右,P24右,P20】寒山拾得画賛/紙本墨画(双幅)/各96.5×23.5/出光美術館蔵 【P19中央,P24中央,P21】寒山拾得図/紙本墨画/51.1×21.9/九州大学文学部蔵 【P19左上,P24左上,P22】寒山拾得図/紙本墨画/31.0×39.2/九州大学文学部蔵 【P19左下,P24左下,P23】寒山拾得画賛/紙本墨画/29.3×53.5/出光美術館蔵 【P25】曲芸画賛/紙本墨画/89.7×28.3/出光美術館蔵 【P28上,P29】成仏蟇画賛/紙本墨画/40.3×53.8/出光美術館蔵 【P28下,P30】群蛙図/紙本墨画/25.0×49.2/九州大学文学部蔵 【P31右上,P32】一円相画賛/紙本墨画/26.0×42.0/出光美術館蔵 【P31左上,P33】円相図/紙本墨画/37.0×49.4/福岡市美術館蔵 【P31下,P34,P36】円相図/紙本墨画/43.2×56.2/九州大学文学部蔵 【P35】円相図/紙本墨画/43.2×56.2/九州大学文学部蔵(一部加工し表示) 【P37右,P40,P41左,P42左】指月布袋図/紙本墨画/85.7×27.3/福岡市美術館蔵 【P37左,P38,P39,P41右,P42右】指月布袋画賛/紙本墨画/54.1×60.4/出光美術館蔵 【P43,P44,P45,P46,P47】○△□/紙本墨画/28.4×48.1/出光美術館蔵 ※作品名等は次の資料による 【出光美術館蔵】出光美術館.仙厓:出光美術館蔵品図録. 出光美術館; 平凡社 (発売), 1988 【市美術館蔵】中山喜一朗,福岡市美術館.仙厓 : その生涯と芸術. 福岡市美術館協会,1992 【九州大学文学部蔵】後小路雅弘,川上貴子.仙厓展:九州大学文学部所蔵中山森彦コレクション (展示会資料).九州大学文学部,2009 48
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