第八章 雑記帳に見る政治 江口エリナ 馬路真奈美 「美学的定義と道徳的格言」 雑記帳は、本が財産であり、手に入れるの が困難であった時代の産物であった。 本を読んでいて気に入った箇所があれば書 き写す、抜き書き帳のようなもの。 モンゴル文学にとって重要なよりどころ。 牧人の旗から出てきた写本 マニジャプ青年がおじから貰ったという一冊 の抜き書き帳を受け取る。 青年の出身地、フリエ旗の住民ジョークチナ ルはもともと、僧院の台所で働く使用人。 青年のおじはスルク旗出身。馬郡の見張り をする牧人であった。 孔子の勝ちか 中国人植民によって放牧面積を狭められた モンゴル人は農耕に手をつけるが失敗。 優れた農耕法により発展を遂げる中国人に 同化するモンゴル人。 一方で反中国の盗賊、「十三の義団」を結成 するモンゴル人。スルク地方出身のトクトホ・ タイジ親衛隊長を中心に戦った。 口元をほころばせる本 青年がもってきた写本はかつてモンゴル人 にひろまっていた詩歌、なぞなぞをまとめた ものであった。 物語や詩歌は、当時のモンゴル人の精神的 背景を反映している。 モンゴル人と中国人は いつでも敵だったか モンゴル帝国崩壊の際、中国を守備してい たモンゴル人たちは明に受け入れられ、中 国人と同等に扱われた。 • 明朝が衰えた十六世紀、アルタン・ハーン率いるモンゴ ル人を支えたのは中国人農民。 互いに同化したにもかかわらず、精神・文化 においては異質のまま存在している。 オスローにある反中国の教書 モンゴルで活動したノルウェーの宣教師が持 ち帰った雑記帳。 ラマ教の第八代ジェプツンダムバ・ホトクトの 書いた訓戒。 彼の教書はモンゴル人を動かし、中国人に 対して煽動していた。 小児のように一徹な男 チベット人である第八代ジェプツンダムバ・ホ トクトは先代の生まれ変わりとしてウルガに 連れてこられた。 聖人らしからぬ品行をしていたにもかかわら ず、人々の崇拝と尊敬の対象。 中国人のモンゴル人諸地域への移民が拡が り、モンゴル人の間で憎悪がつのっていった。 中国人のまねをするやつは死ね 第8代ジェプツンダムバ・ホクトクの政治的一 面 満州人批判・反中国の煽動 計算どおりにはこぶ 人民の諸侯に対する怒り→暴動 中国からの分離 外モンゴル独立 第8代ジェプツンダムが先導 手なづけられぬ人々 自治宣言後も中華民国としてのモンゴル 内モンゴル合併・独立を試みる→粉砕 1915 暫定的に自治 (1928 解消) 中国の土地略奪 1924 内モンゴル人200万人 100万人以上の中国入植民→領土1/3占 領 やせて荒れた土地にモンゴル人 不満増大 しかし政治的意思形成されず 中国式少数民族政策 孫文の五族協和 「豪蔵委員会」特別政庁にモンゴル人 しかし中国化のみ 要求取り上げず 経済、文化発展約束→すぐに実行されず 安全弁としてのことば 今日まで知られていなかった重大な歴史書 モンゴル人の心の声 絶望的で耐え難い時代を風刺 一ブリヤード人による設立 ブリヤード人学者の功績
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