利用記録と利用者の秘密 -歴史的概観・法制度から今後の展開へ- 高鍬裕樹(大阪教育大学) はじめに •「Web 2.0」は便利です。 2 「利用者の秘密を守る」: 歴史的概観 歴史的概観:日本の場合 • 1954年、「図書館の自由に関する宣言」 採択 「図書館と中立についての討論を提案す る」誌上討論会 4 歴史的概観:日本の場合 • 破壊活動防止法の施行による問題意識 「閲覧票を官憲により、法的な根拠なくして 提示を要求された場合、・・・これの提示を 拒否すべきであろうか。基本的人権の侵 害となる行為を図書館がなすべきであろう か」 5 歴史的概観:日本の場合 • 戦前・戦中の図書館が思想調査に利用 されたことにたいする反省 • 当時の警察がとっていた公安的捜査活 動のために、市民のプライバシーが侵 害されかねないという危機意識 6 歴史的概観:日本の場合 • 「利用者の秘密を守る」は、1954年版の 「宣言」主文には盛り込まれなかったも のの、図書館界としては大きな懸念とし て認識されていた それらの懸念は、具体的な事件として 現れる 7 歴史的概観:日本の場合 • 東京都立図書館複写申込書閲覧事件 (1975) 警視庁公安部の係官が東京都立図書館 にたいし複写申込書の閲覧を求めた 係官が捜査関係事項照会書(≠令状)を示 したことで求めに応じ、1~2万枚の複写申 込書の閲覧を認めた 8 歴史的概観:日本の場合 • 国立国会図書館利用記録押収事件 (1995) 警視庁は令状をもって国立国会図書館の 53万人分の利用申込書、75万件の資料 請求票、30万件の複写申込書を押収した 最終的に利用申込書3枚、複写申込書7枚 以外のものは返還され、事件とは無関係 であることが示された 9 歴史的概観:米国の場合 歴史的概観:米国の場合 • ミルウォーキー公立図書館事件(1970) 合衆国財務省の調査員がミルウォーキー 公立図書館を訪れ、爆発物関係の図書や 資料の貸出記録を調査したいと申し出た 図書館は一度は拒否したが、検察局の意 見を携えて戻ってきた調査員にたいし結局 は貸出記録を調査させた 11 歴史的概観:米国の場合 • 同様の調査が全米各地で行われる アメリカ図書館協会(ALA)、貸出記録を秘 密扱いにするよう緊急勧告声明を発表 • 1971年1月、ALA評議会で『図書館記録 の秘密性に関する方針』採択 12 歴史的概観:米国の場合 • ディカータ公立図書館事件(1990) 幼児遺棄事件を捜査中の地区検事が、 ディカータ郡のすべての図書館の記録に たいして召喚状を提出し、過去9ヶ月の間 に出産関係の図書を借り出したすべての 人の氏名、住所、電話番号を請求した 13 歴史的概観:米国の場合 • クラマーブックス大陪審召喚状事件 (1998) スター独立検察官が、証拠集めのために、 モニカ・ルインスキーの図書購入記録を獲 得するために書店クラマーブックスにたい し召喚状を発行した クラマーブックスがその召喚状の無効を訴 えて提訴した 14 歴史的概観:米国の場合 • 愛国者法(2001~) 犯罪、テロ、外国の諜報活動などを捜査す る連邦の機関や部門に、広範な権限を付 与するもの 連邦捜査局にたいし、「国家安全保障に関 する公文書(NSL)」を発することで図書館 の貸出記録などを調査する権限を与える 15 歴史的概観:米国の場合 • ALAなどの積極的な法改正運動 2006年、愛国者法改正 「図書館の伝統的役割についてはNSLの 対象としない」 16 歴史的概観まとめ • なぜ貸出記録を「消去」しなければなら ないか 図書館が利用者の秘密を守るべき相手と して想定されてきたのは、地域・時代を問 わず「公権力」 17 歴史的概観まとめ • なぜ貸出記録を「消去」しなければなら ないか 押収令状を示された場合、図書館は最終 的には利用記録の押収を拒めない 利用者の秘密を守るためには、不要に なった利用記録を蓄積せず消去するしか ない 18 歴史的概観まとめ • なぜ貸出記録を「消去」しなければなら ないか 図書館の利用記録は、公権力 から守られるのでなければ、守 られる意味がない 19 貸出記録の「適正」な 取扱い:個人情報保護法制 個人情報保護法制概観 • 法制により図書館が負う義務 目的外使用してはならない(第3条) 目的は明示しなければならない(第4条) 正確性を保たねばならない(第5条) 漏洩を防止しなければならない (第6・7条) 21 個人情報保護法制概観 • 法制により図書館が負う義務 個人は自らの個人情報について開示を請 求できる(第12条) 事実と異なる場合には訂正を請求できる (第27条) どこにも「消去しなければならない」との 言なし 22 個人情報保護法制 • むしろ、 「法令の定める所掌事務の遂行に必要な 限度で保有個人情報を内部で利用する場 合であって、当該保有個人情報を利用す ることについて相当な理由のあるときには、 利用目的以外の目的のために保有個人 情報を自ら利用することができる」(行政機 関個人情報保護法第8条第2項二) 23 個人情報保護法制 • むしろ、 個人情報の内部的な目的外利用ができる と解釈可能 24 個人情報保護法制 • 総務省通知「行政機関の保有する個人 情報の適切な管理のための措置に関す る指針について」(2004年9月14日) 「職員は、保有個人情報・・・が不要となっ た場合には、・・・当該保有個人情報の復 元または判読が不可能な方法により当該 情報の消去・・・を行う」 25 個人情報保護法制 「職員は、保有個人情報・・・が不要となっ た場合には、・・・当該保有個人情報の復 元または判読が不可能な方法により当該 情報の消去・・・を行う」 • 不要とならない場合は、 消去する必要はない 26 個人情報保護法制 • 利用記録が不要とならない例:Amazon お客様から集めた情報は、パーソナライズによっ てAmazon.co.jpでのお買い物をよりよいものに し、Amazon.co.jpのほかAmazon.com、Inc.お よびその子会社がインターネットを通じて提供す る店舗、プラットフォーム、情報検索等のサービ スをお客様にご利用いただくために役立てられ ます。 27 個人情報保護法制 • 利用記録が不要とならない例:Amazon Amazon.co.jpは、お客様の個人情報を、ご注文 の処理、商品・サービスの配送、お支払いの処 理、注文・商品・サービス・販売促進、お客様の ご要望への対応、お取引記録の更新、およびお 客様のアカウントの一般的なメンテナンスのため のお客様との連絡、ほしい物リスト、カスタマー レビューなどの表示、お客様が興味をもたれると 思われる商品・サービスのご案内などの目的の ために利用いたします。 28 個人情報保護法制 • 利用記録が不要とならない例:Amazon また、お客様の個人情報は、Amazon.co.jpの店 舗・プラットフォームをより使いやすいものにし、 インターネットを通じ提供する情報検索等のより 豊富なサービスをお客様が利用できるようにす るほか、詐欺やウェブサイトの悪用を検知・防止 するためにも利用されます。 29 個人情報保護法制 • 利用記録が不要とならない例:Amazon 更に、第三者に業務委託して技術、ロジスティク スその他の機能を代行させる場合にも利用され ることがあります。 30 個人情報保護法制 • Amazonの個人情報利用方針では、情 報が「不要」になることが原理的にあり 得ない 「お客様が興味をもたれると思われる商 品・サービスのご案内などの目的のため に利用いたします」 (再掲) 31 個人情報保護法制 Amazonは、たとえ利用者が消去する よう求めたとしても、個人情報が誤って いないかぎり消去する必要はない 「職員は、保有個人情報・・・が不要となっ た場合には、・・・当該保有個人情報の復 元または判読が不可能な方法により当該 情報の消去・・・を行う」(再掲) 32 個人情報保護法制 • 「もちろんアマゾンは問題じゃない。でも図書館につ いては心配しはじめた方がいいかもしれない。もし あなたが、人びとは政府に自分の閲覧した本を知ら れずに図書館で本を閲覧できる『権利』があるべき だと考えている、あの頭のおかしいサヨクな人の一 人なら(ちなみに私もその手のサヨクの一人だ)、こ のモニタリング技術の変化は心配かもしれない」 (ローレンス・レッシグ『Free culture:いかに巨大メディアが法をつかって 創造性や文化をコントロールするか』山形浩生・守岡桜訳、翔泳社、 2004) 33 利用記録と萎縮効果 萎縮効果とは • 萎縮効果=「言論にたいする規制の文 言が曖昧であるなどの場合に、憲法上 の諸権利の行使を実際上抑制する効 果」(『英米法辞典』) 35 利用記録と萎縮効果 • 安易に貸出記録を保存し活用した場合、 利用者が図書館を使うのをやめるかもし れない 言論の自由にたいする萎縮効果が発生し ていると考えられる 36 タタードカヴァー事件 タタードカヴァー事件 • 麻薬取り締まりの捜査をしていた警察官 が、容疑者のトレーラーハウスから捨て られたゴミのなかに、書店タタードカ ヴァー・ブックストアから通信販売によっ て購入されたとみられる図書の送り状を 発見した 38 タタードカヴァー事件 • 警察官は捜査令状を取り、その図書を 買った人物をタタードカヴァー・ブックスト アより聞き出そうとした • タタードカヴァー・ブックストアはこの令 状が不当であり無効だとして提訴した 39 タタードカヴァー事件 • コロラド州最高裁はこの行為を違憲と断 じた 「このような捜査令状の執行は、憲法に よって保護された表現の自由の権利の行 使を相当程度萎縮させる」 40 タタードカヴァー事件 • ALA知的自由委員長クラグの証言 「多くの利用者が、もしも図書館での利用 の記録が開示されることがあれば、図書 館を使うのをやめると図書館協会にたいし 表明している」 41 タタードカヴァー事件 • クラマーブックスの経営者の証言 「スター独立検察官の発した召喚状により モニカ・ルインスキーが購入した本の記録 の提出を求められたとのニュースが流れ たとき、顧客は強い拒否反応を示し、現実 に売り上げが落ちた」 42 タタードカヴァー事件:結論 利用記録が開示されるかもしれないと の恐れを利用者が持った場合、社会の 言論活動は萎縮することになる それにつながる行為を公的機関が行っ た場合、憲法の定める表現の自由に違 反する 43 公的機関としての図書館 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • 図書館は公的機関である • 図書館の行う行為は、私的機関が行う行為と 違い、憲法に縛られる 「でも図書館については心配しはじめた方がいいかもし れない」(レッシグ『Free Culture』再掲) • 図書館が行う行為によって人びとが萎縮する ならば、その行為は表現の自由を害する 45 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 図書館の行う行為によって、 人びとは萎縮するか? 46 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • 米国商務省電気通信情報局の委嘱を 受けたウェスティンの調査報告 アメリカ合衆国の国民の25%は「プライバ シー原理主義者」(Privacy Fundamentalists)である (Westin、 Alan F. ''''Whatever Works'' -- The American Public's Attitudes Toward Regulation and Self-Regulation on Consumer Privacy Issues,'' 1997, NTIA.) 47 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • プライバシー原理主義者= 「プライバシーを本質的に非常に尊いもの と考えており、企業の業務や政府の施策 のために、個人情報を入手する必要性及 びそのような権限を付与すべきであるとい う主張を受け入れず、 48 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • プライバシー原理主義者= ・・・個人情報の公開の求めに対しては拒 絶する態度を表明すべきであると考え、プ ライバシーの権利の保障と個人情報の収 集及び利用を行っている組織の裁量をコ ントロールするために、連邦や州の政府に よって厳格な法律の制定を支持する人々」 49 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • ウェスティンの調査報告(ちなみに) アメリカ合衆国の国民の20%は「プライバ シー無関心主義者」(Privacy Unconcerned)である 50 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 自分の個人情報が利用されて便利にな ることを素直に喜ぶ人も一定程度存在 するが、国民の4分の1はそのことに不 安を覚える 萎縮効果の発生の可能性高し 51 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 • より便利なサービスを提供し、そのこと で一部の利用者が萎縮する結果を招く のと、 • 若干不便であったとしてもすべての利用 者が気兼ねなく使えるのと、 • 図書館のサービスはどちらであるべき か? 52 萎縮効果をもたらす行為と 公的機関としての図書館 「もちろんアマゾンは問題じゃない。でも図書館 については心配しはじめた方がいいかもしれな い」(レッシグ『Free culture』再掲) • Amazonのサービスを利用せず別の書 店を利用する権利が人びとにはある • 別の図書館を利用する権利が人びとに あるか? 53 私的言論の保護としての 通信の秘密 通信の秘密 • 通信の秘密=「検閲は、これをしてはな らない。通信の秘密は、これを侵しては ならない」(日本国憲法第21条第2項) 55 通信の秘密の保護の原理 • 「通信の秘密の絶対的保障の背後には、 言論を公的言論と私的言論とに二分す る見方がある」(棟居快行) 批判などを当然覚悟しなければならない 公的言論と違い、少数の特定人が相互に 私的言論を交わす場合、それを盗み聞き したり批判したり、あるいは賛辞することす ら、私的言論にたいしては干渉となりうる 56 通信の秘密の保護の原理 • 「通信の秘密の絶対的保障の背後には、 言論を公的言論と私的言論とに二分す る見方がある」(棟居快行) 地理的に離れている両当事者間での自由 なコミュニケーションを保障するためにこそ、 当事者以外のものによる通信の傍受等を 禁止するものであった 57 通信の秘密と図書館での読書の 類似性 • 図書館での読書は、公的言論といえる か? 「図書館は表現の自由を保護する場では あるが、誰かにたいして主張を行う場では なく、資料を誰にも知られることなく思うま まに利用することで自己理解を助け自己 実現に貢献する場である」(Blitz, Marc J.) 58 通信の秘密と図書館での読書の 類似性 • 図書館での読書は、公的言論といえる か? 図書館での言論活動は、私的言論と把握 する方がより適切である 59 通信の秘密の保護の実務 • 「電気通信事業における個人情報保護 に関するガイドライン」(総務省、2004) 第4条 電気通信事業者は、電気通信サー ビスを提供するため必要な場合に限り、個 人情報を取得するものとする 60 通信の秘密の保護の実務 • 「電気通信事業における個人情報保護 に関するガイドライン」(総務省、2004) 第10条 電気通信事業者は、個人情報を 取り扱うに当たっては、原則として利用目 的に必要な範囲内で保存期間を定めるも のとし、当該保存期間経過後又は当該利 用目的を達成した後は、当該個人情報を 遅滞なく消去するものとする 61 通信の秘密の保護の実務 • 電気通信事業者は、電気通信サービス という狭く限定されたサービスを提供す るために必要な場合以外には、個人情 報を取得してはならない • また、個人情報の利用目的が達成され たならば、その個人情報は遅滞なく消去 しなければならない 62 通信の秘密の保護の理由 • 『電気通信分野における個人情報保護 法制の在り方に関する研究会』最終報 告書(総務省、2000) 「電気通信事業者が保有する個人情報の 中には、通信の秘密や位置情報のように 高度のプライバシー性を有する情報が含 まれている。・・・電気通信事業者には、そ の保有する個人情報の保護の要請が強く 働いているものといわなくてはならない」 63 通信の秘密の保護の理由 • 『電気通信分野における個人情報保護 法制の在り方に関する研究会』最終報 告書(総務省、2000) 通信の秘密に特別な取り扱いをする必要 があるのは、高度なプライバシー性を有す るから 64 通信の秘密の保護:結論 • 私的言論という同じカテゴリーに属する 通信の秘密と図書館の利用記録は、同 じ扱いを受けるべき 利用目的は狭く限定されたものであるべき 目的が達成されれば遅滞なく消去される べき 65 個人情報保護を 確保したうえでの 貸出記録の利用可能性 記録保存の選択肢の増加 • 過去の貸出方式は、記録を「蓄積する」 か「消去する」しか選択できなかった • 現在の貸出方式は、利用者ごと・記録ご とに残すか消すかを選択可能 67 利用者の希望と図書館の原則 • 保護されないというリスクを引き受けるこ とで自らの貸出記録を閲覧する利便を 得たいとする利用者が現れたならば? 図書館に残すことはできないが、本人に 譲渡することは可能 68 本人に譲渡 • 図書館にとって不要となった個人情報を 消去する前に、求めに応じて本人に譲 渡することができる Ex. 返却済みの図書の貸出記録を消去す る前に、求めに応じて利用者にメールで送 付する 69 個人情報と分離した記録の利用 • 資料の利用頻度のみを利用 「よく借りられている本」などのおすすめは 個人情報と無関係 • 同時に貸し出されたものを関連のあるも のとして把握 70 個人情報と分離した記録の利用 ○月×日 ○月×日 ○月×日 71 個人情報と分離した記録の利用 72 個人情報と分離した記録の利用 × 73 個人情報と分離した記録の利用 ○月×日 ○月×日 ○月×日 74 個人情報と分離した記録の利用 • どれほどの規模があれば、この方法が 意味を持つか? 貸出件数1万件? 10万件? 100万件? 75 個人情報と分離した記録の利用 • プライバシーの侵害が発生しないのは どこからか? 図書Aと図書Bを同時に借りたのが1人だ けの場合、その情報の公開はプライバ シー侵害の恐れあり 10件なら? 100件なら? 76 注意点:誤解による萎縮効果 • 貸出記録を利用する場合、萎縮効果が 起こってはならない たとえ利用者が誤解して図書館の利用を 控えたのだとしても、通常の判断力を持っ た人が合理的に誤解しうる場合、萎縮効 果となる 77 おわりに • 図書館の役割はあくまで住民に資料・情 報を提供することであり、それを最大限 に実現するための方法としてさまざまな サービスがあり得る 78 おわりに • 図書館が利用記録を消去してきたのは、 そのことで住民の信頼を勝ち得て、すべ ての住民が図書館を安心して利用でき るようにするためであった 79 おわりに • 住民の利便を考えて新しいサービスを 行ったことで別の住民の恐怖心を喚起し、 図書館から足を遠のかせるとすれば、 本末転倒である 80 ご静聴ありがとうございました。
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