テーマ: 日台二輪車産業の比較 発表者:葉湘鈴 目次 ► 戦後日本の二輪車産業の発展と構造変遷 ► 台湾の二輪車産業の発展 ► 日台二輪車産業の特色 ► 台湾上位3社の紹介 ► 日台二輪車産業-現状の相違点 ► 日台二輪車産業の困難 ► 今後の産業発展 戦後日本の二輪車産業の発展と構造 変遷 ► 企業数とHHIの推移によって、時期を大きく4 つに分けることができよう。 ハーシュマン指数(HHI) =生産集中度のハーフィン ダール ► (1)産業再興期 ► (2)企業勃興期 ► (3)企業淘汰期 ► (4)4社寡占期 (1)産業再興期 ► 1940年代末までの時期は参入企業数も少なく、 企業規模あるいは事業規模も概して小さかっ た。 ► この時期の二輪車産業は潜在的な需要はあれ ど供給不足に制約された状態にあった。 (2)企業勃興期 ► 1950年代前半。 ► 朝鮮戦争の特需で、経済復興が始まった時期 であり、二輪車産業では需要の高まりとともに、 スズキなど多数の企業参入によって苛烈な競 争が始まった時期である。 ► 二輪車産業は四輪車のような保護育成策を取 られたわけではなく、資金援助は設備の近代 化と技術向上に貢献した。 (2)企業勃興期 ► ホンダのような企業が高額の最新輸入工作機械の導 入し、設備投資しつつ量産体制が確立した。 ► 朝鮮戦争停戦による特需の停止による54年不況に よって資本力のない企業、外部依存の高い企業は基 盤の脆さが見える。 (3)企業淘汰期 ► 950年代前半の競争は激しい、同年代半ばに は淘汰の時期を迎える。 ► 需要の変化と要求される供給条件に合わせて、 個人経営から企業規模経営へ、労働集約的な 産業体制から資本集約的な自動車産業体制 へに移行する。 ► 先行企業の規模拡大に対応できない中小メー カーは淘汰された。 (3)企業淘汰期 ► 海外展開にはより一層の企業体力が必要とされ、後 発のスズキ、ヤマハ、カワサキは体力を備えていた。 この後、日本の二輪車産業は4社の寡占体制が続い ていくことになる。 ► 61年には二輪車の貿易自由化が実施されている。し かし、日本の二輪車産業は60年には世界で生産台数 世界一に、62年にはドイツを抜いて輸出台数でも首位 にとなった。 ► 国内の厳しい競争環境が政府予想を上回る急成長を 生み出した時期である。 (4)4社寡占期 ► 1963年、4社(ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサ キ)のシェアが約90%となった。 ► 国内市場の寡占体制の確立で得た利潤をもと に、少数の大企業間で激しい技術開発競争が 展開される ► 競争力を強化して海外市場展開を計るという、 輸入代替から輸出へのパターンが一般的であ る。 (4)4社寡占期 ► 日本企業は小型から大型、ビジネスからスポーツまで、 世界のバイク市場における地位を動かない。 ► 60年代末以降は円高と不況による需要低迷なので、 70年代に企業が北米等への現地生産になった。 ► 基盤を強化した日本の二輪車産業は81年に生産台 数(741万台)・輸出台数(436万台)のピークを迎える。 台湾の二輪車産業の発展 ► (1)市場萌発期(1960年代以前) 1951年以前二輪車を生産できる企業がない。 1951年以降、政府がバイクの完全車の輸入を禁止で、 貿易会社が輸入した部品を組み合わせして販売する。 三陽会社が成立したが、未だバイクが生産しない。 台湾の二輪車産業の発展 ► (2)技術導入期(1961年から1973年) 1961年、三陽会社が「三陽工業会社」を改名し、ホ ンダと技術提携を結び成長した。 三陽は台湾で第一軒のバイクを生産する企業。 1963年、「光陽会社」が成立し、ホンダと技術提携し てバイクを製造する。 他の企業はヤマハやカワサキ、まだイタリアのバイク企業 と技術提携してバイクを生産する。 台湾の二輪車産業の発展 ► (2)技術導入期(1961年から1973年) その時期、政府は国内二輪車産業を育成ために、製 品の自製率を規定する。 GDPの上昇とともに、二輪車の保有台数が急に増加 した。 台湾の二輪車産業の発展 ► (3)成長壮大期(1974年から1990年) 「台鈴工業」などの会社が台湾の二輪車産業を参入 した。 この階段の経営特色は、バイク会社が新機種を発表 する、ブラントを創立する、自立で部品を開発る。 1980年代以降、完全車を海外に輸出し始めた。 1988年から第一期の排気ガス規制を実施し始めた。 この時期、台湾での二輪車保有率が世界一に達する。 台湾の二輪車産業の発展 ► (4)成熟期(1991年から1998年) バイクの製造技術は成熟し、そして自分ブランドを創造 する。 ►ex:光陽の「KYMCO」三陽の「SYM」 製品の競争力を強化するために、企業は新しい機種 を開発し、製品の外観や品質のイメージを高める。 国内の市場が飽和状態になり、海外市場へ展開して 外国で現地生産を進展した。 台湾の二輪車産業の発展 ► (4)成熟期(1991年から1998年) 政府は騒音や排気ガス規制を強化されてきた。 環境意識の高まりとともに、政府が「電動バイクを発展 する行動計画」を推進した。 バイク普及率が世界一になった。 輸出率が増え、海外市場の展開が重要になった。 台湾の二輪車産業の発展 ► (5)国際経営期(1999年以降) 企業が国境を超えて活動の場を世界に移行し、グロー バルに展開する。 日台二輪車産業の特色 ► 上位会社の生産集中度が高い(寡占産業) 日本上位4社が90%以上を占めた ►(ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキ) 台湾上位3社が90%以上を占めた ►(三陽、光陽、台湾ヤマハ) ► →新規参入障壁が高い 台湾上位3社の紹介 ► 三陽: 台湾で第一軒のバイクを生産する会社。株式会社。 ► 光陽: 外国資本が低い。外国進出(海外投資、現地生産) の表現がよい。 ► 台湾ヤマハ: 日系会社。150c.c以下スクーターの開発を中心に、開 発した機種がグループで使用できる。 日台二輪車産業-現状の相違点 項 目 日 本 台 湾 駐車 駐車場不足 大型車 高速道路で二輪車の通行で 一般道路と快速道路で通 きる 行できる 国際レース レースを積極的に参加する レースを参戦経験がない 排気量150c.c以 上のバイクの よい 生産技術が 優位性 駐車の習慣が悪い 日本より低い 早い時期から海外進出を行 協力メーカーの技術が高 い、知名度が高い い、部品の品質がよい 排気量150c.c以下の開発 技術は成熟 電動バイクの普及計画を 推進経験がある 日台二輪車産業の困難 ► 国内のバイク需要が減少 ► 環境政策の制限 ► コストの上昇 今後の産業発展 ► 電動バイクの開発と普及 ► OFF-ROAD製品の開発: ATV、水上オートバイ、スノーモビル など。 参考文献 ► 片山 三男:「日本の“二輪車の歴史”を辿る」 JAMAGAZINE 、 2009年7月号 : 2000年機車產業綜論。工研院IEK系 統能源組 、2000年 ► 徐啟堂
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