cha agence BACKTOMOTOGP #2 2015年2月、マレーシアのセパ ン・サーキットにおいて、ミシュラ ンが開発を進めているMotoGPタイ ヤの走行テストが実施されました。 ミシュランの二輪レースプログラム マネージャーであるピエロ・タラ マッソは次のように語っています。 「私たちはセパンに7種類のフロン トタイヤを持ち込みました。そして 2度にわたるテストを通じて2種類 に絞り込むつもりでいたのです。と ころが実際には1種類の“本命”を選 定するところまでに至ることができ ました。 この先、ミシュランは今シーズンの MotoGPの各レースが開催された直 後のサーキットにおいてタイヤテス トを実施していき、来年の最高峰ク ラス復帰に向けて加速していきま す」 feedback from the track BACKTOMOTOGP 2月のセパン公式テスト。ミシュラン のMotoGPタイヤが初めて公の場に姿 を現したのがこのときでした。 取り決めにより今シーズンのMotoGP にミシュランのロゴが登場することは ありませんが、メーカー名があしらわ れていない新しい17インチタイヤが サーキットの注目を集めていました。 THE CENTRE OF INTEREST 今シーズンのMotoGP開幕戦カタールGPが開催さ れた翌日、その舞台となったロサイル国際サーキッ トにおいてミシュランのMotoGPタイヤの走行テ ストが行われました。参加したのはドゥカティとホ ンダから1台ずつの計2台で、両陣営のテストライ ダーであるミケーレ・ピッロと青山博一がそれぞれ ライディング。ただし、このテストは砂漠地帯とは 思えない嵐のような悪天候の影響を受けてしまい、 予定していたメニューをこなすことはできませんで した。 「テストの前夜は大雨でした。そしてこのサーキッ トがまさに砂漠のど真ん中にあることから、路面が 砂まみれになってひどく汚れてしまい、速いラッ プタイムを刻んでパフォーマンスをきちんと評価 できるコンディションではなくなりました。それ でも、ドゥカティとホンダのふたりのテストライ ダーはレ ース距離を走り切るシミュレーションテ ストをやり抜きました」 そう語るのはピエロ・タラマッソです。また、ミ シュランのコンペティションテクニカルディレク ターのニコラ・グベールは次のようにコメントし ています。「こうしたコンディションにおけるテ ストで適切な評価を行うことは困難です。ただ、 今回までのテスト結果を踏まえて、タイヤの耐 久性を上げるためにもう少し剛性を高める必要が あると考えるようになりました」 カタールでピッロと青山によって行われた走行テ ストの結果は、先のセパンテストで集められた データを裏付けるものでもありました。 「セパンでは今シーズンのMotoGPに参戦する ライダーたちがミシュランタイヤをテストし、そ れまでに2種類に絞られていたフロントタイヤの 中から『ラウンダータイプ』を本命としていこう という見極めを行うことができました。そして今 回のカタールでは、その方向性を再確認すること ができました」とタラマッソは語っています。 lessons learned in Qatar BACKTOMOTOGP テスト前夜のロサイル国際サーキット。砂漠の真ん中とは思え ない大雨に見舞われ、コースコンディションはひどく悪いもの になってしまいました。 「カタールテストの午前中はレーシングラインをきれいにするために走り込んでい たようなものだったよ。それでも午後になっても汚れのひどいところは残って、そ こでは毎回マシンを大きく振られることになるんだ。でも、仕方ないさ。それもテ ストライダーの仕事の一部だからね!」 BACKTOMOTOGP ドゥカティ・チーム テストライダー ミケーレ・ピッロ ──わずかな違いがもたらす大きなインパクト MotoGPでは長きにわたってリム径が16.5イ ンチのタイヤが前後ともに使用されてきまし た。それがミシュランのMotoGP復帰ととも に、来年から前後ともに17インチとなりま す。 では、なぜリム径を0.5インチだけ大きくする ことになったのでしょうか? BACKTOMOTOGP HALF AN INCH ? A SMALL DIFFERENCE WITH A BIG IMPACT 「その答えは簡単です。私たちミシュランは モータースポーツを一般走行用タイヤの開発 に役立てたいのです」 ニコラ・グベールはこのように説明します。 「現在、一般のオンロードタイプのバイクに 装着されるタイヤのリム径は前後ともに17 インチが一般的です。そして、様々な国にお いて行われている国内選手権レースでは前後 17インチタイヤの使用を義務づけていると ころが多いのです」 前後タイヤがリム径16.5インチのバイクを市 販しようという二輪車メーカーはありませ ん。なぜなら、世に多く出回っているタイヤ は17インチであり、そこにリム径が16.5イ ンチのバイクを出せば、それに17インチの タイヤを組み込んで走らせようとするユー ザーが出てくる可能性があるからです(実 際、本来のリム径が異なるタイヤとホイール を組み合わせて走行してアクシデントに見舞 われた例が過去に何件もあるのです)。 それにしても、16.5インチと17インチでは さして違いがないように思うのが普通でしょ う。しかしグベールは「これが大違いなので す」と言います。 「0.5インチは約12mmです。タイヤ全体の 大きさからすればわずかですが、それだけリ ム径が違うと実に大きな影響とインパクトを もたらすのです。 理論上、径が小さなタイヤは慣性力が小さ く、安定性も悪くなります。ただし、実際に はそれは大した問題にはなりません。 タイヤのプロファイル、剛性、重量などの 様々な要素をいかに設定し組み合わせて最適 解を導き出すか。可能性は無限大なのです」 BACKTOMOTOGP A GOOD AIR, IS DRY AIR 他のいくつかのタイヤメーカーはレーシングタイヤの中を満たす気体 に窒素を使用していますが、ミシュランは空気(大気)を充填してい ます。通常の状態であれば大気はその約80%が窒素であり、“湿り気”と いうリスクさえ排除すれば大気で何ら問題はないからです。 ミシュランの二輪レースプログラムマネージャーであるピエロ・タラマッソ は次のように言います。 「最適な内圧を設定し、それを安定的に保つことが、タイヤに本来のパフォーマ ンスを発揮させ続けるためはとても重要です。 ところが、湿気を帯びた大気をそのままタイヤに充填すると内圧が不安定になる要 因となります。そこで私たちは除湿器を使って大気を乾燥させ、それを充填するよ うにしています。マレーシアのように湿度の高いところでは特に気をつける必要が あり、除湿器のフィルターを頻繁に取り換えながら作業しています」 BACKTOMOTOGP “MotoGP hasn’t changed so much...” MotoGPは2008年から、ひ とつのメーカーが供給するタ イヤを出場全車が使用するル ールとなり、ブリヂストンが その供給メーカーとなりまし た。 以来、ミシュランはMotoGPの世界から離れていたわけ ですが、2016年から公式タイヤサプライヤーを務めるこ とが決まり、昨年からタイヤテストを通じてMotoGPの 世界で再び活動しています。 現在ミシュランのコンペティションテクニカルディレク ターを務めるニコラ・グベールは、以前ミシュランが MotoGPに参戦していた2000年代には二輪レース部門の 責任者として仕事をしていました。その彼が、再び参加 する“グランプリサーカス”への想いを次のように語ってく れました。 «We very quickly found our feet again...» 「MotoGPは二輪ロードレースの最高峰クラスです。し かしながら、その雰囲気は和やかで、かつてとほとんど 変わりありませんでした。そして私たちミシュランの再 参入をとても歓迎してくれています。そのことに私は本 当に心を打たれました。 バレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)やダニ・ペドロサ (ホンダ)は、かつてミシュランがMotoGPで活動して いた時代に直接関わりながら仕事をしていたライダーた ちですので、彼らのことはよく知っています。ホルヘ・ ロレンソ(ヤマハ)も、MotoGPではなく250ccクラス でしたが、すでに世界グランプリを走っていました。 まったく未知なる存在はマルク・マルケス(ホンダ)く らいですね。 MotoGPに参戦しているバイクメーカーは10年前と変わ りありませんし、レースカレンダーに新しく加わった サーキットも3カ所しかありません。ですからミシュラン としては新天地に討って出ていくという感覚はまったく なく、“慣れ親しんだフィールドに還る”という感じです。 バイクは一段とパワフルになっていますね。そしてブ レーキングにおけるパフォーマンスが特に向上していま す。ライダーたちはかつてよりもフロントへの依存度を 高めた乗り方をしていて、コーナリングスピードをいく らか犠牲にしてでもフロントを軸にしたライディングと しているライダーが何人かいます。そのあたりが今日的 だなと感じています」 A BIT OF HISTORY THE REVOLUTION OF THE SLICK TYRE ミシュランのスリックタイヤに グルーブ(溝)を彫ろうとして いるのはバリー・シーンその 人。それもパドックの真ん中 で、多くの人々に取り囲まれな がら……現在とは時代も違え ば、生き方も異なっていたので す。 BACKTOMOTOGP 世界グランプリロードレースに おける“タイヤ戦争”に火を着け たのはミシュランでし た。1973年に世界GPへの参 戦を開始したミシュランは、や がて「スリックタイヤ」を開発 し投入。その技術は、トップカ テゴリーである500ccクラス のパフォーマンスを劇的に高め ていくことになりました。 BARRY SHEENE AND MICHELIN A LOVE STORY BACKTOMOTOGP ミシュランのロードレース用タイヤ。その進化に大い なる貢献を果たしてくれたのがバリー・シーンでし た。彼はミシュランタイヤを使用して世界グランプリ の500ccクラスを戦い、1976年&77年と2年連続で チャンピオンを獲得しました。 2005年までミシュランのコンペティションディレク ターを務めたピエール・デュパスキエはシーンのこと を次のように回想します。 「私たちミシュランがロードレース活動の基盤を築い たのは1973~74年頃のことです。私たちはフォー ミュラ750クラス用のリアタイヤとしてスリックタイ ヤを開発し、成功を収めました。そして1975年、バ リー・シーンが『ミシュランタイヤを試したい』と申 し出てきました。彼はテストしてすぐに私たちのタイ ヤのパフォーマンスに感銘を受け、以後、現役を退く までミシュランを使い続けてくれたのです。 バリーの要望に応えるためには、私たちは一層ハード に働かなければなりませんでした。彼はフロントには スリックタイヤをなかなか使おうとしなかったのです が、その事実だけから彼のことを保守的と批判的に言 う人もいました。しかし、事実はそうではありませ ん。彼が望むほどの応答性のあるフロント用のスリッ クタイヤを当時の私たちはまだ作り出すことができて いなかった、ということなのです。 また、バリーは雨の中でもとびきり速いライダーでし たが、私たちのレインタイヤにはずっと不満を抱いて いました。だから彼はスリックタイヤに溝を手彫りし たタイヤを使ったのです。彼が自らその作業を行って いる姿を私はいまでも鮮明に思い出します。 ともあれ、私たちのタイヤを使って最高峰クラスを制 した最初のライダーがバリーでした。ミシュランを履 いたチャンピオンはその後たくさん誕生することにな りましたが、バリーこそがその先駆けだったのです」 TECHNICIAN’S CORNER バリー・シーン用のスリックタイヤ にグルーブを刻む作業に取り組む 面々。横顔を見せている人物がピ エール・デュパスキエ。後ろ姿の人 物はスズキの日本人技術者。そして タイヤを支えている女性は、シーン の恋人で後に妻となったステファ ニー・マクリーン。 BACKTOMOTOGP THE BIRTH OF THE SLICK ミシュランのスリックタイヤが初めてお目見えしたのは1975年のシーズン前のこと でした。その初めてのテストはイタリアのミザノ・サーキットにおいて、スズキ・イ タリアのライダーであったジャック・フィンドレーとグイド・マンドラッチによって 行われました。 「スリックタイヤのそもそもの狙いは、路面との接地面を大きく取ることにありまし た。私たちは当時すでに四輪レースにスリックタイヤを導入済みで、グリップの向上 やトレッドの余計な動きを低減するといった効果を確認していました。それと同じ考 えをモーターサイクルにも持ち込もうとしたわけです」とミシュランのコンペティ ションディレクターであったピエール・デュパスキエは説明してくれました。 「実は当時のミシュランの研究開発部門はスリックタイヤの二輪への導入には懐疑的 で、トレッド断面が球状で接地面がむしろ小さいタイヤを開発していました。しか し、実際にテストしてみるとスリックタイヤこそ有望な技術であることがすぐに明白 になりました。グリップレベルが飛躍的に高まり、バイクの動きはより安定したもの となりました。 この時点でのスリックタイヤの導入はリアのみでした。二輪のフロントタイヤはリア タイヤよりよほどデリケートな要件を持つものだからです。ただし、しっかりとした リアタイヤとある程度のフレキシブルさを備えたフロントタイヤの組み合わせこそ二 輪ロードレースには適しているという考えを私たちはこのとき固めることができまし た」 BACKTOMOTOGP HERO TO AN ENTIRE GENERATION バリー・シーンは、ロックスター に並ぶ社会的地位や名声を手にし た唯一のレーシングライダーであ り、1970年代の二輪レース界に おけるアイドル的な存在でした。 イギリス国内選手権で2度チャン ピオンに輝き、1973年には新た に創設されたフォーミュラ750 ヨーロッパ選手権を制覇。そして 1974年、シーンはスズキが新た に開発したロードレーサーRG500 とともに世界グランプリ500ccク ラスへの参戦を開始しました。 ところが1975年3月、シーンはア メリカのデイトナで激しいクラッ シュに見舞われて瀕死の重傷を 負ってしまいます。傾斜のついた バンクをおよそ280km/hで走行 中、リアタイヤ(ミシュランでは ありません)が突然バーストして しまったためでした。それでも シーンは約2カ月後にはオースト リアGPの予選に出走してみせ、 人々の度肝を抜きました(ドク ターストップがかかって決勝には 出走せず)。さらに翌月のダッチ TTでは、ヤマハYZR500に乗る帝 王ジャコモ・アゴスチーニとの一 騎討ちを制して500ccクラスでの 初優勝を達成。スリックタイヤ装 着車がここで初めて500ccクラス を制することとなったのでした。 そして1976年、シーンはついに 世界チャンピオンの栄冠を手に入 れました。同時にミシュランも 500ccクラスにおける初タイトル をつかんだのです。 シーン&スズキ&ミシュランのコ ンビネーションは明くる1977年 シーズンも席巻し、2年連続で チャンピオンを奪います。瀕死の 重傷から蘇り、2度も世界の頂点 に立ったバリー・シーンの人気は 絶対的なものとなったのでした。 BACKTOMOTOGP HISTORY IN MOTION 1976年、ミシュランタイヤを使用したバリー・シーンが500ccクラスの王座に輝きました。こ のイギリス人は翌1977年もチャンピオンを獲得。そして同年はミシュランユーザーが世界グラ ンプリの全クラスを制覇するという快挙が成し遂げられました(500cc:バリー・シー ン、350cc:片山敬済、250cc:マリオ・レガ、125cc:ピエール・パオロ・ビアン キ、50cc:アンヘル・ニエト)。 ところが1978年、シーン&スズキ&ミシュランはケニー・ロバーツ&ヤマハ&グッドイヤーの コンビネーションに惜敗を喫します。それは“新たなるタイヤ戦争”の始まりとなりました。そし て二輪ロードレースの世界には間もなく「ラジアルタイヤ」という新機軸が登場することになる のです──。 Kewin Schwantz in 1993 AN ENVIABLE RECORD 世界グランプリロードレース 通算360勝/チャンピオン獲得12回 スーパーバイク世界選手権 通算269勝 世界耐久選手権 チャンピオン獲得14回 そして世界各国の国内選手権における成功の数々…… 安定性、耐久性、パフォーマンス、そして幅広い条件への適応能力といった様々な 要求性能をすべてハイレベルで実現させた妥協なきパフォーマンスパッケージ。 ミシュランが二輪ロードレースで長年にわたって示してきた高性能はすべて のミシュランタイヤでお使いいただくことができます。 Freddie Spencer in 1985 Valentino Rossi in 2002 cha agence BACKTOMOTOGP Barry Sheene in 1977
© Copyright 2024 ExpyDoc