天皇崇拝の伝統 天孫降臨 「神人同系」の神道思想で は、日本は「神国」で、天皇 は天照大神の万世一系の 神の後裔と信じている。 「天孫降臨」、須佐之男命と 天照大神との「誓い」を通じ て生まれる子供天之忍穂 耳(おしほみみの)命の子で あるニニギノミコトが高天原 から、地上の豊葦原瑞穂 (みずほ)国の支配者として 降り。天照大神の孫に当た る人が、天上から中つ国に 降りてきて、後にいろんな 結婚を重ねて初代の神武 天皇が生まれて、そこから 血筋が繋がっている、とい う神話になっている。 伝説の中の神武天皇 「神国」の語は、『日本書 紀』神功皇后(じんぐうこ うごう)摂政前紀の新羅 征伐記事にある。その内 容は、神々の教えを受け てかの国に押し寄せた 日本の軍勢をみた新羅 の王が「われ聞く、東に 神国あり。日本といふ。 また聖王あり。天皇とい ふ。必ずその国の神兵な らん。あに兵を挙げてふ せぐべけんや」と言って、 戦わずして服従したとい う。これは、神話創作に 過ぎなかったが、「神国 思想」が日本歴史の底を ずっと流れ、日本国体思 想に大きな影響を与えた。 一、大王から天皇へ(紀元後3世紀末―7世紀古 墳時代) 弥生時代以後、豪族出現、首長が大陸と朝鮮 目を向け、連合して立てた王が大王、 1世紀、倭(わ)の奴(な)の国の王が後漢 の光武帝に使者、「漢倭奴国王」の金 印授(『後漢書』) 2世紀、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)に 「親魏倭王」『魏志倭人伝』、 倭五王:讃(仁徳)、 珍「反正(はんぜ い)」、済「允恭(い んぎょう)」、興(安 康)、武(雄略)使 者『宋書』『梁書』 大和政権の大王が統 一国家を作って、天 皇と称する、7世紀の こと。 8世紀に『古事記』 『日本書紀』『風土 記』を編纂。神観念、 政治観、国家観 三種の神器:八尺 鏡(やたのかがみ) (伊勢神宮に秘め られた神体) 草薙剣(くさなぎの つるぎ)(天叢雲剣 (あめのむらくもの つるぎ))-日本武 尊(やまとたけるの みこと)(伊勢から 熱海神宮神体) 八尺瓊勾玉(やさか にのまがたま)(宮 中に本体) 三、天皇の諸相(125代) 史上女帝:飛鳥、奈良時代、 女帝が輩出(592-764)172年 間、6人の女帝:推古、皇極 (こうぎょく)=斉明(さいめ い)、持統、元明(げんめい)、 元正(げんしょう)、孝謙(こ うけん)=(称徳)、江戸時 代2人:明正天皇、後桜町 天皇 律令制時期:史上 天皇制権力の最盛 期(飛鳥、奈良、 平安前期) 平安時代半ば:瓦解 し始め、摂関政治が 始まる。10世紀末 ―11世紀、外戚藤原 家11世紀末:白河上 皇が院政 始め 鎌倉時代:源氏と北 条氏が執政 室町時代:足利氏二 百年(建武中興失敗、 光明天皇擁立、後醍 醐天皇吉野逃げ) 南北朝時代:1392年 ご亀山天皇が小松天 皇に三種の神器を渡 し、南北朝合一 江戸時代:15代の 徳川氏1868年まで、 二つの中心、天皇 と将軍 将軍:政治、軍事、 外交 天皇:主 権統治の象徴 明治維新:王政復古 国体思想 「神国思想」:『日本 書紀』神功皇后の新羅 征伐記事、神話創造だ が、国体思想に影響 鎌倉時代:天壌無窮の 「神国思想」一般化― 日蓮、『立正安国論』 が国家的自覚 伊勢神宮の神官度会氏 が『神道五部書』両宮 の由緒を述べ、蒙古襲 来契機神国思想説 鎌倉時代 末期:虎関師錬の『元 亨釈書(げんこうしゃ くしょ)』、北畠親房 (きたばたけちかふさ) の『神皇正統記(じん のうしょうとうき)』 ―神器(じんぎ)信仰を 基調とした国体論、神 道は天皇治世の要道、 神代から後村上天皇ま での歴史、南朝の正当 性 室町時代 神国という国号が用 いられ、吉田兼倶 (よしだかねとも)の 唯一(ゆいいつ)神道 (しんとう)に敬神尊 王思想が強調され 江戸時代 儒学者-山崎闇斎の垂 加神道、国学者-本居 宣長(もとおりのりな が).平田篤胤(ひらた あつたね)の復古神道 水戸学(みとがく)-大 義名分論、吉田松陰の 尊王愛国論などを中心 に、近世の国体論が形 成され、敬神尊王.祭 政一致.皇道宣揚-倒 幕運動を展開 明治維新 「王政復古、国威挽回」 「尽忠報国」、版籍奉 還.廃藩置県→天皇絶 対主義 神祇官(じんぎかん)が 復興して「神道復古」 がなり、「廃仏毀釈」 の運動が熾烈 明治23(1890)-「教育 勅語」が発布(はっぷ)さ れ、国粋観念が支配 伊藤博文の『大日本帝国憲法義解』:日本 の国体は万世一系の天皇の統治 1994年日清戦争と1995年日露戦争を経て高山樗牛(たかや まちょぎゅう).木村鷹太郎.井上哲次郎-「日本主義」 の主唱-大日本協会 「不敬事件」:第一高等 学校講師内村鑑三(うち むらかんぞう)が教育勅 語の礼拝を拒否して職を 大逆事件:明治43年 (1910)幸徳秋水(こう とくしゅうすい) 9.18事変 大正昭和 大正期及び昭和前 期:日本超国家主 義思想が国民を戦 争に、ファッショ 的思想 盧溝橋事変と中日戦争 太平洋戦争 象徴天皇の変貌 人間宣言 朕ト国民トノ間ノ紐帯ハ、始終相互ノ信頼ト敬愛トニ 依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼル モノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ 以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支 配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ モ非ズ。 元号 天皇在位の象徴としてつける年号を元号という。西 暦2009年は、日本式に言うと平成21年である。平 成と言う元号は、1989年1月8日から使っている。 1989年は、1月7日までが昭和64年で、1月8日か らは平成元年 元号は中国から日本に入った文化で、日本では 645年に「大化」と号したのが始まり。天皇の即位や、 生前の退位、祥瑞や逆に天変地異などの災厄など を避ける願いのため、又、幕府の将軍の交代の時 などに元号を改められた。明治以後は一人の天皇 でひとつの年号を使う一世一元となった。 国学と尊王論 『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典の、主と して文献学的研究に基づいて、特に儒教や仏教が渡来す る以前の、日本国固有の文化及び精神を明らかにしよう とする学問を国学という。近世学術の発達と国家意識の 勃興に伴って起こり、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂 真淵(かものまぶち)、本居宣長、平田篤胤(国学四大 人)とその門流によって確立された。古学、または皇学 とも呼ばれた。 天皇の絶対的権威を認め、皇室を尊崇すべしとする論 を尊王論という。近世に至り、儒教の王道思想に基づき 朝幕の名文を説く儒学者の尊王論と、儒教を排斥し復古 神道を説く国学者の尊王論とに大別される。しかし両者 とも本質的には幕府政治を否定するものではなく、また、 明治以後の絶対主義的天皇イデオロギーの基礎となった。 君が代 日本の国歌「君が代」は、明治時代の1893年に作 曲された。、『古今和歌集』の和歌に由来している。 歌詞は、「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、 巖(いわお)となりて、苔(こけ)のむすまで」である。日 清戦争、日露戦争、中日戦争、太平洋戦争などとい う不幸の中で、軍国主義化した国歌となった。敗戦 後、天皇を賞賛する内容であるとして「君が代」を自 粛する動きもあったが、1950年には公式行事に再 登場した。1985年より、文部省は初等中等教育局 長の名義で、各教育委員会に「通知」をし、国旗国 歌を尊重する方針を要求し、行政命令でこれを「義 務」化した。 日の丸 白地の中心に太陽を意味する赤い丸を描いた旗は、 「日の丸」の名で、国旗として使われている。戦国時 代の武将が旗印(はたじるし)として用いていたとす る記録が残っている。徳川幕府が日本の船の10船 (ふね)印(じるし)として取り入れ、明治時代の1870 年、国旗として定着した。「日の丸」も軍国主義の名 の下に誤った道をとり、戦争中には国民の戦意を高 揚させるシンボルとして用いられた。現在でも前述 の義務化に関して、学校などにおける「日の丸」掲 揚(けいよう)に反対論を唱える人が少なくない。 天皇の国事行為 天皇は、「日本国の象徴」であり、この地位は主権の存する 日本国民の総意に基づくと定められており、憲法の定める国 事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない とされる。 この国事に関する行為とは、国会の指名に基づいて、内閣 総理大臣を任命すること、内閣の指命に基づいて、最高裁 判所長官を任命すること、憲法改正、法律、政令及び条約を 公布すること、国会を召集すること、衆議院を解散して総選 挙の施行を公示すること、国務大臣の任免及び大使、公使 の信任状の認証を行うこと、恩赦(おんしゃ)の認証を行うこと、 栄典を授与すること、批准書及びその他の外交文書を認証 すること、外国の大使、公使を接受すること、などに限定され ている。 このように、天皇は政治上の権限を有しないが、外交儀礼 上は元首として扱われる。 天皇、皇后、皇太子、皇太子妃 今の125代目の平成天皇の名前は明仁(あきひと)で、1933年に生まれ、 学習院大学の政治経済学部に学んだ。1959年に旧家としても知られる 経営者の子女である正田(しょうだ)美智子(みちこ)を皇太子妃(現在の 美智子皇后)として迎えた。美智子皇后は元日清(にっしん)製粉(せいふ ん)社長正田英三郎氏の長女として1934年に生まれ、聖心女子学院中、 高等学校を経て、聖心女子大学文学部外国語外国文学科に進学、英文 学を専攻した。皇族以外の民間からの皇后は、聖武(しょうむ)天皇の光 明)皇后以来のこととされる。テニスのほかに文学や音楽を愛好し、ピア ノやハープも弾く。刺繍や草花(くさばな)の世話も好きで、幅広い趣味を 持ち、英語とフランス語ができる。 皇太子の名前は徳仁(なるひと)で、1960年に生まれ、嘗てイギリスの オックスフォード大学に留学したこともある。皇太子妃は、雅子妃である。 皇太子と皇太子妃のお子さんは、敬(としの)宮(みや)である。
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