飯田 恭

「西洋経済史」の卒業論文
本稿では、日本語を母語とし、日本の大学で西洋経済史
は、まず、日本において西洋経済史あるいはより広く西洋
をなすべきか、またその意味は何なのかを見極めるために
その課題と意味
――
を専攻する学生に向けて、この分野の卒業論文作成に当た
史の研究が、専門家によって、どのような形で行われてき
飯田
恭
って取り組むべき課題と、その課題に取り組むことの意味
た︵いる︶のかを知ることが有益である。
がそのまま役に立つかどうか心許ない。しかし西洋経済史
書物の翻訳である。幕末維新期の日本では、西洋諸国の情
日本における西洋史研究の第一のスタイルは、
﹁舶来の﹂
日本における西洋史研究の三つのスタイル
について述べることとする。筆者が西洋経済史を専門にす
るといっても、直接に研究の対象としているのは近世・近
代のドイツ農村史であるため、とりわけ史料・研究条件が
の場合、卒業論文の段階で取り組むべき課題はなお比較的
報を得るために、洋書の翻訳事業が積極的に推進されたが、
異なる古代史、中世史、現代史を学ぶ学生にとって、本稿
未分化であるから、本稿が一般に参考になる面もあるので
その中には西洋史の書物が数多く含まれていたという。加
藤周一と丸山眞男の﹁問答﹂を収めた﹃翻訳と日本の近代﹄
はないかと思う。
日本の大学で西洋経済史の卒業論文を作成する場合に何
三色旗 2010.7(No.748)
︵ 岩 波 新 書、 一 九 九 八 年 ︶ の 中 で、 丸 山 は そ の 事 情 を 次 の
訳そう、古典古代を知ろうというのは、いま言ったよ
マ盛衰記﹄三冊です。ローマの偉大さとデカダンスを
かを知らなければ安心ができないからね。でも、なぜ、
は、まだわかる。開国にあたって、どの国がどこにある
史﹄を最初として、じつに多い。地理書が多いというの
くそれは、日本の研究者、学生、そして一般市民が広く西
様々だし、地域・時代・テーマの偏りもある。だがともか
の歴史書の翻訳は現在に至るまで脈々と続いている。質は
このような形で日本の西洋史学は出発した。そして西洋
ば。﹂︵六三~六六頁︶
文明の由来を基本から究めようという姿勢がなけれ
うに、安易な実用主義からは出てこない。ヨーロッパ
ように語っている。
﹁明治二〇年までの翻訳について、ぼくの印象をいうと、
第一には歴史書が多いことね。なぜ、万国史の翻訳があ
﹃ 万 国 史 ﹄とか、バックルの﹃ 英 国 開 化 史 ﹄
、ギゾーの
洋史を知るのに確実に役立っている。
んなに多いんだろうか。幕末に出た、パーレーの﹃万国
﹃欧羅巴文明史﹄などに着目したのか。
﹂
す。今日からみれば欧米史観ともいえるけれども。国
で、 パ ー レ ー﹃ 万 国 史 ﹄ の 現 実 の 内 容 は 欧 米 中 心 で
だと思える。歴史書は大きく分けると万国史と各国史
史的沿革を知ろうとしたことが、ぼくには大したもの
﹁⋮⋮ともかく、直接役立たないのに、文明開化の歴
が、そこでは主にこの第二のスタイルがとられた。数多く
高橋幸八郎・松田智雄を中心とする﹁大塚史学﹂であった
日本の西洋経済史学をリードしたのが、東大の大塚久雄・
る日本語の著書・論文に仕上げるというものである。戦後
れを日本の学界向けに加工・アレンジし、自らを著者とす
版された現地の歴史家の著書や論文をもとにしながら、そ
日本における西洋史研究の第二のスタイルは、西洋で出
別史ではイギリス、フランスのほかに、びっくりした
の日本の西洋経済史家がこの学派に結集し、英・仏・独・
した︵例えば﹃西洋経済史講座﹄全五巻、岩波書店、一九
Considérations sur les causes de la grandeur des 北米などの近代化過程に関する比較史的認識枠組みを構築
のはギリシア史、ローマ史ですね。たとえばモンテス
キューの
、これは明治一六年﹃ロー
Romains et de leur décadence
三色旗 2010.7(No.748)
ものにとどまった。西洋への渡航の機会が限られ、現地に
読める言語での発信は、それが行われる場合でも副次的な
の著書・論文の主要部分は日本語で書かれ、西洋の人々が
実・学説の再解釈や再整理において発揮された。また彼ら
は 新 し い 事 実 や 文 脈 の 発 見 に お い て で は な く、 既 知 の 事
家の著した研究文献に依拠していたため、その﹁独自性﹂
史家のほとんどは一次史料を用いず、情報源を西洋の歴史
ことを目指したのである。だが﹁大塚史学﹂を構成する歴
六〇年︶
。つまり日本の学界の中で﹁独自の﹂体系を作る
高夫が英国で
を西ドイツで出版した坂井栄八
Grundlastenablösung (1967)
郎は船でドイツに渡った世代である。慶應義塾では、松村
浮 か ぶ。
ない。筆者の身近なところに限っても旧世代の例がすぐに
れて増えてきた面もあるが、必ずしもそうとばかりはいえ
た。このようなスタイルは、空の交通の便が良くなるに連
れ を 取 り 巻 く 国 際 学 界 へ の 本 格 的 な 発 信・ 参 加 が 始 ま っ
書・論文を発表する西洋史家も現れ、現地の学界およびそ
オリジナルな西洋史研究に至る階梯
を、矢
The Labour Aristocracy Revisited (1983)
Der kurhessische Bauer im 19. Jahrhundert und die
赴いて未公刊の一次史料を読むことが困難な時代にこのス
野久が西ドイツで Hüttenarbeiter im Dritten Reich (1986)
を出
版し、第三のスタイルを追求する学風の礎を築いた。
タイルがとられたのは必然であったかもしれない。だが近
年の国際化・グローバル化の中でも、東大を中心に、
﹁わ
が国の﹂西洋経済史学、すなわち﹁大塚史学﹂を継承しよ
うという努力が続いている︵馬場哲・小野塚知二編﹃西洋
蔵されている未公刊の一次史料を渉猟・分析し、新しい事
洋の現地に赴き、そこに長年留学し、現地の文書館等に所
いうものである。自らが研究対象とする歴史が刻まれた西
第三のスタイルは、西洋の歴史家と同等の研究をすると
史・北米史を専攻する場合を除けば、英語だけできても駄
と す る 国 や 地 域 の 言 語 を 習 得 し な け れ ば な ら な い。 英 国
までには数々の段階を経なければならない。まず研究対象
る。だが日本で勉強を始めた西洋史学徒がそこに到達する
研究といえば、それはもちろん第三のスタイルのことにな
以上の三通りの中で、厳密な意味でオリジナルな西洋史
実や文脈の発見を含んだオリジナルな論文を書く、という
目であり、第二・第三外国語などとして研究対象地の言語
経済史学﹄東京大学出版会、二〇〇一年︶
。
スタイルである。日本語ではなく、現地の言語で主要な著
三色旗 2010.7(No.748)
を習得する必要がある。
その上で、自分の関心のあるテーマについて、研究史と
研究の現状を知るために、既存の研究文献を読み進めるこ
わるのだ。
大学を卒業する︵学士号を取得する︶までの期間におい
卒業論文で取り組むべき課題
けを読めばすむというものではない。歴史研究の本体はあ
ては、多くの科目を履修し、幅広く勉強することが要求さ
とになる。その際、学術雑誌に載った数十ページの論文だ
くまで単行本である。しかもそれは歴史学の実証水準が上
いうちに、言い訳程度に史料を見ても、意味ある成果は期
れる。その中で、通例二年位を目処に卒業論文の作成を終
そして現地への留学を計画する。これはふつう大学院に
待できない。むしろ開き直って、語学の習得と既存の研究
がる中で年々厚みを増している。しばしば電話帳ほどの厚
進んでから、しかも修士課程を終えてからである。留学に
文献の読解に集中した方がよい。その際、最新の、あるい
えなければならない。こうした制約の中で、現地に留学し
は大きな費用がかかり、奨学金をとるためには時間がかか
はまだ日本語で紹介されていない、優れた研究書をさしあ
さのある歴史書を次々に読破することが要請されるのだ。
る。留学が始まると、現地で史料の所蔵状況や内容を調査
たり一冊、丁寧に翻訳しながら読み切ることを勧める。そ
て史料分析に従事することは、ふつう無理である。はじめ
し、どのようなテーマが可能で有意義か最終的に詰める。
れが読むに値する書物か、指導教授の助言を仰ぐとよい。
こうしてはじめて、何がすでに言われていて、何がまだ言
場合によってはそれに数年かかることもある。テーマが定
その書物が英語以外の習得したての言語で書かれている場
から少しでも史料を使った方がよいという指導者もいる
まると、いよいよ史料を読み進め、分析し、博士論文の作
合、はじめは一日に一ページ、慣れてきても一日数ページ
われていないか︵オリジナルたりうるか︶分かり、自分が
成に取り掛かる。博士論文がまとまるまでの年数はまちま
ずつ読み進めるのがやっとであろう。その本が五百ページ
が、語学もおぼつかず、既存の研究文献もきちんと読めな
ちだが、ふつう五年くらいはかかる。そして博士論文が完
だとしたら、単純計算でも、一冊読むのに半年や一年など
取り組むべきテーマもやや具体的に見えてくる。
成して、ようやくオリジナルな研究を書くための修業が終
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第一に、翻訳した書物の内容を紹介する。そこに提示され
翻訳ノートが出来た。では卒業論文をどう書くか。まず
る。だが、そこを我慢して翻訳をやり遂げる必要がある。
書を一冊翻訳しながら読み切るのには、半年位は十分かか
であり、その書物の著者から要請されるはずのものでもあ
示することはできる。それは、学問にたずさわる者の義務
はまだできないが、既存の知識との対照を通じて疑問を提
その書物に対する反論を史料的根拠をもって展開すること
第三に、翻訳した書物に対する批判や問題提起を行う。
ねばならない。
たストーリーを、印象的な事例の紹介も含めながら、可能
る。﹁︹芸術の場合とは違い、︺学問のばあいでは、自分の
すぐ過ぎてしまう。英語の文献でさえ、内容の高度な専門
な限り具体的に再現する。背景の事実関係を知らなければ
な、まさにここにこそ学問的業績の意義は存在する。⋮⋮
仕事が十年たち、二十年たち、また五十年たつうちには、
第二に、翻訳した書物が、いかなる問題意識をもって、
学 問 上 の﹃ 達 成 ﹄ は つ ね に 新 し い﹃ 問 題 提 出 ﹄ を 意 味 す
理解できない部分が多数出てくる。その場合には、内外の
いかなる視角から、いかなる方法で、いかなる史料を用い
る。それは他の仕事によって﹃打ち破られ﹄、時代遅れと
いつか時代遅れになるであろうということは、だれでも知
て書かれ、どのような命題に到達したのか、そしてそれは
なることをみずから欲するのである。学問に生きるものは
基礎文献や歴史事典などに当たってそれを逐一調べなけれ
従来の研究に対してどのような意味で新しいのか︵オリジ
このことに甘んじなければならない。﹂︵マックス・ウェー
っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である。い
ナルなのか︶、その書物の研究史上の特徴と意義を解説す
バー﹃職業としての学問﹄尾高邦雄訳、岩波文庫、一九九
ばならない。
る。従来の研究との違いを深く知るには、より旧い研究を
五年、二九~三〇頁︶
筆者が推奨する上記の卒業論文作成の工程において、と
翻訳のすゝめ
直接読み、比較検討するのが一番だが、それが無理であれ
ば、当該テーマに関する研究史を整理した文献を使うのも
よい。方法上の特徴を説明するためには、これまでにどの
ような歴史叙述・分析の方法が提起・開発され、それぞれ
の間でどのような論争があったのかを、史学史的に勉強せ
三色旗 2010.7(No.748)
りわけ大著の翻訳は、没我的で無意味な苦役のように映る
メリカ人を凌ぐんじゃないかな。⋮⋮明治の初期の日
なはだしいね。ヨーロッパ諸国はもちろん、いまやア
ですよ。外国の文明に接すると、それをすぐに歴史的
かもしれない。だがそれをやり遂げることには意外な意味
第一に、専門的な歴史書を読む場合、外国語辞典で分か
コンテクストのなかに置いてみようとする傾向があっ
本人は世界でもっとも歴史的感覚が鋭かったと思うん
らない言葉の意味を調べるだけでなく、歴史事典や基礎文
て。﹂
がある。
献で背景の事実関係を調べなければ理解できないため、読
たことのメモを残しておいたほうがよい。かえってそれが
てしまう。だからノートなりパソコンなりに、訳文と調べ
しておいただけでは、前の箇所で何が書かれていたか忘れ
は暗記ものと呼ばれて嫌われていた。歴史感覚と何ら
験にあると思います。ぼくらの学生のころから、歴史
学の衰退にあるとすると、第二の原因は学校制度と受
﹁それがいまや、逆になっちゃった。第一の原因が漢
み終えるのに非常に長い時間がかかる。従って、頭にメモ
長大な洋書を理解するための一番の早道なのだ。勉強の足
関係のないことを一生懸命暗記するうちに、みんな歴
いう歴史教育の影響は大きいと思う。戦後ものすごく
跡がノートの厚みとなって表れ、これだけ勉強したという
第二に、日本の中学や高校で歴史教育を受けてきた学生
加速されたけど、けっして戦後に始まったものではな
史はきらいになっちゃう。試験制度と結びついたああ
の多くにとっては、分厚い歴史書の翻訳は、全く新しい、
くて、⋮⋮﹂︵六七~六八頁、最初の発言が加藤、次
気持ちになることも重要だ。
より能動的な、そして歴史感覚を呼び覚ます学習経験とな
いで丸山︶
埋め問題に備える。試験に出るから、しかたなく出る場所
分に赤いチェックペンで線を引き、緑のシートで隠して穴
薄っぺらな歴史教科書の、ゴチックで指定された暗記部
る。﹃翻訳と日本の近代﹄の上で引用した箇所の後段で、
加藤と丸山は、歴史書の翻訳に目覚めた明治の頃と比較し
つつ、近年の日本における歴史教育の状況を憂えている。
﹁現在︹一九九〇年頃︺の日本の歴史関心の低さはは
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気、またその変容が具体的かつ印象的に活写されている場
い。 良 き 歴 史 書 に は、 そ の 時 代 の 人 間 社 会 の 様 子 や 雰 囲
や り 遂 げ た、 と い う 満 足 感 も あ ろ う が、 そ れ だ け で は な
ちの顔には、一様に達成感・満足感がある。大きな仕事を
かかりながらもその翻訳をついにやり遂げたときの学生た
学習行為だろう。筆者から分厚い洋書を与えられ、挫折し
のは、これまでに経験したことのない、はるかに能動的な
て馬場は﹁言葉がちがってしまえば一つの国をなさないだ
たく言葉がちがってしまうだろう﹂と反駁したのだ。そし
語を採用したらどうなるか、上流階級と下層階級ではまっ
有名な議論を展開したのに対し、馬場は﹁もし、日本で英
が西洋文明をモノにするために英語を国語にすべしという
に学んだ馬場辰猪の議論がある。つまり明治六年、森有礼
味については、自由民権運動の闘士であり義塾で福澤諭吉
翻訳を通じて日本の一般市民に知を広めることがもつ意
般市民や学界に向けて、西洋史の知識を普及させる役割を
合 が 多 い。 そ れ を 翻 訳 す る 中 で、 学 生 は そ こ に 登 場 す る
けではなくて、下層階級の多くは国事の重大問題から締め
を暗記する。もし中学や高校でこのようなあまりにも受身
人々の行動・思考に驚き、共感し、時として憤る。またそ
出されるだろう、という危惧を述べた。つまり、英語をも
担える。
れが、既存の常識を覆そうとする野心的な書物であれば、
のにするのは大変だから、一般大衆とエリートと言葉が二
な勉強だけをしてきたのだとすれば、歴史書の翻訳という
学 生 は 歴 史 観 の 転 換 を、 自 ら の 筆 を も っ て 辿 る こ と と な
つできて、重要なことがみんな英語で処理されることにな
したのである︵
﹃翻訳と日本の近代﹄四三~四九頁︶
。自身
る。こうして学生たちの体内に、眠っていた﹁歴史感覚﹂
第三に、学生時代に翻訳ノートを作成していれば、それ
は英語に堪能な馬場が、敢えて国民一般による知識と議論
れば、英語をしゃべるエリートだけが国事をやることにな
を指導教授等の監修の下で抜本的に修正・改善し、卒論の
の共有を重視しつつ﹁翻訳主義﹂の道を支持したのだ。意
が呼び覚まされるのだ。これは歴史を深く、根本から理解
解説部分を発展させた解題を付して出版するというチャン
欲ある学生諸君が首尾よく出版に値する訳業をやり遂げた
ってしまって、大衆は国事から疎外されるだろう﹂と危惧
スが無いわけではない。実際そのような例は少数ながら存
とすれば、それは明治以来続けられてきたその良き伝統を
する上で、貴重な体験である。
在する。もしこの訳書の出版が実現すれば、広く日本の一
三色旗 2010.7(No.748)
継承することになる。
また翻訳は、逆説的に聞こえるが、日本の西洋史学界の
かに有益なのだ。こうして﹁翻訳﹂︵第一のスタイル︶は
図らずも、日本の西洋史学の国際化︵第三のスタイル︶に
に多言語を使える人は少ないから、西洋史といっても自分
極めて地味だが、実に意義深い知的作業である。本稿の読
以上に述べたように、
﹁西洋経済史﹂の卒業論文作成は、
貢献することになる。
の専門外の国や地域については通常翻訳で学ぶ。また自分
者の手で、優れた仕事が生み出されることを期待する。
国際化にも貢献しうる。日本の西洋史家の中でも英語以外
の専門とする国や地域の歴史についても、現地で夥しい数
の歴史書が次々に出版される中で、そのすべてを原書で読
むことは不可能である。自分のテーマに直接関わる文献は
原書で読むとしても、扱う時代やテーマが異なる文献につ
︹いいだ
たかし
慶 應 義 塾 大 学 経 済 学 部 教 授 、 経 済 史・ 社 会
いては、翻訳で読めると助かる。その場合、これは筆者の
考えだが、現地で出版された西洋史の文献をもとに、それ
史 専 攻。 一 九 九 九 年 東 京 大 学 博 士︵ 経 済 学 ︶
。主要業績│
Auseinandersetzungen zwischen Gutsherrn und Bauern im
“ Bäuerliches Beharren auf der ‘Holzberechtigung’. Die
Berlin: Lukas Verlag für Kunst- und Geistesgeschichte , 2010.
zur brandenburgischen und vergleichenden Landesgeschichte, Bd 3),
liche Untersuchungen einer ländlichen Gegend Ostelbiens (Studien
Ruppiner Bauernleben 1648-1806: Sozial- und wirtschaftsgeschicht-
を日本の閉じた学界における﹁日本独自の﹂議論に供すべ
く加工・アレンジし、自分の論文として発表するという形
の研究︵第二のスタイル︶よりも、むしろその文献をその
まま翻訳し、その文献が現地の学界およびそれを取り巻く
国際的な学界でもつ研究史上の意義をそのまま解説すると
い う 形 の 研 究︵ 第 一 の ス タ イ ル ︶ の 方 が、 は る か に 助 か
る。西洋現地の学界ないし国際学界に直接打って出て、そ
J a h r h u n d e r”
t s , Ja h r bu ch f ü r d i e G e s ch i ch t e M i t t e l - u n d
brandenburgischen Amt Alt-Ruppin während der ersten Hälfte des 19.
ては、現地で出た研究そのものを、そしてその研究が出て
︺
Ostdeutschlands, Bd. 55, 2009.
こに発信する形の研究︵第三のスタイル︶を志す者にとっ
きた背景そのものを、ストレートに学べることの方がはる
三色旗 2010.7(No.748)