宮崎大学における心臓手術と旧第2外科の歴史 宮崎医科大学は昭和 49 年 6 月 7 日に創設され、外科学講座は第一と第二からなり、外科 学第二講座は呼吸器外科の富田正雄教授を初代の教室主任として教授ほか 7 名のスタッフ で昭和 51 年 5 月 10 日に開講されました。少人数にも関わらず心臓血管、呼吸器、消化器 外科を診療し、当時の准教授で心臓血管外科のチーフであった古賀保範先生により昭和 53 年 1 月 10 日に最初の開心術が行われました。46 歳男性の僧帽弁狭窄症に対する交連切開術 でした。この年は開心術が 58 例に施行され、ASD、VSD、PS 等の 28 例は単純超低体温法に て施行されていました。翌昭和 54 年には開心術 78 例中単純超低体温法 28 例、昭和 55 年 は開心術 82 例でしたが単純超低体温法は 1 例と激減し、ほとんどが人工心肺使用による手 術となりました。当時の単純超低体温の手術台はスチール製の大きな長方形の箱の中に上 下する手術台が備え付けられたもので、箱には冷水が潅流できるような装置が取り付けら れていました。手術室の側室に設置された製氷機からバケツで氷を運んで、手術台上のビ ニールシートで覆われ箱の中に沈んだ麻酔下の患者さんの周りに氷を入れ、冷水を循環す ることで体温を均一に早く下げる方法でした。 昭和 56 年 10 月に富田教授が長崎大学第 1 外科教授として移動された後、昭和 57 年 3 月 に古賀先生が教授に昇任されました。開講当時から古賀教授時代までは、6 年間を関連病院 (ほとんどは消化器外科もしくは一般開業医)も含めて 3 分野をローテートするのが決まり で心臓血管外科に固定するのは 7 年目からでした。そのため医局員は呼吸器や消化器に進 んだ者もかなりの心臓血管外科の経験がありましたし、逆もありました。現在の初期研修 制度とそれに引き続く外科専門医取得、最終的な心臓血管外科専門医取得を既に行ってい た形です。第二外科には心臓、呼吸器、消化器と 3 グループがありましたので、同じ病棟 で一人の患者が頻回に入院されて、すべてのグループの手術を受けることも多々ありまし た。大動脈消化管廔や大動脈瘤肺穿破は食道や十二指腸、肺の処置を大動脈の緊急手術に 引き続いて行わなければなりませんが、深夜に呼吸器や消化管グループの応援を容易に受 けることができる状況は大変ありがたいものでした。 平成7年 11 月に古賀教授が急逝され、平成 9 年 2 月鬼塚敏男講師が教授に昇任されまし た。また、宮崎医科大学は平成 15 年 10 月に宮崎大学と合併して宮崎大学医学部となり、 平成 24 年 7 月に中村都英が後任となり、平成 27 年 4 月から外科学講座は心臓血管外科学 分野、肝胆膵外科学分野、呼吸器・乳腺外科学分野、消化管・内分泌・小児外科学分野、 形成外科学分野の 5 分野になりました。細分化のデメリットが生じないように、外科学講 座は患者さんを中心として各分野が有機的に働き、かつ有能な外科医がたくさん育つ講座 を目指します。
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