ありがとー

120年目の感謝。
1 2 0 年目の感謝。
ところ 信濃川大河津資料館
問い合わせ 信濃川大河津資料館☎ 0256・97・2195
横田切れ公園のライトアップ
横田切れの名前の由来となった横田の破堤場所にある、横田切れ公
園のライトアップを行います。
とき 7月 22 日㈮〜 ところ 横田切れ公園
問い合わせ 燕市土木課管理係☎ 0256・77・8277(直通)
思いっ
きり
楽しむ
大河津分水サンクスフェスタ
水辺の生き物観察会やキャンドル作り、ラジオパーソナリティーの
トークやコンサートなど盛りだくさん。
とき 7 月 30 日㈯ 10:00 〜 水辺の生き物探検隊
14:00 〜 キャンドルづくり・凧づくり
15:10 〜 みずべトークライブ
FM PORT パーソナリティー遠藤
麻理さん & ラヂオは〜とパーソナリティーさとちんさん
17:00 〜 アニバーサリーコンサート 笛人 本宮宏美さん
ところ 信濃川河川事務所大河津出張所
問い合わせ 燕市地域振興課地域振興係☎ 0256・77・8361
(直通)
信濃川大河津資料館、可動堰、普段は入れない堰の操作室などをご
先祖たちのおかげ
のざききろく
野崎紀六さん
(横田)
けいじ
祖父の慶 二が燕で最後の横田切れの生き証人で
した。平成 13 年に 100 歳で亡くなりました
が、子どものころに横田切れの話をよく聞かされ
ました。十数日続いた雨が上がった朝、毎晩堤
こいけどう
防の警備に行っていた祖父の父が
「小池筒の脇が
切れた! はよ逃げろ」と言って、家に飛び込んで
けん
きたそうです。家族みんなで家を出て100 間
(約
180m)くらい行くと、道にはもう水が流れてき
て歩けない。やっと熊森についた時にはもう泥だ
らけだったと言っていました。当時堤防は、その
村ごとに管理しており、ここ横田の堤防は、毎年
土を積んで厚くしていました。その厚い堤防はこ
の地域では有名だったようです。それでも切れて
しまったんです。横田切れから120 年経って、直
接経験した人はもういません。横田の住民でさ
え、120 年前の大惨事のことなんて忘れている
でしょう。でもこの安心は、先祖が苦労して生き
てきたおかげであることは間違いありません。
おかむらなおみち
案内します。
とき 8 月6日㈯ 1回目 9:00 〜12:00 / 2回目 13:30 〜16:30
ところ 大河津分水周辺
申し込み・問い合わせ
信濃川河川事務所総務課☎ 0258・32・3020
ありが
とー!
9月 10 日㈯ 信濃川治水歴史巡り
2016.07.01
分水小学校4年1組の皆さん
お
だ すすむ
小田進さん
(渡部)
第2期工事によって大正11
(1922)年に大河津
分水路が通水し、昭和6
(1931)年には堰の補
修工事による旧可動堰が完成しました。これら
の工事に関わった人はもう生きていないでしょ
うが、わたしの父は第2期工事や補修工事、そ
にんぷ
の後の維持工事などに人夫として関わってきま
した。伯父も第2期工事に関わりましたが、工
事中に2回発生した大規模な地滑りのどちらか
に巻き込まれ、幼い子どもを残して亡くなった
と聞いています。渡部の人は、住居や耕作地を
提供するだけでなく、山を切り崩すという過酷
な作業にも駆り出され、まさにこの東洋一の大
工事の「犠牲」になりました。でもそれは、越後
平野の治水に貢献したということです。時代は
3世代も4世代も変わり、今の若い世代の人は
そのことをあまり知らないでしょうが、もっと
誇りに思ってもらいたい、そう思います。
先人たちの
努力のつまった
美田
し み ず こうさく
清水耕作さん
(源八新田)
果樹栽培に適した大地 中ノ口川のそばでぶどうを栽培しています。かつ
ては氾濫を繰り返した信濃川ですが、それによっ
て土砂が堆積しこの越後平野が形成されました。
山から運ばれた土砂はミネラルが豊富なため、結
果、豊かな土壌となり、この辺りは果樹栽培が盛
んな地域となりました。燕三条地域の農家グルー
プが開催する
「畑の朝カフェ」というイベントが
あります。朝の畑で朝食を食べながら、収穫体験
などを行うものです。今では県外からもお客様が
来るほどの人気イベントになりました。うちのぶ
どう畑で開催するときは、参加者にぶどうのこと
だけではなく、この地で農業をすることができる
背景も伝えています。ぶどう栽培へのこだわりは
もちろんですが、この地域のことも知ってもらい
たい、そんな思いからです。現在、こうして洪水
の心配をすることなく農業ができるのは、紛れも
なく大河津分水路のおかげです。わたしはそのこ
とに感謝しながらぶどうを栽培しています。
昭和 20年ころの記憶ですが、腰まで田んぼに漬
かって田植えをしていました。稲刈りのときで
も、ひざまで水が張っていました。このあたりの
田んぼは、腐植土と泥炭なんです。大雨が降ると
苗を植えた田んぼが浮き上がるし、田んぼが乾
くと炭なので燃えてしまいました。秋に大雨が
降ると、その年の収穫がないという年があった
ほどです。今のような美田になったきっかけは、
明治 42(1909)年、大河津分水路の掘削による
土を、この源八新田に運び込んだことです。この
あたりの地主だった森山一郎さんが、近隣住民
きゃくど
と協力して客土組合を作り、この土を自分たち
の田んぼに客土(ほかの土地から持ってきた土
を混ぜること)していきました。客土を始めたこ
ろから時は経ち、森山さんの功績を知る人は少
なくなってきています。それでも、この美田は森
山さんをはじめ、先人たちの努力であることは
語り継いでいってもらいたいものです。
2016.07.01
12
120年目の年だから、
8月 28 日㈰ 「横田切れ」120 年記念シンポジウム(仮称)
治水への貢献
今こそ言いたい。
8月 27 日㈯ 信濃川のつばめぐみー水辺遊び体験ー
大工事の犠牲は
「ありがとう」
。
以下の詳細は、広報つばめ 8 月 1 日号でお知らせします。
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今の安心は
岡村直道さん
(新潟市西蒲区)
親子で
学ぶ
大河津分水周辺親子見学ツアー
大河津分水路は、今、この瞬間も
思いを
はせる
とき 7月5日㈫〜9月 25 日㈰ 開館時間内 ※月曜日休館
越後平野と、そこに住むわたしたちを
もっと
学ぶ
信濃川大河津資料館「横田切れ」特別展
洪水から守ってくれています。
「横田切れ」120 年記念イベント