新・雨月 戊辰戦役朧夜話 上巻

新・雨月 戊辰戦役朧夜話 上巻
年代
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
時期
3月
3月
3月
3月
3月下旬
3月下旬
3月下旬
3月下旬
4月初旬
4月6日
4月上旬
主人公
物部春介
奥垣右近
物部春介
身分
修験僧・興禅
坊文哉
会津藩士
修験僧・興禅
坊文哉
布袋の寅蔵 元博徒
奥垣右近
物部春介
会津藩士
修験僧・興禅
坊文哉
布袋の寅蔵 元博徒
物部春介
物部春介
修験僧・興禅
坊文哉
修験僧・興禅
坊文哉
布袋の寅蔵 元博徒
物部春介
修験僧・興禅
坊文哉
舞台
登場人物
ストーリー
歴史的事項
参照
・徳川慶喜が大政奉還したのはええじゃない
かの1か月後。
・木戸孝允は正月に太政官に出仕して徴士と
なった。
・徳川慶喜は寛永寺大慈院で謹慎、松平容保
は会津で家督を養嗣子の喜徳(のぶより)に譲っ
て自らは宰相と名乗る。
相楽総三の処刑
・近藤勇は新選組を甲陽鎮撫隊と改名し、甲
府に向かった。勝安房が資金を出した。
・相楽総三は赤報隊の一番隊隊長となった
が、財政難を恐れ年貢半減を撤回するため偽
官軍として処刑した。
・幕府は小判の金の含有量を3割まで下げ
て、物価高騰した。
鴨川・三条大
兵藤清作(長州藩間諜)
橋→旅籠響屋
・物部春介は鴨川を眺めながら去年9月のええじゃ
ないかの狂騒を思い返す
・兵藤清作がやって来る 響屋で話をする 2人は
互いの妹を娶っている もう4年も故郷に帰ってい
ない
・江戸の行く末は西郷吉之助が握っている
・相楽総三の処刑について
・木戸孝允から物部春介に新発田で百姓一揆を誘発
するように命じられる
・露口和馬のことは忘れろと諭される
千津(奥垣右近の妻)
奥垣信春(御用所密事頭取)
奥垣家→落合
登勢(義妹)
邸
弥吉(落合家家僕)
落合信吾(会津藩士)
・奥垣右近は帰藩してまだ2か月 千津と話す 松
平定敬藩主の桑名城接収と九条道孝の奥羽鎮撫総督
就任について
・奥垣信春と話す 江戸の動きについて 西郷吉之
助と勝安房のやりとりについて
・甲陽鎮撫隊について 甲州勝沼の戦いで撃破され
た 指揮は土佐藩の板垣退助 敗走し下総流山に向
かっている 刀槍では長州勢に歯が立たなかった
・筆頭家老西郷頼母の考えについて
・京都では孝明天皇が岩倉具視と大久保一蔵の密謀
で毒殺されたとの噂
・登勢が赤岡道場から帰ってきた
・落合邸で落合信吾が喜久屋の番頭豊蔵と妻の絹子
を斬った 不義密通があったため 落合信吾も自刃
する
・鳥羽伏見の戦いでは、1万5千の幕府軍は
薩長主体の倒幕派4千の兵に敗れた。
・西軍は有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)
親王を東征大総督とし、九条道孝と沢為量(た
めかず) を奥羽鎮撫総督と副総督に任じた。
・徳川秀忠がお静という女と関係を持つ→男
児は信州高遠藩主・保科正光の養子となる→ 松平容保の帰還
秀忠に会津を与えられる=会津藩藩祖の保科 会津藩と徳川家の関係
正之→松平姓を与えられる→8代藩主松平容
敬の養子が松平容保
・会津藩は京都守護職が4年間の長きに渡
り、会津藩から不義密通の噂が聞こえてき
た。松平容保は凶作、大火、風紀の乱れを理
由に辞職願いを出すも聞き入れられず。
道場宗一郎(新発田藩検見奉
新発田城下→
行)
名越村
遠藤幸助(庄屋の息子)
・物部春介は名越村に向かう途中に道場宗一郎に出
会い殺害した 首を刎ねて持っていく
・年貢軽減を訴えて奉行所に捕まった庄屋の遠藤幸
兵衛の息子幸助に会う
・牢で一緒になった幸兵衛が藩政批判をして牢問を
受けていると嘘をつく 村人を集めさせる
・村人を前に幸兵衛が過酷な牢問を受けていると演
説で煽り道場宗一郎の首を見せる
・村人たちを牢屋敷へ向かうよう強訴をけしかける
・新発田藩は10万石、藩主溝口誠之進は14
歳。
・年貢は過去の平均で徴収する定免法が普及
しており、検見法は廃れていた。検見奉行が
置かれているのは藩政改革が遅れていること
を意味する。
岡野甚三郎(桑名藩士)
蒸気船・コリ 河井継之助(長岡藩家老格)
ア号
ヘンリー・スネル
エドワルド・スネル
・コリア号は柏崎に向かっている 布袋の寅蔵は岡
野甚三郎と話す 江戸の動揺について
・鳥羽伏見の戦いは河井継之助の提言の通り兵糧攻
めで締め上げるべきだった
・河井継之助の船室に呼ばれる 寅蔵は河井継之助
の協力要請で布袋一家を解散した 投げ売りされた
米を買い占め箱館で20倍の値段で売り払ったことに
礼を言われる
・ヘンリー・スネルは桑名領柏崎から会津若松へ向
かう エドワルド・スネルは新潟で商館を開き武器
を売る
・エドワルドが話す 南北戦争が終わり世界中の武
器が余って安く買えるようになった
・河井継之助は武備中立を方針とする
・松平定敬と松平容保は高須藩に生まれ、養
子となり藩主となった。
・柏崎と加茂には桑名藩の分領がある。
・江戸開城の噂→博徒とゴロツキで構成され
た幕府歩兵隊が暴動と集団逃走→今井信郎が
追尾→金1千両で帰順させる
・物価高騰が嘘のように投げ売りが始まっ
た。
・スネル兄弟は横浜のファーブル・ブラント
から洋式武器を買い込んだ。ガトリング砲二
門を越後に運びこむ。
・河井継之助は郡奉行から町奉行に転じて藩
政改革に取り掛かる。陽明学を心の支えと
し、知行合一こそ武士の途だと考えている。
・新潟港は長岡藩支配→幕府直轄天領→自由
港となり長岡藩、米沢藩、会津藩の共同管理
幕府歩兵隊の集団逃走
河井継之助の藩政改革
河井継之助の人となり
西郷頼母(会津藩門閥家老)
間宮双十郎(会津藩城内取継
役)
鶴ヶ城大書院 梶原平馬(会津藩政務担当家
→梶原平馬邸 老)
山川大蔵(会津藩軍議)
佐川官兵衛(会津藩別選隊
頭)
・大書院には40人の会津藩士が集まっている 奥垣
右近は間宮双十郎と話す 西郷頼母(たのも)の恭順論
について
・西郷頼母は奥羽鎮撫軍が仙台の寒風沢に上陸した
ことを告げる 総督は九条道孝 参謀は大山格之助
と世良修蔵 恭順を含む対応を考える
・梶原平馬が内訥をきつく戒める
・奥垣右近は梶原平馬に声をかけられ家老屋敷に向
かう 山川大蔵と佐川官兵衛とともに新組織構想に
ついて話し合う 朱雀隊・青龍隊・玄武隊・白虎隊
の31個中隊2800人
・エドワルド・スネルから武器を購入する 秋月悌
次郎を通じた薩摩藩への工作も同時進行
・奥垣右近に情報収集を命じる
・西郷吉之助と勝安房の会談により、江戸城
の無血開城が決まった。
・会津藩砲術師範山本覚馬と軍事奉行添役神
保修理は恭順論を唱える。藩内の難詰により
神保修理は切腹した。
・西郷頼母は藩祖保科正之と繋がりが濃い。
松平容保の京都守護職を諫止して、逆鱗に触
れ蟄居させられていた。
・新潟港は横浜港なみに貿易が盛んになって
いる。
・イタリアとフランスでは病害で蚕が全滅
し、蚕種紙を欲しがっている。
西郷頼母と保科家
大総督府
梶原平馬について
山川大蔵について
佐川官兵衛について
遠藤幸助(庄屋の息子)
植山晴義(新発田藩牢屋奉
新発田城→溝 行)
口半兵衛邸
宮脇栄之進(新発田藩町奉
行)
溝口半兵衛(新発田藩家老)
・物部春介の工作が成功し名越村の百姓200名が新発
田城へ向かう 遠藤幸助と話す
・遠藤幸助が植山晴義に遠藤幸兵衛の釈放要求を伝
える 同心や与力や足軽40名が駆けつける
・宮脇栄之進が要求を拒否するも溝口半兵衛が釈放
を命令する
・物部春介は茶店から様子を見ていた 遠藤幸助た
ちと別れ溝口半兵衛邸に向かい面会を求める
・溝口半兵衛に正体を明かし遠藤幸助を中心に農民
隊の結成を薦める 半信半疑の溝口半兵衛を時勢が
人を作ると説得 道場宗一郎の殺害を明かす
・新発田藩の兵制改革は遅れている。貧弱な
武器しか持っていない。
・北陸道先鋒軍参謀の山縣狂介は中間の息
子、世良修蔵は周防大島の庄屋の三男。
紀世
信濃川沿い船 秀蔵
場町長屋→勝 与三次(文治屋)
楽寺
エドワルド・スネル(商館経
営)
・寅蔵は勝楽寺へ向かう途中で布袋一家の代貸だっ
た与三次と出会す 新潟で文治屋という商館を開設
する
・勝楽寺で商館を開いたエドワルド・スネルを訪ね
る アメリカ人人夫の荷扱いの粗っぽさに懲りたエ
ドワルドから日本人人夫の調達を依頼される
・阿片流入の恐ろしさについて イギリス人商人や
文治屋が取り扱おうとしている
音羽屋
兵藤清作(長州藩間諜)
・物部春介を兵藤清作が訪ねる 新発田藩での強訴
と遠藤幸助について 農民隊が結成される
・徳川慶喜と榎本釜次郎と小栗忠順(おぐりただまさ)に
ついて 東征大総督府は奥羽越の鎮撫に専念できる
・河井継之助とスネル兄弟について 物部春介は木
戸孝允からスネルを殺さずに商館潰しを命じられる
外交問題となり租借を迫られることを恐れた
モモ
お婆
・物部春介は道を間違え脇坂村へ向かう モモに出
会い家に泊めてもらう 吊橋の途中で雨の中に浮か
ぶ月を見た
・長井雅楽(うた)に心酔していた春介の父・秋介が
橋本川の畔で露口和馬に暗殺されたときも同じく雨
中の月を見たことを思い出す
・縞蛇を勧められるが断る
・就寝中にモモが物部春介を鉈で襲う モモを抑え
つけそのまま抱いた お婆が1年前に殺した琵琶法
師の話をする
山道→脇坂村
与三次(文治屋)
一平(元布袋一家)
文治屋→船場 増造(元布袋一家)
町長屋
勝市(元布袋一家)
紀世
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
脇坂村
モモ
お婆
調所征之(薩摩藩間諜)
・寅蔵は文治屋を訪ねる 一平だけがいた 会話か
ら阿片取引の前金で商館を用意したと確信 家探し
をして船の入港のスケジュールを見つける
・与三次と増造と勝市が帰ってきたところで発砲す
る 弾切れで与三次は取り逃がした
・二見虎三郎を訪ねる 江戸から早馬でやって来た
寅蔵は文治屋での件の揉み消しを依頼する
・スネルの商館潰しの動きについて 長岡から応援
が20名やって来る
・物部春介が脇坂村に来て4日が経った お婆から
脇坂村の実態を聞かされる 庄屋に対する狐憑きと
カネ目当ての異人殺し
・一両をお婆に支払いモモを身請けする
・道中で長岡に向かう調所征之に出会す むかし十
津川郷で天誅組の残党密殺を一緒に行った仲 新潟
では浄明寺を本拠とするように勧められる
長井雅楽について
・甲陽鎮撫隊は下総流山で西軍に囲まれ投降
し、近藤勇は捕らえられた。
・河井継之助は長岡藩前藩主牧野忠恭(ただゆ
き) 候の指示で筆頭家老となった。
・西軍は廟算書で異人への攻撃を固く禁じて
いる。
年代
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
時期
4月13日
4月
4月24日
4月下旬
4月27日
主人公
奥垣右近
閏4月5日
会津藩士
布袋の寅蔵 元博徒
奥垣右近
物部春介
奥垣右近
慶応4年 閏4月初旬 物部春介
慶応4年
身分
奥垣右近
会津藩士
舞台
登場人物
勝楽寺
エドワルド・スネル(商館経
営)
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
・勝楽寺に武器が運び込まれている 寅蔵はスネル
と話す 武器の運び先について ストン・ウォール
号について スネルが処理を任されている
・二見虎三郎がやって来た 西軍の庄内藩征討につ
いて 秋田久保田藩は日和見している
・江戸幕府はストン・ウォール号50万ドルの
うち40万ドルを支払っているが、アメリカ公
使は旧幕府側にも薩長政府側にも引き渡しを
拒んでいる。
・西軍は奥羽鎮撫総督府を二つに分け、副総
督の沢為量と参謀大山格之助、中隊司令桂太
郎を庄内藩征討に振り向けた。庄内藩は松平
権十郎の新徴組が迎え撃つ。
庄内藩征討の言いがかり
庄内・清川
松平権十郎(庄内藩筆頭家
老)
・奥垣右近は庄内に迎撃戦の観戦にやって来た
・松平権十郎と話す 西軍に清川口での待ち伏せが
漏れている可能性について 宇都宮で戦闘開始
・遠眼鏡で桂太郎の姿を捉えた
・庄内藩は白兵戦に突入した
・庄内藩は奇兵隊を見習い、農民兵を用意し
た。
庄内藩の合戦準備
松平権十郎について
梶原平馬邸
モモ
兵藤清作(長州藩間諜)
会津藩士
奥垣信春(御用所密事頭取)
奥垣家→梶原 登勢(義妹)
平馬邸
梶原平馬(会津藩政務担当家
老)
モモ
船場町・飯屋 多島平九郎(庄内藩新潟見廻
美よし→早川 り役)
町→浄明寺
惣吉(福屋丁稚)
与三次
竹内左門(庄内藩天童征討三
天童→明顕寺 番隊隊長)
→庫裏
松平権十郎(庄内藩筆頭家
老)
・物部春介とモモが浄明寺に居を構えて20日が経っ
た モモは初めて見る蒸気船や街の賑わいに興味津
津
・兵藤清作が浄明寺にやって来た 江戸で木戸孝允
の指令を受けた 宇都宮の戦況について
・スネルの商館について ストン・ウォール号につ
いて 引き渡される前にスネルの商館を何としても
潰すように依頼される
・奥垣右近は庄内から帰り家老屋敷に向かう 梶原
平馬に観戦報告を行う 清川口は五分五分の戦いで
西軍は諦めた
・宇都宮城は総督府最高参謀伊地知正治が奪い返し
た
・梶原平馬は奥垣右近に江戸で配布された瓦版を見
せる 薩摩だけを批判している
・信濃の状況について 白石で列藩会議が開かれる
米沢藩と仙台藩との確執は心配ない
・物部春介はモモと美よしで食事をする スネルの
商館の警備は厳しく突破口が見つからない
・早川町で人だかり 多島平九郎と話す 殺されて
いたのは絹問屋福屋の番頭・嘉兵衛 惣吉が犯人を
見た
・浄明寺に戻り春介は木戸孝允にまだ緒もつかめな
いと報告書を作成した
・人の気配に気づく 外に嘉兵衛を殺した与三次が
いて匕首で切りかかってきた 浄明寺の中で事情を
聞く 10両でスネルの商館を焼くように持ちかける
・庄内藩が天童藩に攻め込んだとの報を受けて奥垣
右近は天童に向かった すでに戦闘は終わっていた
竹内左門と話す 山形城と新庄城まで攻め落とそう
という声が上がっている
・明顕寺で松平権十郎を待つ 松平権十郎がやって
来て竹内左門に庄内藩主酒井忠篤(ただずみ)の書
状を読ませる 不貞行為を責め速やかに帰藩せよと
の内容 権十郎からも説教
・松平権十郎に呼ばれる 大村益次郎について 大
鳥圭介と土方歳三について
・二見虎三郎が夜更けに寅蔵を訪ねる 2人で長岡
藩番所に向かう 勝楽寺に火付けしようとした男が
捕まった
・座敷牢で与三次であることに気づく 火付けをと
ぼけて寅蔵の殺人を喚くも嘉兵衛殺しを指摘され黙
りこむ
・二見虎三郎は与三次を殴りまくり吐かせる
・板倉勝静率いる水戸と桑名の脱藩兵が宇都
宮城下を占拠→大鳥圭介の旧幕府陸軍歩兵隊
2千人と土方歳三が合流→東山道鎮撫軍と戦
闘開始→宇都宮城を占領。
・榎本釜次郎は艦船献納を反故にしている。
・近藤勇が武州板橋で斬首された。
・古屋佐久左衛門率いる衝鋒隊は飯山藩とと
もに松代城攻略に向かうも戦況は膠着。東山
道鎮撫総督府から軍監岩村精一郎が派遣さ
れ、衝鋒隊は逃走した。
・庄内藩は西軍を先導した天童藩征討を行っ
た。天童藩に戦意はなく、藩主一族、中老吉
田大八は逃走。農民兵の手によって天童は灰
燼に帰した。
・大村益次郎は村田蔵六時代に医学と蘭学を
学び緒方洪庵塾の塾頭となった。オランダ兵
学を学び長州藩で兵制改革に従事した。
・大鳥圭介の伝習隊は今市で西軍に粉砕さ
れ、会津へと向かっている。
天童の戦い
大村益次郎について
白石会議
白河小峰城の現状
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
信濃川沿い船
エドワルド・スネル(商館経
場町長屋→長
営)
岡藩番所
与三次
慶応4年 閏4月上旬 物部春介
長州藩間諜
モモ
浄明寺→佐古
彦一(佐古村庄屋)
村
イネ
・モモが偵察から帰ってきた 与三次が捕まったこ
とを物部春介に告げる 探索方が来る前に浄明寺を
焼いて長岡に向かう
・佐古村で彦一に食事をもらう イネという両親に
捨てられた青白い孫娘にモモが縞蛇を食わせる
会津藩士
正兵衛(清水屋番頭)
土方歳三(新選組)
間宮双十郎(会津藩城内取継
七日町・旅籠 役)
清水屋→奥垣 梶原平馬(会津藩政務担当家
家→鶴ヶ城大 老)
書院
ヘンリー・スネル(会津藩砲
術師範)
西郷頼母(会津藩白河口総
督)
・奥垣右近は清水屋に土方歳三を訪ねる 足の負傷
の療養中 白石列藩会議について なぜ薩長を叩き
潰すと決議しないのかと土方歳三が批判
・近藤勇の死について 奥垣右近は山口次郎が到着
したことを伝える
・白河口は西軍から死守しなければならない
・大書院に家臣が一堂に集められた 間宮双十郎か
ら義妹登勢を娶りたいと相談される
・梶原平馬が話す 西郷頼母が白河口防衛を指揮す
る ヘンリー・スネルを紹介する
・白石会議に14藩が集まり会津藩寛典処分を
奥羽鎮撫総督府に求めることで合意した。
・板倉勝静、大鳥圭介を会津藩は受け入れ
た。
・斎藤一は会津に来て、山口次郎と改名し
た。
・ヘンリー・スネルは平松武兵衛と改名し
た。
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
河井継之助(長岡藩筆頭家
船場町→勝楽 老)
寺→旅籠・島 佐川官兵衛(会津藩別選隊
田屋
頭)
エドワルド・スネル(商館経
営)
・与三次は拷問で死に信濃川に投げ捨てられた
・河井継之助に呼ばれ勝楽寺で佐川官兵衛とのやり
取りを見守る
・佐川官兵衛は奥羽列藩同盟に合流を勧めるが河井
継之助は武備中立を貫く 衝鋒隊の暴虐ぶりについ
て ストン・ウォール号の7万両について
・河井継之助から島田屋に呼ばれる 長岡藩は新潟
の共同管理から外れる 西軍の目を逸らすため
・長岡藩の藩論は恭順論と列藩同盟論に割れている
・河井継之助は長岡藩軍事総督も拝命した。
モモ
信濃川沿いの
遠山権次(衝鋒隊隊士)
小屋
兵藤清作(長州藩間諜)
・物部春介は信濃川沿いの簾職人の小屋に住み着い
た 修験僧を捨てて徳永誠司を名乗る 長岡城の周
辺を調べた
・数日前に知り合った遠山権次がやって来る 衝鋒
隊の情報を得て無頼の徒の集まりに過ぎないと判断
疑いを持たれたので河原に誘い出し殺す
・兵藤清作が物部春介を訪ねる スネルの商館を潰
せなかったことについて 越後攻撃について 柏崎
から攻撃し長岡藩は河井継之助しだい
・木戸孝允は会津藩を徹底的に打ちのめすと決めて
いる 世良修蔵の傍若無人は相変わらず
・兵藤清作が錫杖を貰い受け修験僧になりすましこ
れから長岡で百姓一揆を誘発する
・榊原家の高田藩は、鳥羽・伏見の戦いの後
早々に帰順書を提出した。高田城で北陸道先
鋒総督府参謀の山縣狂介と黒田了介と岩村精
一郎が越後鎮圧の作戦会議を行った。
・柏崎では衝鋒隊570人が待ち受けている。
梶原平馬(会津藩政務担当家
老)
玉蟲左太夫(仙台藩軍務局副
頭取)
白石城松の間
但木土佐(仙台藩軍事奉行)
瀬上主膳(仙台藩軍務局大隊
長)
姉歯武之進(仙台藩軍監)
・奥垣右近は白石城で梶原平馬と玉蟲左太夫(たまむし
さだゆう) と但木土佐 (ただきとさ) と話し合う 柏崎での
迎撃について 白河小峰城攻略と西郷頼母への不信
白河口を死守できるか 梶原平馬は兵制改革に自信
を見せる
・瀬上主膳と姉歯武之進が誅殺した世良修蔵の首を
持って入ってきた 処刑の様子について
・但木土佐は密殺しなかったことに頭を抱える 西
軍との全面戦争が決まり奥羽列藩は一つにまとまる
しかない
・急遽白石列藩会議の再招集と仙台藩の白河口攻防
戦への参加が決まる 来月には戦争が始まる
・世良修蔵は奥羽鎮撫総督府本営に戻る途中
に参謀大山格之助への密書を送るが、それが
仙台藩軍務局に齎され、捕えられた。阿武隈
川の河原で斬首。
・徳川家の家督は駿府の田安亀之助が継い
だ。
紀世
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
長岡・文治町 河井継之助(長岡藩軍事総
自宅→摂田屋 督)
村光福寺
山本帯刀(長岡藩家老)
佐川官兵衛(会津藩別選隊
頭)
・西軍の侵攻に備えて町民が長岡から逃げ出してい
る
・二見虎三郎が迎えに来た 西軍との戦争が始まっ
た 柏崎では桑名藩が激戦中 立見鑑三郎(たつみかん
ざぶろう) の雷神隊は精鋭部隊
・河井継之助は光福寺に本陣を築く 二見虎三郎は
佐川官兵衛が朱雀隊とともに長岡城訪問したことを
伝える
・佐川官兵衛が河井継之助に武備中立論を取り下げ
るように要請 河井継之助は断り長岡からの退去す
るように言い渡す 佐川官兵衛は小千谷へ向かう
・西軍は山道軍と海道軍に分けた。海道軍の
指揮を長州奇兵隊・三好軍太郎が執り、山道
軍の指揮を土佐の岩村精一郎が執る。海道軍
は柏崎に、山道軍は会津藩飛び地の小千谷に
向かう。
・フランス人軍事教官は立見鑑三郎の才能を
見抜いた。
・長岡藩には稲垣家、牧野家、山本家から家
老を出す習わしがある。
・藩校崇徳館の教授たちは恭順論を支持した
が山本帯刀は武備中立論に与した。
・長岡藩は西軍からの3万両の献金要請を
閏4月14日 奥垣右近
慶応4年 閏4月上旬 布袋の寅蔵 元博徒
慶応4年
慶応4年
慶応4年
閏4月20日 物部春介
閏4月20日 奥垣右近
徳川家脱藩浪
人・徳永誠司
会津藩士
閏4月28日 布袋の寅蔵 元博徒
清川口の戦い
・木戸孝允は太政官総裁局顧問と外国事務掛
を兼務している。
慶応4年 閏4月上旬 布袋の寅蔵 元博徒
慶応4年
参照
・奥羽鎮撫総督の九条道孝は、秋田久保田藩
に庄内藩征討を命じた。
・庄内藩松平権十郎が会津藩に共同防衛案を
持ちかけ会庄同盟が成立した。
・前幕閣筆頭の板倉勝静(かつきよ)が脱走兵を
集めて宇都宮に姿を現した。
・秋月悌次郎の薩摩藩への工作は水泡に帰し
た。
新潟烏帽子
町・浄明寺
会津藩士
歴史的事項
梶原平馬(会津藩政務担当家
老)
山川大蔵(会津藩軍議)
秋月悌次郎(会津藩軍事奉行
添役)
修験僧・興禅
坊文哉
修験僧・興禅
坊文哉
ストーリー
・奥垣右近は仙台から戻り梶原平馬を訪ねる
・梶原平馬と山川大蔵と話す 江戸開城について
徳川慶喜は水戸に向かった 歩兵奉行大鳥圭介は伝
習隊とともに江戸を脱出 榎本釜次郎も下総館山に
向かう
・宇都宮城の状況について 仙台の状況について
・奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵について 狼藉が酷
く蛇蝎の如く嫌われている
・秋月悌次郎がやって来た 河井継之助の会庄同盟
に対する感触について 新発田藩は西軍支持が本音
北蒲原郡で農民義勇隊が結成された
世良修蔵誅殺の経緯
年代
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
時期
主人公
閏4月29日 奥垣右近
5月1日
5月2日
5月4日
奥垣右近
身分
会津藩士
・山口次郎が薩摩の斥候を先導した伊平を捕らえる
1両で獣道を案内させられた 山口次郎が首を刎ね
る
・山口次郎と遊撃隊は稲荷山に向かった
・奥垣右近は軍議に参加する 西郷頼母は籠城戦を
伊平(表郷村百姓)
主張する 坂本大炊は城外で戦うことを主張 坂本
西郷頼母(会津藩白河口総
大炊たちは合戦坂を越えた西軍の迎撃に向かう
督)
・右近は総督に山岳に兵を配置すべきと説得する
山口次郎(新選組副長助勤/遊 副総督と朱雀寄合一番隊とともに稲荷山に向かうも
白河小峰城→ 撃隊隊頭)
新選組が下山してきた 山頂は中隊規模の西軍に占
稲荷山→妙徳 横山主税(会津藩白河口副総 領された
寺山門→滑川 督)
・横山主税は待ち伏せていた西軍の銃撃に倒れ右近
村
坂本大炊(仙台藩軍事参謀) が全軍後退を命じる 若尾杉之丞が主税の首を持ち
瀬上主膳(仙台藩軍務局大隊 帰った
長)
・西軍は白坂口を突破した 西郷頼母は妙徳寺山門
姉歯武之進(仙台藩軍監)
前で陣を張っている 伝令から負傷と戦死の報が
若尾杉之丞(朱雀隊隊士)
次々に届く
・西軍が城下に殺到し会津藩は白河小峰城を捨てて
滑川村に退却する 頼母は右近に自身の無能を嘆く
・山口次郎が滑川村にやって来た その後の城内の
惨状について話す
・奥垣右近は豪雨の中に浮かぶ月を見た
布袋の寅蔵 元博徒
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
小千谷・旅籠
河井継之助(長岡藩軍事総
山路屋→慈眼
督)
寺山門
権三(駕籠かき)
・寅蔵は西軍に占領された小千谷の様子を探ってい
る 河井継之助と二見虎三郎の駕籠が慈眼寺に向か
う 山門をくぐり抜けて行った
・岩村精一郎が山門から出ていき続いて河井継之助
と二見虎三郎が出てきた 二見虎三郎が近づいてき
て小千谷談判の様子を語る
・佐川官兵衛が片貝村を奇襲し長岡藩旗をばら撒い
た
・小千谷で酒屋を開き西軍を監視するように命じら
れる
奥垣右近
梶原平馬(会津藩政務担当家
老)
玉蟲左太夫(仙台藩軍務局副
頭取)
梶原平馬邸→
千坂太郎左衛門(米沢藩軍事
奥垣家→若松
総督)
街道→新発田
古屋佐久左衛門(衝鋒隊総
城
督)
千津
溝口誠之進(新発田藩主)
溝口半兵衛(新発田藩家老)
・梶原平馬邸書院で奥羽越列藩同盟に発展させるた
めの会議を行う 千坂太郎左衛門は秋田久保田藩の
寝返りを警戒する
・千津に雨中の月を見たことを話す 千津は妊娠し
たことを告げる
・古屋佐久左衛門と奥垣右近は新発田藩へ向かう
土方歳三の怪我の具合について ヘンリー・スネル
による会津藩士操練について 榎本釜次郎の旧幕府
艦隊について 農民隊について
・新発田城で2人は藩主に謁見する 衝鋒隊が巻き
上げた戎衣代のお礼と奥羽越列藩同盟への参加につ
いて 恫喝すると溝口半兵衛は参加すると返答した
・北蒲原郡名越村の農民義勇兵への懸念について
会津藩士
徳川家脱藩浪
人・徳永誠司
物部春介
慶応4年
5月8日
布袋の寅蔵 錦家経営
慶応4年
慶応4年
5月13日
5月13日
奥垣右近
物部春介
会津藩士
衝鋒隊隊士・
徳永誠司
布袋の寅蔵 錦家経営
信濃川沿いの モモ
小屋
調所征之(薩摩藩間諜)
文治町自宅
紀世
秀蔵
駒吉(朝日楼手代)
玉蟲左太夫(仙台藩軍務局副
仙台・玉蟲左
頭取)
太夫屋敷→旅
細谷十太夫(衝撃隊/鴉組組
籠瀧乃屋
長)
朝日山
モモ
粟林成生(衝鋒隊隊士)
勝田道助(奇兵隊隊士)
多喜(小女)
進藤平太(加賀藩士)
小千谷→旧会 岩村精一郎(北陸道先鋒軍軍
津藩陣屋
監)
山縣狂介(北陸道先鋒総督府
参謀)
慶応4年
5月16日
奥垣右近
会津藩士
梶原平馬邸
梶原平馬(会津藩政務担当家
老)
秋月悌次郎(会津藩軍事奉行
添役)
山川大蔵(会津藩軍議)
山口次郎(新選組副長助勤/遊
撃隊隊頭)
間宮双十郎(会津藩城内取継
役)
慶応4年
5月16日
物部春介
衝鋒隊隊士・
徳永誠司
朝日山
モモ
粟林成生(衝鋒隊)
慶応4年
5月16日
ストーリー
布袋の寅蔵 長岡藩間諜
歴史的事項
・奥垣右近は栗毛を走らせ白河へ向かっている 西
郷頼母率いる会津軍が白河小峰城を陥落させたとの
報があった
西郷頼母(会津藩白河口総
・白河小峰城に到着すると大垣藩兵の首が晒されて
督)
いた 明日には仙台藩兵が合流し7千の兵力になる
山口次郎(新選組副長助勤/遊
・山口次郎と話す 総督が無能なのでこの戦は負け
撃隊隊頭)
ると断言 貧弱な大垣藩兵だったから白河小峰城は
横山主税(会津藩白河口副総
落とせた
督)
・火器による散兵戦の時代に籠城は周囲から砲撃さ
れたら無意味 佐川官兵衛と総督を交代させるよう
に依頼されるが断る 土方歳三の不在を嘆く
白河小峰城
5月8日
5月中旬
登場人物
会津藩士
慶応4年
慶応4年
舞台
多喜(小女)
小千谷→旧会
露口和馬(長州奇兵隊第三小
津藩陣屋→榎
隊長)
峠
山本帯刀(長岡藩家老)
・調所征之が物部春介を訪ねる 奥羽越列藩同盟の
成立について 山縣狂介と黒田了介が長岡攻略方針
で揉めている 今町での百姓一揆について 衝鋒隊
について
・物部春介1人で衝鋒隊に参加しようとするがモモ
も一緒に参加すると言い出した
・寅蔵は小千谷で居酒屋錦家を経営して西軍を監視
している 紀世に店を手伝わせようと家に帰ると駒
吉との不倫現場を目撃した
・紀世と言い争い秀蔵は与三次の息子であると告白
した 寅蔵は憎しみで紀世を絞め殺した
参照
山口次郎について
・仙台藩瀬上主膳と姉歯武之進が白河小峰城
に合流した。
・伊地知正治率いる西軍700名が白河小峰城攻
撃を仕掛ける。
白河口の戦い
・朱雀寄合一番隊は中隊規模を小隊規模まで
減らす犠牲を出した。
・坂本大炊、姉歯武之進は戦死。
・小千谷にやって来たのは薩長土佐の他、高
田、村松、与板、三根山などの諸藩。
・西軍の軍監は土佐藩の岩村精一郎。
小千谷の混乱
小千谷談判決裂
・27藩から構成される奥羽列藩同盟が成立。
・古屋佐久左衛門は旧幕府の歩兵指図役頭取
だった。
・新発田藩の藩論は勤皇で統一されていた
が、周囲の大藩の圧力に屈した。
秋田久保田藩と平田篤胤
・東山道第2総督だった西園寺公望が北陸道
先鋒総督府大参謀に横滑りする。
・小千谷には薩長土佐の他、高田、加賀、芸
州広島、尾張、松代、大垣、松本、須坂、飯
山の各藩が詰めていた。
・奥垣右近は仙台の玉蟲左太夫を訪ねる 白河口で
の大敗を謝罪する
・仙台藩では白河口奪回の戦略が立っていない 朝
日山の布陣について 薩長の軍艦が差し向けられる
右近は列藩同盟軍が軍艦を持っていないことを懸念
している
・九条道孝の幽閉状態について 但木土佐が誑かさ
れないか懸念している
・瀧乃屋に細谷十太夫がやって来た 白河口では指
揮官たちが無能なだけでなく兵も弱卒だったと喝破
会津の農民兵も無駄 会津士魂は侍を誇り農民を見
下しているから
・細谷十太夫は駕籠かきや馬喰や博徒を集めた 白
河近郊で西軍兵士を密殺して百姓の支持を集める
・松平容保は西郷頼母を罷免し仙台藩に白河
口攻略を委ねた。
・朝日山には桑名藩雷神隊と衝鋒隊がいる。
・九条道孝は藩校養賢堂で幽閉状態にある。
・仙台兵は西軍からドン五里兵と呼ばれ、嘲
笑されている。
・物部春介とモモは衝鋒隊に加わり朝日山の長岡藩
の陣にいる 戎衣とシャスポー銃を与えられた
・濃霧の中から北陸道先鋒軍が麓から密かに登って
きた 突風で霧の晴れ間に長岡藩が銃撃し退却させ
た 西軍の朝日山攻略軍監時山直八が死亡
・斜面を降りていくと知己の勝田道助が瀕死の状態
で倒れていた 破戒僧粟林成生がやって来て勝田道
助の腹を裂き生き肝を食い始めた
・モモは嘔吐し粟林成生を殺してやりたいと叫ぶ
・山本帯刀が銃士隊を率いて榎峠を制圧し
た。三国街道の要衝となる重要地点。朝日山
は榎峠を防衛するために必要。
・朝日山で指揮をとるのは桑名藩雷神隊の立
見鑑三郎。長岡藩兵は銃を装備していない。
榎峠制圧
時山直八について
・白河口奪回戦で指揮を執るのは坂英力。鴉
組も活躍している。
・星恂太郎はかつて尊攘派で開国論に傾いた
但木土佐の暗殺を企てたことがある。
・西軍は梅雨を待ち、彰義隊の退路を用意し
て寛永寺に突入した。江戸の町民の被害が出
ないように計算された攻撃だった。
上野戦争
・寅蔵は紀世の死体を床下に隠し秀蔵は遠戚に養育
を頼んだ 錦家に小女として多喜を雇った
・飯山藩兵の話で朝日山攻略失敗を知る 進藤平太
の依頼で酒を4升を西軍本営に届ける 旧会津藩陣
屋の中に入り山縣狂介が割烹料理を食べる岩村精一
郎を叱りつけるのを目撃 山縣狂介がひとり涙を流
していた
・寅蔵は多喜に錦家を辞めると告げる 多喜に錦家
の営業を続けることは許した
・梶原平馬邸に集まり話し合う 白河口奪回戦につ
いて 星恂太郎の額兵隊が向かう
・間宮双十郎が江戸から帰ってきて報告 彰義隊が
壊滅した 西軍の総指揮は軍防事務局判事大村益次
郎
・輪王寺宮公現法親王は上野を脱出し榎本艦隊に身
を寄せた
・山口次郎は榎本釜次郎に対する不信感を口にする
・物部春介は河井継之助が幕府との関係が悪いのに
なぜ西軍に協力しないのか訝しがる モモと共に朝
日山の陣地を離れる 道中粟林成生を殺して長岡城
下へ向かう
・寅蔵の出掛けに露口和馬が錦家に弁当を注文しに
来た 山縣狂介が海道軍と協議するために出かける
ことを掴む
・西軍本営前で待ち伏せし山縣狂介に発砲するが失
敗 信濃川に飛び込み逃げる
・泳ぎ切り動けないでいるところに長岡藩銃士隊4
名がやって来る 山本帯刀のもとへ案内してもらう
・寅蔵は山本帯刀に経緯を報告する 小千谷を捨て
信濃川下流から渡河して長岡城を襲撃すると読んだ
年代
慶応4年
慶応4年
慶応4年
慶応4年
時期
5月16日
5月18日
5月19日
5月19日
主人公
奥垣右近
物部春介
身分
会津藩士
徳川家脱藩浪
人・徳永誠司
布袋の寅蔵 長岡藩間諜
物部春介
5月下旬
布袋の寅蔵 長岡藩間諜
物部春介
徳川家脱藩浪
人・徳永誠司
参照
・西軍では大村益次郎の枝葉論と板垣退助の
根幹論が対立している。
・榎本釜次郎が輪王寺宮公現法親王を長鯨丸
に載せて江戸湾を離れ、平潟に向かう。
信濃川沿い→
文治町・旅籠 モモ
喜楽→信濃川 兵藤清作(長州藩間諜)
沿い
・信濃川を挟んで北陸道先鋒軍の海道軍と奥羽越列
藩同盟軍が砲弾を撃ちあっている 仮寓にしていた
小屋は増水で流された
・兵藤清作がやって来る 時山直八の死について
今町で方義隊という勤皇組織を作られた 旅籠喜楽
へ移動
・山縣狂介は会津攻めで薩摩に遅れないように作戦
変更 海道軍を主力にする 長岡城の防備は手薄に
なっている
・河井継之助が萩野の海道軍屯営を急襲する計画を
掴んだ それに先んじて北陸道先鋒軍が渡河する
山縣狂介暗殺未遂について 多喜が露口和馬に梟首
された
・深い霧の中で奇兵隊と報国隊が渡河するのを見届
けた
・信濃川渡河作戦に黒田了介が難色を示した
が、三好軍太郎が押し切った。
河井継之助(長岡藩軍事総
督)
古屋佐久左衛門(衝鋒隊総
督)
長岡城下→栖
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
吉村善済寺
牧野忠恭(長岡前藩主)
牧野忠訓(長岡藩主)
常姫
堀正純(村松藩軍監)
・明朝の渡河作戦のために河井継之助たちは長岡城
下へ向かう 前方から長岡藩士が来て西軍の100名の
急襲を知らせる 河井継之助は山本帯刀と立見鑑三
郎に伝令を飛ばす
・急いで城下に戻ると火が放たれ砲が撃ち込まれて
いた 西軍は第二次渡河で合計400名以上に膨れ上
がっている 藩士100名が敵前逃亡した
・神田口門にガトリング砲と山砲を据え付け西軍の
四斤山砲が設置された兵学所に向けて一斉砲撃する
河井継之助は右肩を撃たれた
・銃士隊と銃卒隊を残し三層櫓に火を放ち千手口門
から君侯一族とともに脱出した ガトリング砲は破
壊
・栖吉村の善済寺に到着した 堀正純が出迎える
・寅蔵は二見虎三郎から長岡城下に戻るように頼ま
れる
・長岡城下を固めている兵は300名で半分は老
兵と少年兵。
長岡城陥落
・栖吉村がある村松藩は昔から勤皇論が強
い。
会津藩士
慶応4年
歴史的事項
仙台・玉蟲左 玉蟲左太夫(仙台藩軍務局副
太夫邸
頭取)
甘粕備後(米沢藩軍務参謀)
梶原平馬(会津藩政務担当家
梶原平馬邸→
老)
奥垣家
奥垣信春(御用所密事頭取)
登勢(義妹)
奥垣右近
ストーリー
・奥垣右近は九条道孝が仙台を離れると聞いて栗毛
を飛ばしてやって来た 玉蟲左太夫と話す すでに
盛岡藩に向かっていた 但木土佐は九条道孝に騙さ
れた 盛岡藩は藩論が定まっていない
・左太夫は秋田久保田藩の裏切りを警戒している
・白河口奪回戦について 戦況は一進一退 西軍は
土佐の板垣退助が指揮に加わった
・輪王寺宮公現法親王が会津に向かう 北方政権構
想が現実化しつつある 2つの前提について 断固
たる決意と榎本艦隊の働き
徳川家脱藩浪
人・徳永誠司
5月22日
5月30日
登場人物
モモ
長岡城下→文
兵藤清作(長州藩間諜)
治町・旅籠喜
三好軍太郎(北陸道先鋒軍海
楽
道軍軍監)
慶応4年
慶応4年
舞台
・物部春介たちは本丸御殿に三好軍太郎を訪ねる
長岡城下での戦いについて 黒田了介と山縣狂介に
ついて 木戸孝允は前原彦太郎を越後口に送り込み
混乱が予想される
・旅籠喜楽の向かいの焼け落ちた家の前に寅蔵が佇
んでいた 物部春介が声をかけ 多喜が梟首された
ことを教える
・奥垣右近は梶原平馬と甘粕備後と話す 甘粕備後
は北方政権構想に賛成だが白河口に派兵しないと宣
言 越後口に大量の兵を送ると約束する
・信春と話す 平松武兵衛(ヘンリー・スネル)の
操練について 右近に梶原平馬からの命令で製造し
た贋札を見せる 財政が逼迫し北方政権樹立後の兌
換を逃れるため
加茂川・聖賢
二見虎三郎(長岡藩馬廻役)
寺→鹿砦
・寅蔵は聖賢寺に到着し二見虎三郎を呼び出す 800
名の兵が寝起きする鹿砦まで歩く 長岡城下の様子
について 海道軍と山道軍の配置について 知らせ
の内容から軍議の方向性が見えたと喜ぶ
長岡城下・山
田町→千手
モモ
町・蕎麦屋→ 調所征之(薩摩藩間諜)
文治町・旅籠 兵藤清作(長州藩間諜)
喜楽
・物部春介は長岡城下を歩き回っている 古道具屋
で布袋の寅蔵について話す 焼け跡から紀世の死体
が見つかったがどこにも届け先がない
・蕎麦屋で調所征之と出会す 長岡制圧の手柄は長
州が独り占めした 北方政権ができたら仙台藩と米
沢藩の縄張り争いとなる 白河口の情勢について
榎本艦隊がなぜ動かないのか
・兵藤清作が旅籠喜楽にやって来た これから白河
口の背後撹乱に向かう 物部春介は越後に残る 薩
長の反目をさらに前原彦太郎がかき回す懸念につい
て
板垣退助について
・会津藩は越後口に朱雀士中4番隊を派遣し
ている。
・藩札は幕府の許可で発行し、幕府貨幣との
兌換を必要としていた。
・山縣狂介は海道軍を出雲崎から今町方面
へ、山道軍を栃尾から見附方面へ振り分け
た。
・黒田了介は病気療養中。
・26日に白河口の本格的な奪回戦が始まった
が、伊地知正治が追い返した。
榎本艦隊が出撃しない理
由