しゅん 1 0 月〜 1 2 月に 旬 を むか 迎えるユズは、主に姫路 はりまなだ と 魚の宝庫・播 磨灘で獲 れる新鮮な海の幸。 やすとみちょう 市の安 富町や相生市の ないりくぶ めぐ そして内 陸部や山あいで獲れる山の恵 み。 おうご 小河地区、神河町で栽培 播磨の豊かな自然に育まれた食文化が、今も暮らしに息づいています。 され、ユズを使ったジャ ムやジュース、ゼリーな どが特産品として作られ ています。 栄 養 が 豊 富で「 海 のミルク」とも い わ れる牡 蠣 。播 磨 灘 で 獲 れる牡 蠣は、短期間で大きく成長するため、 から 「一年牡蠣」 と呼ばれます。殻 いっぱ おおいち いに成長した身は大ぶりで食感が良 まつお 主に姫路市の太 市や太子町の松 尾 く、播磨灘を代表する海産物の一つ で栽 培されています。特に太 市 のタ となっています。 やましろ ケノコは、 「姿は山 城(京都)、味は太 市」 といわれる質の高さが有名で、ア とくちょう クが 少なく、みずみずしい の が 特 徴 あかしかいきょう 明 石海峡と播磨灘 です。 の潮流によってでき とおあさ る砂地や、遠 浅でエ サとなる生きものが かんきょう 多い環 境から、全国 でもトップクラスの ぎょかくりょう ほこ 漁 獲量を誇る播磨灘の穴子。特に身を開いて 作られる焼き穴子は名産品としても有名です。 目の前の海で獲れるタイ、スズキ、メバル、カ レイ、ヒラメ、エビなどを使ってさまざまな料理 しんせん が作られます。新 鮮な海の幸に恵まれた、播磨 ならではの食文化です。 あみ メロンは表面に網 目ができるもの と網目のないものに大きく分けられ ます。相 生 市の「 矢 野メロン」や、稲 美町の「いなみ野メロン」 は網目があ り、姫路市の「網干メロン」は網目の ない品種です。 55 網干メロン いなみ野メロン 矢野メロン 54 ウナギに似た長い体とするど 播磨灘で獲れる海の幸には、マサバ(ぼう い歯が特徴的な魚です。あっさ ぜ鯖 など)や、秋に旬を迎えるシャコ、ガザミ りとした白身の魚で、骨切りし、 (ぼうぜがになど)があり、四季を通してさま さば ゆ び 湯 引きや天ぷら、しゃぶしゃぶな ざまな海産物を味わうことができます。 どに調理して食べられます。 赤穂のミカンは実が 大 ぶりで 、酸 味 が 強く カルシウムやカロテンなど 、さま 糖 度も高 いため 、コク ふく ざまな栄養素が含まれている健康野 のある味が特徴です。 菜。上郡町では、モロヘイヤをうどん こ かんべえちょう に練り込 んだ「円心モロどん」が作ら 姫路市の大津区勘兵衛町で、イネに代わる作物 れています。 として栽培されるようになったのがレンコンです。 アクが少なく、シャキシャキとした食感が特徴です。 自然薯は、古くから寒 57 シラスとは主にイワシ ちぎょ 主に姫路市や太子町で栽培さ い冬を乗り切るための栄 の稚 魚のこと。干したも れています。特に太子町で栽培さ 養食とされてきました。 のはチリメンジャコとい れる 「太子いちじく」 は県の認証食 強い粘りがあり、とろろ います。カルシウムが豊 品で、厳しい品質検査に合格した ご飯や天ぷら、磯部揚げ 富に含まれ、夏から秋に ものだけが出荷されています。 などに調理されます。 かけて旬を迎えます。 ねば い そ べ あ たじま よしとみ ち く 神河町吉冨地区では、約300年前から茶 秋にはミカン狩りも行 の栽培がさかんとなり、皇室と縁のある寺院 われ、もぎたてを味わう に献上し、 「仙霊茶」 の名をいただきました。仙 ことができます。 霊茶を使ったお菓子なども作られています。 たじまぎゅう せんれいちゃ か し 稲美町は県下有数の野菜の 但 馬の名産となっている但 馬牛をルーツ 産地で、50年以上前から栽培 として、姫路和牛、加古川和牛、宍粟牛な され、国の指定産地になってい ど、各地域の環境によって独自のおいしさ るキャベツをはじめ、 トマトや甘 を持つ黒毛和牛が育てられています。 みたっぷりのスイートコーンな あま どの栽培がさかんです。 56 姫路おでん 姫路市 ❶ だしがしみ込んだおでんの具に じょうゆ しょうが醤油をかけて食べるのが姫 路おでん。昭和初期から姫路の人々 に親しまれてきた家庭の味です。 ❶ ❺ かつめし か こ が わ し 加古川市 ❷ たた 叩 いて平たくしたビーフカツをご飯の上 にのせてデミグラスソース系のタレをかけ、 はし ゆでたキャベツをそえたもの。お箸で食べる のがポイントで、加古川市やその周辺で親し まれています。 ❽ 種なしブドウの栽 ❷ ❹ ❻ ❼ は、地域ブランドの加 ❸ 培技術をいち早く導 入してきた加西市で 西ゴールデンベリー ホルモン焼きうどん さようちょう 佐用町 Aをはじ め 、ピ オ ー ふじみのり ネ、藤 稔、シャインマ ようしょく ❸ 播磨灘はノリの養 殖を行うため スカットなど 多 彩 な の条件が整っており、全国的にも 古くから町の食堂などで提供さ れていたホルモン焼きうどん。た れをつけて食べるという独特の食 べ方で、今も多くの人に愛されて います。 品種が育てられてい 有数の産地となっています。海の ます。 う 中に浮き網を張って育て、12月に はつづ は初 摘みが行われます。 塩ラーメン あ こ う し 赤穂市 にくてん た か さ ご し 高砂市 ゆで干し大根 古くから塩づくりが盛 んな赤穂で、上質な塩を 使って作られるラーメン です。お店によって異なる だしに赤穂の塩がマッチ した、オリジナルの塩ラー メンが作られています。 ❹ うすくのばした生地 に煮込んだじゃがいも やすじ肉、こんにゃく、 キャベツなどをのせて 焼き、半分に折ってソー スをかけて食べるのが にくてん。高砂風のお 好み焼きです。 いなみちょう 稲美町 かしわもち ❻ 高砂市 かしわめし いちかわちょう 市川 町 ❽ かしわめしとは、市川町産のかし とり を使ったまぜご飯のこと。 わ (鶏肉) 各家庭で鳥を飼っていたころは、町 ふ 内で行事があるとかしわめしが振 ま る舞われる慣習がありました。 59 たかみくらやま 願 い ご とを 一 つ 決 かな め てお 参りす れ ば 叶 う いちがんじょうじゅ 「一 願成就」の神様が祭 か し ま られる鹿 嶋神社。神社の 周りでは昔から良質のも ち米がとれたため、かし ほうのう わもちが作られて奉 納さ れてきました。 ❼ ゆで干し大根は、稲美町母里地区の草谷 に伝わる郷土食です。大根を棒状に切って 干したものをせいろで蒸し、再び天日干しす ることで、深い甘味が増していきます。 ❺ 高 砂 市・高 御 位 山 古くから県内の特 のふもとや宍粟市で 産物として有名な黒 栽 培されています。 豆が「丹 波黒」です。 たんばぐろ またブルーベリーを 宍粟市では、豊かな 使ったチーズケーキ 自然の中で育った良 やジャム、アイスなど 質の黒豆が収 穫され も作られています。 ています。 い ぼ が わ しゅうかく ちぐさがわ 播磨を流れる揖 保川・千 種川などでは、 古くから鮎漁がさかんに行われていまし た。豊かな水と激しい川の流れによって身 し きょうど が引き締まった鮎は、さまざまな郷 土料理 に使われます。 58 たつの しょうゆ 龍 野で醤 油づくりが始まったのは戦国時代 はりま といわれています。地域を流れる揖保川の水質 きょうどしょく でんとうさんぎょう 播 磨には郷 土色豊かな伝 統産業が数多く存在します。 が醤油づくりに適していたこと、揖保川からの 船便で京都や大阪に醤油を運べたことなどが、 醤油づくりが発展した理由です。 老松酒造 夢前川 揖保川 え ど じ だ い 江 戸時代になって、醤油づくりの途中で甘酒 たつの市にある、うすくち龍野醤油資料館で 中国 自動 車道 下村酒造店 は、昔の貴重な醤油づくりの道具を展示してお はりまのくにふ 名城酒造 こうじ 土 記』に麹を使った日本酒のつくり方が 相生市 やまだにしき 本田商店 田中酒造場 姫路市 くりに大切な心 白(米の中心部)が大き 加古川市 キング醸造 稲美町 姫路 バイ パス 赤穂市 とくちょう 井澤本家 明石酒類醸造 茨木酒造 いのが特 徴です。山田錦を使ってつくら 江井ケ嶋酒造 かお れています。 稲見酒造 高砂市 しんぱく 有 形 文 化 財 に 指 定さ 山陽自動車道 岡田本家 錦は他の酒米に比べて粒が大きく、酒づ ンス様式で、国の登録 神結酒造 富久錦 奥藤商事 王様山 田錦が誕生したのも播磨。山田 形の窓が美しいルネサ 三宅酒造 加西市 灘菊酒造 初めて登場しているから。また、酒 米の 料 館 の 建 物 はアーチ 加東市 たつの市 さかまい り、醤油づくりの映像を見ることもできます。資 神崎酒造 ヤエガキ酒造 その理由は、1300年前の『播 磨国風 ど き 播磨の 酒蔵 壺坂酒造 播丹連 絡道路 酒のふるさと」 といわれます。 千種川 播磨は日本酒づくりがさかんで 「日本 など関西を中心に好まれました。 山陽盃酒造 宍粟市 加古川 がうすく香りが良い独特の風味は、京都や大阪 市川 を加えた 「うすくち醤油」が発明されました。色 れた日本酒は香りが良くまろやかな味 明石市 西海酒造 わいになるため「最高級の酒米」 といわ れます。現在も、兵庫県では全国の山田錦の約8割を 生産しています。 たいしちょう いかるがでら むろまちじだい 太 子町の斑 鳩寺に残る室 町時代の寺院日記 いかるがのしょうひきつけ 『 鵤 庄引付 』には「サウメン」の記述があり、播 磨では約600年前からそうめんが食べられて いたと考えられます。揖保川の水、播州平野の あこう 小麦、赤穂の塩と原材料に恵まれたために一大 また播磨の気候風土は日本酒づくりに適しており、 はりまごせん か こ が わ いちかわ ゆめさきがわ い ぼ が わ ちくさがわ (加古川、市川、夢前川、揖保川、千種川) と呼 播磨五川 ばれる川の流域を中心に22の酒蔵があります。山田 錦と豊富な川の水を使って、それぞれの蔵が個性を競 い合いながら酒づくりをしています。 たつのはん に わ た じ ん じ ゃ な ら じ だ い 磨国風土記 』 奈良時代の『 播 そな には 「神様にお供えしたご飯に カビが生えてきたので、それで 61 庭田神社 うたげ 里」 では、手延べそうめんの歴史や製造工程な どを多くの人に伝えています。 酒 をつくって 神 様 に さ し 上 げ にわざけ(にわき) たつの市にある揖保乃糸資料館 「そうめんの 宴 をし た 」 と書かれ、麹から 酒 市で行われています。品質にこだわり、贈り物 としても愛され続けています。 し そ う し 佐用町に組合員がおり、その生産の6割は宍粟 をつ くった 日 本 で 初 め ての 記 現在は、姫路市、たつの市、宍粟市、太子町、 述とされています。この酒をつ い ぼ の い と くった 場 所 が 宍 粟 市の庭 田 神 明 治時代にそうめん製造者が集まって組合 を作り、 「揖保乃糸」 ブランドが誕生しました。 社といわれ、播磨の各酒蔵は当 つくっています。 めいじじだい 時の製 法 を 再 現 し た 「 庭 酒 」を はんばい 造と販売の許可を出していました。 『 播 磨 国 風 土 記 』と 庭田 神社 産地となり、江戸時代には龍 野藩がそうめん製 60 ソバ かりんとう ひ め じ だ が し ゆめさきちょう 「 姫 路 駄 菓 子 」と して知られるかりん とうは、江戸時代か はん し え ん ら藩 の 支 援を受 け て 作 られ て いまし た。伝統を生かした なつ 懐 かしい 味 が 愛さ れています。 姫路市夢 前町や 佐 用 町 三日月など でソバ が 生 産され ています。そば畑が 広 がる夢 前 川 沿い の県道を 「夢そば街 道」 と名付けPRして います。 あこう 赤 穂は古くから塩の産地として栄えて きました。塩は海水の水分を蒸発させてつ え ど じ だ い くります。江戸時代には、海の潮の満ち引 いりはましき きを利用した入 浜式という製塩法が完成 せ と う ち ち ほ う され、その製法は瀬 戸内地方に広く伝わ あこうしりつみんぞくしりょうかん りました。現在の赤 穂市立民俗資料館は めいじじだい いこう おおくらしょう 明治時代以降、旧大蔵省の塩務局の庁舎 に イカナゴくぎ煮 げじゅん 2月下 旬から3月 じょうじゅん 上 旬 、播 磨 灘 で 水 揚 げ されるイカナ あまから た ゴ 。甘 辛く炊 い た イカナ ゴ の 茶 色く 曲 がった 姿 がさび くぎ た釘に似ているので 「くぎ 煮 」と呼 ば れ ます。 し こ く ま い 梅製品 あやべやまばいりん 綾 部山梅林があ み つ ち ょ う るたつの 市 御 津 町 で は 、青 梅 の ほ か に、梅干し、梅ジュー ス、梅ジャム、梅ゼ リーなど、さまざま な梅製品がつくられ ています。 りゅうかしきえんでん 戦後は流 下式塩田が主流になりまし けいしゃ ばん た。傾斜をつけた盤に海水を流しこみ、竹 ふさ すいてき の枝を組んだ房からしたたる水 滴で塩を ごろ つくる方法で、1970年頃まで続きました。 赤穂市立海洋科学館・塩の国では、昔 からの塩田を再現しており、塩づくりの 歴史を知ることができるほか、塩づくり 体験をすることもできます。 赤穂で使われた製塩用具は、国の重要 さんしょうじょうゆ 紫黒米 山椒醤油 たつの市の特産、 紫黒米「むらさきの まい こ くろむらさきいろ 舞」 は濃い黒 紫色を 山 椒 の 実をすり しょうゆ つぶして醤油を加え た山椒醤油は、もと は夏にうなぎを焼く ために各 家 庭で作 し そ う し られました。宍 粟市 一宮町の「まほろば の湯」 で販売してい ます。 しています。普通の 米に比べて栄養があ り、健康食品として 注目されています。 として使われていたものです。 有形民俗文化財に指定されています。 さんしょう 味噌 佐用町特産のもち大豆、佐用産の 米、赤穂の塩の他には何も加えず10 カ月間 ゆっくり熟 成した「もち大 豆 みそ」 や太子町産の米と大豆を使った 「 太 子みそ」など個 性 豊かな味 噌 が 作られています。 「太子みそ」 を使った みそコロッケ、太子みそ煮込みうどん など地域グルメも開発されています。 63 はりまなだ ぎょかいるい ふつう 播 磨灘に面し、魚 介類が豊富に手に入る もち麦は大麦の一種で、普通の麦よりもち 姫 路では、古くからかまぼこやちくわ作りが もちした食感が特徴です。福崎町で生産した さかんに行われています。瀬戸内海名物の もち麦を、播州素麺の手延べ技法で仕上げた 穴子を使ったかまぼこ、蒸したもの、揚 げた もちむぎ麺。うどんともそばとも違う独特の ひめじ あ ふくさきちょう ばんしゅうそうめん ちが ものなど、さまざまな種類があります。姫路 食感が愛されています。 「もちむぎのやかた」 市内にあるかまぼこメーカーでは、工場見学 では、製造のようすを見学したりもち麦料理 やかまぼこ作り体験をすることができます。 を味わったりすることができます。 62 くつした 靴下 しかたちょう め い じ し ょ き 明治初期に始まったマッチ生 おおさか 産は、貿易港がある大阪や神戸 に近いため姫路地域で栄えま した。現在も姫路市・太子町で 全国の約9割を生産し、箱に宣 伝などを印 刷する広告 マッチが人 気です。 アイアンヘッド 鎖 かたなかじ で製造されました。その後、ア イアンヘッドの生産は姫路地域 は り ま に広がり、播 磨の地場産業とし て定着しました。市川町には現 在もゴルフ関連企業が多くあり ます。 ひ め じ が ん ぐ 皮革製品 明 治 時 代 、志 方 町(現 在 の か こ が わ し ちゅうごく しゃんはい 加古川市) の住民が中国の上海 から手回しの編み機を持ち帰っ たことから靴下製造が始まりま ごうせいせんい した。技術の進歩や合成繊維を 取り入れたことにより、現在で な ら け ん は東京都、奈良県と並ぶ日本三 大産地に発展しました。 1930年、刀鍛冶の技術を応 用してゴルフクラブのアイアン いちかわちょう ヘッドが日本で初めて市 川町 65 ひ か く せ い ひ ん マッチ くさり くぎ 姫路では江戸時代から釘 づ くりが発達しており、大正時代 に鎖づくりへと発展しました。 いかり 船の錨をつなぐ鎖からネックレ スのチェーンまで、鎖の大きさ や使い方はさまざまです。全国 で生産される鎖の6割が姫路で つくられています。 み ょ う ち ん ひ ば し ひ め か わ ざ い く 姫路玩具 明珍火箸 姫 路や龍 野地域は皮なめし に欠かせない川が近いために 古くから皮革産業が発展し、現 在も牛革の生産量は日本一で す。最近はレザーファッション ショーやレザークラフト体験、 皮革まつりなど、皮革製品に親 もよお しむ催しやPR活動を行ってい ます。 姫路張子は、不要になった和 ほ ご し 紙(反 故紙)が豊富にあった城 下町の姫路で作られた、張り子 ひ め じ こ ま のお面や人形。姫路独楽も幕末 から明治にか けて作られた 美しい民芸品 です。 江戸時代後期、甲冑師の家柄 みょうちんけ である明 珍家が茶室用の火箸 を作ったことが始まりです。火 箸 の 型 は 2 0 種 類 以 上 ありま ふ す す。火箸が触れ合ったときに澄 んだ美しい音がすることから、 ふうりん 近年、風 鈴として利用されてい ます。 にかわ・ゼラチン 赤穂緞通 ひ め じ た つ の ち い き ぶた にかわやゼラチンは、牛や豚 など動物の皮や骨を原料とす せっちゃくざい る天然の接 着剤です。にかわ は文化財の修復や絵画など、 いりょうよう ゼラチンは食用や医 療用にも 使われます。姫路や龍野地域 で皮革産業がさかんなために 産地となりました。 あ こ う だ ん つ う あ こ う こ じ ま 赤 穂の女性、児 島なかが江 戸時代末期に始めた手織りの とくちょう 敷物です。美しい模様が特徴で こうきゅうりょうてい 皇室や高 級料亭にも好まれま したが、戦後は機械化の波に取 すいたい り残され衰 退しました。平成に ふきゅう なって再び技術の保存や普 及 に取り組んでいます。 え ど じ だ い こ う き かっちゅうし 姫革細工 いえがら く に か ね た て ぐ 国包建具 か こ が わ し く に か ね ち く 加古川市の国包地区は、 え ど じ だ い か こ が わ 江 戸時代に加 古川を使った舟 運の寄港地でした。そのため多 くの木材が集まり、建具づくり が始まりました。木を組んだ美 しいデザインと高い技術が評 ら ん ま 判です。姫路城の欄間にも利用 されています。 姫路の伝統的な革細工は、 やわ 上質の牛皮を白く柔らかく加工 お した革に、模様を型押しし、一 つ一つ筆で絵付けをして、うる しなどで仕上げたもので、独特 のしぼの風合いが美しく、使う ほどに味わいが増していきま す。財布やかばんなどが作られ ています。 た つ や ま い し 竜山石 ほうでん 高砂市宝 殿山あたりで採れ る石を竜山石といいます。この 石は加工しやすいため、建築や 造園の石材として古くから使 われています。石色は青・黄・赤 の3色があり ます。 64 はりま りょうよう 播 磨には数々の温泉地があり、観光だけでなく療 養の場所としても多くの人々が しょうかい 訪れていました。その中でも特に歴史の深い2つの温泉をご紹 介します。 ゆめさきがわ 姫路の清流夢前川の上流にあり、 おくざしき 「姫路の奥 座敷」 として親しまれて きた温泉です。古くから神経痛や 筋肉痛、とりわけ胃腸に関する病に え ど じ だ い 効くことで知られ、江戸時代には県 内各所や中国・四国地方から多くの 人々が療養に訪れていました。周辺 めぐ は豊かな自然に恵まれ、春は桜、夏 はホタル、秋は紅葉、冬は雪景色、 といった四季折々の表情や、登山や ハイキング、サイクリングなどのレ ジャーを楽しむことができます。 古くから療養の地として名高い“ 姫路の奥座敷” ひ め じ し 姫路市 せとないかい あこうみさき 瀬 戸 内 海に面した赤 穂 御 崎に びはだ ある温泉。健康回復や美 肌効果に 優れているとされ、別名「よみがえ りの湯」 ともいわれています。赤穂 御 崎からは瀬 戸 内 海の島 々や四 国までの景色が望め、ここからの 夕陽は「日本の夕陽 百 選 」に選ば れています。また春には、一 目で 五千本が見渡せるといわれるほど むか の多くの桜が満開を迎 えます。近 が 瀬戸内海の絶景が広がる“よみがえりの湯” あ こ う し 赤穂市 くには潮干狩りや海水浴が楽しめ るビーチもあり、観光客でにぎわ います。 66
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