Confession 日時:2016 年 6 月 19 日(日) テーマ:告白 聖書箇所:詩篇 51 篇 話:ブリトニー・カールソン 命令と告白:二つの SOS 告白:聖めの会話 聖書の SOS:”Show us Our Sins”と “Save Our Souls” おはようございます(こんばんは)!日本に行く前に、皆さんに最後のメッ セージを届けることができるのは、喜びです。デビッド・ロックブランドが先 週十戒について教え、その続きを来週するようになっていると思うので、その 二つをつなげる橋渡しとして、今日は告白についてお話しすることにしました。 中等学校で初めて聖書の勉強をしたとき、聖書は二つの SOS だと学びました。 Show us (示す) Our Sins (私たちの) (罪) そして、 Save (救う) Our (私たちの) Souls (魂) 先週学んだように、十戒は、最初の SOS の役割を果たし、私たちに罪を示す と共に、私たちに対する神様の願いを表しています。そして、神様の恵により、 私たちの魂を救われます。けれども、神様の恵を受けるためには、私たちは二 つの告白をしなければなりません。神様への信仰の告白と、私たちの罪の告白 です。 私たちの信仰の告白については、ローマ人への手紙 10:9に、次のように書 か れています。 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエス を死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるか らです。」 私たちの罪を告白することについては、ヨハネの手紙第一1:9に次のよう に 書かれています。 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、そ の罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 1 Confession この二つの告白のことを考えるとき、多くの人にとって、信仰の告白のほう が、罪の告白よりも簡単だと思います。 あなたが「告白」のことを考えるとき、どんな言葉や考えや感情や行為が頭 に浮かびますか? いん ゆ 今日は、色々な隠喩(たとえ)や説明を通して、告白についてさらに深く理 解し、受け入れ、神様の恵をさらに知ることができるように願います。 告白についての一つのたとえは、「おめんを脱ぐ」です。 皆さんにおめんをひとつずつ配りました。おめんの内側に、皆さんがほかの こうていかん けつじょ 人に隠したいことを書いてください。それは、私にとっては、 「自己肯定感の欠如、 おもてがわ 不安感、失敗に対する恐れ、嫌われる恐れ」などです。おめんの表 側 には、皆 さんがほかの人に見せていることを書いてください。私の場合は、「笑顔、ユー じ り つしん モア、自信、自立心」などです。書き終わったら、隠したいことを隠し、ほか のひとに見せていることが見えるように、おめんをかぶってください。私のメ ッセージが終わるまで、おめんを取らないでください。 おめんをかぶっていると、どんな感じですか?(心地よくない、不自然、息 苦しい、重荷になる) 心地よくないし、不自然だし、息苦しいし、重荷だと感じますが、私たちは 毎日おめんをつけています。すっかり慣れてしまっていて、目には見えないお めんをつけていると感じないので、本当におめんをつけていたらどんな感じか を知って欲しいと思います。 箴 言 28:13 に、次のように書かれています。 「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者 は、あわれみを受ける。」 告 白について人々が持っているもう一つのイメージは、「聖め」です。 2 Confession 1)これについてのひとつのたとえは、手を洗うことです。 あなたは一日に何回くらい手を洗いますか?(何回も) よご お とうとう どうして手を洗いますか?(汚れを落とすため。病気にならないため。等々) きたな ふけ つ まったく手を洗わなかったら、どんな感じがしますか?( 汚 い、不潔、気 持ちが悪い) てじゅん どんな手順で手を洗いますか? てぶくろ ゆび わ 手をさらけ出す。(手袋や指輪やブレスレットをはずす) 水で手をぬらす 手をこすりあわせる せっけんをつける ごしごし洗う 再び水ですすぐ かわ 乾かす 私たちが手を洗うのと同じように、告白するときには、自分(心、思い、考 え、行い)を神様(とほかの人に)さらけ出さなければなりません。神の御霊 (命の水)によって、そして神の御言葉(せっけん)を私たちの人生に適応し、 責任を果たすことによって(こする)、聖められなければなりません。そうする ことで、私たちは聖くなります。 詩 篇 51:1~2に、次のように書かれています。 「私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い 去り、私の罪から、私をきよめてください。」 1)聖めのもうひとつのたとえは、黒板です。 ひとりひとりにミニ黒板とチョークを配りました。数分時間を取りますので、 皆さんが告白する必要があると感じることを書き止めてください。ほかの人に 話さなければならないとか、心配しないでください。神様の前に自分を顧みて ください。(告白を書き止める時間を取る) 黒板と同じように、人生と告白は汚れることがあります。皆さんの中には、 3 Confession これをするのがいやだったかもしれません。チョークで手が汚れるからです。 また、自分で書いた文字をもっとうつくしくするために、書いたものを消した ふ かもしれません。黒板を拭いてきれいにしたように、神様の恵は、あなたの罪 のぞ を除いてきれいにし、神様の記憶の中から消し去ってくださいます。消しカス こんせき や痕跡が残るかもしれませんが、さらに水で洗うことによって、黒板も、あな たの心や人生も、新しくされます。 使 徒の働き3:19 に次のように書いてあります。 「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔 い改めて、神に立ち返りなさい。」 1)この説明をするために、グロー・スティックを使います。今、このグロー・ かの うせい はっ き スティックは光っていません。このグロー・スティックの持つ可能性を発揮し は ていませんし、目的を果たしていません。グロー・スティックが光を発するに は、どうすればよいのでしょうか? ま こわ これを曲げて、壊さなければなりません。 ほんとうに光を発するには、部分ごとにそれをする必要があります。 しこ う ちょうどグロー・スティックのように、告白することで、私たちの古い思考パ ま こわ ターンや生き方を曲げて壊します。そうすることによってのみ、神の光が私た うちがわ かがや あ わた ちの内側から 輝 き始めます。私たちの人生のひとつひとつの部分を神に明け渡 すことによってのみ、私たちに対する神の目的を果たすことができ、私たちの かの うせい さいだいげん 可能性を最大限生きることができるようになります。 2)また、この小さな光について考えてみましょう。この光をつけるには、壊 さなければなりませんでした。壊すなら、神様が造られたように、私たちは明 4 Confession おお るく輝くことができます。けれども、人生や世は、私たちに罪という覆いをも たらすことがあります。光を世に明らかにすることによってのみ、私たちの光 はほんとうに輝くことができます。 ヨ ハネの福音書1:5に、次のように書かれています。 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 かがみ 告白のもうひとつのイメージは、 鏡 です。 くば 皆さんに小さな鏡を配りました。鏡を見てください。 コ リント人への手紙第一 13:12 に、次のように書かれています。 「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを 合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、 私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」 う どんな思いがいちばん最初に浮かびましたか? ひて いてき こうていてき それは否定的でしたか、肯定的でしたか? ほとんどの人は、自分のことを否定的に考えています。だから、おめんをか ぶらなければならなくなるのです。 箴 言 27:19 に、次のように書かれています。 「顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る。」 ところが、神様は、皆さんを違うように見られます。神様は、あなたをこんな ふうに見ておられます。 神の子ども(ヨハネの福音書1:12) 光の子ども(テサロニケ人への手紙第一5:5) 山の上にある町(マタイの福音書5:14) 5 Confession きょうどうそうぞくにん キリストとの 共 同 相続人(ローマ人への手紙8:17) うつわ 光の 器 (コリント人への手紙第二4:6) しょうりしゃ 勝利者(ローマ人への手紙8:37) 新しく生まれた者(ヨハネの福音書3:3~6) め 召された者(ヘブル人への手紙3:1、ヨハネの福音書 15:16、箴言 18:21) えら 選ばれた者(エペソ人への手紙1:4) 良い行いをするために造られた(エペソ人への手紙2:10) そな どんなことでもできる備えを与えられている(ピリピ人への手紙4:13) ゆる 赦されている(コロサイ人への手紙2:13~14) つく 新しく造られた者(コリント人への手紙第二5:17) わか い え 神との和解を得ている(コリント人への手紙第二5:18~19) ぎ せい 義であり、聖である(エペソ人への手紙 4:24) おうぞく 王族(ペテロの手紙第一2:9) めぐみ 恵 によって救われた(エペソ人への手紙2:8) 地の塩(マタイの福音書5:13) むじょうけん 無条件に愛されている(ペテロの手紙第一 2:9、ローマ人への手紙8: 35~39) では、皆さん、おめんを脱いでください。 コ リント人への手紙第二3:18 に、次のように書いてあります。 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映さ せながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。こ 6 Confession れはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 皆さん。鏡を見てください。そして、私の後について言ってください。 むじょうけん 「私は、愛されている、神の子どもです。私は無条件に愛されています。私は たっと したが 神様の目に 尊 い存在です。私は、神様の目的に 従 って召され、そのために必 たまもの しょうりしゃ 要な賜物を与えられています。私は勝利者です。私は、おそろしいほどにすば らしく造られています。」 ようやくおめんをはずすことができて、どう感じましたか? 自分に向かって肯定的な言葉をかけたとき、どう感じましたか? 詩 篇 32 篇 5 節に、次のように書かれています。 「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申し ました。 『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとが めを赦されました。セラ」 私たちは、世を私たちの鏡とすることを止め、神と神の御言葉を私たちの鏡 いん ゆ にしなければなりません。そこで、告白の最後の隠喩(たとえ)です。 告 白の最後のイメージは、 「会話」です。 告白は、あなたと神様、あなたとほかの人との会話です。マタイの福音書 18 章には、もしあなたが誰かに対して罪を犯したなら、その人のところに行き、 その人に告白しなさい、と書いてあります。責任があることを告白するように すす とも勧めています。 から い す 1)これについては、「空の椅子エクササイズ」が役に立ちます。 よゆ う (余裕があれば、全員が広がって、参加する。なければ、説明をする) 7 Confession となり よこ 「空の椅子エクササイズ」では、あなたがすわる椅子の 隣 か横に、椅子をも いっきゃく お う一 脚 置きます。そして、椅子を、神様や友だちなど、あなたが話しかけてい あい て る相手とみなして、椅子に話しかけます。告白が終わったら、もう一方の椅子 にすわり、今度はあなたが話しかけた相手になります。あなたは、自分が神様 か友だちになったつもりで、赦しや命をあなたに話しかけます。(十分なスペー スと椅子があれば、 「さあやってみましょう」と言い、なければ実演してみせる。 ) もうひとつの方法は、責任パートナーです。前にも言いましたが、私たちは世 の話すたくさんのうそを信じています。この練習では、あなたが信じていたう たたか おぼ そ、あるいは今 戦 いを覚えているうそのひとつを告白し、キリストの御体であ わ る教会が真理と命をあなたに語ります。これは、輪をつくって、あなたの左に すわっている人が真理と命を語ってもいいし、グループ全体でしてもかまいま せん。(スペースがあるかないか、あるいは反応がどうかを見ながら、この活動 をするかどうかを決める。) まず、私がします。(下からひとつ選ぶ) 「誰もこのままの私を好きではない。」 「私は宣教師としてうまくいかない。」 「私は宣教師にはふさわしくない。」 (活動をする。) あなたが戦いを覚えていたうそをほかの人に告白して、どう感じました か? ほかの人が真理、愛、そして励ましをあなたに語ってくれて、どう感じま したか? ここ ち 最初は、心地が悪かったかもしれません。今日私たちがしたイメージや活動 を通して、告白や神様の恵について、また神様やほかの人に告白することで得 られる自由について、さらによく理解できたようにと願います。 8 Confession ヤ コブの手紙5:16 に、次のように書かれています。 「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。 いやされるためです。」 はげ 終わりに、皆さんが、お互いからの励ましを受けていただきたいと思います。 がくぶち 皆さんひとりひとりにビンを配りました。(あるいは額縁)それに、自分の名 前を書いてください。それを、みんなにまわします。(あるいは、ポットラック がくぶち のときにまわす。)教会のメンバーは、石(額縁)に、それぞれの人について肯 定的な言葉を書き、それをその人のビンに入れます。 (額縁の上に置きます。) (こ の活動をする時間を取る。) 自分のビン(額縁)をもらったら、ほかの人があなたをどう見ているかを読 んでください。ほかの人の優しい言葉、教会の人たちの優しい言葉は、あなた に励ましや喜びや力を与えることでしょう。 (この活動をする時間を取る) 終わりに、私たちから愛されているだけではなく、神様から愛されているこ ほ とを覚えておいて欲しいと思います。神様は、今日、父の日に、皆さんのお父 さまであられるお方です。(神の名前のいくつかをリストから読む) この神は、あなたを愛しておられます。伝道者の書 3 章に、すべてに時があ ると書いてあります。(聖書を読む) 花が咲く春の中にいる人がいるでしょう。 熱や人生のプレッシャーで、汗をかく、夏の中にいる人がいるでしょう。 いろんなものをはぎ取られる秋の中にいる人がいるでしょう。 寒く、裸で、ひとりぼっちで、寂しい、冬の中にいる人がいるでしょう。 神様はそれぞれの季節をあなたに計画しておられます。すべてに時があると、 主は語っておられますから。けれども、この箇所を読むと、 「恐れる季節」や「恐 れない季節」はないことがわかります。私たちは、神様だけをいつも恐れるべ きだからです。 9 Confession あなたが人生のどのような季節の中にいても、恐れないで、あなたに対して 神様がどのようなお方であるかという中に、慰めを得てください。 神様をあなたの SOS にしてください。 神様は Show us (示す) Our (私たちの) Sins (罪) そして、 Save (救う) Our (私たちの) Souls (魂) みなさんがおめんをはずし、ほんとうの心や思いを神様とほかの人に見せる ことができるように、私は祈ります。神の御霊に洗っていただき、御言葉によ って聖められ、教会の仲間から励ましを受けてください。手をきれいにする必 要を感じるとき、神様に告白して聖めていただいてください。黒板のように、 神様にあなたの心と思いをきれいにしていただいてください。神様にあなたの 鏡になっていただき、あなたの汚れやあなたの美しさやユニークさを映してう ただいてください。神様とほかの人との会話を通して、あなたという器を満た していただき、あなたの光を輝かせ、あなたの重荷を取り除いていただいてく ださい。あなたのお父さまに告白してください。お父さまはあなたを愛し、大 切に思っておられますから。 10
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