博多祇園山笠 『十二番山笠ソラリア』 奉納

<平成 28 年 6 月 23 日発表>
博 多 祇 園 山 笠 『 十 二 番 山 笠 ソ ラリ ア』 奉 納
~「表」「見送」ともに、ダイナミックな戦国
「表」「見送」ともに、ダイナミックな戦国合戦
ダイナミックな戦国合戦を描きます
合戦を描きます。
を描きます。~
● 西日本鉄道㈱では、平成 28 年 6 月 24 日(金)から 7 月 14 日(木)までの期間中、当社が運営する
商業施設「ソラリアプラザ」の 1 階イベント広場「ゼファ」において、飾り山笠「十二番山笠ソラリア」を
披露いたします。
● 表(おもて)の標題…「決戦川中島(けっせんかわなかじま)」
戦国武将の中でも高い人気を誇り、宿命のライバル同士でもある武田信玄と上杉謙信。計 5 回、12
年余りにおよぶ両軍による戦闘のうち最大の激戦であった第 4 次合戦は、上杉軍の「車懸の陣」に
よる猛攻を武田軍が「鶴翼の陣」で応戦するなど、戦術・戦略面でも大変興味深い戦いです。ロマ
ンあふれる信玄と謙信の一騎打ちの様子を中心に、激闘の模様をダイナミックに表現します。
● 見送(みおくり)の標題…「山崎の合戦(やまざきのかっせん)」
本能寺の変にて織田信長を討ち取った明智光秀と、その知らせを備中高松にて伝え聞いた羽柴
秀吉。主君・信長の敵討ちのため、秀吉軍は 200km の道のりを 10 日間で駆け戻り、摂津・山城
国境付近の山崎の地にて光秀軍と対峙します。信長の後継者としての地位を築く契機となった
天下分け目の戦いを描きます。
● 屋内に設置する 「十二番山笠ソラリア」 は、天候を気にすることなくゆっくりとご覧いただけ、毎年
多くの来館者の方にお楽しみいただいております。また、福岡市博物館の協力による「山笠歴史
紹介パネル展示」も同時に開催いたしますので、ぜひソラリアプラザ 1 階ゼファに足を運んでいた
だき、博多を代表する祭である博多祇園山笠の迫力をご鑑賞ください。
■ 平成 28 年度博多祇園
年度博多祇園山笠
祇園山笠 飾り山笠「十二
飾り山笠「十二番山笠ソラリア」 奉納・披露について
【ス ケ ジ ュ ー ル】
平成 28 年 6 月 20 日(月)~23 日(木)
飾りつけ
6 月 24 日(金)~7 月 14 日(木) 飾り山笠披露
7 月 1 日(金) 10:00~
御神入れ
※場所はいずれも、ソラリアプラザ 1 階イベント広場「ゼファ」にて行います。
※本年度は、6 月 26 日(日)から 28 日(火)の第 99 回ライオンズクラブ国際大会
開催に合わせたスケジュールで飾り山笠披露を実施いたします。
【場
所】
ソラリアプラザ 1 階イベント広場「ゼファ」 (福岡市中央区天神二丁目 2-43)
【名
称】
「十二番山笠ソラリア」
【標
題】
表 :「決戦川中島(けっせんかわなかじま)」
見送:「山崎の合戦(やまざきのかっせん)」
者】
表
:博多人形師 置鮎 正弘(おきあゆ まさひろ)氏
見送
:博多人形師 小嶋 慎二(こじま しんじ)氏
山大工棟梁 :日髙 保行(ひだか やすゆき)氏
【製
作
【その他 イベント】
○山笠歴史紹介パネル展示(協力:福岡市博物館)
〔展示場所〕 ソラリアプラザ 1 階イベント広場「ゼファ」
〔展示期間〕 7 月 1 日(金)~14 日(木)
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(参考) 飾り山笠「十二
飾り山笠「十二番山笠ソラリア」 画像・標題解説
画像・標題解説
由布姫
原大隅守昌清
上杉謙信
武田信玄
山本勘助
表:「決戦川中島(
決戦川中島(けっせんかわなかじま)
けっせんかわなかじま)」
古戦場として名高い川中島は長野県長野市の犀川と千曲川が出会う肥沃な低地帯にあり、
甲斐を治める武田信玄(武田晴信)と越後の上杉謙信(上杉景虎)が北信濃の支配権を巡り、
五度雌雄を争う戦いがおこなわれました。
時は戦国時代永禄四年(1561)九月十日。武田軍二万、上杉軍一万三千が川中島の八幡
原で激突。明け方の霧に乗じた上杉方の奇襲に武田方は苦戦を強いられ、武田家軍師の山本
勘助が闘死するほどの激戦となりました。上杉謙信は武田本陣が手薄となったと見るや信玄
めがけて只一騎、隼の如く駆け寄り、馬上より鋭く太刀を浴びせました。不意を突かれた
信玄は軍配で受けましたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負ったとされていま
す。後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七箇所もあったといわれ、このためこの二人の
仕合の場が「三太刀七太刀(みたちななたち)」の跡といわれています。この窮地に信玄の
家臣原大隅守昌清は二人の間に割入り、槍で馬上の謙信を突きましたが、槍先は謙信をかす
め馬の前足を打ちました。馬は驚いて跳ね上がり駆け出したため信玄は九死に一生を得る
ことになりました。
毘沙門天を信奉し関東管領の職を全うしようとする正義感の強い謙信と、自国の版図を
広げんとする信玄の2台巨頭の直接対決は戦国の名勝負として名高く、博多祇園山笠におい
ても幾度も取り上げられて来た人気の題目といえます。
登場人物:
登場人物:武田信玄・
武田信玄・上杉謙信・
上杉謙信・山本勘助・
山本勘助・由布姫(
由布姫(諏訪御料人)
諏訪御料人)・
原大隅守昌清(
原大隅守昌清(はらおおすみのかみまさきよ)
はらおおすみのかみまさきよ)
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中川清秀
羽柴秀吉
高山右近
斉藤利三
明智光秀
見送:
見送:「山崎
「山崎の
山崎の合戦(
合戦(やまざきのかっせん)
やまざきのかっせん)」
山崎の地は摂津国(現在の大阪府)と山城国(現在の京都府)の国境にあり、戦国時代に
あっては京の都を守る要所でありました。天正 10 年(1582 年)6 月この地において、本能
寺で織田信長を討ち果たした明智光秀軍と、備中高松城を水攻め中のところ、「中国大返し」
と言われる岡山から京都までの 200km の道のりを駆け戻り急行した羽柴秀吉軍とが天下を
分かつ合戦をおこないました。
羽柴軍は中国地方からの転戦の間に摂津の武将中川清秀や高山右近を、その後信長の遺臣
の神戸信孝(織田信孝)や丹羽長秀らを取り込み、最終的に山崎に着陣した時には 2 万を
超えていました。一方の明智軍は頼りの細川藤孝・忠興父子や筒井順慶などの援軍を得られ
ず、子飼いの斎藤利三、松田政近、津田信春ら有力武将を主力とする陣容で羽柴軍とは 2 倍
から 3 倍の兵力差があったとされます。この戦に敗れた明智光秀は居城である近江坂本城を
目指し落ち延びるものの、小栗栖(京都市伏見区、現在は「明智藪」と呼ばれる)の藪で
落ち武者狩りに遭い絶命し、十二日間の天下は幕を下したとされています。
京都への入口にあった天王山を先に押さえた羽柴軍がこの大戦に勝利したため、
「天王山」
の名は雌雄を決する勝負の代名詞となりました。羽柴秀吉はこの後の清洲会議を経て信長の
後継者としての地位を固め、天下統一を成し遂げて戦国の世を終わらせました。
天王山は新大阪から京都に至る新幹線の車窓からサントリーウィスキー山崎蒸留所の
背後に眺めることが出来ます。「山崎の合戦」は秀吉の出世一代記である『太閤記』にも
描かれていますが、山笠としては珍しい題目といえます。
登場人物:
登場人物:羽柴秀吉・
羽柴秀吉・高山右近・
高山右近・中川清秀・
中川清秀・明智光秀・
明智光秀・斉藤利三
この件に関するお問い合わせは、西鉄お客さまセンター(℡0570-00-1010)まで
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