柳澤 浜 園の随筆 植 谷 のであって、それ白隠決して完全なものではなく、 万 ま た 恐らく 洪 の手中においても、決して完結した著述ではなかつたのであろう 見 ま らないが、それらのうち一として首尾を整えて上梓さ せ 端 整えて完成された姿を備えていない。この三善は、と もに唐様の を の また、﹁洪園 随筆﹂︵水木直前 氏藏 Ⅰ﹁ 洪園 遺稿﹂︵相見 春雨 氏藏 ︶ 想像される。 である。 一一し @ 一@ 一 と ない。最も注目されて来た彼の青年期の随筆﹁ひとりね﹂も 0例を見よう。内閣文庫に所蔵する一本によって績蕪 五十種 麗な偕書 で書かれ、紛れもなく洪 園の筆蹟と認められ るのであ っ である。 の 片鱗を窺 うに 足るのみで、ともに全貌を明らかにしえないだ いとする疑いを明らかにされた︵岩波文庫﹁雲拝 雄志﹂ 昭和十一 な 年 ま 刊︶。この書は、筈巻の巻頭に﹁ 柳 軍旅 稿 ﹂と一々 明記して上梓 後 人がまとめて一書となした、明らかに他筆の嶌本にすぎない 七 棋 園 の逸 目 は の く、 抑々﹁柳洪園 先生一筆﹂なる一書そのものが、 云薄雄志﹂ 天保十四年刊︶四巻が 、 決して 彼洪園 の 著 作 ではある 諦 かつて森銑三 氏は 、著者に柳澤浜園 であることが明示 されている ﹁ぱ跨児 て その第一回前半の部分を載せるにとどまり、後者は僅 にその 麟 月報﹂の 翻詳 と﹁まがきの 菊 ﹂の書名を掲げるが、 漢文表記の二 書 においても、両者は何れも一つの著述として首尾 三 、それが著者の手の中で既に未完であったことを疑う 鈴地 はない の文人として柳澤 洪園総駝勅 むの名は知られて著述も も 園 られる﹁柳洪園先生一筆﹂は、書中に白話小説﹁新編繍像 族 近 め 文け をで 内報 容 」小牧二のをど 新 に そのと も 見 し 著 畑 見 出 か は 、 喝 破 か 何 の も 射 の と の は で は い 漫 大 聖 文 句 て 一 そ の こ ら し 」 に 2 匹 あ て は 廣 見 を も 、こ ず、 除 か 洪 が の すこと は い い 部 ん 述から さ 瞑 驚 眼に ろ で あ る も し 外 な に で で 語 し 人 る 一 題 て こ り 園 れ の た さ に な な て ら 實 中 語 二八 冒 すること である。何れも甚だいぶかしいことである。かたがた、 内容に 棋園 であることを 讃 する何ものもなければ・本書もまた﹁實 薄雄志﹂と 同様、 洪園の名に仮託きれた一随筆として、彼の著述 か るをえないであろう。 ら除外せ ,さ 以上のほ か 、﹁文質雑話﹂・﹁ 青棲 夜話﹂︵以上﹁ひとりね﹂所出︶ ﹁東 里ズユヨ﹂︵﹁典籍作者便覧﹂所出て﹁ 老鑑 ﹂︵﹁諸家人物誌﹂所出︶ 等の書名が 浜園の著述として 博えられる。この中、前二者はとも く 、 後の二 貼は彼の著述として信じられるだけの直接的根域は 首 その く 、また四 者 ともその書名によって内容を想像するほかはないも の である。 このよ う に見てくるとき、柳澤棋園 には判明する限りでは、 著述として かつて上梓されたものがなかつたというだけでなく、 尾を整えて 完成されたものもまた存在しなかつた、と言わねばな @ はようであ る 。 白 ここで、 最初に掲げた彼の青年期の随筆﹁ひとりね﹂を振り返 つ 。 てみよう。 本書もまた、果して上記した如き棋 園の著述の例に 洩 ないのであ ろ うか 徳川時 代の無数の随筆 中 、文 卑 的な深みと 味 ひとあるものの 眉 とし て、 私はこの﹁ひとりね﹂を推したいと思ふ。この書 少 くと も自分の心を種として人生の解程を求めずには め られ かつた一人の青年の手になったものである阿部 次郎 ﹁柳澤 洪園 と﹁ひとりね﹂ P徳川時代の藝術と祀曾﹂所収︶ 管見に入った随筆﹁ひとりね﹂の博 本を、 書嶌の様態 編成 備の上に認められる著しい差異によって甲 ・乙の二種 に分け、 夫 しかし、本書の原形︵原本︶は明らかにされていない。本書は近世 を通じて嶌本によって行われ、現存するその数種の嶌本の間には、 の 諸本について、比較に必要な書誌の若干を掲・げる。 甲種本 け藤井素形菖蒲 本 ︵藤井本と略す。以下司︶天理国書 紺 表紙 館藏 すべて何らかの差異が認められもののよう である。にも拘らず、本 書は従来その原形の如何について問われたことがなか つたのであ 80 一糎 九、 ︶三 二冊 外題なし。序題﹁ひとり ね序 ﹂ 大本︵ 二セ 、 0. は、勿論これがそうした手槍きの上に、更めてその慣値を問われて 下敷上五五︵ 遊紙 前 一 ・俊二。 遊紙は 丁数に含まない︶ まことに腰しい近世随筆の中から本書をとかく問題に 然るべきものと考えられるからである。ただし、水書が果して近世 十六四︵ 遊紙 前 一 ・俊二。二九ウ空白︶ 石敷上一三︵但し、一才一四・一 ロ 随筆中の白眉たりぅる やは、姑く措かなければなるま い。また舌ぅ までもなく、柳澤洪国 は多藝を以て知られる人である。殊に彼は、 印記﹁紫屋文庫﹂︵上下英一 丹 表紙 ウ 一二Ⅰ了一二。 その詩 ・書によって浴 せられるべき人であるかも知れない。しかし 附記 下 四二才ゥ上欄に一二四字の朱書あり。燕石十種第二 大木三三、六・一八、二︶二冊 ㈲国立国 倉 直書館 本 ︵國 倉木︶ 手本二八頁のものに同じ。 ォ︶ 次第に知識的考澄的傾向を深くする多くの近世随筆の中にあって、 本書はそうした兆しを包みながら、なお人間を正視して人生を理解 しょうとする意欲に溢れるものが認められることは事實 である。 ﹁雲離離 外題﹁ひとりね上 ︵下︶﹂。序題﹁ひとりね序 ﹂ しばらく、本稿ではこの一書の原形を追求してみよう 志﹂・﹁玉桂面詰﹂の 二書が洪園の著述から脱落したあと、少くとも 工数上五五、下六四︵二九ゥ空白Ⅱ打数上一三、下一 一一つ ㈲祠官文庫本 この書は、彼の著述として第一の書であることだけは、誰しも認め ざるをえないところであろう。 二九 整 々 活 一 一 大本︵ 二セ、ニ ・一八、 0︶二冊唐草模様浅黄色表 下敷上五五︵ 遊紙 前 一Ⅰ 下 六四︵ 遊紙 前 一。二九 ゥ空 白 ︶ 外題﹁ひとりねの記乾 ︵ 坤 ︶﹂。序題﹁ひとり ね序 ﹂ 三O 外題﹁ひとり ね上 ︵下︶﹂。序題﹁ひとりね序 ﹂ 天父︶﹂︵題雙 活 東子﹂︵下 終了 オ 朱書︶ 丁オ ・下 終了 ゥ ニ ・一八、三︶二冊目刷毛目薄茶色表 紙 花石 月 文化人 己巳 年春三月事 ニ ・ 一セ、 二︶二冊 封橋堂主人蔵書 印 回 ﹂ 目 刷毛目薄茶色表 印記﹁両氏文庫蔵書﹂、﹁陽春 盧記 ﹂︵以上、上一 ォ ︶ け 中川 得基 喜蔵本︵中川本︶天理回書館藏 乙種本 備考不一オ右下に﹁玉桂﹂の二字あり。 附記﹁諸家人物誌﹂所出のもの︵丁役表紙見返し︶ 封橋 堂本に同じ。但し印記なし。 識語 以下一三、下一二。 下敷上五五、下セ八︵ 三セゥ半分空白Ⅱ何 % 上三二 ウ道一一 外題なし。序題﹁ひとり ね序 ﹂ 大本︵二四、 ㈹小中村清 矩 菖 蒲本 ︵小中村本︶水木直 箭氏藏 備考不一オ右下に﹁玉桂﹂の二字あり。 ︵ 下 終了 ゥ︶ 用捨 百 識語﹁手頃年肩痛 之憂有 拙筆不任意 依而 魯魚垂木 少看 人 2 箱 ﹁岸 原口﹂︵以上、 識 まま 印記﹁ 岸原通印 ﹂、﹁御巫私印﹂︵以上、上下英一ォ︶。﹁@ セナ@ 圭 町﹂、 打数上一二︵一ゥのみ一二︶、下一二。 外題﹁ 蜘繍ひとり ね 大本︵二五、 ㈲御巫清白菅蔵本︵ 封橋 堂本︶祠官文庫 藏 備考了一オ右下に﹁玉桂﹂の二字あり。 院流 寛一過 を 妖婦の 帯 一筋に代んといへるあるへし安政五年二一 り寝 ﹂︵同右 朱書︶。﹁北宋に彼 愚雑想に記しⅩ生涯の 事 種 第三集録書目︵略︶﹂︵同︶。﹁燕石十種第三宿一之 巻 書 あき大清束子しるす﹂︵下表紙見返し朱書Ⅱ﹁ 附記﹁燕石十種第三積一之巻 ひとり ね序 ︵文略︶安政 五年三 館町奥井 屋 八兵衛金銀不用﹂︵七経 印記﹁御巫喜蔵﹂、﹁ 暢英 ﹂︵以上、上下夫一 ォ ︶。﹁祠 郁生血 ウ ・五オ ウ のみ一二 ド 了一二。 工数上五六、下六四︵二九 ゥ空白︶。荷鞍上一三︵ 一ウ ・三 。序題﹁ひとり ね 序 ﹂ 大本︵二六、一・一八、三二冊目刷毛目浅黄色表 ㈲御巫清白蓄蔵本︵奥井重木︶祠官文庫藏 一一︶、下一一一。 工数上五五、下六四︵二九ウ空白︶。打数上一三︵ 一ゥ のみ 田 月 十 文 と 下 小本︵ 一ハ 、三・一二、三二冊薄茶色表紙 二冊﹂ 外題﹁比丘 利 浦上︵下︶﹂。序題﹁自序﹂。本文題﹁ 左券︵千之 巻 ︶﹂。供頭領﹁北上 刺禧 比 上皇浦上 目録上に﹁ 狗寝 網目録﹂と題して﹁ 上 2 巻﹂ 七セ章 、﹁千之 巻 ﹂ 五三章を掲げる。下に﹁比比里禰 千之巻目録﹂と題し て五 0 一 ︵目録上 三 ・十二を含む︶ 四章を掲げる。本文は各章毎に章 題を掲げる。 工数上八九、下一 同舎玉柏 使取 大蒜 一握、道上烈士 雑研燗以 断水和之、 濾 去 卯浦方﹂三六四 ゥ ・六 五オ 浮 刑具 歯濃之 、有 頃 耶蘇方 知菓 、病相封有 如此、今諸本 緑土弓 百所相感 謹 也、即 撮 上棚朱書。﹁ 地柴木﹂菌は喰ましき物なりの 草 ︶ ㈲ 狩 野亭吉富蔵本︵狩野文庫本︶東北大豊国書館藏 了一﹂、 上 里禰 上文巻 ︵ 上 二﹂、﹁ひとり ね 大本︵二七、一・一九、一︶四冊︵表紙は嶌眞 によ つ て、中 Ⅲ 上 一﹂、﹁猫授 本 に準ずる如くである︶ 外題﹁比比 利禰 ﹁猫度 行数 上下夫 一0 ︵一行三 一字を守る︶ 印記﹁ 柊紅 ﹂、﹁中川氏藏 ﹂、﹁新見﹂︵以上、上下柴一 ォ 之巻二 ・千之 巻一 ・千之 巻 二︶﹂ 目録中川本に同じ。 下二﹂。序題﹁自序﹂。本文題﹁比丘 識語﹁ 此 書机 里恭 小著 也 。記事 多靴如度部猿薄俗 、 間 百足 以観 其畢識 韻致 英 。 弥 往年 在 浪華客舎・ 借之 老友小林手窓、 教 工数上一・四七、上二・四二、下一・五 0 、下二・五一 一 ﹁感 ﹂の一字なし。 附記中川本の上燗朱書に同じ。但し、まま誤脱あり 一八ウ ︶ ㈲ 加 賀豊 三郎 菖蔵本︵加賀文庫本︶日比谷回書館藏 ︵本書のみ康煕 綴 。本文人 紙 あり︶ 大本︵二六、五・一八、五︶八冊表紙幅浮世模様金箔 ち らし。 ︵土工 識語中川本に同じ。但し、中川本の圏貼の部分、及び 結句の 打敷 各冊共一 0 ︵一行三一字を守る︶ 小臣小林 寛重謄嶌 、南窓 燈 不時辰 之 、遺孤 悶焉 。 既而 桑槍 一夏、此書 存亡 亦 不足高 也 。 今 鞍手支持周期時 万 梅雨 寂真 博採取 箆 、 再遇之 。回顧 営年 、李 窓寛重 老少兵 縮 一郎 、 而 小菅書屋主人 識 ﹂ 全 由幸 猶 雄傑残喘、 目昏苗硲 、常規 薬疽耳 。感慨天河 上平 百卵黄梅師旅茗北 緑雨 香握 ︵下役表紙見返し。 圏 貼の部分は朱筆による見せ消ち︶ 附記﹁ 偶記 押麦得、避暑 録話云 、 熱甚 道路、多 昏朴而 死者、震 暑気折中、不得 泄 前 閉販皆窒 、非暑気 使 怒気閉塞 而死 也、 国記 崇賓 、 乙商会農書局、馬 僕馳 尾ロロ中 忽朴 地気 即 絶、 一一一一 ﹂、﹁ひとり痩 二﹂、﹁ひとり ね三 ﹂、 直ちに信じ難い。 一一一一一 本 ︵圏貼 ︶に 臆 して、これが小萱書屋主人の印記であ つたとは 残臥木 ︵国書刊行倉 燕石十種 所 M︶ @ ㈲早稲田大豊国書館 本 ︵早大本︶ 本書も燕石十種本に準じて、甲種木の下に柏営 するも のであ 文質草 識 ﹂︵第二冊後表紙見返し︶ に 足れる 藝 十六に及ふと そ。事は近世時人 博に 見えた かけるもの 他 。茗渓 園譚里 赤字去美一端玉桂、人の師 たる 識語﹁ 比 ひとり ねとい へる書は大和郡山同姓の士柳澤擢 大夫か 工数上五二・ 下 六一。 外題﹁ひとりね柳 軍器随筆上﹂、﹁ひとりね下 ﹂ 半紙本二冊 ㈲内閣文庫本 大本一冊害鳥の様態・内容・編成は、甲種本の下に 柑 営 する。 ㈲燕石十種本国 禽 回書館 藏 ﹁ひとり 編 成 ・識語 ま ま 誤字 一八、六 里禰 五八﹁ひとり ね六 ﹂、﹁ひとり寝 外題﹁ 狗痕一 ﹂、﹁比丘里腹 寝四 セ ﹂、﹁比丘皇嗣八尾﹂。序題﹁自序﹂。本文題﹁比丘 ニ ・二五、三・二六、四・二八、五・一 春 ︵ 夏・ 秋 ・冬 ︶﹂︵夫々の上四冊のみありて下四冊には し︶ 下敷一・一八、 二六、七・二三、 ハ ・三一。 荷鞍 各冊 英一 0 ︵一行二0 字を守る︶ 識語中川本に同じ。但し、中川本の圏貼の部分なく、 @@ の@ 。 附記中川本・狩野文庫本に見える上欄朱書なし。 夏 ・秋冬の四部に分け、目録・ ㈹新徒言 所好 ﹁完本猫寝﹂本石川 巌 校定 祓 ㍽㍉榊邨り 本書は、内容を春・ ︵中川本の圏鮎の部分なし︶の合致から、上掲四冊本 乃至八冊 本を底本としたものであることは疑いえない。 ㈲随筆 文畢 選集 封校異烏木楠瀬 拘校定輔 蘇仁理 外題﹁猫寝洪園著謄嶌 未完﹂︵題饗 ︶ 半紙本一冊 合する。この黒鳥 本は 、中川本と同じ識語︵但し、圏 貼の部分 下敷 セ一 ︵ 春 四一・ 夏 三一 0 ︶一一行罫紙を用いる。 國倉本を主底本とし、一具高本 を 以て 校 なし︶を附する 貼等から、冊数は不明ながら、明らか に 乙種本 本書は乙種四冊本の二冊目中途 迄 の真木。 本選集所収の本文は、 の 一である。この識語には回回の二話號を添えているが、中 Ⅲ 詳細についても、ここには掲げえない。しかし、そう した多くの 小 國曹 本には藤井水にして一行分 に相営 する 分 量の脱落が、 三箇所見出されることである︵ 七 四五 ゥ一二 一宇・周回 異 もさることながら・ 甲種本の六本の中、小中村本のみはその正勤行数にやや差異が認 セォ三 二字・同五四オ二五字Ⅱ次に藤井本によって 、 國 倉木にお 老子 経 に大道すたれて仁義ありといふた如くⅡ仁義正常 のとい められるが、識語にょれば、小中村本は封橋堂本に撮ったものであ て、害鳥成立の時期はほぼ等しいものと推定される。また同じくこ ふものかすつきりな ふ なってから自然と ロ 仁義五常 か人 に有也 ける脱落の一例を掲げる。 の襯鮎から害鳥成立の時期がほぼ相等しいと推定されるものに、沖 除いて、他の三本の下村下表 に ﹁玉桂﹂の二字の認められる貼が注 本 諸本の中、藤井本をその最も見るべきものとして差 し支えないで この二本間になお問題がないとは言えないが、以上によって甲種 内は國倉本に脱落︶。 ︵ 上 五四オ 意 され、文字表記上の差異も指摘しぅるが、特筆大書すべきものは あろう。 しかし更にこの二本の差異を具きに検討するとき、字句の部分的な 書本の二本を甲種本中のより見る べきものとしてとり扱う。ただ、 らかにする鈴口はなく、姑く以上 のみの理由によって、藤井本・國 ある。ただし、ここには上記四本と嘗面の二本との比較の詳細を明 た粉本に比較的忠賞と見える鮎にも、それほ認められてよいようで その風貌装訂 がこれを物語るが、その文字面の筆致、及びその櫨つ た。乙種本は元来二冊本 であったと考えて差支えない であろう。 四 ている。そして、二冊本から四冊本となり、更に八冊本に分冊され ない。ともかく、乙種本はすべて﹁心意書屋主人 識 ﹂ の 一本に櫨つ るものに 臆 して文政二年をとるべきであろうか。なお豫断は許され ﹁自如﹂は、 賈暦九 ・文政二・明治十二年となるが、 人及び小林 某 両人については、なお明らかにしえない。 甲種本に備わ 識語の年記 べて目録・ 章 題をもち、﹁小菅書屋主人 識 ﹂の識語を具 える。回生 乙種本は 、既にその諸本の書誌によっても窺われる如 く 、諸本 す ま異は多く、文字表記上の差異も殊に少くない。これらについて @ 不 二とある。 冊本 ︵狩野文庫本︶は、外題に夫々七一・七二・了一 一一一一一一 いうることは、藤井本により見るべきものの多いことである。この いて、凡そこれら四本に先行すると推定きれるものである。第一に 見出されない。藤井本,國官本の 二本は、その書高成立の時期にお nU 官文庫本・奥井尾本の二本がある。これら四本の中、脚宮文庫太 を ることが知られる。この二本は、その装 訂及び字面の親近性によつ 一 一 三四 章 題をもつ貼である。識語に従ぇぼ、中 Ⅲ 本は小林 李悪所持の一本に振ったものという。その謄 嶌 の 際新しく 第二は、これが目録・ のであるからである。分冊への傾向が、原形に離反するものである これを附したとは示されていないことから、目録・章 題 はその 拐つ 八冊 本 はこれを 春 ,夏 ・秋 ・冬とし、更に夫々を上下 に分冊したも 本 において、 である -第五・六冊、 第セ ・八冊Ⅱしかも、これと 全く同じ八冊 れ ︵第三・四冊Ⅱ 或時は本文中途にして前後二冊に分れていること それは四冊本を分冊したために、 る 。随筆﹁ び ね 一字高く起筆して章の発端を示すにすぎないのであ 諸本は、すべて目録をもたない。また各章に草頭はなく 、 章 毎に 概 一般に珂鳥の間に整備された結果とも考えられる筈である。甲種本 目 録 ・章題は、 た 一本にすでに備わっていたと考えられる。しかし ことは舌口を侯たないであろう。殊に甚だしきは、八冊 木がなお他にも存在する。これが、近代の書鹿 の 肝策 に 他ならぬこ とりね﹂の原形がこの何れにあったかは、自ずと明らかであると 思 或 時は章題と本文が一 刊俊二冊に分 とは明らかであろう。もはや、これについて多くの@ を弄するべき われる。 加賀市文庫 ある。しかし、かかる軸においては中川本もまた何ら異らないので 具したもので 本は、 共に極めて整然と書嶌 きれ、 行 ・字数は終始一 め 第三は、中川本の示す行激 ・字数の鮎である。狩野 ではない。 見るべきものである し。かし、 な つものであろうか。 しかし、このように登展した乙種本中の二冊本 ︵中 Ⅲ 本︶は果し てどのような 廣 値 な 40 中川本は、現存乙種本中の最40 ものであることを考慮するとき、狩野文庫本においてはもと﹂より 、 ある。そして、殊に加賀文庫本が、明らかに近代の書鼻の手に係る 中川本においても、少くともその害鳥の時期に閲しては、ほぼそれ お 残された問題も少くない。 第一に、それが小本性立である鮎であろう。現存諸本は 、内閣 文 に進 ぶ 9るものと見て 、 決して本宮ではないと考える。 しかし、かかる中川本︵乙種本︶を藤井本︵甲種本︶に対比する が小本位立であることは、随筆﹁ひとりね﹂の原形を、本書に準じ 唐木・早大本を除いて、すべて大木の龍裁を備えている 。本書のみ て想定することに、大きな抵抗を感じきせるものであろう。ただし 及ぶのである。本書の原形に迫るために二本の開保を更に追求しな 字句の異同・脱落の有無にあるのみでなく、編成・章 の有無にまで とき、本文にねいては更に甚だしい差異が見出される。それは革に ほ ぼ大本と推 この難は後述するように、藤井水との比較によって、本 書は大本一 下付に担 嘗 する脱落を二箇所もつことから考えても、 足 される原形の一翼形であると認められる。 ければならないことが、これらによって知られると思う 。 本の性格を窺 うに 足るもの、ひい ては本書の原形を究明する手掛り となり ぅ るものの、主たるもののみに限った。章題をもたない藤井 て、夫々引用の章を示した。︵ 四 夫々の本文に即したものである。 口前洲か儒畢 U ︶内に示したものの他は、すべて 本はその章の冒頭を、中川本はそれに底ずる 章題を [] 中に記し 次に掲げる藤井・中川二本の封 照表は 、しかしこの 雨者の異同の 牡 にはこの 二 てを 轟 すものではない。 奥鳥の間に生じ ぅる 魯魚焉馬の 誤り、 漠 封照表 Ⅰ中川本Ⅰ へかし 口女に十一の 嫌 ﹂ nつとめの末し 誠夫子も是ほかりは古生唾したま 丹を持たり つとめの虫腹 床 にさ へ入らすは ㈹誠夫子も是 斗はすもしし給へかし ロすみ町のつた や の 蘭州かし 私は地打の仙人にして下り物の様成 角木な 非すいかにも一つの 仙 口過し頃生駒山にし ハ生的山の萬 鎗糧ロ 八人は髪かたち u 物にほ心前兆あり n ﹁朋友の信 U ︵ 斬敵 に原註なし︶ やまとの天井といふもの家に虫喰てあり 口過し比主人のもとに 口 生の庸にていたるよし ㈹︵後出︶ Ⅱ髭牢 の久 結 ひふ Ⅱ ト@ は口 0 すへて詩語 に。0U 口金か友 たち近藤田令 し ㈹生れのまⅠにていやし 鼓の筒 u n ハ墨水秘事 附手 習し ハ草木の論 口 日出の軸 U へき 程柚を入しほと 花も草も ロ ロ 異女房か 諭 ていわく盃に より 御 あつけの鼓は ㈲大和天井と云もの家によりてあり 何小筒の筒の作者は口 古 の 筒ほうちつまり 虫喰多しと 云 なれと 虫喰しらへは 紫 よし @ 白- 儀 より 御 預の鼓は ㈲異女房にたとへていはⅠ盃に 一へぎへぎ 入れし 柚丁 ほと ロ墨は李 庭桂 か し ロうつくしき女房とり ㈹︵後出︶ 三五 ㎝︵後出︶ 一はい水を入れ一 ㈹古の筒はうちつまりたる おほしといふなれはしら へも紫 よし 公 ㈲︵ 鈍歌 に原註あり︶ 者 ひとつの 仙 万有 ㈲勤のうち床にさへいら す は ロ折岡とい ふ 女郎 か口 ㈹私は地打の仙人くたりものし様なるそまつなる仙人 にあらす 拙 ︵藤井本︶ 仮名の 輻映 その他も 、 移しい数に上るからである。 手 爪 -,シ 4ンィ ク,マチこ ㈱持丸長者のとかく所望してなら つ し ろ ぐ 事 ち あ を 吸 りい人出し ふに)に い ま 一 と て 引 弾 つ め ( た に 上 万 め や ロはやしかたほ 口 何回口 い ふ 口れ し と ぐ 折 ち に をふ けれ ふ て と 習 藝 度 @@ 。 さ虫 Ⅰ も あ れ 綺を 今 身 は 知 く へ ぬ化 か に へ大 わ よ し に ま 仁の 日 後後 此 き か てみ こ 万 わに はて り き に も - ゆ り 血り くて を 取 て あ の と り ((( ま出山草 め )) な 羅き右 青 一 @し を ま 入 て れ勤 ら め れの く 0 後 ま Ⅰ百コ Ⅰ も 失て は rⅠ 一 る の し 此 たいてこ ま女 か し即 せ ロ の小見ろ き のに手 し 袖な夫 にゆな習 み も る 婦 n n 給 ロ舌 ぐ り すそ こ れ つ 色ひ は る 口 鈴 ハ 虫郡 Ⅱ 昔今のたるかのほれ 勘 芳 嵯 兵 語 峨 し 臣 一芸日別 2 集 興 口 0 の こ : り @ 臥 三い唐 机 しみ又に味と の とに 格て綜 Uuuu ろを 檜 し 位 仝 ゎ地 一 っ 口 な を ぬ わ ん に て に ふ れ て と 膣 其 書 く り れ忠吉 ま と と 所 ひ に 持 思 こ ひ ろ 出 め て る こ 芸 と 持 あ つ た に ほ や て り お ぬ し と ふ さ 0 ほ ロと 素地に 平日 口ロ リ もⅡ ふ も 野 し 即 こ 日格 長よ( 々川崎 ろな ふ あ も の の如 生 を ほ 素 人 こ 別 か け り て Ⅱ り 衛門 女に 時事思 しひ uU 衛 にの U と 前 宝 血 法 郎 6 にも逸 女 ま 人 侍 元 長 者 の 野 ふ 吻崎 間 行 平 空 白 (l) @ 日の長よ より今 ち 吉 尋 う る め u8 ㈹ ( 其 か此 書 く 章 拝 素 再 見 と 事 か 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㈲わきかね ぎをあざむきふとり じし にて白黒く ㈹女を遣しなは息子 ㈹ひとり胸をこかされて相川と 云もの出 而立石 へ坦 にしらぬ・もの無い ㈹ 無 盛君 と 云いかず女房をもたれた事書き侍 えて烈女 博 見たもの ㈹からすの聲は何万にてもいやなるは っ也 ㈲御所持なされて御覧なされし物とて ㈹硯箱のやうにもありて 末ノマ、二字解しかたし 一 前後不見 其億嶌しおく一 ㈹女郎ともすへてつか ふ事也 ︵中略︶ほんにあやかる やう にして 口 岡島 援乏し 本ノマ とロ階 /1 此薬も知らぬと云は博識にあらぬ故 向彩色貝 u や高へし ﹁甲州言葉 し 薬毒の大事 ロ ハ 障 になることをしてなくさむと云 ことむこき心ならす 音もなく気色もなふて Ⅱ 同口 おそろしく 寛 へて 云しとかやさりとほかわりし言葉とある︵ 約半 ハ 同し一行空白︶ 昧哨に通し ハ甲斐の國ほし 狩野家にて用 る檜の具はましなるなしことに彩色に心 @ ゼ籠 ぬも い のそ 事 繕 やの彩 官 具に にぬ い は 心り 口 い を をて とに めし頃日 円 通 本ノマ ㈲ さはりに成る事をしてしらぬといふは博識にあらぬ故 水 ノマ、 ㈱ 禰さ Ⅰけしきもなふて ㈲おそろしく覚えて居しとかやとほかはりし言葉百味 ㈱本鈴 とぃふ ものを 打ッ がり㍉ 坤ム 本ノマ、 木 ノマ、 ㈲ひ ら、さにあちなる 所 多し 本ノマ、 ㈹のⅠしるもむり成へし チ ンヤ ㈲不遠慮にさして紀吉をなのだる 時 口同 し Ⅰ同ロ ひ Ⅰきにあちなる 所 多し 本鈴 とぃふ 物をに M締ち 口口 旧u n同ロ ハ周口 たくる如し ハ周ロ ハ周u おもひか Lらぬ山のさしもくさ誰かいふほ きつ のけ さき とや し 河海の細流をいとうす故に能大なるかたち有 山 さ査 んざ 肉し 不遠慮にさしてし ハロ同一口 紅舌 をなめ か L6 時には ちさ て 魚をを た入けほ骨 やはら き高菜の葉に包てか めば銭もく 嵩る,も尤成べし ハ同し Ⅰ同 u ハ回u 自世に風雅をし ㈹ 山査肉 を入 魚 のやはら き菖 菜の葉に包てかめは銭も ち く たをいとはす故に大なる形ち 有り ㈲河海は細き流をいとはす故に大なるかたちをあらは 本ノマ、 化法力をたのみけるこそとふとけれ 円周 口 ハ周口 ハさしもく きu ロ同ロ ハ物の名もロ ㈹思ひかⅠ ら ね山のさし とさ たれ ば伊吹の里ほつけし そ ㈹化法力を頼みけるこそ 友達と両人さる御方 に行ける ハ部通の秘事 口 ハはくち 塞 u Ⅰ盧 女の疑わくし 益吉轄 ひとり女にしてはつかしめを詰 んことをいとひ 男の姿とな り 名を張勝と 云ひ の 初太刀 u ハ 水土の性質し Ⅰ同 u ㈱︵ 此章 なし。一丁令空白︶ ㈱ 友 たちと 去 おっきの事にゆき ける ひ日娘 ㈹かの花書 聴 ひとり女にして 0 名を張勝とい nあの 娘 ばり 二一 Ⅰ 快回とぃふ ものともは め 筈 ㈹ 余か友 たち 睡ゆ睦 0 国あり 見 日新古の物すき ロ 余か 友達に鈴の左の大のといふ者 は 長崎なとにて見れ ば ことのふ唐人も好なる物なり使用 一覧にも 肴 ㈹長崎なとにて見れ ば ことな ふ唐人もすき成もの地文 かるたば 牌 子といひて日本とあまりち か ひな、さものなり︵中略︶ 日 本にて 口むかし西施と u ハ骨子は u あり 又︵ か﹁ るたは:・吉田圭 朴二道四六一字Ⅱ一丁 分 あり︶ 一覧といふ 所 まて五六行の間見えす西行空白- 使用一覧 にも 貴 用 るとほ ちかひ あるといひしなり吉田圭朴 二行茜 - 此 下使用 0% ㈹地女はきたなくてはかなは ね は っ のつもりに 本ノマ、 地 女 一木二四人一本ニ二人 ㈱ 千 三人まてもちて ㈱色はさはるに煩悩とやら い ハ回u 庇 くたり よめす約十字分-一讐は 一旦 ハ回口 へは %分別の出たかるも のなれとも ㈹夫婦となりてもにのもしからす 子 二人まて 持 へしに 四O ハ同し とも ハ回口 コ回u 色はさはるに煩しとやら云は分別もなくかかり合し物 なる へけれ 夫婦と成ても頼もしからす % 台 は 一旦惚れて ハ周口 重科の 星と云る者 日本堤のなにしおふ往きのしけき人の目をいとひ Ⅰ由 Ⅲ叩 u ハ回ロ ほれて ㈹ 00 の 星瑳 といへるもの ㈹にほん堤の名にししいの木のしけき人の口をいとひ 口口川口 本から 其 秘術 一萬雨は女郎の眞貫手 つめの 三個 一をは 個 落字触 ㈲一二個 一0 をは ハ回口 本ノマ ㈹ 一萬騎は愚眞 貫手 つ めの 自同u 一足の向きよ ふ に さやかにも見しかさしれとも 葛稚 Ⅲ ハ重よし物語に u 形ち 牛の如し 全 惜は 是によりて 自同u 昔草 懸 に大なる最有 ハ握革 か 博物志 ロ ハ回目 ㈲ 本かう そかの秘術 ツ子肋 ㈹一足の向よふにて ㈹さやにも見しかけⅠらなく よ矧 ハ回u ㈲是にとりて ハ回口 目白雨脚 ハ草木 向同 本ノマ ㈹ 昔 00 に大なる 鼠 あり 海裳は 東国 に多し 杜若をかきつはたと ︵止草文末︶目元口元悪く初五ふとしき生れならば 或は鼠に 陰 れし虔には ㈱ -空白-のことく 全彊は 威に 喰 れし所には 自同ロ き 生れなら ハ回ロ ㈱ 或は鼠 か人なとを 喰 ひそむるとほなれぬもの也 とい ふ 秘法あり ㈲︵ 此草文末︶目もと ロ もとあしく 物 いひふと 脱文 ナル @ヱ 仁 橡の木は u ハ甲斐には u u同 ハ周 u un同 u ハ回 u り n回 Uロ口口 説 の か根 u u 何回ロ uハ 同 U U 同説 は庇末 を軸 ㈱杜若のかきつはたと 某也 ㈱海蛍 は 東国 に多し 同甲斐 u同 ハ回 の ハ て 酒をつくる / ︶ く若 しと見えたり にては是に 酉 揚雄 姐に 酒を造る 口同ロ ハ回u 八女郎 買て u 女郎と地口を云 タし實 山寺の明堂比丘に 逢て 聞けれは明堂の 一 所に入へし化物よく香しく芳しくとも 見 へたり マナ ・Ⅰ ㈹四場 雑姐 に見えしは一名馬判文黒水晶ともい ふ 天竺 實 なりてこと ㈱此ものよく 書 しからんと思はふ 慶 香の皮のうちに ふ 明 も 賈 山寺のめ いとう比丘に 逢て 聞けれはめいとうの ㈱女郎と地口をい 本ノで 、 ㈱ ゆ ふし 日周U n同 U n 女郎に買 る Ⅰ口 cM出 ﹁生駒山の再 口同U 銭糧﹂︶ 此薬を飲て仙す故に 口過し比主人の口 門司口 n同氏 本ノマ、 ㈱ 此 % を 呑て仙す 故に 疽痕馴芯勘助柿抑に村れは ︵前出﹁草木の論﹂︶ ︵前出 ハ 墨水秘事阿字 習ピ 口回口 川口 花の盛に開く:心して見れは面白からすⅡ 同口 是等の俗築を見るもうし 一本にて教 三一ほてと三草あり 呉天宮 か 此君 墨 よし 口Ⅲ @同日 ︵前出口木芙蓉の花 ロ ハ%口 二別出ロピイ ド ロご ︵前出口書のまなび こ n同し 江戸にて玉杯 と 云もの 有 森田出羽 と 云る 墨を商ふもの奈良にあり 金か 十五歳の時 何回U 俗説に硝子と 云 世間にて精米にて 朝汲て 水は井 ならは ハ ひいとろ 口 口 繕は唐檜を口 0 回口 墨は李 庭桂か口 ハ 口Ⅲ @用口 Ⅱ間口 はしからす 口 花も草も口 ﹁口川 回口 に・ 至 つし ㈲温痕 につくれ ば ㈱これらの 俗 00O00 ㈹一本ユ て かす 本ノで 、 ㈹ 三ほくといふきあり 本ノマ ㈲呉天 常か 比重よし /1 くみて ㈱江戸にて 遣升 といふものあり 余か 十五才の時 折 なくはイ ㈱水は新しく 朝 ㈹ 000 精米にて ハ目口 円円 月草芳譜 に日 に前後不明の一丁があるが、既に㈹に示し 辛, ︶ ㎜︵比重再出︶ ㎜硝子俗話に硝子といふ ㎜︵最終了 四 以上によって藤井本・中川本 と、 次のようである。 ㈹上下二冊の分冊の位置を異にすること㈲・㈱参照。 ㊧草の配列に異同があること % . ム ・力 ・ 6u ,射 ・杓 ・㈱・㈲ ㈲藤井本に二章を趺き、一章を重出すること㈹・㈱・㎜。 ㈹藤井本に脱文一丁が終了 に あること㈲・㎜。 ㈲中川本に大本一丁分の脱落 が二箇所あること㈱・㈹。 ㈹約一行方脱落と見られるもの。 ・は・㎎ 別, ・ 四・ ロ・ 繋・㈹・㈹ の藤井本石箇所、字数 各為 ㊥中川本 セ 箇所、字数 各お にて示すもの ㈹・㈹・ ド ・0.6 ㈲藤井本に 00 ㈹中川本に 虫喰と 記すもの㈲ ㈹両者の甚だしい異文㈹・㈹ 以上のほか、 四二 ㈲両者に共通の脱文と見られるもの㈲・㈱・㈹・㈹ 注意される。 ㈹㊥・㈹ 頃 においてはは藤井木が遥かに勝れている。中川本において推す せ さるをえないものである。残る七項の中、㈹・㈱ の 五項は 、こ 乙では判定を保 おいては藤井水を 、夫々推すべきことは明らかであろ , ら 言えば、㈲・㈲・㈹①・㊨においては中川本を、 ㈲ しかし、上記 各條は ついて検討すると、判定の比較的容易なもの 考えることも甚だ困難である。 られる。またその一を以て他の粉本︵または粉本に準ずるもの︶ に封 してより善本であるということの、決して容易でないことが これらによって、藤井・中川市本 の 債 値を考えると、 そ の 一な、 が か に 留 の二 0 項 ㈲・㈹・㈹・㈹・㈹・㈲・㈱ ,㈲・㈹・㈹ 留る とが、注目せられるのである。落丁・脱文を一膳別にして考える ㈱に べきもの の項において、判定を保留すべきものを除き、藤井本に 推すべ 、さ 異は 極めて僅かであるが、㈹にとり 牽げなかつた 五 0 頃 に及ぶ 多 きものは、㈹・㈱ ,㈹の三項にとどまるであろう。 尤 も、 右の 差 べ 四 く も ㈹ は こ 五 有力な根 櫨が 見出されるわけでほない。しかし、甲種木の書誌を一 と注 も記 に、その 賀 するとき、その 艮斗 尾木, 封橋堂本、小中村本の三 本 には何れに 井本にみえる 本﹁ ノマ﹂ 、またはこれに準ずと る る高 L こい 号 も り * づ 目の るがあ も、その下巻 初下 表 に ﹁玉桂﹂の二字が墨書せられて いることが 注 本文の信頼性は、中川水に比して遥かに も 着 されるのである。この二字は極めて些細なものである 。しかし、 をえない。 その二字をもつ夫々の農水を繕くとき、それは元来 木 書 のこの位置 の原 に乏しい。しかし、㈹につう いる てこ 言と いほ、水 書形が上下 に備わっていたことを 殆 んど疑わせないのである。 こ のことから、 二冊と考えられる、 場暇 合 りに にその上下の内ぼ 容等 をし ほい分量 藤井本・ 國倉木・神官文庫太にねいては、それが些細 であるゆえに であったとして、藤井・中川二木の何れ か合 かす ら万 、これ見落されたものと言わなければならない。このことが認められるな に適 る を選ぶべきことが考えられる。章の配列口 は部 、的 勿必 論然 そ性 の らば、それは大書の下巻の冒頭に対して示された著者の署名を意味 する以外の何ものでもな・い、 と 言ってよいのではなかろ うか 。 によって考えなければならないが、本書殊 はに 随水 筆の 書 であり、 場合、それ 殆が んど期待しえない状況にあか る かた るめ 万、 法も顧 藤井本︵甲種本︶下巻の冒頭は、﹁奈良の町に若草とい, っ女皇を女 みられてよいであろう。 4 ロこ 、の 中場 川本は各 敦丁字 付数英一定 肩 にせし 男有 ﹂の一文で始つている。﹁玉桂﹂の二字は、この一文 し、書誌に明らかな 丁敦 如は く下巻において上 遥巻 かを に凌ぐもの の右下に小さく墨書するものである。この一文 は つい て中川本をみ 数多 をく 見の るが、 ると、それは下巻第九﹁自然の妙﹂と章 題を置く章の 中途に位置し がある。こ封 れし にて藤井本は、下巻によ丁 り 行敦の多い貼を考慮するとき、上下ぼ は 上巻に 同量 等的 のに もほ の ている。しかも、その位置からこの章の内容は二分されるのであ っ て、このことからも分冊の位置は、中川水のそれが首 肯し 難いこと となっ、 て少くとも上記した主旨には適合な する る。 こ但 と 、 し と さ事があ は明らかであると 后ぅ 。これらについて、やや参照 す ぺ、記 なは い言 。 これがなお検討を要する問題であ うる まこ でと も る。 編成の問題 、は ㈹の問題とも開達することす で であ にる も 掲。 れ と舌 口 Ⅰる。 まづ佛詣師に桃青、書工に一 蝶、傾城屋なれども夏蔦 屋 の蘭州 たように、水書は凡そ大木二冊であったと考 えつ ら十 れ 公差 能書 など 風流 の士とい ひ てよし。士にも柳澤 植 大夫 捌刊輔簗 も、この分冊の位置については 中Ⅲ 、二 藤木 井の ・何 れかに 極はめ て 四二一 どは人の知りたる放蕩大なれども、里方風流名士と栴 すべし。 故 百て一年 ︵中略︶勢州にほ好事の士多し。四日市の問屋西村荘右衛門、 本ノマ、 表徳馬首とて、文才も有 て 物にかしりなる男なり。 千を 混 みて京都へ来り、暫時交を結びし享有き。友人美樹が門 大 なり。渠が柳澤 植 大夫の書れし 猫寝 といふものを所持 面白くかきし物なり。今も持 届けるかしらず。英中に ろの事有り。始は青懐中の事にてかき出し、中にほ様 々の雅談 ども 有。長崎の道楽がいひしは、我が十三よりの串間 を、かほ 々 ぬ 内明も貝 え いか若のの ぅで草 京蔵 ふ 事も 有りし と さ し 談 」 ゆき女郎の帯とならば取換 べしといひしなどが に ら 氏 ら おぼの。 南郭の事をば小爪 と有 。 但徐 先生の事も引こ なして 惣 州 に 夫 ち 右衛門がかくいひしなど 有。先輩と見へたり。揚屋町 尾張 星 な し 必 ず に どいまだ 盛 なりし時の事ども有り︵平秩東作﹁幸野茗 談 ﹂天明 と て 愛 一 茗 年間 成 ︶。 た ) とは 用は長きに失するが、右に ょれば東作の見た四日市 酉村民所持の ( は に っ。これは 仲 し な ま 本は 、﹁始は青 棲 中の事にてかき出し﹂てあったとい, あ 伺 良の町 文の冒頭﹁ 青檸の夜のあかりかⅠやき:・﹂の下りに他ならない 房 た さ 明 思われる。道楽の記事 は藤井本に抜れば上巻四丁 裏 ︵中川本では 若一一丁 裏 、南部については か 八の文字はないが、 下 五一オ︵ 下 五 9 ︶﹁胴元喬 かい ふには:二を指するのであろう。 惣 右衛門の は了 @四 ウ ︵下 四 -ゥ ︶・千三 0 ウ ︵了一0 四 9︶、揚 尾灯尾張星 人 了一 、 (下ゥ は現 の 存 七 二 下分冊 するも 五 工 オ 市 九 な の 加 」「幸野 茗談 た し と 西村、 -一 事 云 具 る 世 つ を 分 り 随 ㈱ よ 6 い と Ⅰ こ 一 仰 女 」 随 生 る て っ あ こ と と 云 北 の に と か で の る 右 8 @% ら す 容 一 更 に 盾 別 序 と 上 名 引く道楽の記事であった、というのも甚だいぶかしい。これは、 右の著述が随筆﹁ひとりね﹂を指すことは言うまでもない。循来の ︵ 南Ⅲ上長﹁閑散鉄鉱﹂明和セ緒言巳 を若し全面的に信ずるならぱ、現存諸本は仲宣の見た ものとは、 市を経なければならない。このことからも、彼の見た 一本が西村庄 現存諸本に見出される一眼振に従って、仲宣の言う虔 は、上記し 右衛門所持の一本であったことは、疑いえないと思う ある。 に償するものであるからである。 南西村氏所持の一木が、本書の流布の経路を考える場ム 口、日取ら注 以上に柳か長文の引用を敢てしたのは他でもない、こ こにいう四 ないのであって、それは紛れもなく西村氏に婦した一木に櫨 つたも かかる時期に、随筆﹁ひとりね﹂が廣く流布していたとは考えられ 話﹂三巻を選定して、二巻となしたものと緒言にいう。とすれば、 筆 のものであったか否かは、なお定かでない。また、以上によって 自 のと考えられるのである。但し、上記の西村氏所持の 一本が著者 た。のみならず、藩侯柳澤古里の﹁祠尋望年録﹂には、四日市問 水書の形態,内容・編成が渥然としたわけでもない。平秩東作の 一 つたであろうことは、十分想像されるところである。加藤美樹の るが、しかし以上によって、本書は誠に久しく西村氏の秘蔵すると ではないかと推測されないでもなく、その他様々の推測も可能であ 大 であったという西村庄右衛門馬曹は、この次の代であったと思 れるが、随筆﹁ひとりね﹂は、恐らく何らかの経緯で彼の手に婦 四五 つ。 するものでほなかつたか、という推測が許されると思, 俊二冊、分冊従って編成についても、それは凡そ現存甲種本に相嘗 ころであったこと、東作・仲宣の記述を封臆して、木書は恐らく前 野ノ俗語多 カリ シトナン郡山ノ柳澤権太夫 ノ著述二見 0征来は穂洲ニテ田夫野人 ノ中 ニ畏りシユヘ平生 ノ言語 二モ部 たものであろうと考えられる。次の如き記事がある。 見したあと田宮仲宣の目に価れる迄に、本書は大幅に割れていたの 西村庄右衛門の名が見えて︵享保十二年二月︶、洪園 とも交渉を かつて四日市は、柳澤浜園の属した郡山椿柳澤侯 の所領 の一であ 散徐録﹂二巻は、賢暦末11明和初年の十年の間に成 つた ﹁金漢雑 殊に、﹁ 閑 藤井木の下巻冒頭を指すのではないか、と考えぎるをえないよう 維遷、金蹊と號 した勢州菰野藩の丈畢 である。菰野に 到るには四日 記事の所在は、既に記したところである。土兵は能否美の門人、名 は、年代的により信暉性の高い﹁幸野客談 ﹂の記事に従って、ま 成 において全く趣を異にすると考えざるを得ないが、し かしここ 存諸本にょれば前記のとおり、上巻初頭の記事に属する。この記 も 編 述 現 で た た 日 で 日 つ 屋 も 門 し ・わ 四ハ 文回復の不可能のものは㈹㈱の 二鮎に 絞られる。しか し、それがた 藤 井本・中川本 とい 二鮎 にもせよ、決して 郵覗 しえないものであるこ とは舌ロ ぅま 弔し きない。すでに述べたところにも知られるように、 よ 最後に、前項に 綺 れえなかった 、 0% ほ ついて検討しなければならない。㈲・㈲・㈹・㈱ れていたかも知れないのである。それが西村氏所持の 一木であるか でなく、更にその粉本の櫨つたであろう未 丈にも、 そ れは既に失わ つた夫々の粉、 本既 ににそれは失われていたと考,んられるだけ ㈲藤井本・中川本に共通の脱文とみられるもの ㈱の八項について、再び対照表を参照する。 著者自筆の原木に相 嘗 するものであるかは、 ないのである。しかしこの臥 脱が 、果して原本の完成 までを疑 うに いが、この 訣脱 乃至損傷の源をその間に求めえないとは 、 豫断 しえ ム﹁少し明 らかにしえな ㈹藤井本に見える一行半の空白を、粉本に忠賞な表記 として採録し たが、文意 は必ずしも不明ではなく、革に粉本の表記 を 忠賢 に襲 済 むものかも 足りるものとは、必ずしも考えられない。そのために う に過ぎないものとして、脱文と考えずに ㈹軍に 虫損 等によって生じたものと見られる。 分の資格をもたないであろう。㈱の畝 脱を唯一の 根櫨 として、これ 以上によって、本書は著者の手によって一億完成の域 に 達してい を主張することも困難であると言わなければならない。 ㈹藤井・中川市木を合せ考えて、文意はたどりうるも ののよ,っであ る。 ㈱藤井本﹁ 本ノマ、 ﹂とあり、中川本手 付 空白である が、ほぼ文意 ㈹両者 封臆 しても、原文の回復は 不可能である。 てして、その原文の回復が必ずしも不可能であるとは思われない。 稿 には結論を保留 せ、 @J るをえなかつたものも多いが、 た、と 言って差し支えないかも知れない。他の諸難 に 閲しては、 本 ㈹中川本は文章連 績するが、脱文があるよう である。 期待 は 更に より善本の出現に寄せられるが、その 殆ん ど 望みえない はたどり ぅ るものである。 ㈱脱文ありと考えられる。 ことは、すでに以上に明らかのよう である。 ㈲㈹は、ほぼ同程度の性質のものであるが、なお疑問 の残るものと たものがなかつたのみでなく、首尾を整えて完成され た姿をとどめ 柳澤 演 園の著述は、木棉初頭に述べたように、一とし て 上梓きれ 現 存 話本を 以 以上の中、㈹㈲㈱の 三鮎は 、比較的原文回復の容易な 領域にある。 こ こで明瞭に 原 しなければならない。保留すべきものを除くとき、 ている 40 のも、また存在しなかつた。こ年 の期 場の 合随 、筆 彼の青 あったが、 ﹁ひとりね﹂が、その最後の期待をつなぐに足るもので 結果はほぼ以上のよう である。 水書が、柳澤洪園の随筆中の第一に推すべきものであることは勿 近世随筆中の白眉とも、抜群の随筆とも裕する観貼とを顧みる とき、以上組々不手際を重ねた手績きも、全く無意義 0所業ではな いと者える。本稿の課題から外した成立・内容・作品論は ついては 別に試みる機曾 があると思う。 ほかに樋口 ︵備考︶随筆﹁ひとりね﹂のテキストとして、上記した 本昭和 博編 のもの︵二0頁 ・明治四十年刊︶、水木直笛匠校定 三一十二年四月近世庶民文化研究所 刊︶の押鮎がある。前者は抄 本にすぎない。後者は、小中村本を底本とし、藤井本 中川本 を適宜採用して通讃の便を計ったものである。原文回倶 に参照 すべき一木である。但し、本稿にほ混乱を避けて、共 に褐れな かつに。 本稿にとりあげた諸本の閲覧について、國曾国書館、日比谷圃 書館、早稲田大聖国書館、東北大軍国書館、内閣文庫、㎜宮女 庫、朝倉治彦氏、水木直箭氏、神保二%氏 のお世話になりまし た。末尾乍ら、記して謝意を表する次第です。 四七
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