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反中国表象批判の限界―2005 年の反日デモの事例から―
要約
本論は現代日本社会における反中国的なまなざしによって作られる中国観を反中国表象
(以下、反中表象)
、そのように中国を認識することに批判的な論者をポストコロニアル中
国表象の立場と呼び、ポストコロニアル中国表象による反中表象への批判を考察し、その
批判の限界と原因を議論した。
序章では本論で使用する言葉の定義と問題意識を議論した。現代中国の著しい経済成長
とともに、日本から中国を訪ねる旅行者の増加や留学などの交流も盛んになったと言われ
る中、ポストコロニアル中国表象の立場は、それでもなお日本において中国社会に関する
理解が進んでいるとは言い難く、そこにある中国社会への一定の見方の存在を指摘する。
ポストコロニアル中国表象の立場によると、中国認識に関するこのような日本の状況は
世論調査にも表れる。内閣府の外交に関する世論調査でも中国に対する親近感について約 8
割が「親しみを感じない(
「親しみを感じない」と「どちらかというと親しみを感じない」
の小計)
」と回答している。また、日本の民間団体「言論 NPO」と中国の英字新聞「中国
日報社(チャイナ・デイリー)
」が行った日中共同世論調査でも日本の中国に対する印象は
約 9 割が「良くない印象を持っている/どちらかといえばよくない印象を持っている」と
回答している1。ポストコロニアル中国表象の立場によるとこれらのデータが包含すること
は、今日の日本社会において中国に関する表象の偏りが激しいということである。本論で
は現代日本社会における中国イメージの偏りを戦後日本社会のポストコロニアルの問題の
一つと認識し、同様の立場である反中表象を批判する論者の議論を研究対象とする。具体
的には本論は、ポストコロニアル中国表象による反中表象への批判とその限界を検討し、
その限界の原因を考察することが目的である。
本論の研究対象である反中表象を批判する論者を「ポストコロニアル中国表象の立場」
と呼ぶ。この立場は現代日本社会において中国社会に関するイメージの偏りの状況を批判
する。また、ポストコロニアル中国表象の立場は、多岐にわたる反中表象の中でも「冷戦
イデオロギーの視点」による中国社会表象を批判する。冷戦イデオロギーの視点とは、日
本の近代の基準で中国社会を捉え、中国を非民主主義の国・人権と言論の自由の無い社会
として表象する視点である。本論は反中表象をこの冷戦イデオロギーの視点に限定する。
なぜならばそこに日本のポストコロニアルの問題が内包されているからである。冷戦イデ
オロギーの視点から作られた中国表象には植民地主義の基盤をなす文明/野蛮という二項
対立的な認識およびそれに基づく日本の中国への優越感がある。この意味は、日本の植民
1
これらのデータは本論の第 3 章に記載している。
1
地主義時代の価値観が今日にも再生産されているということであり、冷戦イデオロギーの
視点による反中表象がポストコロニアル状況の一つであるということだ。
冷戦イデオロギーの視点が作る中国表象に批判的な立場を「ポストコロニアル中国表象
の立場」としたのは、ポストコロニアルの持つ意味に深くかかわる。ポストコロニアル中
国表象の立場は、植民地主義の文明/野蛮という二項対立の認識による日本の中国に対す
る優越感に対して批判的な立場を表明する。そのような彼らが日本社会の現状に対して実
践することは、日本のポストコロニアル研究と同様に、
(植民地主義の認識を継ぐ冷戦イデ
オロギーの視点による)中国表象に対して中国を見る「視点をずらす2」というオルタナテ
ィブの中国表象を出すことである。しかし本論ではこの実践を問題化する。
オルタナティブを出すという実践の問題点は、ポストコロニアル中国表象の立場の反中
表象への批判が、ポストコロニアル理論が批判する二項対立の認識を作っていることであ
る。ポストコロニアル理論は今日にも残る植民地主義の価値観である文明/野蛮や支配/
被支配という序列を基盤にした二項対立的に他者を認識することを批判する。そしてその
価値観が作る思考的・認識的な二項対立の解体を目指す理論として日本に入ってきた。そ
れにもかかわらず、日本のポストコロニアル研究及びポストコロニアル中国表象の立場は
批判対象との間に二項対立の認識を作るのである。そして二項対立的な認識からの批判的
議論は批判対象に届く声にならない。この意味で彼らの議論の仕方は問題となる。本論は
この状況を「too much 状況」とした上で、ポストコロニアル中国表象の立場の人々が「too
much 状況」を作り反中表象への接続の可能性を薄めてしまう二項対立の議論をなぜしてし
まうのか、そのメカニズムを考察する。
第 1 章では日本のポストコロニアルの問題を取り扱う研究者がどのようにポストコロニ
アル理論を理解しているのかを考察した。彼らによると、植民地主義が二者間を文明/野
蛮、植民者/被植民者、西洋/非西洋といった一方の優位を前提にした二項対立の関係で
捉えてきたのに対し、ポストコロニアル研究は、植民地主義はむしろ両者の相互影響の過
程であったと捉える。ポストコロニアル研究は文明/野蛮、西洋/非西洋といった植民地
主義の価値観に見られるような二項対立的な認識の解体を目指す研究であった。
1960、70 年代前後に多くの植民地は脱植民地化の流れを経て独立を果たした。しかし、
それらの諸国は独立後に政治・経済・社会・文化面など様々な問題に直面した。そしてこ
れらの諸問題が植民地主義の過去と繋がっており、そのことを考慮せずには諸問題を取り
扱えないこと、また、支配と被支配の構造が形を変えて未だに再生産されているという問
題をポストコロニアル研究は指摘する。よって、独立を果たした諸国が独立後に直面する
植民地主義の過去が発端の諸問題、例えば、民族紛争、貧困、移民など従来の枠組では説
明できない現象をポストコロニアル研究は扱う。加えて、西洋の価値観の「真正性」を問
うこともポストコロニアル研究は重視する。西洋文学に対して旧植民地出身の作家や文学
2
第 2 章第 8 節にて説明。
2
者たちが、一元化しえない現実の「雑種性」を提言しそれがキャノン(正典)と呼ばれた
支配的な文学作品の真正性を問うこととなった。この西洋文学批判の視点がポストコロニ
アル研究において西洋中心思考への批判と雑種性の評価へ繋がった。また、植民地主義後
の世界の構造の出現は、それらを認識する新しい枠組の必要性を訴えた。このような文脈
から、植民地主義を文明から野蛮、西洋から非西洋、植民者から被植民者への一方的な働
きかけとすることが疑問視され、両者の相互作用の過程が評価された。ポストコロニアル
研究は二項対立的な認識の解体を試みるのである。日本にポストコロニアル研究が紹介さ
れた際には、ポストコロニアル研究は以上のような二項対立の認識への批判の理論として
入ってきた。
第 2 章では日本のポストコロニアル研究論を検討した。日本のポストコロニアル研究の
定義を概観すると、大日本帝国時代から続く植民地主義の価値観が、日本の知的活動と社
会活動において再生産されていることを考察し批判する研究であると言える。特に日本の
ポストコロニアル研究の文脈で重要となるのは、日本社会の様々な分野に植民地主義の価
値観の存続というポストコロニアルの問題が「ある」ことを証明し、その存在を批判する
ことである。また、日本の「ポストコロニアル」の時期は、多くの日本のポストコロニア
ル研究が戦後の日本社会における植民地主義の残存を問題としていることからもわかるよ
うに、1945 年の日本の敗戦・終戦以降である。そして、実際に今日の日本社会が直面する
ポストコロニアルの状況を「学術的な検証の対象」とし問題化したのは 1990 年代である。
それは、第二次世界大戦後すぐに冷戦構造に巻き込まれたアジアの社会情勢という背景に
関係する。アメリカの冷戦戦略と日本の「経済協力」がアジア諸国の開発独裁型政権を支
え続けたことで、アジアの国々は日本の植民地主義の記憶を語れるような状況にいなかっ
たのである。そして、1980 年代にアジア諸国の民主化が進む中、やっと戦時中や戦後に起
こった抑圧や暴力を語ることができるようになった。また、日本においても 1990 年代に戦
後補償請求や強制連行の被害者たちの登場など被害者の声が上がった時期でもあった。こ
のような社会的背景により他の旧帝国とは異なり、日本社会は 1990 年代になりようやくポ
ストコロニアルの問題に直面したのである。
前章で考察したような批判の意味を持つポストコロニアル研究であるが、実際に日本の
ポストコロニアルに関する問題の議論では、まず、日本に植民地主義の価値観が未だに「あ
る」ということを議論することから始めなければならなかった。なぜならば、日本は戦争
に負けたことにより植民地を手放したという歴史が、植民地主義とは決別したという認識
を産んだからであると日本のポストコロニアル研究は指摘する。ではどのような社会の側
面が植民地主義の残存(日本のポストコロニアル状況)なのか。日本のポストコロニアル
研究が展開する日本のポストコロニアル状況の議論を見てゆくと、「他者を排除する視点」
を日本社会のポストコロニアルの問題と認識していることがわかる。この「他者を排除す
る視点」は具体的にはアジア蔑視と差別の二つに分けることができる。一つ目の「アジア
3
蔑視」とは現代日本社会にはアジア、特に中国や韓国への、優越感や嫌悪感があり、その
ようなまなざしがますますアジアを「我々」とは異なる「他者」として作り上げてゆくと
いう指摘である。また、そのような態度は他者からの語りかけを無視し過去への反省を促
さないのである。二つ目の「差別」とは、植民地主義時代に作られた制度的そして社会的
差別が未だに継続しており、そのような植民地主義時代の価値観に基づいて作られている
差別は、当時から続く他者を排除する構造を再生産しているとポストコロニアル研究は指
摘する。
他者を排除する視点を再生産する要因は、日本社会における植民地主義の過去とその価
値観の存続への関心の薄さにあると日本のポストコロニアル研究は議論する。また、その
関心の薄さを作っているのは、脱植民地化運動を経験しなかったという日本独特の歴史
的・社会的背景にあるという。このような理由から、日本のポストコロニアル研究では、
ポストコロニアルの日本社会における植民地主義の問題を議論する際に、植民地主義の過
去と今日の歴史的連続性を強調し、我々が植民地主義の加害者であるという共通認識を作
ることを試みる。それは、
「視点をずらして」相手の苦痛を理解しよう、というものになる。
「視点ずらし」は他者の視点、よって他者の経験を日本社会に取り組み、植民地主義の解
釈を広げ、植民地主義を別の角度から見直し、一国主義的な歴史観や社会観を克服する試
みである。
ところがこの「視点ずらし」がかえって、加害者と被害者の区別を強調し、二項対立を
作ってしまう。ポストコロニアル研究の立場は、日本社会においてアジアへの蔑視や差別
が未だに存在すること、そして、日本社会が植民地主義的価値観を再生産していることに
無頓着ないし参加していることを批判する。よって、批判の声を届けたい相手は「他者」
でもなく、既にポストコロニアル状況を改善すべく活動している人でもない。それは、植
民地主義にかかわる問題を問うていない「我々へ」ということになる。しかし、この実践
が作るのは、加害者の我々が被害者である他者の痛みを理解しなければならないという二
項対立:加害者対被害者という構図である。そして二項対立になることで、自身が「加害
者」だと思っていない人々(例えば、植民地主義的価値観を再生産していることに無頓着
な人々)にとっては理不尽な主張になる。
日本のポストコロニアル研究が経験する「届けたい相手に届いていない状況」を上野の
議論で説明することができる。上野は「加害者」や「マジョリティ」としての反省のみが
日本のポストコロニアル研究の課題となっていることを指摘し、加害者と被害者というく
くりで語られることに対してポストコロニアル研究が持つ可能性を活かしきれていないの
ではないかと問う。上野は旧ユーゴスラビア、セルビア、クロアチアの民族浄化に対する
国際法廷の例を出し、戦争責任や戦争犯罪という問題に関して「加害者」と「被害者」が
誰なのかを問うことを「つねに追求していくのは、ときに行き過ぎ(too much)」になり、
4
対立状況を深めてしまうと議論する3。上野にとってポストコロニアル研究は加害者・被害
者という立場で対立的に語るものではなく、起きてしまった過去への大いなる反省と再発
防止と共に、加害者と被害者、そしてその周りの人々の「様々な接続の可能性」4を模索す
るものなのである。このように、上野は二項対立になった際にどちらの味方なのかと立場
の明確性を求めるやり方について疑問を呈している。同様に、日本のポストコロニアル研
究の状況は、日本側が「加害者」であることを「言い過ぎる」ことにより「加害者」であ
ることを受け止めない人々がポストコロニアルの議論から撤退し、
「加害者」側と「被害者」
側の接点を失ってしまうのである。つまり、加害者と被害者の「二項対立」から「too much
状況」が発生するのである。
ポストコロニアル理論は二項対立の解体を目指すものとして日本に紹介された。しかし
この章では、日本におけるポストコロニアル研究は二項対立を作る議論になっていること
を明らかにした。
第 3 章では日本のポストコロニアル研究においてポストコロニアル理論の問題意識を持
つ多くの研究分野の中から、考察対象を中国言説を取り扱う議論に絞った。特に中国で起
きた事象が日本で解釈される際の内容の偏りに異論を唱える議論に焦点を当て、それらを
「ポストコロニアル中国表象の立場」と呼び考察した。ポストコロニアル中国表象の立場
は日本に広まっている反中言説の問題を日本のポストコロニアル研究と同じ問題意識―植
民地主義の価値観が残っているという問題意識―から問題化し、また、同様の実践―視点
をずらしその他の側面を見せるという実践―をしている。
ポストコロニアル中国表象の立場は多岐に渡る反中言説の中でも特に、
「冷戦イデオロギ
ーの視点」による中国の社会理解を批判する。冷戦イデオロギーの視点とは、言論の自由
の抑圧や人権問題から中国を分析することであり、中国の社会は豊かになったが独裁社会
で、言論の自由と民主主義が無いと中国を評価する価値観である5。つまり、日本の価値観
から見て現れた日中の「差異」が、
「遅れている」中国や中国社会に対し優越感を持つ理由
となっているのである。冷戦イデオロギーの視点は植民地主義と別のもののように見える
が、アジアが冷戦構造に巻き込まれたこと、そしてその構造のもと日本の高度成長があっ
たことなど植民地主義と冷戦は切り離せない関係にある。加えて、日本のポストコロニア
ル研究も、日本のポストコロニアル状況を再生産する要因として冷戦構造を挙げているこ
とから冷戦はポストコロニアルの問題であるといえる。
3
上野俊哉.
(2002 年 6 月)
.
「ポストコロニアルとは何か?」.
『情況〔第三期〕』、3(5)、30-36.
p. 31-32 を参照。
4
(上野 2002、35)
。
5
孫歌.
(2010 年 10 月)
.
「冷戦イデオロギーと中国認識」.『立命館国際地域研究』、32、
35-41.p. 36 を参照。
5
ポストコロニアル中国表象の立場は、日本の「近代」の理解という日本社会のものさし
で中国社会を理解しようとするやり方は中国理解に即さないと考える。まず、ポストコロ
ニアル中国表象の立場は日本と中国が同じ認識を共有していない例を出し、冷戦イデオロ
ギーの視点という日本の近代の基準で中国社会を「測る」ことに異議を唱える。日本の基
準と中国の基準に大きなズレがあることを指摘するポストコロニアル中国表象の立場は、
現代社会においても日中が異なる「近代」を持つ社会であることを論じるのである。
その際に、どのように多様な側面を持つ中国社会の「現実」を描くことができるのか、
一方を描くと他方が描かれない、何を拾い何を捨てるのか、という「語り口」の議論を行
う。この「語り口」の議論から言えることは、今日中国社会を見る「語り口」が少なくと
も 2 つ存在する:民主化、人権、言論の自由といった日本の近代の理解を基準とする冷戦
イデオロギーの視点からの「語り口」と、ポストコロニアル中国表象の立場が提案する中
国独自の民主性、人権、言論の自由という「語り口」である。前者の語り口から見ると中
国は民主化されていない遅れている国となり、後者の語り口から見ると中国には中国なり
の民主化がある、と言えることになる。
次に、ポストコロニアル中国表象の立場は上述したような冷戦イデオロギーの視点に対
して、その他の中国表象を提示し、
「政府に抑圧されている市民・人権の無い国・非民主的」
....
ではない中国の側面を実際に見せ、中国の多様性を議論する。例えばポストコロニアル中
国表象の立場は、2008 年に起こった四川大地震では市民たちが政府に抑圧されているばか
りでなくむしろ政府に圧力をかける存在であり、腐敗や格差の問題への挑戦している様を
提示する。日本社会にあふれる中国言説が冷戦イデオロギーの視点に収斂されていること
に批判的なポストコロニアル中国表象の立場は、代わりにその視点からでは見えない複雑
で多様な中国社会の側面を提示するのである。
しかし、反中表象に対しその他の側面というオルタナティブの表象を提示するポストコ
ロニアル中国表象の立場の議論の仕方は、二項対立の議論を作る。ポストコロニアル中国
表象の立場の批判の仕方をまとめると、日本の基準を使い優劣の関係を作る冷戦イデオロ
ギーの視点に対して、そのような中国解釈は今日の複雑な中国社会を理解するのに十分で
ないと指摘し、中国の「近代」の基準で見た中国認識を提示する。これにより冷戦イデオ
ロギーの視点以外の中国社会の解釈を試みる。言い換えると、冷戦イデオロギーの視点が
提示する文明/野蛮(
「日本の文明」と「中国の野蛮」、
「日本の近代」と「中国のプレ近代」
)
という図式に対して、ポストコロニアル中国表象の立場は、冷戦イデオロギーの視点では
表象されないその他の中国社会の側面=中国独自の近代を説くことにより、
「日本の近代」
に対して「中国の近代」というオルタナティブを提示したのである。つまり、A という中国
理解に対して、その理解は今日の中国理解に即してないという理由で、B という中国理解を
提示したのである。
しかしこの議論の仕方は、
「冷戦イデオロギーの視点が理解する近代」と「ポストコロニ
アル中国表象の立場が理解する中国独自の近代」という「近代」理解を巡る二項対立的な
6
争いを作る。よってそれぞれが提示する中国表象は対立し合い、両者の議論は「正しい中
国表象」を巡って平行線を描くのである。ポストコロニアル中国表象の立場は、批判対象
である冷戦イデオロギーの視点が出す中国表象が今日の中国社会理解として正しくないこ
とを強調し、代わりに正しい中国表象を提示する。このような議論の仕方は、前章で指摘
した日本のポストコロニアル研究が経験する「too much 状況」と同じ状況を作る。すなわ
ち、間違っていると思っていない人―日本の近代の理解から中国を見る人にとったら冷戦
イデオロギーの視点は順当である―に対して、その見方は間違っていると指摘し代わりに
正しい見方を提示することは、間違っていることを強調する「too much 状況」を生むので
ある。前章で議論したように対立的に問うこの状況は、ポストコロニアル中国表象の立場
がその声を届けインパクトを出したい相手に受け入れられず、接点を作れない議論になる。
このように第 3 章ではポストコロニアル中国表象の立場の議論が二項対立の議論になっ
ていることを考察した。
第 4 章では、日本のポストコロニアル研究が二項対立を解体しようと試みたのにもかか
わらず、二項対立の議論になる問題をピエール・ブルデューの「場」の概念を使い説明し
た。ブルデューによると「場」は正統な権威の独占を「賭け金」とする、さまざまな闘争
の場所である6。
「正統な権威の独占」とは、ある「場」において主流とオルタナティブが「場」
という境界線の定義を巡って争う、という定義の独占のことである7。よって、
「場」の争い
とは、主流とオルタナティブの対立意見間の争いではなく、
「場」の定義それ自体を決める
争いである。言い換えると、
「場」は主流とオルタナティブのどちらが境界線の定義を独占
できるかという定義を巡る争いである。このように「場」の定義を独占するということは、
社会においてある現象や物事の見方を独占することも可能にする。
そして一見対立し合っているように見える主流とオルタナティブであるが、しかし、何
について対立しているのか、というところに両者の意見の一致がある8。ブルデューによれ
6
ブルデュー、ピエール.
(1991b 年).
「場のいくつかの特性」.『社会学の社会学』.(安田
尚、佐藤康行、小松田儀貞、水島和則、加藤眞義、訳)
.pp. 143-153.東京:藤原書店.p.
114 を参照。
7
ブルデューは「場」の権力関係において、権力を独占しているものを「正統」、権力に挑
戦するものを「異端」と呼ぶが、ここで主に使用している「主流」と「オルタナティブ」
も同じ意味で使用している。本論では前章までの流れを汲み、
「主流」と「オルタナティブ」
を「正統」と「異端」の代わりに使用する。
シャン
8
ブルデュー、ピエール.
(2002a 年)
.
「 界 とは何か―政治界について」.
(加藤晴久(編)、
『ピエール・ブルデュー―1930-2002』
(pp. 111-128).東京:藤原書店)
.
p. 116 を参照。
7
ば、
「場」の参加者は主流であれオルタナティブであれ、
「場」それ自体を成立させている
「争うに値することは何か」という点に一致があり、それを当たり前のように受け入れて
いる9。よって参加者は、主流・オルタナティブの立場を問わず闘争状態を再生産すること
に貢献し、賭け金(争点)を暗黙のうちに受け入れているのである10。
「場」における以上の構造が、ポストコロニアル中国表象の立場の冷戦イデオロギーの
視点への議論展開を二項対立的な態度へと導く。冷戦イデオロギーの視点による中国解釈
は今日の中国社会に即してないと指摘し、自身の視点を提示するポストコロニアル中国表
象の立場は、中国社会の解釈を巡り「場」の闘争に参加しているのである。オルタナティ
ブとして「場」に参加することは、既存の力関係を変えようとすることである。日本社会
における中国観において優勢な冷戦イデオロギーの視点に対して、ポストコロニアル中国
表象の立場は挑戦する立場になることから、闘争により既成の力関係を変えること、つま
り現状の反中表象とポストコロニアル中国表象の立場の中国認識の力関係を変え、自身の
ポストコロニアル中国表象の立場の解釈を優勢にすることが目指されている。
「場」においては、冷戦イデオロギーの視点とポストコロニアル中国表象の立場は、異
なる中国社会の解釈を提示するので一見両者は対立しているように見える。しかし「何に
ついて対立しているのか」は一致している。それは、各々が持つ「近代」の理解である。
つまり、
「争うに値すること」は、
「近代の理解」である。挑戦者であるポストコロニアル
中国表象の立場はこの「近代の理解」を争点として当たり前のように受け入れるのである。
よって、ポストコロニアル中国表象の立場の議論は、冷戦イデオロギーの視点の近代理解
による中国社会解釈を排除するという対立的なものになるのである。このような「場」に
参加する議論の仕方は、一方が真理であり他方が誤謬であるということを絶えず主張する
ことになり、冷戦イデオロギーの視点の中国表象を生産する人々、支持する・受け入れる
人々にとって「too much 状況」となる。そして二項対立的な議論によるこのような状況は
両者の接続の可能性を遠ざける。ブルデューの「場」の概念から考察することで、ポスト
コロニアル中国表象の立場が「too much 状況」を作り、冷戦イデオロギーの視点と接続の
ポイントを築くのが困難になる理由が明確になる。
また、本章では事例を分析するための分析枠組も提示した。冷戦イデオロギーの視点の
提示する既存の中国表象に対して、ポストコロニアル中国表象の立場の提示する「他の中
国表象を提示する」議論の仕方になっているか、また、冷戦イデオロギーの視点の中国解
釈を排除する議論の仕方になっているか、のこれら二つがポストコロニアル中国表象の立
場が「場」に参加する議論と言える。つまり、既存の近代理解に対しポストコロニアル中
国表象の立場が「正しい」近代理解の提示をする議論の仕方や、分析はせずに冷戦イデオ
ロギーの視点の近代の理解を否定する議論の仕方は「場」に参加する議論である。次に、
9
10
(ブルデュー1991b、146)
。
同上。
8
中国表象の「場」にとっての賭け金(争点)は「近代の理解」であるから、ポストコロニ
アル中国表象の立場が「近代の理解」を巡って争っている場合は、
「争うに値することは何
か」という点に一致があり、「場」に参加する議論となる。まとめると本論が事例を分析す
る際に留意する点は以下である。
① 論者がポストコロニアル中国表象の立場であるか、そして、冷戦イデオロギーの視点
が提示する中国表象に対してポストコロニアル中国表象の立場の中国表象を提示する
か。
② 冷戦イデオロギーの視点のデモ解釈を排除し自身のデモ解釈を提示する議論の仕方に
なっており、
「オルタナティブを出す」という「その他の(中国の)側面を出す」こと
が「反中表象を批判すること」になっているか。
③ 賭け金(争点)が「近代の理解」となっているか。
④ ①②③に当てはまる事例は「『場』に参加する議論」をしていると言える。
第 5 章では、仮説である「ポストコロニアル中国表象の立場の議論が二項対立になるの
は『場』に参加するからではないか」ということを検証する為に、中国で起こった事象の
解釈について冷戦イデオロギーの視点による中国表象が語られる中、ポストコロニアル中
国表象の立場の議論の仕方を分析する。事例には 2005 年に中国各地で起こった反日デモの
解釈を使用した。
分析をまとめると次のようになる。ポストコロニアル中国表象の立場は今日の中国社会
に即さない枠組からデモを解釈していると指摘し、代わりにオルタナティブである変化す
る中国社会に着目したデモ解釈を提示する。しかし両者の解釈の対立には「何について対
立しているのか」というところに意見の一致がある。この一致とは、
「場」を成立させる「争
うに値することは何か」という点の一致であり、ポストコロニアル中国表象の立場は、そ
れを受け入れることで「場」に参加する。冷戦イデオロギーの視点が提示するデモ解釈の
基盤となる日本側の「近代の理解」に対して、ポストコロニアル中国表象の立場は中国独
自の「近代の理解」からデモ解釈を説明するのである。ここでは「近代の理解」が「争う
に値することは何か」という意見の一致となっていることがわかる。各事例ではこの一致
があることを明確にし、それぞれのポストコロニアル中国表象の立場が既存のデモ解釈に
対し、自身の「近代の理解」の正統性を主張する「『場』に参加する議論」をしていること
を検証した。
事例分析によりポストコロニアル中国表象の立場が「『場』に参加する議論」をしている
ことを確認した。ポストコロニアル中国表象の立場は、2005 年の反日デモにおいて、冷戦
イデオロギーの視点が参照する「近代の理解」からの中国社会解釈に異議を唱え、代わり
に、自身が参照する「近代の理解」からの中国社会解釈を提示する。分析によりそれぞれ
の「近代の理解」からそれぞれのデモ解釈を提示している中で、ポストコロニアル中国表
9
象の立場は自身の「近代の理解」の正統性を巡り中国表象という「場」に参加し闘争して
いることを示した。よって、事例を分析することで明らかにしたことは、ポストコロニア
ル中国表象の立場の議論が「『場』に参加する議論」になっていることである。
本章では「場」に参加する「賭け金(争点)
」を巡る論争的な議論のあり方から、ポスト
コロニアル中国表象の立場の議論が二項対立になることを説明した。
終章では結論と課題を提示した。結論では本論の要約と意義を述べた。
本論が明らかにしたことは、ポストコロニアル中国表象の立場の主張は重要であるにも
かかわらず、二項対立の議論になることでその声を届けたい相手(冷戦イデオロギーの視
点による反中表象を生産する人・支持する人)に届かない―言い換えると、接続の可能性
を作れない―原因を分析したことである。二項対立の議論を展開する原因とは、ポストコ
ロニアル中国表象の立場が「場」に参加する議論をしていたことである。
本論には二つの意義があると考える。一つは、日本のポストコロニアル状況を問う際の
問い方への貢献であり、もう一つは、反中表象批判という研究を発展させる為の貢献であ
る。
一つ目の意義は、日本のポストコロニアル研究が日本のポストコロニアル状況を問う際
の問い方を明確にしたことである。日本のポストコロニアル研究は、
「戦前の帝国主義的な
日本」と「戦後の民主主義的な日本」を別々の存在であるかのように捉える断絶の問題を
指摘する。そしてこの断絶が植民地主義の過去を見えにくくし、日本が脱植民地化と向き
合えない原因を作っていると論じた。本論は、しかし、この断絶の問題を乗り越えるため
に日本のポストコロニアル研究が、加害者と被害者という対立的な軸を作ることを議論し、
そして日本が加害者であることを強調することが日本のポストコロニアルの問題を届けた
い相手に届けられない状況を作ることを「too much 状況(行き過ぎな状況)
」の議論から説
明した。このように、日本のポストコロニアル研究が日本のポストコロニアル状況を問う
際の問い方とその問題を考察したことが本論の一つ目の意義である。
二つ目の意義は、現代日本社会において根強くそして優勢的に存在する反中言説や反中
表象に対しての批判を検討し、その批判の問題点を明確にし、問題点のメカニズムを考察
したことである。まず、問題点とは、反中表象に批判的な立場(ポストコロニアル中国表
象の立場)が反中表象の立場(冷戦イデオロギーの視点)に対して対立的に語ることによ
り「too much 状況」を作り、反中表象への接続の可能性を薄めてしまう議論をしていると
いうことである。そして、このような問題を作るメカニズムを、
「場」の定義を独占し正統
な知識となることを目的とする「場」の概念から説明し、ポストコロニアル中国表象の立
場が「場」に参加する議論をしてしまう原因を明らかにした。このように、ポストコロニ
アル中国表象の立場の問題点とその問題点を作るメカニズムを考察することにより、反中
表象批判という研究の方法論の現状を問い直し、この研究を発展させることが本論の二つ
目の意義である。
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以上のように、まず、日本のポストコロニアル状況を問う際の問い方を明確にしたこと、
さらに、反中表象批判という研究の方法論の現状を問い直し、この研究を発展させるため
に知識の役割を問い直したことが本論の意義であると考える。
本論は二項対立の解体を目指したはずの日本のポストコロニアル研究ないし反中表象批
判が二項対立の議論をしており、それぞれの批判対象にその声が届かず接続の可能性を失
う状況を作っていることを論じた。そしてそのような二項対立の議論を作る原因を考察し
た。その上で本論の課題は「場」に参加しない議論の仕方を提示することである。それは、
賭け金(争点)を受け入れるのではなく「問う」ことだと考える。つまり、冷戦イデオロ
ギーの視点にとって近代という賭け金(争点)がどういう意味を持つのかを明確にし、彼
らが依拠する論拠を崩すことである。
賭け金(争点)を問うことの重要性は、それによりポストコロニアル中国表象の立場に
よる冷戦イデオロギーの視点への批判の目的が、
「
『場』における『定義の独占』」、つまり
「間違っている」後者の表象を排除し、
「正しい」前者の表象に置き換ようと試みる実践に
はならないという点にある。賭け金を問うことは表象内容の是非を競うゲームから抜け出
すことが可能になる。さらにこの問いは、なぜその表象を選ぶのか・支持するのを明らか
にすることができ、そこから冷戦イデオロギーの視点が持つ価値観やその立場を取ること
の利益を明確にする。それにより冷戦イデオロギーの視点の目的を批判することが可能に
なる。本論はポストコロニアル中国表象の立場が賭け金(争点)を問うことにより、中国
表象の「正しさ」を競うことを回避し、冷戦イデオロギーの視点が持つ利益を批判するこ
とで、対立を作る「too much 状況」を回避し、冷戦イデオロギーの視点へ届く議論になる
と考える。ここに接続の可能性が見えてくる。
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