【北海道支部】 【 東 北 支 部 】 た き ざ わ よ り ひ さ い ち の せ ま さ い ち 瀧 澤 順 久 一 ノ 瀬 正 一 昭和 23 年 2 月 13 日(68 歳) 昭和 16 年 1 月 22 日(75 歳) 平成 15 年∼ 千歳観光連盟会長 平成 11 ∼ 16 年 福島県観光連盟副会長 平成 15 年∼ 千歳国際交流協会会長 平成 20 年∼ 福島県観光物産交流協会評議員 平成 16 ∼ 20 年 北海道観光連盟理事 平成 23 年∼ 猪苗代町商工会会長 平成 22 年∼ 平成 24 年∼ 福島県商工会連合会理事 千歳商工会議所会頭 功績概要 功績概要 千歳観光連盟会長として、新たな観光資源の発掘や、 時代の先を読み率先垂範、強いリーダーシップで福島 県の教育旅行の発展に尽力し、観光客誘致と受入態勢の 整備に努めている。磐梯高原学生誘致連合会の会長とし て、体験型校外学習等の整備や誘致活動に取り組み、東 北一の教育旅行誘致県へと発展した福島県教育旅行の実 践的基盤を築いた。東日本大震災後は、教育旅行推進委 員長として先頭に立ち、全国の学校や旅行会社等に福島 県の現状や豊かな資源を訴え、震災前の 5 割程度まで回 復させた。 道内最初の地域限定旅行業取得に取り組むなど、チャレ ンジ精神と実行力を備える。また、現在 9 企業からなる 創業 111 年目を迎えた山三ふじやグループの代表とし て、地域発展への強い信念のもと、企業はもとより地元 経済界においても優れた指導力と大らかな人柄で厚い信 頼を集める。 【 関 東 支 部 】 【 関 東 支 部 】 な か た す み か ず た か は し ひ ろ ゆ き 中 田 純 一 髙 橋 弘 之 昭和 27 年 5 月 13 日(64 歳) 昭和 14 年 2 月 22 日(77 歳) 平成 14 ∼ 24 年 群馬県観光施設協会会長 平成 11 ∼ 15 年 館山市観光協会会長 平成 21 ∼ 24 年 群馬県観光国際協会評議員 平成 23 ∼ 25 年 千葉県観光物産協会副会長 平成 25 ∼ 26 年 千葉県観光物産協会会長 平成 26 年∼ 千葉県観光物産協会参与 平成 23 年∼ 群馬県ふるさと伝統工芸士会副会長 平成 24 年∼ 群馬県観光施設協会顧問 功績概要 功績概要 200 年以上の歴史と伝統を誇る高崎だるまを永年にわ たって作り続けている。店舗を併設した自社のだるま工 場では製造販売のみならず工房見学や絵付けなど伝統の 技を体験できる。近年は平成 26、27 年の 2 ヵ年で台湾 の高校 80 校の教育旅行を受け入れる等、日本人観光客 だけでなくインバウンド受入にも積極的に取り組んでい る。 【 関 東 支 部 】 館山市を中心にお菓子の製造・販売業を営んでおり、 永きにわたり土産品の開発及び観光客の誘致に尽力して きた。平成 11 年には館山市観光協会会長及び館山市観 光行事運営委員会副委員長として観光プロデューサーを 公募し体験観光のプログラム造成に尽力するとともに、 平成 12 年には「館山市観光振興基本計画報告書」を策 定し、観光振興に役立てた。平成 23 年には、たてやま 地域ブランド推進協議会副会長として、南総里見八犬伝 に因んだ土産品「八犬伝まんじゅう」の創出に尽力した。 【 中 部 支 部 】 み や ざ き よ し か つ ふ く し ま じ ゅ ん じ 宮 崎 善 旦 福 島 順 二 昭和 25 年 1 月 9 日(66 歳) 昭和 61 年∼ 昭和 10 年 1 月 30 日(81 歳) 富士宮市観光協会理事 平成 8 ∼ 28 年 越中八尾観光協会会長・代表理事 平成 8 ∼ 17 年 富士宮市観光協会副会長 平成 18 年∼ 富士宮市観光協会会長 平成 27 年∼ 静岡県観光協会理事 平成 9 年∼ 富山県民謡おわら保存会会長 (現・富山県民謡越中八尾おわら保存会代表理事) 功績概要 功績概要 富士宮市観光協会の企画運営理事として、観光施策や 誘客イベント等の中心になって取り組み、地域の観光振 興に大きな貢献をした。表富士宮口登山組合長としては、 富士山のトイレ問題、マイカー規制など富士山の環境保 全、受入体制の整備などに貢献した。富士山世界文化遺 産登録に当たっては、山小屋経営などを通じて永年「富 士山」に関わってきた「生き字引」として、また、富士 宮市観光協会会長並びに富士山世界文化遺産協議会作業 部会委員として多大な貢献をした。 越中八尾観光協会代表理事並びに富山県民謡越中八尾 おわら保存会代表理事として、300 年以上の歴史を持つ 伝統芸能「越中おわら」の技能向上と保存育成に尽力し た。また、毎年多くの観光客が訪れる伝統行事「越中お わら風の盆」の雰囲気を通年で楽しむことができる機会 を創出し、「越中おわら」を一大観光資源に成長させた。 冬期の観光客誘致のため、 「越中八尾冬浪漫」を開催する など、さまざまなイベントを企画・実施し、通年型観光 による町全体の活性化と観光振興に多大な貢献をした。 【 関 西 支 部 】 【 関 西 支 部 】 な か ひ ら た か ゆ き き た む ら よ し の ぶ 中 平 孝 之 北 村 善 宣 昭和 22 年 5 月 25 日(69 歳) 昭和 16 年 7 月 27 日(74 歳) 昭和 60 年∼ 熊野市観光協会理事 平成 9 ∼ 11 年 宇治市観光協会理事 平成 7 ∼ 9 年 熊野市観光協会副会長 平成 11 ∼ 25 年 宇治市観光協会副会長 平成 22 ∼ 25 年 熊野市観光協会副会長 平成 25 年∼ 宇治市観光協会会長 平成 25 年∼ 平成 25 年∼ 京都府観光連盟副会長 熊野市観光協会会長 功績概要 功績概要 永年にわたり、熊野市観光協会理事、副会長、会長を 務め、現在も会長として協会の発展に尽力している。観 光熊野の美観整備活動をはじめ宣伝活動に献身的に取り 組み、観光客誘致の推進に大きく寄与している。300 有 余年の伝統を誇る熊野大花火大会においては、昭和 60 年から現在まで花火大会実行委員、実行委員長として卓 越した知識と比類なき情熱をもって花火大会の円滑な実 施と運営に献身的に取り組み、名実ともに全国一の高い 評価を得るイベントとして定着させた。 宇治市のさくらまつりや宇治川の鵜飼などの観光行催 事事業の実行委員として、宇治市の観光の発展に寄与す る。中でも宇治川花火大会では平成 13 年から現在まで 大会実行委員長として多岐に亘る調整を行い安全・安心 な花火大会開催に向けて自ら実行指揮をとり、京都府屈 指の規模と集客人数を誇る花火大会となった。また、家 業が茶問屋であることもあり、宇治茶に対する造詣も深 い。平成 25 年からは宇治市観光協会会長として、台湾 や香港等へのインバウンド事業も積極的に行っている。 【 中 国 支 部 】 【 四 国 支 部 】 か わ ご え ゆ き お お く も と た だ た か 河 越 行 夫 奥 本 忠 孝 昭和 19 年 11 月 26 日(71 歳) 昭和 16 年 8 月 28 日(74 歳) 平成 20 年∼ 鳥取県観光連盟副会長 平成 15 年∼ 今治地方観光協会副会長 平成 22 年∼ 倉吉商工会議所副会頭 平成 18 年∼ 社会福祉法人鷲峰会理事及び評議員 平成 11 年∼ 鳥取県観光みやげ品協議会会長 平成 18 ∼ 22 年 大三島町観光協会会長 平成 11 年∼ 全国観光土産品公正取引協議会副会長 平成 22 年∼ 大三島海事博物館監事 功績概要 功績概要 鳥取県観光みやげ品協議会会長及び全国観光土産品公 正取引協議会副会長として、観光土産品の品質向上や適 正表示の徹底を通じ、観光土産品業の健全な発展に尽力 している。鳥取県観光連盟副会長としては、会員本位の 運営や事業の効率的運営などに関わる積極的な提言、提 案に努め、会長の補佐役としての的確な職務遂行に当た るとともに、観光連盟の組織強化に努めている。また、 倉吉商工会議所副会頭として県中部の商工業の活性化に 熱心に取り組んでいる。 愛媛県越智郡大三島町(現今治市)の職員・助役・町 長として、行政の面から観光振興に深くかかわり、多く の施設・事業の誘致・運営の推進役になるとともに、多 くの催事の企画・運営にも携わった。町長退任後「大三 島の美術館を楽しむ会」や「ボランティアガイド御島」 の会長を務めている。今治地方観光協会副会長としては、 観光行政に対する深い理解を生かして今治地方の観光振 興と協会事業の円滑な推進に力を発揮し、温厚な人柄で 会長を補佐しながら組織の調整役となっている。 【 九 州 支 部 】 【 九 州 支 部 】 お お つ ぼ い さ お き ょ う で ん ち か し 大 坪 勇 郎 京 田 親 志 昭和 4 年 1 月 14 日(87 歳) 昭和 17 年 4 月 8 日(74 歳) 平成 13 ∼ 17 年 日本ユースホステル協会副会長 平成 5 年∼ 指宿ウォーキング協会会長 平成 10 ∼ 26 年 武雄市観光協会会長 平成 14 年∼ 鹿児島県ウォーキング協会会長 平成 26 年∼ 平成 19 年∼ 指宿商工会議所観光委員長 平成 22 年∼ 指宿市観光協会顧問 武雄市観光協会副会長 功績概要 功績概要 平成 2 年の武雄市観光協会設立に当たっては、強いリー ダーシップにより会の安定基盤づくりや会員拡大、観光 開発などに尽力された。 「武雄温泉と武雄焼」のまちなか 陶芸祭等のイベントや武雄産レモングラス等の特産品の 広報宣伝活動をはじめ、観光ボランティアガイドの充実 や、観光地美化運動等に取組まれ観光客受入環境の進展 にも大きく貢献している。また、新しい観光として朝活 事業や国指定重要文化財「楼門 100 周年記念事業」等の 事業を推進し佐賀県の観光振興に多大な貢献をされた。 昭和 60 年に指宿観光協会理事に就任以来、副会長、 顧問と要職を歴任され卓越した指導力により同協会の安 定的業務運営を通じて、温泉地「指宿」の振興・発展に 尽力された。今年で 35 回目となり全国から約 2 万人が 参加する「いぶすき菜の花マラソン」では、初回大会か ら責任者として陣頭指揮をとり、 「記録ではない、記憶に 残る」大会として育て上げた立役者の一人である。また、 指宿商工会議所の観光委員長を務める等、指宿はもとよ り鹿児島県の観光振興に多大な貢献をされた。
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