YMN001804

﹁かな 書 の 詩人﹂ 考
蕪村発句に及ぼした
陶渕明・李 臼 杜甫,王維の影響11
四O
言及はない。王維への慕心を表明するのは臨終に際しての﹁冬鷺﹂
費②より明言できる。だが、王維について蕪村本人にも門弟等にも
くその詩集を座右に置いて親しんでいたことも、蕪村遺墨月渓 画
あつた白居易や元種をも愛好している。①陶判明を敬慕すること駕
村は当時の慣例に倣って李杜を重んじる外、白俗と蔑視されがちで
こと並びに書簡の文言がそれを示している。中国の大詩人の中で蕪
く読まれていたに違いない。明白な出典関係がこの前書に集中する
に流行した コ
唐詩選Lと コ古文真宝L等は、座右に置かれ常に親し
上田秋成は蕪村を﹁かな書の詩人﹂と称した。その時代に爆発的
んでいたと考えられる。一万、李白と杜甫の全集 をも読んでいたか
事実①をかんがみれば、当然、文人画家でもあ った蕪村はこれをぎ邨
という証拠はないが、当時顧田人木が和刻され て相当普及していた
8者である。 コ陶晴郎集L の如くにはコ工右丞詩集 L を読んでいた
村Lに新しい指摘があるが、私も氏と同様に王維 との関係を重視す
んだと考えられる場合もある。王維については安東次男氏 コ与謝 蕪
ものをも無視することはできない。更に大きく特殊なイメージを育
に先学の御研究があるが、未だ言及されないものもあり、間接的な
なる影響を与えたかということを考察する。直 接的な出典関係は既
人、李白・杜甫・王維の四者である。この四者が蕪村の俳諸に如何
康子
の絶唱のみと云って良い。この一句ある故に王維詩が蕪村の詩魂を
と云えば、王維の様には肯定するだけの必然性がない。とは云え
井
育んだ母 なる世界であったことを直観的に認識しぅ るのである。
﹁唐詩選しやコ古文真宝ロ だけを以てこと足れりとしていたとも思
諸
この小論にて扱うのは、六朝晋の田園詩人陶潜と盛唐の三大語
われない。事実、二 書 に載らない李杜の詩を明らかに踏 まえた旬が
︵難詰十二首1具三八 工 1 4V ①
を踏まえている。﹁月は東に昴は西にいとし殿御は真中に﹂︵山家
旬は 人麻呂 歌 との多少の関わりも考えられるが、より 一層 こちら
鳥山臥、丹後︶の文句を借用する如くであるが、中村草田男が 、
あるのである。①
出典関係を洗いイメージの連関性を問うに当ってテキ ストとした
月 八束に﹂と月を先に持ってきた所に平坦な時間の推移 ならざる
﹁
眩量を起す様な時間の美学を見たのは
詩集等を掲示しておく。王維のみは蕪村が実際に読んだと推定する
夜と 昼の観念の同時的成立、
卓見である︵ コ蕪村集目︶。詩は﹁素月﹂に重点をおき、これを 中
世界は蕪村の新詩境、独自のイメージの美学と云える。
コ王維
和刻本を使用した。なお二種の コ
李白口を用いている のは、やはり
李白を重視した為である。
﹁王維詩集﹂ 顧同人註説和刻本︵﹁王維﹂中国詩人選集
﹁李白﹂上下・中国詩人選集
であり、相等の叙景的イメージは他にない。
なお詩は秋
心として詠出きれた壮麗な光の世界であり、夕日と月の同時的 沈め
﹁李白﹂漢詩大系︵集英社︶
2 、雲のみね 四 沢の水の渦てより︵句集︶
詩集﹂岩波文庫︶
﹁杜甫ヒ上下・中国詩人選集
の 詩句﹁春水潤二四択 - 夏 圭云々タニ奇二
峰 によりかかった ものと云え
、全一、
Ⅰと
﹁四時﹂︵﹁古文真宝﹂︶⑥の第一、二旬に依っており
﹁唐詩選﹂上中下︵岩波文庫︶
る。
﹁陶渕明﹂中国詩人選集
﹁古文真宝︵前集︶﹂上下・新釈漢文大系
3、花に暮 ぬ我すむ京に帰去来︵遺稿々木 ︶
以上は﹁帰去来辞﹂を踏まえたもの。第一、二旬は ﹁帰去来﹂を
花 いばら 古 郷の路に似たる 哉 ︵五車反古・句集︶⑪
かの 東皐 にのぼれば
三径の十 歩 に尽 て蓼の花︵夜半里・句集︶
川狩や帰去来といふ 声す也 ︵句稿屏風︶⑨
﹁古文真宝︵後集︶﹂新釈漢文大系⑤
附判明に依っていると思われるものはおよそ次の如くである。
ェ、なの花や月ハ東に日 ハ酉に︵句稿屏風︶⑥
白日浦二酉
阿 - 素月山二束
嶺- 遥遥万里輝 蕩蕩空中里
四一
の語に記すのは適切自然である。なお コ
古文真宝 L 所収 の判明の 作
東皐﹂は正しく蕪村の故郷のものだから、故園馬堤を 思う心をこ
﹁
の ﹁賢ニ
東皐
・ @ 締哺臨ニ 清流 @ 賦 。詩 ﹂に依っている 。﹁清流﹂の
東 皐 ﹂は末尾方
り風雅な人物なので、ふきわしい情語であり良く効いて いる。第三
偶語したに過ぎない。二旬共詩的な遊びに耽る風雅な情 呈示であった
凝視している。彼の桃源は王維詩の世界を苧みつつ出 現するイデア
人は現実の時間の装に真空の時間を見、不可視の世界をその心眼で
判明のそれではない0俗に在りつつ俗を離れることの できたこの詩
ている。だが、蕪村の魂を凝視すると、彼の思慕した桃 源はもぱや
鳥﹂に代表される烏のイメージのほとんどが自己象徴的 深きを帯び
メージに、恐らく蕪村は激しく魅了されたと思われる。渕閉め ﹁帰
命に魂を融け込まきんとする詩の壮大深遠な趣きに、殊 に帰農 のイ
四二
と きれている﹁ 帰耳田園 ニ にも﹁ 種 "
苗在 二束
皐 二の 一句 がある。
の故園に他ならない。⑪その王維の詩界 の渕源が判明詩 の田園にあ
旬は ﹁コ一就
律ゾ荒 松菊 猶存 ﹂に、第四句の前書の﹁
4 、 桃 原の路次の細さよ冬 ごもり︵句稿屏風︶⑪
る道、鶏 と犬の声に彩られた田園のたたずまいは詩の方 にも鮮やか
な美の世界として詩人の心に育まれたのであった。⑫桑 と竹 、交わ
す。だが、それは汚れた騒々しいこの世に対する ュ| トピア、神秘
を断ったいわ ぱ 隠れ里であり、格別奇 ならざる平和脚を彼は描き出
の描くその世界は決して夢幻の如きものではなく薬代で 歴史の流れ
ど。殊に前者はその感が深い。時間の真空に入り込んで
︵
耳たむし︶⑬や﹁初午や鳥羽四ッ塚の鶏の声﹂︵句稿
ジの揺曳する旬が見られる。例えば﹁商人を叫る犬ありもしの花﹂
世界であろう。良く見て行けば蕪村にはまだこうした
慕心の対象となり王維を慕う蕪村の心の一筋に回って行った桃源の
桑の捕に鶏が鳴く、静かで平和な美しい故郷の村里奄 こそ、王維の
居二 として出る︶の楡柳や桃李に掩われ奥まった露地 に 犬が吠え
るのである。﹁
帰牡園田居 五音﹂真一︵ ゴ古又
真主L に は ﹁帰 二回風
に描かれている。支配されざる民主の世界であることが、この田園
この﹁ 桃原﹂の語の由来は高名な﹁桃花原話丼記 ﹂にあ る 。判明
0景を叙する中に語られてゆく。⑪この桃花源記と詩と に 如何ばか
のかの世界へ誘われると云う如き一種の鬼気がほのかに 漂って い
る。なお画作に﹁武陵桃源図﹂⑬もある。
り 蕪村は魅了されたかを、この一句が語っている。
蕪村の渕 明思慕は﹁帰去来辞﹂とこれに源を発するで あろう。 そ
5、桐火桶無絃の琴の撫 どヒろ 釜日商︶⑲
琴心もありゃと掘 る桐火桶︵夜半里︶⑳
の詩性は判 明とは大きく 異り 後述する様に王維と李白に近いのであ
るが、判明 詩 に流れる故郷の田園に憩う 隠逸者の風貌、 大自然の生
この二旬は詩ではなく故事|判明 は音律を解せず無紋 の孝一張を
たずきえて 朋酒の会毎にこれを撫でて歌に和し、﹁但だ 琴中の趣を
得るのみ。何ぞ絃上の声を労せん﹂と云った④1を踏 まえる。この
9 、鳥屋てかくるⅠ
弓か 三日月︵遺草︶
右同様韓信の故事に関わる旬。 司
史記 L に﹁狡兎 死良 狗烹 、高鳥
尽良弓蔵﹂とあるのを踏まえるが、﹁飲酒二十首打席﹂ 共 十七に
以上の 6 1 9 は、 互に同一故事を踏まえているものであり、直接
﹁覚悟当。念 "還
農民 廃二良弓 ﹂の詩句がある。
故事は李白の﹁ 戯贈 二郎漢陽二﹁ 廟 ,玉幡陽 不二日蝕 ノ酒﹂︵共に﹁ 古
2、心太さかしまに銀河三千尺 ︵夜半里︶⑨
愁も底にこもっている様だ。
﹁静夜思﹂︵﹁唐詩選﹂︶の第三句を跨まえているが、結句の
茸狩や頭を挙れば峰の月︵句集︶
ェ、几董と鳴滝に遊ぶ
を 示すよ う に次の李白に最も豊かに見られる。
考えられそうである。かような故事関係は、無紋琴の故事がその 端
親しい故事であった故蕪村の関心を引き、かかる発想を促したとは
bのではないだろうが、判明にかように引
の出典という,,
女真主日所収︶に引かれている。蕪村はこの李白詩に触発きれてい
ると考えて良い。前句は﹁焦尾琴説 ﹂⑫にも見える。 焦 尼琴の故事
衷心がその
︵﹁後漢書﹂︶ と判 明の無紋琴の故事の両方を思い合せ て作句した
と 自ら云っているが、先述した月渓の舌口の如く判明への
まま行為となり 句と 化した、醇乎として美しい旬であ る。
6、易水に急流るⅠ蒸散︵句稿屏風︶⑧
直接の出典は﹁史記﹂の 荊何列伝にあるわけだが、判明 に ﹁詠 ㍉刑
を 踏まえ
﹂があり﹁ 擬 百九 首 ﹂英人にも﹁渇 欲 易水流二の 詩句があるこ
珂とは注意される。
7、 瓜小屋の月にや お は す 隠君子釜日蘭︶④
﹁史記﹂諦 相国世家の郡生の故事︵﹁漢書﹂にもあり︶
我流直下三千尺 短足銀河港二九天-︵堅二盧山海市
|英二
ているが、﹁飲酒二十菅井 序 ﹂英 一に﹁郁生瓜田中軍 似二東陵昭三
八 3.4V セ絶
ウソ
"
の 詩句がある。
八Ⅱ・は V
銀河倒桂 三石梁 香濾保有逓相望 ︵盧山
謡杏二盧
侍御虚舟 -
8、玉あられ漂母が鍋をみだれ撲 ︵書簡︶⑤
コ
史記口准陰戻列伝の韓信と漂母の故事を踏まえている 旬 だが
﹁乞。食 ﹂に﹁感二子漂母恵 - 悦 三鼓井坂
韓才 ﹂の詩句が ある。
四三
詩は盧山の曝布の壮観を叙して銀河が天空より落ちるかと疑 う所
4、嘆息化人主 帯条除泄空
﹁蛾眉露頂図 ﹂がある。
飛躍によって原詩と全く興 った詩趣を創造している。
、春夜小集探題得識肩山月 歌
四
四
英風 -唯見碧流水 曽 無二黄石 公 我来ニ妃橋上 - 懐 。古鉄臣
3V
留侯 世家︶を踏まえてい て 、黄石公
七絶目唐口
詩選
や はり見事
布帆煕。悪 桂二秋風 - 此 何本。為 二位魚循 -︵秋 不ニ川門 こ 八 2
5、秋風の県人 ハしらじふくと 汁 ︵句稿屏風︶⑧
z
り
。
屏風︶⑰もある。其角の句⑨を介して李白への親愛を物ま川
に酒落た ﹁石金へ五百口もどすとしのくれ﹂定型 日﹁産 む ﹂、句稿
だ。 猶 ﹁猛虎符﹂も張良の故事を踏まえる。蕪村には実生活を滑稽
たものである。連想の飛躍はこれのみに限らないが、
が 沓をわざと 楠下に落したその音と雨の中に落ちる椿 の音を結ムロし
張良と黄石公の故事︵﹁史記﹂
何 は 直接は
ぅ すぎ ぬ に君が 膵や我肩 の月 ︵明和平川春 ︶⑨
行われていたことが分かる。だが、かく明記されたものは﹁ 題セ
詩 ﹂と前書ある 句⑳の他に例を見ないから、やはり珍 しいことだ
たのだろう。詩は秋だが、花村は﹁春夜﹂の場にあったから春の
月 に変えている。王朝風の女人を登場させた優艶な旬 であり、 鮮
かな飛躍、日本化と云わねばならない。詩の﹁君 ﹂ は半輪の月を
すが、旬では﹁うすぎぬ﹂をかつぎにまとった美女を指す。が 、
ねその奥にこの﹁君 ﹂も又﹁ 扱眉 の月 ﹂を指すとの ィメ |ジが重
っていよう。 肺月への呼び掛けともなって行く如き感 がある。
晟眉 ﹂は 蛾 眉 と懸詞になりつつもかく表記されているからだ。 そ
張翰 江東 去
正恒 ニ
秋風 時 -︵
送。
張 舎人乞目江東 こ八 ・
l1 2V
五佳 月古文真宝口
岩本。見 只中 張 翰林 @
連坐 - 秋風 忽憶 江東 行 ︵行路難コ首
一1具
し
な彼此 融ムロ
の詩境と云うべきであろう。なお画 作に 晩 年の傑作
ジははっきりと浮上して来て探題にそぐうものとなっている。 見
て、この蛾眉は半輪の月の比楡 ともなる。やはり、蛾眉
李白のこの詩は英雄賛美の勃々たる覇気を苧むもの。
嘆息化人主市条徐 四 %奄
し ︶を得たとあるから、花相周辺で漢詩を題にして作 旬 すること
右の前書に依ると探題に﹁峨眉山月歌﹂︵﹁古文真宝﹂・﹁唐詩
︵末 二旬︶を持って来たもの。
前書は﹁ 経 二丁郵地 橋 慎二張子房 ﹂︵﹁唐詩選﹂五古 ︶の詩句
否 むとす背のみ雨の椿哉 ︵
小 摺物︶⑨
壮大な詩趣があるが、面詰 め ﹁三千尺 ﹂と﹁銀河﹂、 後 詰め ﹁銀
倒 ﹂を借り 来 って蕪村はあっと驚く 俳詣化 をやっての げた。連想
に
河
の
3
が 選
歩
っ
此
や
指
な
な
「
l
事
一ご
一
か よ う に 張 翰の故事︵﹁晋書﹂
張翰伝 ・﹁蒙求口腹 翰適 意 ︶を 踏
まえる詩が李白に散見する。句の﹁秋風の呉人 ﹂は 当然 この 張翰を
指し、﹁秋風﹂は大切なイメージで句 諸共これを有す。 以上の詩を
直接の出典とするとまでは云えないが、李白にかよう な 詩句がある
ことを承知し、触発きれて作句したに違いない。類句に ﹁月に漕ぐ
宍人はしらじ江鮭﹂︵常盤の香︶がある。
6 、韓信と漂母の故事も李白にこそ豊かである。
八g0V
臥待漂母 迎
五古
斗酒 憲 二寅雄-
一餐感@
素誠 -
飢 徳二漂母 食 ︵五頁公主別館 苦。雨贈二衛尉 脹卿二 一首
| 英一︶
瞑捜二% 陰 宿
︵准 陰言 レ懐寄﹂正宗成こ 六% | MV
﹁宿二巫山下二︵ 五律 ︶、﹁ 観 三元日正坐二
巫山屏風 ﹂︵セ古、
﹁古文真宝﹂︶
﹁
安在 ︵喪場歌︶八束より 2 旬 V
襄王 雲雨 ム
目
7 と同じ理 由から 李 ,
雲雨巫山 柾断腸︵清平調 詞1具三八 2V ゼ絶目 語選
8、 薬盗む女やは有おぼろ月 ︵句集-
嫡俄の故事︵﹁ 准 南子﹂︶を踏まえるが、
に まま見られる。
李白に
古
口文真宝
莫 。教笘明月央 - 留著酔巨恒蛾 -︵宮中行楽記入首 |共四 ︶八 7
8V 五律
︵夜半里︶安永 六以後
垣城 孤棲与レ誰郡 ︵把 。溜間。
月 ︶ 八㏄ V n
9、楊墨の路も迷はず行秋ぞ
﹁准南子﹂説林訓の場末と墨 各の故事等を踏まえるが、
変移 ﹂︵古
﹁側側泣ニ路政 - 束 哀悲臣素系 - 路岐 右目南北 -素系 易 @
詩1具五十九︶の詩句があり、或は燕村 はこれを直接の 出典として
宿 -丑松山下 面 姻家 ︶八
令 。八% ﹂漂母- 三謝不 。能。餐 ︵
文墨子にまつわる詩句︵ひいては故 事 ︶は﹁ 恋
いるかも知れない。
玉梓
8V
願 ひの糸も白きより﹂の句にも関わってくる。
五古
﹁夜郎窩、二
般目
烏江 留 二別票十六環二
0易水の故事| ﹁結審少年揚荷﹂︵五古︶
8V
0 郁生の故事|責問 種。爪入旧日東陵 展 ︵古風1具 九 ︶ 八 7.
以下故事に関わるものを列挙してゆく。
さまム
Ⅱ
張良 未。遇二韓信 貧 -⋮⋮ 来投 漂母伸ニ主人 -︵猛虎符︶ 八Ⅱ|
舘V
7、 雨 となる恋はしらずや雲の峰︵明和セ年 句稿︶
﹁句集二の﹁ 雨と成 恋はしらじな雲の峯﹂の万が優れる0 この 句
は宋玉の﹁南店 賦 ﹂︵コ文選 L ︶に 詠 われた巫山の神女 の故事を踏
い。
まえるが、神仙の世界を憧惧した李白にこれを踏まえた詰 は 多-
四五
0判明の無紋琴の故事
上司馬⋮︶八エー 4V 五古
口一
ハ
一満二
遷客手目長沙 -︵
与 三史郎中飯穂ニ
黄鶴楼上映ノ笛
︶
0はう ふりの水や長沙の裏借家︵新札摘 ︶
八ユー 3V五律 Ⅰ古文真宝
口
セ絶目唐詩選日
︶
附合日日酔 不。知 @
五柳春 - 妻琴本郷。
絃 ︵
戯贈 二郎
漂陽 -
笑殺陶判明 不/飲 盃中酒 - 根棚三振孝 -虚栽 二五株
柳 -︵
潮三
唐詩選口
日落長沙秋色 遠 ︵
陪・・・
洞通
庭二1具一︶八 3V ゼ絶 Ⅱ
我連丘揚州-︵
秋濡歌|英一︶
造仏二掬涙 - 為。
﹁黄鶴楼達三孟浩之
然 二店慶二︵セ絶、﹁唐詩選﹂︶
0揚州の津も見えそめて婁の峯︵句集︶
典 二等にも﹁長沙﹂が出て来る。
﹁秋浦歌 ﹂英人、﹁
故後退。恵本霧
。 ﹂、﹁
留 二別
賈舎人車 -一一首﹂
玉髄陽不二日
飲。
酒 ︶八31 6V 五律円古文真宝口
0輿屋 た雪にもこりず月の友︵遺草︶
王子猷の故事︵﹁晋書﹂︶⑨を踏まえる。﹁酬,
防州王司馬与二
閻 正字 対。雪見ラ贈﹂︵五古︶等李白にこれを引く詩 は多い。
更にイメージの相似する句を列挙する。
0水にちりて花 なくなりぬ岸の晦︵句稿屏風︶⑭
0金屏 の羅ハ誰が秋のかぜ︵句稿屏風︶⑨
金屏 のかくやくとしてぼたんかな︵新札摘︶⑨
桃花流水宛然去 ︵山中筈ニ
俗人 ︶ 八3Vセ絶 同古文
真 主日
天津三月時子 門桃与。李朝烏 ニ
断腸花 -喜逐 二束流水-︵古風
会席笑生知。花人︵賢梁
二玉楼霞山孟氏桃園中こ
0おちこちおちこちとうつ砧かな︵新選︶⑫
帝芳投壺孝二玉女-︵
梁甫吟︶八打 V
八Ⅱ・乾 V 五古
撃。
筑落ニは月 - 投壺破 :
愁顔 -︵賢二耶
部洪波台 置酒観。発。E︶
@
0 いでさらば投壺まいらせん菊の花︵句集︶⑪
金屋無。大壁大浦︵長門
怨1具一︶セ絶
0古御所や虫の飛つく金屏風︵明和五年句稿-⑩
1具十八︶ 八ユー 4V
0採草を訊 ふ彦根の槍夫哉 ︵句集・真蹟句稿︶
ぬなハとる小,丹に
う たはなかり見 ︵新
花摘 ︶
麦歌清唱不。勝。春 ︵
蘇台覧古︶八2Vセ細口唐詩選ロ
﹁探韻
曲﹂、﹁越友詞﹂英三
ハ
唐
五詩
徳選口
0鮒ずしゃ彦根の城に雲 かしる︵新札摘 ・書簡︶⑰
浮雲遊子貢︵達士友人
こ八 5V
遊子東南宋 自/宛通三尺画-親熱熱心雲 候名復西北
霧 ふかき広野に千々の砧 かな︵遺稿々本 ︶
口
唐
五詩
古選・古文真宝口
長安一片月万戸隠。 衣声 秋風吹不。
尽 ︵子夜具
歌|其 一一一︶
八41
l1
3V
Ⅰ一片
花飛減却 春
一片花殻減二却寿 - 風潮﹂万点 @ 愁 。人 ︵
曲江二首 1具 一︶ 八 Ⅰ
き くら 狩美人の腹や減却す︵句稿屏風︶⑬
この詩には春愁が漂っているが、そこは艶美にしてュ| モラスな
2V セ律
照︶、李白がかよう に多く詠んでいること、又、揚州は文人墨客の
俳諸 化が行われ、蕪村に顕著な甘美な春愁の詩情は此処 では払いの
長沙は屈原や賈誼の流調 の地として名高いが︵ヨ一体詩﹂など参
軸として高名だが、やはり李白にこりした名詩句があ ることから、
﹁減却﹂の
けられている。前書と映発し合って俳味と詩趣が漂う。
語を興じての 俳 詣である。
蕪村は李白を念頭において二地名句をものしていると推定される。
李白との関わりは、故事を介することが多いということが先ず云
木の下が蹄の風や散 か桜
2、探題落花
するのではなく連想の飛躍を以て自己の詩境を独創的に切り開く、
老杜句風人馬蹄 軽
える。内的に見れば、その詩趣を十分に味わってしかもそれに密着
と 云ったものであると云えよう。蕪村の明るさ、ダイナミズム、豪
﹁房兵曹胡馬﹂︵ 五律、﹁唐詩選﹂︶の第四句﹁風人日蹄雌 ﹂に
説や故事を愛し︵神仙憧惧 、英雄欽慕など︶詩的幻想に富んでいる
る。蕪村は自由自在に想界を飛翔したが、その歴史伝奇趣味は、伝
くものがある。この多面的にして自在な摂取のし方がそれを物語
た。﹁落日庵﹂と コ
句集二では前書と映発しムロって一層
の。⑮落花のイメージ︵季題︶と結合した所に壺村 独自 の 詩が生れ
違いの誤記か。句はこの詩句と﹁平家物語﹂を踏まえて成ったも
依っている。﹁遺草﹂等では﹁四 ﹂が﹁ 馬 ﹂に変って いるが、記憶
宙児阜︶⑪
放葎落性、奔放な想像力は、詩性の本質に於て李白に つながってゆ
李白と甚だ通うものを持っている。其角を俳詣 の李青蓮と称えて親
詩 界を創造する。彼には数包馬を詠んだものがあるが、
大文字や鈴間のつⅠ
じ燃 んとす︵俳家全集与謝蕪村集 ︶
3 、 江君島忠白山青花歓然
ムⅠ馬を描いていることである︵﹁野馬図 ﹂ 柚エ︶可。
注目すべき
愛した蕪村だから、意識して李白に倣ったということも考えられそ
は 画にしば
杜甫Ⅴ
ぅ である。
八
四ゼ
には﹁ 絶
四八
寅﹂⑧
﹁観 ニ季国詰司馬前山水国﹂︵ 五律、﹁唐詩選﹂︶に﹁
池&
が出てくる。
この前書は杜甫の有名な﹁絶句 二首 ﹂巽二︵﹁唐詩選﹂
句﹂︶の詩句である。句は﹁大文字﹂が大文字山を指し ﹁つムし ﹂
0陽炎や名もしらぬ虫の日き飛 ︵句稿屏風︶⑨
古
口文真宝
云い可憐で瑞々しく、蕪村と通うものがある。⑰蕪村も春の詩には
この詩から出ているような気がする。これなど、叙景と云い懐旧と
号 ﹁春昼﹂︵﹁調貢﹂の前号︶と関わりがないか。
証拠 はないが、
左茂在 ﹂︵ 五律︶に﹁寿星﹂の語が出てくるが、蕪村 0 代表的画
とは云えないようだ。⑧所で、或はと思って指摘しておく。﹁夜宴臣
ほど関係ない⑧ということから、杜甫を敬宣してても愛着していた
ここに見る出典的影響が多く詩句を借り来 って杜詩の中味 とはさ
忽在ョ
天一方 -︵成都府︶
八 4V 五百
0広庭のぼたんや天の一方に︵五車反古︶
宝﹂︶にもある。
真
なお同様のイメージが李白の﹁金陵城西桜月下吟﹂︵ ﹁古文
月明二室葉
。震 -︵
秦刑期詩 二十首1具二︶ 八 5V 五律
0名月や露にぬれ ぬハ露斗 ︵句稿屏風︶㊥
る。
﹁月夜﹂︵五律︶に見る妻への思いのやさしさに通うものがあ
0腰ぬけの妻うつくしき巨燵哉 ︵自発句集︶⑧
飛曲浦ゾ院遊 ︵落日︶
八 6V 五律
は組の花であるから第二旬を踏まえている。⑰
4、故人暁台余が寒疽を訪はずして帰郷 す、
知足東山西野に吟行して在荷として晦朔の代謝をしらず、帰期
のせまりたるをいかむともせざる成 べし
牙 寒き梁の月の鼠かな︵句集︶⑭
﹁薄目李白三一首﹂英一︵﹁古文真宝﹂︶⑲の策 B 句を踏ま えている
のが﹁梁の月﹂である。この﹁鼠﹂は蕪村の自画像の如きものであ
る 。第 u 句も響いて鼠の牙︵顔 ︶を照らすイメージを誘 ぅ 。李白を
古文真宝 口
n
思 う杜甫に対し暁台を思っているが、その思いは随分興 っている。
杜甫にも故事関係はあるが李白ほどではない。
%魚 ︵洗兵馬八コ八円V
0 張翰の故事1束走無 三復憶 三
0張良の故事 | ﹁洗兵馬付﹂︵﹁古文真宝﹂︶
n
る
0巫山の神女の故事 |江山故宅空文藻雲雨克自覚 夢思 ︵誠二懐古
跡 -五官1具 一こハ 5.6V セ律
この 他 次の同語句やイメージの相似に注目。
V
0行春 や途 巡 として 遅 ぎくら︵句集、前書﹁暮春﹂
後来鞍馬何 透過︵麗人行︶八四
0 池血 が書 ミかく衣や腹の皮︵夜半里︶安永六
愛着を感じていたのではないか。色合は異なるが、春 愁の詩情も両
に結びつく。臨終三吟の最後﹁しら何﹂の絶唱⑨には 死
のである。王維の詩に冬鷲を求めることはできない。
即ちその
のィノー
そ永遠の
者を結びつける様に思う。
ジは詩句に散見するが余り印象深くない。﹁王維が 垣根
がある。だが、このイメージはむしろ文人画の祖とも
いか。⑨
れる王維
8V n
丑荷
、 仏収用りの
蕪 村ほ恐らく
個帳掩ニ柴扉 -︵
帰,
蝿Ⅲ 作 ︶ 五律八 7
退耕ニ束早田 -︵
単 -@勇 婦 二陣陣こ
Ⅰ
巻 五口
皐 - ㎜露米。睦 ︵剛二諸公
見ァ過︶ 八 t>,.8V
㈲晟往 二束
[
准ぜ一コ
四口
山東早春草色
﹁岡﹂も底にそのイメージが作用している様に思われる
前句の前書にある﹁夷草﹂は王維との関わりも考えろ
愁ひつⅠ岡にのぼれば花 いばら︵句集︶
花 いばら 古郷の路に似たる哉 ︵五車反古︶
3 、かの 東皐 にのぼれば
この国巻を見ていたと思われる︵ コ
与謝蕪村 L 参照︶。
当時我国でも班列の郭 忠恕臨本が行われていたから、
0% Ⅲ荘を描いた﹁輻 Ⅲ 図巻 ﹂⑧から出てきたものでは
﹂︵ 贈二斐十迫 巻 三︶、﹁春風動ヒ百 州 - 蘭薗生ニ我紐 ・巻三︶
︵早秋山居作 ・巻 四︶、﹁
節中大過吹田 "屋候与柴扉 二 ︵贈%
劉藍田 -
家郷 か網 Ⅲ荘の垣根に当るものとしては、﹁思 向坂東漢 故節 三
守﹁
垣
生命の世界へ入りゆく魂の生誕という如き深遠な彼岸的詩情がある
入王維Ⅴ
王維については、明らかな出典と目 きれたものはさして 多いとは
る。
云えないが、イメージの類似珪などその内閲性は非常に強いと云え
ェ、 妊の面 う世上の人を白眼ム我︵明烏︶⑧
﹁与 二億員外家 過@
崔 処士興京杯台 了 ﹂︵﹁唐詩選﹂ セ絶 ︶の結句
﹁白眼看 他世上人﹂に依っている。
崔処士を腹に転じた滑稽化であ
る。詩の﹁白眼﹂も玩籍の故事を引いているが、この句 もその イメ
|ジ がより直哉に来る感がある。
2 、冬鴬むかし王維が垣根哉 ︵から松葉︶
憶 山容猶
﹁全集﹂等の出典は誤りで、先ず念頭に浮ぶのは﹁田園
楽セ首 ﹂
中の 一首である。⑨
掃鸞
靴紐復白二宿雨 - 柳緑 東帝二巻煙 -花洛家憧未 。
眠 ︵
其 六︶口巻四口
春の鸞であり垣根も出て来はしないが、この結句は暁 の鷲の声の
イメージであり、臨終の床に横たわる未明の詩境に通うものがあろ
う。﹁山容独眼﹂は永遠の眠りに入らんとする蕪村そ の人と不思議
四九
主人東呈上︵信 二郎
州こ
口巻六口
忽出世今夕陽克二束草分速 村 -平蕪線号千里砂憤恨 今思。君
五O
日暮掩二柴扉 - 巻㎜年年緑 王孫帰不"
帰 ︵送別︶
口巻
吾 ︵
趙殿成本 では転句﹁春草明年緑﹂︶
山中相法罷
れつ つ究極的には蕪村の郷里芋馬の堤に晋我追悼曲の舞台となった
明 のそれでありつつもこの王維のそれでもあり、⑥こねちに触発さ
郷愁、後句の愁が通い合うことからも云える。﹁かの東皐﹂とは渕
とも云える。より深い関係は㈲にあることが﹁情帳﹂ の話 に前句の
いばら﹂と通うものがあり、㈲は﹁晟﹂﹁草露﹂とある所 やや遠い
今Ⅲ㈹のみ問題とする。㈲は﹁春草﹂が同じ野の植物として﹁花
る。だが、この蕪村句は王維詩にべったりなのではない。娘である
前書に於ても﹁王孫﹂を﹁君﹂と呼び掛けていることとも照応す
フ
て別れて帰って来た娘の感慨と取れ、﹁わが帰る略﹂と通い合,。
のに於て一層関わり深いことに気づく。詩は若旦那を山中に見送っ
俣 って﹁楚辞﹂と関わり深いが、同時に王維の﹁送別﹂と句そのも
維の ﹁王孫﹂も勿論﹁楚辞しに由来している。殊に
前 旬は前書と相
鳴 ﹂の同誌にも見られ、他に王孫の故事を引くものもある。以上玉
この語は更に巻二の﹁同化部楊員外十五夜云々﹂や表迫 の ﹁辛夷
王孫白田"留 ︵山居
秋瞑︶八 7.8V 五律
結城の岡⑧を重ね合せてイメージ発酵された、イデアの故園として
と共に実は蕪村その人である。﹁君﹂即ち﹁王孫﹂は大魯 であり叉
随意春方畝
の ﹁夷草﹂なのである。
自身でもある。⑥現実の己に対する自らの魂を語っている句と詠む
︵
送二友人屑。小歌二首1 % 三八皿 |はV 巻
nこ
り。余不堪感慨、しきりにおもふ。王孫万里今なをいづちにあり
4、諸子とわだのみさきの隣松院 に会す。⑥題を探て偶春草を得た
5、夕風や水青鷺の怪をうつ︵句稿屏風︶⑧
ぬ楓秋雨中浅浅石 摺潟跳 。破目相漉 白鷺驚役丁
﹁Ⅲ集﹂︶口巻四口
︵
穏寒湖
﹁魂祭﹂の句の万は王維詩の影響を前者程には考えなく良
てかろう。
﹁楚辞﹂の反転の﹁山居
秋瞑﹂の方は﹁送別﹂程関係が深くない。
芭蕉の﹁北道や行人なしに秋の暮﹂に対侍するものと見倣 しうる。
こともできよう。この句はこの詩人の人生を象徴するものであり、
︵
題春草︶
や。故郷の春色話ためにか来去す。王孫々々君が遠逝に倣ふべか
らず、君が無情を学べからず。
我帰る略 いく筋ぞ春の㎜㊥夜半 翁
古書仮声農舎正
魂祭り王孫いまだ帰り来ず ︵夜半里・遺稿︶
﹁王孫﹂をめぐるこの二句の出典として コ楚辞口⑰の他に王維の
次の詩なども考えられる。
この毒が念頭にあったことは考えられそうだ。⑪﹁青鷺﹂への 変
木末芙蓉花山中 発 ,
組号 - 澗声 寂無。入紐 締開且落 ︵
キ
十夷 伯坑砲
﹁輯 Ⅲ 集﹂︶Ⅰ 巻 四口
高名な寺院などの庭園の牡丹と山中の木蓮の遼いはあるが 、この
転 。何よりも、 王
いないその中に湛えられた詩趣をイメージとして見事に結晶しえて
イメージは酷似している。﹁寂﹂の語例は王維になお 五 例 ほど ろ
容 、﹁ 孤 々秋雨﹂の夏の﹁夕凪﹂への
いる中セア 五の表現に蕪村の面目を認める。なお浩一 の ﹁送二友人
る ︵李白にも一例あるが他はない︶。
静諦 な王維 詩 の世 界を良く表
帰 。山歌 二百﹂英二の﹁八 % 。減号黎首 膣
している語である。牡丹がもてはやされたのは中庸になってからと
白鷺怒号 翻 飛﹂も関わり
があろう。なお李白にも秋水の白鷺のイメージがある。
きれるが、⑬王維には﹁紅 牡丹﹂︵ 巻 六︶、李白には
こと、云うまでもない。
王維にも故事をふまえるものはある。
櫨魚健め- 復 有坂治洲 ザ
、
0 張 翰の故事 |忽忠 =
︵
送 三従弟蕃 通二泄
三百がある。 荏村に 牡丹の句が多くしかも非凡な秀句は かりである
﹁清平調詞 ﹂
どもり︵句稿屏風︶
6 、 桃原の路次の細さよ ゑ、
8 例である。
王維詩集日全体でⅡ 例 あり、この中
コ
王維には﹁桃源﹂の語例が目立って多く、如何にこの イメージに
心 ひかれていたかが分かる。
王維の作は﹁田園楽セ首 ﹂英三、﹁藍田山石門精舎﹂等
悲泣の同誌 に 2 例、 銭起 に工 例ある。付言すると王維 の渕明 思慕は
Ⅲ @ 五古口巻五口
薄蕗 ﹂ | ﹁送 ⋮張舎人性 -江州 @ 坂
蒔披 十朗 ヒ 五古 八巻五口
0 ﹁
実に顕著で﹁桃源﹂の語例以外にそれを明示するもの はH 例 ほどに
も上っている︵李白にも 7 例 程 を見出︶。しかも王維 には自らの 住
0蓼の葉を此君と申せ 雀ぶ
9し ︵夜半里・句集︶安永 ハ
一瓢顔回晒巷
愛竹の故事に依って い
︵句稿屏風︶⑪
五柳先生 対 。門 ︵田園楽 1具互八 3.4 Ⅴ一八組
0 一瓢のいんで寝よやれ 鉢た Ⅰき ︵句稿屏風︶⑮
勿 "謂 知音 稀 ︵送別︶八 結句 V 五古口巻五口⑰
0 ふぐ汁の君ょ我等 2 千 期伯牙
﹁世説新語﹂﹁晋書﹂等の王子猷
云々︶ 八 4V セ律口 巻 四口
右 。何同項 問 ﹂主人-︵春日与二表地-
み処を桃源に 楡 えた﹁桃源一向絶二風塵 ﹂⑫︵春日与,菱 辿 通二親昌
里訪 ニ目進入 不レ週 ・巻 四︶の詩句がある。この﹁桃 源 ﹂は 蝿 Ⅲ の
地を指していると思われる。⑬更に﹁口号又示 二表辿 -﹂︵ 巻 ハ︶に
も ﹁桃花源﹂の語があり、帰るべき先| 恐らくは 鵬 Ⅲ 荘を桃源と見
⑪特に以上二例が蕪村のこの何 と王維 詩 との関わりの
深さを物語っている。
7、寂として客の絶 問 のぼたん 哉 ︵句稿屏風・句集︶
五一
五二
に夕日と道のイメージがある。﹁落日﹂の語及びそのィ
近似するものは幾多晶出きれる。就中彼らが愛着し心を傾けたもの
に ﹁唐詩選日に血れており、李白や杜甫にも多いが、
なおかっ王維
0炉 ふさいで南元の風呂に入身哉 ︵句稿屏風︶⑲
麗日照 ニ
残春 -..
中.
尉.
弁.
二%
.敏 -里。恕 院家貧 -︵
鄭果
を注目したい。⑪落花や竹なども注意を引く。
a、落花のイメージの好例 桜以外︶
八エー 8Ⅴ 五律 口巻四口
豊かで南玩は質しかったという故事︵ コ
晋書口玩威仁︶ を踏まえ
紅梅の落花撚 らむ馬の糞/椿落て昨日の雨をこぼしけ
皆 の玩成と玩籍は他の玩艮一族と離れて道の南に任み、地尻 は
ている。
て何重りぬ一戸戸/卯の花のこぼるⅠ蕗の広葉哉 Ⅰ蚊の声す忍冬
の花の散ルたびにノ渋柿の花散る里となりにけり
以上影響の強いものを考察してきたわけであるが、これだけでも
大関佳在洛 夜静春山里︵馬鳴珊︶八ェ ・2V
番
口
五一
絶一口
係を有したかが認識きれるのである。花村はその詩境に於て王維に
杜甫の場合とは対照的に内的なイメージや詩情に於て
氾上作︶八3Vセ絶品 軍八口
落花寂寂哺。山烏︵寒食
竹は若竹の季題旬 ︵
6旬︶の外余り印象的なのばない
b、竹のイメージ
﹁辛夷鳩﹂︵弼Ⅲ集︶口巻四U 、﹁山居即事﹂ 五律 ︶
近く、深い影響を蒙っていると云わねばならない。 静かき、晴朗
さ、豊麗き、高雅き、浪漫性、やきしさなど、あらゆる詩趣と美学
界を掩 彼の詩
に於て相当近似している。だが、蕪村は更にダイナミックな多元的
詩人である。李白の項で述べた如く王維的世界のみが
にも分かる様に王維への終生麦らぬ思慕を表明した。敬慕 した王維
新粉 @ 紅蓮落 コ敵
衣 -︵山居即事︶口巻四口
緑竹⑧含 ﹂
檀穏映 二空
曲 - 青翠漂 ﹂
漣滴 -︵
斤竹嶺︶ 八l
・1.2V巻四
n口
一層豊かな展開を見る。⑫
と蕪村をつなぐものは詩境の外郭にもあったのである。二人共隠者
﹁村里館﹂︵蝸Ⅲ集 ︶ 宝ぜ四・唐詩選口
ぅ のではない。それにしても壺村は ﹁冬驚﹂の句に於 て、後世の者
とはならず、世俗の中に在って自己の芸術を創造して行 ったとい,
フ
﹁沈十四拾遺新竹生﹂
読ノ経処云々﹂八巻目
0愁ひつ ム岡にのぼれば花いはら ︵句集︶
おく。
一句々々のイメージが相似するもの等を以下に列挙して
こと。その芸術は文芸に止まらず詩画一如であり画俳 一如 であった
こと。同じ浄土教信仰を有していたこと⑧などが挙げられる。
更に云えば、直接の出典的関係とは云えないが、ィメ|ジに於て
上下華子何 % 恨情 阿檀︵華子 岡 ︶ 八 3.4V n巻 四口
0 畑う つや適間人の見えずなりぬ︵追弔︶
とそのイメージが 韻 温している。王維には三十余何 を見 出するが、
数からすればはっきり李杜に劣ると云う。⑧李杜の落 日の詩句も感
川原沓付 極 ⋮行人主 不レ息 ︵臨 高台 送二黎拾遺 こ八 2 | 4V 五
富 であることに注目する。④
@
仙
一
-口
n上
@
九季 重 前山 輿
︶口巻舌近景凍上村︵
ある。なお
瓜 国詩︶
0 瀬田 降 て志賀の夕日や江鮭|残雨斜日照タ嵐飛鳥還 ︵
崔湖陽
るものを掲げておく。
されていた様である。落日の句の巾でも特に類似のィメ |ジを 有す
棄と 夕日の結合した美である。もっとも杜牧笛晩唐の詩人には発見
している。﹁ 木つヒ きや漆が原の夕日かげ﹂﹁ひつぢ田 に細葉 ちり
も 、王維の発見しなかった夕日の美学を蕪村は色彩の上からも発掘
嵯峨となりにけり﹂や﹁細梅や人日の襲 ふ松 かし は ﹂で
嵩山Ⅰ 巻 五︶。こうしたイメージを代表するのが﹁ 若竹や夕日の
復照二青苔上 ﹂︵鹿柴︶、﹁夕陽彦 翠忽成。嵐 ﹂︵送 。
万 尊師 帰笘
麗 な美を湛える。先ずそこが稲村と共通する。例えば ﹁返 黒人生深
王維には夕日の光の色感が李村を引き離して豊かであり、 実に豊
日活︵3Ⅰ 返 同穴2 Ⅰ 余暉 ︵
2 Ⅰ 余輝 、余照
落日︵多 ︶、斜日、斜暉、夕陽︵ 2Ⅰ落暉、落照︵ 2 Ⅰ
動的だが、王維の夕日はより強く我々を捉える。先ずその証抽
屈宋
が幽里
八 ー|
天 明二一
絶 Ⅰ巻立・唐詩選 日
0 遅き日や欲聞ゆる京の隅︵夜半里・日午歳旦帖︶
旧聞二人語 響 -︵
鹿叱
しロ巻 四 ・唐詩選 口
山彦の南 ハ いづち春のくれ︵句稿屏風︶⑭
空山本。見 。人
0 水にちりて 花 なくなりぬ岸の梅︵句稿屏風︶
清渓 一道安二桃李 -⋮・・・落花済共束 流水︵寒食城東即事︶
4V セ和仏寸口巻五口
﹂柑風 ︶
0 陽炎や名・もしらぬ虫の口 き飛 ︵
旬稿
春山武二網戸 -︵晩春関風︶ 八 5V 五律 口巻六口
秋夜守二羅偉 - 狐焼 秋 明滅 ︵団塊好
0金尻 の羅ハ 誰が秋のかぜ︵・句稿屏風︶
棚"八
-口nw
正無 螢彩度金殿人声 絶
一一
祐一
日
l1
廿六
幸一︶
連想を呼ぶものはまだあるが、詳述しない。
落日のイメージ
人 特殊なイメージをめぐってⅤ
1
﹁落日﹂の 語
梅村発句には夕日のイメージが豊かに見られるが、⑧ ﹁唐詩選﹂
の影響を考えることがで・さる。唐詩就中盛唐の詩には
五三
Ⅱ
五四
花村の道は彼の桃源即イデアの故園に通じている。㊥それは王維
詩の世界、殊に﹁蛸川集﹂等に詠われた稲川柱|現実
く王維にとっての理想郷④|と深いつながりを有している。血村は
詩選 U、孤城砦 二
落暉 -︵送別︶ロ巻五口
0夕陽に枯野の末の天守武 | 洞門高閣義二会 暉人 剛二部給事こ口唐
0 落 6 日のく トりて 染る 蕎麦の茎 | 落日照 二
秋草 - ︵贈ニ祖三詠こ
桃源への道を辿る心の旅人であったと云えよう。
ふゆざれや韮にかくる ヒ島弧つの /しぐるⅠや堅田へお
夏山や京尽し飛鷺 ひとつ︵新花摘 ・句集拾遺︶
紀の路にもおりず夜を行鴈 ひとつ︵句稿屏風︶⑨
める。
ぜならその幾つかは自己象徴的イメージを有するからで-
荏村 には孤島のイメージがかなり見られる。しかも印象深い。な
Ⅱ自己象徴としての鳥のイメージ
朗夫 -.
⋮.長
.汀渚 目凹︵ 使
0落日の中を燕の帰るかな|帰雁 入 =
圭三菱上 ︶口巻 六 ・唐詩選 口
0 租梅 や大口の 襲ふ松 かしは | ﹁鹿柴﹂
かくしてほとんどが王維の詩句である。
壮湯 イメージ
ム
っているとい
ひとっノ落葉して遠く飛去島弧ツ /兄山や何にかくれて雑の声
四者共に道のイメージをしば Ⅱ有するが、先ず注意 すべきは 陶
判明 の ﹁桃花源語外記﹂に見る道⑧が蕪村に深く関わ
自
そこに於て蕪村とっ
る。自己象徴としての鳥のイメージは陶判明に最も顕著であり・杜
の場合飛鳥に限らず地上の鳥にもそれが見られる。⑧勿諭孤島であ
中国詩では飛鳥に己を托すことがしば。行われてい るが、花村
うことである。また、殊に王維に語彙が豊かであり、
ける美しいイメージであると共に一種の象徴性を有している様だ。
判明と王維の項にも三旬 程出ているが、それらなど 特 に形而上学的
甫 にもこれが明白に認められ、王維や李白にもあるが杜甫程明日で
ぽがる。稲村に道のイメージは実に豊かで⑨ 陶
詩情を苧んでいる。蕪村にはこの様な象徴的なものが幾つか見られ
ない。特に帰農と孤鳥のイメージに自己を托すことが渕明と杜甫に
共通して云える。このイメージの主だった詩句を掲げておく。
る 。例えば次の句︵班田以外︶。
/ これきりに 径尽た り芹の中
陶渕明|栖 々失翠烏 日暮猶独飛 ︵飲酒二十哲
丼序|其四︶、遅
路た へて香にせまり咲いばらかな
/ 三径の十 歩 に尽 て蓼の花 /花に暮 て我家遠き野道か な / 細道
々出ゾ林
御末。 タ復来帰 ︵
詠臣賓
十セ首1具一︶、﹁帰鳥﹂
︵
ロニ
@
口
ヰ廿
︶叫
になり行声 ゃ寒念仏 /真直に道あらはれて枯野かな / さ みだれ
に見えずなりぬる怪我
杜甫|独鶴帰何晩昏鴉巳満 。林 ︵野望︶、離離何所
似。 天地一秒
は殊に注目きれる。彼がこの手法の創始者とは云えないが、⑥蕪村
の如く見事な彼此融合|裏返せば連想の飛躍10世界を
築いたもの
鶉 ︵
旅夜雪。懐 ︶口
唐詩選U、白鴎段目浩蕩- 万里誰熊柳 ︵
僧旧臣
ほ稀有と云って良い。ここでは杜甫と李白にその例を見るが、その
蕪村
︵同俳人真蹟全集目
第セ番所収︶
天明甲長春二月 /写於夜半亭月渓
判明のひと ム/ なりをしたひてなせる句なる へし
節の詩集を閲るにノ半過るころ比しほりを /得たりこ れ全
部会物故の後会ひさしく/夜半亭 にありて机上なる/ 陶靖
︵月渓
筆陶渕明半身像Ⅱ俳画︶
②桐火桶 無絃の春の撫 こⅠろ
月 二十三日及び二十五日付書簡など。
①﹁春泥句集﹂ 序、背面宛 六月セ日付書簡、几董苑安永九年 セ
注
一端は了解されよう。
章左丞こロ 古文真宝口
王維| ﹁双黄鵠歌送。別﹂︵番一︶
李白1﹁山鳩鵠詞 ﹂、大鵬飛侍振二八竜-︵賄賂
歌︶
Ⅳ田園詩的側面
蕪村は詩情の核心たる帰心と郷愁に於て、本質的には異質の陶渕
明 と深く関わり合っていたが、その詩情と切り離せないものとして
田園詩的側面がある。渕明は田園詩人と称されるが、王維 にも田園
は自然風景的に登場して来る。農民層出身であったらし い蕪村に田
国詩的な句が相当見られること自体はさして不思議ではないが、そ
れるの句はユニータな魅力を有している。農民に注ぐ蕪村の眼は温
③正徳三年に木下男祥が訓点をつけて和刻、四年新春に刊行し
ているのだから、蕪村生存中は正に普及の時代と云える。全人
かく慈愛に満ち、郷愁がこもっている。どちらかと云えば王維に近
い眼であるが、まるで傍観者というのではない。陶渕明と王維の影
巻の三冊。非常に美しい和刻本である。
交友関係をあげればきりがない。李白の詩集としては ﹁分類補
部南部 に師事したと推定され、柳宏という漢詩人を高弟 に三宅
㍾ 山等を友人に有した蕪村である。この外漢詩文壇の人々との
④荷も秋成をして﹁かな書の詩人﹂と云わしめ、 若 かりし頓服
響 をここにも見る。
て ﹁かな書の詩人﹂考を終える。蕪村は
前書を存分に活用して 旬 と の間に一極の交響詩を打ち建てたと見る
であり、律詩ばかりを選んで収めたものを主とした。
註李太白詩二十五巻しが江戸時代に和利きれている。江 月時代
普及した杜甫の詩集のテキストは明の那博 の門柱律集解口外はいこ
刊書の活用を付言し、以
ことができるが、その中でも詩題や詩句そのままを前書とする手法
廿 三日即興﹂と あり、 樗
⑤後集は﹁帰去来辞﹂︵﹁文選﹂所収︶を収める 故 掲出。 コ陶
作 。 ヨ伯の日記しに﹁三月
渕 明の作であるかは 疑問。
八工1 4V は第一句から第四句までに当 ることを 一
万す。以下
ゑ ・几董と三吟歌仙。﹁句集﹂に﹁春景﹂と前書あり。
⑥安永三年
⑦
同じ。
⑧実は、首代の 詩 とは云えるが
⑨﹁明和五年句稿﹂﹁句集﹂にも所収。
ほ ない。 旬
﹁桃源の ろ
は安永初年に成るが、前書は天明二、三年頃コ玉享 反古 口に キ人
⑩﹁句稿屏風﹂﹁落日庵﹂、書簡にも見えるが前書
本 ﹂にも所収。
れる時になって付けられたと考えられる。
⑪﹁百たむし﹂﹁落日庵﹂﹁遺稿々
ぢの 細さよ 冬籠 ﹂︵遺稿︶、﹁新三子福L に 中セ ﹁道 の 細さ
陶渕明ヒの
一泡知 義民解説を参照。
よ ﹂。蕪村の住居は露地の奥にあった︵書簡︶。
合即農耕口入 従 。所ノ憩 桑村 垂余 。
蔭寂稜随 。時去春
蚕収 ,
長 系 - 枚 熟曲 二王税 - 荒 路援交通鶏犬 互鳴吠
⑫﹁
⑲相
る ︵王維の
臣
深巷 中 - 鶏鳴 二桑風韻 -
輯鳥恋 二口称- 池魚 思 ニ枚渕 - ⋮⋮ 楡柳蔭廿後篇 - 桃李 羅呂堂
項 ︶。蕪村のこの句も勿論自身の栖を云ったものであ る 。
⑬王維には自らの住み処を桃源に喰えた詩句があ
⑮
星座狗吠
作。﹁句集﹂にも所収。﹁耳た むし﹂に は ﹁三月セ
八 51 %V
前 - 暖暖 遠人村依依櫨
⑯安永二年
所収。
自発句会離婁 亭 、 題桃 ・春タ ﹂とある。その中の﹁桃 ﹂ 0 旬。
⑰安永六年以後の作。﹁夜半里﹂﹁五車反古﹂にも
五ハ
⑱天明元年の作。二幅より成る。一幅に﹁日本東 成 謝寅 面拝
ったものか
1
@
ロL ︵﹁
仙
作。﹁焦尾琴 説 ﹂﹁遺草﹂﹁夜半里﹂﹁鴈風 ロ
衰 中部 の ﹁入 桃花原詩﹂を題する。
書﹂と落款しているのが注目きれる。もう一幅の図上 には明の
⑲天明二年
絃 の琴 ﹂と表記︶にも所収。
社高賢伝 ﹂に依っている。
古文真宝 L の李白の二詩の注に見える。それに依ると﹁ 蓮
コ
と 推定。
⑳この句は抹消してあると。前句の別集で採らなか
⑳
⑳蕪村が自らの発想の構造を解き明している興味深
コ
句集目にも所収。﹁明和六年句稿﹂に 中セ ﹁月
⑳﹁落日庵﹂﹁句集﹂にも所収。
⑳﹁落日庵﹂
講
作 。 コ句集ヒ に上五﹁ところてん﹂と仮 名表記︵ 中
作 。﹁句集﹂にも所収。
におはすや﹂の 句 形で所収。
⑳安永初年
⑳安永六年
セ ﹁逆しまに﹂︶。﹁ 題叢 ﹂に下五﹁銀河三千丈﹂。
﹁張良﹂の
⑳岩田氏﹁花村 | 主として漢文学の影響に就きて | ﹂︵岩波
作 。﹁落日庵﹂にも所収。
座 日本文学 ん ︶参照。
セ 年正月大来 堂鉄 僧の新居に太祇らと遊び、
雪 折や雪を湯に 焚釜 の 下 ︵句集︶
⑳明和八年
⑳
⑳明和
る。﹁落日庵﹂にも﹁張良質﹂と題して所収。両者共同 じくこ
題で 詠んだ 旬 。画賛 句 ︵呉春筆黄石公図に賛した % な ど ︶も め
徐泄 ﹂が正しい。﹁徐 ﹂は徐州、
の 李白の詩句を前書とする。書簡にも見える。
⑭前書は﹁株洲﹂とあるが﹁
顔 見せや 暁 勇む 下那 の 橋 ︵明和五年の﹁顔見世﹂ にこの句を
哉 ﹂、﹁しばふく 風﹂に﹁張良が五百日もどす師走か な ﹂。
﹁皿 ﹂は 酒木部。即ち﹁ 徐泄 ﹂で下郎の 地 万を指す。
⑫﹁句集﹂にも所収。﹁落日庵﹂に﹁ 石公 に五百日 戻す師走
⑱
踏まえる。︶
⑳﹁落日庵﹂﹁句集
、ハ
し Ⅱに
トも
ヘ所
ナ収
Ⅱ
。ハ
⑧菅居立山陰り夜雪初春月色清朗、四望皓然。独酌 "酒 、計二左
忽憶 戴達 。 蓮 時花。剣。 便 枝束 二小船車㌍ 之。 経。
思招隠詩 借方 至。 造 。門下。前面皮。人間 其故 @徴之日 、本表。興 而来
興
ハ尽
ハ面
ハ皮
ス、何必見 %安道 部。︵列伝 巻 第五十、王 徽 之@
マ."
この故事によった﹁王子猷訪載 安道 図﹂︵天明光︶も あ
晩年の傑作の一つ。
ッて ﹂。﹁仮
作。書簡、﹁ 仮 日記﹂﹁遺稿々 本 ﹂にも
書簡に下五﹁崖の海﹂、﹁夜半里﹂に上五﹁水に散
⑳安永六年
た ﹂の左に
た 投壺は 、
﹁夜半里﹂
所 収 の数包 を
日記﹂に前書あり。書簡︵安永六年一月晦日付震天宛、 何来宛
同年春二日付︶に詳しい説明あり。﹁渡河歌 ﹂第三百 参 照。
⑰安永一八年五月十 セ 日付大 魯 宛書簡に﹁新花摺﹂
記し、この 句 冒頭。 何 後の評語に注目。
書簡にも所収。
﹁句集目にも所収。
⑳﹁安永五年句稿﹂﹁安永五年発句集﹂﹁落日庵﹂
の
⑳﹁ 耳た むし﹂﹁落日庵﹂にも所収。
⑭﹁落日庵﹂に上五中国古代に行われ
天明朔風流人間に流行した。
⑫明和八年以前の作。﹁遺草﹂にもあるが﹁きぬ
春 ﹂、安永
コ句集 L に コ舟ぜや 散きくら﹂。
コ句集 L に﹁風人 馬蹄 軽﹂ を
芝摺物﹂︵前書﹁老杜立句一片在来減却
﹁ころも﹂と 傍書 。﹁落日庵﹂﹁ 耳た むし﹂に下五﹁ 衣 かな﹂。
⑱﹁山伏
六︶、﹁句集﹂にも所収。
前書として所収。
⑭明和八年以前の作。﹁落日庵﹂
⑱﹁木の下﹂は、源頼政の息 仲 網の愛馬の名。
釜 白状の写し︶﹂。なお﹁ 同居 セ部
口第 Ⅱ 巻 所収。 何後に﹁化句は三本木 の水楼に 上
り東山の斜 景 に対して云々
⑳﹁子規全集
大文字山といふ頭をとりて
集 附録﹂にも所収するが、この詩句前書はない。
大文字や谷間の蹴 践もへんとす
⑰この句については高橋庄次 氏に 伊勢音頭との 関わ りを突いた
考察がある︵﹁蕪村に関する三つの問恒 ﹂連歌俳話研 究 ㏄ 号て
セ年作 。﹁落日庵﹂にも所収するが、前書やや興 ろ。
八 Ⅱ| Ⅱ V
君 今在 臣
羅網 - 何奴吉二羽翼 - 落月潤二尾梁 - 猶疑 見呂顔色 -
⑱安永
⑩
に 上五﹁行者 の﹂とあり、金集の 何 として出る。
⑳安永六年以後の作。﹁夜半里﹂に上五﹁ 行 春を﹂ 、 ﹁花桜帖﹂
⑭起工勾践の忠臣。下町して巨万の富を積む。
⑨﹁句集﹂にも所収、﹁郊外﹂と前書 す。
作。書簡・﹁夜半 史 ﹂﹁遺稿々 本 ﹂にも 所収。
⑱﹁落日庵﹂にも所収。
旬は鼠に自己を投影していると思われ、より寂蓼 の自己を
4 のみ詩友 対俳友への思いということでやや関わりが濃い
⑭安永五年
⑥
思 う 感があり、むしろ対照的な性格も有している。
五セ
五八
⑭川を擁する︵ ﹁河をへだてて住みにき﹂︶。
推定。
ほとんど受容されていないこと︵寂蓼と悲壮は異 6︶が
したことが記さ れている。
⑥﹁几董句稿﹂ 安永 セ年三月十五日の条に和田岬隣松庵に小集
脂水流立花
径 - 春星帯 二
草堂 八l
・1
︵前半の叙景部︶
1 4V
風林繊月薄衣蕪辞 琴張
ぅ である。
それを詰る。ただここにあっては4に悲壮の美学が認められそ
⑳蕪村自ら十分認める杜甫の悲壮な詩情、憂愁の詩 境は蕪村に
⑦
路﹂を﹁道﹂と表記︶。
⑳自画賛にも 所収 ︵﹁
宝主要︵﹁楚辞巻
﹂第十二、招隠士︶
⑰王孫油分不帰 春草生分ぬ
なる前年社中に 不和を生じ︵背信行為などあり︶、大坂より兵
芦陰 舎人智は 旧徳島藩士で明和三年致仕して上洛。この句の
第三句など蕪村の﹁春の水すみれつぱなをめらしのく﹂等の
⑱
句を反射的に喚び寄せる。
十四日大宮の 実内で兵庫へ行き十五日和田岬に赴いた。それか
庫に移り住んだ。安永セ年三月九日蕪村は几董と大坂に下り、
大智をかばい、 その心遣いには特別なものがあった。一万蕪村
ら間もない同年十一月十三日に大魯は没している。花村は終始
氏 ﹁与謝蕪村﹂参照。
⑳明和八年 作。﹁蓑虫説﹂﹁句集﹂にも所収。
銭起 ﹁酬﹂の﹁曙鴬﹂ や ﹁聴 ﹂
宮
句と合せてみると、
片折﹂﹁旬
作。 ﹁宿の日記﹂﹁落日庵﹂﹁幣袋﹂﹁
氏 ﹁与謝蕪村﹂参照。
拳 臣一足- 月明秋水寒 ︵
賦得白鷺鷺・・峡
・︶
⋮八ェ ・2V
五絶、﹁白鷺鸞﹂︵五絶︶
王稚詩集L参照。
顧 文綿 本 ︵
文直木︶では﹁一向﹂が﹁四面﹂となっている。
二世
晴 -悠然第ニ黎杖 - 帰向二桃花
源安得捨 二座網 - 払レ衣辞
⑯石田幹之助
⑲
⑱岩波文庫﹁
⑫
⑩安東
⑭白鷺
集﹂﹁俳話品彙﹂、書簡にも所収。
⑲安永三年
も郷里芋居村に は帰った形跡がない。
篤二の﹁ 春鴬哺ニ曙光二なども蕪村の詩想を育んだ と 云える
⑳安東
⑳この
かもしれない。
⑪王維の真蹟は現在伝わっていないが、元明代の模 写があり、
我国にも数点存する。
⑫﹁王維の生涯と芸術﹂小林大市郎著に収載されて いるこの国
巻の写真を調べた所、次の図に垣根︵或は柵︶と覚しきものが
描かれている1発端之一、 ニ、華子両国、孟減劫図、文香餌 及
斤竹韻図、木蘭柴図、鹿柴図、北埋図、漆国国、淑園図。館に
は竹垣らしい垣根が、園には柵が描かれている。蕪村は文香餌
⑯﹁落日庵﹂﹁ 遺稿々木﹂にも所収。
子 ﹂﹁ 准 南子﹂ ︶より知己を云う。
伯 牙の琴の音を瞳子期 が聞き分けた故事︵﹁ 列
著 ﹁長安の春﹂︵東洋文庫︶
維が垣根﹂とは王維の蝸Ⅲ庄 一帯に展開きれる垣根の全的イメ
も知れない。特に館のある所でなくとも構わない。つまり﹁王
か孔席の図に描かれた垣根をイメージしてこの句を詠んだのか
|ジなのである。
⑰﹁知音﹂は
⑱王維は陶 渕明敬慕の情より﹁東皐﹂をしばぐ用 いていると
し、一時は法体となり寺に宿 して釈氏を
⑱﹁落日庵﹂﹁句集﹂にも所収。
⑲安永六年以後の作。﹁夜半 曳 L、﹁句集﹂︵﹁春 夜席 会 ﹂と
前書︶にも所収。
⑳蕪村は浄土宗に帰依
一万 王維
名 のったこともある。その発句にも浄土宗関係の素材 がしば
詠み込まれ、法然への帰依は敬虔なものがある。
王維﹂︵漢
の浄土教帰依︵仏教信仰︶は余りにも有名で﹁維摩詰﹂と 号し
たことに象徴的。宗教白露わな詩も数多見られる。
⑳﹁王維﹂︵中国詩人選集︶の 趺 ︵小 Ⅲ環樹 氏 ︶ 、
誇大系・原田憲雄 氏︶、拙稿﹁蕪村に於ける詩的沈め 世界1人
図﹂﹁竹渓詰陣 図 ﹂を初として。
影と 日光をめぐってー﹂︵コ国文目白L Ⅱ 号 ︶参照。
一派に顕著
魔 ﹂﹁遺稿々 木﹂にも所収。㍉遺稿口 には 申セ ﹁南ハ
趙殿 底本︵中国詩人選集︶には﹁麻竹﹂。
⑳﹁竹林茅屋
⑲
⑨﹁落日
いづこ﹂。
な 特色でもある。特に几董。
沈
⑮明瞭なるものは 花 旬を見出する。なおこれは花村
⑳﹁王維﹂︵漢詩大系︶
⑰㎡杜甫 | 落日︵9︶、晩景、返照、斜日、日初
略と 桃源に於ける 路
李白1落日︵ 8 ︶、斜日、日西 タ 、 日落
て証左とす
道 ﹂が㏄ 句 、﹁ 路 ﹂が 目句 、﹁ 径 ﹂が 5 旬、 占 めて㏄旬を
⑳桃源への
⑳﹁
見出する。
る。蕪村の南画には夫に多くの道と道行く人が描かれている。
⑳発句ばかりでなく﹁春風馬堤曲﹂と多数の画を以
例えば﹁竹渓訪隈回﹂や﹁竹林茅屋図﹂を見よ。
⑪岩波文庫 コ王維詩集L の解説を参照。
日付玉名宛書簡は句の心を語って注目すべきもの。
⑫﹁夜半里﹂﹁五車反古﹂、書簡にも所収。安永 五年九月廿二
北寿老仙をいたむ﹂も第一の好例。
⑱五五﹁冬がれや﹂、﹁ 物あれて﹂とも。
⑬既に芭蕉の時代より例はある。特に目立つのは 其 角。
⑭﹁
蕪村の句の出典的テキストとして主として用いたものは、古典
付記
俳文学大系所収の﹁蕪村集﹂と同花村全集﹂︵百 朋堂 ︶及び﹁ 禾
冊蕪村句集﹂であるが、これに句形の移動が示き れていないもの
や欠落しているもの︵出典等︶もあり、これのみに依っているの
ではない。又、原出典も右の﹁蕪村集﹂に倣って、書名は略称を
以て指示した。
表記について漢字は、発句・漢詩等の引用部分に於ても、
原則として新字体がある場合これを使用した。但
は原文の表記を重んじて、つとめてそのままにする よ う にした。
五九