﹁やや﹂と梢 ﹁﹂ じかに ﹁やや年も暮れ﹂ | ほ 古在 0 コ奥の細道 L の冒頭の文 考 月日は百代の過客にして、行か ふ年も又旅人 也 。舟の上に生 涯を浮かべ、馬の ロとらえて老を迎ふるものは日々旅にして旅 を 栖 とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年 よりか 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず。海浜にさすらへ、去 中村家 彦 であろうから、﹁ようやく年も暮れ﹂では作者の気持と乖離する。 また年月は﹁流れるよう に過ぎ去る﹂のが通念であるから、﹁だん だん年も暮れ﹂という表現は異例である上に、こ のように 間 伸びし た表現はこの前後の高揚した文章の格調にもそぐれない。﹁やや﹂ を無批判に通常の﹁ようやく﹂﹁だんだん﹂の意に置き換えた従来 の解釈に問題があるのではないか。以下、﹁やや﹂の語義を漢語 ﹁梢 ﹂の字義を参考した上で再検討し、改めて﹁やや年も暮れ﹂の 意味を考え直してみたい。 が, 年の秋、江上の破屋に蜘の古巣を は らひ てや ち年も暮れ、巻立 説 てる霞の空に白川の関越えれと そぞろ神の物につきて心をくる ﹁やや﹂の字義については、小学館コ日本国語大辞典 口 詳しい。 やや︵梢 ・漸︶副詞や︵ 弥 ︶を重ねてできた語 解 ませ、 ある。文盲 は、﹁蜘の古巣を における﹁や し年も暮れ﹂についての 一般の﹁ようやく年も暮れ﹂ ﹁だんだん年も暮れ﹂の解釈は不審で 排 ってようやく落着いたと思う間もなく慌しくその年も暮れ﹂の意 五 八 かなり程度の進むささ相当 に ︵神代紀 ・下 ︶やや 久しくして ︵伊勢︶夜 ふけてやや 涼 しき 風吹きけり 次 第に順 く 入る 徐々に を迫りてだんだん︵ 源 ・浮舟︶消え残りたる雪山深 ①ある物事が少しずつ進むきまを表わす語 ままにやや降りぅづ みたり︵十訓抄・六︶やや日数ふ を 挙げる。要するに基本義は次の二義に集約される。 少︶いくぶん少しちょっと 漸︶いよいよ次第にだんだん るまま に老の力いよいよ弱りて Ⅲ︵ ㈲︵ 更に、前掲③の、﹁時間的な経過﹂のうち、⑦﹁しは らくの間﹂ ② 他と 比べて物事の程度を表わす語 ある物事の状態が大小・長短・上下・明暗・良 悪などの 対比約 五九 ①単なる時間的経過︵そのうちにやがて︶ ②延伸義 時間的な経過を示す ︵いよいよ次第にたんだん︶ Ⅲ︵ 漸 ︶①基本義物事が少しずつ進むさま やや︵弥々︶ ように整理する。 て﹂等をこれに属さしめることとし、これ等を総合して、一応次の ないものの﹁やや﹂の訳語として厘 々表 われる﹁その, ヮちに、やが ①単なる時間的経過を表わす場ムロとして、諸辞書 に 登載きれ 更に 、㊥④に対して ④物事の進行・実現に多少の障害がある場ムロとす る 。 ㊥物事の進行・実現が比較的容易である場合 程に応ずるものとして、 は ﹁物事の程度を表わす場合﹂に準じて②に移し、㊥① は実現の過 0 二︶ な比較において少しどちらかの傾向を帯びているさまを表わす いくぶんいくらかちょっとすこし︵万葉三・三 児 らが家路やや間遠きを ねば玉の夜渡る月に競ひあへ ぬかも もすれば ちょっとの間︵源氏・若菜上︶ 人 々もそら ③特にいくらか時間的な経過のあるきまを表わす ①しばらくの 問 寝しつつやや待たせたてまつりてひき上げたり ㊥時のたっうちにどうかするとややもするとと ︵無名抄︶やや達摩宗などの異名をつけてそしりあざけ ㊤実現し難かったことがしばらくしてどうにか成り丈 つさま やっと︵俳話・要三年︶芦の枯葉の夢とふく風もやや 暮れ過 るなど︵ 俳詣 ・父の終焉日記︶五月三日医師の来るを のみ 待 居たりけるに日入果て門々に打 ともす 比やや駕の見 へけ ねば 他の辞書でも、いよいよ・一層・ようやく等の訳語が異なる程度 @] 大差はない。ただ﹁大日本国語辞典﹂及び﹁広 辞苑﹂で ま で ㊥物事の進行・実現が比較的容易である場合 ︵どうかするとともすれば︶ ④物事の進行・実現に多少の障害がある場合 である。なお 山ハ O ﹁漸 ﹂はもと大名で、次第に水に濡れる煮 より転じて やぅやく 偶く 和語﹁やや﹂の基本義と一致す 出 。物有 /漸也︶すくないち ひ さい︵ 小也 ︵ 次第にの意を生じたものと説明される。諸橋﹁大漢和辞典﹂は、 梢やや 少 也 ︶の二基 本義を挙げるが、 る。而して﹁梢 ﹂に﹁ 己﹂の義のあることについて、小島憲之 博士 ︵ようやくやっと︶ 他と 比べて物事の程度の小さいさ ま は山寺 約 コ話詞曲語辞 腫釈 ﹂の説を引き、 若千の萬葉集の語例で示 ㈲︵ 少 ︶①基本義 ︵いくぶんいくらかちょっとすこし︶ 梢 ﹂に、 漸 ・少等の義の他に﹁頗 、深也甚辞 ﹂とす 曲 守約は ﹁ きれたが、こ の説はまだ一般に普及していない。 ︵かなり相当︶ ②延伸 義 ①かなり程度が進むさ さ る説等を挙げ 、更に、﹁硝 、猶也巳也 。李白︵略︶ 詩 ﹁坐来黄葉 落 巳通 ﹂以下韓愈、柳宗元 ︵しばらくの間︶ 掛 西城楼﹂ 巳 一作梢 。 硝与 。 ㊥少しの時日・期間 四五北斗已 から 蘇拭に至 る多数の唐 末 の語例を挙げ﹁ 梢 ﹂に﹁ 己 ﹂義のあるこ ﹁やや年も暮れ﹂の解釈としては﹁時間的経過﹂の①﹁その う ち に、やがて﹂が幾らか適訳に近いが正確ではない。﹁や や ﹂に はこ 叩︵漢書六十 楊倣翠陰大地。:::露光愛厚志、梢遷至 昌大司農 曲子細の 引証は詳細に亙 るが、それ以外にも、 はない。︶ る。しかし実 際 はこの 両字は通用すること多く 、使い分けは厳密で 在完了 態 に当 り 、類義の﹁ 既﹂が過去完了態を表わすのと射出され ﹁ヲ ワルト ヲ ヮ ラザルト ノ間二 アル 辞 ナリ﹂と説明する 0 いわば 現 その結果が現 在 に及んでいることを示す。宇土新口文語解 二では、 ︵なお、﹁已 ﹂は 日過重語辞 口 ︵集韻︶で、ある事態が発生し、 とを論じて 詳 しい。 コシ の れ等 以外の解釈はあり得ないのか、同義の漢語﹁梢 ﹂ を参考 し て考 えてみたい。 ヤクス エス の先が次第に細小になるので小、少の義と共に漸の義を生じた もの とあり、投法に ﹁硝文言、小池生出、古言漸進之謂﹂と注する 0@ 睡 丁ひ 吟 梢 、出。 物有レ漸也 訓を宛てる。コ説文二に、 ﹁梢﹂は コ類聚名義抄口にヤヤヤウ 一 六・ 楊倣︶ 伝 已﹁ 遷 他、﹁漢書二列伝に多く見 硝受 遷け ﹂ |ら 形文 れ は意 る上 ﹁ セ十六三 ・ 、セ 十・ 四三 ・諦 丙 伝、 吉 |﹂の意であろう。︵伝 六 十 が多 楊僕 広告︶﹁文選﹂に もい こ。 の例 章伝 、九十 王・ 温・ 釘 、関山極 姫 。風窓 架台遠 秤 。揺 起、白日 匿西 。客土 ハ恨賦 ︶ 巻 四十一 夫人/ 不 熊早口 臣縄 裁墨 之外 @ 以梢 陵遅華 鞭ミ 塞之Ⅱ 間 ︵ 報佳生郷書︶ 理 旧︵ 交 り 印万棟二発校 秘蔵 孝成皇 怒帝 三学頭文 梢火 離其 、 ミ其 ︵ 巻四十三移譲 書 太常博士︶ その他 敦﹁ 焼 変文﹂にもこの義が見える。 如何 得。 飯。︵ 唐太宗八 記︶ 具 朕相似二 頷@ 朗 の 日本武尊、 於 。 是始 百ニ痛身 @ 然 % 超 之 、 還ョ於尾張 れ ︵愚行紀 ・四 十年足 年 ︶ ㊥皇后 看 二島魚鳥之遊 @ 悪心 梢解。︵ 仲哀絶・八年正 月 ︶ 神后紀 ・元年 兵消 退。武内宿禰世臣精兵 面道 芝 。︵ ④︵ 忍熊王 ︶ 曳 。 二一 刀口︶ 客襄世清等 @帝 官ニ往意ゅ拝送 /切畑 /別。︵推古 紀 ・十 六年八月︶ 鴻 陣吉 草 ㊤︵皇帝︶丹款 之美 、 朕有 。悪罵。硝喧 。比如 。博也。 故 遣 ﹂ ㊦蝦夷 以為 軍毅猶多 、 面相引退 之 。 於 。是 散卒 更聚 、亦 振ノ旅烏。 ︵行 明細・九年三月︶ 已に起ちて﹂ 6 段是果安 、追至 二八口印::疑 。百二伏兵︵方相引退 之 。︵大武紀上 元年 ゼ月 ︶ ①の﹁ 梢 ﹂の 解 、﹁少し﹂、﹁次第に﹂は不自然で、﹁ が適訳である。︵﹁硝 ﹂には、﹁やっとのことで﹂の義 はない。︶ ︵維摩 経講 詰経文︶ 用至 例の ㊥は、﹁少し﹂﹁次第に﹂の解も成り立つが、より直 裁 的な﹁已に﹂ ﹁漢書﹂より﹁ 唐文 宋 の 選 詩、 ﹂﹁ 、 敦焼 変文﹂類る に 汎さより梢 、﹂ ﹁に巳 ﹁ ﹂義が存するのは的 かな な用 り法 普で 遍あに従いたい。④㊥の﹁梢 ﹂も同様。﹁兵を退ける・︵兵 が 退く︶﹂ 伸て 義 に、 思こ いの か 否かが問題であって 、少し、次第にの如き細叙は必要 としない 簡 ったが、後世義 は に在 よ来 る先入感に囚わ 延れ 潔 な記録文である。㊤は、﹁岩波古典文学大系﹂でそれぞれ﹁ ヤゥ 及ばなかったのではないか。これあ がっ ﹁た 普と 通す ﹂れ の 用 法 で 。前者で ヤ 本書幻串 出刃 で、﹁ ぱ、当然本邦の漢文表現にも影響日 し て い る は ず ウ ヤクは、交通に数十日を要したであろう両地間の時候の挨拶 語と 葉菜口の次の例がそれであろう。 一 温かなり﹂ しては不自然で、これも現在での気候を叙する﹁スデ ﹁日本書紀﹂ 山 、 /一 、 ノ一一 コ萬葉集目においても、 この四例 す 本邦におい ては﹁書紀 ヒ ﹁萬葉ヒ 以降、少数の例を除いては見出し難いようで 足 の惧 れはあるが、この用法は漢土に於ては近世以降、 以上、漢語﹁梢 ﹂に﹁ 巳﹂義が存することを概説したが 、調査 不 せる。︶ ︵全八例中、 セ例が 已 、一例︵ 四 0 セ 一ヨ番歌 のみが﹁ 少 ﹂義に解 べて﹁ 已 ﹂の解が適当し、﹁少 ,漸 ﹂の義は全く当 つていない。 雲を望む意が切実なのである。 の 解が適 ヤ ヤ 二 往 当 ウ クく す は 全 意 る然 を が 。宣 後ぶ 者﹂ もで ﹁ た ﹂ と 解 す る 通 じ な ス い 問 デ 。 の 二 ﹁ 意 往 釜 を 日 述 商 べ に 託 し て 上地 のも 例な でる はので一応 言 ス ハ解 ナ テす とる余 以 で き る 。 梢 ﹂ 巳 ﹂ Ⅱ の ﹁ 義 で 解 釈 一 部 の 保 留 を 除 け ば 、 す べ て ﹁ ヒ 萬 葉 集 ある。 ハ 鞘り基本義 丁 4 かなり 実現の結果すで 延伸 義 ることができる。 ︵漸︶実現の過程しだいに 丁 乙 @ ところで、この﹁硝 ﹂ 丁 ﹁巳﹂の延伸については次のよう に考え か。この点、更に専家 のど示教を得たい。 り、やがて﹁ 已﹂の本字に吸収きれ、消滅していったのではない やはり、﹁ 梢 ﹂の基本義に対する、一時の延伸義 、特殊 用法であ ︵ 巻 十 八 ㊤五月六 梢 百 色 日 也 。 二 以 滴 来・ 起四 立小早Ⅱ百 一 一 一 一 一 ︶ ︵ 小 ・少 ︶少し これと同様の語義の延伸が﹁やや﹂の場合にも起ったと考えられ っても用例の乏しさから、この推定は困難である。︶ これに影響 されて、 ヤヤ にも スデニ の意を派生させたとする考えは可能性はあ はしないか。︵﹁梢 ﹂Ⅰ﹁ 己 ﹂の別義を理解した上で、 忌 でも 、﹁ 故田 に園 雨に巳に潤 換 で手 ある。㊤ 立 一 一 である。 る。 、 場 介 す 認 ( 場合 すで い で ム白 語 で 語げ程 「 と 掲 る し の 」 の か 歩 他方の 「 ・ は往々 少 「 が めれ「やや」 類に いよ 主 に と ら と し つ @% 和語﹁ やや﹂に延伸義 として、﹁すでに﹂を認めてよいかどう シ カス 。 問題 文 ﹁やや年も暮れ﹂に対する 従 来の これを確 議 する前に 、ま す はや ぅやぅ 、だんだん、そのうちに、やがてそのうち@% 諸説を吟 抹 しておきたい。 ④やや などの意 で諸説同様であり、﹁年も暮れ﹂は元禄元年も終ったと い 副詞ようやく、どうやらこ う やら、やがてそのうちに ふ意。︵ ﹁評者奥の細道 L阿部喜三男日栄 社 ︶ ㊥やや そうこうしているうちになどの 意 。庵にこもって旅の疲れを休 ている芭蕉の気持が出ている語。︵明解古典学習シリ ・ズロ お く 0 。よ うⅡ ノ 。芭蕉の﹁寒夜 辞 ﹂に﹁芦の枯葉の夢とふく風 はそ追口 三省堂︶ ④やや もやⅠ暮 れ過ぐるほど﹂などともある。︵国文評釈叢書﹁おく のほ ノ Ⅱ 、 ぼ っノⅡなどの 意 @Ⅰz%廿ト 。 やぅ やく、やっと、だん そ適評釈 ﹂杉浦正一郎東京堂︶ ㊤やや ノ 人はよく 用ぬ た。古くも少々の 意 とやうやくの 意 。︵即ち漢字 の僅 と籠の意とに両用した。ここはだん Ⅱの 意 。︵樋口才 コ奥の細 道 そ ぅ こうしている,フちに︶やがて年も暮れ︵岩波古典 文学 だん だん、 やうやぅ 。︵山崎喜好 ﹁会釈奥の細道﹂ 塙 書房︶ 評釈白麻 口書房︶ ㊥ ⑧︵ 大系﹁芭 蕉文集 ヒ 頭注︶ 山 、一二 う やら﹂ ﹁そうこうし 諸注釈 共大同小異で、先に記した﹁ようよう﹂・﹁だ んだん﹂ 二 説の他、﹁やがてそのうちに﹂・﹁どうやらこ 四 Ⅹ しないところから、﹁やや﹂の原義から離れて前後の文意から導い ④枯芝やや や ﹂の例を掲げる。まず発句について、 ︵ 薦 獅子︶ ︵笈の小文︶ しか げろふの一二 寸 た意訳であろうが、単なる二音節詰め ﹁やや﹂が、かか る重層的 ③春もやⅠけしきととのふ 月と梅 か げろふ が 一二寸も立 複 ムロ 的意味を担っているとは考え難い。﹁やがて﹂は比較的素直な 拘 わらずに句意を取れば﹁早くも︵すでに︶ であってみれ ば、 ﹁やがて年も暮れ﹂では作者は そめて、漸く 、の 見方は当らない。同じく伊賀滞在中の同時の作 と られぬ程度の陽炎﹂と記すが、一二寸も立つ陽炎に、ほ のかに立ち 頭注では﹁やⅠ | 漸く。ほのかに立ちそめて、まだはっきりと認め っていることよ﹂の訳であろう。岩波古典文学大系コ苗佳句集二の 年の暮れを迎えようとしている意となり、現に﹁泰正てる霞の空﹂ 思われる句にも﹁丈六にかげろふ高し方の上﹂とある。 ︵日本国語大辞典︶ を望んでいる作者の姿勢とは一致しない。しかし諸説の中では、 そ に早くも︵すでに︶一二コのかげろふを認めた心のはずみを詠じた まを表わす語 のうちに、やがて二話が最も文意に近い。実現の難易に揃 わらず、 旬 なのであろ ,フ 。 早春の野山 であるからであろう。しかしこれ等も﹁実現の過程・経 過 ﹂に重、心 を置いているからム﹁の﹁春 立てる霞の空に﹂とは文脈上 芭蕉 講座 口 では、 けし きがだんだんとととのってくるの意 ﹂とし、 コ ㊦も、大系頭注は﹁やⅠ、ようやく。月光の瀧と梅花の綻びで春の るかで味が 異なるが︶ やぅやぅ といふ時間的推移を含めて解したい ﹂と記す。 ﹁︵次第に 、やうやう などと解するか、 梢 @ の意 と解す 勿論この解も成立するが、しかし段階的に、 徐々に 春 0景趣が整っ 解するのが しもその視線を春霞の立っている空の彼方に注いでい るのである。 自然である。作者は慌しかった元禄元年の暮れを回顧しながら、今 元禄元年も暮れて︵ ム﹁︶春霞の立っている空に::﹂と 無理の残る解釈である。やはり、延伸義の Ⅱ 、 ③に 従 って﹁すでに 接続し難く 、 時の経過そのものを表そうとする、いわば主観を排した無色の表現 ム﹁、年 末 にあって やがてある事態が推移して引き続いて次の事態が出現 するさ 哉に 続く句で ある。やⅠに ④は、初春の、 春 立てまだ九日の野山 それでは芭蕉の他の用例ではどうか。﹁芭崔 語彙 L によ って﹁ や 四 訳 であるが ている うちに﹂等の訳がある。ようよう・だんだんでは文意が安定 /@ "'"" てくるとするよりも、﹁︵不充分ではあっても、すでに月と梅 との 本質的な景趣は整っている﹂︵いわゆる早梅を詠じた ﹁春は枝頭に ありて十分﹂の詩境︶とみる万が詩 としての 深 味がある のではなか を糊 て、 ︵芭蕉を移す 詞 ︶ び たるありさま、松の木の間に月の影もりて信心やし骨 る程にこそやⅠいで来にけれ。︵洪範の銘 ︶ 本 し 。︵ 俳諸 ・四幅対︶ 秋 のあはれ、戸車 ョのながめより、この時はやⅠ卯月の 講座 L に 、 ﹁お前の顔も大分ふけたなと言 ある。①も同じ元禄三年頃の作と推定きれる﹁書付の 十年あまり、余は既に五十年に近し。 、同意の 、 ﹁すでに﹂の意であろう。 二様の解が成り立っが 、 に 主眼を置いて、﹁すでに﹂の訳を取りたい。㊦は少々 少し﹂﹁だんだん﹂﹁すでに﹂ 讃﹂ に大分の意を持たせるのには不安が残る。﹁すでに﹂ うて ﹂と 訳 す ん 侍れば、 百 景一 ッと だに見ることあたはず。︵夏時鳥 春 ろうか。 俳文においては、 ④汝がま の もやⅠ 老 たりと暫くなきて、︵甲子吟行︶ 汝が 眉もやⅠ 老 ひたりと年月のおこたりはかたみに泣 つヒ、 ︵白 髪 の吟 ︶ ㊤かつみ川北もやⅠ近 う なればいづれの草を花かつみ とは 云ぞと 人 々に寺侍れども、︵奥の細道︶ ㊨日影やⅠ かた ぶく 比、汐風真砂を吹上、雨檬瀧 とし て鳥海の山 か くる。︵奥の細道︶ ①五十年やⅠ近き身はみの沖しの蓑をぅ しな ひ、 ︵幻 住庵記 ︶ 五十年や ヒ近き身は苦桃の老木となりて、︵幻住 庵 賦 ︶ ㊦やち病身大に倦みて世をいとひし人に似たり。︵幻 任庵記 ︶ ぐ さ べ な ⑭ ⑧ 自 蕉 ト で 六 で 「 して問題はない。⑦の例はコ日本国語大辞典口に、 ﹁実 果 たことがしばらくしてどうにか成り立つきま。やっと﹂ と ば 、自然な時の経過であるからこの解は当らない。 ﹂の訳が適当する。⑪は程度を表わす場合と1︶て一応、 こ 挙げるが不審である。枯葉に吹く風と共に日が暮れて っ て 病身やト人に ぅ みて世をいとひし人に似たり。︵幻佳 庵賦 ︶ 寒夜 辞 ︶ 蕉 れ ⑦芦の枯葉の夢とふく風も引引暮過るほど、︵夢 七% 対 目 八エⅡ 成立し 、⑧は﹁ようやくのことで﹂と理解して問題は に ⑪ 猶此 あたり侍立去らで、旧き庵も刊 近 う 、三間の 一オ屋 つきづき 猶明月のよそ ぽひ にとて 芭 頭 が し り 、︵芭蕉を移す詞 ︶ 何 を樹、樹をかこみてやⅠ隠家ふかく、 社 廿 に 人 す べ は ⑦ ④ じ め る が 訳 が に 、 あ 現" ㊦ し と 分 実 ㊤ く の 理 倒 し の 「 々 も 少 い。⑭について大系頭注は﹁信仰心がいよいよ深く身にしみるよう だLと注するが、本文は﹁やし深く﹂ではないから、正確な訳では ない。これも﹁信心がすでに身にしみる﹂の意 とすべきである。 を一として ⑦ ほ ついて大意は、 ﹁もう春も過ぎて、春秋、月事 の阜示 見ることができなかった﹂というのであるから、﹁ なので﹂としなければ文意は通じない。芭蕉は別に﹁年光朗弥生の 末 に成行、花もいたづらに散果﹂︵意専宛書状︶と似た表現を用い ている。 以上、﹁やや﹂の用法発句俳文夫①|⑨までの十二例中、 ﹁すでに﹂とのみ解せるもの⑦㊦④⑦ ㊦④㊤㊥㊦ ﹁すでに﹂﹁少々、だいぶん、だんだん﹂と解せるもの ﹁少々﹂に解せるもの にみどり也 。︵三 ・支考招魂 賦︶ ノト ノ山Ⅰ Ⅰ ㊤先師深川に帰り給ふ頃、北辺の句ども書 あつめまゐらせけろう ち、大原や蝶の出て舞ふおぼろ月杯 いへる句、二つ三つ書人侍り しに、風雅の引引上達せる事を評じ、地借なつかしといへとは我 方への伝 へなり。︵六 ・去来丈草 諌 ︶ 珂刈 あやうからずといふべし。︵八 ・支考牧童 伝︶ ㊤されば世の中の老の坂越 たらん、異人は飢寒の間におきて風雅も ㊦浮世に米といふ害虫あり::ふるさとに侍りし中は川水にやしな はれ、案山子法師にもりそだてられ、やち 生ひ立ちぬる ま し践め ふせ屋に籾 とよばれ、︵八 ・去来電 虫伝 ︶ ①挽まはす力にその飢をたすくるは文王の始につかへ給へるに事た 十 がはず、引引いま様のむづかしき歌のふしにもかまはず、 ︵ ①は次第に、すでに、㊥⑪は少し、すでに、の両義に解せるが、⑪ 芭蕉石臼 頼︶ ㊤では、単に風雅の程度・段階を論じているのではなく、﹁風雅の ﹁ようやく﹂に解せるもの⑧ で、圧倒的に﹁すでにⅠと解せるものが多く、これによつても芭蕉 ﹁すでに﹂ 用 できるから、調査対象を拡げればその使用年代・使用例は更に拡 ロもしくは準 ここにおいても六例中五例まで、﹁すでに﹂の毒が適ム 義 でよい、 ら、 ﹁すでに﹂以外の訳は当らない。㊦は、﹁少し﹂の の訳が適当である。㊥も、米の最終生育段階の籾についてい うか 域 に達しているか不か﹂を主題としたと思われるから っである。 0表現として、やや|すでにの用法を確定してよいよ, 続いて、同時代の他の俳文の用法を、宝永三年刊の司風俗文選ヒ に例を拾ってみる。 引 ① 引す ぢ風粟の葉むけに立初、芋の葉ふりつく頃は金気世におこ なはれて星合の空もうち過ぎ、︵巻一 ・許六四季 辞 ︶ ⑦玩拍の霜をふるは県やⅠかうばしく、理唯の水をふ くめるは浦東 ︵l て 。︶ . しl ⑦ 刊 Ⅲ秋山の地元を離れ貝玉村に至り、︵℡︶ 偶 @読み返しているうちに気づいた、鈴木敬之 コ秋山記行白 め 側な ⑪北面右衛門は山に 猟し 川に漁る 事昼夜の差別なけれど、やち 五十 大 ・増加してゆくものと思われる。ただ ム﹁はその用意がないの で、 参考として掲出し、この稿を終えたい。 けた他は本格的学問を経ず、また江戸に長期在住したこともな いの 法が頻出する。牧之は地方在郷の好学者として俳話に関心を抱 き続 頃に草稿が成ったと推定される同秋山詞竹口 に、やや Ⅱすでに 0 周 とは﹁時間的経過﹂ ㊤⑦は﹁やがて﹂の意でも通ずる。しかし、﹁やがて﹂ ㊦一例、残り セ例はすべて﹁すでに﹂の意が適合する。 ﹁少し﹂の 意 と思われる①一例、﹁少し﹂﹁すでに﹂ と﹁すでに﹂ ただ①㊥㊤ 題の齢に及ぶまで奇 なる事に 逢 ずと。︵℡︶ で、その文章は特定の人物・書籍の影響を受けることのない、 その で、かかる簡潔な紀行文としては、 越後塩沢の人、鈴木牧之 ︵一セセ01 一八四二︶の、文政十 一年 時代の一般的表現をそのまま吾用とした簡潔素朴な文体であっ たと 妥当な解釈であろう。㊥⑰については、﹁すでに﹂以外の解は当 ら 直械 的な﹁すでに﹂ 0万がより 差 とするの 両 様に解せる 思われる。ム﹁、﹁東洋文庫﹂本によって例を挙げる。︵数字はその ない。 に 対する Ⅲ﹁やや﹂にはある行為の実現の結果として﹁すでに﹂の義のある 疑問から出発して、 以上、コ奥の細道 口 冒頭の﹁やや年も暮れ﹂の﹁やや﹂ おわりに か ﹁実現の結果﹂かに重点を置いた ぺージ数︶ ︵㏄︶ ①ひた登りに雲霧を掴んで酔 上り、やし絶頂に至れば露霜のみ ︵ Rし︶ ⑪やヒ 畑や茅原の花々たるを過ぎて大樹の中を片登り ④亦は檬瀧 たる大樹原を退行、や Ⅰ杣山と云、縄に五ハ軒の家も扶 疎に営みて::いと淋しき村に至る。︵lL ︶o ㊤け ふの遊山の空腹に︵茸を︶うまく味はひ、や Ⅰ夜 に入れば狩人 ㈲ コ相﹂には﹁ 已﹂の義のあること こと ㊥やち 黄昏近き故、急ぎ上結束村へ向ふ 。︵Ⅲ︶ を論じた上、これによって芭蕉の一部の旬・文への解釈、 及び口口 一人訪来たりたり。︵Ⅲ︶ ㊦此処はや し里近く、細き蝋燭を燃したり。︵Ⅲ︶ ト 本書紀 L コ萬葉集 ヒの若干の文章についての解釈を改 める必要につ セ ㊦時刻過れど家内は寝ず、やふ暫ありて臼にて何か摘立目垢 鎖なⅡ リ / 例 証の乏しさ 梢 ﹂も﹁已﹂の関係が﹁ や や﹂ 士 ﹁す でに﹂への関係に影響したのではないかと考えたが、 いての私見を記した。当初は﹁ 一旦ある段階 より、一応﹁ 梢﹂とは無関係にかかる語義の延伸を来したものと 推 走 する。一般に語義の転化延伸は容易に起り得るが、 での解釈が固定すると、その他の語義の変化はとかく見落されやす い。これをかつて常用義| 特殊 義 ﹁常語﹂と﹁ 特語 ﹂と して論じた ﹁やや年 ことがあ篤。文脈が通ぜず、文意が不透明な場合は一応その語義が ﹁常語﹂と﹁ 特語 ﹂の関係にないかを疑う べきであろう も暮れ﹂もそのささやかな例証である。ただ本稿は﹁やや﹂の 各時 ︶ 代を通じての広い用例の採集と検討に欠ける。これをム﹁後の課題と したい。 浅解の点 、ど 示教頂ければ幸いである。 注 ①小島憲文博士﹁上代日本文学と中国文学口中・八六八ぺ |ジ ②拙稿﹁萬葉集詩文訓話管見﹂ 劣 萬葉集研究﹂第十六集 集 塙き房 二五五ぺー ジ 巻 4 号︶ 46 ③拙稿﹁風土記訓話小見﹂|常詰 と特話 ︵﹁国語国文﹂ 六八
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