Yatsushiro Castle Story Yatsushiro Castle Story この地がいかに美しく、清らかで、 ころじゃ 豊かなと 八代は ゆう 登ることもできないようになっている…。 (ルイス・フロイス 『日本史』) た豊臣秀吉は八代に滞在。当時の八代は今よりもっと内 陸に海が入りこんでおり、 “海に開けたまち”八代の豊か さと可能性は、秀吉の心をわしづかみにしました。 ●白島 とよ とみ こ 高島 ● そ ぞう 小鼠蔵 ● ひで よし 豊臣 秀吉 (1537∼1598) おお そ ぞう 大鼠蔵 ● 水島 ● 南川 はじめ織田信長に仕えて立身出世し、後に天下を統一した太閤・秀吉。1587 年(天正15)4月、九州攻めの途中、大軍と共に八代の古麓に滞在しました。 322 豊臣秀吉画像(熊本市・本妙寺所蔵) 球磨川 い …その町へは、海路からでなくては入ることも 大島 ● 1587年(天正15)4月、天下統一のため九州に進軍し じょう 容易に説明できるものではない。 八代海 (不知火海) 八代港 ほう また優雅で豊饒であるかは よう 海に開かれたまち 八代 が 八代で豊臣秀吉に面会したポルトガル人宣教師ルイ ス・フロイスは、 八代についてこのように書き残しました。 この地を港湾都市として発展させるという秀吉の構想 は、 小西・加藤・細川・松井ら秀吉ゆかりの武将たちへ と受け継がれました。 秀吉の描いた夢が、 その後の八代を大きく変えることに なったのです。 336 前川 338 流藻川 2代目 「八代城」 麦島城跡 肥後 松浜軒 ● 松江城跡 42 251 おれ んじ 八代市 3 鉄道 ひごこうだ 九 州 西 回 り 自 動 やつしろ 車 道 14 線 島本 鹿児 南 古麓城 ふる 3代目 「八代城」 ● ◎ 徳渕の津跡 八代市役所 八代南IC 初代「八代城」 1600年代の 推定海岸線 ↓ 九州新幹線 だん 初代「八代城」 古麓城跡 肥 薩 線 八丁山 ▲ しろ 天正16年(1588) 秀吉は八代を小西行長に与える。 行長は古麓城を廃し、徳渕近くの沿岸部に麦島城を 新築。 2代目 「八代城」 しま じょう 1588∼1619 ……………6 が築城した海の城。八代を「港湾都市」 と構想した秀 九州自動車道 、時代の そして松江へと 麦島、 ら か 麓 古 、 は た八代城 しています。 秀吉が滞在し 史の光陰を残 歴 に 地 各 、 お せい すう り変わり、今な 趨勢とともに移 夢のあと…。 んか? 秀吉の たどってみませ せんちょう れた。1619年、大地震で倒壊。 松江城 まつ 3 え ……………8 古麓城上空から八代海を望む 元和元年(1615) 幕府が「一国一城」令発令。 八代(麦島)城は特例として存続となる。 加藤正方、 新城建設に着手。 元和 5 年(1619) 大地震により麦島城が倒壊。 正保 3 年(1646) 細川氏家老の松井興長が八代城を預けられ、翌年入 城。 これ以後、明治に至るまで松井氏が代々在城。 1622年、加藤正方が麦島城に替わって新築した平 寛文12年(1672) 落雷で八代城本丸大天守・小天守等焼失。翌年大天 守以外の再建に着手。 代産の石灰岩を用いた白い美しい城でもある。 として松浜軒 元禄元年(1688) 松井直之が母・崇芳院の御茶屋(別荘) を建てる。 城。江戸幕府が日本の要と位置づけた特別な城。八 竜峰山 ▲ 慶長17年(1612) 清正没後、幕府は加藤氏家老の加藤正方を 八代(麦島)城代に命じる。 が入城。 寛永 9 年(1632) 加藤氏改易。12月、八代に細川三斎(忠興) じょう 1622∼1870 慶長 5 年(1600) 関ヶ原合戦にて小西行長は敗死。加藤清正、麦島城を 占拠。八代は加藤氏の支配となる。 元和 8 年(1622) 八代城(松江城)竣工。 これ以降、松江一帯が城下町として繁栄。 3代目 「八代城」 じょう 三つの八代城 2 八代IC 妙見上宮跡 ● やつ 天正 9 年(1581) 相良義陽、島津義久の攻撃を受け降伏。 こののち八代 は島津氏の支配となる。 吉の夢の舞台。 その繁栄ぶりはヨーロッパにも伝えら ●八代神社 (妙見宮) 永正元年(1504) 相良長毎が古麓城を占拠し、名和氏は宇土に撤退。 八代は相良氏の支配となる。 古麓一帯はまさに歴史ロマンの宝庫! が築城・整備した山城。当時の城下町の面影を残す 1588年、八代の領主となったキリシタン大名小西行長 しんやつしろ 秀吉は ここに滞在 ……………4 天文 2 年(1533) このころ古麓城が最も拡張・整備される。 古麓一帯が城下町として、徳渕が貿易港として繁栄。 麦島城 158 1334∼1588 南北朝時代から戦国時代にかけて、名和氏・相良氏 むぎ 336 八竜山 ▲ じょう 天正15年(1587) 豊臣秀吉、九州攻めの途中に八代古麓城に滞在。 219 遙拝堰 ● ふもと 建武元年(1334) 後醍醐天皇の臣・名和義高が八代の地頭職を与えら れる。以後、八代は名和氏の支配となり、古麓に城郭が 築城される。 八代城下町 松浜軒 元禄10年(1697) 藩主細川綱利が八代を訪れ、松浜軒で接待を受ける。 10 12 八代の逸品・資料館・博物館 13 八代のおいしいもの紹介 14 イベント・祭り紹介 15 正徳 2 年(1712) 熊本藩、藩士所有の野屋敷差し上げを命じるが、松井 氏による松浜軒所有は特別に認められる。 宝暦 7 年(1757) 八代城二の丸に伝習堂と教衛場を設置。 明治 3 年(1870) 松井盈之、八代城守衛の任を解かれる。八代城廃城。 3
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