松山直輝さんの報告書

2015 年度 SGU 健康スポーツ科学モデル拠点 大学院生海外渡航報告書
早稲田大学
博士後期課程
スポーツ科学研究科
スポーツ科学専攻
土屋研究室
渡航先:ラフバラ大学(英国)
松山
直輝
・ 研究報告
滞在期間中、私は陸上競技走高跳びの選手を対象とした研究を行いました。滞在期間中は選手
として陸上部の活動にも参加し、実際に UK のコーチングに接する機会を得ることができました。
研究活動と陸上競技チームに参加することで、自身の研究を進めるだけでなく UK のコーチング
や選手の競技に対する考え方も深く学べたように思えます。以上の活動より得られた経験と私が
思う事を以下の報告書に記述させて頂きます。
1.UK と日本のコーチの違い
日本と UK ではコーチに対する社会的な考え方が大きく異なるように感じます。
UK の場合、運動指導はコーチングを専門職とするプロコーチが行います。そのため、コーチは
パフォーマンス向上を目的とする立場から選手と接する事となります。一方で日本では部活動を中
心としたスポーツ活動が盛んであり、コーチングは体育教育を専門とする中高の教員、または運動
の研究を専門とする大学の研究者によって兼任されるものと思います。この場合、コーチングは教
育を目的とした「体育教育」の延長上で実践される事となります。
この立場の違いは、両国におけるコーチと選手の関係性に大きな違い与えているように思えます。
UK の場合、コーチと選手は対等な関係にあります。それはこの関係がパフォーマンス向上を目
的とする相互の信頼より成り立っているためです。そのため、コーチは選手一人一人の競技レベル
に関係なく、選手の運動に取り組む心を大切にして指導を行っている印象を強く感じました。実際
にコーチとその点について話したところ。コーチは「選手の心を理解する事がコーチングをするに
あたり重要である」事を述べていました。
例えば、走高跳びのコーチは練習を通して選手一人一人と深いコミュニケーションと深い指導を
一人一人に行うため、一回の指導人数を3人程とし、同様のセッションを一日に3回指導する姿が
多く見られました。またコーチと指導者の会話は上下関係や年齢に関係なく平等に行われます。そ
のような関係の中でもコーチと選手の関係が成り立つのは、お互いの信頼があるからであると私は
感じております。
一方で日本の場合、コーチと選手の関係は対等ではありません。この関係があくまでも教育的な
視点から教員(コーチ)と生徒(選手)の上下関係から解釈されており、コーチを兼業する教員は
あくまでも教員として選手(生徒)に接している印象を強く感じます。これらの社会的背景の影響
から、コーチは教育者でもあるという印象を我々は強く抱いているように思います。この社会的背
景は学校での部活動だけに言える事柄というわけではなく、地域のスポーツクラブのコーチに対し
ても同様な関係性からそのコーチングの形態とコーチの役割が捉えられていると思います。
2. UK のコーチング
(1)専門性を重んじる精神
UK では、コーチ・教員・研究者が専門とする活動範囲が明確に解釈されています。当然のこと
ながら、コーチは運動を指導するプロであり、教員は教育のプロであり、研究者は分析や論理のプ
ロとなります。そのため、中高の教員や大学の研究者がコーチングの現場に立つ事は理想的である
とは捉えられていません。実際、ラフバラ大学の研究者は陸上部のコーチとして活動する姿は見ら
れませんでした。
しかし一方で、日本では教員や研究者がコーチングの能力を備えていると考えられています。私
は教育者や研究者が運動の指導に関わる事で、そのコーチングの内容やコーチ・選手の関係に少な
からずその本質とは外れた影響を与えてしまう事を感じています。上記に記述したコーチと選手の
関係性に関する両国の異なりはその一例と言えます。
(2)コーチングスタンダード
滞在中、走高跳びナショナルチームの練習の場に立ち会う事ができました。驚いた事に、練習方
法とアドバイスの方向性は、UK のコーチの間で共有されており、私がラフバラ大学のコーチより
処方されるものと同じような内容でした。そのため、何が動きにおける「良い」なのか、
「悪い」な
のかが国として明確に捉えられているように思えます。それに対して日本の場合、その指導方法や
アドバイスの方向性は各コーチでバラバラであるのが一般的であると思います。それはコーチング
に対するスタンダードが国として共有されておらず、そのコーチの経験論がコーチングの基礎とな
っているためであると考えられます。
(3)UK の選手・技能について
UK の選手の場合、何が絶対的に外せない技術であり、どこからがその選手個性の技能として認
めるかが明確に捉えられています。そのため、選手の動きには技術としてある一定の特徴が捉えら
れます。私は予てからヨーロッパの走高跳び選手の技能に憧れがあり、その技能を体得する基礎を
その線引きから学ぶ事ができたように思えます。
一方で日本の場合、選手の動きその人その人で大きく異なる様に思えます。走高跳びの国際大会
においても、ヨーロッパの選手にある程度のまとまりがあるのに対し、アジアやアメリカ、アフリ
カの選手にはそれがないのを感じます。それはもっぱら走高跳びの動きに対する「良い」という視
点が個人的な経験を基礎として捉えられてしまっているためではないかと私は考えています。その
個人的な「良い」を基礎にした結果、様々なトレーニングやドリルが提唱され、各コーチの指導が
多様化しているのではないかと思います。
実際の指導場面において、私が日本の選手間で「良い」と考えるある動き方をコーチに示した時、
コーチはその動きを「cheat」と言いました。我々日本の選手やコーチが考えている「良い」は、単
なる経験論による「良い」でしかなかったと改めて思った瞬間でした。
(4) 練習に対する UK の意識
UK と日本の間で捉えられる「練習」という概念に大きな違いを感じました。UK の場合、「何が
パフォーマンスを向上させる練習なのか?」という本質がコーチングの視点から捉えられていると
感じます。UK において練習という言葉が指す対象は走高跳びのピット内で行われる専門的な技能
練習と捉えられ、その他の運動は補助的なエクササイズとして捉えられていました。
一方で日本の場合、
「何がパフォーマンスを向上させる練習なのか?」という本質が研究者のよう
な視点から分析してその本質を捉えようとする意識が強い様に感じます。例えば、高く跳ぶために
必要な筋力やスプリント能力をコントロールテスト等の基準から捉え、スプリントトレーニングや
ウエイトトレーニングを活用した運動も「練習」として必要不可欠であると考えている様に思いま
す。したがって「練習」という言葉は技能練習や体力練習など幅広く活用され、その考え方が多様
化している様に感じました。
(5)日本のコーチングの今後
日本では、プロのコーチや制度そのものの必要性が認知されていないのが現状であると思います。
しかし運動のパフォーマンスの向上を目指すにあたり、私は UK のコーチング制度の方が日本より
理想的な体系であるように思えます。それは上記にも述べた通り、プロコーチが行うコーチングの
本質に対し、教員である教育者はコーチングの本質を追求できる立場には無いためです。しかし社
会・文化的な背景から、日本においてプロコーチを体系的に養成する事は今後も難しいように思え
ます。それは日本の社会的な背景からスポーツに対する価値が教育と深く結びついているためです。
そのため今後もコーチングは教育者の仕事であり、教育者はコーチであり続けるように思えます。
とはいえ、私の見解はスポーツと教育を結びつける活動は学校教育の体育が担う役割であり、パ
フォーマンス向上に向けた取り組みはその責任を担うコーチが行うべきであるというスタンスに変
わりはありません。コーチングはコーチの仕事であり、教育は教育者の仕事であると思います。
ラフバラ大学の滞在を終えた後に、私は UK のコーチングスタンダードから比較的に日本のコー
チングの現状を捉える事ができたように思います。そしてこの視点は、今後日本のコーチングの体
系と問題を考えていく基礎的な視点となります。この経験を活かして今後も更なる研究活動を続け
ていければと考えております。
写真 1:コーチと私
写真 2: 練習仲間の Matt
2. 研究施設について
私が主に研究の拠点として利用した施設が図書館(写真 3, 4)・陸上競技場(写真 5, 6)・研
究棟(写真 7, 8)の 3 つ。以下、3 施設について下記に紹介します。
(1)図書館
図書館は朝8時頃から深夜 2 時まで開館し、更に試験期間中は 24 時間開館していました。
また私は滞在先から図書館が近かった事もあり、好きな時に研究資料の収集する事ができま
した。また運動関係の図書は豊富に揃えられており、UK のコーチングや陸上競技に対する
考え方を深く学ぶ事ができました。
写真 3:図書館外観
写真 4:図書館内観
(2)陸上競技場
室内競技場と屋外競技場があります。室内競技場は暖房による温度調節がなされており、
冬でも半袖半ズボンで練習ができます。また、この施設は UK の陸上競技連盟の拠点、オリ
ンピック・パラリンピック代表の練習拠点としても活用されています。そのため、学生だけ
でなく国際レベルの選手も練習場所として活用されています。
午前中から夕方にかけては主に国際レベル(オリンピックやパラリンピック)の選手が活
用し、夕方から夜にかけては学生や卒業生が施設を活用していました。いずれの選手も基本
的には各種目のコーチが選手のコーチングを担当していました。また週に三回程、夜に地域
住民や地域の陸上チームが施設を利用することができます。基本的には様々なレベルの人が
施設を利用することを可能とし、トップレベルの選手と地域の人々が交流する場としても機
能しているようでした。
滞在期間中は自身の練習時間だけでなく、時間があれば午前中に競技場へ訪れ国際レベル
の選手と交流したり練習を見学したりしました。
写真 5:室内競技場①
写真 6:室内競技場②
(3)研究棟
Ph.D.の学生と教員が研究活動を行う施設。基本的には一人一台の机とパソコンが用意され、
集中して研究を進める事を可能とします。机は高さを調節することを可能とし、座って作業
をする事も立位で作業を進める事もできます。また、研究棟には運動に関係する様々な実験
施設などもあります。しかし私は文系の研究であるため実験施設とかかわり合う事はありま
せんでした。
写真 7:研究棟外観
写真 8:研究棟内観
3. 研究を実践する上で求められた事
本滞在では Visiting Student としての権利が得られるだけとなります。そのため英語能力以
上に、研究を実践するための積極的行動が求められた様に思えます。私の場合、陸上部のコ
ーチや選手、指導教員、様々な学校関係者に何度も連絡を取りました。本プログラムを利用
して研究を進めるのであれば、積極的な行動力は欠かす事のできない要因であると思います。
4.最後に
末筆ながら本渡航をご支援して頂いた彼末一之教授をはじめとする早稲田大学スポーツ学
術院の皆様、そしてラフバラ大学にて受け入れと研究のご支援を頂いた Prof. Chris Cushion
と Prof. David Stensel、陸上競技部総長の Mr. Nick Dakin、走高跳びコーチ Mr. Grant
Brown を始めとする陸上部の関係者の皆様に感謝の意を表させて頂きます。本渡航では自身
の研究も合わせて、UK のコーチングスタンダートを学ぶ事が出来ました。本プログラムに
て経験した事や学んだ事を将来の研究活動に活かし、日本のスポーツ界に貢献できる事がで
きればと考えております。ご支援頂きありがとうございました。