「ノルウェー型」のメリット・デメリット

2016 年 6 月 1 日
BTMU Economic Brief, London
経済調査室 ロンドン駐在情報
The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ, Ltd
Economic Research Office (London)
Akiko Darvell |ダーベル暁子 ([email protected])
英国の EU 離脱シナリオ考察:「ノルウェー型」のメリット・デメリット
【要旨】
 英国の EU 離脱を巡る議論では、仮に離脱した場合、EU とどのような関係を結ぶ
かが焦点の一つとなっている。その際、EU との緊密な関係を最も維持できるとさ
れているのが、欧州経済領域(European Economic Area:EEA)に参加する「ノル
ウェー型」である。
 ノルウェーは EEA 協定の下、EU の基本的理念である「4 つの自由」原則を EU と
共有し、人、モノ、サービス、資本の自由な移動を相互に認めている。
 財貿易では、EU との取引は無関税だが、通関手続きなどの非関税障壁は存在して
いる。世界的にサプライチェーンが拡散している自動車等の二次産品の輸出が多い
英国にとっては、原産地規則への準拠などがコスト増要因となろう。
 英国における EU 離脱をめぐる議論の大きな争点である、EU からの移民流入問題
については、ノルウェー型では人の移動の自由が維持されることから、移民流入に
対する英国民の不満は残ると考えられる。
 また、立法面では、ノルウェーは EU 法・規制への幅広い準拠が求められる一方、
EU の意思決定機関における代表権はない。英国がノルウェー型を採った場合も、
EU 法・規制に引き続き拘束されるにもかかわらず、EU 加盟国として現在持ってい
る法・規制策定への直接的な影響力を喪失することとなる。
 財政面については、ノルウェーは EU への拠出金を負担している。ただし、国民一
人当たりの拠出額を見ると、ノルウェーは英国の約 8 割であり、ある程度の削減が
期待できよう。
 このようにノルウェー型では、欧州単一市場へのアクセスが基本的には維持される
ことに加え、拠出金負担の一定程度の削減が可能となるなどのメリットがある。但
し、移民問題の根本的解決が望めないことや、法・規制の策定における直接的な影
響力の喪失等、デメリットも大きいと言えよう。
1
1.はじめに
英国では、欧州連合(EU)からの離脱の是非を問う国民投票が 6 月 23 日に実施される。5
月に実施された各種世論調査を見ると、残留支持と離脱支持が拮抗した状態が続いており、
離脱の可能性が無視できない状況にある。このため、EU を離脱した場合の EU との関係に関
する分析も盛んに行われている。離脱後の英国と EU の関係で考えられるパターンはいくつ
かあるが、その中で EU との緊密な関係を最も維持でき、かつ英経済へのダメージが最小と
されるのが、欧州経済領域(European Economic Area:以下、EEA)に参加する、所謂「ノル
ウェー型」である。4 月に英財務省が発行した、EU 離脱の長期的な経済的影響を分析した報
告書では、EU 離脱後に英国がノルウェー型を採った場合、離脱から 15 年後の英国の GDP は、
残留した場合と比べ、3.4~4.3%低下すると試算している(最も悲観的な WTO 型では 5.4~
9.5%の低下、第 1 表)。
本レポートでは、このノルウェー型に的を絞り、ノルウェーと EU の関係の概要をまとめ
ると共に、英国がノルウェー型を採用した場合のメリット、デメリットを考察する。
第1表:EU離脱後に想定される英国・EU関係の主なパターン
パターン
離脱後の形態
英財務省試算による
英GDPへの影響度(注)
ノルウェー型
EEA(欧州経済領域)参加
▲3.4~▲4.3%
スイス型
EUとの広範囲な協定締結
トルコ型
EUの関税同盟への参加
カナダ型
EUと2国間協定締結
WTO型
EUとの協定は特に締結せず
高
EUとの
緊密度
▲4.6~▲7.8%
▲5.4~▲9.5%
低
(注)EUに残留した場合の15年後のGDPとの差異
(資料)英財務省等資料より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
2. ノルウェーの EU 不参加の経緯
ノルウェーは 1960 年、欧州経済共同体(EEC、EU の前々身)に加わらなかった英国、ス
ウェーデン、スイス、デンマーク、オーストリア、ポルトガルと共に、欧州自由貿易連合
(EFTA)を結成した。1972 年にノルウェーは、欧州共同体(EC、EU の前身)への参加条件
に合意したが、同年に実施された国民投票で EC への加盟が否決された。一方、英国は 1973
年に EC に加盟した。その後、1992 年に、EFTA 加盟国が EU に加盟せずとも EU の単一市場
に参加できるようにする、欧州経済領域(EEA)が発足し(発効は 1994 年)、ノルウェーは
アイスランド、リヒテンシュタインと共に、EEA に参加した。
EU 加盟については、1994 年に国民投票が再度実施され、加盟反対 52%、賛成 48%と僅差
であったが、再度否決された。EU 加盟反対の理由は、国家主権の維持、EU 加盟による国内
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農業・漁業への影響懸念などであった。欧州債務危機等を受けて EU に対する懐疑的な見方
が強まったこともあり、近年では EU 加盟反対の割合は 7-8 割まで増加している。
3.ノルウェー・EU 関係および、英国へのメリット・デメリット
では、ノルウェーと EU の関係は具体的にどのようなものであろうか。EU に加盟していな
いノルウェーは、EEA 協定の下、EU の基本的理念である「4 つの自由」原則(人、モノ、サ
ービス、資本の移動の自由)を受け入れている。これにより、EU 単一市場へのアクセスが可
能(農業・漁業を除く)となっている反面、EU 法・規制への幅広い準拠や、EU への財政拠
出が求められる。一方、第三国との貿易協定については自由に交渉・締結が可能である。本
章では、これらの点に焦点を当て、その概要を確認すると共に、これらを英国に適用した場
合のメリットとデメリットを考察する。
(1)「4 つの自由」原則
①財貿易(モノの移動の自由)
EEA 域内では、「4 つの自由」原則の一つであるモノの自由移動に基づき、自由貿易が行
われている。ノルウェーは、農業・漁業関連を除き、EU の単一市場へのフルアクセスが可能
である。EEA 協定の下、EU 加盟国とノルウェー間の財貿易においては、関税障壁は撤廃さ
れている。但し、非関税障壁は必ずしも撤廃されていない。これは、EEA 協定には EU の関
税同盟が含まれていないためである。EU の関税同盟では、関税障壁だけでなく、通関手続き
等の非関税障壁も撤廃されており、広義での物品の自由な移動が行われている。しかし、ノ
ルウェーは EU の関税同盟外であるため(第 1 図)、EU 加盟国への輸出の際には、通関手続
きを経なければならない。通関手続きでは原産地証明の提出などが義務付けられており、事
務コストが発生することとなる。
第1図:EU-EEA関係概略図
欧州自由貿易連合(EFTA)
スイス
ノルウェー
アイスランド
リヒテンシュタイン
欧州経済領域(EEA)
関税率0%
ただし、非関税
障壁(原産地証
明、反ダンピン
グ法等)あり
EU関税同盟
EU
ベルギー、ブルガリア、チェコ、
デンマーク、ドイツ、エストニア、
アイルランド、ギリシャ、スペイン、
フランス、クロアチア、イタリア、
キプロス、ラトビア、リトアニア、
ルクセンブルク、ハンガリー、
マルタ、オランダ、オーストリア、
ポーランド、ポルトガル、
ルーマニア、スロベニア
スロバキア、フィンランド
スウェーデン
英国
(資料)各種資料より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
3
アンドラ
モナコ
サンマリノ
トルコ
ノルウェーの場合、EU 向け財輸出の6割が天然ガスや原油で占められている(第 2 図)。
このような一次産品の場合は、原産地証明が比較的容易である。一方、英国は、自動車等の
輸送機器、電気機器や通信機器等の機械類、医薬品等の化学工業品の割合が高い。これらの
二次産品は、部品のサプライチェーンが国際的に拡散しているケースが多く、原産地証明が
複雑化し、事務コストが嵩む公算が大きいと考えられる。英経済政策研究センター(CEPR)
では、原産地規則の準拠に係るコスト負担により、商品の販売価格が 4~15%押し上げられ
ると試算している(注 1)。このため、EEA 域内産で関税率ゼロの品目であっても、原産地規制
に準拠するためのコストの方が EU の共通関税率(2014 年平均で 5.3%(注 2))よりも高くな
る場合もあるという(注 3)。
また、EU の反ダンピング法の適用を受ける(ノルウェーサーモンが反ダンピング法に違反
したと判断され、16%の反ダンピング関税を課された例あり)ほか、EU の商品規格や規制等
の遵守が引き続き求められることとなる。
(注1) 英経済政策研究センター(CEPR)、“Trade and Investment Competence Review”(2013 年 11 月)
(注2) WTO 統計、EU の特恵国(MFN)に対する関税率の平均値
(注3) 英財務省、“HM Treasury analysis: the long-term economic impact of EU membership and the alternatives”(2016 年
4 月)
第2図:ノルウェーの対EU財輸出(2015年)
原材料(食
雑製品
2.2%
料、燃料除
く)
2.8% 化学工業品
第3図:英国の対EU財輸出(2015年)
飲料・タバコ
その他
0.1%
0.7%
雑製品
12.0%
5.6%
その他
1.4%
原材料(食
料、燃料除
く)
2.0%
機械・輸送機
器
7.5%
食料品・動物
9.5%
原料別製品
10.5%
飲料・タバコ
1.8%
化学工業品
19.2%
鉱物性燃料・
潤滑油
61.2%
鉱物性燃料・
潤滑油
12.0%
原料別製品
10.5%
食料品・動物
6.8%
機械・輸送機
器
34.3%
(資料)欧州統計局統計より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
(資料)欧州統計局統計より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
②サービス貿易(サービスの移動の自由)
サービスについても、単一市場へのフルアクセスが認められており、金融業におけるパス
ポート制度(EEA 域内の一つの国で金融業免許を取得すれば、他の域内国においてもサービ
スを提供することができる)も適用される。ただし、サービス関連の法・規制への準拠が求め
られる一方、法・規制策定への直接的な関与はできない(「(3)法・規制」の項で詳述)。
ノルウェーの輸出全体に占めるサービスの割合は 3 割に満たないが、英国の場合は 5 割近く
を占めており、特に金融業のウェイトが高い。このため、金融規制策定における影響力の大
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幅な低下は、特に英国の金融機関にとって不利益となるリスクがあるといえよう。
③人の移動の自由
EEA 域内では、人の移動の自由が認められている。そのため、英国が EU を離脱したとし
ても、EEA に留まる限り、EU 加盟国からの移民の流入を制限することは、原則として不可
能である。
今般の英国の EU 離脱をめぐる議論の中で移民問題の重要性は非常に高い。最近の世論調
査でも、約 4 人に 1 人が「移民問題」を国民投票での意思決定における最も重要な項目とし
て挙げている(第 4 図)。また国民投票の結果、離脱が選択された場合、単一市場へのアク
セスと引き換えに EU からの移民を受け入れるかという問いには、「受け入れる」が 42%、
「アクセスが限定的となっても EU からの移民を阻止すべき」が 39%と、拮抗しており(第
5 図)、EU からの移民受入れへの根強い反発が見て取れる。
なお、2 月の EU サミットで合意された英国の EU 改革案では、英国の社会保障制度が脅か
されると判断された場合には、EU からの移民に対する福祉給付を制限できる、緊急ブレーキ
措置が容認された。しかし、この改革案は英国の EU 残留が大前提であり、離脱の場合には
撤回されることとなる。
このような状況を鑑みると、人の移動の自由が維持されるノルウェー型の英国への適用は、
移民問題の根本的解決につながらず、移民流入に対する国民の不満が残ることとなろう。
第5図:人の移動の自由と単一市場へのアクセス
第4図:国民投票における重要論点
質問: EU残留の是非を問う国民投票における最重要論点は何か
質問: 離脱となった場合、以下のうち、どちらが自分の意見に合致するか
英国への移民流入数
24%
英国経済へのインパクト
24%
法律制定の自由度
9%
社会保障制度における移民の負荷
英国への難民数
分からない
19%
単一市場へのア
クセスが限定的
となっても、
EU加盟国からの移
民を阻止する新たな
ルールを制定すべき
39%
8%
5%
0%
5% 10% 15% 20%
(資料) Ipsos MORI調査より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
単一市場へのア
クセスと引き換
えに、EU加盟国
からの移民の居
住・労働を引き
続き認めるべき
42%
25%
30%
(資料) Ipsos MORI調査より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
④資本の移動の自由
EEA 参加国間での資本の移動は自由であり、英国は EU 離脱後にノルウェー型を採用すれ
ば、現状通り自由な資本取引(直接投資や証券投資等)を継続できる。ただし、ここでも
「移動の自由」原則の他の項目と同様、資本の移動の自由に係る法・規制への準拠が求めら
れる一方、法・規制策定への直接的影響力は喪失する。また現在、EU では 2019 年の構築を
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目処に「欧州資本市場同盟」に向けた調整が行われている。資本市場同盟は、EU 加盟国の資
本市場間における障壁を除去して域内資本市場を統合し、資金調達環境の向上を図るもので
ある。金融サービスへの依存度が高い英国にとって、資本市場同盟への参加は利益享受のチ
ャンスと考えられるが、EU から離脱するとなれば、これを逃すことになりかねない。
(2)非 EU 加盟国との貿易
EEA 協定では、EU が第三国と締結する貿易協定からの独立性が維持されている。すなわ
ち、EU と第三国との間の貿易協定はノルウェーには適用されない一方、ノルウェーは二国間
協議、もしくは EFTA を通じて、自由な貿易協定の交渉・締結が可能である。現在、ノルウ
ェーは EFTA を通じてカナダや韓国、トルコ、メキシコ等 37 ヵ国と貿易協定を締結しており、
インド、タイ、マレーシア、ベトナム等とも貿易協定締結に向けた交渉を行っている。
ノルウェー型を採った場合の英国のメリットとしては、交渉の迅速さや柔軟性の向上に加
え、より英国の国益に沿った協定を結びやすくなることが挙げられよう。一方、デメリット
としては、EU という大きな経済共同体の持つ交渉力を失うことが考えられる。EU は現在、
米国と環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)の締結に向けた交渉を行っている。オバマ米大統
領は 4 月の訪英中、EU から離脱すれば、英国は米国の貿易交渉の優先度で最後尾に着くこと
になると述べ、EU 離脱後、米英間で貿易協定を締結するまでには相当な時間がかかるとの見
方を示した。
(3)法・規制
EEA 協定により、ノルウェーは 「4 つの自由」原則に係る EU 法や規制への準拠が求めら
れている。またその他にも、研究開発、教育、社会保障、環境、消費者保護、観光・文化等
に係る法・規制にも拘束される。但し、EEA 協定に含まれていない農業・漁業政策等につい
ては法・規制への準拠を求められない。ノルウェー政府によれば、EU 法の 4 分の 3 がノルウ
ェー国内法に反映されている。一方、EU の意思決定機関である欧州理事会、欧州委員会、並
びに欧州議会における代表権は有していない。法・規制の改定・策定のプロセスにおける、専
門家会合等への参加など、間接的な発言権はあるものの、最終的な議決権がないため、影響
力は限定的であると言える。英国の場合、現在は EU の法・規制全てに対して準拠が求められ
ており、ノルウェー型を採れば、準拠法の数という点では削減が可能であり、ある程度のメ
リットがある。しかし、現在保有している EU の意思決定機関における代表権は全て放棄し
なければならず、影響力喪失という大きなデメリットを蒙ることとなる。
(4)財政拠出
ノルウェーは EEA 協定の下、EU 予算に対し相当額の拠出をしている。英下院資料(注 4)に
よると、ノルウェーの国民 1 人当りの拠出金額は 106 ポンドであり、英国の同 128 ポンドと
6
比べて 2 割程少ない。したがって、英国が EEA に参加した場合、拠出金負担が続く点では変
わりはないが、一定程度減額される可能性はある。また、前述の通り、EEA 協定では EU の
農業・漁業における共通政策は含まれていない。英国の農業・漁業は EU から多額の助成金
を受けて(農業だけで 30 億ポンド)いるが、ノルウェー型を採用すれば、助成金を受けるこ
とができなくなり、同産業へのダメージは必至であろう。
(注4) 英下院リサーチペーパー“Leaving the EU”(2013 年 7 月発行)
第2表:EU並びにEEA/EFTAへの拠出金(2011年)
ノ
ル
ウ
ェ
ー
英
国
億ポンド
国民一人当たり
(ポンド)
EEA基金
1.6
33.0
ノルウェー基金
1.4
28.0
EU運営費用負担金
2.1
43.0
EFTA予算
0.1
2.0
総拠出額
5.2
106.0
億ポンド
国民一人当たり
(ポンド)
EU予算への総拠出額
153.6
243.0
純拠出額
81.0
128.0
(資料)英下院資料より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成
4.まとめ
ノルウェー型には、単一市場へのアクセスが基本的に維持されることや、自由な貿易協定
の締結が可能であること、EU 予算への拠出額や EU 法・規制への準拠義務の一定程度の削減
が望めるといったメリットがある。その一方で、非関税障壁の発生や貿易協定締結における
交渉力の低下、EU の法・規制の策定における直接的な影響力の喪失等のデメリットも無視で
きない。更に、ノルウェー型では、英国の EU 残留を巡る大きな争点となっている EU から
の移民流入を制限することは基本的には不可能であり、英国民の EU に対する不満が燻り続
けるリスクが高いと言えよう。
以
(2016 年 6 月 1 日
7
ダーベル
暁子
上
[email protected])
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