1 学期も半分が過ぎました。

平成 28 年度
6 月全校朝礼
講話
中間考査・体育祭も終わり、1 学期も半分が過ぎました。先週の体育祭
は、雨天が心配される中、体育祭企画委員、応援団、体育委員、運動部員
の皆さん方が一丸となり、参加する全員が一生懸命に取り組んだ、ほんと
うにすばらしい体育祭であったと思います。理事長、併設大学の学長さん
ら多くの来賓の皆さんからは、応援を見て、一生懸命に取り組む姿勢、自
分だけでなく、みんなが輪になって一緒に取り組む姿勢がすばらしいと高
く評価していただきました。
ほんとうに、よくがんばってくれたと思います。
この 6 月、前からお話をしているようにアメリカから 3 名の短期留学
生が本校に来られます。まず、カルフォルニア州から来られるリン・イン
グリッドさんが 1 年 19 組に、またイリノイ州から来られるデュロジャ
イエ・アイシャットさんは、2 年 6 組に入ります。次に、同じくイリノ
イ州のレイグサモン・クロエさんが 2 年 7 組に入ります。予定では 6 月
21 日から、夏休みまで本校に来られますが、その間、遠い、遠いアメリ
カの家族を離れてたった一人だけで日本に来られます。アメリカと全然違
う文化や生活習慣の中で、さぞかしさびしく、不安なことであろうと思い
ます。そこで、私は皆さん方に、お願いします。私は、皆さんが成蹊女子
校で学んでいる建学の精神、「忠恕」の心、誠実さと思いやりの心を大い
に発揮してもらいたいと思います。
今日は、忠恕の心を持った人の話として、「一粒のぶどう」という題名
のお話をします。不治の病にかかった女の子の実際のお話です。
女の子は、一歳の時から入退院を繰り返して、五歳になりました。
様々な治療の甲斐もなく、ついにターミナルケアに入りました。もはや
施す術もなく、安らかに死を迎えさせる終末看護、それがターミナルケア
です。
冬になり、お医者さんがその子のお父さんに言いました。「もう、なん
でも好きなものを食べさせてやってください」
お父さんはすべてを悟り、その子に何が食べたいか、聞きました。「お
父さん、ぶどうが食べたいよ」と、女の子が小さな声で言いました。
季節は冬、ぶどうはどこにも売っていません。でも、この子の最後の小
さな望みを叶えてやりたい。死を目前に控えたささやかな望みを、なんと
か、なんとかして叶えてやりたい。お父さんは東京中のお店を探しました。
思いつく限りのお店、あのお店も、このお店も・・・。足を棒にして、探
し回りました。でも、季節が違って、どこの店にも置いていません。最後
に、ある大きなデパートの地下のフルーツ売場を訪ねました。
「あの…、ぶどうは置いていませんか?」祈る気持ちで尋ねました。
「はい、ございます。こちらです。」信じられない思いで、お店の人の後
について行きました。「こちらです」と案内されたその売場には、きれい
に箱詰めされた、立派な巨峰がありました。しかし、お父さんは立ちすく
んでしまいました。
なぜなら、その箱には三万円という値札が付いていたのです。入退院の
繰り返しで、そんなお金はもうありません。
悩みに悩んだ末、必死の思いでお父さんはその係の人に頼みました。
「一
粒でもいい、二粒でもいい、分けてもらうわけにはいきませんか?」
事情を聞いたその店員は、黙ってその巨峰を箱から取り出し、数粒のぶ
どうをもぎ、小さな箱に入れ、きれいに包装して差し出しました。「どう
ぞ、二千円でございます」
震える手でそのぶどうを受け取ったお父さんは、病院へ飛んで帰りました。
「ほら、おまえの食べたかった、ぶどうだよ」女の子は、痩せた手で一粒
のぶどうを口に入れました。
「お父さん、おいしいねえ。ほんとにおいしいよ。」そして間もなく、静
かに息を引き取りました。これは、実際のお話です。
皆さんは本校でたくさんのことを学びます。そのひとつが本校の建学の
精神であり、行動指針となっている「忠恕」の精神だと思います。この話
は、まさにその精神を語るものです。常に周りの人に誠実であること、そ
して思いやりをもち、周りの人のための行動できる人になって欲しいと思
います。
人は、自分自身のためにだけ生きるのではなく、他の人が喜ぶこと、幸
せになってくれることを自分の喜びとして生きてほしいと思います。「一
粒のぶどう」は、それを示してくれるお話です。
6 月の下旬、アメリカからやってくる友人に対しても優しく受け入れ、
やさしくサポートしてくれることを期待し、皆さんが成長して、立派な人
になることを願って、6 月の講話とします。