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安藤耕一流
★作品はカラー
花鳥﹁工芸菓子﹂
技法集
三重全菓博への
アプローチ
136ページ参照
︵山梨・甲府市︶
安藤耕一
◆制作/
大野屋
◆協力/
一 九 六 一 年、 東 京 都 出 身。 東 都 の 名
門﹁ 成 城 凮 月 堂 ﹂ で 修 業 後、 実 父 経 営
し、大野屋ブランドを磨き上げている。
経営面においてもマルチな才能を発揮
一新したパークス竜王店を開店するなど
ン。同十三年には、大野屋のイメージを
現本店﹁美術館通り店﹂を自力でオープ
二 十 七 歳 の 若 さ で 社 長 に 就 任。 同 五 年、
参照︶
。趣味はダイビング。
受賞するなど、大作工芸菓子作家として
菓子の最高峰﹁名誉総裁賞﹂を若くして
振るっている。一方、全菓博では、工芸
会﹂の総取締役﹁幹事長﹂として敏腕を
その後﹁副会長﹂、そして現在は、
﹁振興
技術団体の看板部署﹁技術部長﹂に就任。
の 大 野 屋︵ 甲 府 市 ︶ に 入 社。 平 成 元 年、
傍 ら、﹁ 日 本 菓 業 振 興 会︵ 技 術 研 究 団
体︶﹂では、年間最優秀技能賞を五連覇し、
てて紹介した。
トを当ててみた。
三重﹁全菓博﹂へのアプロー
今月は、
チとして、花鳥﹁工芸菓子﹂にスポッ
や店格、季節感の醸成、若手育成など、
れ る。 お 店 に お い て は、 店 の 技 術 力
り手のあらゆる能力を引き出してく
て、 魅 せ る ﹂ と い う 過 程 の 中 で、 創
引 き と し て、 普 段 は 滅 多 に 見 る こ と
そ こ で 本 特 集 で は、 そ の 三 重﹁ 全
菓 博 ﹂ に 向 け、 工 芸 を 志 す 若 手 の 手
が開幕する。
三 重〝 お 伊 勢 さ ん 菓 子 博 2 0 1 7〟﹄
作り方︶を公開していただいた。
椿・ 花 菖 蒲・ 牡 丹・ 朝 顔・ 胡 蝶 蘭 の
制作は、日本菓業振興会︵研究団体︶
の 工 芸 菓 子 の 第 一 人 者・ 安 藤 耕 一 氏
輝かしい足跡を残している︵カラー作品
イベント﹃第 回 全国菓子大博覧会・
工芸菓子︵花鳥風月の展示作品︶は、
自然への観察力︵相即相入︶
、テーマ、
その魅力は図り知れないものがある。
の出来ない工芸技法にスポットを当
品を﹁考え、準備し、作って、運び、飾っ
構 想 力、 造 形 力、 技 術 力 と と も に、
平成二十九年四月には業界の一大
にお願いし、その奥義の一端︵白鷹・
作 品 の﹁ 品 格 ﹂ が 大 切 だ。 ま た、 作
◆工芸菓子︵飾り菓子︶ストーリー
伴い、細工菓子類が発展︵特殊
頃、諸大名の献上菓子の需要に
工﹂にはじまり、元治・慶応の
飾り菓子の歴史は江戸時代
︵元禄の頃︶
、京都の﹁干菓子細
東京で開催された﹁第三回 国
内勧業博覧会︵全菓博の前身︶﹂
うになったのは、
明治二十三年、
これらの菓子が世に知られるよ
く 有 平 糖 細 工 も 急 速 に 発 達 ︶。
性豊かな鑑賞菓子が発達︵同じ
菓子の一つ︶。
らであろう。
に出品された﹁牡丹の籠盛﹂か
当初は、美しい文様の打ち菓
子 や 金 平 糖、 有 平 細 工 な ど を、
テーマ︵蓬莱山や高砂など︶に
間の絵図にも残っている︶。
ようになった︵江戸城の饗応の
京都らしい﹁雅な菓子﹂を次々
価を得た。京都は、その後も全
回 万国博覧会﹂へ出品したこ
とで、雅な京菓子が世界的な評
また、同三十三年には、フラ
ンスのパリで開催された﹁第二
歴史の転換点は、明治の初め、
アメリカから純白の棒砂糖が輸
に出品し、名声を高めた。その
沿って平板や嶋台に盛っていた
入されてから、その砂糖で京の
技術が全国へと広められ、現在
ことから、飾り菓子と呼ばれる
生砂糖︵雲平生地︶が考案され、
に至る。
国 各 地 で 開 催 さ れ た 菓 子 博 に、
花鳥風月をモチーフにした芸術
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2016.6 製菓製パン
2016.6 製菓製パン
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特集