国際通貨システムと国際金本位制

Ⅵ 国際通貨システム
A. 国際金本位制(1870~1914)
B. ブレトン・ウッズ体制(1944~1973)からドル本位制へ(1973~)
Ⅶ. 新興国の債務危機と通貨危機-アジア通貨危機(1997)ー
Ⅷ-A. EUの通貨統合(1999~)
Ⅷ-B. 欧州ソブリン危機(2009~)
1
国際金本位制(1870-1914)とその崩壊
1870年代
国際金本位制の確立
1914年
7月
第一次世界大戦の勃発、国際金本位制の崩壊
1925年
4月
イギリス金本位制復帰、再建金本位制の成立
1929年
10月
ブラック・サースデー(暗黒の木曜日)、大恐慌へ拡大
1931年
9月
イギリス、金本位制離脱、再建金本位制の崩壊
ブレトン・ウッズ体制(1944-1971)とその崩壊
1944年
7月
ブレトン・ウッズ会議の開催、IMF協定およびIBRD協定の調印
1946年
6月
IBRD業務開始
1947年
3月
IMF業務開始
1952年
8月
日本、IMFおよびIBRDに加盟
1958年
12月
欧州主要通貨、交換性の回復(IMF8条国への移行)
1964年
4月
日本、IMF8条国に移行
1969年
7月
IMF協定第1次改正(SDRの創出)
1971年
8月
アメリカ、金・ドル交換停止(ニクソン・ショック)
12月
スミソニアン協定
2月
日本、変動相場制に移行
1973年
変動相場制の時代(1973-)から政策協調の時代へ(1985-)
1978年
4月
IMF協定第1次改正(変動相場制の追認)
1979年
3月
EMS(欧州通貨制度)の発足
1982年
8月
メキシコ、デフォルト(債務不履行)宣言、中南米の債務危機が顕在化
1985年
9月
G5によるプラザ合意
1987年
2月
G7によるルーブル合意
10月
ブラック・マンデー(暗黒の月曜日)
2
金融のグローバル化と新しい通貨危機(1990年代-)
1992年
9月
欧州通貨危機、英・伊がERMを離脱
1993年
8月
欧州通貨危機が再燃、ERM変動幅を原則として15%まで拡大
1994年
12月
メキシコ通貨危機
1997年
7月
アジア通貨危機 (タイ⇒インドネシア⇒韓国へ伝染)
1998年
8月
ロシア通貨危機、LTCM(アメリカのヘッジファンド)経営危機
1999年
1月
EU、ユーロの導入(後にギリシャが加わり、現在ユーロ圏は12カ国)
1月
ブラジル通貨危機
2000年
5月
ASEAN+3(日・中・韓)で、チェンマイ・イニシアティブの合意
2001年
12月
アルゼンチン通貨危機
2002年
1月
ユーロ圏内で、ユーロ紙幣・硬貨が流通開始
12月
ASEAN+3で、日本が「アジア債券市場イニシアティブ」(ABMI)を提唱
6月
「アジア・ボンド・ファンド」(ABF)創設
2003年
世界金融危機(2007~)
6月
全米第5位の投資銀行ベアー・スターンズは、傘下のヘッジファンド2社の救済
8月
フランスのBNPパリバが、傘下の3つのファンドを凍結
9月
イギリスのノーザン・ロック銀行の取り付け騒ぎ
3月
全米第5位の投資銀行ベアー・スターンズは、JPモルガン・チェースに買収
9月
リーマン・ショック(全米第4位の投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻)
11月
第1回G20サミット(金融世界経済に関する首脳会合)
2009年
10月
ギリシャ政権交代、財政赤字の粉飾が発覚(欧州債務危機)
2010年
5月
EFSF(欧州金融安定ファシリティ)の創設(最大7500億ユーロの融資枠)
2011年
3月
EFSFの規模拡大とESM(欧州安定メカニズム)への移行を合意
2012年
3月
ギリシャに対する追加支援決定
2007年
2008年
3
Ⅵ-A 国際金本位制
1. 金本位制の定義
2. 金本位制の形態
3. 国際金本位制の機能
(1)物価の安定
(2)為替の安定
(3)国際収支の自動調整
4.国際金本位制
(1)金準備の維持とバンクレート政策
(2)国際通貨としてのポンド
(3)金本位制の下での国際資本移動
(4)植民地の存在
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キーワード
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金貨本位制(gold coin standard)
金地金本位制(gold bullion standard)
金為替本位制(gold exchange standard)
金平価(gold parity)
金現送点(gold point)
イングランド銀行法(Bank Act of 1844) [ピール条令(Peel's Bank Act)]
通貨学派(currency school)、銀行学派(banking school)
バジョットの原理(Bagehot Principle)
最後の貸し手(Lender of Last Resort)
物価・正貨流出入機構(price-specie flow mechanism)
ゲームのルール(rules of the game)
不胎化(sterilization)
管理通貨制度(Managed currency system)
マーチャント・バンク(merchant bank)=引受業者(Acceptance House)
ビル・ブローカー(bill broker)=割引業者(Discount House)
アクセプタンス・クレジット(acceptance credit)
ロンドン・バランス(London Balance)=ポンド残高(Sterling Balance)
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年 表
• 1816年:イギリス「金本位法」
• 1844年:「イングランド銀行法」(「ピール条令」)
• 1871年:ドイツ、金本位制を採用(普仏戦争の賠償金
を基礎)
• 1897年:日本、金本位制に移行(日清戦争の賠償金
を基礎)
• 1914年:イギリス、金本位制停止
• 1925年:イギリス、金本位制復帰(再建金本位制)
• 1931年:イギリス、金本位制再離脱
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参考文献
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春井久司『金本位制の経済学』ミネルヴァ書房、1992年。
金井雄一『イングランド銀行金融政策の形成』名古屋大学出版会、1989年。
西村閑也『国際金本位制とロンドン金融市場』法政大学出版局、1980年。
W・バジョット『ロンバード街』(宇野弘蔵訳)岩波文庫、1941年。
A・I・ブルームフィールド『金本位制と国際金融 1880~1914』(小野一一 郎・小林龍馬訳)
日本評論社、1975年。
R・ヌルクセ『国際通貨―20世紀の理論と現実―』(小島清・村野孝訳)東洋経済新 報社、
1953年。
S・B・ソウル『世界貿易の構造とイギリス経済 1870~1914』(堀晋作・西村閑也訳)法政大
学出版会、1974年。
R・トリフィン「金本位制:神話と現実―1815~1913」(柴田裕・松永嘉夫訳 『国際通貨制度
入門:歴史・現状・展望』ダイヤモンド社、1968年所収)。
Bordo,M.D.& A.J.Schwartz, A Retrospective on the Gold Standard,1821-1931,
University of Chicago Press,1984.
de Cecco,M.,The Intennational Gold Standard : Money and Empire, Franses
Printer,1984(山本有三訳『国際金本位制と大英帝国―1890‐1914年』三嶺書房, 2000
年)
Eichengreen,B.,The Gold Standard in Theory and History,Methuen,1985.
Eichengreen,B., Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 19191939, Oxford University Press, 1992.
7
1.金本位制(gold standard)の定義
•金を本位貨幣(legal tender)とし、法律によって国
内通貨価値を一定重量の金と結びつけ、国内通
貨と金の等価関係を維持する貨幣制度。
•1816年の「金本位法」(Gold Standard Act of
1816)によって、イギリスで初めて採用され、以下
の4つが人々に認められた。
①金地金の金貨への自由鋳造
②金貨を自由に鋳潰すことのできる自由溶解
③銀行券の金への自由兌換
④金貨および金地金の自由輸出
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金の法定価格(legal value)
・イギリスの場合、ソヴリン(sovereign)と呼ばれた1ポンド金貨には、
1ポンド金貨=標準金123.2744グレーン
が含有されていた(標準金は純金の11/12の純度)。また、
重量1オンス=480グレーン
貨幣1シリング=1/20ポンド, 1ペニー=1/12シリング
だから、
標準金1オンス=480/123.2744=3.89375ポンド
=3ポンド17シンリング10ペンス1/2
という法定価格が算出された。
・イギリス造幣局は、申し出があればいつでもでも、1オンスの標準金
を3ポンド17シンリング10ペンス1/2の金貨に鋳造する義務を負い、
人々は自由に金貨を溶解して、金の延べ棒または金塊を輸出するこ
とができた。
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金平価(gold parity)
•イギリスの場合、標準金によって貨幣価値が定義、標準金は純金
に比べて11/12の純度を持つので、次のように純金換算される。
純金1オンス=4.247ポンド
(1ポンド=純金113.0016グレーン)
•アメリカの場合、
純金1オンス=20.67ドル
(1ドル=純金23.22グレーン)
という法定相場で金の売買に応じていた。この
純金1オンス= 4.247ポンド= 20.67ドル
という関係から、
1ポンド=4.866ドル
(20.67ドル/ 4.247ポンド or 113.0016グレーン/ 23.22グレーン)
という金平価(gold parity)が算出される。
このように、両国通貨の金を媒介とする等価関係が金平価である。
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2.金本位制の形態
①金貨本位制(gold coin standard):一定重量を持つ金貨が実際に
流通し、自由鋳造・自由兌換・自由溶解・自由輸出が全て認められ
る最も完全な形態の金本位制。イギリスが1816年に初めて採用し、
1870年代以降各国が相次いで採用したのもこの制度。
②金地金本位制(gold bullion standard):金貨の国内流通は行わ
れず、したがって金貨の鋳造も、金貨への兌換も行われないかわ
りに、銀行券の金地金への兌換を認める制度。その目的は、金の
節約と金の中央銀行への集中にある。リカード(D.Ricardo)によっ
て最初に提案されたが、現実の制度としては、第一次大戦によっ
て金貨本位制を停止したイギリスが、1925年に金本位制に復帰
(再建金本位制)した時に採用したのが最初。この時イギリスでは、
1699ポンドの銀行券を重量400オンスの金地金に兌換するが、
それ以下の金額の銀行券の金兌換は認められなかった。
11
金本位制の形態 cont.
③金為替本位制(gold exchange standard):金貨(金地金)本位制
を採用する中心国通貨建ての金為替を準備資産として保有する
周辺国が、自国通貨と交換に金為替を上下狭い幅で無制限に売
買する制度で、金の節約を一層押し進めた制度。金為替とは、い
つでも金と交換される形態で保有されている資産のことで、金貨
(金地金)本位制を採用する中心国にある短期預金、コール・
ローン、大蔵省証券などの在外資産や、金兌換の認められてい
る中心国通貨、中心国宛ての外国為替手形などである。
・歴史的に最初に金為替本位制を採用したのは、インド(1900年
頃~1927年)である(ケインズ『インドの通貨と金融』) 。ヨーロッパ
では、1922年の「ジェノア会議」が金為替本位制の採用を提唱し
て以来、第一次大戦以降いち早く金貨本位制に復帰したアメリカ
(1919年)や、金地金本位制を採用したイギリス(1925年)以外で、
多くの国が金為替本位制を採用し、ドルやポンドに自国通貨をリ
ンクし、ドル建てまたはポンド建ての金為替を準備資産として保
有した。第二次大戦後の金ドル本位制も金為替本位制。
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3.金本位制の機能:(1) 物価の安定
• 1844年の「イングランド銀行法」(Bank Act of 1844 )(時の首相の
名を取って通称「ピール条令」(Peel's Bank Act )
⇒銀行券の発行をイングランド銀行に集中させ(中央銀行としての
BOEの成立)、貴金属(金)準備に裏付けられない銀行券の発行を
制限。
⇒BOEを、銀行券の発行業務を行う「発行部」(Issue Department)と、
預金や貸出等通常の銀行業務を行う「銀行部」(Banking Department)
の二部に分離。1400万ポンドまで政府証券を裏付けとして発行さ
れる保証準備発行(fiduciary issue)が認められたが、それを越える
額の紙幣発行には金準備が必要。
⇒貨幣供給量を金保有量の変動に対応して自動的に伸縮させる限
り、国内物価の安定が保たれるとする「貨幣数量説」があった。
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イングランド銀行のバランスシート(1844年9月7日)
14
通貨論争(currency controversy)
• イギリスでは、対仏戦争(1793-1815年)の最中にBOEは兌換停止に追い込まれ
た(1797-1821年の「銀行制限時代」)。その後の兌換再開にもかかわらず、1825
年、36年、39年と相次ぐ恐慌と金流出によって、BOEは再三にわたって兌換の
危機に襲われた。 「通貨論争」は、この恐慌の原因と対策をめぐって展開された。
• 通貨学派(currency school):ロイド(S.J.Loyd )やトレンズ(R.Torens)等は、貨
幣供給量を金保有量の変動に対応して自動的に伸縮させることによって、国内
物価の安定が保証されることを主張。
• 銀行学派(banking school):トゥーク(T.Tooke)やフラートン(J.Fullarton)等は、
商業手形の割引という経済界の必要に応じて発行される銀行券は、必要がなくな
れば還流するので過剰発行はありえないこと、銀行券の増減は物価変動の原因
ではなく結果であることを主張。
• 1844の銀行法:1400万ポンドまでの保証準備発行を越える額の紙幣発行には
全て金準備が必要とされ、通貨論争は通貨学派の勝利という形で終結。しかし、
1847年、57年、66年と度重なる金融危機に際して、しばしば銀行法は停止され、
BOEも恐慌に際しては積極的に割引政策を講じることによって、金融危機の緩和
に努めた。こうした経験から、BOEの運営は貨幣数量説に基づく通貨学派の理
論だけでは不十分で、公衆の需要に応じた貨幣供給という銀行学派の理論に
よって補完されねばならないとする「バジョットの原理」が定着。
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バジョットの原理
• イングランド銀行の抱えた矛盾
①紙幣発行を独占し金準備を維持するというピール条例の
使命(非弾力的な貨幣供給)
②金融危機の際に「最後の貸し手」(lender of last resort)と
して公衆の 貨幣需要に応じるという中央銀行の責任
• 度重なる金融危機に際して、政府はイングランド銀行に限外
発行を認める「銀行法の停止」を行う一方で、イングランド銀
行も恐慌に際しては積極的に割引政策を講じることによって、
恐慌の緩和に努めた。
• こうした経験から、バジョット(W.Bagehot)は、イングランド
銀行は平時においては十分な準備金を維持しつつも、危機に
際しては「最後の貸し手」として「非常に高い金利」を課しつつ
も「公衆が要求する限りどこまでも」信用供与を行うべきとする
「バジョットの原理」と言われるものを打ちたてた。
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バンクレート政策の効果
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3.金本位制の機能:(2)為替の安定
• 金本位制下での為替レートは、
金現送点(gold point)=金平価±金現送費
の狭い幅で安定していた固定為替相場制度。
• 金現送費:運賃、保険料、取扱手数料、また金を輸送す
ることによって犠牲にされる機会費用、例えば利子など。
• 1ポンド=4.86ドル、1ポンド(純金113グレーン)あたりの金
現送費=0.02ドルとすると、
金輸入点(4.84ドル)<金現送点<金輸出点(4.88ドル)
となる。
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金裁定取引(gold arbitrage)
•イギリスの国際収支が赤字となり、為替相場が金平価(£1=$4.866)を下回り、
£1=$4.500 (金現送費は金平価の1%、£1あたり$0.04866)
となったとする。この時、以下のような金裁定取引が発生する。
①ポンドをイギリスの貨幣当局に売却して金を購入(£1で133.0016グレーンの金)
②金をアメリカへ輸送してアメリカの貨幣当局に売却してドルを購入($4.866) 。
③ここから金現送費を差し引くと、$4.81734 ($4.866-$0.04866)となり、このドルを為
替市場でポンドに換えると、£1.07となる。
•こうした「ポンド⇒金⇒ドル⇒ポンド」という裁定取引によって、当初の£1が£1.07に。
•こうしてイギリスからアメリカへ金が流出する一方で、為替市場ではドル売り・ポンド買いが
続くために、ポンドの為替相場は次第に金平価に向かって上昇し始める。為替相場が、
「金輸出点=金平価+金現送費」
を上回ると、このような裁定取引で得られる利益は消滅するので、金の流出は止まる。
•イギリスの国際収支が黒字となり、為替相場が金平価を上回ると、「ドル⇒金⇒ポンド⇒ド
ル」という裁定取引によって利益が発生する。そのため、アメリカからイギリスへ金が流出す
る。他方、為替市場ではドル買い・ポンド売りが続くために、ポンドの為替相場は次第に金
平価に向かって下落し始める。為替相場が、
「金輸入点=金平価-金現送費」
を下回ると、このような裁定取引で得られる利益は消滅するので、金の流入は止まる。
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3.金本位制の機能:(3)国際収支の自動調整
物価・正貨流出入機構(price-specie flow mechanism)
by ヒューム(David Hume)
=国際収支のマネタリーアプローチ
金の流出
Mの減少
Pの下落
国際収支の
改善
国際収支
の悪化
Pの上昇
Mの増加
金の流入
①「物価・正貨流出入機構」の理論的前提
=貨幣数量説(Quantity Theory of Money)
PT=MV: T(=Y)が完全雇用、Vが一定ならば、MとPは比例的関係
②国際金本位制のゲームのルール
金の流入(流出)→Mの増加(減少)、不胎化はしない。
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ゲームのルール(rules of the game)
• 「物価正貨流出入メカニズム」を補完したのが「ゲームのルール」
• 国内資産の増減を対外資産の増減と同じ方向に変化させること。
不胎化(sterilization)行わない暗黙の約束。
• 金流出国(赤字国)の貨幣当局は国内の貨幣供給を減少させ(金融
引締)、金流入国(黒字国)の貨幣当局は国内の貨幣供給を増加
(金融緩和)させること
• ヌルクセ(R.Nurkse)は、戦間期において「ゲームのルール違反」
(不胎化)が横行したことが国際金本位制の崩壊につながったこと
を実証した。ゲームのルール違反とは、貨幣当局が国内資産の増
減を対外資産の増減と反対方向に変化させる行動をとることを意
味する。戦間期のアメリカが金流入の「不胎化」(sterilization)を
行ったことは、典型的なゲームのルール違反である。すなわち、黒
字国であったアメリカの貨幣当局は、公開市場で債券の売りオペ
レーションを行なって金の流入を不胎化し、信用の拡張と物価の
上昇を回避したのである。この意味で、ゲームにルール違反は、
撹乱的な対外要因が国内経済へ及ぼす影響を遮断する管理通貨
政策であった。
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4.国際金本位制
(1)国際通貨としてのポンドと国際金融市場としてのロンドン
• アクセプタンス・クレジットとロンドン・バランス
ロンドン宛て手形(bill on London)=為替手形
⇒マーチャント・バンク[merchant bank; 引受業者(Acceptance
House), eg.ロスチャイルド(Rothschild)]の引受けによって優良
手形に
⇒ビル・ブローカー[bill broker; 割引業者(Discount House)]に
よって割引かれる
⇒手形の割引によって取得した手取金は、ロンドンの銀行の預金
として保有(ロンドン・バランス)
⇒このロンドン・バランス(London Balance,ポンド残高 Sterling
Balance)によって、各国は国際決済を行う=国際通貨ポンド
⇒国際金本位制は、実質的にはスターリング為替本位制(sterling
exchange standard)
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資産
ロンドン勘定
債務
ロンドン宛て手形
ポンド残高
(引受手形)
(国際通貨としてのポンド)
マーチャント・バンク
手形割引
ビル・ブローカー
(引受業者)
ロンドン宛て手形
日本の輸出業者
アクセプタンス・クレジット
(短期信用供与)
(割引業者)
代金支払
手形提示
アメリカの輸入業者
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4.国際金本位制
(2)資本輸出と国際資本市場としてのロンドン
• イギリスは短期の信用供与のみならず、長期の資本輸出という側
面からも、ロンドンは国際資本市場としても絶大な影響力。
⇒債券の引受発行(underwriting)業者としてのマーチャント・バンク
⇒ポンド建て債券をイギリス人が購入(資本輸出=対外投資)
• イギリスからの巨額の海外投資を受け入れた後進国や植民地が、
イギリスへの工業製品の発注を増やすという機能。
⇒対外投資が輸出を促進するというトランスファー過程
⇒「たとえばイギリスが一九世紀に海外での鉄道開発のための貸
付けを行ない、そしてイギリス自身がこれらの新投資に必要な素
材の多くについて唯一の有効な生産者であった場合がそうであっ
た」
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4.国際金本位制
(2)資本輸出と国際資本市場としてのロンドン
①イギリスは、アメリカ及び大陸ヨーロッパに対して輸入超過に
よる厖大なポンド資金を支払い、
②アメリカは、その半分を大陸ヨーロッパに、残りをインド及び
日本に支払い、
③大陸ヨーロッパは、イギリス及びアメリカから受け取ったポン
ド資金の過半をインド及びオーストラリアに支払い、
④インド・オーストラリア・日本などの後進諸国は、これら先進諸
国から受け取ったポンド資金をイギリスに支払う。
「イギリス⇒アメリカ及び大陸ヨーロッパ⇒インドなど後進諸国
⇒イギリス」という、イギリスに発してイギリスに還流する国際
資金循環。
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植民地の存在(特に「安全弁としてのインド」)
• イギリスを中心とする多角的決済網において要諦をなす
のが、インド。すなわち、イギリスはアメリカ及び大陸ヨー
ロッパに対する9500万ポンドの支払いのうち、6000万ポ
ンドはインドからの受取りでファイナンス。インドこそイギ
リスにとって最大の安全弁。
• インドの貿易収支は、イギリスに対してのみ赤字、その
他の世界に対しては黒字。また、インドのイギリスに対
する貿易外収支は一貫して赤字、その額は対英貿易赤
字を上回っていた。こうしたインドの対英経常赤字の背
景には、インドに対するイギリスの資本輸出があり、これ
によってインドはイギリスから物資を購入し、イギリスへ
の利払いを行っていた。
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第1次大戦前における世界の多角的決済
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金本位制から管理通貨制度へ
• 第一世界大戦によって増大した対外支払のため、金の政府へ
の集中が必要となった。
⇒通貨の金交換停止、金の輸出禁止
• 第一世界大戦後、金本位制に復帰するが、 1929年の大恐慌
により、各国は金本位制を離脱、金の保有量とは関係なく通
貨を発行する、管理通貨制度へと移行。
⇒恐慌の時は大量の貨幣供給を拡大し、金融を緩和させる必
要があるが、金本位制のもとでは発行できる貨幣量は中央銀
行の保有する金に拘束される(golden fetter)ため、金融緩和
政策がとれない。1930年代に入って、各国は一斉に金本位
制から離脱した。
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