JNK000601

天理大学人権問題研究室紀f
「貧困と人権
」
-
一一義務を真剣に 捉えること
第6 ぜ
: 1 一Ⅱ, 2003
一
竹村和也
TAKEMURA゜azuya
れは 1% に過ぎない。 また,Ⅲ界の 最富裕層
] . 現状と課題
・世界人口の5 分の
1%
1
にあ たる㍑億の人々は
1 口に 1 ドル以下で生活をしており
の所得の合計
刮は同じであ
と
最貧困層 57% の所得の合
り,世界の最富裕層 5%
の所得
,「絶対・ は最貧困層 5% の所得の ]14 倍である。
rl 困 」にあるといわれている。 今なお 8 億
このような事実を 踏まえるならば ,豊かな
4 千万人が栄養失調状態にあ り,多くの者が
飢餓に直面している。 彼らの多くは 浦潔 な飲
国から貧しい 国への援助や 捌発 協力,または
前者から後者への 資源の移転を 拒むことは困
料水,公衆衛生などを 利用できないしそれ
難であ るように思えるし ,そのような援助に
らの不備で命を 落とすものの 大部分は子供で
ついて,全く 必要ないと主張する 者はいない
あ る。
だろう。 また実際,貧しい 国に対する対応と
り ま室
201 、M年 までに達成
開発と貧困撲滅のため ,
して過去 数 -l,年の間に国際機構から
NGO
に
ODA
をは
すべく設定された 国連のミレニアム 開発目標
至るまで多く
ほついては,多くの国が幾つかの 領域で進展
じめとして開発や 福祉の向上のために 多額の
を遂げている 一方で
姿金の供与が 行なわれてきた。
1
日
1
ドル未満で生活
している /Ⅰ々の古 Ⅱ合を半切
弍 するという目標,
特に石金的諸関係におけるグローバルな
相
及び乳幼児死亡率を 削減ずるという 目標につ
互連結と相互依存の 増大は ,
いては,達成できそうもない。また持続・可能
の国に対して 持つ義務を強める 働きをする。
で安全な飲料水を 利用できない 人々の割合を
技術の発達による 地理的隔たりの 縮減は,そ
半減するという 目標についても ,達成できそ
れまで何の関わりもなく ,存在すら知りえな
うにない国の 数は 25 カ国に及び, 世界人口の
かった人々の 不幸に対する 道徳的隔たりを 同
32% の人々がそこで 捲らしている。
その - 方で , 豊かな国は世界の 富を独占し
ず協働に参加しているという
ている。 世界月一@の 5 分の 1 に当たる豊かな
の 関係にあ
国の GDP
の合引が全世界の
ODP
に占める
割合は86% であ るのに対して ,賀しい国のそ
豊かな国が貧し
といえるし,相互利益を
生み出
意味で相互依
ギ拝
るものは,それに 参加しているも
のに対して特別の 配 庫 を行なう 黄任 があ ると
もいえる。
facul yof Ⅱ umanS
も
伽ュ
dies
「貧困と人権
」
では,我々が豊かな国から 貧しい国への 援
普遍的な権 利であ る ど理解されている。 した
助が行なわれるべきだと 感じており,実際-ヒ,
がって,人が持つそれ以外の 属性,例えば肌
様々な国際援助が 行なわれているとしても
の色や性差などによって ,人権の付与が左右
,
それはどのような 理論的根拠によるものであ
されることは 許されないのは 当然であ るが,
るべきだろうか。 本稿では,特に権 利・義務
それだけではなく ,ある民族や国家に 所属す
る者は人権 を持つのに,別の 民・族や国家に所
属する者には 同じ人権 を持たないという 事態
の相関関係に 焦点を当てる 二つのアプローチ
を検討することで ,この問題への解答の
-
助
はあ りえないということになる。
とすることを 目的とする。
さて,権利論に立つ者は 次のように論じる。
2, 権利と問題の所在
他人を救助する
=
貧しい国の人々は 基本的な必要性への 権 利
義務の説明については ,
人権 を持つ。 例えば,「経済的,社会的及び
様々なアプローチが 可能であ る。 例えば, 人
文化的権 利に関する国際規約」においては
権 によるものを 挙げることができる
すべての者が「飢餓から
(以下,
,
免れる基本的な 権
間が人間であ るがゆえに持つ 権 利として,例
Ⅱ」また「自己及び 家族のための 相当な食糧,
衣類及び住居を 内容とする相当な 生活水準に
えば食料や清潔な 水,衣服・住居や公衆衛生
ついての権 利」を有することが 規定されてい
このアプローチを 権 利論とする ) 。 つまり人
ォ
など,人間としての 尊厳を保つために 必要な
る。 ただし,ここで言及している 権 利は,条
基本的な必要性に 対する権 利を人は持つのだ
約 (あ るいは憲法,法律) において実定的に
と
主張することで ,援助を正当化することが
規定されている 権 利であ るが,権利の妥当性
可能であ る。 また,例えば功利主義の立場か
を問う場合には ,いわゆる人権もしくは道徳
らの援助の正当化も 可能であ る。 これは,絶
的権 利の正当性が 問われねばならないことに
対的貧困は悪
留意が必要であ る。 そして権 利論者は端的に ,
最低限の必要性に 対する人権 は存在するのだ
い ことであ
り,悪い ことを防ぐ
ことが,それに 匹敵するほど 道徳的に重要な
ものを犠牲にせずに ,できる場合であ ればそ
う すべきだと論じる。 これは,他に
特別な事
と
主張する。
なぜなら,基本的な 必要性は,人間として
情がない 限りは,貧困の解決を正当化するだ
の尊厳を保っのに 不可欠な重要な 利益であ
ろう。 さらに,例えばロールズの 理論を用い
ため,それらに対する権 利があると想定する
ることで,国際的協働の 条件としての 正義論
ことは妥当であ るからであ
の立場から援助義務を 導き出すことも 可能で
存 が確保されなければ ,他の自由に対する 権
あ る。
利を享受することはできないので
何れにせよ,援助義務の 理論的根拠が 普遍
性にコミットするものであ るならば,他人に
ての権利を享受するためには ,その前提とし
て基本的な必要性に 対する権 利が存在しなけ
対する援助義務を 正当化する理論は 必然的に
ればならないからであ
国際援助を正当化することになる。
を
人権理論
取り上げるならば ,人権とは,人が人であ
る
る。 また,まず生
,他のすべ
る。
しかし,このような 人権が本来的な権
あ るのか否かほついて 議論の余地があ
利で
る。 権
るということのみを 理由として与えられる 基
利は,当然受け取るべきものとして 事物を請
本的権利であると,言い換えると ,人権とは
求するものであ るから,まず何かに対する 権
利 (Hght to) であ る。 しかし,それと 同時
に,権利が単なる請求ではなく
,権利であ る
している人々の 数が,それほど多くないと仮
定したとしても
,それが私に過大な出費を 課
ためには,それは誰かに対する 権 利 ( lght
すことになる 場合には,そのような 犠牲を払
aga 市St)
ことが,私に 義務として要求されているの
だと は考えることはできない。
「
でなければならない。 誰かに対し
て利益を正当に 主張できなければ 権 利である
とは言えないのであ
う
さらに, もし私だけではなく ,余裕のある
る。
さて,権利は二つの権 利に区別できる。
-
人々全員が救助を 行なうとしても ,多くの
方は消極的権 利であ り,他方は積極的権 利で
人々が救助を 必要としている 場合には,ある
あ る。 前者は,他者に対して,愁意的に生命
者は救助を受け ,
他の者は全く 受けないとい
を奪ったり拷問を 行なうなど,加害や干渉し
う事態が生じることになる。
ないことを求める 権 利であ り,義務を負う 者
することになるだろう。 また,救助が必要な
はそのような 行為を行なぬなり 消極的義務を
人々の数が少ないと 仮定すると,各人の救助
持つことになる。 後者は,他者に対して,人
が重複するという 事態が生じることになり
間の尊厳を維持するに 足る最低限の 財 や サー
そのような無駄な 行為を遂行する 義務はない
ビスの提供を 求めるなど,義務を 負う者の積
極 的な関与を求める 権 利であ り,従って - 定
ことになる。
従って,積極的権利は義務が確定されてお
のコストの負担を 他者に要求する。
消極的権 利の場合には ,その権利に対応す
らず,義務に 対応していない 権 利であ り,対
応する義務が 存在しない権 利は本来的な 権 利
る義務を負うのが 世界中の人々であ り,彼ら
が加害や干渉を 行なうない義務があ るとして
ではない。 あ るいは,そのような 要求を権 利
と呼ぶのは自由だが ,それは単なるレトリッ
も何ら問題は 生じない。 義務の内容は 明確で
クあ るいは「宣言的意味での 権 利 (ma ㎡色sto
あ り,世界中の 人々は何もしないことで ,義
sense
務を果たすことができるからであ
る。
それは公平に 反
,
ofright)」に過ぎない ,このように主
張 されるのであ る。
そこで,世界における 貧困問題の解決に 関
ところが,援助を 求める権 利などの積極的
権 利があるとした場合,権 利に対応する 義務
心を向け,その根拠を権 利論に求めるなら ,
を誰が負うべきなのかが 明確でないという ,
貧しい者に権 利があ ることを単に 主張するだ
義務の不確定性が 問題となる。 もしサハラ以
けでは充分ではなく ,義務の不確定性の 問題
南の国々の人々が 飢餓に苦しんでおり ,彼ら
に向き合うことが 必要となる。 それには,彼
が食物に対する 権利を有しているとした 場合,
らの必要性に 目を向け,それを 満たす義務に
私は誰に対して ,私の義務を履行すべきなの
だろうか。 救助を必要としている 人々の数が
注意を傾けることが 肝要となる。 そこで次に
多ければ,そして実際には多いだろうが ,す
し
べての人々の 要求をすべて 満たすほどの 資源
論 (以下,義務論とする ) を検討しょう。
を私は持ってはいないから ,当然彼ら全員に
対して,食物を与えることはできない。 した
がって,私には不可能な事柄を 行なう義務は
ないことになるだろう。 また,救助を 必要と
権 利論を批判しながら ,義務から議論を 出発
,基本的必要性の 充足の正当化を 試みる議
3, オニールの義務論
この立場はオニール
(Onora O,Nefll) に
よって展開されている。 彼女は,消極的義務
と
積極的義務の 間の区別が重要であ ると考え,
た 実践的合法であ る。 つまり,
暴プJ や偽り,
権 利は,その権利を充足する 義務があ って初
強制などの原理にしたがって
行為することは ,
めて,存在していると 言えるのだという。 従
他者を道具として 取り扱うものであ り,悪で
って,権利論が成功する 見込みはなく ,人々
あ る。 したがって,他人を
が有する義務を 真剣に捉えるべきだと 主張す
単に手段として 扱
うという原理にじたがって 行為することを 避
る。 その上で彼女自身の 議論が展開される。
けることが義務となる。
彼女は,我々の行ゐ。 (また政策や制度 ) を導
さて,偽りや強制を避ける 義務は正義の 義
く基本的な原理として , どのような行為の 原
務であ り,義務の一部に 過ぎない。 もし我々
理 に従って行為されるべきなのかを 探求し,
が 他者を道具として
その原理に従えば ,貧しい者に援助を与える
らを目的として ,つまり合理的自律的な 存在
ことが義務なのだと 示そうとするのであ る。
であ り, 自らの行為の 原理を特った 存在とし
オニールは,カントの 理論を利用して 義務
て扱わないならば ,そのこともまた義務に反
論を展開するが ,その際に重要な 役割を果た
すのがカントの 宏高倉 法 であ る。 一定の原理
利用しないとしても ,彼
することになる。 オニールによると ,入間を
目的としで扱う 上で重要なのは ,人間は自律
が,すべての人によっては ,普遍的に行為の
原理としで採用することに 同意されないとい
的であ るが,同時に有限の存在であ り脆弱で
6 場合があ る。 その場合には 当該原理は行為
の原理としで 採用されえない。 偽りの約束の
には他人の協力と 様々な物理的条件が 必要で
例をとれば, もしすべての 人が,返済できな
いことを承知で 偽って借金をするとすれば
,
あ ること, したがって人が 自律的であ るため
あ ることを認めることであ る。
飢餓や過度の 貧困は人冊の 自律を損ねるも
のであ るから,人を 目的として扱うという 原
理に従うことは ,飢餓や貧困を防ぎ,減少さ
そしてすべての 人が,偽りを行為の原理とす
るならば,結果的に 約束やその裏 づけであ る
信頼を破壊することになり ,矛盾が生じるこ
せ,それらに対して救済を 与えることが 求め
とになる。 従って , 偽りを行なうことを 普遍
であ り,これは正義の 義務との対比で ,慈恵
化することはできない。 そして,普遍化され
られることであ
る。 これらの行為もまた
義務
(beⅡ e且 cence) の義務と呼ぼれる。
え な い 原理にしたがって 行為を行かうことは
正義と慈恵の 義務はカントによって ,それ
禁止され,それを 避けることが 義務となる。
ぞれ完全義務と 不完全義務と 呼称されていた。
この ょう な筋道をたどることで 導出されるこ
しかしオニールによると ,前者に比して後者
とになる義務の 主要なものには ,偽りを行な
はより重要ではない 義務だとカントが 主張し
わな い 義務や強制を 行なわな い義務があ ると
たと解釈するのは 誤りであ り,実際にそう
される。
って考えられてきた。 不完全義務は
同じ義務は,カントの 宏高 命 ,法の法式の
d
な義務であ る点で不完全と
"
,選択的
称されたに過ぎな
つであ る,「人間性を常に同時に目的として
いのであ る。 他者に援助を 与える義務につい
扱い ,
ては,必要とする 人すべてに対して 援助を与,
単なる手段として 決して利用してはな
らない」という 目的自体の法式によっても
き出されることになる。
目
導
的目体の方式とは ,
カントの哲学から 導き出された 内容を伴なっ
えることは不可能であ
り,誰にどの 程度与え
るか選択的であ らさるをえないということを
示しているに 過ぎない。 不完全義務は ,例え
ば命を投げ出して 人を救うという
も
行為" のよう
こ,行なうことは 賞埜に値し, 怠っても非難
関の行為はこの 慈恵の義務に 適う行為なので
あ る。
されないという 意味で義務を 超えるものでは
さて,オニールは 完全に権 利論を否定して
ない。 それは選択的であ っても義務なのであ
いる訳ではない。 人が自律的であ るためには
る 。
様々な物理的条件が 必要であ るがゆえに, 援
とはいっても ,オニールぱ貧困問題に対す
る対処として ,正義の義務が大きな役割を 果
助の義務が生じるのだというオニールの
議論
は,権利と義務との 相関性を前提とした 場合
たさなかというわけではない。 飢えている者
に,権利論の裏 ・返しの議論であるといえる。
や貧しい者は ,偽りや強制に対して通常
つまり,権利論は,人は必要性を享受ずる 椛
も
よ
り
脆弱であ るから,彼らに 不正義が行なわれ
利があ るのだとい い ,オニールは人の必要性
-
る可能性は高い。 食糧不足が配給 @こ よってま
を満たすために 他の人々が
かなわれている 場合に, 誤 魔化して割り 当て
う義務があ るのだという。 だがその -l-で,オ
られた以上の 食料を手に入れることは ,人を
ニールは,義務が確定されない 場合には, 必
単なる手段として 利用することだし ,彼らに
典 伯に 対する権 利は, ただの不適切な 呼称に
対して,うわべは通常の取引に 見えても,食
過ぎないのであ って,権利論は義務を 真剣に
料,を高額で売りつけたり ,将来の上司を・担保
捉えることができないのだと 主張するのであ
に賀村・したりすることは強制であ り,他者を
る。
定の行為を行な
以上のオニールの 主張は-l分な議論だろう
不正義に・取り扱うことになる。 また, もし多
国籍企業からの 貧しい国への 投資が一部の 先
か。 まず,オニールに 対して,慈恵の義務が
端技術侍医に 対してだけ行なわれ ,それの基
充分に基礎付けられているか 問うことができ
盤 整備や維持に 受入国が大きな 費用を負担す
よう。 カント自身は ,困窮した人の援助を行
るように求められるが ,その一方で投資はほ
なわないことが 普遍的な行為のルールになっ
とんど一般の 雇用に資することなく ,さらに
たとしても,人はなんの 差し障りなく 生活で
企業が受入国に 租税の減免を 求めるような 場
きるという。 すべての人が ,危難にある人に
合 ,その契約は海外からの投資を
対して援助を 差し伸べないということを 行為"
猛烈に欲し
ている国に対する 強制によるものではないか
と
の ルールとしても
,人々が危害を加えること
疑 う ことができる。
さえしなければ ,社会を維持することは 可能
また慈恵の義務も 問題解決に大きな 役割を
だからであ る。 従って,慈恵の義務について ,
果たすことが 期待される。 飢えている者や 貧
それを普遍化可能性によって 正当化すること
しい者など脆弱な 立場にいる者に 対して,彼
らを目的,つまり 合理的で自律的な 存在とし
は困難だと思われるのであ る。
で扱うには様々な
方法があ りうるが,すべて
次に ,
と
特に今日貧困問題との
関係で重要だ
考えられるのは ,資源,貿易・
投資条件,
の物質的・制度的な 条件の改善は 自律の可能
低賃金労働などの 搾取の問題であ るといえる。
性を高める手助けとなりうる。
搾取とは,
例えば清潔な
-
方の当事者が ,他方の当事者の
水の提供,農業技術の 改善,より良い穀物 貯
性質や置かれた 事情につけ込むことで ,
被か
蔵 め システム,また 適切な地域的輸送手段な
ら 利益を得ることと
ど,経済的社会的開発を 目的とする個人や 機
場合に搾取が 強制となりうる 訳ではない。
定義できるが ,すべての
い
「貧困と人権
」
かなる場合に 搾取と強制が 重なり合うかにつ
してみることにしよう。 権利論にとっての 障
いては議論の 余地があ るが,不利な立場にあ
害は ,消極的権利と積極的権 利の区別であ
る当事者の同意がない 場合には,強制であ る
ことは上で見た。 これに対して ,権
利論は,
といえる。 だが,実際に問題なのは,契約が
、消極的権 利と積極的権 利のニラチ ・法に対して
異
同意の下で結ばれ ,強い交渉力 を有する 当尊
議を唱え
者が過大な利益を 得た場合であ る。 それが,
と論じることで ,障害を乗り 越えようとする。
,
る
両者には本質的な 区別がないのだ
道徳的に悪いことだという 点には異論はない
まず最初に,どのような 権利であっても,
が,法によって強制し,契約を無効とするほ
その保障のためには 積極的な方策が 必要にな
ど不当であ ると主張するためには ,単に道徳
るのであ り,その点で 二分法は維持されえな
的に悪いというだけではなく ,別の基準が必
いと主張される。 例えば,消極的権利として
要となる。 私はそれが権 利であると示唆して
「身体を侵害されない 権 利」を取り上げた 場
い ことで,他人の
身
おきたい。
合,確かに何も 行なわな
最後に,上の指摘とも関係のあ る問題は ,
法と 道徳の問題であ る。 あ る事柄に対する 権
体に危害を加えないということは 可能であ る。
しかし,権利を実現するためには ,警察,裁
利を有するということは ,義務を負う 者に対
して義務の履行を 正統に要求できるというこ
判所,刑務所,またそれらの 人員や訓練施設,
犯罪の予防,捜査,処罰のための費用やそれ
とを意味すると 同時に ,
にはその義務を 強制できるということを 含意
らを支えるための 徴税など,広い 範囲に及ぶ
社会的な権 利の保障のための 方策が必要とな
する。 ところが,「・
一・定の行為を行なう義務
らざるをえない。 積極的な方策が 必要だとい
があ る」あ るいは,「そうしないのは 道徳的
う点で,消極的権 利と積極的権 利の間には本
に悪いことだ」と 言明することは ,我々に行
質的な区別は 存在しない。
彼が履行しない 場合
動の指針を示す 道徳の問題ではあ っても,必
次に,権利と義務は一対一の 対応関係にあ
ずしもその義務の 強制を含意する 訳ではない。
るのではなく ,一つの権利の実現には 様々な
あ る行為が悪 いか 否かという問
いは ,それを
強制力をもって 禁止するか否かという
は区別できるからであ
問い と
る。 権利論は法と正義
義務が必要となるのであ って,その点で,消
極的権利と積極的権 利との間に区別はないと
主張される。 例えば,消極的権利である「拷
の問題を対象とするが ,義務論は道徳と 善の
問されない権 利」を取り上げた 場合,それに
問題を対象とするにすぎない。 人権を根拠と
して今日の貧困問題にアプローチするという
相関的な義務は ,「拷問しない 義務」だけで
なく,「ある者が他人によって 拷問されよう
試みの背後には ,単に行動の指針を示すだけ
とするのを押し 止める義務」,さらに「拷問
ではなく,国家もしくは 国際機関などを 通じ ,
必要なら強制を 用いることで 問題の解決を 図
の犠牲者を助ける 義務」でもあ るという。 積
極的権利の場合も同様であ
ろうという関心があ
に対する権 利を取り上 , げれば,それに対応す
るのであ る。
例えば食物
る義務は「食物を 与える義務」だけではなく
4. シュ一の権 利論
ここではシュー (Henry Shue)
って ,
「食物を奪われることから 保護する義務」,
の議論を
利論の主張を 再度 検 ,
取り上げることで ,権
きづ
「食物を奪わない 義務」でもあ
て,
-
る。 したがっ
つの権 利には複数の 義務が対応してい
るという点で ,消極的権利と積極的権
利の間
には本質的な 区別は存在しない。
が ,個人であれ,国家であれ,集団であれ 同
様であ る。
さて,このように ,一つの権利にはぐっの
義務が対応しているのだという 主張は次のよ
(l41
うに一般化されうる。
次に,保護義務については
,生活手段を奪
われることから 人を保護するということがそ
の内容になる。 これは回避義務を
強制すると
いう積極的義務であ り,シュ一によると ,す
① 権利の侵害を回避する 義務
べての者に課されることになる。
②
権 利の侵害から 権 利の保持者を 保護す
べてのものが 権 利の保護に従事する 必要はな
る義務
い。
③ 侵害された権 利保持者を援助する 義務
ただし,す
だが,保護のために 何らかの制度の 設立
が不可避となる。
そして,人々は制度を設立
し,保護義務を 制度に委ねることで 分業を行
それぞれの義務について
,特に誰がその義
なうことになり ,通常は政府がその 義務を強
務を負うことになるのかに 注意を払いながら
制するという 役割を果たしている。 先の多国
見ていくことにしよう。 基本的必要性に 引き
籍 企業のケースでは ,
つけるなら,回避義務は
を生み出す最初のケースであ
,本来侵害がなけれ
少なくともそれが 飢餓
ったとすれば ,
ば自足可能で ,基本的必要性を 充足しえたは
おそらく食物生産から 換金作物への 転換が肌
ずであ る人物から,生活手段を 奪うことを禁
蛾を生み出すことになるという 予測を,契約
じることになる。
当事者であ る企業や個人がなしえたと 考える
例えば,次の例を考えてみよう。 幾 っかの
多国籍企業はこのようなシナリオで
のは現実的ではないかもしれない。
また,予
飢餓を生
測しえたとしても ,個人に対して契約を止め
み出すことを 実際に助長してきた。 あ る多国
るように求めるのは 過大な要求であ る。 その
籍企業が途上国に 進出し,それまで現地の農
換金作物に
ような場合には ,我々は,例えば
民が食物生産に 使用していた 途上国の土地,
利用される土地の 量を制限したり ,税金の支
それも生産性の 高い土地を,輸出を 目的とし
払いを求めたりする 法や制度を設計し , 強 m;U
た換金作物の 生産に用いる。 ところがいった
することで,権利の保持者を 保護する義務が
ん不作が生じると ,それが土地が現地の食料
生産に用いられていた 場合には影響が 出ない
あ る。
性
最後の援助義務については ,基本的必要,
ほどの規模のものであ ったとしても ,直ちに
を充足しえない 人々に対して 援助を与える 事
食糧不足に結びつき ,飢餓の拡大を生み出す
が,その内容となる。まず,援助者と 援助を
ことになった。
受ける者との 間に ,いわゆる特別な 関係があ
もし,多国籍企業がこの 結果を予測するこ
る
場合に,その関係からこのような 援助義務
とができたにもかかわらず ,かつ利益のため
にその計画を 推し進める場合には ,この企業
が 生じると考えられる。
は明らかにこの 義務に反しているのであ る。
関係を挙げることができる。
このような義務は ,生活手段を奪わない義務
供を例にとれば ,ある親が義務を 持つのは自
であ るから,消極的義務であ り,すべての 者
分の子供に対してであ り,すべての 子供に対
に課されることになる。 それは義務を 負う者
して一般的な 義務を持っわけではないから
この例として ,
親と
子の関係や危害を 加えた者とその 被害者との
しかし, 親 と子
,
ここでの援助義務は ,積極的義務ではあ るが
して割り当てられた ,援助義務を果たしてい
普遍的な権
るということなのだと 想定してもいいだろう。
利ではなく,
相関関係があ る完全義務であ るから,義務の
また, このような制度を 用いることによって ,
負担者の確定という 点からは問題は 生じない。
効果的に権 利の充足を行なえることになるし
問題となるのは
,権利を侵害されたり ,自
,
人々が援助を 要している人々に 対・して義務を
然災害によって 生存に必要な 手段を奪われた
有しているとの 心理竹重荷に 対する緩衝とい
者に対して人々一般が 有する義務であ る。 生
う役割を持つことになるだろう。
活手段を奪われた 見知らぬ途上国の 住人の椛
、ンユーは 論じる。
このように
さて,シュ一によって 主張される新たな 権
利 に対する援助義務を 持つのは誰なのであ ろ
U論は,これまで権 利論は義務に 充分な注
る必要,性はないというものであ る。 もし各人
対・ずる返答であると捉えることができる。
%
批川 に
「
ネ花
え
捉
務
を川
。
る
Ⅱ
で
はの
いうことになれば ,各人の時制とエネルギー
こ、レ
るて
に昔ゅ
が援助を必要とする 者に対して義務を 負うと
義あ
を 担、 ってこなかったというオニールの
とる
する人々すべてに 対して義務を 有すると考え
えし
捉味
不
剣を
真と
をこ
利る
うか。 シュ一の答えは ,各人が援助を 必要と
をすべて援助にとられてしまいかれない。 従
ってそのような 事態を避けるためにも ,道徳
の保障に焦点を 当てつつ権 利論の展開を 行な
内分業が行なわれることが 必要であ る。 人々
ったこと, また,権利と義務の
が協調し,共働することで ,権利の充足は可
を否定し,義務の 名宛人が不確定な 積極的義
能である。 つまり,私はある人々に対して 義
務を負い,あなたは別の人々に 対して義務を
務については ,人々が分業を行ない,義務の
負うとすればよいのであ
棒
@: 題が解決されると 論じたことなど ,示唆に
利の充足があ ればいいのであ る。 権 利が普遍
富むところが 多い議論であ るといえる。 しか
的であ るからといって ,義務まで普遍的であ
し,
って,全体として
権 利の対象であ る利益の実現,つまり 権 利
割り当てに必要な 制度があ れば,不確定性の
け
これらの議論が 妥当であ るのかについて
llsl
ると考える必要はない。
検ぎづ
そして, このような人々の 協調と共働を 達
成するにも制度が 必要となる。 制度は,他者
- 対 - の対 @
・することが必要であ
る。 以下,
この二つ
の議論について 検討することにしたい。
まず,すべての 権 利の社会的な 保障には 横
の助力を必要としている 者にそれを供給する
極 的な方策が必要なのだという
という原理や ,
は,権利それ自身と ,権利の実効的な 保障と
1 人が過大に負担することを
主張に対して
避けるという 原理などの,一定の 原理に基づ
を区別すべきだと 反論されえよう。
いて,義務を割り当て,他者の助力を必要と
身 もこの反論を 予期して、)て, 次のように
している者にそれを 供給するという
える。 「身体を侵害されない 権 利」と「身体
役割を果
シュー 白
答
たすことになる。 この制度は権 利と義務の間
への侵害から 保護される権 利」というよう
を取り結ぶ制度 (mediatinnginstitutioon)
な
のであ る。 そのような制度の 維持のために 必
両者を区別した 場合,人々が求め,必要とし
要な負担を ,税として公平に 負 う ことが我々
あ る。 身体の安全への 要求とは,単に他者の
に求められている。 我々がそれを
干渉なしに放って 置かれることではなく ,
税として負
担しているということは ,我々が各人に税と
ド
ているのは,彼らの 権 利が保護されることで
者からの危害に
他
対して保護されることなので
あ り,そのためには ,権利保 @
的な方策が必要なのであ
のための 横 返
確定以双には 権 利は存在しないが ,確定後に
Ⅱ
る。
しかし,それでもなお ,
権 利が生じると 論じることになる。 これは,
柊利 が存在するこ
普遍的であ るはずの権 利の存在が,制度が存
とと,権利を保障することとは 区別されうる
といえる。 「権 利の保障がされていなくとも
相
在するか否かという 偶然的な出来事により
,
利は存在するのだ」という 言明に何ら矛盾
はないからであ る。 両者は論・
理 的に等価では
左
右されるということを 示し,矛盾となってし
まう。 このように論じることができる。
、ンユーは 恐らく,人権が存在するためには
あ りえない。 もちろん, シューは社会的な 保
確定した義務があ ることを示す 必要はないと
陣 の裏 付けがなく,存在すると
宣言されただ
論じることで ,前提が誤っていると 反論する
けの権 利には意味がなりと 主張するかもしれ
ないが,「身体を 侵害されない 権 利」と「身
かもしれない。 これはすなわち ,権利の正当
化と義務の正当化を 区別するということで
体への侵害から 保護される 椛利 」を概俳的に
あ る。 例えば,権利の存在をそれが 非常に垂
区別することは 可能なのであ
要な利益に向けられたものであ
る。
次に,義務の名宛人が不確定な 積極的な義
務については ,人々が義務の負担について 分
業 ・協働を行ない ,
それを制り当てる 制度が
あ れば,不確定性の問題が解決されるという
、ンュ一の主張に対して ,
に反論する。 「福祉への権 利を擁護する 者た
得ず ,
従って不確定のままであ
り
るという問題
に直面する。 その幾人かは ,いったん権利の
制度化に取りかかれば ,このことは何の問題
も
生じないと論じる。 ・…‥しかし,我々は,
どのような人権 があ るのかを知って 初めて,
(その権利の ) 強制についての 問題へと歩を
進めることができるのであ
の集合を制度によって 割り当てる際には ,
そ
れを例えば効率性や 公平という原理によって
正当化するという 方法であ る。
オニールは次のよう
ちは, (義務の ) 割り当てが普遍的ではあ
ることによっ
て正当化し,その 権 利の集合に対応する 義務
る。
」つま
しかし
ここに至っで 我々は,出発点に立
ち返ることになる。 それは,ある請求が重要
な利益に対するものであ るという理由だけで ,
その請求を権 利であ ると主張してもよいのだ
ろうかという 問いであ
にいう。
「あ
る。 シューは次のよう
る義務が,完全義務であるのか,
それとも不完全義務であ るのかには,それほ
ど重要性があ ると考えないことが
肝要であ
(23)
る 。 」彼によれば ,重要なのは,たとえ義務
が確定されていないとしても
,つまり,私が
度によって義務が 確定されるためには ,その
特定の人物に 義務を負うとはいえないとして
義務に対応する 権 利の存在が前もっで 前捉 と
も,私が義務を 遂行し援助を 必要としてい
されていなければならない。 ところが,あ る
人権 が存在するか 否かは,その権 利に相関的
る者の権 利が充足されることなのであ
が, これは一極の 捌き直りであ る。 義務を真
な義務が確定されているか 否かによって 決定
剣に 捉えるはずであ ったシュ一の 権 利論は,
,そこに矛盾が生じる
残俳ながら不 -l分な試みであ ったと言わさる
されねばならないから
という批判であ る。 また, さらにオニールの
主張を展開すれば ,人権の存在の要件として
の義務の確定性を 前提とした場合,制度によ
って義務が始めて 確定されると 論じることは ,
る。 だ
をえない。
5. 結論と課題
豊かな国から 貧しい国への 援助が行なわれ
「貧困と人権
」
・ヘルド
編,中谷義和幣
訳
るべきであ るとすれば,それはどのような 理
ッド
論的根 によって,そう 主張されるべきなのか。
貧しい国の人々は 基本的必要,性への権利二人
if.), また, 伊豫合金士翁 ㌃バローバリーゼーシ
『バローバル
化と
は 何か一文化・
経済・政治一円法律文
ィヒ社,
権 を石しており ,豊かな国の人々がそれに 対
ョンとは何か
一液状化する世界を読み解 一8 ㎝
する義務を負っている。 このように答えるだ
九社新曹, 2002 年) など参照のこと。
く
ヱ
けでは充分ではない。 必要性への権 利が存在
特に経済的バローバリゼーションに
着目して,
していると単に 主張するだけで ,それが権利
世界経済が拡大しても
,周辺化され
,恩恵に与れ
となるわけではないからであ る。 そこで, 権
利 と相関関係にあ る義務を検討することが 求
国 と北の国との
格差,さらに先進国内における
豊
められる。 そのような,義務を 真剣に捉える
理論を検討することが 本稿の課題であ った。
かな者と貧しいものの
格差も拡大する
- 方である
しかし,義務論と 権利論の双方とも 充分に説
最近の昔物では
,スーザン・ジョージ
, マーテイ
得的な議論が 展開されているとは 言い難い "
ン・ウルフp徹底討論・グローバリゼーション
賛
ンュ一の議論は,義務の 問題に目を配った 権
成ノ反対d (作品社,2002 E), さらにスーザン・
利理論であ ると位置付けることができようが
ジョージによる
他の斡物を参照のこと。
とも主張される。
これらの占について
,例えば,
・
仝
,
最終的には義務を 充分真剣に捉えることがで
きていないと 論じることができるだろう。 基
本的必要性への 権利の更なる正当化の 試み,
もしくはより 良い議論の検討についてはこれ
からの課題であ る。
(5)
Cf. Peter Singer, 甲 am;ne, 古血 uence, and
Mora
Ⅱ
ty,inCharlesR.
Thomas
Ⅰ れサ
a且 d A. John Simmons
Sc8%10n
e㍗ れ 0 ね 0れ O
Press,
Ⅰ
E
Ⅰ
985)
亡
ん ics
(6)
(l)
UNDP
大田開発報告書2002
ダ
ガバナンスと
人間開発J (国際協力出版会,
2002 年) れ頁。
(2)
前掲書, 25 頁。
(3@
「人道的考慮」は
我が国の ODA
Ⅱ
cA
Beitz,
@え @ま ,
登ぬ
0n
PhncetonUnivers
え
irsin
Ⅰ
も
New
yPTess,
(eds.)
Univers
pub
Ⅱ
比y
shed
ミ
n
972).
T わ eo り
Po んお c0i
R め Q お oれ s,
れ 廿の・ れ 0 ん ontQz
七
ed.
1999)
0れ ば
(Pri 且 ce 七 o且
:
進藤築-- 訳
‥
『国際秩序と
正義朕岩波古庄,
1989 年) ;Thomas
の基本理念
の - つであるが,それと
同時に,開発途上国への
援助が,国際社会の中での
我が国の信頼・
評価を
W.
月 e0ziz 加g EO の zs
Pogge,
(lthaca:C0rne
Ⅱ
Univers 氏 yPress,1989).
(7@
民族や国境が
援助に度 する理論の中で
果たす
高め,また資源の
供給を海外に
依存する我が国自
意味をどのように
評価すべきかについて
,拙稿に国
身の安全と繁栄の
確保にとって
重要な意義を
有す
際援助と国境
一民族と国境の道徳的意味一山同志
るのであり,国益の増進に
資するとも位置づけら
社法学52 号 6 号 (200t 年) 参照のこと。
れている。
こではひとまずグローバリーゼ
一 ションを
,
(8@
消極的権利と消極的義務,横樋
的 権利と横槌
的 義務の区別について
,拙稿㌃救助義務と
恋しき
社会的諸関係におけるグローバル
な 相互連結と相
サマリア人の
法
互依存の増大であ
ると理解する。
グローバリーゼ
参照のこと。
ーションが果たして
,体系的・革新的意義を
有す
るのか否かほついては
議論の余地があ
る。 デヴィ
10
Ⅰ
ゆ
(P ㎡ nce
(Ori 田 nally
P ね Ⅱ osophyandPub
注
Baits,MarShallCoh0n,
コ
(g)
B0u
同志社法学
5T 号 3 号 れ 999 年)
Cf. ぷ 0磁何e妬碇笘, 月 fg 脇,
れ ds
o/
ムあ er 牧 ,
p.
九 sね ce,
153,
and
a 櫨妨 e
Socioz
P 砺iosop
(EngIewood
んノ
Pren 廿 ce-HaIl,1973),pP.66
け
New
C Ⅱで 無 ,
Jersey:
ヂ7.
Ⅰ
H ばれま e/.:
昭㎡
0n?dDeUcJopln
Unwin,
Ⅰ
onpou
も
。 Hunger,
Needs,
Ⅲlen&
WestviewPress,1988);
Probze
(Boulder,
ヰ
erso
「
3ぉ ed.(NewYork,MaGraw-H
ァ
。 EndingWorMHunger,,pp.262
づ
:
sis ね乃 ce,
14%6,
Shue, B0s;c
0n1 は
Eo 托 ぼれ 尹 0んり , 2"ded. (NewJersey:
ぴ
S.
・
Gzo ろ ㎡
オ Msfice
Cos 仇 opo ね f0l Ⅱ s刷 (Ox だor は
以"ドも 参照のこと
" P0%ge,
ばれれ O 几
Eig ね fs
:
:
1999).
また,
Pouer 奴 O んぱ
WorM
(Cambridge:
Po Ⅱ ty
Press,
Shue,
andCaSsR.S
よ enes,
れ
c族 ,
op.
ts,
65 一 6. See also, Sheu,
pp.
Pp.51%.
五 % ん5,pp
この例について
, see,Shue,BQsic
6) Shue, 。 SolidarityamongS
R 喀httoFood,inWi
Ⅲam
F0 Ⅱ ette (e ぬJ Wor 周
(17)
Cf.Shue,
比 angersandthe
㎡kenandHughLA
H り略er A 櫨
Pren む ceHall,1996)
。 MediaUngDuties,Efhics,
n0.4 (1988), pP. 689 づ91.
Mor0zify,
用.
126.
v0l.98,
ジョーンズは
普遍的
あ る o Cf.JeneS,pp.6
Shue,,So
Ⅱ
仁73,95.
daHtyamongS
臣 angersandthe
RighttoFood,,p.126.
(1g) Shue,B0sic
Onorao,Ne
瓦g ん ts, p.167.
沈 "p.38.
山,,Hunger,Needs,an
は円ghts,,
p.77.
(22)
Cf. Shue,
。 Media 廿 ngDuties,,
pP. 700 ㍉・
さらに,シュ
一の道徳的権
利 (人権) の定義を見
よ。 Shue,B
㏄;c 丘晦ん ts, p. 13.
オニールの指摘
に対するジョーンズの
返答も同じ方法をとる。
2002).
は 3)
㏄
(2U
De たれ d; れざ
OUP,
999).
(20) Shue,0p.c
Phnceton
U. P., 1996). ほぼ同様の議論として
, ChaHes
J0nes ,
W.W.
42 一 3.
け 8)
山児ue れ ce,
Ⅰ
York:
権利に普遍的義務が
対応すると考えているようで
・
ここで検討されるのは
, Henry
ら
ん
山刀 993).
pp.
D8 や eれぬ 0れてしcs (New
2㎡ ed(NeWJersey:
㎡ p 肋zosophy,
o/ 耳はれ 解,,
Sa
:
Colorado
F0ces
五 % ん is:
o/
L;ね 0%Dc0f
Ⅳ鉗而か oは ucfo ゆ 9 ㏄ ゆs 而 Mo
O,Ne 田,
Ⅲs
下nd 田gWorldHunger,
田 TomRegan(edJMaf
el.奴
B じ sicE@
は 5)
and Rights, in
(ed.)
九 sね ce
れ fern0iio,)0z
は 2)
は 4)
ぴ奴 ,Ⅰ
Ms わ ce
(LondonandSydney,
Luper-Foy
S even
(In
Ⅲ,
986); Bo Ⅲ㎡s o/ ノ usfice (Cambridge
U. P., 2000);
Ⅰ
鋤
AEss
ら
Norton,
0) オニールの義務論については
, On0rao,Ne
E0ccso
L;
pp.
37%.
甘 ns
七
See also, Stephen
ein,
ア几
eCosio
Ⅰ
Holmes
E 嫉ん fs: W
わノ
See , Jones
(23)@
Shue/cp
, op . cit ,,
p.
95.
. cit . ,,
p,
703
11