工学部創立100周年に向けて

福井高等工業学校 創立から100 年
工学部創立100周年に向けて
福井大学工業会理事長 堀 照 夫
福井大学工学部の前身である福井高等工業学校創立
学部(現 教育地域科学部)を統合したものであります。
の大正 12(1923) 年から残り 8 年足らずで 100 周
また同年に、工学部同窓会を「福井工業会」と改称
年という記念すべき年を迎えます。工業会ではこの大
しました。
きな節目の年に向けて、工学部・工学研究科と連携し
昭和26年に「機械学科」
と
「電気学科」を設置、昭和31
て歩み出すことになります。
年に大学院組織「福井大学工学研究科」を設置しました。
工学部前身の福井工業高等学校は、現在の福井大学
昭和 31 年、工学部同窓会を「福井大学工業会」と再
文京キャンパスで産声をあげました。関東大震災の年
改称しました。
であります。
「建築科」、
「機械科」、
「繊維工学科(紡織
昭和34 年に「工学部付属繊維工業研究施設」、昭和
分科・色染分科)」の 3 学科からの出発でありました。
35年に「応用物理学科」が新設されました。その後も学
初代校長であった關 盛治先生のユニークで熱血な教
科の改称や新設が相次ぎ、昭和50年に情報工学科が設
育方針について前理事長が工業会誌に詳細にまとめ
立されると、全体で11の学科数となりました。その後
られたとおり、前途洋々たる船出でありました。以下、
も何度かの学科の名称変更と改組・再編などが行われ、
主な出来事を年代順に紹介します。
平成5年には5専攻の大学院組織となったのです。
昭和 13 年「福井高等工業学校同窓会」が設立され、
幾度となく襲ってきた困難の中にあっても、工学部・
これが現在の「工業会」の礎であります。
工学研究科は常に熱意をもって次々と改組・拡充を図り、
昭和 14 年に「工作機械科」、
「電気科」が、昭和 17
今では日本海側で最大の工学部・工学研究科となりました。
年に「化学機械科」が新設されました。そして昭和 19
平成15 年10 月に旧・福井大学と旧・福井医科大が
年に「福井工業専門学校」と改称され、同年に「繊維工
統合し、新しい福井大学を開学し、翌年に国立大学法
学科(紡織分科)」と「工作機械科」を「機械科」に統合、
人福井大学となりました。それから6 年後の国立大学
「繊維工学科(色染分科)」を「化学工業科」に改称し、
の評価では87 大学中、総合評価 7 位の高評価を得て、
5 学科となりました。
全国にその存在意義を大いにアピールしました。
しかしその後は、本学は次々と苦難の時期を迎え
また、全学の就職率では福井大学は 8 連覇中であり
ることとなります。昭和 20 年に大空襲に遭い、約
ます。今年は法人化後、第 2 回目の評価結果が出ます。
60%の校舎が焼失。昭和 23 年には「福井大震災」で
大いに期待したいものであります。
被災、校舎の 40%が全半壊。さらにその1ヵ月後の
また少子化が進み、国の教育に関わる予算が減少す
豪雨により、本校も 1.5 mの浸水で設備備品に甚大な
る中で、いずれの大学も生き残りが容易ではありませ
被害を受けるなど、苦難の時期を経験しました。
ん。この様な中、本年 4 月から福井大学では念願の第
昭和 24 年には国立学校設置法により「福井大学」
4 学部が新設され、また工学部は大きく改組されます。
が設置され、福井師範学校、福井青年師範学校を包括
地域の産業や特長を生かした分野を強化し、5 学科体
して「学芸学部」、福井工業専門学校を「工学部」とし
制とし、それぞれの学科にコース制が敷かれます。
て発足。工学部には「建築学科」、
「紡織学科」、
「繊維
以上のような厳しい時代の中、福井大学工学部およ
染料学科」が設置されました。初代学長には竹内 松次
び工学研究科はさらに大きく発展しようとしています。
郎先生が就任されました。
やがて迎える工学部創立 100 周年に向けて、母校と
当時、学芸学部は現在の鯖江市にあった学舎で、工
同窓の誇りを未来に伝え、また母校の末長い発展のた
学部は文京の現在地での別々のスタートとなりました。
めに実りある記念事業を工学部と共に計画し、取り組
現キャンパスは3年後の昭和27年、福井地震からの復
んでいきたいと思います。
興記念博覧会用の敷地として北側に拡張した地に、学芸
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