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運動学習の脳内メカニズムを解明
~ トレーニングによる運動野神経回路の多様化 ~
【研究の背景】
私たちは経験したことのないスポーツをするとき、練習を繰り返すことによって運動技能を向上
させます。この様に運動に熟練していくとき、脳内ではどんな変化が起きているのでしょうか?我々
は大脳新皮質の一次運動野における神経細胞どうしのつなぎ目(シナプス)に着目し、ラットを使っ
てシナプスの変化を解析しました。
大脳新皮質の一次運動野は自分の意志によって行われる運動の起点であることが知られています。
これまでの研究で運動トレーニング後には長期にわたり興奮性シナプスでの情報伝達効率が向上す
ると考えられてきました。しかし、その詳細メカニズムや抑制性シナプスの役割は不明でした。
本研究では、運動学習課題としてローターロッドテスト*3を用い、ラットに回転するドラムの上
を歩かせるというトレーニングを繰り返しました。はじめは、すぐに回転するドラムから落ちてし
まいますが、トレーニング 1 日目に動物は徐々に運動スコアを上げ、2 日目には最高スコアに到達し
て、確実にこの運動を習得しました(図1)。
図1 ローターロッドテスト(1 日 10 試行、最長 2 日間)での運動スコア。回転ドラムから落ちる
までの時間を計測した。
次に、運動学習におけるグルタミン酸伝達の役割を調べるために、グルタミン酸受容体の阻害薬
(CNQX や APV)を一次運動野に局所注入しました。すると運動学習が遅れ、運動スコアが低下しまし
た(図2)。
図2
トレーニング直前(矢印)にグルタミン酸受容体の阻害薬(CNQX や APV)を局所注入すると、
運動学習が遅れ、運動スコアは低下した。このことから、一次運動野のグルタミン酸伝達が運
動学習に必要であることがわかる。vehicle は阻害薬を含まない生理食塩水。
さらに、運動学習後のラットから急性脳スライスを作成し、パッチクランプ法で一次運動野Ⅱ/Ⅲ
層ニューロンの活動を記録し、トレーニング前の状態の結果と比較しました(図3)。
図3
学習前、トレーニング 1 日目、トレーニング 2 日目と 3 群に分けて実験を行った。それぞ
れローターロッドテスト後、急性脳スライスを作成し、一次運動野のⅡ/Ⅲ層ニューロンに
対するシナプス入力をパッチクランプ法で解析した。
パッチクランプ法ではシナプス小胞1つあたりの微小シナプス後電流を捉えることができます。
この方法を使ってⅡ/Ⅲ層の神経細胞で興奮性シナプスの入力状況を解析すると、トレーニング 1 日
目では、興奮性入力の振幅が増加し、トレーニング 2 日目では振幅・頻度ともに増加しました。一
連の実験から、運動学習初期には AMPA 受容体がシナプスへ移行し、長期的には、グルタミン酸の放
出量が増加することが解りました。一方、同じ細胞で抑制性シナプス入力状況を解析すると、GABA
を介する抑制性入力の頻度はトレーニング 1 日目に学習前の半分以下に減少しましたが、トレーニ
ング 2 日目には学習前と同程度まで回復することが判りました(図4)。
図4
学習前と運動トレーニング 1 日目、2 日目における微小シナプス後電流の記録例。上段の上
向き反応はそれぞれ、1 シナプス小胞あたりの GABA による抑制性微小シナプス後電流を示し、
下段の下向き反応はそれぞれ、1 シナプス小胞あたりのグルタミン酸による興奮性微小シナプ
ス後電流を示す。
【本研究の意義】
運動学習の成立課程では、興奮性シナプスと抑制性シナプスが動的に変化していました(図5)。
まず、興奮性シナプスでは、運動トレーニング直後に AMPA 型グルタミン酸受容体が増え、その後グ
ルタミン酸放出量が増えました。一方、抑制性シナプスでは、運動トレーニング直後に GABA 分泌に
よる抑制性入力が一時的に低下し、その後分泌量は戻るため、興奮と抑制のバランスがダイナミッ
クに変化する事が初めて明らかとなりました。運動熟練のシナプス・分子メカニズムの解明は、運
動機能障害の治療やリハビリテーション医学への応用に役立ちます。
図5
本実験から示唆された一次運動野における運動学習のメカニズム。運動学習の熟練段階に
応じて、興奮と抑制のバランスがダイナミックに変化し、シナプスが多様に発達変化してい
く全体像がはじめて明らかとなった。
【原著論文情報】
Kida H, Tsuda Y, Ito N, Yamamoto Y, Owada Y, Kamiya Y, Mitsushima D.
Motor training promotes both synaptic and intrinsic plasticity of layer II/III pyramidal neurons in the
primary motor cortex. Cerebral Cortex, in press, 2016.
【用語解説】
*1 スライスパッチクランプ法:生きている脳を一部切り出し、シナプス機能を解析する方法。パ
ッチクランプ法は Neher と Sakmann より開発され、1991 年ノーベル生理学・医学賞が授与された。
*2 GABA:正式にはγアミノ酪酸といい、代表的な抑制性の神経伝達物質。
*3 ローターロッドテスト:回転するドラムの上を動物に歩かせる、運動機能の評価テスト。単純
にドラムから落ちるまでの時間を測定し、運動スコアとする。