JNK000205 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

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天理大学人権問題研究室紀要第 2 号 (WggW 年)
権
綿
文
異
司
会 伊 藤 義 之 (教養部 )
ハ 不フ一 B.U. か レステン (国際文化学部ドイッ
佐 原 則 也 (国際文化学部国際文
降 旗 裏 形 (朝鮮学科 4 年次 生 )
張
金
朱
蕊主 旨
現在,情報逓信や 交通機関の発達により
院
美
学千ぢ, )
ィヒ
)
恵 ( 日本学科
優 (宗教学科
4
3
年次 生 (留学生,台湾り
年次 生 (留学生・韓国 い
楓 ㎝本学科
3
年次 生 (留学生・中国 ))
世界はますます 狭くなり,異文化が 身近なも
のになっている。 大学改革以降,天理大学のキャンパスには 多くの留学生が 学び,国際
文4%学部は海覚での 文化実習を行なうようになった。 こうした日常の 異文化接触の 中で,
はたして我々は 異文化をよく 理解出来ている , と 言えるのだろうか。 とりわけ無理解ゆ
えの人権 侵害は起こっていないだろうか。
異文化接触が 増加する今日,異文化理解は 焦眉の急であ る。 理解を深めるため ,今年
0 人権 週間には表記のタイトルを 掲げたパネルディスカッションを 行ない,異文化接角d:
の中から浮かび 上がる人権 の問題点を掘り 起こす。 ディスカッションには 日本学科その
他の留学生,および 文化実習,留学といった 異文化を体験した 日本人学生,教職員にパ
ネラ ー として参加してもらう。
この話し合いが ,国籍や文化の 違いから起こる 差別のな
い 社会,キャンパスをつくることに
貢献できるものとしたい。
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「異文化理解と 人権
」
伊藤 (司会 ) 予想よりもたくさんの 人が来てくれて 喜んでいます。 「異文化理解と 人
権 」というテーマで ,ちょっと硬いかなあ と思ったんですけれども ,何せ私が司会しま
すし,このメンバーを 見ていただいたら ,だいたい楽しい 話に, もちろん,熱心にまじ
めに話しますけれども ,「異文化理解と人権 」ということに 限らず, きっといろんな 意
味 で来て良かったなあ と思えるような 話し合いになるだろうと 思っています。 私もその
中で学びた いと 期待しています。
まず最初に,パネラ 一のほうから 順番に話をしてもらい ,そのあとで,フロア 一にい
らっしゃる皆さんも 含めて,みんなで 質問をしたり 意見を述べ合ったりして ,話をして
い ただきた いと 思います。
最初に私に近 い ほうから順番に ,簡単に紹介させてもらいます。 私の隣がドイツ 学科
のウ一べ ・カルステン 先生。 そのお隣が,台湾からの 留学生で日本学科 4 年生, 張玩恵
さんです。 そして,その 次が,宗教学科 3 年生で韓国からの 留学生,金美慶さんです。
そのお隣が学生の 中では唯一の 男性,中国からの 留学生で日本学科
3 年生の朱 楓 さんで
す 。 そして,その 左 隣は学生の中では 唯一の日本人の 降旗裏 形さん,朝鮮学科
4
年生で
す 。 そして,私のほうから 見て一番向こう 側に当たりますけれども ,国際文化学部国際
文化研究室の 佐原則祖先生です。 皆さん,どうぞよろしくお 願いします。
最初にカルステン 先生の方から 少しお話を
い ただきた
いと 思います。
カルステン 僕は 27 年くらい日本で 暮らしています。 この天理大学で 1(M年 以上教えて
います。 私は子どもが 2 人います。 私の妻は日本人なので ,子どもはハーフです。
娘は
天理大学の学生で ,息子は高等学校の 3 年生です。
うちの子どもは 日本の学校に 通っているので ,日本の学校のことではいろんな 経験が
できました。 人権 のことでいけないかなと 思ったことがあ ります。 たとえば,うちの 娘
が小学校に通っていた 時 ,髪の毛が長かったです。
そして,彼女は 自分の長い髪の
毛が
好きでした。 あ る日,泣いて 帰って来たので ,「どうして泣いているの ? 」と聞きまし
た 。 「先生は『私の 髪の毛を切らないとだめ』と 言う」「なぜ 切らないとだめ ? 」「みん
, ア イ ちゃんは髪の 毛切りたい ? 」「い や , 切りたく
なプールに行きますから」「じゃあ
な い 」「そしたら 切らなくてもいい」。 なぜそ う 言ったかというと ,ドイツでしたら , 髪
の 毛は自分のもの ,人権を表現するものであ るから,切るか 切らないかはまったく 自分
の自由です。 それで,「切らなくてもいい」と言いました。
次の日,学校に 行くと先生はどう 言ったでしょうか。 「アイコ・カルステンが 髪の毛
を切らなかったから ,みんなはプールに 行けない」と 言いました。 そうしたら,その 日
からアイコはいじめられました。 先生がアイコのせいでプールに 行けないと言ったから ,
アイコはものを 盗まれたり潰されたりしました。
こういうことをみたら ,日常的なファシズムがそこから 始まるんじゃないかと 思いま
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「異文化理解と人権
」
す 。 僕の国はドイツです。 ドイツはファシズムといえば 長い歴史があ
ふう
るから,そういう
に始まることが 分かります。 だから,このようなことは 良くないかなと 思います。
それと,もう 一つ , 私の息子が数学の 計算を教えてもらった 時 ,僕は彼の宿題をちょ
つ と助けようと 思いました。 僕のやり方は 日本のやり方と 違いますが,結果はまったく
同じです。 先生は「それはだめです」と 言いました。 「どうしてだめですか ? 」「皆と 違
うやり方です」。 僕は「結果は 同じですよ」と 言いました。 すると,先生は「結果はど
うでもいい。 やり方が違うからだめ」と 言いました。
なるほどと思いました。 日本の社会はすごく 窮屈です。 違いを許せない。 ドイツでは,
自立性を大切にします。 強調されるポイントです。 日本の場合で 言えば,「出る杭 @ま 打
たれる」。 こういうことを 許してはいけない。 お互いの違い な 認めないと,またファシ
ズム みたいなものが 出てくるんじゃないかと 思います。 あ とでまた,いろんな 話をしま
し
"
伊藤 あ りがとうございます " そのまま続けて 張さんにお話を 伺いたいと思います。
張 今まで 4.年間,過ごした 留学生活の中で , 周りの人から 差別とか人権 侵害を受け
たということは ,ほとんどないと 言えます。 それは私にとって 極めて幸運なことだとあ
りがたく思っています。
もちろん,差別や 入権侵害をあ まり感じなかったといっても
,
それはカルチャーショックを 受けなかったということではあ りません。
昔から文化の 面でも歴史の 面でも日本とかなり 深い関係を持つ 同じアジアの 国からや
って来た私ですが ,やはり文化形成の 背景などが異なるために ,来日した初めの 頃 は思
いのほか力 ん チヤ 一 ショックを受けました。 自分とは異質なものに 出会った 時 ,人は驚
き,戸惑ってしまうのは 当然のことだと 思います。 特に自分の思い 通りにいかない 時に
は 怒って, 自分が受容できな
し
、 やり方に嫌悪感が 生じることもあ りますね。 また,あ る
人々にとって 当然なことであ っても,あ る人々にとってはとんでもないことになる 場合
もあ ります。 異文化と接触した 時,初めは自分たちの 行動や,やり 方をとるのは 普通で
すが,そこからお 互いの相違点が 目について,ショックを 受けて戸惑うのです。 それで,
異文化に対する 姿勢が批判的になり ,偏見になる 場合もよくあ ります。
おそらく差別はこのように 生じてきたのではないかと 私は思います。 異文化とのコミ
ュニケーションがうまくいかない 時,その文化に 対する固定観念が 強過ぎるなどの 原因
で,冷静に客観的な 態度をとって 相手のことを 考えられなくなるわけですね。
私自身もいろいろ 文化によるショックを 受けてきました。 その異文化の 体験から
-
つ
重要だと思ったことがあ ります。 それは,ショックを 受けた 時 ,自分はどのような 姿勢
でそれを解釈していくかということです。 差別だと思えば 差別になります。 反対に ,そ
れは単に文化の 違いだけで起きた 現象で,相手には 決して悪気はなかったのだろうと 思
って,相手と 自分のコミュニケーションの 仕方やお互いの 共通意識ができるまで 努力す
るしかないと 思えば,良い勉強になるのではないかと 思います。
異文化との付き 合いは,私にとってはまるで 新しい友達と 付き合うようなものです。
人はそれぞれ 違った長所や 短所を持っています。 相手に理解してもらうのも 相手を理解
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するのも短期間や ,ちょっとした 心ではとても 無理なことだと 思います。 自分と異なる
文化や人を理僻していくうちに ,その中に以前よりも 新しい自分が 見つけられることは
何よりも魅力的なことだと 思います。
異文化理解に 関する問題について ,ここで私自身の 経験から一つの 例を挙げて皆様と
一緒に考えてみたいと 思いまず。
まず,登場人物を 紹介します。 友達の A さんと B さんと私です。 A さんは南米のあ る
国に 3 年間の留学経験を 持つ日本人の 男性です。 留学中に現地の 人々からさまざまな 親
切を受けたため ,そのお返しの 気持ちとして 日本に帰ってきても ,外国人と積極的に 接
触 したり,いろいろ 世話をしていらっしゃるんです。 わりと国際交流に 熱心な方です。
そして, B さんは南米から 仕事のために 日本に来た日系人の 男性です。 日本に滞在して
約 10 年になります。
場面を簡単に 説明したら,クリスマスに A さんが何人かの 外国人の友達を 誘って食事
に行きました。 そこでいろいろな 話で盛り上がりました。 話題が急に女性に 関するちょ
っと敏感な話になりまして ,その場で話を 聞いている私は 少し不愉快な 感じを受けまし
た。 その時,意見を 聞かれ,私は「その 話題に対して 余り興 @ がない」と言いました。
そしたら, A さんが「やはり ,あなたは B さんのように 日本人になれないよ。 考え方が
まったくアメリカの 女性みたいだから」と 言いました。 こう言われた 時 ,少し戸惑って
しまいましたが ,その場ではやはり 相手の面子もあ るし,せっかくのパーティ 一だから
と思って,あ まり雰囲気が 気まずくならないように ,ただ軽くこう 言いました。
「あ
あ,
だって日本語も , 日本文化も難しいのですもの ,私はまだまだ 勉強不足なところがたく
さんあ りますからね」。 そして,すぐほかの 話題に変えようとしました。
実は, もっと自分の 考えについて 詳しく話したかったのです " なぜ自分が 皆と 違った
反応をしたのか 理解してもらいたいと 思いましたが ,やはり冷静に 考えると他人の 価値
観や固定観念を 変えようとしても 意味がないし ,その時,
自分を理僻してもらうより 友
達という関係を 守りたいという 意識が強かったんです。 それで,相手に・ 理解してもらい
たいという気持ちを 言わずに抑えてしまいました。 今でも何か自分の 意見を述べたら ,
「覚人の女性は 我がままですね」とか「これは 日本社会ではだめだ」とか 言われそうで ,
ちょっと怖くて 言えない時もあ ります。
ここで 3 つのポイントをみんなと 一緒に考えていきたいと 思います。
まず第一に , 異なる文化を 持つ外国人の 私たちは日本人になる 必要性があ るのでしょ
うか。 日本で生活する 私たちは,もちろん ,周りの人に 違和感を感じさせないための 努
力が必要になると 思います。 日本文化を知るということも
自分にとって 非常に大切なこ
とだと思います。 しかし,それは「日本人になる」こととは 随分違った意味を 持つと思
います。 私はどこにいても 他人に迷惑を 掛けないことを 前提にして自分なりに 生きてい
くことが何よりも 大切なことだと 思っていますので ,しばしば日本人に「日本人になれ」
というような 言葉を聞かされると ,何だか不思議と 強い抵抗感を 感じてしまうのです。
共生社会の中で 個人の意志を 犠牲にするという 日本人のこのような 考え方については
54
「異文化理解と人権
」
時々理解できないところがあ ります。 人間は本来それぞれ 違った才能や 知恵を持ってい
るはずで,その 違った考え方から ,よりすばらしいアイディアが 発想できるのではない
かと私は思います。
次に,会話の 中に出てきた「アメリ ヵ の女性みたい」という 発言ですが,これは 恐ら
- 種の固定観念から 出た言葉ではないでしょうか。 異文化を理解する 時に固定観念や
先入観を持って 接すると正しく 理解できるか 疑問に思います。 私が話題を避けるという
意志を直接に 表したということは ,自分の意志を 尊重してもらいたいという 考えで行っ
た行為であ って,決してアメリカの 女,性を見習ったわけでも ,そのようなイメージを 伝
えるつもりでもなかったのです。 だから,このように「アメリカの 女性みたい」という
固定観念で決めつけられたことが ,どうも気になっています。
最後は,日本社会にまだ 強く感じられる ,いわゆる男性優位主義について 考えたいと
思います。 外国人女性が 日本社会に入る 場合,男性よりも 厳しい目で要求される 部分が
あ ります。 外国人女性は 日本女性と違った 行動をすると 我俸 だとか女性らしくないとか
言われる例が 多くみられます。
「女性らしさ」の 基準はだれがどうやって 決めたかは未だにはっきりしていません。
多面的な考え 方や視点を持つことは ,これからの 社会に生きていく 私たちにとって 大切
な ポイントになると 思います。 以上は単に私個人の 体験による考えであ ります。
異文化の体験でいろいろな 挫折を感じ,その 中から学んだことを 自分の人生の 貴重な
経験として大切にしていけば ,どんなに豊かな 人生の旅ができるでしょう。 私はそうな
ることを期待しています。
伊藤 あ りがとうございました。 3 つのポイントをよく 覚えておいてくださいね。 ま
た ,あとでいろいろと 質 間や意見をお 願いします。
く
その次は金さん ,お願いします。
金 皆さん, こんにちは。
私が初めて異文化に 強くぶつかったのは 5 年前のことです。 私はこの天理大学の 別科
を 卒業しました。 だから, 5 年前に初めて 日本に来ました。 初めて日本に 来て, 40 人く
らいの外国人たちと
出会い,一緒に 勉強や生活をすることになって ,あわてることは
一
つ二つではあ りませんでした。
寮での生活はなおさら ,文化の違いってこんなもんかなという 力ルチヤ 一 ショックを
毎日のように 感じました。
たとえば,ご飯を食べている 時のことです。 ここには別科で 教えてくださった 先生も
何人かい らつ しゃりますので ,名前はあげませんが,ご 飯を食べている 時に男の子が 卵
焼きをあ まりにもおいしく 食べていたもんで ,横で食べていた 女の子は,言葉は 通じな
いけれども,あ あ ,卵焼きが好きなんだなと 思って,自分の 卵焼きをあ げ ち やいました,
このように,そっと。
そしたら,その 男の子がすごく 怒って,なんてことをするんだ ,
みたいな感じでケンカになったりすることも 度々あ りました。
私は寮で生活していました。 外国人ばかりだったので 朝はいつもパンでしたけれど ,
韓国の女の子が , 朝 抜きで来ている 先輩のために 少しパンを用意して 行きたかったんで
すね。 その時,フランスの 女の子 と ケンカになりました。 なんで寮のパンを 学校に持っ
て行くんだというようなケンカでしたけれども ,その韓国の女の子は,「朝 抜きでいつ
も来ているから ,かわいそうじゃないか。
先輩だし,ちょっとぐらいあ げてもいいじゃ
ないか」と言いました。 でも,そのフランスの 女の子は「この 寮のパンは私たちの 物で,
その先輩は寮に 住んでいる人じゃないから ,このパンを 食べる資格はない」とはっきり
言ったんです。 まあ ,それはそうですけれども ,私たちにとって ,その時の冷たい 言葉
は ,ただ冷たいとか 理解できないとしか 言いようがあ りませんでした。
これ以外にもカルチャーショックというほどのものではないかもしれませんけれども
,
いろいろ大変なことがいっぱいあ りました " その時はまだ 日本語もなっていなかったし ,
外国人ばっかりだったので ,その外国人の 中の異文化の 理解に精いっぱいでした。 日本
語を習って,ほかの 外国人たちの 文化を何とか 理解しようという 気持ちでいっぱいでし
/=@0
それから 国 (韓国 )
へ 帰って ,
再び私は天理大学に 留学することになりました。 日本
人たちにいっぱい 囲まれて会話をしたのは 宗教学科に入学した 時が初めてだったかもし
れません。 その時に感じたことがあ りまず。 日本に来 て,私は日本の 文化を理解しよう
としてなかったのではないのかなということを 一つ感じました。 それで,別科時代の 2
年間,損したなあ って,思ったりしました。
話 が変わるかもしれないんですけれども ,一つ,友達が
言った言葉ですご
残る言葉
く
があ りました。 外国人という 言葉なんですけれども ,「日本人は外国人と言わなきゃい
けないんだよ。 外人というのは 差別言葉だよ。 外国人って言わなきゃいけない」と 言う
んですけれども ,私にとっては 外国人も覚人も 一緒に聞こえるし ,何が違うのか 未だに
さっぱり分かりません。
でも,私たちのような「東洋人の 外国人は覚国人ではない」と ,だれかが言いました。
「それはどういうことだ」と 言ったら,Ⅰたとえば,あなただと,あ なたは韓国人だ」
と,「そして ,あなたは台湾人 だ 」と,「あ なたは中国人だ」と ,「覚国人ではない」と
言いました。 「覚国人というのは 知らないの ? 外国人というのは 目が青くて,髪の 毛
がちょっと金髪,あ るいは茶髪,ちょっと 赤くても構いません」とか ,「鼻がこうちょ
っと高くて」……。
あ っ,すかません ,カルステン 先生。 そういう人が 外国人だという
ことを聞かせてくれました。 私はその時,びっくりしました。 なるほど,そうなんだと
思いました。
いろんな日本の 友達ができて ,実際それを 自分で感じた 時は,日本人の ,外国人に対
してのイメージや 先人観について ,あらためてじっくり 考えさせられることとなりまし
た 。 もちろん,どこの 国でも,自分の 国の人じやなくて ,外国人だと ,たとえば,アメ
リカ人だとアメリカ
人のイメージ ,ケニア大 だとケニア人のイメージが 多分あ ると思い
ますけれども ,日本人は特にそれが 強いのではないかと 思うようになりました。 確かに
強いと思います。
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「異文化理解と
人権
」
それを感じるよ
になって , 私は自分の国の 韓国のイメージがなるべく
悪くならない
ように,日本人に 悪く思われないように 頑張ろうと思いましたけれども ,それは自分の
思 い であ って,日本人のイメージや 先入観というのはなかなか 強くて,変えることがで
きません。
う
これからも私は 日本人のお友達やいろんな 日本人の方とお 付き合いさせていただきな
がら,いろんなイメージや 先入観をみることができると 思いますけれども ,一つ皆さん
に 言いたいのは ,世界はいまでもずっ
一 と変わっています。
いまの瞬間も 変わっていっ
ていると思います。 そして,もうすぐ 21 世紀がきます。 そういう固まった 固定観念や強
い先入観やイメージだけではだめではないかと 心配です。 皆さん,頑張って ,自分の先
入観やイメージをもう 一回じっくりと 考えてみましょう。
ちょっと目薬苦茶になりましたけれど ,以上です。
伊藤 あ りがとうございました。 そうですね。
その 次 , 宋 さん,お願いします。
朱 こんにちは,皆さん。
私は人権 に関する知識がすごく 少ないので,いったいどの
程度のことはが 人権侵害になるのかはっきり 分かりません。 きょうは私の 身の回りのこ
とだけを皆さんに 話して,考えていただきたいと 思いまず "
別に人権 問題がどうとかいうことではないが ,ただこれはいいなあ ,これはおかしい
なあ と思うことだけです。
外国人ならだれでも 知っていると 思いますが,私たちの 外国人登録証には 自分の左人
差し指の指紋も 載っています。 私の国では犯罪者だけ 指紋を取られます。 しかも,私は
日本に来る前に ,すでに出入国管理及び 難民認定法そのほかの 日本法令を守るという 法
務 大臣の誓約書にサインしました。 なぜ日本に来てすぐに 指紋を取られるのか ,別に犯
罪記録もないのに , とてもショックでした。 その時,市役所の 人にもう少し 聞きたかっ
たのですが,やっぱり 一つの国には 一つのやり方があ ると思って言い 出せませんでした。
次はビザの話ですが ,留学生にとって 進学問題は - 番大切なことだと 思います。 私が
通っていた日本語学校の 先輩の一人の 経験を話したいと 思います。
彼は福岡の九州大学に 入るのが夢でした。 しかし, 日本語能力試験の 一級に合格する
ことができなかったので , もう一回受験したくて ,まず専門学校に 入学し,ビザを 得る
ことができました。 2 年目の受験でようやく 合格しましたが ,その専門学校の 専攻と九
州 大学の専攻が 全く無関係で , ビザ申請も理由が 不十分という
ことで, ビザが下りませ
んでした。 せっかく頑張ったのにこんなことになって , 彼はとても悔しく
ぽ、 いながら帰
国しました。 私も一人の留学生として 日本政府がもう 少し私たちに 余裕をくれたら , 事
情 を聞いてくれたら
いい
なと思っています。
次に天理大学のことを 話したいと思います。
今日の会議のために ,私は学科のたくさんの 人に意見を聞きましたけれど ,かんな別
にないと答えました。 今年,私は日本学科の 学科会の会長をやらせていただ い ています。
いろんな活動で 国際交流 課 ,学生課,自治会との
交流も増えてきました。 その中で私は
学校の先生たちの 留学生への関心,思いやりなどをすごく 感じました。 本当に別の学校
に通っている 友達が羨ましがるぐらいで ,私もとても 感謝しております。
これからも皆さんと 一緒に人権 侵害と差別のない 学校をつくるために 頑張りたいと 思
っています。 以上です。
伊藤 あ りがとうございました。
では,降旗さん ,お願いします。
降旗 今日は留学生の 方がほとんどで ,私が学生の 中では日本人一人です。 また, 留
学生の方はかんな 日本語がすごく 上手なので,私の 日本語が一番ちょっとみんなに 分か
っていただけないような 表現になるかもしれないんですけれども……。
私は自分の体験談から 先に話したいと 思います。
, 代の前半にアメリカのほうに 家の事情で行っていました。 クラスで一番仲の 良かっ
lW
たのは在米 3 世の韓国人の 女の子でした。 その子の誕生日金があ るということで ,クラ
スのほとんどが 招待されました " クラスのほとんどが 招待されたにもかかわらず ,その
一番仲の良かった 私は日本人だという
理由から招待されませんでした。 招待されなかっ
たのは,彼女の 2 世のお父さんとか 親戚の方たちの「ちょっと 日本人だけは 遠慮してく
ださい」という 理由からでした。 実際,彼女は 招待したいということで ,私の目の前で
掛け合ってくれたんですね。 そういうのを 見てて,「やっぱり , もういい」と 私の方か
ら辞退しました。
ここで最初に 言っておきたいのは , この体験談から 私は韓日間の 問題とか民族差別の
問題ということを 言いたいわけではないんです。 もちろん,これらの 問題というのも ,
異文化理解を
考える時には 大切なことだとは 思いますけれども
私は朝鮮学科なのでやっぱり 民族差別とか 韓日間の問題ということにかかわることが
多いんですけれども ,それよりも ,そういう出来事の 裏 にあ る本当の理由とか 本心を隠
して,自分たちの 方に問題があ るにもかかわらず ,そのことを 民族差別や人権 侵害とい
うものにすり 替えてしまうということもあ るのではないかと 思います。 そういうことの
ほうが私は問題じゃないかと 思っています。
異文化理解というのは 何かと考えた 時に,個人における 異文化理解と 集団における 異
文化理解とでは 違ったものではないかと 私は思います。 つまり先に述べた 体験談から言
うと, 1 対 1 で個人で付き 合うと,国や民族が違っていてもうまく 付き合えるとも 思う
し親友という 言葉を使っても 不自然でないくらい 親しい関係にもなれると 思うんです
ね。 万がⅠそういうことがうまくいかなかったとしても
,個人的に意見が 合わないと
か,考え方とか 気が合わないというだけのことで ,日本人同士でも ,私は日本人なので
日本人を例に 出しますけれども ,ふだんの自分たちの 生活の中でそういうことはいっぱ
いあ ると思うんです。 だから,国が違っても 1 人とか少数だったら ,文化の無理解だと
か ,そういう問題にはならないと 思うんです。
反対にそれが ,たとえば国や 民族ごとの集団やバループになった 場合には,その 中に
いる一人ひとりの 考えとか意見とか 思いよりも,やっぱり 多数の意見というのが 尊重さ
「異文化理解と人権
」
れると思うんです。 そういう多数の 意見というのが 表に出るために ,互いの理解が 離し
思います。
さっきの体 @ 談もそうなんですけれども ,その子の言ったひと 言が,「私というのと
私たちの考えというのは 違う。 私個人の考えだったら ,こうしたい ,こう思っていると
いうのはあ るけれども,たとえば 家族とか集団,バループかなにかで 行動する時には ,
やっぱり,団体で 見た時とか集団で 考えた時の意見というのが 反対だったら ,それは反
くなっているのではないかと
対 になる」ということだったんですね。
私自身は基本は 国や民族などではなくて 個人だと考えています。 私が海外にいた 間に
体験したことについても ,民族差別を 受けたとかいろがろな 経験によって 嫌な思 い をし
たと感じたことは 実際 - つもあ りません。 ただ,アメリ ヵ にじて,在米韓国人の 子と関
わったことでこういう 経験をしましたけれども ,在米の韓国人であ るとか在米の 日本人
であ るがゆえに,違う 国に移ってもお 互いがそういうふうに 反発し合うことについては ,
ちょっと残俳だなと
思います。 国際化というのは 進んでいると 言いますけれども
,
じ
や
あ ,それはどういうことなのかなと 思っています。
そういうことなので ,私自身はこれからも 別に異文化とか 国とか民族とかいうことに
あ まりとらわれず ,私の考えで 自由に付き合っていきたいと
考えています。 以上です。
伊藤 あ りがとうございました。
それでは最後に 住 原 先生,お願いします。
佐 原 いま,いろんな 経験とかご意見を 聞かせていただいて 大変おもしろいと 思った
んですけれども , カルステン先生の「出る 杭は拘たれる」という 言葉を聞きまして ,最
近聞いた言葉を 思い出しました。 それは「出ない 杭は腐る」ということです。 「出る杭
は 打たれる」とともに「出ない 杭は腐る」とも 言ってるんです。 ということは ,ちょっ
と考えると日本人は「出る 杭は打たれる」から 出ないようにしているのかというと ,そ
うでもなくて
,それなりに 出てるんですね。 いろんな目立ちたがりとかいますし ,それ
なりに 立 ・派に出てるんですね。 しかし,問題はどういうふうに 出てるのかということに
よって, 周りが受け入れるか 受け入れないかという
違いになっているじゃないかなと 思
んです。 そういう意味では ,日本的なふさわし い 出方というのがあ るんじゃないのか
とまず思ったんです。
う
そういういろんなご 意見に対して 思ったことはあ るんですけれども ,まず,私自身が
用意してきたお 話をさせていただきます。 それはちょっと 申し訳ないですが ,若干抽象
的になるかもしれません。
今回のテーマが「異文化理解と 人権」ということで ,文化と人権というのはどういう
ことだろうかと 考えさせられたわけです。 私は文化人類学を 勉強しています。 文化とい
うことに対しては
,たとえば,街で
文化住宅なんていう
いうことだろうと 思うぐらい文化という
つもりですけれども
言葉を見ただけで ,これはどう
言葉には敏感なつもりでいるんです。 あ くまで
,文化とはどういうことか ,それから人権 とはどういうことなんだ
ろうかということです。 特に人権 のほうにはあ まり知識がなかったものですから ,それ
なりに調べたわけです。 その結果,こう い うふうに思いました。
だいたい文化と 人権 というのは,ものすごく 仲の悪 い ものだと思ったんです。 実は皆
さんが知っているとおり
,人間が人間らしいような 生活をし始めた 頃 から「文化」や「人
権 」なんて いう 言葉はどちらも 存在したわけではなかったわけですね。 「人権」という
言葉はせいぜい 18 世紀頃 にしか出てこないわけですし ,「文化」などいう 言葉はもっと
あ とで, 19 世紀になってからということなんです。 ということは ,多分に人工的につく
られた概念でしかないということなんです "
じゃ,その二つの 概念がどういうふうになっているのかと 言うと,先ほど中が悪いと
言いましたように ,根本的な性格からして 相 入れない側面を 持っていると 思われるわけ
です。 文化,文化と 騒ぐ時には多分に 固有性を主張していることなんです。 文化という
のは,どこかの 文化,日本の 文化だとか中国の 文化だ,タイの 文化だというように , 固
有性を主張しているものだと 思うのですが ,その反面,人権
のほうは,それが 出てきた
がきさつからして「普遍的なものであ る」という概俳だということなんですね。 人間と
いうのはだれであ ろうが,どこで 生まれようが , どんな文化を 担っていようが ,どこに
ィ
住んでいようが ,必ず普遍的な 権 利を持っているのだと 主張するものなんですね。 だか
ら,文化的意味合いの 中で人権 ということを 考えるのではなく
,人権は人権 だというわ
けです。 人権侵害が起こっているんだったら ,そこが日本だろうが ,アフリカだろうが ,
どこだろうが 悪いんだ,極端な 言い方をすればそういうことです。 だから,いま 経済の
ほうでグローバルスタンダードという 言葉が盛んになってきていますけれども , まさに
人権 というのはグローバルスタンダードのはしりみたいなものだと 思うんです。 それま
では「世界それぞれの 国に文化,それぞれに 違った生き方があ るんだ」と言ってたのが ,
「いやいや,だれにでも 人権 があ るんだ」ということによって ,全員に共通した 権 利が
あ るんだという 言い方をしたことになるわけです ao
これに関連したもう 一つの違いなんですけれども ,それは人権というのは多分に「批
ヵ
判する道具」として 使われているということだと 思、 うんです。 人権 は人を守るとともに ,
守られていない 状態を批判するということで ,いわば批判する 道具としての 概念として
発達してきたと 思うんです。
それに比べて ,実は文化という 概念のほうは 言ってみれば 批判を拒絶する 概念なんで
すね。 どうして批判を 拒絶する概念かと 言いましたら ,こういうことです。
皆さん,日常の 中で感じられると 思うんですが ,「文化が悪い」とはだれも 言 つちや
いけないことになっているんですね。 日本の文化は 悪い,とこそこそとは 言えても,公
の席で日本の 文化は悪いとか 中国の文化は 悪いとは言えないんです " 政治は悪いとは 言
えるんです。 良い政治,悪い 政治は言えます。 良い経済,悪い 経済も言える。 それから
良い伝統,悪い 伝統も言えれば ,良い習慣,悪い
習慣も言えるのに ,良い文化,悪い
文
化は言えないんですね。 それは言ってはいけないということになっているわけです。
そもそも文化という 概念の始まりが ,そういうことなんです。
つまり,もし 文化に優
男 というものをつければ ,もし文化に 良い文化,悪い 文化があ るとしたら,それによっ
60
「異文化理解と人権
」
て 自然に人種差別が 起こってしまうからです。 あ る社会の文化は 悪い文化だと 世界の人
が認めれば,自動的にそこの 人たちは個人がどうあ れ,低いレベルに 置かれてしまうわ
けですね。 あ る文化は良い 文化だと言われると
, 自動的に上に 置かれてしまう。 文化と
いう言葉は , 良い悪いということによって 人種なり民族なり 国を序列化するような 意識
が生まれてきてしまうというところから ,文化というものは 悪いものではない ,すべて
の文化は良いものなんだというように 言われてきて ,そして,いまもその
名残りが紡毛い
ていると思
う
んです。
批判を拒絶するのが 文化だということで 考えると,多分皆さんが
よ
く耳になさる 言葉
だと 思、 う んですけれども ,何か外国から 批判なんか来ると , 日本人でも「それが 俺たち
の文化だ。 何が悪いんや」という 表現になると 思 う んです。 そ う すると,いわば 文化と
いう言葉がそういうふうに 良いものだとされてしまっているために ,中身は別にして ,
その言葉を使うことによって 人権 に限らずいろんなことの 批判から隠れてしまう。 貝殻
を自分で閉じてしまうように 中に入って , 外を向こうともしなくなってしまう。
「これ
が文化だ。 何が悪いんだ」と。
どこかの文化の 中で, どこかの一点が 人権 にふれるというような 出来事があ っても,
それをまるで「文化が 悪いんだ」というふうにされると ,その中の良いと 思ったものま
で全部否定されてしまうというようなところからの 感情的反発というものが 出てくるん
じゃないかと 思うわけです。
それで, い まの発言で結論わいたところでは ,人権も文化も多分にイデオロギー 的 ,性
格を持っている。 政治の道具になりやすい。 「これが う ちの文化だ」と 主張することに
よって,人権 からの批判から 身を守ろうとしてしまうことになりかれない。 反面, 先は
ど言いましたように ,文化というものは 批判しちゃいけないんだということは ,ある意
味で良い面があ る。 それは文化は 悪い良いとは 言わないことによって ,民族差別,人種
差別が起こることを 自動的に避けようとする。 そういう微妙なところの 中で文化という
言葉や概俳,意識の 悪用すらあ るんじゃないかと 思ったわけです。
そう
レ
) う 意味で、
,
この機会に文化と
人権 ということを 少し抽象的かもしれませんけど
も,ちょっと 考えてみました。
伊藤 どうもあ りがとうございます。
最後にそうきましたか。 僕は単純に異文化理解というものを 進めていけば 人権 意識が
高まっていくというふうにとらえられないかなと 考えていたんですけれども ,物事はそ
う
単純じゃないようで ,文化と人権は対立する概念なんだと
たずなのだということです
ヵ
a
,あちら立てればこちら
立
。 じゃ, どうすればい い だろう。 だいぶ考えて い かなきゃ
いけないようです a 。
ヵ
ところで,皆さんは 今日のためにずつと 準備してくださって , - 応発表が終わったの
でほっとしていると
思います。 あ りがとうございます。
この 7 人のメンバーが 決まって,
夏休み所ぐらいから 何回か打ち合わせをしてきました。 だいたいこういうことを 発言す
る だろうということは 聞いていましたけれども ,実際に発言してもらい ,このように 聞
くのは僕も初めてなんですね。
準備もすごく 周到にしてきてくれていますし ,良い 発言
だったと思います。
金さんが世界は 変わっているんだ ,固定観念,イメージというような
先入観も変えて
い かなきゃならないしだ ,というふう に呼びかけられましたけれども , 打 ち合わせをし
て 一緒に考えて い く申で,僕自身も ,
ドイツ人に対するイメージも 台湾の人に対するイ
メージも中国や 韓国の人に対するイメージも ,どんどんと 変わって い くんですね。 固定
観念なんてい
のは固定観念に 過ぎないんです。 だから,僕たちはこうやって 何回か会
って話し合っていく 中で少しずつ 変わっていけるじゃないかと 思います。 ぜひ,その輪
う
の中にフロア 一の皆さんも 参加していただきたいと 思います。
皆さんも,いま 聞いていく申でなるほどと 思うことも多かったと 思います。
僕もいっ
ぱい学ばせてもらいましたけれども ,よく分からないことも 反発することもあ るかもし
れない。 まず,フロア 一のほうから 質問とか意見とかを 聞いてみたいと 思いますので ,
どうぞ手を挙げて 発言してください。
金さん,最初にとっても 単純な質問なんですけど ,卵焼きをおいしそうに 食べていた
からあ げたら怒られたというのはどうしてですか。
金 自分が食べている 皿に人の食べている 皿の物を置いたら ,それはマナ 一に悪いと
いう感じなんでしょうね ,いま考えてみたら。
伊藤
それは個人の 問題なんですか。
それとも,その 人が育った文化の 問題なんです
かO
金
伊藤
よく分かりません。
ちなみにその 人はスイス人です "
スイスにも,いろいろあ りますけれどもね。
きっとね,パネラ 一の僕たちはもう
気心が知れてますから ,
しゃべろうと 思、うといっ
ぱい出てくると 思うんですよ。 でも,それをやり 出したら,きっとフロア 一の皆さんの
ことを忘れてしまうと
思うので,先にフロア
一のほうから
意見を出していただいたらと
思います。
参加者 降旗さんと金さんに 質問します。 降旗さんは日韓のそういう 差別というか ,
対立みたいなものを 目の当たりにしたという 感じなんですけれど ,韓国の人から 見たら,
日本人のイメージというのはどういうイメージなのかなとちょっと 思ったんです。 これ
は降旗さんがあ まり触れたくない 問題らしいんですけれど ,とりあえず聞いたみたいと
思います。
金
皆さんもそうだと
思うんですけれども ,それは人それぞれ 違うと思います。 私の
思っている日本人のイメージというのは ,やはり日本に 来る前と来てからと ,ちょっと
変わりました。 来る前はやっぱりいろんなイメージがあ りました。
皆さんは聞いて 笑うかもしれないんですけれど ,最初,日本人はすき
焼きとお寿司 は
かり食べていると 思いました。 それから,たとえば ,子どもに怒って ,こういうふうに
たたいたら 傷 とか残ったりするじゃないですか 。 日本人はそれを 人に見られるのをすご
く気にする民族だから
62
,日本人のお 母さんは針で 足を刺すとどこかで 聞きました。 なん
「異文化理解と人権
」
て 残酷で恐ろしい 民族なんだろうと
思いました。 でも日本に来て ,そういう事実はない
ということを 聞いて,少し 安心しながら 生活しているわけなんです。
私は日本に来て 今 5 年目なんです。 私がすごく運がいいのかもしれないんですけれど
も ,いままでに 出会った日本人は 90パーセントぐらいが ,ほとんどの 方がすごく良い 人
ばっかりでした。 すごく恵まれているというか ,もう人徳かもしれないんですけれど‥
…。 そういう 状 f なんで,いまは 私は日本が結構好きです。 そして日本人も 好きです。
降旗さんがアメリカでそういう 経験をされたというのは 残俳です。
これも聞いた 話ですけど,在米韓国人は 韓国に住んでいる 韓国人よりも 保守的なとこ
ろがあ ると聞きました。 そういうところもあ ったからかもしれないんですけど ,ちょっ
と残俳に思います。 それは人それぞれ 違うのではないかと 私はいま思います。
おじさんとかおばさんとかもっと 年齢の上の人とかは ,皆さんが考えている 歴史 りな
事実とかに関係のあ る日韓の感情というんですかね ,憎み合うという ,そういう感情の
人が多いかもしれないんですけれど ,若い人たちは 違うのではないかと 思います。 その
ようにばっかり 考えていたら ,何にも良くなることはないのではないかと 思う人が多い
と 思います。 若い人たちが 考え方をちょっとずつ 変えていって ,理解し合おうとしなけ
は
れば, 日本と韓国との 関係は絶対変わらないと 思うし,だからこそお 互い , 特に韓国の
若い子の中では 日本のことをもっともっと
理解しようと 思う人が多くなっている , と私
は 思います。
伊藤 降旗さん, この質問に対してよろしいですか。
降旗 私の体験した 例を挙げる時に ,やっぱり,一番気になったのがそういうふうに
聞かれることでした。 きょう韓国人の 方も参加されると 聞いたので,出すか 出さないか
先生のほうにも 相談しに行きましたし ,国名を言わないで 言ったらどうかという 意見も
出たりしました。 あ えて出したというわけでもないんですけれども ,私自身が去年 1 年
間韓国のほうに 勉強しに行ってまして ,実際,そういう
人ばっかりじゃないんだという
ことを私自身が 一番よく分かっているので ,思い切って 発表することにしました。
さっき言われたようにいろんな 考え方があ るんで,あ まりそういうことを 話し出ずと,
多分終わらないぐらい ,いろんな考えがきっと 出てくると思うんです ,韓日間のことと
いうのは。 だから,あ えて言いたくないというふうに 言ったんですけれども……。
私自身はすごく 韓国という国も 好きですし,行けて 良かったなと 思っています ,個人
の 意見ですけど。 そういうことがあ るんで,これは 一応きょう私が 発表したことの 例と
して挙げたまでで ,私自身は,さっきも
言いましたけれど ,個人での付き 合いというの
を大切にしたいなと 思ってるんです。 以上です。
参加者 アメリカの韓国の 人たちは日本人の 何が気にくわないのかな。 文化が気にく
わんとか,背が 低いから気にくわんとか ,金儲けばっかりしているから 気にくわんとか ,
歴史が気にくわんとか……。 基本的に言ったら 何なんですか ao
余 そんな意見,初めて 聞きました。
降旗 何なんでしょうね。 私もさっき気づいたんですけれど ,多分海外に 行った方が
力
63
民族とか国という 単位でその国に 集まる傾向があ るじゃないですか。 アメリカ ヘ 行った
らリトルトウキョウみたいな 日本人街というのもあ
るし。民族の結束が 固いというのと ,
やっぱり昔からの 歴史的なこともあ って,「嫌なものは嫌」と言われたらしょうがない
ところがあ るから,私はあ まり深く追求もしなかったんですけれども。 多分,単純に 歴
史的なことだと 思います。
伊藤
まあ ,降旗さんは 特にそれを研究しに 行ったわけでもないでしょうから
ほかにいかがでしょうか。
参加者 私は質問ではなくて ,ただ自分の 意見を言いたいんです。
天理大学に入って 私が感じたのは ,民族の権利とか差別とか ,あまり盛んに言い 過ぎ
ると思います。 それはどうしてかと 言うと,たとえば ,中国政府の 政策はもちろん 日本
とは全然違うので
,よくアメリカ 人とかは,中国には 民主主義がないと 言いますが,
中
国人も,一部の 人ですが,民主主義のためにいろいろ 活動をしています。 しかし,ほと
んどの人は差別という 問題はあ んまり感じていないと 思いますよ。
私がここで高じたいのは ,もちろん人権 という問題を 提起することは ,そういう人権
の問題を解決するために 必要だけれども ,しかし,その
問題が解決できるかどうか 私は
疑問を持っているんです。 逆にマイナスの 面をもたらすこともあ ると思います。
一つ例を挙げますと ,去年,「民族問題」という 授業があ ったんですけれども ,その
授業でいつも 学生が多すぎて ,みんなぺラぺ うしゃべっていたんです。 それで,先生も
怒って,「仝度 ,次の授業から ,教室の左側は 留学生,右側には 日本人と, ち やんと 分
かれてすわりなさい」と 言ったんです。 すぐに結構大勢の 学生たちが怒ったり 文句を言
ったりしたんです。 もし中国でそういう 状況があ ったら,多分先生の 言っている意味は
すぐ分かります。 つまり,先生が ,かんながよくしゃべっていることに 気がついて,そ
のためにちゃんと 分けたのだと 思うでしょう。 しかし, 日本に来て「日本人と 留学生を
分けるのは民族差別だよ」と 思うようになったの。 どうしてかというと ,国を出る双に
そういう問題なんか 全然気がついていなかったのに , 日本へ来てからいろいろなことを
聞いて,そういう 問題だと思うようになっちやったんですよ。
これは,説明は 離し い ですけれども , もう一つ例を 挙げましょう。
2
年生の時に,授
業が終わったあ と,先生が「中国ではセクハラという 現象があ りますか ? 」と私に聞い
たんです。
日本の会社内でのセクハラ
現象は中国にも
存在するんです。 しかし,いまでも 社会問
題 になっていないんです。 私は「日本の 企業が中国に 進出してから ,セクハラ現象が 出
てきました」と 言いました。 そして,自分でも 何かこの答えはおかしいなあ と思ったん
です。
80年代の終わり 頃 から 9(W年代の初め頃 に,日本の企業が 北京に進出して 来ました。 そ
こで会社の責任者たちは 仕事が終わってから 自分の秘書 一 その時の秘書というのは 絶対
若い女の子で ,中国では「オフィスの 花瓶」と言われているんです 一 その中国人の 女,
性
秘書を日本の 社長とかが日本でするようにカラオケや 飲み会とかに 誘って一緒に 行った
64
「異文化理解と人権
」
時に,彼女たちに 触ったりキスを 求めたりしたんです。 中国人同士の 場合,そういうこ
とをされたら ,女性たちは 絶対反撃するんです。 そうすると,相手の 男性はおもしろく
ないと思いながらも ,やっぱり相手の 女性が強 い ので,怖くて 止めておくんです。 しか
し,日本の会社の 社長はお金持ちでしょう。 女性たちは仕事がすごく 欲しいんです。 だ
から。 触られたりしても 黙っているんです。 女性が黙ったままでいるから ,そばにいる
中国人の男性は 日本の会社の 管理人とかに 不満を持ったり 文句を言ったりするんです。
日本人の社長にさわられて ,反撃する女性もいますが ,黙っている 女性もいることは
否定できません。 その数はだんだん 増えて来ているんです。 それは経済的な 理由です。
いい給料,ももらっているし ,それよりいい 仕事も見つからないから ,どうしてもいまの
仕事を失いたくないと 思って,やっぱり 黙るほうがいいかなあ と思ってるんです。
セクハラという 現象は,どの 国でもどの時代でもよくあ る現象でしょう。 男 と女がい
れば絶対そういう 現象は避けられないでしょう。 しかし, 日本やアメリカのようなセク
ハラという言葉は 中国には全然入っていなんです。
実は , 初めて中国から 日本に来た人に「中国にセクハラがあ りますか」と 聞くと, ほ
とんどの人は「いいえ
,多分ないでしょう」と 言いまず。
これと同じで ,この天理大学で , このキャンパスで
, よく人権 とか民族差別なんかす
ごく盛んに話題に 取り上げていますが ,本当に民族問題を 解消するため ,そうやってい
るのかなと思います。
私はいままで 学生たちと先生たちの 話を聞きましたが ,そのような 話はマイナスの 面
のほうがもっと 大きいと感じました。
かんなが大学にきて ,ただ勉強のために 学術のために 研究のためにここで 勉強するな
らば,みんな 一緒に友達をつくって ,良い雰囲気をつくったほうがもっといいんじゃな
いかと思っているんです。
もちろん,私は 人権 問題や自由や 民主主義,二つの 国の差別について 学ぶことが悪い
と言っていません。 けれども,中国人でも ,またほかの 人でも,主に 勉強のために 日本
に 来たんです。 だから,そういう 時間がもしあ れば,自分で 豊かな心を持って ,何が起
こっても何をやっても
,他人を指摘するより , とりあ えず自分のことをⅠ
回 ,正しいか
どうかチェックしたほうがいいと 思いますよ。
以上です。 あ りがとうございました。
伊藤 民族差別,人権 問題を取り上げる よ りは自分を高めるために ,勉強するために
学校に来ているんだということです #a。 非 ,% に 耳の痛 い 話で,私たちも 本当はそうした
りです。 しかし,それができない 事情があ る。 そういうところも 現実にあ りまして,で
も 実際にいまの 批判のように ,それがどれだけ 効果を上げているのかどうなのか。 それ
は取りも直さず ,いま,このディスカッションに
対する批判でもあ るわけで,ここに 皆
さんがこうやって 集まってくれているわけですから ,私たちが意見を 述べるだけではな
くて,皆さんの 意見もこうやってどんどんと 言っていただきながら ,そして,みんなで
勉強もしながら 人権 問題も学ぶことができれば いい かなと思うんですけれども。 本当に
話せば話すほど 難しくなっていって ,それよりも , 自分を高めるために
うがいいんでしょうか……。
勉強していたほ
先ほど佐原先生がおっしやっていた「文化と 人権 というものが 両立しない,対立する
概念であ る。 文化というものは 批判できないものであ る。 人権 は普遍的なグローバル・
スタンダードだけれども ,文化というのはその 一つの集団の 中で閉じたものだから ,そ
れを外からは 批判できないものなんだ」と 言った時に,カルステン 先生は僕の耳にこち
ょこちょっと「じゃあ
,
ファッショの
文化もあ るのか。」とおっしゃいました。
カルステン先生は 一番最初にファシズムの 話をされましたね。 お子さんの算数の 例だ
とかアイコさんの 髪の毛の話だとか ,そういう中で 日本は日常性の 中にファッショがあ
る。 それを文化だといえるかもしれないけれども ,
じ
やあ ,そのファッショの 文化とい
うのは,やっぱり ,批判する対象にはなっていないのか , どうなんでしょう。
カルステン 私が思うのは ,一つの原因は 日本の社会は 上下,縦の社会だということ
ですね。 たとえば,外国人の 中にはランキングがあ ります。 僕はラッキ一です ,白いで
すから。 黒人だったらまったく 僕にとって難しくなりますね ,ここでの存在は。
僕は ド
イツ人ですから , ラッキ一です。
もし私が韓国人か 中国人だったら ,まったく違うケースです。
韓国も中国も ,植民地
だったから。 そして,植民地の 人はいつも下に 見られます。 私の妻はイギリスでちょっ
と アルバイトをしました。 彼女は日本人ですから ,随分下に見られたような 感じでした。
やっぱり上と 下という構造を 許したら,いつまでも 差別の原因をなくすことはできない
でしょう。
たとえば,天理大学の 応援団をみたら ,みなちょっと 普通と違 う 服を着ているから ,
すぐ分かる。 遠 い 所からお互いに「オース」なんか ,そういうあ 小さつしてるじゃない。
すごく上と下の 構図が激しいです。
うちの娘は高校に 入ってテニスやりたかったから ,テニスクラブに 入りました。 一番
最初は 50 メートルくらい 離れてあ 小さつしなきゃいけない ,大きい声で。次はボールーサ
合
いだけだった。 それは全然テニスに 関係ない。 同様に天理大学の 応援団は自由にできる
団体じゃない。 つまり,ランキングを 決める団体じゃないかな。 そういう意 @ で,やっ
ぱりわれわれランキングなんか 忘れないといけない。 ランギングなんかっぶさないとい
けない。
僕の場合は,先生ですが ,僕の学生はほとんど 名前便 ぅ から,僕も名双を 使います。
お互いに「 君」と言います。 ドイツ語で「ドゥー」という 言葉を使います。 つまり, 縦
関係です。 横になったら ,恐らく社会現象として 差別はなかなか 出てこ
ないと思います。 そういうふうに 日本の社会はもうちょっと 縦 じやなく横になったら ,
じゃなくて横の
「先輩」「後輩」というのじゃなくて
,人間は名双が付いているんですから ,名前を言
っ
たらりいじゃないかなあ 。 そうなったら ,もう 少し良くなるチャンスが
や
ないかなと思いますね。
多くなるんじ
ドイツでのユダヤ 人とドイツの 関係はまったく 日本と韓国と 同じような関係ですから ,
66
難しいです。 しかし,過去の 克服ということについて 言えばドイッでは 随分よくやって
いるから,認めます。日本ではまだなかなか 相手のことも 認めない。 相手の国の映画な
んか,どこかで 見せたくても 反対されるから ,映画を見せないようになってしまう。 そ
ういうことがあ る限り,われわれだけでは 差別を解決できないでしょう。 もうちょっと
広いスケールで 社会的活動に 頑張らないと。 まずは自分の 中の関係を横の 関係にします。
そうしたら,恐らく 少しずつ差別はなくなるんじゃないかなと 思います。 そういうふう
に ,僕は見てますね。
参加者 その横の関係というのは , ドイツの文化なんですか。
カルステン
ドイッの・場合,d 心敬語があ りません。 だから,人間は 敬語で考えない
から,みんなお 互いに「 君 」という言葉を 使います。
「あ
なた」には「ズィ
ゥ一 」があ ります。 親しくなったらまず「苗字でなく 名前でいこうか」「ドゥ
一 」と「
ド
一でいき
ましょうか」ということになる。 乾杯して,それからずっと「ドゥー」です。 一生友達
です。 日本語の「 君」は , 感じが違います。 偉そうな感じです。 「おまえ」「君 」「貴様」
なんかそういう 感じがする。 「ドゥー」 ぱ とても良い言葉です。 フレンドシップな 言葉
です。 だから,「ドゥー」で考えるようになり ,お互い「ドゥー」を 使ったら, もう良
い入間関係を 作っていけるのです。 「いらつしゃる , おられる」なんかはドイツにあ
り
ません。 英語でも「トゥ・ビー」だけです。 そういうふうに 言葉で違いは 出てこない。
言葉で違いがなくなったら ,恐らく人間関係の 中でも考え方の 違いや差別,差などがな
くなるんじゃないかなと 思います。
参加者 ドイツの文化は 横で日本の文化は 縦ということでしたが ,歴史的に見てどっ
ちの国も,ファシズムに 走ってしまったんだから ,そういう横と 縦の関係というのは ,
差別とかファシズムとか ,そういうものにはつながらないんじゃないかなって 思うんで
すけど, どうでしょう。
カルステン
ドイツ第姉帝国のファシズムといえば , 血 ,つまりブラッドのランキン
グ だったと思います。 ゲルマン族の 血は一番だった。 ユダヤ人は人間じゃないから , 虫
みたいなものだった。 虫ですから,つぶしても 良いという考えです。 そこからファシズ
ムは始まる (アーリア人の 血のためにはユダヤ 人の血が全滅してもいいと 思われた ) 。
ファッショの 文化という言葉を 使ってもよかったら ,恐らくドイツのファシズム 文化が
悪かったんですよ。 最初から上と 下,ランキングがあ りました。 ドイッ人は・世界で一番 0
あ とは, 皆 ,奴隷以下の 民族だった。 そこで, ドイッのファシズムは 最初から間違って
いたんですね。
住原
私の言っていたことを -汁公理解していただ
い ていなかったと
思います。
私は文化を批判しちゃいけないと 言ったわけではあ りません。 逆に言えば,文化とい
う名の下に守られてしまうことがあ るということです
ヵ
u
。 だいたい文化というのは 日本
に限らず純粋な 意味でみれば 反 人権 的と思われる 慣習を含んでしまっている ,文化の一
部 として。 そういうことがしばしばあ ると思うんです。
本当に上下関係が 厳しいという 状態になったら ,下の人が上の 人に対して, どんなこ
とでもしなくちゃいけないというようなことが ,その伝統というか , ここの文化なんだ
ということになって ,その中でいろんな 美徳が出てきたり ,良い面もあ るとか何とかい
う意識で引っくるめてしまってあ るわけで, 反 人権 的行為だけが ,その社会の 中で ポン
と 独立して存在することがないのが 非常に難しいことだと 思うんですね。
ですから,ファシズムが 文化かと言えば ,恐らく大きな 文化体系の中の 一部ではあ る
と思います。 それ自身は批判するということはあ ってもです。 ファシズムだけが 独立し
て存在したり 出ていたりするのじゃなくて ,恐らくそのほかのいろんな 要素の中でから
み合ってファシスト
的な考え方が 出て来て,正当化されるということになると は、 うんで
すね。
そういう意味で ,人権というのは簡単に 普遍的な価値観だからということで 当てはめ
るということが 非常に難しい。 内部の人にとってみたら ,反発をくうというのはそうい
う 文化の性格があ るんじゃないかなということを 申しあ げたわけです。
カルステン
エピソードを
一つい い ですか。
ドイツの一人の 作家がドラマを 書きました。 彼の名はパスピンチです。 映画監督です。
そのドラマの 登場人物の一人のフランクフルトの 企業者は偶然ユダヤ 人でした。 彼はと
にかく人間として 悪く , いろんな悪いことをしました。 それで,そういうドラマを 上演
させるのは禁止になったのです。 なぜか。 その人はユダヤ 人を代表する 人と考えられ ,
またユダヤ人は 悪く思われるから ,上演中止になってしまったんです。 作られたドラマ
はドイッで見せるようになっていないんです。 ユダヤ人が悪いわけじゃなくて ,彼はた
だの企業家として 悪かっただけをのに……。 そのように,だんだん 難しくなってしまう。
差別ということをいろいろ 考え過ぎたらね。 差別という言葉は 武器になるから ,そのよ
うに考え過ぎることもないと
思いますね。 そういうことで ,エピソードをちょっとね。
伊藤
や
「差別だ」というのが 武器になる。 だから先ほど ,その差別教育は , しすぎち
いけないというのが 出てきたんでしょうね。
カルステン
すぐ簡単に持っていってしまうからね。 もうちょっと 深く考えないと ,
言葉が軽くなってしまう。 差別は悪いことです。
ただ,「差別,セクハラ」とすく 言う
のは
セクハラといえば ,数カ月前のことですが ,女の方が部屋に 入る時,ドアを 開けて「ど
女性の背中に 手を当てると ,「先生,それはセクハラですよ」と 言われま
した。 セクハラのつもりで 私は触ったわけじゃないです。 僕は気になったんですね , あ
んまり簡単に「それはセクハラですよ」と 言うから。
伊藤 それは,どこの 話ですか。
カルステン
ここ,天理大学です。
僕はすごく傷つけられました。 差別するつもり じ
やなかったから。 優しく「どうぞ ,入ってください」,そういう 意味のスキンシップで
うぞ」とその
した。
ヨーロッパではスキンシップが 大事だから。 だからスキンシップしたのに ,「セ
クハラ だ 」と言われました。
私が言いたいのは ,簡単に使ってしまったら ,だんだん意味がなくなってしまう ,
68
と
「異文化理解と人権
」
いうことですね。
伊藤 言葉が出てこなくなってしまいましたけど。 分かりますよ。
参加者 降旗さんの「個人と 集団ではまた 文化のとらえ 方が違ってくる」という 話を
聞いて,これは 良 い 答えになるなあ と思ったんやけど。 多分,集団同士で 付き合う時に ,
異文化というのは 非常に邪魔な 壁なんですよね。 恐らくその文化というのは 潜在的な先
入観というか ,生まれた時からあ る名前みたいなもんやから ,絶対,文化の
壁というの
は取れないもんだと 思うんです。
僕 的な考え方では ,自分一人ひとりを 国と考えるんですよ。 自分を国だと 考えた場合
に,自分の周りにいる 人は覚国人。 それで,その 人たちとうまく 付き合えるかと 考えた
場合,それは十分可能であ る。 それが集団になった 時にはどうなるか…… ?
ちょっと話を 変えていいですか。 「覚国人」と「覚人」の 違いは分かりますか。 外人
という発言は 差別的な意味を 持つというのは ,僕もそう思うんですよ。
それを金さんは
理解できないんでしょうか。
金 できません。
参加者 それは,「国 」という言葉がないから ,差別発言になるんですよ。これ分か
りますか。
金 日本人はそういう 説明をしてくれないんですよ。 日本人は説明下手なところがあ
るのです。
参加者 外人と覚国人の 違いというのは 国という言葉がないだけで ,要するに「ほか
の人」,これは多分英語に訳したら「エイリアン」になると 思、 うんですよ。 「覚国人」に
なったら,多分,辞書で
引いたら「フォーリナー」になると 思うんです。
金
じゃあ,「覚人」という 言葉は,何でい ままでずっと 使 い 続けてきたんですか。
参加者 それは,いま 歳を取っているいる 人たちに聞いてもられないと 分からないん
ですけど,僕たちの 時はもう国という 言葉を非常に 重くとらえているんで……。
金 でも,若い人たちでも ,ふつうに「あ っ,外人や」とか 何とか言うじゃないで づかO
参加者
金
それは多分,昔からの 流れじゃないでしょうか。
でも,それは 差別語ですか ?
参加者 僕はそうとらえていますね。 「覚人」というのは 完壁に自分との 間に,個人
と 他人みたいな , 国 という考え方じゃなくて。 だから,僕は 同じ日本人でも
知らない人
は「覚人」。 僕はそういう 認識をしています。
伊藤
日本人に対しても「覚人」と
言うんですか。
そういうような 説明するとしたら。 だから,「国 」を置くことによって , 何て高 6 か
な , 日本人じゃないということの 説明になるんかな。 僕はそう考えてます。
金 でも,それは 国という言葉が 入ってないだけで ,外人は覚人じゃないですか。 そ
れがなぜ差別語になるんですか。
カルステン
私の経験によると
日本人は長い 言葉が嫌いです。 パソコン,ワープロ ,
何でも短くする。 「覚国人」というのが 面倒くさいから「覚人」と 詰めると言いやすい
のじゃないかなと 思います。
これは一つの 可能,性 ね。 ただ,間違いなしに ,日本の場合には 外と内はすごく 意味が
強 い です。 ガイは ソト とも考えられますから ,あんた ソト の人ですよ,ウチじゃないと
いうことになります。 目木の社会では ソト は良くなくて ,ウチは良い です。 ガ イ ジンを
漢字で考えると ソト の入になります。 だから, きっと私たちはそういうふうに 受け取る
んです。 でも,日本人はただ 長 い 言葉を短くしているだけじゃないかな。 つまりょく 考
えずにね。 そう思います。
参加者 いま聞いていて 思ったんですけど ,日本では「日本人」または「日本の
と言う時の「の」を
人」
入れる言い方で ,イメージが, 何か受け方が 違うという考え 方をす
る人たちだから ,「覚人」というように 縮めたらそれを 軽くみているという 感じがして,
「覚国人」「覚国の 人」と言って 何か軽く見てないんだよと 考える。 縮めれば縮めるほ
ど,それは差別というか ,馬鹿にしているのかと 居、 う んですけど。
伊藤
「覚人」と呼ばれたことのあ
るような人は ,それをどういうふうに 受け止めて
いるのかも聞いてみたいんですけれど。
金 言われるほうは「覚人」でも「覚国人」でも ,普通の留学生とかはあ まり分から
ないと思うんですね。 でも,言っているほうが 意識して,「あっ,ごめん#a, 差別語や
わ」と言ったりする 時,何が差別なんだろうというふうに 思ってしまうところがあ る。
伊藤 金さんだけじゃなく ,ほかの方もそうですか。
金さん以外の 留学生の方も 外国
人と言われているのも ,外人と言われているのも 同じだと感じます ?
張 ただの言葉の 違 い であ るのかもしれませんけど ,私の場合だったら ,外国にいる
時,逆にそういうのが 敏感になりますね。 相手がもし差別語だと 思わないでそれを 言っ
たら,別に差別語だと 思いません。 でも,そういうつもりが 入っているなら
, もう産月1
に感じるから ,これは差別語になりますね。 多分,その違いだと 思います。
伊藤 言葉そのものじゃなくて ,発する心ということですね。
参加者
カルステン先生と
留学生にちょっと
言 たいんですが ,先生が言ったようにヒ
エラルキーじゃなくて ,それをみんな 良いと思えばいいんじゃないかというような 理想、
の高いことを 言いたいんです。 そして,それにはみんなが「うん ,うん」と言うと 思、 い
ます。
その一つの例として ,日本の社会では「先輩,後輩」というようなところが 非常に強
いんです。 確かに,かっては 応援団の中ではそれが 強くなり過ぎて 問題を起こしたとい
うことが実際にあ りました。 留学生に心掛けていただきたいことは ,前に何人かが 同じ
ことを言ったんですれけれども ,異文化体験の 中でとにかくできるだけ 相手の立場をま
ずとってみる 心 ,自分にとっては 違和感を感じる ,感じさせるような 習慣とか考えとか
は,向こうの 立場から裏 返してみれば ,良いところもあ るんじやないかと 考えるように ,
いつも努力する
必要があ
日本の社会における
ると思います。
そのように見ると
,その先輩,後輩という
形は
人間関係では ,場合によって ,後輩から「先輩,先輩」と
声を掛け
「異文化理解と人権
」
る 行為に結構温かみを 感じる場合もあ りますよね。 先輩というのは ,場合によって 困っ
た時は何でも 頼める,頼りになる 存在になる,いわばそれは 先輩の理想ではないかとい
うことが言えると 想、います。
ですから,日本の 社会にとっては 先輩,後輩を 全部 横 にすればいいというのではなく
まあ ,それには良い 面もあ るんじゃないかと ,一応良い面も 見る努力を常にしていただ
きたいと思います。 特に留学生にはね。 以上です。
伊藤先輩,後輩の縦の関係の良い 面を見ようと 努力してください ,ということです。
あ りがとうございます。
ちょっといま ,どこかで拍手もわいたような 気がします。
佐原
「覚人」と「覚国人」は ,はっきりしたんですか。
私が発言すると
,何か年寄りの 代表に思われると 思、 って言わなかったんですけれども ,
私の知っている 限りではやはり 外人と覚国人は 違いますね。 金さんの言ったように ,私
が習い覚えてきた 意識では外人というのはやはり 欧米の方ですね。 金髪であ るとか,金
髪でなくても。 外国人と言った 場合には,そうじゃない 人も含めてということですが an
だから,これまで 会った外国人の 大勢の人たちが「覚人」という 言葉が嫌いだとおっし
ゃ
ったので,私はできるだけ「覚人」という 言葉を使わずに ,「覚国の方」とか「覚国
人」というふうに 使ってますけどね。 ただ,「タ も人」という 言葉が差別用語だとは 思っ
ていないんですけれども ,何かに載ってるんですか。
ちょっと話はずれますけど ,私の知らない 言葉で差別用語辞典というのに 載っている
ものが多くあ って , 実は私自身「片手落ち」という 言葉を授業中に 使ったら,授業が 終
わったあ とに 1 人の学生さんがやって 来て,「先生は差別用語を使いました」と 言われ
たわけです。 何か全然見当が 付かなかったんですけれども ,それはあることの説明をす
るのに「この 部分が出来てない ,いわゆる『片手落ち』ということですね」という 言い
方をしたら,「『片手落ち なんていうのは 差別用語です。 差別用語辞典に 載っています」
と言われたわけです。 それで非常にびっくりして ,国語辞典を 引いてみたんです。 広
コ
『
辞苑』とかその 他,引いてみました。そして,本当に「片手落ち」というのが ,いわゆ
る 「かたわ」であ るとか「めくら」であ るとか,そういう 言葉と同じように 使われたの
かなと見ましたら ,私の知る限りではそういう 歴史的背景がないんですね。 たとえば,
機械でも何でもいいです。 何か作って,その 一方がちょっと 欠けているのでも「片手落
ち」というふうに 言ったんであ って,決して 片手が不自由な 人とか片手のない 人を,「片
手落ち」と言ったような 日本の歴史的背景はない。 私が調べた限りでは ,そういうふう
に勉強したわけですね。
「言葉狩り」という 言葉があ りますけれども ,そういう言葉までがその 対象になって
いることに対しては ,何か釈然としないものを 感じるんですね。 そういう意味で , 私も
「覚人」という 言葉を使った 時に別に差別する 気持ちもないし
金髪の人を「覚人」と
言ったからといって ,そうじゃない 人たちを差別して 使った気持ちも 全然ないんですけ
れども,まるでそれが 悪い言葉であ るかのように 言われると,使ってはいけないのかな
7
Ⅰ
あ と思ったりして ,授業なんかでもいろんな 言葉に気を付けるようになっているんです
ね。
ただ,たとえ 自分が悪い意図で 使ったものでなくても ,それを聞いた 相手が傷ついた
んであ れば,それも 結果としての 差別になったり 人権 にかかわったりするんだというこ
とは,あ らためて学びましたから ,なるほどそういう 意味では気を 付けなくちやいけな
いなと思います。 けれども,なんでもかんでもそういうふうに 言っていいものかなとい
う疑問も感じています。
伊藤
それで,だいたい「覚人の 話」はきとまりましたか 0
みんながこれで 考えるきっかけになって 良かったんじゃないですか。 僕も「覚人」と
いうのは何となく ,だれかおっしゃったように 使っちゃいけない 言葉みたいな 気はして
いました。
佐原
先ほどのことで 一つ書 い 忘れたんですが ,この会場には 留学生の方が 多いでし
ょうし,日本人の 方でも外国経験のあ る方が多いと は、 うんですけれども ,恐らくどんな
方でも 力ルヂャーショックを 受けたことがあ るでしょうし ,傷つけられたとか , 日本人
なるが故に何か 傷ついた経験があ るとか,そういったことがあ ると 恩、 うんです。 それが
非常に悪い意図を 持った差別的発言だったら 問題だとは思いますけれども ,そうじゃな
い 状 、況で傷ついたというのは ,私は個人的にはむしろ 異文化体験の 一環として貴重なこ
とだというふうに 積極的に思ってるんです。
ですから,嫌な 思いをして,それが 繰り返し行われて ,何かひどいという 場合はあ
ますけれども ,そうじやない 形の傷つき方というのはむしろ 大きな心でもって 受け入れ
り
て,ああ , こういうことが 文化が違うということなんだなと 思える心の余裕みたいなも
のがないと。 相手が悪気がなくても ,そういう場合はいくらでもあ るんじゃないかなと
思うんです。
個人的な話で 申し訳ないですけれども
うふうに受けたのは
いになりました。
,私が一番最初に
力
ん チヤ 一 ショックだなとい
,高校生ぐらいの 時でした。 とっても人のいいアメリカ
クリスチヤンの 方でしたけれども
人と知り合
, 日本や中国の 陶器とか磁器がすご
好きで,コレクションしているわけですね。 たまたまそういう 話を私の近い 親戚の人
としていたら ,「ここにあるから持って 行ってあ げたら」と言ってくれたんです。 私の
英語の勉強を 手伝ってくれていたということで ,そのお礼みたいな 感じで差し上げたわ
けですね。 箱 に入っていて ,そんなにすごい 物ではないですけれども ,それなりにちゃ
ふとした物だったわけです。 それを差し上げたら ,その人は「あ りがとう」と 言って,
すごく喜んで 感激してくれたわけですね。
それからほんの 5 分ほどたって ,その人が「きょうの 仕事疲れた」と 言って,こうい
うふうにどんと 座ったわけです。 座った時に,どうやら 自分の足を伸ばしたかったんで
すね。 足を伸ばしてくつろぎたかった。 ところが,目の 前に何もなかったわけです。 そ
うすると,さっき 部屋の隅に置いた ,私がプレゼントした 物が入っている 箱 を持って来
て,匂いの放ちそうな 靴下をはいたまま ,足をポンと 置くわけです。 そして,鼻歌を 歌
く
72
「異文化理解と人権
」
いながら読書を・ 始めたということがあ りました。
それに対して ,ああ ,この人はこれが 好きでも何でもなかったんだなあ と, lb歳 ぐら
いの幼い心は 非常に傷ついたわけです ,本当に。
だけども,その 人とずっと付き 合って
いくと,決してその 人はそのことに 対して悪い気持ちも 全然なかったんです。 日本語で
は「足蹴にする」という 言い方があ るように,「足 」というのは 悪いものというか ,上
が良くて下が 悪いという,そういう 微妙な序列化に 人間の体というのは ,なっているん
ですね。 そういうふうに ,足で扱うということに 対して,いつの 間にか私は日本人とし
てすごいショックを 受けたんだなということが 分かったわけです。 そういうふうに 分か
ったのはだいぶあ とのことですけどね。 でも,そういうことを 通じて,実は 貴重な文化
の違いというのを 学んだような 気がしました。
そういう意味では ,むしろ異文化を 体験するというのは ,良い思いをするという 数が
多いよりも,むしろ 悪い,ちょっと 傷ついたなというような 思いをする数が 多いのじゃ
ないか。 これが場合によれば 異文化理解を 深めるということにつながっているんじゃな
いかなというふうに 思うんですね。
日本は,これがいけない ,あれがいけない ,いっぱいそういうこともあ って, 日本人
自身も反省しなくちゃいけないと 思いますが,良い 側面を見ていただきたいなと 思いま
す。
先ほどカルステン 先生が日本のファシズムについて 話されて,若干私は 頭にカチン と
きたんですけれども ,私は日本の 文化がファシスト 的だなんて思ったこともないので ,
まあ ,そういうものなんです。
内部者としては ,そういうふうに 思います。
カルステン 北朝鮮 (朝鮮民主主義人民共和国 ) と日本の関係が 悪くなって,それで ,
日本にい ろ 北朝鮮の学生たちや 朝鮮学校の生徒たちはすごく 悪く取り扱われた。 石を投
げられたり,あ るいは服を切られたりしてね ,そういうのは 昔のユダヤ人の 扱われ方と
同じじゃないかなと 思った。
だから,そういう 社会制度を許したら ,悪い エネルギーが 入っていったら ,恐らく 危
険 になるんじゃないかと 思う。 ドイツのファシズムもそういうふ う に始まったんです ,
実は。
佐原 こんなディスカッションは 適切かどうか 分かりませんけども ,戦前の状況とか
まと,それはかなり 違 う のじゃないかな。 情報がこれほど 入っている上に ,それから,
やはり戦争の 反省というものを 踏まえているわけですから ,これが単純にファシズム 的
になっていくとは 思えないんですよね。 むしろドイッなんかの 中にあ るネオナチ的な 動
きのほうがずっと , 怖いなと思うんですけれども。 日本のはまだいまのところ ,そういう
彩 はないですからね。 せ いぜぃ 暴走族が主張もなく
暴れているという
程度で
伊藤 異なる文化にショックを 受ける,傷つく 体験を,むしろしろというのを 聞いて
いて,やはり 任用先生は文化人類学者だなと 思いました。 異なる文化を 異なるともとら
えられずに,何もショックを 受けないで,異文化の 中に平気で暮らしているということ
は ,そこからは 何も学ばないことでしょう #a。 だから,傷つく 感性を持って ,そして,
73
いろいろ嫌な 体験をしているかもしれないけれども ,それを通じていくと ,またその中
で良いものを 見る余裕が出てくるし 日本の先輩,後輩というようなものの 中にも,ま
た良いものが 見えてくるということにつながっていくのかなと 思いました。
まだ話を続けていってもいいのかもしれませんけれども ,いずれにしても ,あちこち,
方々飛んでどうもすみません。 司会者が,初めからまとめる 気がな い ものですから ,皆
さんにいろいろなことをお 話ししていただいて ,いろんなことを 学んでいただいて ,こ
の場はそれでいいんじゃないかなあ と思います。 ここで何か結論を 出して,覚人とはこ
ういう定義なんですとか ,ファシズムとは 良いものだとか 悪いものだとか ,日本文化と
はこうですというふうに 持っていくのには ,なかなか時間も 足りないだろうと 思います。
これを一つのきっかけとして ,ここに出てきた 6 人の パ ネラ一の皆さんはこれで 有名人
だろうと思いますから ,キャンパスで 見かけたらいろいろと 声を掛けていただいて , そ
して,今日話し 足りなかったことをどんどんと 質問したり,私はこう 思っているんだと
いうことをぶつけ 合っていただけたらと 思います。
実際に,今日こんなにたくさん 集まってもらったというのはうれしい 驚きでしたし ,
そしてまた,フロアの 方からもたくさん 声を掛けていただ い て,私たちが思ってもみな
かったようなことも 意見として聞かせていただいて ,僕は個人的に 今日良い体験ができ
たなと思っています "
傷ついたり驚いたりということもあ ったかもしれないけれども ,その中で異文化を 学
んでいくという 姿勢をこれからも 持っていければと 思います。
最後に, もう少し意見があ
ればおっしゃっていただ い て,あと 5 分ぐらいで終われれ
ばと思いますので ,お願いします。
参加者 今日の話を聞いていて 思ったんですけれども ,金さんが「もうすぐ 21 世紀に
なるんだから ,そんな固定的な 考えを持たずに 新しい考えを 持とう,固定的な 考えを 捨
てていこう」と 言ったこと,それはそうですし ,それからさっき ,名前は存じ 上げませ
んが,日本人の 学生さんが「個人を 国に置き換えたらどうか」というような 発想ですね,
あ れもちょっと 古い世代の人間にはなかなかできないところがあ り,どうも国家と 個人
というのを分けてしまうというところからみると ,非常に新しい 発想で,おもしろいな
と思いました。
ちょっと話が 変わるんですけれど ,僕の先輩の 女性で,結婚しているんですが ,その
方は絶対だんなさんに 自分のことを「奥さん」とか「 妻 」とか呼ばせない ,それは「夫
婦 間の差別だ」と 言うんですね。 ただ, 妻 という言葉は 昔の万葉集に ,たとえば,女性
が恋人を呼ぶ 歌に「わがつま」と 出てきます。 それはつまり 自分と同じもの , 腹 と背 と
いうか一心同体のものを 表したのが「つま」なんですね。 ところが,あ る時代から,ど
ちらかが主になってきて ,それにくっつくものが「つま」になっていく。 刺し身の ツマ
みたいになってきた。 だけど,江戸時代の 最初の頃 はまだお金持ちの 家のお嬢さんのと
ころに養子に 行くだんなの 方が「つま」と 呼ばれるんですね。 それが現在は 女性イコー
ル事になるわけで ,やっぱりそういうふうに 差別というのも 歴史によって 時代によって
74
「異文
イヒ
理解と人権
」
違うし,いろいろ 変わってくるものだと 思うんです。
今の若い人の 発言を聞いていると ,天理大学の 学生というか , 21 世紀を担ってくれる
学生たちも捨てたもんじゃないなと 思ったんです。
ただ,逆にやっぱり 21 世紀にまた出てくる 新しい差別もあ ると思うんですね。 さっき
佐原先生は,これだけ ,情報が発達したら ,戦前みたいな 差別は起こらないだろうとおっ
しゃ つ たけれど,これだけ 情報が発達したからこそ ,情報の・操作によって ,また新しい
恐ろしい差別が 生まれる場合があ ると思うんです。
たとえば,最近のテレビ 報道なんか見ていると ,和歌山の保険金詐欺事件なんかもの
すごいですね。 何百人というマスコミと 上空に 蚊 みたいにたくさんの
へ
リコプターが 飛
んで,犯人逮捕の 瞬間を撮っている。 もうあの段階から犯人というか ,逮捕された 人々
0 人権 がものすごく 踏みにじられている。 彼らはまだ容疑者であ って,本当に 犯人かど
うかも分からない 段階で,どういう 馴れ初めで一緒になったとか ,親戚にはこういう 人
がいるとか,そういうことまでオープンにされてしまっている。 これは新しい ,すごく
非人格的な差別ではないかなというふうに 僕は感じてます。
そういう意味では ,時代が新しくなればすべて 世の中が良くなるんじゃなくて ,やっ
ぱり,新しい 悪いことも出てくるわけで ,そういうことを 考えていかなければならない
なと思っています。
伊藤 あ りがとうございます。
時間が押してきているんですけれども ,この際,話しておこうという
方はどうぞお 手
を挙げになってください。
よろしいでしょうか。
じゃあ, 長 い問 お付き合いいただきまして ,どうもありがとうございました。
はこれで終わりたいと
木
1
思います。 皆さん,ご苦労さまでした "
,天理大学人権週間の行事のひとつとして
に本学 24A 教室 (2 号 棟 4 階 ) で開催されたものであ る。
本 パネルディスカッションは
G
日
きょう
1998 年 10 月