金井下新田遺跡で - 公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団

金井下新田遺跡の最新情報
金井下新田遺跡で、古墳時代の地域首長の政治・祭祀拠点を発見
1.出土遺跡の概要
(1) 遺跡名
金井下新田(かないしもしんでん)遺跡
(2) 調査要因 国道353号金井バイパス(上信自動車道)道路改築に伴う発掘調査
(3) 委託者
渋川土木事務所(4) 調査主体 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
(5) 調査期間 平成26年4月から平成29年3月(予定)
2.内容
金井東裏遺跡の南に隣接する金井下新田遺跡5区で、平成26年度に確認された囲い状遺構の西側の
あ じ ろ がき
調査を進めたところ、網代垣に囲まれた方形区画遺構とその周辺の祭祀関連遺構の様相が明らかにな
ってきました。(図1・図2)
(1)囲い状遺構は一辺約55mと推定される方形の区画で、内部を遮蔽するように高さ3m前後の網
代垣で囲むものです。網代垣は、1.8m間隔に立てた角柱に、植物の茎をよしず状に編んだものを両
側から網代で挟んで取り付けた構造で、厚さが30㎝前後の堅牢なものであることがわかりました。(
図3・写真1~4)
(2)囲い状遺構の内部は低い垣で東西に区画されており、東側の区画の中央には大型住居(1号住
居)と小型の竪穴遺構(1号竪穴)が、西側の区画の中央には3間×5間の総柱の掘立柱建物(3号掘立
)とその南側に直径約3mの円形建物が整然と配置されていました。これらの建物にはいずれも屋根
材がすでになく、抜き取られた柱もありました。(写真5~7)
ろっかく
(3)3号掘立柱建物北東部の床下から、切断した複数の鹿角がまとまって出土しました。有機質の
鹿角が台地上の遺跡で発見されるのは稀有な例です。(写真8)
たかつきがた き だ い
(4)囲い状遺構の南側からは、須恵器の高杯形器台という特殊な土器を含む複数の祭祀遺物群も発
見されました。(写真9)さらにその南側には2棟の掘立柱建物が整然と並んでおり、床下にあたる
場所には小型土器や多量の臼玉が集積されていたほか、子持勾玉という特異な勾玉も出土しました。
(写真10~14)
3.要点
(1)囲い状遺構とその周辺は、特異な遺構の構造や規模、さらには祭祀関連遺物が集中しているこ
とから、古墳時代の地域首長の政治・祭祀拠点と考えられます。
(2)このような政治・祭祀拠点が火山灰下で発見されたのは国内で初めてのことです。遺構の残存
状況からみると、建物はすべて火山噴火以前に廃絶し、解体途中であった可能性があります。さらに
祭祀遺物が火山灰下にそのまま残されていることから、 土器や子持勾玉、臼玉、石製模造品などの
祭具を用いた祭祀行為の具体的な様子や、一連の行為の経過がわかる可能性のある重要な発見です。
(3)装飾品などの素材となり得るまとまった鹿角の発見は、鹿角製小札や鹿角製品が出土した金井
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東裏遺跡と直接的に関連する遺跡であることを示唆するものといえます。
【補足説明資料】
(1)榛名山の噴火と金井遺跡群
金井下新田遺跡は、甲を着た古墳人が出土した金井東裏遺跡とともに榛名山北東麓にあります。
今回、金井下新田遺跡で発見された遺構・遺物は、金井東裏遺跡と同じ6世紀初頭の榛名山の噴火に
伴う火山灰や火砕流の下から出土したことから、甲を着た古墳人と同じ時期のものです。
(2)網代垣の構造
網代垣は、高さ3m、厚さ30cm前後で、中央のよしず状の部分と両側の網代からなる3層構造にな
よこ ざん
っていることが明らかになりました。また、網代と横桟を、蔓状の植物で巻き留めた痕跡も確認され
ました。これらの材料にはアシなどのイネ科植物が使用されていると見られますが、柱材を含め今後
樹種等を分析する予定です。
(3)建物と火山災害
総柱の掘立柱建物(3号掘立)は高床倉庫の可能性が高く、大型住居(1号住居)とともに網代垣に囲
まれていました。これらの建物には屋根材がすでになく、火砕流で倒れた柱と火山灰降下前に抜き取
られた柱の痕跡が1棟の建物のなかに混在していました。また、囲い状遺構の南側にある2棟の掘立
柱建物(1号掘立・2号掘立)では、火砕流堆積物層の中から柱の痕跡が発見されており、柱だけが立
った状態であったことがわかりました。これらのことから、火山噴火以前に建物は廃絶し解体途中に
火山噴火に遭った可能性があります。
(4)祭祀遺構
うす だま
囲い状遺構の南側でみつかった複数の祭祀遺構からは、特殊な土器などのほか多量の臼玉や石製
模造品、さらに子持勾玉と呼ぶ特異な勾玉が出土しました。また、土器の中には地面に埋まった状
態のものもありました。囲い状遺構の周囲は、繰り返し祭祀関連の行為が行われた空間だったと推
定されます。
特殊な土器の中でも須恵器の高杯形器台は、一般の集落で使用される土器ではなく、古墳の副葬
品として出土する特別なものです。このような土器が複数出土していることは、首長が執り行う特
別な祭祀の場であった可能性があります。
(5)鹿角と金井遺跡群
と う す
こ ざ ね
金井東裏遺跡では、
甲を着た古墳人が所持していた刀子の柄、2号甲内部から出土した鹿角製小札、
矛の装飾などに鹿角が多用されています。金井下新田遺跡から出土した鹿角は、これらの素材とな
り得る大きさの切断角が集積されており、両遺跡の関係が注目されます。また、鹿角製品の生産や
流通の課題を解明する重要な発見であるといえます。
5.問い合わせ先
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
電話 0279-52-2511
担当:調査部
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岩崎泰一
図1
金井遺跡群の位置/金井下新田遺跡と金井東裏遺跡
図2
金井下新田遺跡4区・5区の古墳時代遺構全体略図
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図3 金井下新田遺跡で発見された網代垣の構造復元模式図
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写真1
倒壊した南辺の網代垣(西から撮影)
写真2
倒壊した西辺の網代垣(西から撮影)
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角柱
上層の網代
写真3
網代垣上層の網代と、中層のよしず状の植物の茎
よしず状の茎を留めていた横方向の茎
よしず状の茎
下層の網代
写真4
中層のよしず状の植物の茎と、下層の網代
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写真5
1号大型住居全景(東から撮影)
鹿角出土位置
写真6
3号掘立柱建物全景(西から撮影)
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写真7
円形建物(手前)とその上層にあった網代垣(1号遺構)
写真8
3号掘立柱建物の床下から出土した鹿角
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高杯形器台器受部
高杯形器台脚部
写真9
須恵器高杯形器台を含む祭祀土器群(竹串は臼玉出土位置)
参考:伊勢崎市原之城遺跡出土高杯形器台
写真10
1号掘立柱建物から出土した臼玉と子持勾玉(長さ7.8cm)
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写真11
1号・2号掘立柱建物全景(東から撮影/オレンジ色細線は柱穴を結んでいる)
柱の痕跡
写真12
火砕流堆積物層に残った1号・2号掘立柱建物の柱の痕跡(南から撮影)
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写真13
2棟の掘立柱建物で出土した多量の臼玉・石製模造品と土器群
写真14
1号掘立柱建物の祭祀遺物(青い線は柱、赤点線は抜かれた柱の位置)
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