真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版) ID:83658

真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)
DICEK
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小説の作者、
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じます。
︻あらすじ︼
一刀主人公の再構成物。
前に投稿したものの改訂版です。
改定前のものは、arcadiaさんにあります。つまりはマルチ
投稿です。
改定前のものとの変更点として
・登場人物が増えます。
・登場人物が減ります。
・一部キャラの性別が変わります。
上記の理由による諸々の変更点はありますが、原則として一刀本人
の進路に変更はありません。行く先、出世するタイミング、赴任する
場所などは、改定前版が投稿されている範囲については概ねそのまま
です。
第001話 │││││││││││││││││││││││
目 次 第002話 荀家逗留編① ││││││││││││││││
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第003話 荀家逗留編② ││││││││││││││││
6
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第001話
身体は勝手に動いていた。武器を持った男三人に、少女が囲まれて
いる。助けなければ。そう考えるのは男として自然なことだった。
一番手近な男にタックルを食らわせる。自分たちの他に人間がい
るとは思ってもみなかったのだろう。一刀のタックルに、リーダー格
らしい男はなす術もなく転倒させられた。男と一緒になって地面を
転がる際、彼が手放した武器を奪って立ち上がり、構える。
武器は両刃の剣である。刃を落としてあったりは⋮⋮多分しない
の だ ろ う。本 物 の 武 器 を 持 っ た こ と は 祖 父 の 家 に あ っ た 日 本 刀 を
持って以来だったが、それに通ずるずっしりとした物騒な重さがこの
剣にはあった。
芸 術 品 と し て 飾 ら れ て い た 祖 父 の 日 本 刀 と は 比 べ る べ く も な い。
手入れなど全くしていないのだろう。錆すら浮いている汚い剣が、し
かし、今の一刀の唯一の武器だった。
無手であれば、男一人と侮られもしたのだろうが、今の一刀は武器
を持っている。男たちは三人。無論のこと武器を奪われた男も短刀
を出し全員が武装していたが、強そうには見えなかった。一刀の彼ら
の印象はあくまで、武器を持った素人である。
だが一刀も、素人には違いない。剣道をかじってこそいるものの、
それを実践的に使ったことなど一度もない。喧嘩など数える程しか
したことがなく、その時も武器を持ってなどしなかった。精々、竹刀
程度の大きさものを取り回し慣れているというくらいだ。
詰まるところ、優勢なのは数が多いあちらの方である。武器を持っ
1
た戦いだ。数を頼みにこられたら、アッと言う間に一刀は殺されてい
ただろうが、男三人が動く気配はなかった。明らかにイラだった様子
の彼らは、同時に一刀を││厳密には、その手に持った剣を恐れてい
た。
武装した敵と戦ったことが、ないのかもしれない。彼らの装いはい
かにも盗賊といった風で、昔、教育番組で見た三国志の人形劇に出て
くるやられ役のモブを連想させた。頭にまいた汚い黄色い頭巾など、
実にらしい。
踏み込む、退く。踏み込む、退く。昔遊んだおもちゃのようで何だ
か気分も良くなってきたが、あまり時間をかけてもいられない。剣を
振り上げて大声をあげると、男たちは一目散に逃げていった。
とりあえず、危機は去った。
一刀は大きく息を吐き、剣を地面に放り出す。どっと疲れが押し寄
﹂
せてきたが、するべきことはまだあった。
﹁大丈夫
間に合った、というのは﹃助けた﹄一刀の認識である。何か怪我を
しているのでは、単純に、少女を慮っての問いだったが、
﹁別に、大したことないわ﹂
窮地を助けた人間に対するものとして、少女の反応は随分とそっけ
ないものだった。所謂、ヒーローに対するヒロインっぽい対応を少な
からず期待していた一刀は、微妙に肩すかしを食らったが、元より
ヒーローという柄ではないと思いなおす。助けようと思って手を出
したのだ。少女が無事と主張するなら当面問題はない。
﹁なら良かった。俺は北郷一刀。ついでに聞いておきたいことがある
んだけど、良いかな﹂
﹂
﹁手短にお願いね。できればこんなとこ、さっさと離れたいから﹂
﹁ここは、何て場所なんだ
﹁豫州潁川郡﹂
後の記憶にある場所とここは全く異なっている。
いよ一刀の想像にも現実味がなくなってきた。少なくとも、一刀の最
聞いたことがないどころか、現代日本ではありえない地名に、いよ
?
2
?
そもそも、ここに来る直前まで何処で何をしていたのか記憶が曖昧
だ。自分がどういう人間なのかは、はっきりと思いだすことができ
る。これまでの生い立ち、現在の交友関係。長年続けた趣味から猥本
の隠し場所まで、記憶は鮮明だ。
記憶喪失という訳ではないらしい。あくまで、ここに至るまでの直
前の記憶がすっぱりと抜け落ちている。
だが、直前までどこにいたという記憶がなくとも、今現在立ってい
る場所がちょっとやそっとではたどり着けないような場所だ、という
ことは理解できた。これが夢というのでなければ少なくとも、慣れ親
しんだ地元からはかなりの距離を移動していることになる。
加えて、先ほどの男たちと少女の恰好だ。いかにも人形劇だった男
たちに対し、少女の装いにはまだ現代でも通じそうな部分がある。こ
れだけを見れば古風なコスプレとしても通じそうではあるが、いくら
なんでもコスプレ関係のイベントで、武装したエキストラを用意はし
ないだろう。
こつこつと剣を叩くと、固い金属の感触が返ってくる。改めて、剣
が本物であることを確認すると、一刀は深く深く溜息を吐いた。現状
解ることから判断するに、どういう訳か人形劇で三国志な場所に放り
込まれた、というのが一番妥当なように思える。
気合の入ったドッキリという可能性は捨てきれないし、できること
ならばそうであってほしいとは思うけれども、北郷一刀という一個人
を担ぐためにここまで大がかりなことをするとは思えないし、それで
は事前の記憶が曖昧という現象の説明がつかない。
その辺りは、いくら考えても解らないような気もする。できること
なら、全てを打ち明けることができるほどに信頼ができ、かつ自分な
ど及びもつかない知恵者の頭を借りたいと思う一刀だったが、ここが
何処で、何時なのかも解らない。手を貸してくれそうな人間は、全く
脳裏に浮かんでこなかった。
﹁何を珍妙な顔をしているのかしら。間抜けで精液臭い顔が、更に酷
いことになってるわよ﹂
﹁それは申し訳ない。それで、厚かましいお願いで恐縮なんだけど│
3
│﹂
﹁助けてもらってお礼くらいはするわ。実家が近くだから、寄ってい
きなさい﹂
﹁助かるよ、ありがとう﹂
﹁別に、命を助けられたのに恩人を放り出す不義理な女、なんて思われ
たくないだけよ﹂
男を実家にあげるなんて、本当に忌々しいことだけどね⋮⋮と小さ
く付け加え、忌々しそうに溜息を吐いた。命を助けられておいてここ
まで言える少女に、一刀は逆に感心していた。北郷一刀個人がどうこ
うと言うよりも、元々男が好きではないのだろう。
そう考えると、冷たくされることにも納得がいった。だからと言っ
て何のダメージも受けていない訳ではないが、冷たい態度に理由がつ
くだけでも違うものだ。初めての土地に不可解な状況。同級生から
はよく動じない男だと言われたものだが、それにも限度がある。ま
だ、十代だ。不安なものは不安なのである。
﹁そう言えば、自己紹介もしてなかったわね。私は荀彧。字は文若よ。
でも覚えなくて良いわ。きっと短い付き合いになるでしょうからね﹂
振り向きもせずに名乗った少女の名前は聞き覚えがあったが、それ
は記憶が確かならば男性の名前だったはずだ。少女は確かに貧相で
あるものの、そこに男性的な特徴はない。女性っぽく見える男性とい
う可能性も否定できないが、その可能性について少女に言及したら、
間違いなく渾身の力を込めた拳が飛んでくる。
少女は女性であるとして、だ。記憶の中では男性であるはずの名前
を、少 女 が 使 っ て い る。同 姓 同 名 と い う こ と は あ る だ ろ う。一 刀 に
とっては外国の名前だ。女性名と男性名にどれほどの違いがあるの
かすら、明確に答えることはできない。
普通に考えるならば、名前が同じ、似てる、あるいは近いだけの他
人と考えるのが当然なのだろうが、既に全く知らない場所に気が付い
たら立っていて、暴漢に襲われている少女を助けるという、非日常的
な場面に遭遇している。
馬鹿げた想像だが、まさか三国志の世界に放り込まれた上に、その
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登場人物が女性になっているなんてことも、もしかしたらあるのかも
しれない。
すたすたと先を歩く少女の背中を見ながら、一刀はこっそりと溜息
を吐いた││
﹁⋮⋮⋮⋮一度しか言わないから、良く聞きなさい﹂
││ところで、しばらく黙ってると思っていた荀彧がいきなり口を
開いた。溜息を聞かれていたとしたら、また面倒くさいことになりそ
うだと身構えていると、荀彧は視線をこちらに向けないまま、小さく
唸った。
一刀の目には、荀彧は何事に対してもはっきりと物を言うタイプに
見えた。それが言いよどむなどよほどのことである。一体何を言わ
れるのか。身構えた一刀に荀彧が口にした言葉は、一刀が全く想像も
しないことだった。
﹁本当は、あんたみたいな精液男にこういうことを言うなんて、本当
に、本当に嫌なんだけど、口にするのも嫌なんだけど⋮⋮⋮⋮ありが
とう。命を助けてくれたことには、本当に感謝してるわ﹂
話はそれだけよ、と荀彧は今度こそ口を閉ざした。足音の大きさか
ら、彼女がいかに不機嫌であるのか見て取れる。言葉の通り、本当に、
心の底から嫌だったのだろうが、それでも、その気持ちを押し込めて
お礼を言ってくれた。
自然と笑みがこぼれる。一目でへそ曲がりと解ったこの少女が、自
分の想像を遥かに超えるへそ曲がりと解って、妙に嬉しくなった。
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第002話 荀家逗留編①
生まれて初めて武器を持って、自分の意思でもって他人を傷つけた
場所から、一時間も歩いただろうか。一刀はキツめな性格の猫耳頭巾
に、彼女の実家があるという街まで連れてこられた。
街の様子を見て、一刀は本当に違う時代に来てしまったのだな、と
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理解する。舗装されていない道に、道行く人たちは古風な恰好をして
いた。時代劇特有の、小ぎれいな古臭さはまるでない。彼ら彼女らは
普段から、こういう恰好でここで暮らしているのだ、というリアルさ
が道を歩いてみて犇々と感じられた。
そんな人々の視線を、一刀は一身に集めていた。最初は前を歩く荀
彧が目立っているのだと思った。事実、この街の有名人である荀彧は
確かに人目を引いていたが、それ以上に一刀自身がかなりの人目を引
いていた。本人が視線を自覚できる程である。
一つ二つであればまだ勘違いで済ませることもできただろうが、道
行く人々全員が一刀を凝視しているのだから、自分を誤魔化すことは
できなかった。
﹂
﹁何か、もの凄く人の目を集めてる気がするんだけど、もしかして荀彧
は有名人
われて、一刀は自分の服を見下ろした。彼の通う聖フランチェスカの
巻き込まれることを嫌がってか、荀彧は振り返ろうともしない。言
服は⋮⋮﹂
﹁あんたの服が目立ち過ぎるのよ。何よ、その真っ白できらきらした
?
男子の制服は上が白ランという攻めに攻めたデザインである。親戚
のお爺さんには﹃海軍のなりそこない﹄と笑われてしまったこのデザ
インだが、学園では男子は皆この恰好であることと、女子の制服は
もっと目立つために感性がマヒしてしまい、
﹃目立つ服﹄という印象は
一刀の中で綺麗さっぱり消えていた。
慣れとは恐ろしいものであるが、一歩学園の外に出れば一目を引い
ていたことは記憶に残っている。これも慣れだが、まだその視線にな
れていなかった頃の、初々しい記憶が今さらになって甦ってきたのは
どうしてなのか。古風なこの環境ならば、更に悪目立ちするのも、仕
方ないことのような気がしないでもない。
堪らず上着を脱ぐ一刀だったが、その下に来ているワイシャツも白
かったので、あまり効果はなかった。原色の少ないこの空間におい
て、真っ白というのはそれだけで目立っていた。化学製品特有のきら
きら感が、それに拍車をかけている。
!
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視線に居心地の悪さを感じていた一刀は、早く目的地に着かないか
と考えていたが、荀彧に案内さ、辿り着いた彼女の実家はまさに屋敷
と呼ぶに相応しいもので、視線とはまた別の意味で一刀に居心地の悪
さを感じさせた。
塀がどこまでも続いていて、終わりも見えない。この街であれば荀
彧さんちはどこですか、と聞けば﹃あの家だよ﹄と案内してくれるだ
ろう。街の規模に比して、この屋敷は明らかに大きい。
荀彧の性格から、それなりのお嬢さんだろうとは予想していたが、
この屋敷の大きさは予想を遥かに上回っていた。塀に沿ってえっち
らおっちら歩いていると、ようやく門が見えてくる。その門の前に
は、お手伝いさんといった装いの若い女性が立っていた。
女性は荀彧を見つけ相好を崩すと、その隣に一刀の姿を見て目を見
開いて驚いた。その時、一刀と荀彧は同時に彼女がこれから自分たち
にとって良くないことを言うと直感した。女性を止める間もあれば
こそ。彼女は門の中にまで引き返し、屋敷中に響くような大声でこう
街の噂は本当でございました お嬢様が、婿殿を連れて
言った。
﹁奥様
!
お戻りにっ
﹂
もう、街の噂が届いているのか。昔の人でも耳は早いんだな、と諦
めの境地で感心している一刀の横で、荀彧は微動だにしない。彼女
は、立ったまま気絶していた。
﹁││そういう事情だったのですね。ご迷惑をおかけいたしました﹂
﹁こちらこそ。突然押しかけてしまって申し訳ありません﹂
﹁とんでもございません。娘の命を救ってくださった貴方は、当家に
とっても恩人です。どうか気のすむまで、当家にご逗留くださいま
せ﹂
ありがたい申し出に、一刀は素直に頭を下げた。卓を挟み、対面に
座る女性は荀昆と名乗った。荀彧の母に当たり、現在の荀家を取り仕
切っている女性だという。母親というだけあり、荀彧にも面差しが良
く似ていた。二回りくらい年齢を重ね、毒舌と罵詈雑言と吊り上がっ
たキツい目つきを取り除いて、落ち着きと柔和さを足したらきっとこ
うなる気がする。
ちなみに荀彧であるが、今は自室で横になっている。旅の疲れ、襲
われた衝撃で、と家人は説明したが、彼女にとって一番衝撃的だった
のは、自分が婿を連れてきたという話が、実家だけでなく街にまで広
まっていたことだろう。
あの性格である。衝撃を受けるのも無理もない。うんうん頷きな
﹂
がら静かにお茶をすすっていると、荀昆の方から話を切り出してく
る。
﹁婿殿││失礼、北郷殿はどちらから
荀昆は欠片もそういうものを出さなかった。事実とは言え、あからさ
普通そんな話をされれば少なからず不信感が態度に出るものだが、
﹁それはまた、本当に奇妙な話ですね﹂
どうしていたのかも理解できない有様でして﹂
﹁奇妙な話ではありますけど、お嬢さんが襲われていた現場に、自分が
?
8
!!
まに嫌な顔をされてしまったらどうしようと心配していた一刀は、心
中でそっと胸をなで下ろす。
では、一番広い範囲を記した地図
﹁全く。できれば、この国の地図など見せていただけるとありがたい
んですが﹂
﹁この街周辺ではなくてですか
をお見せしましょう﹂
荀昆が手配すると、部屋の隅に控えていた侍女がすぐに地図を持っ
てきた。両腕を大きく広げてもまだ足りたい、一刀の感覚では非常に
大きな地図である。
その地図を見て理解したことは、人形劇という直感も中々捨てたも
のではないということだった。﹃中国﹄という国家の全図が一刀の頭
の中にしっかりと記憶されていた訳ではないが、ぼんやりとした記憶
の中にある﹃中国﹄とこの地図は似ている││気がしないでもない。
地図については、根拠もあいまいな記憶という曖昧なものである
が、書き込まれているのは漢字であり。いくつか見たことのない字が
あるが、道々見かけた看板にも漢字が使われていた。ここが漢字を標
準的に使う文化圏というのは間違いない。
不可解なことはある。書いてある文字は読めないのに、話している
言葉は理解できることだ。普通、話している言葉は使われる文字と密
接に関係している。一刀が理解している以上、ここで使われているの
は彼が唯一話せる日本語と考えるのが妥当であるが、地図や看板に使
われている文字、文章を見る限りはそうではない。
その辺りに、どうしてここにいるのかという疑問の解決の糸口があ
りそうだったが、当面はそれ以上に大事なことがあった。当分逗留し
て良いと荀昆は言うが、それを額面通りに受け取る訳にもいかない。
これだけ大きな屋敷だ。人間一人を飼っていたところで経済的には
痛くも痒くもないのだろうが、結果的に恩を売ったとは言えいつまで
もおんぶにだっこでは外聞が悪い。
いずれここを出て、生活する手段を見つけなければならないだろ
う。元の世界に戻る手段を探すにしても、諦めてこの世界で暮らすに
しても、独り立ちできるだけの知識と手段が必要だ。
9
?
﹁⋮⋮⋮⋮事情がおありなようですから、話したい時に話してくださ
る、ということで構いませんよ﹂
﹁そうしていただけると助かります。まだ俺⋮⋮⋮⋮いえ、私の中で
も考えがまとまらなくて﹂
﹁時間はたっぷりありますので、お好きなように使われるとよろしい
﹂
でしょう。お部屋を用意させました。お疲れでしょうから、休まれて
はいかがですか
﹁そうさせていただきます﹂
﹁案内は彼女にさせます﹂
部屋の隅に控えていた、地図の準備をした少女が荀昆の声に一歩前
に出る。幼い顔立ちをしているが、自分よりは二つか三つは下だろう
と、一刀は当たりを付けた。それにしては随分と落ち着いている。自
分と比べてどっちが大人に見えるかと人に聞けば、ほとんどが彼女の
方だと答えるだろう。
﹁それでは。御用の際は何なりと仰ってください﹂
﹁お心づかいに感謝します﹂
荀昆と別れ、少女について屋敷を歩く。少女に案内された部屋は、
実家にある一刀の部屋の倍は広い部屋だった。これで客間ならば、屋
敷の人間が住んでいる部屋はどれだけ広いのだろう。金持ちとそう
でない人間の差を見た気がして、少し落ち込んだ。
﹁私は宋正。字は功淑と申します。お客様のお世話を、奥様より申し
受けました。御用の際は、なんなりとお申し付けくださいませ﹂
﹁ああ、その、助かります。ありがとう﹂
年下であるという見立てはそれなりの確信のあるものだったが、話
して見るとやはり年上に見えた。いつか確認するのが良いのだろう
が、荀彧の例もある。あれはかなり特殊な部類だろうが、二人続けて
あんな感じの対応をされると流石に心も傷ついてしまう。
時間はまだあるのだから、色々と質問するのは後でも良いだろう。
大して運動をした訳でもないのに、今日はやけに疲れてしまった。で
きることなら、今すぐにでも床につきたい気分だ。 ﹁代わりの服は、こちらでご用意させていただきました。お召し物の
10
?
方はこちらでお預かりし、洗浄の上ご返却いたします﹂
﹁何から何まで、ありがとうございます﹂
﹁とんでもございません。お嬢様を助けてくださいましたこと、私ど
も、心より感謝してございます﹂
宋正の態度に、やはり裏は見られない。あれで、家人には好かれて
いるのだろう。その言葉を聞いて、何故だか一刀は少しだけ安心し
た。結果的に自分が助けた少女が、人に好かれていることが、単純に
嬉しかったのだ。
﹁お疲れのようですので、私はこれで失礼しますね﹂
言って、足早に宋正は部屋を後にした。制服を脱ぎ、用意されてい
た着物に着替えると、寝台に飛び込んだ一刀は泥のように眠り始め
た。
﹂
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﹁婿殿はどうですか
も疑問に思ったことについて、荀昆は宋正に問うてみた。
彼について、調べなければならないことは山ほどあるが、まずは最
娘も彼をここまで連れてきたのだろう。
のだ。命を助けられた恩義があったとは言え、そう判断したからこそ
一目見て、一度話してみれば彼がどれだけ特殊なのか解るというも
﹁ええ、まさしく﹂
たね﹂
の冗談かと思ったものですが、実物は冗談以上に冗談のような方でし
﹁そうですか。男嫌いのあの娘が男性を連れてきたと聞いた時には何
られないかと﹂
﹁お疲れだったのか、すぐにお休みになられました。しばらくは、起き
?
﹁彼の服については
﹂
﹁服飾に詳しい物に見せましたが、縫製はともかく素材については検
討もつかないと。洛陽でもこれ程の素材は手に入らないと申してお
りました﹂
﹁でしょうねぇ⋮⋮﹂
人目につくような服を着るというのは元来、庶民ではなく富裕層の
文化である。目立つ服を着ているというだけである程度の資金力が
ある家の人間である、という証明にもなるのだ。何の事情も知らない
街の人間は、どこの貴族かと思っただろうが、一刀と直接話をした荀
昆は違う意見を持っていた。
確かに育ちは良いようだが、高貴な生まれの人間特有の鼻についた
雰囲気がない。良い意味で庶民的な一刀の雰囲気は、精々成り上がっ
たばかりの商家の次男か三男という風だ。富裕層であったとしても、
資金力も発言力も荀家とは比べ物にならないくらい下だろう。
だがそうなると、あの服装の説明がつかない。希少で手に入らない
というのならばまだしも、彼の服を見た人間は見当もつかないと答え
た。服飾に詳しいと豪語するくらいである。古今の素材に精通して
いるはずだが、それでも尚見当がつかないということは、それだけ希
少ということだ。
希少であることはすなわち、値段が張るということとほとんど同義
である。彼の振る舞い、雰囲気から感じる家格からすると、あの服を
着ていることは酷く不釣り合いに思えた。
態度、雰囲気から察せられる家格と、ああいう服を着ている家格が
釣り合っていない。それに最も大きな疑問が残る。ああいう服を着
る家格の人間だとして、それが丸腰で、護衛もなしに、どうして街の
外れにいたのかということだ。
記憶が曖昧という返答を、一刀はしたが、そういう事情を疑ってか
かるのが荀昆の仕事でもある。何もないのなら話は早いし助かるが、
そうではない時、早い内に手を打っておかないといけない。今、とに
﹂
もかくにも情報が欲しい。 ﹁人を放った結果は
12
?
?
﹁元 よ り 街 の 住 人 に つ い て は そ の ほ と ん ど の 素 性 を 掴 ん で お り ま す
が、記録を見る限り彼がこの街に住んでいたことはありません。放っ
た者は第一陣が戻って参りましたが、やはり彼を初めて見る、という
者ばかりですね。この街の周辺にまで調査の網を広げるよう、準備は
しておりますが⋮⋮﹂
﹁無駄な気はしますが、しないよりはマシでしょう。引き続き素性の
調査をするよう、指示を出しておいてください﹂
小さく、荀昆は息を吐いた。人間一人の調査の出だしで、ここまで
難航するのは久しぶりのことだ。これでタダの人というオチだった
ら肩すかしも良いところだが、あの娘が連れてきた男性だ。きっと何
かある、と思うのは親のひいき目だろうか。
いずれにせよ、あくまで採算という面で彼を見るならば、あの服一
つでも世話をした元は取れる。他に何か得るものがあるようならば、
これからゆっくり人となりを見れば良いのだ。
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第003話 荀家逗留編②
食事をして寝るだけという生活に一日で耐えられなくなったとい
う体で、一刀はこの世界の情報収集を始めた。宋正に荀家の書架に案
内してもらい、一つ目の木簡を開いたところで最初の躓きである。
やはり文が全くと言って良いほど読めない。大体の漢字には見覚
えがあるからぼんやりとした意味こそ解るものの、正確に訳してみろ
と言われたら困る有様である。この年になってこの文が読めません
と他人に言うのは想像していた以上に恥ずかしかったが、背に腹は変
﹂
えられない。宋正に文章の翻訳をお願いすると、彼女は目をまん丸に
﹂
元より願ってもないことなのだ。宋正の申し出に対する、一刀の答え
は決まっていた。
﹁申し出に感謝します。お願いできますか
様はお客様ですし、私の方が年下でしょうから﹂
﹁年下かなとは思ってましたけど、本当にそうなんですか
?
分よりも3つも年下だと言われても、納得できる容姿をしている。侍
いざ本人から年齢を言われてみるとどうにも信じがたい。確かに自
思わず、一刀は宋正を凝視してしまった。年下とは思っていたが、
﹁そうだと思いますよ。私は今年で十四になります﹂
﹂
﹁喜んで。ところで、もう少し砕けてくださって構いませんよ。北郷
?
14
して驚いた後、優しい笑みを浮かべて言った。
﹁でしたら、ご一緒に読み書きの勉強などいかがですか
﹂
ないと、正直暇なんです。私を助けると思って、お願いできませんか
﹁私は正式に北郷様付きになりましたから。北郷様から何かご指示が
﹁ありがたいお話ですが、そこまでしていただく訳には⋮⋮﹂
?
教 え て も ら う 相 手 か ら 頼 ま れ て し ま っ て は 断 る も の も 断 れ な い。
?
女らしくきっちりと服を着こなしてはいるが綺麗というよりは可愛
らしい面差しだ。一刀の世界の中学生よりもとても大人びて見える
﹂
のは、環境の違いに寄るものだろう。
﹁では、どうぞ
﹁解ったよ。これからもよろしく、宋正﹂
﹁私のことは功淑とお呼びください。真名で呼ばない、親しくさせて
﹂
いただいている方々は私をそう呼ばれます﹂
﹁了解。ところで真名って何だ
どで訓練をしている。家人の指示で使い走りをすることもあるが、警
は全て出勤。実働のおよそ半分が屋敷の警備に当たり、残りは中庭な
警備の総数は約百五十。およそ10日に一度休日があり、それ以外
用しているという。
必要になったその都度金で雇うのは信用できないとからと、常に雇
持っているのは、珍しいことではないらしい。
出 す る 時 な ど は そ の 護 衛 も 務 め る。有 力 者 の 間 で こ う い う 部 隊 を
荀家には、私設の警備隊がある。通常は屋敷の警護をし、家人が遠
も更に欲が出てきた。
二、三日指導を受けて、そう太鼓判を押してもらったところで、一刀
これならば、二週間もあれば読み書きはできるようになるだろう。
は、驚くほど早く進んでいる。
らないと思えば、本腰を入れてかかるべきと思っていた文字の指導
このちぐはぐさに功淑は戸惑った。当然知っているべきことを知
識を吸収していく。
と、何故だか会話は既にできることもあり、本人も驚く程の速度で知
るのだろうと不安に思っていたが、文字そのものは馴染みがあるこ
を教えてくれた。文章を読めるようになるにはどれだけ時間がかか
からこの国の歴史、風俗から社会情勢まで、功淑は一刀が求めた全て
れからは一刀と終日行動を共にするようになった。文字の読み書き
功淑本人が言った通り、彼女は本当に専属になっていたようで、そ
﹁││教え甲斐のある生徒を持てて、私も嬉しいです﹂
?
備をしていない時は大抵が訓練である。
15
?
一刀が勉強をしている時、中庭で訓練をしているのが見えた。勉強
に飽きたという訳ではないが、そろそろ身体を動かしたくなってきた
一刀は、その旨を功淑に伝えた。
﹁問題ないと思います。奥様と向こうの隊長には、私の方から話をし
ておきます﹂
﹁助かるよ。ありがとう﹂
﹂
﹁どういたしまして。ところで、北郷様は何か武術の心得がおありな
のですか
﹁じいさんに剣を少し││何もしてないよりはマシって程度かな。人
と戦ったのは、この前が初めてだよ﹂
剣道というジャンルに絞れば、二段である一刀の腕は高校生にして
はそれなりのものである。世間を見ればもっと強い奴はいくらでも
いたが、それはそれだ。
しかし、実際に真剣を持って戦うとなれば、話は大きく違ってくる。
死なない前提の剣道と、死と隣り合わせの実戦では、気の持ちようか
らして、大きく違う。すぐに元の世界に帰る見通しが立っていない以
上、身を守る手段というのはあって困ることはない。
できることなら一から剣の指導を受けたいと思っていたところだ。
警備の訓練に混ざれるならば、これ以上のことはない。
﹁それにしても、警備に話をつけられるなんて凄いな。功淑はもしか
して、えらい立場だったりするのかな﹂
﹁入ったばかりなので、書生の中では立場は低いですね。北郷様の専
属になったのも、年が近いからではないかと。警備に話をつけられる
のは、単純に年の離れた兄が警備隊長ですから、話をし易いというだ
けの話ですね﹂
大したことではない、という功淑の態度に過度の謙遜が見えた気が
した。これという根拠はないが、本人の言葉以上に、彼女は偉い気が
する。
書生というのが役職の一つを指し、家長である荀昆の弟子であるこ
とは知っていたが、具体的にこの家がどんな仕事をしているのか、実
のところあまり良く解っていない。下の方の立場であっても、普段は
16
?
仕事をしていたはずだ。それを良く解らない人間の世話を任された
のだから、腐っても不思議ではない。
内心でどう思っているのか知れないが、少なくとも功淑はそれなり
に楽しそうに講義をしてくれているのが、一刀にとって救いだった。
これ程熱意を持って勉強をしたことなど、過去にはない。思えば、勉
強のために時間を費やすことのできる環境が用意されていたことが、
どれだけ恵まれたことだったのか、この世界にやってきて初めて知る
ことができた。
元の世界に戻ることがあれば、今までよりもずっと真面目に学校に
通えるだろう。こんな美少女の先生はいないだろうことが、少し残念
ではある。
﹁うちの家の人間に、色目を使わないでもらえるかしら﹂
そんな邪な考えが、視線か態度に出ていたのか。これでもかという
くらいにトゲのある声に、一刀は思わず背筋を伸ばした。見れば、不
?
﹃気持ちの籠った言葉﹄とするなら、今の荀彧の言葉はまさに真逆であ
る。これほどまでにお前に興味を持っていませんよ、という感情を持
たせようと放たれた言葉を、一刀はいまだかつて聞いてことがなかっ
た。
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機嫌そうな顔をした荀彧がいる。不機嫌でない時がないくらい不機
嫌な少女は、足音も高く部屋を横切ると、卓に広げられていた書物を
見た。
﹁書庫で勉強をしてるって聞いたから来てみれば、随分と初歩的なこ
とをやってるのね﹂
﹁文の勉強を兼ねてるというかさ。恥ずかしい話、言葉は話せるけど
書けないんだよ、俺﹂
単に、あんたを罵ってみただけなんだから﹂
﹁一体どんな育ちをしたらそうなるのかしら││別に気になってない
からね
﹂
まぁ、どっちかと言えば、そっちの方が向いてるんじゃ
﹁明日から剣も学ばれるようですよ
﹂
﹁そうなの
ない
?
?
荀彧の声に、一刀は感嘆の溜息を漏らした。相手を慮ったものを
?
それ故に、もの凄く空々しい。荀彧に比べ、圧倒的に頭の回転で劣
る一刀でも、荀彧に別の意図があることを理解できてしまった。話が
途切れても帰る気配がないし、様子を見に来たというだけにしては腰
が重いのだ。少しの沈黙が流れる。それだけで、荀彧のイライラが増
したように一刀は感じた。
こつん、と一刀のつま先が小突かれる。宋正だ。視線を向けると、
﹂
﹂
宋正は一瞬だけ荀彧の方を視線で示した。その仕草の意味を察する
に││
なんで私が
﹁良ければ、荀彧も俺の勉強を見てくれないか
﹁はぁ
?
それができるようになると、後はひたすら勉強である。荀彧の言う
それから三日で読み書きを可能なものとした。
いもので、二週間はかかるという功淑の見通しを遥かにぶっちぎり、
一言で言うならスパルタである荀彧の講義はそれはそれは凄まじ
実行に移す。
えず罵詈雑言を浴びせた荀彧は、すぐさまカリキュラムを作り直し、
れば中々面白い奴ではあった。急ににこにこしだした一刀にとりあ
せられる罵詈雑言で心が折れてしまうのだろうが、それさえ突破でき
要するに感情表現が屈折しているだけなのだ。大抵の人間は浴び
りだが。
ことのできるそれなりに良い奴なのだと理解した。あくまでそれな
ばすような性格でも、他人のために骨を折って、そのために行動する
するように他人を見下しても、男というただそれだけで罵詈雑言を飛
その言葉と興奮した様子の荀彧の顔を見て、最高に頭が良くて呼吸
だし、私のやり方は功淑ほど甘くないから覚悟しておくことね﹂
﹁良いわ、教えてあげる。借りの清算も、早めにしておきたいしね。た
い息を吐きながら近くの椅子に腰をかけた。
ども続いていただろうか。流石に息が続かなくなっていた荀彧は、荒
ダメな精液男なのかを、豊富な語彙を尽くして罵倒し始める。十分ほ
いきなり怒鳴られてしまった。それから荀彧はいかに北郷一刀が
!!
所によれば、北郷一刀に才能はなく、精々下級の官吏にでもなって、慎
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!?
ましく一生を終えるのがお似合いだと言う。
だが、現状ではそれもままならないということから、役人になるた
めの基礎知識から徹底的に教え込まれた。理解できないと言うと、容
赦のない罵詈雑言が飛んでくる。最初こそ、その手加減のない物言い
に一刀でもイラっときたものだが、勉強にある程度こなれてきて、相
対的に罵詈雑言が少なくなってくると、それだけ物足りなくなってし
まう。
自分はもしかして、精神的なドMなのかと、こんな世界に来て気づ
くというのも奇妙な話である。
﹁実際、お嬢様は北郷様のことを良く思っていると思います﹂
﹁そうかな││﹂
つかの間の休憩時間である。荀彧が荀昆に呼び出されて席を外し
ている間に、功淑が耳打ちする。実感ができない一刀は功淑に疑問の
声を挙げたが、彼女は当然です、とばかりに力強く頷いた。
就職活動の邪
?
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﹁まず、お嬢様は極力男性とは会話をしようとしません。するとして
も、とても短く済ませます。まして、大恩あるとは言え、自分から男
性の教師役を言い出すなんて、これはもう何かあるとしか思えませ
ん﹂
﹁その何かが殺意とかでないことを祈るよ⋮⋮﹂
ツンデレというものがあると聞いたことはあるが、デレがないツン
デレというのも存在するのだろうか。少なくとも優しい言葉をかけ
てもらった記憶は、一刀にはない。仲良くなればそういう時も、もし
かしたらあるのかもししれないが、年頃の少女らしく頬を染めて、男
を前に恥じらう荀彧など想像することもできない。
きっと、仲良くなっても彼女はずっとツンのままなのだろう。そん
な気がするし、そうであってほしいとも思う。
﹁戻ったわ。さぁ、また死にもの狂いで学んでもらうから、覚悟なさ
い﹂
今荀彧って無職なんだろ
?
﹁聞くにしても今さらだとは思うけど⋮⋮俺に教えてくれるのはあり
﹂
がたいけど、良いのか
魔にならないか
?
﹁惰眠を貪ってるだけのアンタと一緒にしないでもらえる
操様のところへ文を出したわ。今はその返事待ちよ﹂
﹂
﹁そうか。受かると良いな﹂
﹁私が落ちる訳ないでしょ
﹁そうか。俺も信じてるよ。荀彧が受かるの﹂
彧くらい優秀な人間であっても消せないのだ。
もう曹
全に排除することはできない。もしかしたら、という疑念は例え、荀
る。不確定要素というのは限りなく無に近づけることはできても、完
に必ずしも結果が伴う訳ではないことは当の荀彧が一番理解してい
荀彧にとって自分が特別優秀であるというのは事実であるが、それ
にはなるのだろう。
の荀彧は常にイライラそわそわしているという。自信があっても気
りはとても楽しい。落ちる訳ないと荀彧は言うが、功淑の話では最近
かんでいた。口を開けば罵詈雑言が出てくるのでも、こういうやり取
こいつめんどくさいなぁ、とは思いつつも、一刀の顔には笑みが浮
?
﹂
﹁そのムカつく笑いを今すぐ引っ込めなさいよ 一体何がおかしい
の
!
は笑いながら逃げ出していく。部屋の中で始まった追いかけっこを、
功淑はにこにこと眺めていた。
20
!?
頭から湯気でも出しそうな顔色で掴みかかってくる荀彧から、一刀
!?