1 2016 年 5 月 1 日 聖書:ヨハネ 聖書:ヨハネ 21章 15-23 節 タイトル:復活の主とペテロ タイトル:復活の主とペテロとの 復活の主とペテロとの対話 との対話( 対話(その 2):使命に生きる教会:相互に牧会する教会 序 論 ●私達は、今年 私達は、今年イエス様の復活を記念する『 今年イエス様の復活を記念する『イースター イエス様の復活を記念する『イースター』を イースター』を 3 月27日という比較的早い時期に祝った。 そして、早くも、それから 1 か月が過ぎた。 ●イエス様は、復活された後、 イエス様は、復活された後、40 た後、40 日間、見える形で 日間、見える形で幾度も弟子たちと人々の前に現れては、会話、対 見える形で幾度も弟子たちと人々の前に現れては、会話、対 話をなさった。 ●そして、その後、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って そして、その後、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って父なる神様のもとへ帰られた 、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って父なる神様のもとへ帰られた。 父なる神様のもとへ帰られた。 ●今日を含めて、この数週間礼拝 今日を含めて、この数週間礼拝で学んで来た を含めて、この数週間礼拝で学んで来た聖書の箇所 で学んで来た聖書の箇所は、正にそれらの時のものである 聖書の箇所は、正にそれらの時のものである。 は、正にそれらの時のものである。 ●それら弟子たちと復活の主との れら弟子たちと復活の主との出会い 弟子たちと復活の主との出会いの経験 出会いの経験、会話、対話の の経験、会話、対話の目的は 、会話、対話の目的は、 目的は、何であったのか? それは、イ エス様が十字架と復活によって準備された『 エス様が十字架と復活によって準備された『福音』 福音』を世界中の人々に 世界中の人々に告げ知らせるために、弟子たち 告げ知らせるために、弟子たち を使者として派遣 を使者として派遣するために 派遣するために準備することであった するために準備することであった。 準備することであった。 ●先週も、 先週も、その一環として大切なことを二つ学んだ。 1.まず、第一に、 1.まず、第一に、私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という まず、第一に、私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という確信 私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という確信 と喜びを自分のものと と喜びを自分のものとすること することである ことである。 である。だから、 (1)イエス様は (1)イエス様は 3 回イエス様を拒んだペテロに、 回イエス様を拒んだペテロに、3 ペテロに、3 回その愛と使命を確かめられ、その対話を通 して『あなたの赦しは、Done して『あなたの赦しは、Done deal,既に終わったことだよ』と宣言しておられるのである。 deal,既に終わったことだよ』と宣言しておられるのである。 (2)この確信 (2)この確信と喜びなくして この確信と喜びなくしてクリスチャン生涯を歩むことは、野球で言うなら、ファーストベー と喜びなくしてクリスチャン生涯を歩むことは、野球で言うなら、ファーストベー スを踏まないで、2 スを踏まないで、2 塁、3 塁、3 塁、ホームを踏もうとするのと同じである。最後はアウトである。 (3) (3)すべては、ファーストベースを踏むことから始まるのである。ファーストベースをいい加減 すべては、ファーストベースを踏むことから始まるのである。ファーストベースをいい加減 にすることは、すべてを無にすることである。 (4) (4)しかも、そのためにあなたのするべきことはない。すべては しかも、そのためにあなたのするべきことはない。すべてはイエス様があなたのためにあの のためにあなたのするべきことはない。すべてはイエス様があなたのためにあの 十字架であなたのために呪われ、命を捨てて成し遂げて下さったのである。 (5) (5)私たちのするべきことはたった一つ、信じて『ありがとう』と言って受け取るだけである。 私たちのするべきことはたった一つ、信じて『ありがとう』と言って受け取るだけである。 (6)クリスチャン生涯も、宣教も、すべては、このイエス様の十字架による罪の赦しに対する感 謝から始まるのである。 2.第二は、誰よりも、何にもまさって、私の罪のために命を捨ててくださったイエス様を愛するこ 2.第二は、誰よりも、何にもまさって、私の罪のために命を捨ててくださったイエス様を愛するこ とである。即ち、 とである。即ち、イエス様は、 即ち、イエス様は、『 イエス様は、『Do you love me more these?』と聞かれるのである。 these?』と聞かれるのである。 (1)私たちの信 (1)私たちの信仰の究極は何か? 私たちの信仰の究極は何か? それは、私達が それは、私達が神様と 私達が神様と『 神様と『愛し、愛される夫婦のような相思相 愛し、愛される夫婦のような相思相 愛の関係 愛の関係』 関係』に入ることである。だから、イエス様は花婿で、私達は花嫁に譬えられるのである。 に入ることである。だから、イエス様は花婿で、私達は花嫁に譬えられるのである。 (2)勿 (2)勿論、愛の量や、質から言って、それは神様のそれと比べるものではない から言って、それは神様のそれと比べるものではない。 ものではない。雲泥の差である。 しかし、神様は、それが しかし、神様は、それがどんなにちっぽけなものでも、 なものでも、私たちの でも、私たちの心が欲しいのである。 (3)だから神様は『聖書の中で一 (3)だから神様は『聖書の中で一番大切な戒めは、あなたの心と思いと力を尽くして神様を くして神様を愛す 神様を愛す ることである』と言われる ることである』と言われる。 言われる。あなたなりのベストが欲しいのである。Do しいのである。Do your best!!である。 である。 (4)悲しいことは、沢山の人々が、神様に愛されることで満足してしまっている してしまっていることである しまっていることである。し ことである。し かし、それで かし、それでは決して信仰の究極の醍醐味を味わえない。神様は わえない。神様は、 神様は、私達が力の限り、思いの限 りを尽くして、神様を愛することを くして、神様を愛することを求めておられるのである。 めておられるのである。 (5)それゆえ、イエス様は、ペテロに、『私は知っている。あなたが、長い間慣れ親しんできた 釣り舟、漁のための網、漁の仕事そのもの、更には、漁師仲間たち、そしてあなたの兄弟アン デレ、家族を愛していることを。しかし、私はあなたに聞きたい、それらの愛にまさってあな たは私を愛するか?』 たは私を愛するか?』と。私たちもペテロと ?』と。私たちもペテロと共に Yes, I do と答えるものでありたい。 ●さて、今日は、そのペテロとイエス様の対話の続きである。 ●イエス様は、ペテロを宣教の使者、即ち、 イエス様は、ペテロを宣教の使者、即ち、イエス様のことを 即ち、イエス様のことを証し、伝えるために、次に、どのような 準備をされたのか? ●即ち、イエス様は、 即ち、イエス様は、「罪の赦しを確信し、イエス様を何ものにもまさって愛すると告白した」ペテロ に、次に何を言われたのか? 本 論 Ⅰ.「私の羊の牧者となるように」と言う使命を与えられたのである。 2 A.即ち、イエス様は言われた。『私の小羊を飼いなさい Feed my lambs』(15)、『私の羊を牧しなさい Take care of my sheep』(16)、『私の羊を飼いなさい Feed my sheep』(17)。 1.これが、イエス様が 1.これが、イエス様がペテロに これが、イエス様がペテロに託された『使命』である。 された『使命』である。『人間の牧者』になることであった。 2.ここで、イエス様 2.ここで、イエス様は、 ここで、イエス様は、似てはいるが、少しづつ違っている表現をもって、ペテロに 現をもって、ペテロに 3 回繰り 返して、この『使命』を伝えた。 3.似ているが、少しづつ違った表現とは、 現とは、 (1)『 (1)『小羊』『羊』であり、 (2)『 (2)『飼う』『牧する』であった。 う』『牧する』であった。 4.これらの言 .これらの言葉は、ヘブル語の『並行法』的修辞表現から言って、一 現から言って、一方ではその使命の ではその使命の細かい 内容を暗示すると共に、他方、その使命の全体を総合的に描いていると言える。 5.即ち、ペテロの使命は、小羊から始まって成長した大人の羊に至るまで、すべての るまで、すべての羊、彼ら に食べ物を与え、養い、ケアーし、世話をすることであった。即ち、羊の『牧者』となるこ とであった。 6.それは、勿論、比喩的表現である。昔は魚を獲る漁師であった男が、これからは、 が、これからは、羊を飼う 羊飼いになると言う いになると言う文字通りの解釈ではない。 B.『人間は羊で、神様がその羊飼いである』と言う比喩的イメージは、旧約聖書の時代から人間と神様の関 係を説明するために使われている最も典型的なものである。その例は枚挙に暇がない。 1.詩篇 23: 23:1 主は私の牧者であって、私には 主は私の牧者であって、私には乏しいことがない。 2.詩篇78:52 神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し・・・。 3.詩篇80:1 イスラエルの牧者よ。聞いてください。 エルの牧者よ。聞いてください。ヨ 。聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる 方よ。 4.イザヤ40:11 主は羊飼いのように、その いのように、その群れを飼い、御腕に、子羊を引き寄せ、ふと ころに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。 5.エレミヤ31:10 イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が め、牧者が群れを飼うように、こ うように、こ れを守る。 6.エゼキエル34:11-14 まことに神である主はこう仰せられる。見よ。私は自分で私 まことに神である主はこう仰せられる。見よ。私は自分で私 の羊を探し出し、これの世話をする。 し出し、これの世話をする。・・・・。 7.ヨハネ1 7.ヨハネ10:11 私は良い牧者です。 い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。 8.私たちは、譬えると羊のような存在である。それゆえ、羊が羊飼い、牧者を必要としている ように、牧者として神様を必要としている。これが聖書のメッセージである。 C.しかし、更に、『大牧者』なる神様は、その牧者の仕事を、私たちを『小牧者』として任じ、私たちに委託して おられる。 1.旧約聖書が、まずそのことが記している。 聖書が、まずそのことが記している。 (1)詩篇 77:20 あなたは、ご自分の 自分の民をモーセとアロンの手によって、 によって、羊の群れのよう に導かれました。 (2)詩篇78:70-71 主はまたダビデを選び、羊のおりから彼を召し、乳を飲ませる 雌羊の番から彼を連れて来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを牧するよ うにされた。 (3)ここで言われているこ (3)ここで言われていることは、『大牧者』なる神様が、その ここで言われていることは、『大牧者』なる神様が、その仕事をモーセ、アロン、ダビ デに『小牧者』として使命を与え、託しておられることである。 2.更に、新約聖書を見てみると: (1)まず、 1)まず、今日の聖書 まず、今日の聖書である 今日の聖書であるヨハネ であるヨハネ 21 章である。ここで、 章である。ここで、 ●イエス様はペテロに イエス様はペテロに『私の ペテロに『私の羊を養いなさい』『私の小羊を飼いなさい』と言われた いなさい』と言われた。 と言われた。 ●これこそ正に、大牧者であるイエス様が、 これこそ正に、大牧者であるイエス様が、小牧者としてペテロに人間を牧するように 使命を委託されたところである。 (2)そして、ペテロは、 (2)そして、ペテロは、やがて晩年にこう言った。『あなたがたのうちに 年にこう言った。『あなたがたのうちにい あなたがたのうちにいる、神の羊の群 れを、牧しなさい。・・・そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼ むことのない栄光の冠を受けるのです』( を受けるのです』(Ⅰペテロ 5 章 2-4 節)。 (3)また、 (3)また、パウロは、エペソの教会のリーダーたちにこのように言った。 ーたちにこのように言った。 3 『あなたがたは、自分自身と、群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の 血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立て になったのです』 になったのです』(使徒の働き 20 章 28 節) 3.このように『 .このように『大牧者』 大牧者』である神様、また である神様、またイエス様は、私たちに またイエス様は、私たちに『 イエス様は、私たちに『小牧者』 牧者』として、 として、羊である 人々を 人々を飼い、導き、世話をする仕事を与えられた えられた。これが私たちの生きる『使命』である。 4.殊に、牧師、信徒の区別を超えた『万人祭司』を奉じるプロテスタントにとって、すべての 人が、すべてのクリスチャン 人が、すべてのクリスチャンが、 すべてのクリスチャンが、この使命を が、この使命を担っている。言い換えるなら、このときこの 使命を任じられたのはペテロだけではない、私たちすべてである、 じられたのはペテロだけではない、私たちすべてである、ということである。 、私たちすべてである、ということである。 D.そこで、ここで短く、イエス様が私たちに与えられた人生の『使命』の性質と内容に触れたい。、 1.この『使命 1.この『使命』の 使命』の性質は、単なる義務やお勤めではない。 (1)先週も (1)先週も触れたが、ペテロの れたが、ペテロの場合がそうであったように、この使命はイエス様が、その十 がそうであったように、この使命はイエス様が、その十 字架のゆえに無条件で下さった『罪の赦し』への『 で下さった『罪の赦し』への『感謝』 感謝』の心から生まれるものである。 (2)また、それは、『私を愛するか?』と (2)また、それは、『私を愛するか?』と尋ねられる、イエス様への愛の られる、イエス様への愛の応答、実践である。 ある人が言うように、愛は『名詞』ではなく『動詞』である。愛は何かをするのである。 』である。愛は何かをするのである。 (3)それは (3)それは決して義務の心からではない。 からではない。教会と言う ではない。教会と言う団体に属しているからしなければなら ない『奉仕』『義務』『責任』ではない。愛から出る自由で、自発的な応答である。 (4)だから、 (4)だから、報われても報われなくても、うまく行っても、うまく っても、うまく行かなくても、 かなくても、やめない のである。愛の のである。愛の行いには失望がないからである がないからである。 からである。 (5)また、何年経っても、何 (5)また、何年経っても、何歳になっても、事情が変わってもやり続けるのである。 2.この『使命』の内容は、 (1)一言で言うなら、教会に (1)一言で言うなら、教会に集まって来た方々、メンバーに対して、羊飼いが羊を世話し、 養い、守り、導くように、互いにケアーし合うことである。 (2)イエス様は、 (2)イエス様は、真の羊飼いと雇われた臨時の羊飼いの違いについて言われた。。「私は良 い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者ではなく、また羊の所有者 でない雇人は、オオカミが来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。そ れで、オオカミは羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇人であって、羊のこと を心にかけていないからです」(ヨハネ 10 章 11-13 節)。 (3)もし、教会員のひとりひとりが「牧者の心」をもたなければ、教会はバラバラになって しまう。しかし しまう。しかし、 しかし、もし、みんなが「牧者の心」を持つなら、信仰をもったばかりの小羊 を始め、助けを必要とする弱っている羊たちが強くなり、ひいては群れ全体が強くなる。 くなる。 (4)しかし、イエス様は、牧者の働きは「それだけではない」と言われた: と言われた:「私には、こ の囲いに属さないほかの羊があります。私はそれをも導かなければなりません。彼らは、 私の声に聞き従がい、一つの群れ、一人の牧者になるのです」(ヨハネ 10 章 16 節)。 (5)そうである。牧者の使命は、 そうである。牧者の使命は、単に教会の中の人々だけでない。まだ教会に来ていない人、 信者でない人、文化は勿論のこと、宗教も、何もかも違う人も、ケアーするのである。 (6)具体的には、様々な 的には、様々な救済活動や友好 動や友好活動を含め伝道・宣教の働きはそれらに きはそれらに当たる。 (7)私たち、WIJCのメンバー一人一人が、そのような「使命」を常に意識し、毎日の生 活の中で、個人的な証しとして、また教会として協力し、イベント、プログラムとして 実践していけるように、励まし合っていきたい。 結 論 ●私が信仰を持った頃、「総動員伝道」という伝道キャンペーンが流行っていた。簡単に言うなら、伝 道は、牧師一人がするものではなく、教会のみんなが、「総動員」でするものだと言う考えである。 ●そのキャンペーンを説明する中で用いられている二つのイラストを忘れることができない。どちらも、 ボート競技の絵である。一つは、舟の先で、メガホンをもって、オールをもって漕いでいる他の全員 に掛け声をかけている。もう一つの絵は、その反対に、一人の 対に、一人の男が舟の先で必死に舟を漕いでおり、 いでおり、 そのひとりの漕ぎ手に向かって全員がメガホンで激を飛ばし、励ましている絵である。 4 ●これが、現代の多くの教会にし くの教会にしばしば見る絵である。牧師だけが伝道と牧会の活動をして、信徒たち はそれを言葉で応援し、指示しているだけ。しかし、本当のあるべき姿は、牧師の激励の言葉で信徒 の方々が総動員で、舟を漕ぐように、伝道と牧会のために動くことである。 ●みんな忙しい。それぞれにやるべきことがあるからである。でも、 るべきことがあるからである。でも、昔読んだ本に、「部長さん、日曜 日に牧師となる」と言うのがあった。私でも知っているある有名な一流の会社の部長さんが、同時に、 日曜日には牧師として説教し、教会のご奉仕をしていると言う証であった。この であった。この部長さんは、ある意 味で、一人で二人分生きていたのである。 で、一人で二人分生きていたのである。 ●メソジストの創立者ジョン・ウェスレーは、「5 人分の人生」を生きた人だと言われた。勿論、彼は 傑物だったと言えるかもしれない。でも、私たちの周りでも、人の何倍も忙しく生きている人、即ち、 一人で、人の二 一人で、人の二倍も、三倍も仕事をしている人、生きている人もいる。 をしている人、生きている人もいる。 ●あなたも、そのような人生を、単に自分のため、自分の家族のためにするのではなく、イエス様のた めにしてみませんか? ●ペテロは、自らの罪の赦しを確信し、「あなたは私を愛しますか」とイエス様に尋ねられ、「ハイ」 と答えたとき、イエス様から えたとき、イエス様から「私の羊を飼いなさい、養いなさい」と、牧会と伝道の使命を託された。 ●それは、私たちも同じである。ペテロと同じように、罪の赦しの恵みを頂き、主に対する愛の告白を 果たした者は、イエス様から、ただに自分のために生きるだけでなく、他の人々のためい生きるよう に招かれている。召されているのである。 ●あなたも、「私の羊を飼いなさい」とイエス様が言われ イエス様が言われ、 言われ、総動員でするべき、牧会、また伝道活動を、 あなたの人生の「使命」として実行・実践しているだろうか?? ●イエス様は言われた:私の羊を飼いなさい、私の羊を養いなさい。 いなさい。みんなで牧会をする、 んなで牧会をする、伝道をする 教会になりたい。
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