勲四等 宮本雄一郎 (殊 岳山民居士 ) 阿円忌法要 と き 平成6年 ところ lll田 5月 29日 (日 ) 10時 院 宮本家 ( 1 明治 瞑 21. 22。 24. 伊ゴ ヽ ` 年号石 29。 33. ■喩 33. Q︶ /一 Qし 4 35。 一〇 R︺ ﹁1・ イ劇﹃一 ・ I I避 FI 露 宮本雄 一 郎 の略歴 雄 10年 9月 12日 城東郡下朝比奈村 11番 地に 小野伊太郎 ,く まの長男 として生まれ名 を熊太郎 明治 27年 1月 16日 同村 99番 地 宮本庄平,た き の三女か つ と婚姻 明治 31年 6月 24日 座平 の養嗣子 明治 31年 7月 15日 雄一郎 と改名する 明治 顧 ① 鶴︾ ( )内 は辞令発行所名・参考事項 明治 時代 21. 3 22. 3 24. 3 年号不詳 29。 1 34. 34. 9 33。 1 4 33. 33. 池新田村立尋常小学校卒業 池新 田村立尋常小学校補習科卒業 (下 上朝比奈合併 朝比奈村 となる) 南 山村私立高陽舎退舎 (明 治 19年 開校 相草村双松学舎の前身) 緑茶製法第 2等 の修成 (小 笠郡 製茶専修所教師 立花兵吉。理事 鈴木勝太郎 小笠郡茶業組合長監督 栗田淳吉) 朝比奈村報徳社 を結社 社長に就任 (佐 野郡 城東郡 を併せ て小笠郡 と改称 する。) 朝比奈村農事教師を委託 (朝 比奈村農会) 2回 第 静岡県稲模範作競進 会小笠郡審査員 を委託 (会 長 イヽ 野田光熙) 立憲政友会静岡県支部小笠郡評議員を委託 (立 憲政友会静岡支部小笠郡事務所) 小笠郡農業会農事巡回教師補 を委託 明治 35年 2回 (小 笠郡農会 年間手当金 50円 を支給 年間手当金 100円 を支給) 第 1回 小笠郡麦模範 作競進会審査員を委託 (小 笠郡農会長 松浦五兵衛) 第 3回 静岡県稲模範作競進 会小笠郡新野村出品地審査長 宮本雄一郎 上 静岡県稲模範作競進会規定第 5条 に依 り審査長を嘱託 (小 笠郡新野村農会 35。 35. 事務長 吉野茂八) 小笠郡物産陳列館書記を嘱託 (小 笠郡物産陳列館 年間手当金 20円 を支給す) 実務青年議会名誉会員を嘱託 (実 務青年会議会) 37n 教師補 150円 書記 30円 ) 静岡県臨時経済調査施行規定第 3条 により本部朝比奈村主査 を嘱託 郡農 会農事巡 回教師補兼書記 を嘱託 (小 笠郡農会 年間手 当 ︵︶ ´ , /1N笠 ^Ж ︶ 86. (小 笠郡農会長 37。 10 1 39。 1 2 38. 松浦五兵衛 ) 第 1回 小笠郡稲選抜競進会郡 審査員 を嘱託 明治 38年 再度嘱託 (小 笠郡農会長 松浦 五兵衛 ) 小笠榛原連合茶研究 会小笠郡委員 を嘱託 (4ヽ 笠郡茶業組合長 松浦五兵衛 小笠郡凱 ○回米他 9晶 目品評会審 査 員 を嘱託 (小 笠郡農会長 39。 松浦五兵衛 ) 小笠郡茶業組合委員 に就任 小笠郡茶 業組合常任委員 に就任 39。 40。 朝比奈村会議員 2級 選挙に当選以来昭和 4年 退任するまで連続 22年 間 議会議員 に就任 40. 小笠郡製茶研究試験委員 を嘱託 41。 静岡県茶業組合連合会議所議員 に就任 第 1回 小笠郡小作米晶評 会審査 委員 を嘱託 4 6 42。 42。 44. 明治 44年 ,大 正元 年 , 3年 ,4年 度嘱託 朝比奈村名誉職助役 に選任 松浦五兵衛 ) ^ 一 42。 (小 笠郡茶 業組合組長 (松 浦五兵衛 富田庄吉 ) 朝比奈村名誉職村長 に当選以来昭和 18年 11月 辞任 まで 33年 間村政 を担 当 小笠郡会議員に当選 (朝 比奈村 G新 野村・比木村 の選挙区)大 正 4年 9 月満期退任 44。 10 帝国在郷軍人会朝比奈分会特別会員に推薦す (帝 国在郷軍人会朝比奈分会 ) 44. ・ 一 . 大 日本報徳社参事 に就任 小笠郡参事会員に当選 大正時 代 (小 笠郡米穀改良組合長 2。 9 米穀改良事項調査委員 を嘱託 3. 2 小笠郡茶業大会提 出研究事項其村調査会委員 に嘱託 朝比奈村農会長 に 当選就任 小笠郡町村長会幹事 に 当選就任 3。 第 1回 小笠郡俵米品評会審査員 を嘱託 5。 7。 8。 4 2 9 5. 松浦五兵衛 ) 大正 6年 再度嘱託 (小 笠郡米穀改良組合長 富田庄吉 ) 茶業組合 中央会評議委員 に 当選 小笠郡農会幹事 を命ず (小 笠郡農会長 松浦五兵衛 ) 小笠郡選挙区で静 岡県議会議員 に立候補 し初 当選 一 一 ″. ・ r ︵ ・ . ´ 一 ﹁・ . (小 笠郡茶業研究会長 富田庄吉) を嘱託 甫五兵衛 ) 属託 甫五兵衛 ) 会浦五兵衛 朝比奈村共益信用購買販売利用組合 を設立 理事組合長 に就任 小笠郡町村会副会長 に就任 静 岡県町村長会常任幹事 に就任 8。 30円 ) 9. 10。 静 岡県参事会員 に就任 同仁会静岡支部小笠郡委員部朝比奈村委員を嘱託 11. (同 仁会静岡支部長 11,10 小笠郡農会施設農業経営研究場商議員を嘱託 (小 笠郡農会長 歯五兵衛 ) 11. 12。 売22年 間 12。 12。 2 10 11 〕年間村政 に正 4年 9 12。 12 小笠郡選挙区 で静 岡県議会議員再選 臨時震災救済委員を嘱託 昭和 2年 再度議長就任 (第 22代 ) 職務勤励 に付慰 労金 12円 を支給 臨時震災救済委員 を解 く (静 岡県 ) (静 岡県警察部 ) (大 日本報徳社 ) (静 岡県 ) 13. 静 岡県茶業組合連合会議所理事 に就任 し昭和 16年 辞任 まで 17年 間就 (静 岡県 ) 任 13. 12 13年 度製茶生産改良調査委員 を嘱託 大 正 14年 015年 。昭和 2年 同嘱託 (茶 業組合 中央会議所会長 14。 大谷嘉兵衛 松浦五兵衛 ) 日本緑茶販路拡張連合特別委員会幹事 本緑茶販路拡張連合特別委員長 中村円一郎 ) 日本緑茶販路拡張 の成績視察 のため北米合衆国に出張 同年 3月 帰国 静 岡県町村会会長 に就任 昭和 9年 任期満 了まで 9年 FED (日 1■ PЭ 一Э 五兵衛 ) 護 日本報徳社 ) 1 2。 野田庄吉) r田 庄吉 ) (大 松浦五兵衛 ) 震災復興調査 を嘱託 静 岡県町村長会冨1会 長 に就任 ヒ奈分会) 五兵衛) 訂 産業組合静岡支部監事 を経 て理事 に就任 大 日本報徳社監事 に 当選 大 正 15年 再度 当選 小笠郡 朝比奈村消防組合組頭 を命ず 静 岡県議会議長 に就任 (第 19代 ) 著五兵衛) ぎ田庄吉) 道岡秀彦) 同年同会顧間 に就任 昭和時代 2。 4 2. 1 0 2. 11 3。 3. 7 9 同年 か ら 14年 まで 13年 間在任 (茶 業組合 中央会議所会頭 松浦五兵衛 中村円一部 ) 小笠郡選 挙区 よ り立候補静 岡県議会議員に連続 3回 :当 選 2年 度販路拡張委員 を嘱託 静岡県蚕業奨励員を嘱託 (静 岡県) 静岡県臨時道路調査会委 員を嘱託 (静 岡県知事 長谷川久一) 製茶取引交渉並 びに生産需要状況調査 のためソビエ ト連邦 に出張 同年 11月 帰国 全国町村長会常任幹事 に就任 3。 4. 4. 6 7 (全 国町村長会 政務調 査会委員 を嘱託 昭和 4年 6月 朝比奈村 自治研究会創 立 ) ]. 総会 の決議 によ り本会顧 間 に推選 (朝 比奈村 自治研究会会長 4。 4。 9 12 4。 5 5。 公私経済緊縮静 岡県地方委員会委員 を委嘱 (静 岡県知事 自根竹介 ) 製茶取引交渉並 び に生産需要状況調 査のため朝鮮 ,満 州 9支 那に出張 5。 11 6。 7 6。 1 0 6. 7. 2 7.10 8。 7 ll. 全国町村長会政務調査会委員 に就任 朝比奈村 の 区域 に於 いて家屋税調査員に当選 11年 3回 当選 (静 岡県知事 9 ll. ll, 同年 11月 帰国 茶販路拡張事業成績視察 のため,北 米合衆国及び英領 ,加 奈陀に出張 26日 横浜 出帆 バ ンクーバー,シ ャ トル,シ カ ゴ,桑 港経由 翌年 1月 帰国 昭和 9年 , 5。 鈴木由平 ) 自根竹介 田中広太郎 斉藤樹 ) 小笠郡教育会笠南支部 の特別委員 に推選 (小 笠郡教育会笠南支部長 藤江忠四郎) (浜 松市長 中村陸平) 浜松市主催全国産業博 覧会の顧間 を嘱託 全国町村長会政務調査会臨時委員を嘱託 (全 国町村長会) 静岡県議会議員 を退任 在職期間 12年 小笠郡農会長 に就任 第 18回 衆議院議員総選挙 に静岡県 1区 より立候補初当選 製茶取 引交渉並びに需要状況調査並びに各軍隊 における本県出殊将兵各 位慰間 のため,朝 鮮 ,満 州,支 那 に出張 同年 11月 帰国 (茶 業組合中央会議所及び静岡県町村長会) (静 岡県海タト協会長 田中広太郎) 静岡県海外協会調査委員を嘱託 米国市俄古進歩一世紀万国博覧会出品並びに宣伝事業監督のため北米合 衆国 に出張 製茶需要関係 に付視察調査 のため北 アフリカ,モ ロッコ地方に出張 在留邦人調査 のためア メリカ,英 国, ドイツ,佛 国,ス ペ イン,モ ロツ 12。 コ,イ タリアその他 に出張 14・ 在留邦人特 に県人の慰問,県 民将来移住に対す る調査。海外移民 の発展 上必要な施設 の研究等 のため出張 西班牙 (マ ドリッ ド)に 於 いで開会 の第 29回 列国議会同盟会議 に政友 l毛 会議員 として参列 同年 11月 3◎ 日帰国 (以 上 4件 の出張 は茶業組合中央会議所 日本緑茶販路拡張連合会特lll 委員会 静岡県海外協会。衆議院関係の出張) 8. 全国町村長会政務調査会委員を辞任 l二 .l 14・ 14. ・ 村長会) 9. 1。 1 6 2 5 9。 1. 木由平 ) 6 7 根竹介) に出張 (静 岡県警察部 ) 朝比奈村消防組依願組頭 を辞任 11年 間在職 (帝 国軍人後援会静岡支部長 田中広太郎 ) 小笠郡部会副長 を嘱託 19回 衆議院議員総選挙 に静 岡一 区 より立候補 再選 第 大 日本国防婦人会朝 比奈村分会顧 間を嘱託 (大 日本国防婦人会三遠本部長 柴 山まさ) 岡県 ) (静 静 岡県茶業改善委員会委員 を嘱託 標準茶設定委員 を嘱託 1 1。 4 12. 12年 , 13年 3カ 年間在任 (茶 業組合 中央会議所会頭 8 に出張 昭和 静 岡県方面参事 を委嘱 中村円一郎 ) (静 岡県知事 斉藤樹 ) 第 20回 衆議院議員総選挙 に静岡一 区 より立候補 し三度当選 昭和 17年 4月 任期 まで 10年 間衆議員 として国政 に参画 の情勢 は誠 に有為転変極 まりな いものがあ り昭和 12 (注 )わ が 国内タト 年 7月 起 こつた 日華事変 は 日華間の全面戦争に発展 し昭和 16年 12月 には太平洋戦争 の開始 とな り,そ の間内閣は林内閣 につい で近衛第 1次 ,平 沼 ,阿 部 ,米 内,近 衛第 2次 ,3次 ,東 条内閣 と更送相次 ぎ昭和 15年 10月 大政翼賛会 の発足 に先立ち,各 政 党 の解消 が行なわれ ,外 に於 いては昭和 14年 9月 第 2次 世界大 斉藤ila) 忠 四郎 ) 戦 が始 まり翌 15年 9月 には, 日,独 9伊 3カ 国軍事同盟 の締結 とな つて いる。前 回 の選挙 による衆議院議員の任期 は昭和 16年 4月 29日 まで とあるが時局 に鑑み同年 2月 24目 法律 4号 で任 期 が 1カ 年延長 されたが翌 17年 1月 マニ ラ 占領 , 2月 シンガポ 村陸平 ) 村長会) ール 陥落等 わが軍 の赫 々たる戦果 の挙がる情勢 であ つたので延期 されて いた総選挙 が 4月 に執行 されることになった。 身将兵各 12。 13。 2 静 岡県司法保護常務委員会顧間 を嘱託 ′ 一︵ ′ヽ‘ )モ ロッ 10 2 一 ´一 出張 罠の発展 ︶ ′︺・ 合会特別 ″一 一 ■ ・ 議に政友 本赤十字社静岡支部長 飯沼一省 ) 遠州小笠藁 工 品同業組合朝比奈村選 出代議員 に当選 (遠 州小笠藁工 品同業組合組長 榛葉忠蔵 ) 朝比奈村農地委員会会長 を命ず (静 岡県) (日 ^く︶ 村長会) 広太郎 ) め北米合 日本赤十字社静 岡支部小笠郡 朝比奈村分区長を嘱託 (全 日本司法保護事業連盟会長 司法大臣 塩野秀彦) 静岡県国防協会小笠郡支部顧間を嘱託 (静 岡県国防協会会長 山崎巌) 静岡県連盟保護会堀之内支部評議員を嘱託 (静 岡県違盟保護会堀之内支部長) 堀之内区司法保護委員会参事を嘱託 , (司 法省) 小笠郡茶 業組合長 に就任 : 朝比奈村国民健康保険組合 許可指令を得て設立組合長に就任 静岡県農会評議員に当選 15. 国民健康保険委員会規程第 5条 第 1項 第 2号 に依 り静岡県国民健康保険 委員会委員 を命ず 生省) 15. 12 16. 1 静岡県支部願間を委嘱 16年 度人事調停委員 に選任 17年 18年 19年 , 20年 , 2 4 16. 16. , (静 岡地 方裁判所長 小笠郡協力会議員 を委嘱 17. 18。 18. 19 19年 5 48 12 三 中島登喜治 (大 政翼賛会総裁 上田 操 ) 近 近 f “ f == ル は 1 l rl 蚤富; 尋 一 王 総裁 薙仁親 妃勲 等勢津子) 会長 厚生大臣 金光康夫 ) 茶業組合中央会議所議員に当選 静岡県支部顧問 小笠郡支部顧問 小笠郡支部協会議員 小笠郡朝比奈 村支部顧 間を委嘱 (大 政翼賛会総裁 東条英機 ) 静岡地方社会保険審査会委員 を命ず (厚 生省 ) 小笠地 方事務所参与 委員 を委嘱 (静 岡県知事 藤岡長敏 ) 小笠郡協会議員 を委嘱 (大 政翼賛会総裁 東条英機 ) の によ く り参 願 事 役 を解 (大 日本報徳社 ) 日本赤十字社静岡支部小笠郡朝比奈村分会長を解嘱 し嘱託 中の儘力 を請 す (日 本赤十字社静岡支部長 今松治郎 ) 堀之内少年保護相談所顧間 を委嘱 (静 岡少年保護協会 静岡地方裁判所所長 上 田操 ) 7日 狭心症 で没す 享年 69才 5月 27日 村葬 (閑 田院にて) 顕彰碑除幕式 (顕 彰会 ) ● 属長 ‐ ´ 二 む 事吉 =亀 = 1 評 議 曇彗 シ一 多 ﹂ モt ﹁三 キ一 二し ﹂ ・、 多 7一 f 嘔 一。 要一 計 軍 ´ F. 一 亭. 猛 甦 ´ 20 秋山高彦 離一 =二 一 4 一 . 〓 翻 ハコ ヽ ‘ た 雄 r 致 ´ だ 一 一 仁 〓 一 F.鋼 F´ F・ に一 t・ 一 . 〓 二 ,一 ・ 1'7. 近 麿) 蒸 薦 5年 間選任 静 岡県小笠郡朝比奈村支部顧間 を委嘱 (大 政翼賛会総裁 本会 の主 旨に賛同 じ会資 を寄付 セ ラレタルに付会員 に推挙 (財 団法人結核 予防会 17. (厚 (大 政翼賛会総裁 亜 ■ 躍鷲 ´ 建口書 距た 疑重 │、 : . 三 七 薇 ヨ・ 回 顕 彰 碑 建 立 の 趣 旨 一郎先生 が明治、大正、昭和の 3代 に亘 り村長在職実 に 33年 、 更 に県捨議員県会 員長 、衆議院議員 とその多彩 なる生涯 を捧 げて政治 に産業 に と心魂 を傾 けられたのであ り ==雄 三f=持 に郷上 の主幹産業 である茶業 の振興 に貢献 された業績 は特筆すべ きものであ りま f:先 生逝 いてすでに 28年 ここに 有志相集 いて故人 の遺徳 を偲 びその功績 をたたえると t 兵.こ これ を末永 く後世 に伝 えんがため朝 比奈小学校敷地内に顕彰諄 を建立す るこ とにな り 一ヽ ´ 呻 脚 卸 輔 ” 奪 も 健康保険 (厚 生省) Ё 麿) 攣 宮 本 雄 ―郎 先 生 顕 彰 碑 建 立 経 過 瑠 和 48年 3月 21目 雄一 郎先生 顕彰碑 を建 立す るこ とにつ い て朝比奈地 区内有志 よ りの 郡朝比奈 条英機 ) 厚生省 ) 岡長敏 ) 条英機 ) =:一 致 、発起人会 を発足す ることになる。 昭和 48年 4月 22日 ヨ朝比 奈地 区役職 員関係者 によ り協議 し宮本雄 一 郎先生 顕彰碑 建立 を決定 、発起人 として .ヽ 野仁輔氏外 60名 に よ り構成す るこ と。建設 委員 を発起人 の うち よ り河原崎繁雄 氏外 ち 報徳社 ) 11名 とし、部落評議員 と して町 内会各委 員 に依頼す る。 晨力を請 松治郎) ,事 業予算及 び募金 方法等 について検討 した 。 上置操 ) 亮にて) もあ り、地 区 意見 =本 、 、 に =身 町会議員 町内会長 町役場関係者 よ り協議 し地 区 の事業 として建 立 す るこ とに意 見 昭 和 48年 6月 17日 ニ議員会 を開催 顕彰碑建 立 ヨ 事業予算 建 立 場所 募 金方法 について協議す る。 昭 和 48年 7月 13日 奄起人会 を開催 し、 経過 の説明 と建立趣 意書 な らびに経歴書 を各関係方面 と地 区内 に送付 手力 を要請 した 。 昭和 48年 8月 7日 建設委員会 を開催 胸 像 を高 岡市横 田町 の米 治 一 氏 (昭 和 41年 10月 皇居新富殿屋上瑞鳥 「 軍型製作者 )に 、碑 及 び台座 を浜岡町池新 田 の高須石材店 (高 須 正 男 氏 )に 依頼 す るこ 三を決定。題字 揮塁 を静岡県知事竹 山祐太郎氏 に依頼 。碑 文 は宮本雄 一 郎先生 自筆 の短歌 〔十 るこ とを決定 。 選亀 48年 11月 6曰 建設委 員会 を開催 顕彰碑建 立場所 を朝比奈小 学校西■ll附 近 とす ることに決定 した 。 荘亀 48年 11月 28日 是 こ 会 を開催 経過 の報告 と除幕式 につ い て協議 し除幕式 を 12月 9日 と決定。 な組 目につい て協議す る。 :、
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