230分の10を約分すると? 夕食を終え、女子棟へと点検に行った。女子

■230分の10を約分すると?■
夕食を終え、女子棟へと点検に行った。女子談話室に2年板橋区女子と3年遠軽女子が
いた。
「ここで休憩中かい?」
「おー、コーチョー!何しに来たの?」
「君らに勉強を教えるために来た。何か質問はないか?」
「ない。だって数学苦手だもン」
「その苦手な数学を好きにして進ぜよう」
「ヤダ。好きになんかなりたくない。数学ってホント意味分かんないし」
2年板橋区女子は、数学に対して相当な嫌悪感を持っているらしい。
「そんなことはないよ。世の中のあらゆる事が数学の考え方を使うことによって、幅が広
がり、ものの見方も豊かになるンだよ」
「へー、そうなの」
「そうさ。数学って良いもんだよ。だって、誰が解いたって1+1=2なんだよ。総理大
臣でも、小学生でも、男女、外国人、肌の色、お金持ちも貧乏な人も一切関係なく1+
1=2なんだもの、これ以上平等なものって世の中にないじゃない」
「ああ、確かに」
「でも私、数学嫌い。特にあの関数ってやつ」
と、こちらは3年遠軽女子の言。
「確かに関数が嫌いだという人は多いよね。でも、関数ってxの値を定めると、それに対
応してyの値がただひとつ決まるンだ。ただひとつだよ。他の値になることはない。そ
れが、どんどん変化して最小だったものが、定める範囲によって実は最大だったりする
んだ。これって、何となく人生に似ていないか」
「それが訳分からん!」
「そうかぁ、愚輩は数学好きなンだけどなあ」
「第一、グラフがややこしい。x軸とy軸があるしょ、そこまではまだいいのサ。そこに
ななめの斜線が描かさって、どこを通るとかって話になるっしょ」
「―――」
「ああなるともう面倒で腹立ってくるのサ」
「―――」
「分かるっしょ?」
「???どこが?」
「んうン、もう!だからx軸とy軸があるじゃない―――」
「それは分かる」
「あのサ、そこにグラフを描く時、ななめの斜線を引くじゃない。分かる?」
「分かんない」
「何で分かんないの!コーチョーって、数学の先生なんでしょ!」
「だって『斜線』って、そもそも斜めの線なンじゃないの?それが『ななめの斜線』って
事は、斜めが元に戻って水平な直線ということになるのかな?そこのところがよく分か
らない」
「―――!!!」
「アハハハハ、確かに。ななめの斜線って変だ」
2年板橋区女子は周り中の空気を吸い込んで笑い転げた。その耳元を見ると高校生には
ふさわしくない装飾品が付いている。
「コラ、耳に付けているソレ、外しなさい」
「ハーイ」
ちっとも反省心のない声で返事をする。
「そもそも、どうして若者は大人が眉をしかめるようなカッコをしたがるのか、その理由
は分かるかい?」
「分かんなーい」
「例えば、オリンピックで2冠を連覇した北島康介って水泳選手がいるでしょ?」
「知ってる。ウチ、水泳やってたから」
「えっ!?水泳してたの?じゃあ、バタフライなんかも泳げちゃうわけ?」
「できるできる。バタフライできる」
「へー、そいつは凄いね」
愚輩はバタフライの出来る人間を無条件で尊敬するタイプの人種である。
「うん。そうだ、コーチョー今度一緒にプールに行こ?」
女子高生からプールに誘われたことがなかったので一寸ドキドキしたが、
「イヤだ。泳げないもの」
「コーチョー泳げないの?」
「水の中では歩くことしかできない」
「へー、コーチョーって何でも出来そうな気がしてた」
「出来ないことは一杯ある」
「ふうん。そうなんだ」
「それより北島康介選手の話だ。実は彼は以前、髪を茶色く染め耳に装飾品も付けていた
ことがある。でも、オリンピックで金メダルを狙うようになって、髪は黒髪の坊主刈り
になったし、耳の装飾品も付けなくなった。なぜだか、分かるか?」
「気合いを入れたから……?」
「自分が他の誰でもない唯一無二の北島康介だということを水泳で示すことが出来るよう
になったからさ。つまり、髪を染めたりしなくても北島康介としての存在を周りに認め
させることが出来たからなんだ」
「…………」
「若い人は成長とともに『自我の目覚め』という現象が出てきて、他人とは異なる自分の
個性というものを出したくなってくるんだ。でも多くの場合、若い人は知識や経験が乏
しいから他人と異なるような明確な個性というものを発揮できないのが普通なんだ。そ
うした時、最も簡単に他人との違いを表出できるのが服装などのファッションなのさ。
だから、北島康介選手のように他人とは明らかに異なる能力を持つ人は、外見を変えな
くとも誰もが『北島康介』と認めるから外見などで他者との違いを出す必要がないとい
うことなのさ」
「…………」
「だから、他人には真似の出来ない『自分』というものに自信を持っている人は、大人が
ギョッとするような奇抜なカッコをしたりはしないという訳さ」
「ふうん」
分かったのかどうかは分からないが、2年板橋区女子は神妙な顔をして愚輩の解説を聞
いていた。
そんな話をしている間に3年遠軽女子は、先ほどの「ななめ斜線事件」などなかったか
のようにスマホで公務員試験問題を解きだした。
「公務員を目指してンの?」
「いや、まだ分かンないけど。一応、試験受けるかもしれないからやっておこうかなと思
って」
「そうか。あれって、第何問目が『数的推理』だとか、次が『判断推理』だとかって決ま
っているんだよね。数学は第13問目だったか14問目か……確かそのあたりのはず」
「うん」
「分からない問題があれば質問してよ。愚輩で教えられるなら、協力するから」
「だったら、ここ教えて」
早速、3年遠軽女子は聞いてくる。
「どれどれ。えーと、左右が一対になっている靴が5足ある……んー、つまり靴が10個
ある訳だ。それで、なになに。その10個から4つを取り出し……あー、組合せの問題
ね」
「組合せ?」
「1年生の時に勉強しなかった?」
「やってない」
「うそだ。絶対やってるはず。袋の中に青や赤の玉が10個入っていて、その中から4個
取り出したら……っていうやつだよ」
「あー、やったやった」
「思い出したか。で、この問題だけど、靴は全部で何個あるの?」
「10個」
「そう。その中から靴を何個取り出すの?」
「4個」
「うん、その通り。じゃあ、その取り出し方はどうやって求める?」
「うーん、10P4 ?」
「惜しいっ!『P』は順列で並べる時に使う。この場合は並べないから……」
「……C ?」
「ザッツ、ライト(That's right)!」
「やったー」
「では、それをかけ算に直してみると?」
「忘れた」
「分母は4の階乗で『4×3×2×1』、分子は『10×9×8×7』だね。これを計算
すると……」
「210」
「その通り。加えて取り出す靴の条件を満たすのは……成る程。全部で10通りあるんだ。
ということは、210分の10を約分してやれば答えが出てくるね。約分すると、どう
なる?」
「……」
3年遠軽女子は、格付けチェックで懐石料理の食事作法を命じられた大物芸能人のよう
に、固まって動かなくなった。
「ハハハハ、確かにこれは混乱するよね。公務員試験問題らしい、実に紛らわしい数値に
してあるからね。でも、紙に書いて、落ち着いて考えたら大丈夫だよ」
するとそこへ、3年愛知女子が外出先から帰ってきた。
「寒っ!外、めっちゃ寒いから!」
寒さのゆえか、鼻の頭だけが赤い。
「いいところへ来た。3年愛知女子、210分の10を約分したら、いくつになる?」
「ええっー!210分の10でしょ。一寸、やばいって」
「分母が210、分子が10。さて、どうなる?」
「待って、待って」
「さっきから待ってる」
「21っ!!」
「アハハハ、残念。引っかかった。公務員試験はこうやって紛らわしく引っかかるように
つくられているもんなンだ」
「21分の1だ」
「その通り。落ち着いてやれば何てことはないんだけどね。一寸混乱するよね」
そんなプチ講習会が終わると、さらに2年中央区女子も外出から帰ってきた。
「おやおや、たくさん買い込んできたね」
2年中央区女子の買い物袋には卵や牛乳、ミックス粉などが入っている。
「一寸ドーナツでも作ろうかなと思って。自分、今、ハマってるんスよ」
お菓子作りなんて、女子力高いぞ2年中央区女子。