怒りを抑えること - Tokyo Camii

東京ジャーミイ金曜ホトバ
April 22, 2016
怒りを抑えること
兄弟、姉妹の皆様!
私たちの全能の主は、神聖なる書において以下
の通り告げておられます。 「順境においてもま
た逆境にあっても、(主の贈物を施しに)使う
者、怒りを押えて人びとに寛容にする者 」。
(イムラーン家章134)そして主は、自らの
怒りを抑え ることも、敬虔な信者の特徴のひと
つであると断言しておられます。
ある日私たちの預言者(彼に平安と祝福あれ)
は教友たちにこうお尋ねになりまし た。「あな
た方は、どのような人を闘う人呼びますか」。
教友たちは答えました。「格闘技で誰かと闘う
者です」。すると私たちの預言者はこう述べら
れました。「いいえ。腕力で誰かを倒す者のこ
とではあり ません。本当の闘士とは、怒ってい
る時にも自制心を働かせることのできる者のこ
とです」。 このように慈悲の預言者は、私たち
の心に残るようにと、分かりやすく意義の深い
メッセージを届け て下さいました。預言者は私
たちに、怒りに屈してしまえば、多くの後悔、
涙、そして自責の念が引き起こされる ことにな
るだろうと警告して下さいました。怒りを抑え
ることについて教友たちを諭す一方で、私たち
の師は、私たち一人ひとりに対しても、欠かす
ことのできない助言を下さっているのです。か
つてある人が預言者の許へやってきてこう尋ね
たことがあります。「神のみ使いよ!何かひと
つ、簡潔な助言を下さい」。彼はお答えになり
ま した。「怒らないようにしなさい」。 尊敬すべき信仰者の皆様!
私たちの神聖なる書において全能の神は、怒り
を退けることについて、預言者の生涯における
一場面を通して 私たちに知らしめたまいます。
そうした預言者のお一人にムーサー(彼に平安
あれ)がいます。彼が不在の間、兄のハールー
ンは民が道を踏み外すのを防ぐことができませ
んでした。その有り様に憤慨したムーサーは兄
の体に掴みかかり、怒りにまかせて揺さぶりま
した。最終的には、ムーサ―は兄の忠告を聞き
入れて主の庇護の下に逃れ、祈りました。「主
よ、わたしとわたしの兄を赦し、あなたの慈悲
に浴させて下さい。本当にあなたは、慈悲深い
者の 中でも最も慈悲深い方です 」。(高壁章1
51)
ユーヌス(彼に平安あれ)は、唯一の神への服
従と奉仕に自らの民を招きました。しかし人々
は、彼を拒絶しました。それに対して預言者ユ
ーヌスは、怒って自らの民を見捨てました。し
かし彼の怒りは、彼自身に対する試練となりま
した。彼は魚の腹の中、暗闇に行き着くことと
なったのです。彼は今一度、忍耐と冷静さの意
味について学び直しました。そして悔悟すると
共に、神の下へ逃れ、こう言いました。「あな
たの外に神はありま せん。あなたの栄光を讃え
ます。本当にわたしは不義な者でした」。(預
言者章 87)
親愛なる兄弟、姉妹の皆様!
万有の主は、人類の道を光で照らす預言者たち
のこうした先例をもって、私たちに教えたまい
ます。預言者たちでさえ、時には怒りにかられ
ます。けれど彼らは神の庇護の許へ逃れること
によって怒りを乗り越えたのだ ということを、
主は私たちに教えて下さっているのです。私た
ちの預言者(彼に祈りと平安あれ)も、怒りを
おぼえたなら神の庇護の下に逃れ、善行に励み
罪の清算の日を思い出すよう私たちに助言して
おられます。彼は私 たちに、自分の舌を不快な
言葉や不遜な言葉、そして復讐のために用いる
のではなく、祈りの言葉や静寂さと幸 福のため
に用いるよう求めておられるのです。
兄弟、姉妹の皆様!
私たちは今ストレスの時代を生きています。日
常生活において、時として憤慨させられるよう
な出来事に出会うこともあります。しかし、た
とえ怒って当然の状況だとしても、その先に何
があるのかを忘れてはいけません。私たちにと
って、人生は試練であるという事実を常に意識
していなくてはなりません。何を聞いても、何
を経験しても、すべて良心のフィルターを通し
てから受け止めるべきです。私たちは信仰者と
して、 いつでも優しく、思いやり深く、寛大で
忍耐強くありましょう。怒りに囚われ、憎しみ
や敵意といった感情で 自らの心を曇らせること
のないようにしましょう。「寛容の剣は、怒り
の剣よりも鋭い」というマウラーナの 言葉を、
私たちの合言葉としましょう。 私たちの全能の
主が、私たちを我慢強く、怒りを克服し、自分
が正しいときでさえも、自らの怒りに屈するこ
となく他者を許す敬虔なしもべとして下さいま
すように!
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