Title 『とはずがたり』における「有明の月」像(二〇一三年度卒業論文要旨

Title
『とはずがたり』における「有明の月」像(二〇一三年度卒業論文要旨集
)
Author(s)
大田, 剛史
Citation
札幌国語研究, 19: 70-70
Issue Date
2014
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7619
Rights
Hokkaido University of Education
古代文学における桃
『とはずがたり』における「有明の月」像
追儺(大儺)に用いられており、形式化されても、桃が霊力を
は『今昔物語集』まで見られないが、
年中行事の卯杖・卯槌や、
次に役割ごとに見ていくと、桃の邪気を祓う霊力は、上代で
は主に実、中古では枝や木にあるとされ、花はない。記紀の後
時代別には、上代では実、中古では枝や花が中心であった。
本研究では、古代文学における桃の特徴について、中国との
違いや桃の部位に注目しながら明らかにすることを目的とした。
登場する巻二・三において、どの男性よりも忘れがたく、心に
「有明」の身(容姿、存在感など)については、「面影」「月
影」
「影」や「なごり」という語によって、二条は、「有明」が
最も宿命的と捉え、完全に受け入れるようになっている。
二条は、宿命的な縁の意の「契り」を、後深草院一例に対し、
「有明」には多用し、また漸層的に用いており、彼との関係を
に描こうとしているのか明らかにすることを目的とした。
本研究では、『とはずがたり』中の仮名の人物「有明の月」
に関する記事の表現に注目し、作者二条が「有明」をどのよう
古典文学研究室 〇四二一 大田 剛史
持つという考えは続いていたと言える。薬用の桃もこれに近い
古典文学研究室 〇四〇九 石岡みさと
が、日本では、中国の実や種等と違って脂を用いていた。
の美しさについては、これらから判断することはできない。
ることを含め、「有明」の執念深さと純粋さの両面を描こうと
「有明」の心(他者への思い、性格)については、院や「雪
の曙」にはない、我が子に強い愛情を抱く様子を取り上げてい
思い浮かぶ、
名残惜しい身を描こうとしている。ただし、「有明」
女性の比喩表現では、上代・中古共に実よりも花を取り上げ
ていた。中国とは異なり、葉の比喩表現は見られない。また、
もそも実であったが、
花を取り上げることが主流になっていき、
している。これは、「有明」と『源氏物語』の柏木との関係に
不老長寿をもたらす西王母の桃も、比喩表現に用いられた。そ
女性だけでなく男性にも用いて、稀少さや遅咲き、結実までに
も窺える。従来、悲恋に殉死する共通点が指摘されてきたが、
臨終の場面は対照的で、執念深さと純粋さが強調されている。
時 間 の か か る こ と を 強 調 し て い た。 こ れ ら は、「成 る・ 生 る」
草・桜・梅」
との対が見られる桃の和歌の特徴と関わりがある。
以上のほか、歌の力量も含め、二条には、「有明」を好意的
に描こうとする姿勢が窺える。また、「有明」が「袖の涙」等
「桃・百」「酸く・好く・食く」
の掛詞や、「李・柳」
ではなく
「母子
異郷やその境界に在る物としては、上代では実、中古では花
を取り上げていた。
『遊仙窟』など中国作品の模倣と言える。
点からも、今後の研究において、より重視すべき人物である。
の伊勢や西行の歌ことばでよく泣くこと、仮名の普遍性などの
以上のように、
桃は古代文学に様々に描かれたが、
最古の『古
事記』黄泉国訪問譚の桃には、全ての要素がそろっていた。
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