手術用微小針で 国内大割のシェア

PhotobyMamoruAr餌
河野製作所
世界最少の革術用針を開発、それまで困難とされた微小外科手術
を可能にしたマイクロサージヤリ†分野のパイオニア。開発型企業
に徹し、「小さな池の大きなコイ」を狙う。
手術用微小針で
国内六割のシェア
最近、﹁マイクロサージャリー﹂と
いう言葉をよく耳にするようになっ
た。整形外科や形成外科などで、顕微
鏡を覗きながら特殊な器具を使って行
う、外科手術のことである。手の指先
を切断した人のために、足の指の移植
手術を行うことは知られているが、マ
イクロサージャリーが未発達だったこ
ろには、移植元の足を縫合する際、太
い血管のある足の甲まで切開しないと
縫合することはできなかった。細い血
管同士を縫合できる針や器具がなかっ
たためである。
これに対して、針や器具の極小化が
進んだ今日では、足の指先からわずか
な部分を切り取るだけで縫合できるこ
とが少なくない。マイクロサージャリ
ーは患者に低侵嚢をもたらし、外科手
術領域を拡大するなど、医療の進歩に
大きく責献するものなのだ。
千葉県市川市にある河野製作所は、
この微小外科手術に使用される針付き
縫合糸︵針糸︶ で国内六割のシェアを
持つトップ企業である。創業間もない
戦後の早い時期に時計の針などを製造
したことが、今日の微細加工技術につ
ながった。一九六〇年代に手術用針分
野に進出し、世界で初めて指の再接着
27 squ【T2009.12
本 社 千葉県市川市営谷2−11−10
設 立1970年5月
資本金1000万円
売上高10億7000万円(2008年9月期)
礎群数110人
事業内容 手術用縫合針・縫合糸、組織人工織雑布、マイクロサ
ージャリー用医療機器の開発・製造・販売
URL http://WWW,konoseisakusho.jp
手術に成功したマイクロサージャリー
の第一人者である、奈良県立医科大学
気が漂っていた。
﹁このままでは生き残れない﹂。そう
開発・製造までを一貫して行うこと。
考えた河野社長は、社内のさまざまな
﹁祖父︵創業者︶から聞いた話ですが、
性別・年齢・勤続年数にとらわれない
整形外科の玉井進医師︵現・同大学名
初期のころは、薬剤に漬けて針先を細
実力本位の給与体系の導入。中途採用
場面で改革を断行した。モノづくりの
くするなど、今日では考えられないほ
者だけで構成する販売委託会社クラウ
誉教授︶と出会ったことが大きな転機
ど加工技術が未熟でした。糸に至って
ンジュン・コウノの設立などである。
外製をできるだけ避け、社内で設計・
はストッキングをほどいて急場をしの
個人の能力を百パーセント発揮でき
となった。
いだこともあったそうです﹂と河野淳
医師の指導を受けながら製品品質を高
こうした黎明期を経て、同社は玉井
大切ですが、当社のような開発会社は、
を配った。﹁既存製品のモノづくりも
ど、仕事のしやすい環境づくりにも気
るよう、社員に責任と権限を与えるな
め、マイクロサージャリーのパイオニ
新しい商材を探して開発に移すサイク
一社長は話す。
アとして業界での地位を不動のものに
ルを回し続けないと、すぐに行き詰ま
にAIDS ︵後天性免疫不全症候群︶
ていた医療費が減少時代に突入。さら
苦しい時代だった。右肩上がりを続け
長に就任した一九九七年前後は、最も
に比べて熟安定性や耐薬品・耐放射線
同社が治験して承認を取得した。PP
ニリデン ︵PVDF︶樹脂を採用し、
に替えて、世界で初めてポリフッ化ビ
従来のポリプロピレン ︵PP︶樹脂
師の間に新しいものに対する拒否反応
外科は生命に直結するため、一般に医
必要がなかったからである。心臓血管
を握っていたので、新製品を投入する
あること。また、ある程度市場シェア
難しく、PPに比べて材料費も高価で
製品化しなかったのは、素材の加工が
リ、世界最小の針糸である。それまで
〇〇四年に開発した直径〇・〇三ミ
上高の大きい事業に育っている。
針糸は現在、同社の全製品中、最も売
とができた。ちなみに心臓血管外科用
や牛海綿状脳症︵いわゆる狂牛病︶対
性に優れるなど、心臓血管外科手術に
が強いとされる。しかし、二〇〇一年
のマイクロサージャリーでは太さ〇・
先発メーカーがPVDF製の針糸を
策から薬事法が強化されたため、それ
適した製品である。じつは、この製品
に製品を市場投入すると、多くの医師
五ミリ程度の血管を縫合するのが限界
だのが、心臓血管外科で使用される針
再び隆盛期を迎える。最初に実を結ん
こうした努力のかいあって、その後
ってしまうからです﹂ ︵河野社長︶。
したのである。
仕事をしやすい
環境づくりに配慮
とはいえ、経営は順調なときばかり
らの対応にも迫られたのである。しか
を開発するまで心臓血管外科での同社
に評価され、新しい事業領域を築くこ
近年における最大のエポックは、二
手術周針を開発
世界最かの
も当時、社員の平均年齢が五〇歳代と
の実績はゼロであった。
糸の事業である。
本社内にあるクリーンルーム。作業
は顕微鏡で確認しながら行う。うっ
かりすると、吐く息だけで製品が飛
んでしまう
高齢化が進み、社内には変化を嫌う空
ではなかった。なかでも、河野氏が社
製品サンプルを提示す
るための顕微鏡。製品
は肉眼ではほとんど見
えないほど細い
手術用針糸の実物。
左に置いてあるのが
0.5mmのシャープペ
ンシルの芯
2009.12SqUET 28
の血管の縫合を可能にした。わずか
だったが、この針糸は太さ〇二ミリ
つ器具︶やメス、ハサミなども開発し
手術ができないため、待針器︵針を持
仮に針ができたとしても、針だけでは
受けてくれたのもそのひとつである。
鷹光器︵東京都三鷹市︶が開発を引き
が、顕微鏡業界のトップメーカー、三
〇∼四〇の工程がかかると言う。
切削や研磨、表面コーティングなど三
した。出荷するまでに検査を含めて、
後、目標どおりの微小針が完成する。
かくして開発に着手してから三年
〇・四ミリの差が、この極端に微細な
ターゲットはニッチエリアの
なければならないことだった。﹁当社
のビジネスモデルとしてもまったく想
手術領域に飛躍的な進歩をもたらした
のである。
ーカーなどが使用するステンレスは加
開発は素材選びから始めた。海外メ
を感じさせないほど、器用に操ります。
するのですが、どの医師も針の小ささ
ある。しかし﹁映像を見ながら手術を
肉眼ではほとんど見えない小さな針で
工しやすいが、これほど微小になると、
人間の手というのは、じつに器用にで
高付加価値製品
しかし、河野社長は医療器具メーカ
手術中に曲がったり折れたりする危険
きているものだと、改めて感心しまし
定外のことであり、採算だけを考えた
がつくれないか﹂と声をかけられたこ
ーとしてやるべき仕事だと判断した。
性がある。そこで、加工はしにくいが、
た﹂ ︵河野社長︶。
開発のきっかけは二〇〇〇年秋に開
とである。それまでの針の直径の限界
同社にとって幸運だったのは、この件
同じステンレスでも剛性と同時に粘り
ら、とても引き受けられることではな
は〇・一ミリだった。それ以下の細い
に関して経済産業省の産官学連携プロ
気を持つ特殊なステンレスを選んだ。
毎年、売上高の五∼一五%を研究開発
かれた学会で、帝京大学医学部教授の
針が本当につくれるのか、その時点で
ジェクトのスキームが構築されるな
このほか、加工中に素材がちぎれない
費に充てている。開発ターゲットは、
かった﹂と河野社長は振り返る。
はまったく自信が持てなかった。はっ
ど、外部の協力が得られたことである。
ようにする工具や、極細の線材を国定
黒島永嗣医師から﹁もう少し微小な針
きりしていたのは、加工に必要な工具
〇・〇三ミリの針を使うためには、そ
医療分野のニッチ市場における高付加
を入れる方針である。
開発・販売体制の強化にも力
方、欧米や中国など海外での
二〇億円の達成を目指す一
でに、既存事業だけで売上高
四年後の二〇一三年九月ま
後も狙っていく。
小さな池の大きなコイを今
と河野社長はきっぱり言う。
ャー企業には向いていない﹂
だけ。当社のようなベンチ
ンルでは、薄利多売になる
ばよい、といった製品ジャ
きくそこそこの品質であれ
価値製品である。﹁市場が大
同社では、年によって異なるものの、
や治具はもちろん、機械そのものを変
して加工できる治具などを独自に開発
つ
場
工
ば
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れに見合う新しい顕微鏡も必要になる
本社(左)および隣接する分室の建物
えないと絶対にできないこと。また、
新しい商材を探して開発に移すサイクルを回し続けることが重要です