2016.04.19

2016 年 4 月 18 日付韓国・聯合ニュース報道に対する反駁
舩杉力修(島根大学法文学部准教授)
2016 年 4 月 18 日韓国・聯合ニュース(韓国語版)において、「1905 年以降、日本地図
も独島はない.・・・独島は韓国領」という報道がなされた(http://www.yonhapnews.co.kr/
bulletin/2016/04/18/0200000000AKR20160418134400053.HTML、2016 年 4 月 19 日閲覧)。
【報道内容の要約】
報道の内容を要約すると、韓国・慶尚北道の支援機関である財団法人独島財団が 1905
年以降日本で製作された島根県地図 4 点を入手し 18 日公開した。公開された地図は 1908
年日本の文部省が発刊した「中国地方」、1925 年大阪毎日新聞の「日本交通分県地図」、
1938 年和楽路屋出版社の「島根県地図」、1951 年日本地図株式会社の「島根県地図」であ
る。これらの地図は全て島根県地域を中心に作ったものであるが、島根県から北に約 50km
離れた隠岐島は詳細に表記しているが独島はない。これまで日本は無主地先占論を挙げ、
1905 年 2 月 22 日島根県告示 40 号を通じて国際法的に独島を島根県に編入したと主張した。
しかし今回発見された地図を通じて、日本が 1905 年島根県告示以降も島根県地図に表記
しなかった事実が明らかとなった。すなわち日本が独島を韓国領と認識したという証拠と
して見ることができるわけである。パク・ギョングン独島財団次長は「1905 年以降島根県
管轄地域に独島が入った地図を発見できず、日本でも発見したという話を聞いたことがな
い。地図を発刊した機関が日本の中央省庁、有力新聞社、出版社などである点から推測し
て、島根県告示は日本国内では公式に公布されたことがなく、単に国際社会に向けた宣伝
用だった可能性が高い」と強調した。イ・サンテ韓国古地図学会顧問(独島財団アーカイ
ブ諮問委員長)は「私たちの教育部に該当する文部省が独島編入を知らずに地図を製作し
たというのはナンセンス。島根県告示が秘密裏に進められて、肝心の日本人は知らずにい
たという意味だ」と話した。というものである。
【報道内容に対する反駁】
上記の報道は、国際法、特に領土紛争における地図の機能を全く踏まえない杜撰な主張
である。公開された地図のうち、大阪毎日新聞、和楽路屋出版社、日本地図株式会社発行
の地図は、民間機関が発行したいわゆる「私的地図」であり、公的文書として認められる
ことはない。わが国の国家意思を表明するものではないし、公的に認定されたものでもな
い。したがって、これらの地図によりわが国の竹島の領有権を否定することはできないの
である。なお、大阪毎日新聞発行の地図では、1908(明治 41)年発行「大日本交通明細地
図」、1910(明治 43)年発行「中国五県下交通明細地図」において、竹島は日本領として
記載されている。要するに「日本交通分県地図」ではたまたま竹島が記載されなかっただ
けなのである。
次に教科書についてであるが、教科書のなかの「中国地方」だけを取り上げ、教科書の
書名が記されていないので、こちらでは確認するすべがない。これまでの研究では、島根
県竹島編入直後の 1906(明治 39)年 3 月発行の文部省検定済教科書『最近統合帝国地図』
の「日本帝国」の全図において、竹島が日本領と記載されていることが確認されている。
しかも『最近統合帝国地図』の発行は今回公開された地図の発行年 1908 年よりも前である。
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したがって、竹島の記載のない地図をことさら大きく取り上げたとしても、本質的な意味
はないのである。
国際法上は、公的地図であっても、条約に付属する地図以外は二次的な証拠としてしか
扱われないものの、わが国の地図製作機関(陸地測量部、地理調査所、国土地理院)が作
製した地図での竹島の記載について確認すると、戦前では、1909(明治 42)年及び 1921
(大正 10)年発行の 100 万分 1 東亜輿地図「松江」に竹島の記載があり、「竹島(島根県
隠岐)」と明確に記されている。戦後は 1946(昭和 21)年 1 月 29 日 の SCAPIN 第 677 号
により、竹島の行政権が暫定的に停止されることで、竹島の記載が消えるものの、1952(昭
和 27)年 4 月 28 日のサンフランシスコ平和条約発効により竹島が日本領として保持され
ることが決定すると、1955(昭和 30)年 10 月発行の 200 万分 1「日本主部」において竹島
が日本領として記載され、以後、地理調査所、国土地理院発行の地図では、竹島は日本領
として記載されていることが確認されている。
すなわち、1905 年島根県編入以降わが国の公的地図では、戦後の占領期を除けば、竹島
は一貫として日本領として記載されているのである。したがって、独島財団の主張、「(公
開した地図は)日本が独島を韓国領と認識したという証拠として見ることができる」とい
うのは明確に誤りである。
「1905 年以降島根県管轄地域に独島が入った地図を発見できず、
日本でも発見したという話を聞いたことがない」というのは、韓国側の資料調査能力がな
いことを示している。さらに独島財団の主張の根拠が間違っている以上、「島根県告示は
日本国内では公式に公布されたことがなく、単に国際社会に向けた宣伝用だった可能性が
高い」とか、「島根県告示が秘密裏に進められて、肝心の日本人は知らずにいたという意
味だ」というのは、単なる憶測に過ぎない。国際法上せいぜい公的地図しか二次的な証拠
にならない以上、これらの地図が、国際法上有効な島根県告示を否定することなどあり得
ないのである。
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