平成 23 年度 社会福祉援助技術論Ⅲを受講した卒業生に送る言葉

平成 23 年度
社会福祉援助技術論Ⅲを受講した卒業生に送る言葉
苦しむ人々の声を聴き、応えた、32 名の学生たちの記録
人が人に対してできる「無限大」の可能性を実感して
文
松平千佳
1.聴くということ
3 月 11 日の大震災から約 1 カ月後、新学期が始まった最初の週、私は社会福祉の援助方
法を講義するため、32 名の学生が待つ教室に赴いた。地震の揺れは静岡でも感じられたし
交通機関のマヒも起きていた。学生たちは、テレビなどの報道を通して多くの人が不本意に
大津波によって亡くなったこと、その中には子どもも多数含まれていること、そして被害状
況がこれから拡大し続けていることを理解していた。
ソーシャルワーカーを目指すこれら学生たちは、静かにそして沈鬱な表情で今回の惨事に
対して教員である私が発言することを待っていた。何を話せばいいのか適当な言葉を思いつ
いてはいなかったが、地震の話を避けて講義は始められないことは分かっていたので、拙者
が神戸で震災を経験したことを話し、今できることをとにかくやっていこうと呼びかけた。
地震を経験したからこそ上っ面の発言をしたくなかったが、彼らと今回の災害をつなげる言
葉は見つからなかった。しかし、多くの学生がうなずき、彼らは募金活動を始め、1 週間程
度で百万円近い金額を集めるという成果を成し遂げたのである。
次の週、再び学生の待つ教室に赴いたところ、先週とは違う雰囲気が感じられた。募金活
動で集めた義援金は赤十字に送ったし、学生の顔からは満足感が見て取れると思っていたの
に意外だった。なぜなら先週同様、学生たちの静かで沈鬱な様子は変わらなかったし、それ
に加え投げやりでイライラした雰囲気を教室の中で感じたからである。なぜかと考えた。な
ぜ彼らの気持ちは落ち着かないのだろうか。その時思い浮かんだのが、鷲田清一氏が書いた
「聴くことの力」という書籍であった。学生たちは被災した人々の声をきっと聴いたに違い
ない。しかし、その訴えに対する「応答」を十分にしているという感覚がないのだと私は思
った。何時間も駅前に立ち大声を張り上げたが、どこかの IT 社長は一瞬で数億のお金を寄
付する。この現実も学生たちにつきつけられた。努力して集めた義援金にはまた違う価値が
あるとは言っても、貨幣に彼らの思いが乗って届くわけではない。とてつもなく大きな自然
の力を前に逃げ惑う人々の様子、泣き声や悲鳴、失われた家屋、火柱のたつ海、それだけで
も十分圧倒される光景だが、その人々の悲しみや苦しみを自分たちは受け止めているのに応
答していないという、そんな焦燥感から来る投げやりな思いであるように感じたのである。
東北に行きたい気持ちもある。でも東北に行けたとしても現時点では逆に存在が迷惑になる
のかもしれない。大学の講義も長くは休めない。そんな葛藤の中で学生の口から出た言葉は、
「これから先何ができるのか分からない」「問題が大きすぎて何をしたら喜んでもらえるの
かが分らない」というものであった。相手が訴えているにもかかわらず、それに応じられな
い虚しさは、パーソナルケアを将来実践したいと考えている彼らには耐えがたいものであっ
た。
ちょうどそのころ、第 2 回目のスマイル・プロジェクトの実施日が近づいていた。前回よ
り多い 700 セットの玩具を被災地に運ぶために用意する予定であった。そこで、
「よし、こ
のプレイキット作りに学生を巻き込んでみよう」と考え、さっそく学生たちにスマイル・プ
ロジェクトの趣旨を説明し、次回の訪問に向けプレイキットは 700 作る必要があるけど、
中に入れる玩具のうち 3 種は学生たちの考えたものを採用したいと伝えた。学生たちはやっ
てみたいと意思表示した。ただちに彼らはグループに分かれ、どんな玩具が被災した子ども
には必要なのか話し合いを始めた。避難所での生活を学生たちは報道されている内容からイ
メージし、そこで使える玩具はどんなものがあるのかを話し合った。自分の生い立ちを振り
返り、幼稚園の時はどんな遊びをしたか、小学生の時はどんなことを楽しんだかなど、避難
所にいる子どものたちの聞こえない声に耳を傾け、そして、想像力とこれまでの経験を最大
限に使ってキットに入れる玩具を決めていったのである。
結果、彼らが用意するものが決まった。1 つは落書き帳。2 つ目はあやとり。そして 3 つ、
ぶんぶんゴマであった。学生たちは汚れないようにとジップロックに入れられる大きさの玩
具を考え、そして用途が自由で年齢の高い子どもにも応用力があるもの、また、1 人でも遊
べるし 2 人以上でも遊べるもの、そして家族でも遊べるものを選定していた。避難所だから
あまり大きな音が出ない方がいいとも考えたようである。これらの玩具は手作りすることに
なった。落書き帳は自分たちで表紙をデザインし綴じて作ることにした。あやとりも、自宅
にある毛糸などを持ち寄って作るという。
話し合いのプロセスの中で、学生たちの様子がどんどん変わっていくことに私は気が付い
ていた。まず学生たちの話し合う声が大きく張りのあるものになっていった。そして表情も
変わった。沈鬱だった表情は学生の顔から消え、真剣な表情を浮かべ話をしているかと思う
とときどき笑い声もあがる。遊びについて考えている彼らの表情は豊かで柔らかく、教室全
体から活気を感じることができた。
震災が起きてから 5 週目、いよいよ玩具を作成しジップロックに詰める作業を行う日がや
って来た。いつも通り 3 時間目の開始時間に間に合うように教室に行くと、これまた様子が
違っていた。何と、私を待つことなく学生たちはすでに作業を始めていたのである。効率よ
く作業ができるように机の位置を変え、座る位置も変え、数名のリーダー格の学生の的確な
指示の元どんどん作業を進めていた。私の存在をだれも気にとめることなく、学生はひたす
ら同一の長さに毛糸を切り、紙をホッチキスでとじ、厚紙に線をひき、遠い被災地に生きる
子どもたちのために玩具をつくり続けていたのである。私はこの姿に圧倒された。学生たち
の様子には間違いなく勢いがあり喜びがあった。彼らからは被災地に向けたまっすぐなエネ
ルギーが感じられた。それはまさに応答している、悲しみや苦しみに応えるため作業してい
るという実感から来る元気であった。教員である私はその様子を一通り見ると静かに教室を
出た。同じ思いを共有しながら作業している学生たちだけの清い世界を大事にしようと考え
た。私が教室にいる必要性は全くなかった。
学生たちは遠い静岡の地において一生懸命被災地に思いをはせた。鷲田清一氏は、「思い
をはせても応答できないと人は心を閉ざし、応答できない苦しみから自分を遠ざける」と「聴
くことの力」の中で書かれている。先週の学生の様子はまさにその際に立つ若者の様子だっ
たのかもしれない。もしタイミングが遅ければ、彼らは応答できない苦しみのため、事柄か
ら遠ざかっていたのかもしれない。自分たちは遠い場所にいるし、災害にも遭ったことがな
い、しかし、悲しんでいる人に応答しようと努力した結果起こした行動は、彼らに自信と安
心感をもたらしたのだと感じた。
学生たちがその日詰めたプレイキット 700 個は、シャボン玉と折り紙も入れられ被災地
に運ばれた。避難所の子どもたちはキットを手にとるや否や袋をあけ遊び始めた。学生たち
の応答は確かに子どもたちに届いたのである。そして学生たちの応答は子どもたちにだけで
はなく、子どもの遊ぶ様子を見ていた大人にも届いたようである。被災地からは以下のよう
な応答がメールで届いた。
わたしは、オモチャをいただいた子の父親です。
私の息子は 5 歳になります。
私自身会社が流され失業しました。
今はお陰さまで物資等で生活しておりますが、
この先 4 人の子どもをどうやって養おうかと思う日々です。
今回、シャボン玉をしている息子を見て、頑張る気が少し出ました。
今は食べることで精一杯ですが、
私の手でシャボン玉を買ってあげれるよう、また頑張ってみます。
気付かせてくれてありがとう
山田町の父より
被災地から寄せられたメール
このメールを送ってくれた父親は何に気付いたというのだろうか。無心に空に向かってシ
ャボン玉を吹く息子の姿。それを後ろで見守る父親。青空だったのかもしれない。曇り空だ
ったのかもしれない。シャボン玉を吹く息子はしっかりと両足で立ち、大きな空に向かって
胸を張り、雲にプレゼントを贈るかのように、シャボン玉を大空に向かって吹きあげていた
のではないだろうか。風に乗って漂うたくさんのシャボン玉。大地と空の空間に溶けて遊ぶ
息子の姿は、悩むばかりの父親にとても大きくたくましく見えたのかもしれない。
授業最後に試験を実施した。すると、多くの学生が本来教えるべき内容に関することより、
プロジェクトに参加し玩具をつくったことに対して、意見を述べていた。その感想の実際は
資料として添付するが、学生たちの記述からは、遊び道具をつくったこと、それで遊ぶ子ど
もの姿が想像できたこと、そして実際に自分たちが作ったおもちゃで遊び、笑顔になってい
る子どもたちの様子が写真として見られて、自分たちにもできることがあることを実感した
ことが書かれていた。
この 32 名の学生は傷つきの中に、利害関係の外に存在する責任の根を確実にはったので
はないだろうか。遊びを通して、被災者とつながりを感じたのではないだろうか。田中
(2004)が、臨床教育を「かけがえのない個体存在としての私が、かけがえのない個体存
在としての他者に応答すること」として説明したが、まさに学生たちの様子はこの定義にあ
る様であった。
2.スマイル・プロジェクト用玩具作りを経験した学生の感想
今年 3 月に東北地方太平洋沖地震が起こり、講義は、被災地の子どもたちの様子について
考えることから始まった。皆で何か支援ができないかと考え、おもちゃを作った。授業開始
前から皆、黙々とおもちゃ作りに励んだことを覚えている。私はこの活動を行う前は自分に
できる事は募金と節電くらいだと思っていたので、具体的な支援ができたことがすごく嬉し
くてとても印象に残っている。自分たちの作ったおもちゃで楽しそうに遊ぶ子どもたちや、
それを見る親たちの姿を見て、被災地のことを身近に感じ、真剣に支援について考えるよう
になった。
地震で被災した子どもたちに送るおもちゃの製作や袋づめをした時のことをよく思い出
します。被災してしまった子どもたちの「遊びを通して気持ちを表出させること」というニ
ーズの元、おもちゃを袋づめしました。自分たちが実際に作ったりしたおもちゃで被災地の
子どもたちが楽しく遊び、それによって笑顔が増えたと考えると、私自身が何ともいえない
達成感・充実感を味わうことができたことを覚えています。私(クラスのみんなで)がした
ことで子どもたち(クライエント)を笑顔にさせられたというのは初めてだったのでとても
いい経験になったし、ソーシャルワーカーになって自分が支援をしたクライエントの笑顔が
前より増えたりしたら、きっとまたそんな気持ちになるんだろうなと思いました。
東日本大震災については、もちろんテレビなどで情報が流れていて、被害の規模、被災地
の様子などは知っていました。自分にできることを考え、募金や募金の呼びかけにも参加し
ましたが、どこか他人事のように感じていました。そんな中授業で、被災地の子どもたちの
ためにおもちゃを作る、という事になり、直接被災地の人たちの役に立てると感じ、嬉しく
思いました。被災地の子どもたちや親の気持ち、周りの環境などを想像しながら取り組み、
また、遊ぶことの大切さを学ぶこともできました。
スマイル・プロジェクトについて。3 月 11 日に東日本大震災が起き、私は災害支援物資
の受け入れを手伝うボランティアをしたが、1 日しかなかったので、他に何かできることは
ないかなと思っていた。そして授業で被災地の子どもは遊ぶ物や遊べる場所が限られ、スト
レスを感じていることを知った。また、新聞の記事や先生の話を聞いて、子どもたちは食べ
る・眠る・遊ぶといった日常が送れなくなっていることも知り、食べものや生活用品などの
物資はもちろん必要だと思うが、それだけではなく、心のケアも必要だと感じた。そして、
スマイル・プロジェクトに参加し、クラス全員であやとりやびゅんびゅんごま、らくがき帳
を被災地の子どもに向け分担して作ったが、被災地の子どもたちの写真や喜んでいたという
話しを聞いてとても嬉しかった。しかし、今回の震災で親や友人など周りの人を失ってしま
った人は多いと思う。そして、子どもだけでなく、大人も深く傷ついている人が多いと思う。
心の傷はなかなか癒えるものではないと思うが、少しでも良くなるように心のケアが必要だ
と授業を通して学び、実感することができた。
私は授業を受けるまで、自分に何ができるのかを考えていた。しかし大きなお金を出すこ
ともできないし、できるとしても町での活動に募金したり、インターネットの買い物でたま
ったポイントを募金として使えたため、そこで募金をしたりなど私にできることはこれくら
いしか無いと思っていた。しかし、授業で子どもたちにおもちゃを送ることになり、その結
果、子どもたちが遊んでいる様子や喜んでいる笑顔を写真で見ることができて、本当に嬉し
かった。その笑顔と一緒に映っているおもちゃを見て、ますます感動した。被災地と離れた
場所から被災地の方たちの笑顔を作ることができたというのは、おそらく一生忘れられない
と思う。しかし、これだけで満足するのではなく、まだあらゆる支援を必要としていると思
うので、自分にできることを行っていきたい。私は機会があって、このようにおもちゃを送
ることができたが改めて考えると、募金も大切であると思った。大切なのは、この震災を忘
れずに、自分たちのできる範囲で支援し続けることだと感じた。また、子どもたちにとって
の“遊び”の意味を学ぶことができた。子どものうちは、楽しいとか嬉しい気持ちを存分に
身体やもので表現することが大切である。それが子どもにとっての“遊び”であると学んだ。
子どもだけではないが、子どもたちの元気な姿はきっと連鎖すると思う。復興のために、
被災地の方たちは本当に努力されている様子がニュースで見ることができる。それで私も頑
張らなければいけないと思うし、本当に日本全体が一つになって支えあわなければならない
のだと思う。
被災地の子どもたちにあやとりやお絵かき帳を送った体験は、自分にとってもプラスにな
った体験だと思う。ニュースで被災地の情報を聞くばかりで、自分の出身地であるのに何も
できないというのが心苦しかった。被災地に行って手伝いことだけが支援だと思っていたか
らだ。しかし、実際に授業でおもちゃを作る作業をして、そのおもちゃを受け取った現地の
子どもたちの笑顔の写真を見て、自分たちにもできることはあるんだなと感じた。人のため
に何かをするというのは、いろいろな方法があるのだということが分かった。どんなに小さ
いことでもやれることはあるのだということが分かった。このことを大切にしたいと思った。
スマイル・プロジェクトでは、遊びが子どもたちに与える力の大きさを学べただけでなく、
東日本大震災という大きな災害に無力感を感じていた自分自身にとっても力となった。繰り
返し災害の映像を見続けていたことで、知らず知らずのうちに不安やストレスがたまってお
り、何か自分にもできることはないだろうかと思っていた。そんなときに、スマイル・プロ
ジェクトでおもちゃを作る作業をしたことで、自分自身が現地に行かなくても思いを届ける
ことができ、子どもたちに必要な遊びの道具を提供できたため、「自分も役に立っている」
という喜びを感じられた。遊びは、子どもたちにとって当たり前の時間だが、集団生活で普
段以上の我慢を強いられ、満足に遊ぶことができず、感情をため込んでしまうことがあると
思う。遊びを通じて、ふたをしていた気持ちを開放し、心を癒すことができ、私たちのおも
ちゃも子どもたちの心のケアに一役買っていることが、写真やビデオの子どもたちの生き生
きとした目から感じることができ、私も子どもたちから栄養をもらったように感じた。子ど
もたちのストレスを和らげるためにおもちゃが必要だが、それだけでなく人も必要だと思う。
子ども目線で寄り添い、共感する存在として、家族や地域の人々、そしてボランティアが交
代で居続ける体制を整えるなどの環境作りが大切ではないかと感じた。子どもたちが 1 日で
も早く笑顔を取り戻せるように、これからもお手伝いしていきたいと思う。
私は今まで(災害が起こる前まで)は、子どもたちが遊んでいることはごく普通のことで
遊びについて深く考えることはなかったと思います。災害が起きてからテレビに映っている
被災地の子どもたちを見て変化を感じとりました。泣き虫であった子が泣かなくなったり、
まだ災害が起きてから父親の葬儀を行っても涙を見せたことがない男の子であったりとい
ろいろな情報を知るたびに言葉を失いました。実際に、被災地の子どもたちに“遊び”を作
った時がとても印象に残っています。“遊び”は、私が小学生の頃を思い出すとただ単に楽
しいから、していました。被災地の子どもたちも楽しいから遊んでいるのだと思います。し
かし感じたのは“遊び”を通しての“安心”や“精神の安定”“伝えたいこと”があること
でした。そこから“遊び”に対する見方や考え方が変わりました。特に“津波ごっこ”には
衝撃を受けました。「津波だ!」と言ったら逃げ、逃げることができたら=生、逃げ遅れた
ら=死と子どもたちが判断し、笑顔で遊んでいました。しかし、その遊びが子どもたちに取
っては“怖かった印象的な出来事”と伝えることを感じとりました。伝えたいことを知らな
かったら、きっと私でも遊びをやめるように言ってしまうと思います。災害が起きてから、
子どもたちの遊び=楽しいという見方だけでなく、遊びを通しての“その子の思い”に目を
向けるという点が身についたと思います。表現を止め、周りに意思を伝えることを止めさせ
る行為は決してしてほしくないことだと思い、改めて考えさせられました。周りの大人が子
どもの気持ちを汲み取ってあげなければ、子どもの気持ちはなかったことになってしまいま
す。子どもだけに関わらず、障害者や女性も同じように守るべきもの=権利であると強く感
じるようになったと思います。
被災地の子どもたちに手作りのおもちゃを作ったことは良い経験になりました。現地に行
かずにできることが募金しか思い付かず、もやもやしていた私にとっては、この計画に関わ
れたことがすごくありがたかったです。手作りで作れる簡単なおもちゃ、と考えたときに、
自分の子どもの頃を思い出しました。そこで出てきたのが、びゅんびゅんゴマです。子ども
の頃に手作りした覚えがあるし、多くの人が遊んだことがあるような気がしました。そのび
ゅんびゅんゴマが採用されたので驚きましたが、材料を考えたり、買いに行ったり、下準備
をしているうちに責任感がわいてきました。それは苦しいものではなく、心地よい責任感と
いうか、自分が行動することで誰かに楽しみを与えることができるのかと思うと精一杯やろ
うという気持ちになりました。また、友だちと意見交換をしながら下準備をしたので、みん
なで協力して下準備を終えました。次の日は授業が始まる前からみんなで作業をし、時間内
に終わらなくとも、次の授業がない友達が手伝ってくれて作り終えました。この時の私はひ
とつの目的を達成するため、たくさんの人が協力して、意見を出し合ったり作り上げたりす
ることは素晴らしいことだと思えました。下準備でも、作っている時も、作り終えたときも
みんなの顔は真剣かつ楽しそうでした。
東日本大震災で被災した子どもたちの心のケアのために HPS スマイル・プロジェクトと
して被災地の子どもたちに自分ができることは、募金に協力をしたり、支援物資を送ること
しかできないと思っていました。この講義の中で被災した子どもたちのために、私が直接的
に役に立てることができると思い、とても嬉しく思いました。震災の影響で避難所生活の中
では充分に遊ぶことができない子どもたちのために、身近に遊べるおもちゃセットを作り、
被災地に届けることで、子どもたちが遊びの力で心の中に持っているストレスを軽減するこ
とができたり、遊びの中で今までに秘めていた感情をおもいっきり出すことができるのだと
分かりました。上手く感情を表に出すことのできない子どもたちのために、遊びの場や物を
提供していくことは子どもたちにとって不安や心配のない安心できることになってくると
考えた。私はソーシャルワーカーとして被災した子どもたちだけでなく、どの子にも関わる
ときには遊びを通じて子どもの気持ちを感じとり、支援・援助につなげていくことができる
と思いました。
今年の 3 月 11 日、東日本大震災が発生し多くの命が奪われました。私は、テレビ画面に
映る被災地の映像を見て言葉を失い、現実世界でしかも同じ日本で起きていることだと信じ
られませんでした。自身の映像を見るたび、自分の無力さを感じ、何か私にも力になれるこ
とはないか?と思う毎日で、募金活動に参加してみたり、スーパーなどで募金箱を見つける
と少しだけでも募金をさせてもらっていました。しかし、その義援金が実際に被災地の役に
立つのか、自分の目で確かめることができないため、ボランティア活動(募金)に消極的に
なってしまっていました。そんな時に、この授業で HPS スマイル・プロジェクトを知りま
した。クラスのみんなで、被災地の子どもたちに元気を取り戻してもらうために、らくがき
帳やびゅんびゅんゴマやあやとり用の輪を作り、子どもたちの遊ぶ姿を思いながらダンボー
ルにつめていきました。おもちゃを届けてから、私はテレビで被災地の様子が流れるたび、
子どもたちの気持ちについて考えるようになりました。幼くして家族や友だちを亡くした子
や大きな揺れ、津波を直接目にし、経験した子、私は同じ経験をしたことはないけれど、子
どもの気持ちを理解しようとテレビ画面を通じて“この子は今何を思っているのだろうか”
“笑顔を見せていても、心の中ではさみしい思いをしているのかな”など色々なことを思い
ます。また、実際に私たちが送ったおもちゃで子どもたちが遊んでいる様子を先生から写真
や映像で見させていただき、あの時に見た無邪気な子どもたちの笑顔が私は忘れられません。
遊びの力の大きさにも、私たちの子どもたちに笑顔になってほしい!という思いが届いたこ
とにも感動しました。少しでも遊びを通して子どもたちのストレスが減っていくと嬉しいで
す。
スマイル・プロジェクトでは、先生から「大量の数の落書き帳やあやとりをみんなでつくろ
う!!」と言われた時、このクラスのメンバーのみで完成させることができるのか?と正直、不
安な気持ちでいっぱいになった。しかし、お互いに声を掛け合い、クラスのみんなで協力し
合ったことによって、目標個数を達成させることができた。あのプロジェクトに関わったす
べての人の力が1つになったことが、一番大きいと思うが、そのなかでも「ブンブンゴマを
作る」というアイデアを出してくれた子、先頭を切って全体を仕切ってくれたリーダーたち
がいたからこそ、目標個数を達成させることが出来たのではないかと感じている。後日、松
平先生や江原先生が写真を見せながら現地に行ったときの様子を教えてくださった。その時
に、私たちの一生懸命作ったものを使って楽しそうに遊んでいた子どもたち、満面の笑みを
浮かべながら遊んでいた子どもたちを見ていて私まで嬉しくなった。もともとは「被災地の
子どもたちに『遊び』を提供することで、元気を取り戻してもらおう」という趣旨のもと、
行った活動であった。しかし、私たちが元気を与えたというより、私が被災地の子どもたち
から勇気や希望をもらったような気がした。それとともに私たちの力であれだけ大きな被害
を受け、悲しい思いや辛い経験をした子どもたちに笑顔をもたらすことができたという喜び
を身にしみて感じることができたので、とても嬉しかった。
私にとって、この 2 コマの授業での体験はかけがえのない経験となりました。
みなさんから学んだこと、みなさんが気付かせてくれたことを忘れません。
みなさんも、人は人の中で生きること、人は人の中で変わること、人は人の中で
成長することをいつも思い出してください。
2 月 27 日 松平千佳