本文は - 化学と生物

大腸菌の遺伝暗号の改変がもたらす
組換えタンパク質生産技術の革新
坂本健作
化学と生物 ●
日本農芸化学会
【解説】
遺 伝 子 の 塩 基 配 列は「遺 伝コード」によってアミノ酸 配 列に
翻 訳されてタン パク質が 生 合 成される.人 工 のアミノ酸 を 組
み 込 ん だ タン パ ク質を 合 成 する目的で,大 腸 菌 の 遺 伝コード
の改変が行われている.新規に作製された大腸菌株(RFzero
株 など)を 用いて,組 換 えタン パク質 の 複 数 個 所に人 工アミ
ノ酸(1 種類)を組込むことが既に可能になっている.現在,
きなかったことができるようになったりする.ここで解
説するタンパク質生産技術の新しい展開とは,まさにそ
のようなことである.遺伝暗号を OS にたとえたもう一
つの理由は,そもそも遺伝子組換え技術の用語にはコン
ピュータや情報処理を連想させるものが多いからだ.こ
2 種類以上の人工アミノ酸を自由に組込む技術の開発が進め
れは偶然ではない.20 世紀の後半にはコンピュータが
られている.
登場しているが,同時にヒト・ゲノムの解読に到達する
ほどに分子生物学が急速に発達した時代でもあった.
遺伝暗号とは何か?
ここで遺伝暗号についておさらいしておいたほうがよ
いだろう.それは,生き物の 2 つの“マジック”ナン
本解説は「遺伝暗号(または遺伝コード)
」を話題の
バーにかかわっている.つまり,DNA は“4 種類”の
中心にして,人工アミノ酸を組み入れたタンパク質の最
塩基(A, G, C, T)を含んでいて,タンパク質は“20 種
新の生産技術について解説することを目的にしている.
類”のアミノ酸からできている(図 1)
.遺伝暗号中で 3
遺伝暗号とはコンピュータの OS(オペレーション・シ
つ並んだ塩基は「コドン(codon)
」と呼ばれているが,
ステム)のようなもので,生物の基本的な性格を決めて
これは「コード(code)」に由来する用語である.遺伝
いる.OS が更新されれば,それに合わせてソフトウェ
暗号という日本語訳は少し古めかしくて,むしろ「遺伝
アも改良されて動作がスピード・アップしたり,従来で
コード」と呼ぶべきかもしれない.コドンという用語
は,陽子(プトロン)や電子(エレクトロン)と同じ語
Innovative Technology for Recombinant Protein Production
Using Engineered
Genetic Codes
Kensaku SAKAMOTO, 国立研究開発法人理化学研究所ライフサ
イエンス技術基盤研究センター
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
尾(-on)をもっていて,陽子や電子が物質の基本単位
であるように,コドンが遺伝の基本単位であることを示
唆している.
343
図 2 ■ 人工アミノ酸の例
作られるという法則の中にこそ生命の本質がある.
遺伝コードはコード化と翻訳の両方にかかわってい
図 1 ■ 遺伝コード
64 通りのコドンと 20 種類のアミノ酸およびタンパク質合成終止と
の関係を表にまとめた.コドンは mRNA 上の 3 塩基のまとまりを
指す用語なので,DNA を構成する塩基(A, G, C, T)ではなく
RNA の構成塩基(A, G, C, U)で表示するのが正しいが,本解説
では,便宜上,コドンもすべて DNA 中の塩基配列として表示し
ている.
●
日本農芸化学会
これまでに 100 種類以上の人工アミノ酸がタンパク質に導入され
ているが,数例について構造式を示した. -ベンゾイルフェニル
ア ラ ニ ン(1),3-ヨ ー ド チ ロ シ ン(2),4-ア ジ ド フ ェ ニ ル ア ラ ニ
ン(3), 硫 酸 チ ロ シ ン(4), ア ジ ド- -リ ジ ン(5), ア セ チ ル リ ジ
ン(6).
菌からヒトまで基本的に同じである.よって,ヒトの
DNA の情報を大腸菌に翻訳させてもヒトと同じアミノ
酸配列をもつタンパク質が作られることになる.1970
年代に華々しく登場した遺伝子組換え技術は,このよう
に遺伝コードが全生物で基本的に同じだという事実を利
用している.もし普通とは異なる遺伝コードをもった生
4 種類の塩基を 3 つ並べると,4×4×4=64 通りのコド
化学と生物 て,それだけに生物にとって非常に重要であるので大腸
ンを作ることができる.アミノ酸の種類は 20 種類でし
物を作ることができたら,どのようなタンパク質を作る
ことができるだろうか?
かないので,いくつかのコドンが同じアミノ酸に対応し
ていることになる.コドンがアミノ酸を「コード化」し
ていると表現しても良い.たとえば,TAT や TAC とい
う塩基の並びはチロシンというアミノ酸を意味してい
コドン・
“ハイジャック”
遺伝コードが改変された大腸菌について述べる前に,
る.また,TAG, TAA, TGA の 3 つの「終止コドン」は
類似の技術について説明しておきたい.ここで筆者が
文章中のピリオドのようなもので,遺伝子中のアミノ酸
「コドン・ハイジャック」と呼ぶ技術は,人工のアミノ
配列に対応した塩基配列の最後に登場する.なお,正確
酸をタンパク質に導入するために現在でも利用されてい
には,コドンは mRNA 上の 3 塩基のまとまり(トリプ
る手法である.遺伝コードには 20 種類の天然アミノ酸
レット)を指す用語であり,RNA を構成する塩基で示
がコード化されているが,これら以外のアミノ酸を「人
されるが,ここでは便宜上,DNA 中の塩基配列として
工アミノ酸」と呼ぶことにする.英語文献では,syn-
表示することにする.
「コード化」の考え方は分子遺伝
thetic, non-natural, unnatural, non-canonical などの形容
学の最も基本的な考え方であり,まさにコンピュータの
詞がつけられて登場する.デザインされたアミノ酸の意
世紀にふさわしく登場してきたものである.
「コード化」
味で designer amino acids と表記することもある.図 2
を「暗号化・符号化(encode)
」と言い換えると情報処
にいくつかの人工アミノ酸の構造式を示した.チロシン
理に関係した感じが出るだろうか.どんなタンパク質が
誘導体である化合物 1 は光反応性を有し,2 はタンパク
作 ら れ る か と い う 情 報 は DNA の 中 に 存 在 し て い て
質の構造安定化に利用され,さらに,4 は天然タンパク
(コ ー ド 化 さ れ て い て)
, こ の 情 報 を, 転 写 さ れ た
質の翻訳後修飾の再現に使われている.5, 6 はリジンの
mRNA を介して「翻訳(translate)
」することでタンパ
誘導体だが,6 は遺伝子発現制御などに関与する翻訳後
ク質が生産される.コード化と翻訳はちょうど反対の働
修飾アミノ酸であり,5 は 3 とともにタンパク質の部位
きである.生物の体を形作っている実体のある分子(タ
特異的な修飾に役立っている (1).人工アミノ酸をタンパ
ンパク質)の情報が DNA の中にコード化されていて,
ク質に導入する技術は,遺伝コードが改変されてしまっ
その情報が,転写,翻訳されることで次の世代の個体が
た状態を想像するとわかりやすい.つまり,天然のアミ
344
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
化学と生物 ●
日本農芸化学会
図 3 ■ アミノ酸がタンパク質に取り込まれるメカニズム
アミノ酸は専用の tRNA 分子の末端に,やはり専用のアミノアシル tRNA 合成酵素(aaRS)の働きによって結合し,そのままリボソームま
で移動する.ここに示した tRNA は mRNA 中の UAG コドンを読み取って,目的の人工アミノ酸を合成中のタンパク質に付け加え.UAG
コドンは本来タンパク質合成の終わりを意味するコドンなので,UAG コドンを認識してタンパク質合成を止める分子(RF-1)が細胞内に
存在している.したがって,UAG コドンが人工アミノ酸を付加した tRNA によって読み取られるか,RF-1 によって読み取られ翻訳が終了
してしまうかは確率的に決められる.
ノ酸と同じように専用のコドンをもち,遺伝コードの中
して使用することを考えてみよう.大腸菌はチロシン専
に位置づけられている状態である.このとき,人工アミ
用の tRNA と aaRS 分子をもっているので,まずは,こ
ノ酸といってもタンパク質に取り込まれるメカニズムは
れらの分子が働かないようにする必要がある.たとえ
天然のアミノ酸と全く同じである.詳しいことは生物学
ば,チロシンの生合成ができない大腸菌の変異株を富栄
の教科書を見てもらいたいが,簡単に説明すると次のよ
養培地で培養したのち,チロシンを含まない培地に移
うになる.アミノ酸はアミノアシル合成酵素(aminoac-
し,しばらくインキュベートする.これで,大腸菌の内
yl-tRNA synthetase; aaRS)と呼ばれる酵素の働き で
にはチロシンは全く存在しなくなるので,チロシン専用
tRNA に結合する(図 3)
.tRNA はアミノ酸を結合した
の tRNA も aaRS も働けなくなる.そこで,チロシン・
ままリボソームまで移動して mRNA 上のコドンと結合
コドンを目的の人工アミノ酸に翻訳するための tRNA と
し,そのアミノ酸を合成途上のタンパク質分子に組み込
aaRS の遺伝子を大腸菌に導入することで,これらの分
む.20 種類の天然のアミノ酸のそれぞれに専用の tRNA
子を発現させれば,大腸菌はチロシン・コドンをチロシ
分子,aaRS 分子,コドンが存在していて,遺伝子の塩
ンに翻訳しないで代わりに人工アミノ酸に翻訳すること
基配列を,mRNA を通してタンパク質のアミノ酸配列
になるだろう.これで,人工アミノ酸によるチロシン・
に翻訳するために働いている.
コドンのハイジャックが完成する(図 4)
.
人工アミノ酸がタンパク質に組み込まれる仕組みもこ
ハイジャックによって突然コドンの意味が変わってし
れと同じなので,人工アミノ酸にも専用の tRNA, aaRS,
まった大腸菌は当然のことながら生き続けることはでき
コドンが必要になる.tRNA や aaRS については専用の
ない.しかし,組換えタンパク質を大量生産するときに
分子を人為的に開発して大腸菌にもち込むことにする.
よく行われることは,大腸菌の増殖が限界に達してから
これまで人工アミノ酸と一口にまとめて呼んできたが,
目的の組換えタンパク質の生産を始めることである.こ
すでに 100 種類以上の人工アミノ酸が利用できるように
の場合,大腸菌を長期に生き続けさせることはあまり必
なっていて,それら一つひとつの人工アミノ酸について
要がなく,コドン・ハイジャックはタンパク質生産の観
(1)
専用の tRNA と aaRS 分子が開発されている .そこで
点からはそれほど不利ではない.この方法には何といっ
問題になるのは人工アミノ酸に割り当てる専用のコドン
ても,コドン・ハイジャックに使われるコドンに相当す
である.遺伝コードの 64 通りのコドンは天然のアミノ
る天然アミノ酸の一つを含まないタンパク質にしか適用
酸をコード化している 61 個のセンス・コドンと 3 つの終
できないという不都合があるが,人工アミノ酸をタンパ
止コドンから構成されていて,天然の遺伝コードの中に
ク質の分子中の何カ所にでも導入できるし,タンパク質
は人工のアミノ酸のためのスペースは残っていない.人
の生産量もある程度確保できるので実用的な技術だと見
工アミノ酸にコドンを割り当てるために,天然のアミノ
なされている (2).
酸の一つを大腸菌から除くことでセンス・コドンを人工
アミノ酸のために空ける方法が用いられることがある.
たとえば,チロシン・コドンを人工アミノ酸のコドンと
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
345
化学と生物 ●
日本農芸化学会
図 4 ■ 人工アミノ酸のタンパク質への組み込み技術の比較
アミノ酸を円で表示し,アミノ酸のつながったものとしてタンパク質を表示した.ある天然アミノ酸(たとえばチロシン)を白抜きの円
で,人工アミノ酸を赤い円で示した.コドン・ハイジャック法では人工アミノ酸を何か所にでも組み込むことができるが,タンパク質分子
中のすべてのチロシンが人工アミノ酸に置き換わる.部位特異的導入法では,チロシンに加えて人工アミノ酸を好きな位置に組み込むこと
ができるが,何カ所も組み込むことはできないし,目的の人工アミノ酸が組み込まれずにタンパク質合成が終了する場合もある.一方,コ
ドン再定義法では,それらの欠点を克服するように考案した.
コドン再定義
の情報が非常に役立った。大腸菌で使用頻度が一番少な
いコドンが TAG であり、わずか 7 つの必須タンパク質
コドン・ハイジャックが実用的な人工アミノ酸の組み
の遺伝子に登場するだけである。終止コドンにはほかに
込み技術であると言われても,何か釈然としない気持ち
TAA と TGA の 2 つがあるので,筆者らはこれらの 7 つ
の読者も多いだろう.新しいアミノ酸を利用するために
の遺伝子について TAG から TAA に変えるという操作
使えなくなるアミノ酸が生じるのは困ったことである.
を行った.このことで,TAG コドンが人工アミノ酸を
ちっとも使えるアミノ酸のレパートリーが増えていない
コード化するように意味が変わってしまっても,これら
ではないか,という不満も出てくるだろう.コドン・ハ
の必須タンパク質は正常に翻訳を終了し,生合成される
イジャック法の問題点は,コドンの意味が変わってしま
ことになる.終止コドンはセンス・コドンと違って,
うことに対する対策がされていない点に尽きる.大腸菌
tRNA や aaRS 分子の働きとは関係がない.翻訳終結因
のすべてのタンパク質分子の中でチロシンが人工アミノ
子(RF)と呼ばれる分子がリボソーム上の mRNA 中に
酸に置き換わってしまえば,機能不全に陥るタンパク質
終止コドンを見つけたら,その時点でタンパク質合成を
分子も多数生じるはずである.コドンの意味が変わって
終わらせるように働く(図 3)
.つまり,終止コドンに
しまうと遺伝情報が正しく翻訳されなくなるので,生物
タンパク質合成終止の意味を与えているのが RF 分子で
の中で遺伝コードを改変することは無理だと明確に主張
あ る. 細 菌 に は 2 種 類 の RF(RF-1 と RF-2) が あ り,
したのが F. H. C. クリック博士(DNA 二重らせん構造
TAG コドンを読み取っている RF-1 を大腸菌から取り除
の発見者の一人)である.しかし,筆者らはクリック博
いてもほかの 2 つの終止コドンの働きには影響がない.
士のこのテーゼ(主張)をひっくり返すことができるだ
ろうと考えた.
そこで筆者らは,人工アミノ酸専用の tRNA と aaRS
をコードする遺伝子を大腸菌に導入した.この tRNA は
筆者らは,大腸菌の増殖に必要なタンパク質について
TAG コドンを読み取る性質をもっている.さらに,7 つ
だけは,コドンの意味が変わることによる機能不全から
の必須遺伝子の TAG をほかの終止コドンに変えたとこ
救い出したいと考えた.あるコドンの意味がかわって
ろで,RF の遺伝子を大腸菌から取り除くことに成功し
も,同じ意味をもつ別のコドンがあるので,タンパク質
た.この結果,TAG コドンは終止コドンとしての意味
遺伝子の中であらかじめ別のコドンに変えておけば問題
を失い,人工アミノ酸をコード化するセンス・コドンと
は避けられるはずだ.そこで,必須タンパク質の遺伝子
してのみ働くようになった.つまり,クリック博士の一
中にできるだけ登場しないコドンを探して,それが
見強固と見えたテーゼは意外と簡単に覆されて,生物の
TAG 終止コドンであることがわかった.国立遺伝学研
中でコドンの意味を変更できることが証明されたわけで
究所のホームページで,大腸菌のどのタンパク質が増殖
ある (3).このようなコドンの意味の変更を,筆者らは
に必要であるかを徹底的に調べた結果が公開されている
「コ ド ン 再 定 義(codon reassignment, codon redefini-
が(PEC, http://www.shigen.nig.ac.jp/ecoli/pec/), こ
tion)と呼んでいる.コドン・ハイジャックとの違い
346
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
日本農芸化学会
●
化学と生物 は,第一に,大腸菌はこの状態で増殖を続けられるの
訳すると生産量がそれだけ低下するだけではなく,残り
で,コドン再定義は新しい大腸菌株の正常な状態だと言
の 70%の生産物は TAG コドンの位置で合成がストップ
える.筆者らはこの大腸菌を RFzero と呼ぶことに
したタンパク質になる.よって,完全長のタンパク質を
した.天然のアミノ酸のレパートリーはすべて利用可能
これらの不要なタンパク質から分離して精製する手間が
であり,人工アミノ酸は遺伝コードの中にしっかりと位
生じてしまう.特に TAG コドンがタンパク質の C 末端
置づけられている.TAG コドンは通常のアミノ酸のコ
付近にある場合には,完全長と不完全長のタンパク質の
ドンと同じように一つの遺伝子の中に何度でも登場する
構造的な差異は小さいので分離・精製が難しくなるだろ
ことができて,タンパク質中の対応する位置に人工アミ
う.一方,RFzero 株では完全長タンパク質しか生じな
ノ酸が組み込まれることになる.筆者が大腸菌 RFzero
いので,このような手間も心配も生じない.
株について特に面白いと感じる点は,この大腸菌は人工
ここで,コドン再定義が,ゲノムから発現しているタ
のアミノ酸がないと増殖できないことである.通常のア
ンパク質に与える影響について少し説明したい.RFze-
ミノ酸要求性は,アミノ酸を栄養源として必要とする性
ro 株では,必ずしも増殖に必須でない遺伝子の末端に
質である.これに対して,RFzero 株のアミノ酸要求性
は TAG コドンが残っているため,TAG コドンが人工ア
は,TAG コドンがアミノ酸に翻訳されることが,この
ミノ酸に翻訳されることによって長さが延びた異常なタ
株の増殖に必須であることからきている.この株のゲノ
ンパク質が発現している.これらのタンパク質は必須タ
ムには TAG コドンがそのまま残っていて mRNA にも転
ンパク質ではないとしても,大腸菌の増殖にはさまざま
写されているので,RF が存在せず終止コドンとして働
な形で関与しているので,このような異常タンパク質が
けない以上,何らかのアミノ酸に翻訳されることが
菌の増殖に影響を与えている可能性がある.実際には,
RFzero 株の増殖には必要になっている.
C 末端の延長はタンパク質の活性には大きな影響は与え
ないが,発現量の低下を招くことがあり,その結果とし
コドン再定義と従来技術との比較
てさまざまな表現型が現れている.たとえば,低温に対
する適応力の低下や,増殖曲線の変化などである.関連
RF を大腸菌から除去しないまま,人工アミノ酸専用
するタンパク質遺伝子の末端の TAG コドンをほかの終
の tRNA と aaRS 分子を大腸菌に導入するとどうなるだ
止コドンに変えることで,RFzero 株の増殖を改善する
ろうか? 実は,この方法は人工アミノ酸をタンパク質
ことができる.どれくらいの数の非必須遺伝子について
に導入する方法として 10 年以上にわたってスタンダー
TAG コドンの置換を行うと良いかについては後述する.
ドな方法 (1) であった(ここでは,
「従来技術」と呼ぶ).
ここで,本解説に登場した 3 つの技術を整理しておき
RF が残っているので TAG は終止コドンとしての働きを
たい(図 4).このセクションで「従来技術」と呼んで
続ける一方で,導入された tRNA, aaRS は TAG コドン
いる方法は,文献では人工アミノ酸の「部位特異的導入
を人工アミノ酸に翻訳しようとするので,この 2 つの働
法(Site-specific incorporation method)」と呼ばれてい
きがタンパク質合成の場で競合してしまうことになる.
ることが多い.対比的に,コドン・ハイジャック法は
つまり,タンパク質合成中に TAG コドンが現れると,
「残 基 特 異 的 導 入 法(Residue-specific incorporation
人工アミノ酸に翻訳されるか,タンパク質合成を止める
method)」と呼ばれる.ただ,これらのネーミングは,
かのどちらかの現象が確率的に起きる.1 カ所につき
人工アミノ酸の組み込み技術としてこの 2 つの技術しか
30%の確率で TAG コドンが人工アミノ酸に翻訳される
存在しなかった時代のものなので現在では適当とは思え
とすると,TAG コドンが 4 カ所登場する遺伝子が最後
ない.図 4 のイラストからも明らかなように,従来の 2
まで翻訳される確率は 1%未満まで落ちてしまう.
つの技術が抱えていた問題点はコドン再定義によって解
このように,従来技術と違い,きちんと遺伝コードが
決されている.コドン再定義法の欠点は,今のところ適
改変された大腸菌 RFzero 株では遺伝子中に TAG コド
用範囲が大腸菌にとどまることで,動物細胞や酵母など
ンが何度登場しても最後まで翻訳されて目的のタンパク
では利用できない.
質が生産される.人工アミノ酸を 1 カ所だけ組み込んだ
では,タンパク質分子中に何カ所も人工アミノ酸を組
タンパク質を生産する場合でも,TAG コドンは 100%の
み込むことにどんなメリットがあるだろうか? 従来の
確率で人工アミノ酸に翻訳されるので,このことからも
部位特異的導入法では,タンパク質の 1, 2 カ所にしか人
「コドン再定義」技術の利点は明らかだろう.従来技術
工アミノ酸を組み込むことができなかったので,そのよ
を用いて 30%の効率で TAG コドンを人工アミノ酸に翻
うな制約の中で人工アミノ酸の利用法が考えられてき
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
347
た.たとえば,アジド基をもった人工アミノ酸をタンパ
ク質に導入してクリック・ケミストリーなどの特異的な
化学反応を行うことで,タンパク質の部位選択的な化学
ここまで,一度に 1 種類の人工アミノ酸をタンパク質
修飾が可能になる.また,光反応性の人工アミノ酸(た
に組み込む技術について述べてきた.せっかく利用でき
とえば, -ベンゾイルフェニルアラニンなど)を導入す
る人工アミノ酸が何十種類もあるのだから,複数種類の
ることで相互作用しているタンパク質どうしを共有結合
人工アミノ酸を 1 つのタンパク質分子に一度に組み込み
日本農芸化学会
(4)
で結ぶような応用も行われている .これらの利用法で
たいと誰でも思うだろう.いろいろと技術的な制約はあ
は,人工アミノ酸をタンパク質分子中の多数箇所に導入
るが,基本的な考え方は既に説明したとおりであって本
することにはあまり意味がない.RFzero 株の開発を契
質 的 な 違 い は な い. 人 工 ア ミ ノ 酸 A に 専 用 の tRNA,
機に筆者らは人工アミノ酸の新しい応用を模索して,ハ
aaRS,コドンを用意し,人工アミノ酸 B にも同じよう
ロゲン化チロシンをタンパク質分子中の数カ所に組み込
に tRNA, aaRS,コドンを用意すれば良い.これまでに
む実験を行った.その結果,タンパク質の立体構造が安
さまざまな提案と予備的な成果が報告されているが,そ
定化されることを見いだし,ハロゲン化チロシンの導入
れぞれの技術についてはタンパク質の生産方法として実
がタンパク質の簡便な安定化技術になりうることを報告
用性をどこまで高められるかという競争になっている.
(5)
した .今後さらにコドン再定義を活用したユニークな
タンパク質改変技術が登場するものと期待している.
●
ここでは 2 つのアプローチを取り上げて解説したい.
一つは,コドン再定義の応用である.TAG コドンを
RFzero 株の最初の報告は 5 年前になる.筆者らは改
人工アミノ酸に再定義したうえで,さらにほかのコドン
良を続けて,今年になって B-95. ΔA 株の開発を報告す
を別の人工アミノ酸に再定義すれば 2 種類の人工アミノ
(6)
化学と生物 2 種類の人工アミノ酸をタンパク質に組み込む
ることができた .B-95.ΔA 株では,非必須タンパク質
酸が組み込めることになる.大腸菌では,6 つあるアル
遺伝子についても TAG コドンをほかの終止コドンに置
ギニン・コドンのうち AGG の使用頻度が TAG コドンに
換することで,合成培地や低温における増殖能について
次いで低い.といっても 1,000 個の遺伝子中に 1,500 回登
大幅な改善が達成されており,タンパク質生産に適した
場するので,すべての AGG コドンをほかのアルギニ
大腸菌株になっている.これに対して,ハーバード大学
ン・コドンに置換するアプローチは現実的ではない.筆
の研究グループは C321.ΔA 株の開発を 2013 年に報告し
者らは TAG コドンの再定義の際に,必須遺伝子の TAG
(7)
ている .いずれの大腸菌株でも RF の除去によって
コドンだけほかの終止コドンに置き換えれば良いことを
TAG コドンの再定義を実現しているが,違っている点
示しているので,AGG コドンについても同じアプロー
は,コドン再定義の悪影響を抑えるために TAG コドン
チを試してみた.32 個の必須遺伝子中に 38 個の AGG コ
を ほ か の 終 止 コ ド ン に 置 換 し た 遺 伝 子 の 数 で あ る.
ドンが登場するので,これらすべてをほかのアルギニ
C321.ΔA 株ではゲノム中の約 300 カ所の TAG コドンを
ン・コドンに置換した.さらに,AGG コドンをホモア
すべて置換しているが,B-95.ΔA 株では 95 個の遺伝子を
ルギニンに翻訳する tRNA, aaRS を大腸菌 B-95.ΔA 株で
選 ん で TAG コ ド ン の 置 換 を 行 っ た.C321.ΔA 株 に は
発現できるようにした.ここで AGG をアルギニンに翻
TAG コドンで終止する遺伝子は存在しないのでコドン
訳する tRNA を大腸菌から除去してもこの大腸菌は増殖
再定義による悪影響はないが,TAG コドンの置換自体
を続けることができたので,AGG コドンがホモアルギ
が菌の増殖に悪影響を与えている部位が少なからず存在
ニンのコドンに変わってしまっても大腸菌にとって致死
し,その結果,増殖速度が遅くなっている.B-95.ΔA 株
的ではないことが示された (8).生化学的なデータから
は,このような悪影響を避けるように改変を行っている
も,この大腸菌では AGG コドンは,アルギニンではな
ので,高い増殖能力を維持している.しかし,TAG コ
くホモアルギニンをコード化していることが確かめられ
ドンをさまざまな人工アミノ酸に再定義にしたときに,
ている.ホモアルギニンは,アルギニンの側鎖が 1 炭素
悪影響が全くないとは言い切れない面がある.このよう
原子(メチレン基)分だけ長いアミノ酸である.AGG
に, 筆 者 ら の RFzero 株 や B-95.ΔA 株 と 比 較 し て C321.
コドンをホモアルギニン以外のアミノ酸に再定義するこ
ΔA 株の使いやすさは一長一短である.なお,RFzero 株
とには未だ成功していないので,2 種類目の人工アミノ
と B-95.ΔA 株は筆者の研究室から配布しているので,一
酸をタンパク質に自由に組み込むところまで到達できて
定の手続きを経てから研究に使っていただくことができ
いないが,コドン再定義のわれわれのアプローチが
る.
TAG 終止コドン以外でも有効であることを示した結果
である.
348
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
図 5 ■ オーソゴナル・リボソームによる人工アミノ酸の組み込み
化学と生物 ●
日本農芸化学会
第二リボソーム・システムでは 2 種類の人工アミノ酸をタンパク質に組み込むために,第二種 mRNA という特別な塩基配列をもつ mRNA
も同時に使用する.たとえば,アルギニンの本来のコドン AGG に一つだけ A を足して,AGGA という 4 塩基コドンを,その人工アミノ酸
(図中,人工アミノ酸 B に相当)のために使用している.このような人工的なコドンを効率良く人工アミノ酸に翻訳するためにリボソーム
には手が加えられている(9).
2 種類の人工アミノ酸を組み込むための技術として
物細胞 (10) や動物個体 (11) においても人工アミノ酸をタン
(9)
「オーソゴナル・リボソーム(orthogonal ribosome)」
パク質に組み込む目的に利用されているが,実用的なタ
が知られている.オーソゴナルは直交するとか,異質
ンパク質生産方法としては今後改良が必要である.部位
な,と訳すことができるが,意訳すると「第二のリボ
特異的導入法も動物個体 (12) で人工アミノ酸を組み込む
ソーム・システム」と表現できるだろう(図 5)
.大腸
ために応用されたが,タンパク質生産を目指したもので
菌の増殖に必要なリボソームには手を触れず,特定の
はない.タンパク質生産の目的には動物細胞 (13) で部位
mRNA だけを翻訳するリボソームを同じ大腸菌の中に
特異的導入法が使われている.また,無細胞タンパク質
用意する技術である.第二リボソームによって翻訳され
合成システムも人工アミノ酸を組み込む目的には十分に
る mRNA をここでは「第二種 mRNA」と呼ぶことにす
役立っている.4 つの塩基から構成される「4 塩基コド
る. リ ボ ソ ー ム は mRNA の 塩 基 配 列 の 中 の「シ ャ イ
ン」(14) や,人工塩基対を利用して人工のコドンを作り出
ン・ダルガノ配列」と呼ばれる塩基配列を認識して結合
す研究の進展にも気をつけておきたい (15, 16).
する.第二リボソームは,これとは異なる配列を認識し
て結合するように改変されたリボソームであり,特異的
な配列をもつ第二種 mRNA のみと結合してタンパク質
合成を行う.大腸菌の生育は通常のリボソーム・システ
ムが支えているので,人工アミノ酸の導入を効率化する
ために第二リボソームをどれだけ改変しても大腸菌の増
殖には影響がない.つまり,第二種 mRNA の塩基配列
を翻訳するルールは自由に改変することができる.実際
にこの方法によって 2 種類の人工アミノ酸をタンパク質
に組み込むことに成功している.この技術はタンパク質
の生産性がまだ低いが,人工アミノ酸をタンパク質に組
み込むためのスタンダードな技術の一つに育っていくと
期待されている.
本解説で紹介しなかった技術
本解説は大腸菌を使った組換えタンパク質の生産につ
いて述べているので,いろいろ取りこぼしたトピックが
ある.できるだけ文献を引用することにして,それぞれ
一言ずつ触れておきたい.コドン・ハイジャック法は動
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016
文献
1) C. C. Liu & P. G. Schultz:
, 79, 413
(2010).
2) J. A. Johnson, Y. Y. Lu, J. A. van Deventer & D. A. Tirrel:
, 14, 774 (2010).
3) T. Mukai, A. Hayashi, F. Iraha, A. Sato, K. Ohtake, S. Yokoyama & K. Sakamoto:
, 38, 8188
(2010).
4) N. Hino, Y. Okazaki, T. Kobayashi, A. Hayashi, K. Sakamoto & S. Yokoyama:
, 2, 201 (2005).
5) K. Ohtake, A. Yamaguchi, T. Mukai, H. Kashimura, N.
Hirano, M. Haruki, S. Kohashi, K. Yamagishi, K. Murayama, Y. Tomabechi
:
, 5, 9762 (2015).
6) T. Mukai, H. Hoshi, K. Ohtake, M. Takahashi, A. Yamaguchi, A. Hayashi, S. Yokoyama & K. Sakamoto:
, 5, 9699 (2015).
7) M. J. Lajoie, A. J. Rovner, D. B. Goodman, H.-R. Aerni, A.
D. Haimovich, G. Kuznetsov, J. A. Mercer, H. H. Wang, P.
A. Carr, J. A. Mosberg
:
, 342, 357 (2013).
8) T. Mukai, A. Yamaguchi, K. Ohtake, M. Takahashi, A.
Hayashi, F. Iraha, S. Kira, T. Yanagisawa, S. Yokoyama,
H. Hoshi
:
, in press (2015)
doi:10.1093/nar/gkv787.
9) H. Neumann, K. Wang, L. Davis, M. Garcia-Alai & J. W.
Chin:
, 464, 441 (2010).
349
日本農芸化学会
プロフィール
坂本 健作(Kensaku SAKAMOTO)
<略 歴>1987 年 東 京 大 学 理 学 部 卒 業/
1989 年同大学大学院理学系研究科修士課
程修了/1994 年博士(理学)(同大学)取
得/同年同大学大学院理学系研究科助手/
2008 年理化学研究所チームリーダー,現
在に至る<研究テーマと抱負>生物システ
ムの可変性,タンパク質の進化可能性<趣
味>読書,音楽鑑賞<所属研究室ホーム
ページ>http://www.clst.riken.jp/
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.343
化学と生物 ●
10) J. T. Ngo, J. A. Champion, A. Mahdavi, I. C. Tanrikulu, K.
E. Beatty, R. E. Connor, T. H. Yoo, D. C. Dieterich, E. M.
Schuman & D. A. Tirrell:
, 5, 715 (2009).
11) H. Teramoto & K. Kojima:
, 15, 2682
(2014).
12) S. Greiss & J. W. Chin:
, 133, 14196
(2011).
13) K. Sakamoto, A. Hayashi, A. Sakamoto, D. Kiga, H. Nakayama, A. Soma, T. Kobayashi, M. Kitabatake, T. Takio,
K. Saito
:
, 30, 4692 (2002).
14) D. Kajihara, R. Abe, I. Iijima, C. Komiyama, M. Sisido &
T. Hohsaka:
, 3, 923 (2006).
15) I. Hirao, T. Ohtsuki, T. Fujiwara, T. Mitsui, T. Yokogawa, T. Okuni, H. Nakayama, K. Takio, T. Yabuki, T.
Kigawa
:
, 20, 177 (2002).
16) D. A. Malyshev, K. Dhami, T. Lavergne, T. Chen, N. Dai,
J. M. Foster, I. R. Corrêa Jr. & F. E. Romesberg:
,
509, 385 (2014).
350
化学と生物 Vol. 54, No. 5, 2016