日本経済情報 2016 年 4 月号

Apr 22, 2016
伊藤忠経済研究所
日本経済情報 2016 年 4 月号
Summary
【内 容】
アベノミクスの成否
に注目が集まる
アベノミクスによりデ
フレの進行には歯止
め
正念場を迎えるアベ
ノミクス
期待成長率の低下
が設備投資の拡大
余地を狭める
輸出押し上げ効果は
既に一巡
需給ギャップが拡大
しデフレ圧力が強ま
る
アベノミクスの行方
アベノミクス再考
アベノミクスの最終的な目標は、日本経済に長期停滞をもたらした深刻
なデフレ状態からの脱却であることは言うまでもない。そして、真の意
味でのデフレ脱却とは、単純に物価が上昇するだけでなく、経済が自律
的な拡大を続けることである。したがって、アベノミクスの成功とは、
持続的な物価上昇の基盤となる「正の好循環」を確立することである。
これまでの安倍政権の経済政策を振り返ると、いわゆる「三本の矢」に
よって 2014 年 4 月の消費増税前に需給ギャップが一旦解消、増税後も
2015 年中までは物価が上昇基調を維持し、デフレの進行に歯止めを掛
けることには成功したと評価できる。
しかしながら、「正の好循環」が十分に確立されていないこともあり、
ここにきてアベノミクスの効果に陰りが見え始めている。なかでも、企
業業績から賃金および設備投資への波及は、マクロ的に見る限り、十分
とは言えない状況にある。労働分配率は大きく低下しており、賃金は上
昇しているとはいえ、前回の消費増税をカバーするには程遠い状況であ
る。そのため、個人消費は 2016 年に入っても低迷が続いている。
また、企業の期待成長率も最近は低下している模様であり、成長期待が
高まる要因がなければ、設備投資の拡大局面は 2016 年度中にもピーク
アウトすると予想される。
輸出も、円安進行を背景とする拡大が概ね一巡し、2016 年に入り円高
が進行したことから円建て価格が下落に転じるなど、アベノミクスの効
果は弱まりつつある。今後も円高傾向が続けば、海外現地生産シフトの
加速も見込まれ、輸出が下押しされることとなろう。
伊藤忠経済研究所
主席研究員
武田淳
(03-3497-3676)
takeda-ats
@itochu.co.jp
こうした景気の停滞により、需給ギャップは再び拡大している。現時点
で想定される外部環境を前提とすれば、需給ギャップの解消は 2018 年
度以降となる可能性が高い。安倍政権は、これまで経済成長と財政再建
の「二兎を追う」方針の下、金融政策と成長戦略によって民間部門が主
導する景気拡大によりデフレ脱却、財政健全化を目指してきた。しかし
ながら、5 月下旬の経済政策策定を前に、まずは手段を問わずデフレ脱
却を目指すという原点回帰が必要な状況に来ているのではないか。
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
アベノミクスの成否に注目が集まる
日本経済の停滞が長引いていることもあり、最近は特に海外の方からアベノミクスの現状やその成否
について問われる機会が多い。また、5 月下旬に伊勢志摩 G7 サミットを控え、世界経済を牽引すべ
き主要先進国の一角として日本の経済政策に対する要請が強まっている。もちろん、今夏に予定され
る参院選においても、安倍政権の経済政策は重要な論点の一つとなろう。そうした情勢に鑑み、改め
てアベノミクスについて考えを整理したい。
まず、アベノミクスの最終的な目標を再確認すると、日本経済に長期停滞をもたらした深刻なデフレ
状態からの脱却であることは言うまでもない。そして、真の意味でのデフレ脱却とは、単純に物価が
上昇するだけでなく、物価の上昇が続くことを前提に経済活動が前向きになること、別の言い方をす
れば経済が自律的な拡大を続けることである。したがって、アベノミクスの成功とは、日本経済が持
続的な物価上昇の基盤となる「正の好循環」を確立することと考えて良いだろう。すなわち、下の図
の通り、物価の上昇が値上げを通じて企業業績を押し上げ、それを受けて企業は設備投資や雇用を拡
大、賃金を引き上げる。雇用・賃金の増加は個人消費や住宅投資を拡大させ、設備投資とともに景気
を押し上げ、需給ギャップが縮小、物価にさらなる上昇圧力がかかるというサイクルである。
これに加えて、物価の上昇は購買力の
デフレ脱却に向けた「正の好循環」
低下によって通貨の相対的な価値を
引き下げる 1ため、通貨の下落(円安)
が輸出を価格面ないしは数量面で押
し上げ、日本の場合は全体として企業
需給ギャッ
プ 縮小
値上げ
業績を改善させることになる。さらに、
円安が海外生産シフトの抑制や国内
生産回帰につながれば、国内の設備投
資を押し上げる要因ともなる。そのほ
か、企業業績の改善は株価の上昇を通
じて個人消費など国内需要を押し上
げる効果も期待される(資産効果)
。
一方で、物価の上昇は、金利の上昇につながり、設備投資や住宅投資を下押しすることになるが、金
利の上昇は金融政策によってある程度抑制することが可能であり、特に物価上昇時においては、金融
政策によって景気や物価をコントロールする余地が大きいと考えられる。
アベノミクスによりデフレの進行には歯止め
これまでの安倍政権の経済政策を振り返ると、いわゆるアベノミクス「三本の矢」の一つである「大
胆な金融緩和」によって金利水準を引き下げ国内需要を刺激するとともに、
「機動的な財政政策」で直
接的に需要を押し上げ、需給ギャップの縮小を図った。加えて、
「民間投資を喚起する成長戦略」を打
例えば 1 ドル=100 円の時に買えた物が、日本で 110 円に値上がりし、米国では 1 ドルのままであった場合、その物を買
えるかどうかという価値(購買力)で通貨を比較すると、1 ドル=110 円となり、円安ドル高となる。
1
2
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
ち出し、企業の設備投資拡大を促した。また、金融緩和は通貨の下落を誘い、大幅に円安ドル高が進
行、企業業績の改善につながったほか、輸出の押し上げや設備投資の海外流出(海外生産シフト)抑
制にも一定の効果があった。さらに、企業に対して賃上げの実施を働きかけ、久方ぶりのベースアッ
プを実現させるなど、その手法の是非については議論の余地があるにせよ、デフレ脱却に向けてあら
ゆる手を尽くす姿勢は評価すべきであろう。
そして、こうした政策総動員の成果、安倍政権が誕生した 2012 年 10~12 月期には GDP 比 2%を上
回っていた需給ギャップ 2は、消費増税前の駆け込み需要もあって 2014 年 1~3 月期に一旦解消、消
費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)は前年同
需給ギャップと消費者物価の推移(GDP比、前年同期比、%)
2
期比+1.3%まで高まった。その後、消費増税によ
る景気停滞にエネルギー価格の下落が加わり、
1
2015 年に入るとゼロ前後での推移が続いたが、
0
食料やエネルギーを除いた消費者物価の伸びは、
▲1
2015 年 1~3 月期の前年同期比+0.1%から 10~
▲2
12 月期には+0.8%へむしろ高まっていたことか
▲3
ら、景気の停滞が長期化する下でも、デフレ脱却
に向けて着実に前進しているとの見方もあった。
除く消費税・食料・エネルギー
需給ギャップ(GDP比)
除く生鮮食品・消費税
▲4
2010
2011
2012
2013
2014
2015
( 出所) 内閣府、 総務省
少なくともデフレの進行に歯止めを掛けること
はできたと言えよう。
正念場を迎えるアベノミクス
しかしながら、アベノミクスの効果は、ここにきて陰りが見られる。日銀が 1 月に導入したマイナス
金利の効果が今のところ十分でないことが、その一つである。背景には、米中経済への懸念や原油価
格の下落といった海外情勢の悪化があり、必ずしも金融緩和の効果を否定するものではない。しかし
ながら、先に示した「正の好循環」が以下の通り十分に確立されていないことが、こうした外的要因
に対する抵抗力の弱さとなり、デフレ脱却を遠のかせ、場合によってはデフレに逆戻りするリスクが
高まっていることが、アベノミクスに対する疑問に結び付いている面もあろう。
労働分配率の推移(季節調整値、%)
所定内給与の推移(前年同月比、%)
5
74
※当研究所による季節調整値
72
4
70
3
68
2
66
1
64
0
62
▲1
60
▲2
58
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
▲3
2009
( 出所) 財務省
全体
フルタイム
パートタイム
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
( 出所) 厚生労働省
なかでも、企業業績から賃金および設備投資への波及は、マクロ的に見る限り、十分とは言えない状
況にある。財務省の法人企業統計季報によると、企業の経常利益は 2015 年 10~12 月期に 4 年ぶりの
2
内閣府の試算によると、2012 年 10~12 月期の需給ギャップは GDP 比▲2.4%であった。
3
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
前年同期比でマイナス(▲1.7%)に転じたとはいえ、それまで好調だったことから 2015 年通年では
増益を維持した(前年比+7.5%)
。そうした中で、労働分配率(企業が産み出した付加価値のうち労
働者に賃金として分配された割合)は、2012 年以降、低下傾向が続き、2015 年に入ってようやく下
げ止まった程度であり、その水準は前回ボトムを付けた 2007 年 1~3 月期の 61.6%を下回る状況が
続いている(当研究所試算の季節調整値)
。
賃金は、勤労者一人当たりの平均で、基本給(所定内給与)は 3 月に前年同月比+0.6%まで伸びを高
めるなど、小幅ながらも基本的に前年比でプラスを維持している。その意味ではデフレ脱却の必須条
件をクリアしてはいるが、伸びは小幅であり、残業代やボーナスを含めた賃金総額で見ても前回の消
費増税前の 2013 年から直近 2015 年にかけて、わずか 0.5%しか増加しておらず、未だ消費税率引き
上げ(5%→8%)による負担増をカバーしきれていない。さらに、日本労働組合総連合会(連合)の
集計(4 月 12 日時点)によると、今年の春闘賃上げ率 3は 2.07%(うちベースアップ 0.34%)にとど
まり、昨年の 2.35%(0.60%)から伸びは鈍化した。今後、賃金の上昇ペース加速を期待できそうも
ない状況である。
こうした賃金の伸び悩みもあり、個人消費は年明け後も低調である。3 月の百貨店販売(店舗数調整
済)は主力の衣料品が春物の出足不調などから前年同月比▲2.9%と落ち込み、1~3 月期でも前年同
期比▲1.6%と 4 四半期ぶりのマイナスに転じた(10~12 月期は+0.3%)。そのほか、3 月のスーパ
ー売上高(店舗数調整済)も衣料品の大幅落ち込みにより前年同月比▲0.3%へ、コンビニ売上高(既
存店ベース)も天候不順で客足が鈍り▲0.7%へ、いずれも減少に転じた。四半期の数字で見ると、ス
ーパーは 10~12 月期の前年同期比+0.5%から 1~3 月期は+1.8%へ伸びを高めたが、コンビニは伸
びが鈍化した(10~12 月期+1.6%→1~3 月期+0.6%)
。さらに、スーパーは食料品が中心につき閏
年で日数が多かった影響が強く出たことを踏まえると、これら主要な小売業の販売動向は総じて不振
である。
業態別小売り売上高の推移(前年同月比、%)
乗用車販売台数の推移(季節調整値、万台)
20
15
小売業計
コンビニ
スーパー
百貨店
18
10
16
普通車
小型車
軽自動車
14
5
12
0
10
8
▲5
6
※小売業計の直近期は1~2月平均。
百貨店、スーパーは店舗調整済、コンビニは既存店。 小売計のみ消費税含む。
▲ 10
2010
2011
2012
2013
2014
2015
4
2008
2016
( 出所) 経済産業省、 各業界団体
※当研究所試算の季節調整値
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
( 出所) 自動車工業会
自動車販売も冴えない状況が続いている。3 月の新車販売台数(乗用車)は前年同月比▲9.3%となり、
2 月の▲7.5%からマイナス幅が拡大、季節調整値(当研究所試算)でも前月比▲0.5%と 3 ヵ月連続
のマイナス、減少傾向に歯止めが掛かっていない。1~3 月期で見ると、前期比▲2.5%と 5 四半期連
続のマイナス、水準は年率 484.9 万台まで落ち込んでいる。こうした物販動向を見る限り、個人消費
の低迷が続いており、緩慢過ぎる賃金の上昇ペースがその一因だと言えよう。
3
前年との比較が可能な 222 組合のみが対象。
4
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
期待成長率の低下が設備投資の拡大余地を狭める
また、企業業績の改善が設備投資の本格的な拡大に結び付くためには、企業の期待成長率が高まり、
設備の更新のみならず、能力増強投資にまで広がりを見せる必要がある。さらに言えば、現状、0.4%
程度(内閣府試算)とされる潜在成長率を引き上げるためには、生産能力の拡大が不可欠であり、労
働力不足の状況を踏まえると尚更ということになる。
しかしながら、企業の期待成長率は、むしろ低下している可能性がある。内閣府の「企業行動に関す
るアンケート調査」
(2016 年 1 月調査)によると、次年度(2016 年度)の成長率見通しは平均で前年
比+1.6%であり、昨年同時期の+1.7%から小幅ながら低下した。設備投資の判断となる期待成長率
という意味では、
「今後 5 年間」の見通しがより相応しいと考えられるが、今回の調査では前回の+
1.9%から+1.6%へ、より大きく低下している。年初来の景況感の悪化や景気停滞が長期化している
現状を踏まえると、期待成長率はさらに低下している可能性が高い。
企業の期待成長率の推移(%)
2.0
1.5
2012年Q1
5
0.5
0
0.0
2017年Q1
▲5
▲ 0.5
2010年Q1
2018年Q1
▲ 10
▲ 1.0
次年度の見通し
今後5年間の見通し
▲ 2.0
2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
( 出所) 内閣府
期待成長率
2015年Q4
2011年Q1
10
1.0
▲ 1.5
民間設備ストック循環図
設備投資の前年同期比(%)
15
1.5%
1.0%
2009年Q1
▲ 15
▲ 20
2.0%
5.0
5.1
5.2
5.3
5.4
5.5
5.6
0.0%
0.5%
5.7
5.8
5.9
6.0
前期のIK比率(%)
( 出所) 伊藤忠経済研究所による試算
期待成長率と設備投資の関係をストック循環図(上右図)によって確認すると、現時点(2015 年 10
~12 月期)は期待成長率が 1%をやや上回るところに位置しているとみられ、仮に期待成長率が 1%
台前半へ低下したとしても、設備投資の拡大局面は今しばらく続きそうである。ただ、海外経済への
懸念が払拭できていない中で、為替相場が円高方向に振れたこと、2017 年 4 月に消費増税が予定さ
れていることなど、日本経済の先行きに関する不透明さは増している。こうした下押し圧力を上回っ
て成長期待が高まる要因がなければ、設備投資は 2016 年度中にもピークアウトすると予想される。
輸出押し上げ効果は既に一巡
輸出については、アベノミクスによる円安進行を受けて 2013 年は円建て価格の上昇が先行、数量ベ
ースでは 2013 年後半に持ち直したが、その後は一進一退で推移し、2015 年に入ると海外需要の停滞
を主因に落ち込んだ(次ページ左図)
。すなわち、アベノミクスがもたらした円安の輸出に対する効果
は、円建て価格上昇を中心とし、数量を若干押し上げたということになろう。その後、2015 年終わり
頃には円安が一服、2016 年に入り円高が進行したことから円建て価格が下落に転じ、アベノミクスの
効果は弱まりつつある。
最近の動きを見ると、輸出価格は 2015 年 11 月に前年同月比でマイナスに転じ、2016 年 1~3 月期に
は前年同期比▲4.7%までマイナス幅が拡大した。ただ、その一方で、輸出数量指数は、2015 年 10~
12 月期の前年同期比▲4.1%から 2016 年 1~3 月期には▲3.2%へマイナス幅が縮小、単月で見ると 1
月の前年同月比▲9.1%から 2 月+0.2%、3 月▲1.0%と、
直近 2 ヵ月は概ね前年並みで推移している。
5
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
また、当研究所試算の季節調整値では、10~12 月期に前期比+0.1%と下げ止まり、1~3 月期には+
1.1%とやや増勢を強めた。それでも水準は未だ前年同期を大きく下回っており、それまで大きく落ち
込んだ反動という面が強い。今後も円高傾向が続けば、輸出は円建て価格が一段と下落するだけでな
く、数量ベースで再び軟調推移に転じる可能性がある点に留意が必要であろう。
輸出価格指数と数量指数の推移(前年同期比、%)
15
海外現地生産比率の推移(%)
24
価格指数
22
数量指数
10
20
5
18
16
0
14
▲5
▲ 10
2012
12
2013
2014
2015
※最新期は見込み
10
2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
2016
年度
( 出所) 財務省
( 出所) 内閣府
さらに、新たな懸念材料として、一服の兆しが見られた海外生産シフトの動きが再び強まることを指
摘できる。前出「企業行動に関するアンケート調査」によると、製造業の海外現地生産比率は、2013
年度の 22.3%から 2014 年度は 21.6%へ小幅ながらも低下した。2012 年終わり頃からの円安進行が
背景にあると考えられる。2015 年度も 22.1%へ上昇したと見込まれてはいるが、2013 年度以降で見
れば横這い圏であり、海外生産シフトの動きには歯止めが掛かっている状況と言える。
しかしながら、多くの企業は基本的に需要地生産の方針を維持しており、今後も円高が進めば、一旦
様子を見ていた海外生産シフトの動きを再び加速させる可能性がある。そうなれば、
輸出に関しては、
当初こそ生産設備などの資本財や、現地生産に必要な生産財の拡大につながる部分はある。しかしな
がら、設備の設置が終われば資本財の輸出は一巡、さらに、原材料調達の現地化が進めば生産財の輸
出も細っていくため、最終的に最終製品の輸出減という影響だけが残ることは、過去の経験が示す通
りである。
需給ギャップが拡大しデフレ圧力が強まる
2014 年 4 月の消費増税以降、景気の回復力が思った以上に弱いことから、現時点でもデフレ圧力は
根強く残っている。内閣府の試算によると、2015 年 10~12 月期に需給ギャップは GDP 比▲1.6%ま
で拡大した。さらに、2016 年 1~3 月期の実質 GDP 成長率は、1 月以降の主な需要動向を見る限り、
前期比で横ばい程度にとどまる可能性が高い。そのため、仮に潜在成長率を 0.4%とすれば、需給ギ
ャップは足元で更に拡大していることになる。
当研究所では、2017 年 4 月に予定通り消費増税が実施されることを前提に、2016 年度の実質 GDP
成長率を前年比+1.3%と予想 4しているが、仮にそれが実現したとしても 2016 年度中に需給ギャッ
プは解消せず、デフレ圧力が残ることになる。しかも、消費増税後の 2017 年度は低成長が見込まれ
るため、需給ギャップの縮小は見込めない。そうした中で円高地合いが続けば、輸入物価の下落を通
じて国内物価の下押し圧力が強まり、インフレ期待がデフレ期待へ振れるリスクが高まろう。
4
詳しくは、2016 年 3 月 24 日付「日本経済情報 2016 年 3 月号」参照。
6
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アベノミクスの行方
以上の通り、アベノミクスはデフレの進行に歯止めを掛け、経済に「正の好循環」をもたらしつつあ
ったことは事実であるが、海外情勢の悪化という逆風もあり、その成果は十分とは言えず、未だデフ
レ脱却という最終目標の達成には目途がついていない。その一方で、日本政府の財政状況は、ようや
く毎年の赤字幅が縮小し始めたとはいえ、赤字であり債務残高が積み上がり続けていることに変わり
はない。
安倍政権は、これまで経済成長と財政再建の「二兎を追う」方針の下、財政支出の拡大を伴う景気刺
激策をできるだけ控え、金融政策と成長戦略によって民間部門が主導する景気拡大によりデフレ脱却、
税収増による財政健全化を目指してきた。ただ、先に見た現在の状況から判断する限り、そうした方
針の結果、税収増を急ぐ余り民間部門主導の自律的な景気拡大を遅らせた面があり、さらに、それを
カバーすべき企業の期待成長率引き上げが不十分であったことが、問題点として指摘できよう。そし
て、金融政策へ過度に依存したため、その効果の低下がアベノミクス自体の限界と見られ易くなって
いるのであろう。
その意味でも、昨年 9 月に打ち出された「新 3 本の矢」と呼ばれる新たな経済政策の実効性が注目さ
れる。その内容を改めて確認すると、①「希望を生み出す強い経済」として名目 GDP を 2015 年度の
約 500 兆円(当研究所見込み)から 2020 年度に 600 兆円に拡大させ、②「夢を紡ぐ子育て支援」と
して出生率を現状の約 1.4 から 1.8 へ引き上げ、③「安心につながる社会保障」として介護離職ゼロ
などを目標に掲げたものである。ただ、①の GDP600 兆円達成には名目成長率を平均で 3.5%程度ま
で引き上げる必要があり、仮に政府が目指す実質成長率 2%が実現しても物価上昇分で 1.5%押し上げ
る必要がある。しかも、高まらない期待成長率や消費増税による下押しを勘案すると、実質成長率は
せいぜい 1%程度とするのが現実的であり、その場合は物価上昇で残る 2.5%分を補う必要がある。し
たがって、早期デフレ脱却の実現とともに、物価上昇を国民に受け入れられるため、まずは政権自身
が物価上昇の覚悟を決めることが必須であろう。
②の子育て支援については、最終的に出生率を目標水準まで引き上げられるかはともかく、保育所の
整備や規制緩和、教育コストの軽減など、やるべきことは明確である。それらの多くは実需に結び付
き景気を押し上げるものであり、大胆かつ速やかな具体化と実施が求められる。③の社会保障につい
ては、介護負担の軽減による労働余力の捻出という観点だけでなく、社会保障制度の維持可能性と実
効性を高めることで国民の将来不安を緩和し、個人消費の拡大につなげていく必要があろう。そのた
めには、ただでさえ肥大化している社会保障のスリム化も並行して進めていくことも重要となる。
これらの具体策は 5 月下旬までに取りまとめられる予定であるが、実質成長率の目標をどの程度に設
定し、その実現のために企業の期待成長率をどの程度高められるのかが重要となり、社会保障改革に
ついても踏み込んだ策が期待される。
加えて、喫緊の課題として、デフレの根底にある需給ギャップの早期縮小や、自律的な回復を促す配
慮も必要であり、前者は景気対策、後者は消費増税のタイミングということになる。景気対策につい
ては、先般の九州における震災被害の対応策とともに、早ければ秋頃にも補正予算が編成される見通
しであり、その中には上記の子育て支援が盛り込まれるだろう。消費増税については、現時点で安倍
政権は先送りをせず予定通り 2017 年 4 月に実施する方針を維持しており、その場合は景気に大きな
7
日本経済情報
伊藤忠経済研究所
下押し圧力のかかる 2017 年度に十分な景気下支え策を用意する必要があろう。もちろん、景気動向
次第では先送りも有効な選択肢であるが、その際には 2016 年度に駆け込み需要が発生しないため、
現在、停滞が続いている景気を着実に回復軌道に乗せるべく、早期に十分な景気刺激策が求められる
ことになる。すなわち、予定通り消費増税を行っても追加の財政支出が必要となり、増税を先送りし
ても需給ギャップ縮小のために需要の追加が必要となる。いずれにしても、経済成長と財政再建の「二
兎を追う」ことは困難になりつつある。そろそろ、デフレ脱却こそが最優先課題であるという原点に
返り、まずは手段を問わず物価上昇を目指し、成長よりもインフレに多くを依存する財政再建をも許
容する姿勢を明確にする時期が来ているように思う。
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊
藤忠経済研究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負い
ません。見通しは予告なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と
整合的であるとは限りません。
8