【沖縄県教育庁文化財課史料編集班】 【Historiographical Institute, Okinawa Perfectual board of Education 】 Title Author(s) Citation Issue Date URL Rights 「第二回勧業博覧会解説書」にみるジュゴン史料につい て 小野, まさ子 史料編集室紀要(31): 73-76 2006-03-30 http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/okinawa/8344 沖縄県教育委員会 史 料 編集 室紀 要 第31号 (2006) 「第 二 回 勧 業 博 覧 会 解 説 書」 に み る ジ ュ ゴ ン 史 料 に つ い て 小野まさ子 はじめに くり 琉 球 大 学 附 属 図 書 館 に、 『八 重 山 島 資 料』 と 銘 さ れ た 資 料 が あ る。 こ れ は、 喜 舎 場 永 殉 収 集 資 料 の マ イ ク ロ 撮 影 写 真 資 料 を 製 本 し た も の で あ る。 こ の 『八 重 山 島 資 料』 の16冊 目 は、 「郷 土 資 料」 と い う タ イ ト ル で、 近 世 末 か ら 近 代 に か け て の 八 重 山 地 域 の 行 政 資 料 を 集 成 し た 冊 で あ る。 そ の 冊 中 に、 ジ ュ ゴ ン に 関 する 史 料 が あ る の で 紹 介 す る 。 た だ し、 紹 の 介 す る 資 料 で は 、 ジ ュ ゴ ン は 「海 馬」 と し て掲 載 さ れ て い る の で 「海 馬」 、 以 下 の 文 で は と い う 用 語 で 現 わ し た。 内 国勧 業 博 覧 会 と 沖 縄 喜 舎 場 永 殉 は、 収 集 し た 資 料 に 索 引 を 付 し て 整 理 し て い た。 こ の 索 引 の 第66 項 目 に 「第 二 回 博 覧 会 出 品 解 説 書」 と い う 史 料 が あ る。 内 容 は 織 物 ・ 有 用 木 ・ 海 産 物 な ど の 形 態 や 製 法 の 解 説 で あ る。 す で に 得 能 氏 が 報 告 し て い る よ う に 「海 馬 」 の 出 品 に つ 、 八 重山 か ら の くヨ い て は、 石 垣 家 文 書 に 同 博 覧 会 の 出 品 の リ ス ト が 残 っ て い る 今 回 紹 介 す る 資 料 は 。 、 そ の リ ス トと 対 で あ る 可 能 性 が 大 き い 。 の さ て、 タ イ ト ル の 「第 二 回 博 覧 会 出 品 解 説 書」 の 博 覧 会 と は、 第 二 回 内 国 勧 業 博 覧 会 を さ す。 O No こ の 博 覧 会 が、 東 京 上 野 に お い て 開 催 さ れ た1881年 (明 治 14) M asak o: A C o m m entary on the C o ntents of th e D oc u m ents U sed in the は、 廃 藩 置 県 に よ り Preparatio n o f the D ug on g E x hibit in the S eco n d Jap anese In dustrial Pro m otio n E x hibition (1) 八 重 山 の 歴 史 ・ 民 俗 ・ 古 謡 の 研 究 者 (1885∼1972) 八 重 山 関 係 の 歴 史 資 料 の 収 集 で も 知 ら れ る 、 。 (2) 沖 縄 で は 「海 馬」 が ジ ュ ゴ ン を 指 す こ と は、 1884年 (明 治17) に 河 原 田 盛 美 の 起 稿 し た 「沖 縄 物 産 志」 (国 立 国 文 学 資 料 館 所 蔵) 等 よ り 明 ら か で あ る 。 (3)得 能 壽 美 「史 料 に み る ジ ュ ゴ ン (海 馬)」 に よ り 「六 二 (第 二 回 内 国 博 覧 会 出 品 目 、 石垣家文書 、 録)」 が 確 認 で き る。 (石 垣 市 史 編 集 室 編 『石 垣 家 文 書』 − (4) 1995 221− 225頁) 内 国 勧 業 博 覧 会 は 産 業 や 技芸 の発 展 に 主 眼 が置 かれ た 国 家 プロ ジ ェク ト で 、 珍しいだけの動植 物 や 鉱 物、 古 物 の 展 示 は 排 除 さ れ た。 1877 年 か ら 1903 年 ま で の 問 に 5 回 開 催 さ れ て い る 。 一 73 一 史 料 編 集 室 紀 要 沖 縄 県 が 設 置 さ れ た の1879年 (明 治 12) 第 31号 (2006) の わ ず か 2 年 後 で あ っ た。 琉 球 国 は、 置 県 以 前 に、 1866年 の パ リ 万 国 博 覧 会 へ 「薩 摩 ・ 琉 球 国」 と し て そ の 名 が 登 場 し 1876 年 (明 治 9) 、 の 米 国 で の 博 覧 会 (フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 万 国 博 覧 会) へ、 当 時 の 内 務 省 出 張 所 長 で あ っ た 川 原 くの 田 盛 美 が 琉 球 よ り の 出 品 物 の 準 備 し て い る 等、 博 覧 会 に 関 わ り は あ っ た が、 沖 縄 県 と し て、 日 本 国 内 の 博 覧 会 に 出 品 す る の は 初 め て で あ っ た。 内 国 勧 業 博 覧 会 は、 国 内 の 産 業 振 興 の た め に 開 催 さ れ る の で、 以 前 の 時 代 の 奇 異 奇 抜 な も の や 古 物 を 展 示 す る と い う 方 法 を 排 除 し、 出 品 物 に は、 将 来 的 に 有 用 な も の や 商 業 的 に 成 り 立 つ も の 技 を 極 め た も の が 要 求 さ れ た。 本 資 料 の 出 品 物 は、 ま ず、 白 細 上 布 に 始 ま 、 り 、 芭 蕉 布 に 至 る ま で の 4 種 の 染 織 品、 紫 檀 木 か ら カ ミ ツ マ ノ 木 ま で 7 種 の 有 用 樹 木、 イ リ コ (ナ マ コ の こ と)、 と こ ろ で 、 海馬 と い う 海 産 物 へ と 続 く 。 注 (2) で も 触 れ た よ う に こ こ で 出 品 さ れ て い る 海馬 は 漢 方 薬 の タ ツ ノ オ 、 、 の トシ ゴで はな い し 、 ま た 珍 獣 と し て で も、 伝 説 上 の 動 物 と し て の 扱 い で も あ り 得 な い。 そ れ で は 勧 業 博 覧 会 出 品 の 条 件 を 満 た す こ と に な ら な い の で あ る。 そ こ で、 本 資 料 中 の 海 馬 に つ い て の 内 容 を み て み る と、 捕 獲 法 と 利 用 法 の 2 つ の 情 報 が 含 ま れ て お り 、 中 で も 、 内 容 の ほ と ん ど を 詳 細 な 捕 獲 法 が 占 め て い る。 以 下 に 概 略 し て み よ う。 ま ず、 海 馬 を さ が す に は 「海 馬 認 メ 人」 と い う 専 門 家 が い る こ と、 漁 は 2 人 組 で 島 の 3 ∼ 6 里 ほ ど の 潟 で 1 週 間 ほ ど も 滞 在 し て お こ な う こ と、 海 馬 の 食 草 の 食 べ 具 合 を 見、 目 印 の 木 を 立 て、 小 舟 は 海 馬 の 所 在 を う か が う た め に 浜 ぎ わ を 漕 ぎ 廻 る こ と、 少 し 大 き め の 4 反 帆 船 は リ ー フ の 外 側 を 漕 ぎ 廻 る こ と、 く り 船 か ら 海 馬 を 見 つ け た と い う 合 図 が あ る と、 船 は 2 手 に 分 か れ、 海 馬 の 周 辺 を 両 方 か ら 綱 で 二 重 三 重 に 囲 む こ と、 そ の 後、 干 潮 を 待 ち 縄 で か ら め 取 り 四 反 帆 船 へ 載 せ る こ と、 そ の 際 に 海 馬 の 重 要 な 水 か き で あ る 「ハ ツ キ 俣」 (未 詳 語) を 切 り 取 る こ と、 が 書 か れ て い る。 ま た、 利 用 法 は、 安 産 の 妙 薬 と し て、 皮 を 剥 ぎ 取 っ て 乾 燥 さ せ、 妊 婦 の 産 の 時 に 飲 ま せ る と い う も の で あ る。 確 か に、 石 垣 家 文 書 の リ ス ト で も 「海 馬 皮 」 が 出 品 さ れ て い る。 く ラ 資 料 中 に は 、 (5) 海 馬 の 千 し 肉 が 王 府 へ の 御 用 物 で あ っ た こ と な ど の 過 去 の 話 は 出 て こ な 、 薩 摩 藩 は、 パ リ 万 博 に 際 し て、 日 本 (江 戸 幕 府) と は 別 に、 そ の 際、 薩 摩 ・ 琉 球 国」 と し て 参 加 し た が、 琉球 か ら出 品 物 が あ っ た か は 不 明 で ある 。 (6) 国 会 図 書 館 蔵 の 河 原 田 盛 美 「琉 球 在 勤 書 類」 は、 1876年 の 米 国 博 覧 会 出 品 に 関 す る 内 容 で あ る。 (7) 琉 球 ・ 沖 縄 の 民 話 に は、 ジ ュ ゴ ン (海 馬) に ま つ わ る 人 魚 伝 説 に 津 波 に 関 わ る も の が あ る。 、 (8) 『富 川 親 方 八 重 山 島 締 帳』 に 御 用 物 海 馬 の 手 形 入 れ の 内 容 が あ り (『沖 縄 県 史 料 首 里 王府 仕 置 2』 1989)、 『 八 重 山 島 諸 物 代 付 帳 』 に は、 「海 馬 1 斤 一 74 一 代 夫 壱 人」 と あ る。 『 史 料 編 集 室 紀 要 第 31号 (2006) ラ い。 一 方、 宇 仁 義 和 氏 の 分 析 に よ る と、 沖 縄 県 統 計 資 料 に も 項 目 と し て 挙 げ ら れ、 沖 縄 島 近 海 で も 相 当 数 の ジ ュ ゴ ン が 捕 獲iさ れ て い る こ と か ら、 商 業 化 の 可 能 な 物 産 と 捉 え ら れ た の で あ ろ う。 ま た、 そ の 漁 獲 技 術 も 特 徴 が あ り、 注 目 さ れ た の で あ ろ う。 以 上 の よ う に、 ジ ュ ゴ ン (海 馬) に 関 す る 近 代 初 期 沖 縄 の 史 料 を 紹 介 し た が、 染 織 や 有 用 樹 木 に 関 す る 資 料 と し て も 利 用 で き る も の で あ る。 と こ ろ で、 以 下 に 「第 二 回 博 覧 会 出 品 解 説 書」 全 文 を 掲 載 し た の で、 参 考 に し て い た だ き た い。 史 料 は と し て 文 書 の 状 態 を 基 本 と し た が、 漢 字 の 俗 字 等 は 本 字 に 直 し、 ま 、 原 則 た 文 中 の 行 割 り の 文 は、 ( ) で 表 示 し た。 ま た 、 明 ら か に 誤 記 で あ る 場 合 に は、 行 間 に で 訂 正、 も し く は そ の 旨 の 表 記 を し た。 () 第 二回勧業博覧会出品解説書 白細 上 布 是 レハ 麻 苧 ヲ 以 テ 紡 績 機 織 ス 幾 度 モ 海 水 二 洗 ヒ 白 砂 上 二 曝 シ 其 上 清 水 ニ テ 濯 上 ケ 色 較 白 ナ ル ニ 至テ仕上ヲナス 紺縞細上布 是 レハ 麻 苧 ノ 上 品 ヲ 以 テ 丸 一 夜 程 水 二 浸 シ シ ゴイ テ 水 ヲ 去リ 生 米 ノ 摺 米 ニ テ 粘 シ了 テ 之 ヲ 乾 シ 小 刀 ニ テ ス ゴ キ 細 ク ナ シ漸 ク 紡 シ 畢 テ ー 筋 宛 ヲ 以 テ 枠 二 掛 ケ 模 様 二 可 成 慮 ヲ 芭 蕉 ノ 皮 ヲ 以テ 結 ヒ 凡 三 十 筋 程 藍 二 染 メ 酢 ヲ 以 テ 藍 色 ヲ 止 メ 右 結 ヒ タ ル 芭 蕉ノ 皮 ヲ 取 リ 去 リ 豆 ノ 摺 水 ヲ 以 テ 洗ヒ 日 二 干 シ 揚 ケ 機 上 二 上 ス 緯 ハ 紡 績 シ テ カ ス リ ニ 可 成 分 ハ 形 板 二 (凡 二 十 筋 程) 懸 ケ 芭 蕉 ノ 皮 ヲ 以 テ 結 ヒ 其 結 ヒ タ ル トル 威 ハ 藍 色 ノ 染 マ リ 易 キ為 メ 芭 蕉ノ 皮 ヲ 透 フ シ 矢 張 三 十 篇 程 藍 二 染 竪ノ 通 リ 洗 ヒ 方 トノ 手 績 畢 リ 地 貫 ハ 紡 シ タ ル 侭 ニ テ 織 ス 了 テ 凡 五 六 日 間 砂 地 二 干 シ 又 弐 昼 夜 程 海 潮 中 二 漬 ケ 置 キ 板 上 ニ テ 掲 曝 シ 又 海 水 ニ テ 晒 シ 而シテ後 砂 上 二 乾 ス 如 此 ス ル 事 一 日 三 四 宛 ニ テ 凡 十 呂 問 ナ リ 又 清 水 ニ テ 洗 濯 シテ 干 シ 畢 テ 模 様 ヲ 点検 ス 若 不 良ノ 威 ア ラ バ 其 糸 ヲ 抜 キ 反 ノ 端 ヲ キリ 更 二糸糸ヲ 加 フ 而シテ后 畳 ミ 付 ケ 板 上 ニ ノ セ 砧 以 テ 打 チ 畢 テ 仕 上 ヲ 成 ス 赤縞細上布 是 レハ 前 顕 紺 縞 細 上 布 トー 般 芭蕉布 く 是 レハ 芭 蕉 樹 ノ 皮 ヲ 剥 キ 灰 水 ニ テ 煎 揚 ケ 長 サ ー 尺 五 寸 バ カ リ ノ 小 キ 圓 竹 ヲ 割 リ テ 以 テ 煎 ア ケ (9) 宇 仁 義 和 「沖 縄 県 の ジ ュ ゴ ン Dugong dugon 捕 獲 統 計」 (名 護 博 物 館 編 『名 護 博 物 館 紀 要 ・11 あ じ ま あ 』 2003) 一 75 一 史 料 編集 室紀 要 第 31 号 (2006) く カ タ ル皮 ヲ 竹ノ 割 目 二 校 ミ シ ゴ キ 取 リ 苧 ノ 如 ク ナ シ暫 時水 二 漬 シ紡 績 シテ 反 布 二 織 リ ナ ス 紫 檀木 是 レハ 本 島 宮 良 問 切 腎 底 村 山 中 二 産 シ 其 質 黄 赤 色 混 交 堅 木 ナ リ 俗 唱 二 屋ノ 棟 木 杯 二 用 ユ レハ 火 難ヲ 防 ト云 桑木 是 レハ 石 垣 西 表 両 島ノ 山 林 或 ハ 庭 上 トニ 生 長 ス 床 縁 ナ トニ 用 ユ レハ 数 百 年モ 保 チ 美 色 ナ リ 黒木 是 レハ 石 垣 西 表 両 島 山 中 二 産 ス 床 縁 ナ トニ 用 レハ 数 百 年 モ 保 ツ 久 葉木 是 レ ハ 與 那 国 島 山 中 二 産ス 外廓 美 ニ シ テ 中 心 洞 ア リ 火 鉢 或 ハ 障 子 縁 トニ 用 ユ レ ハ 至 テ 風 雅 ナ リ 赤木 是 レ ハ石 垣 西 表 両 島 二 産 ス水 中 二 用 レハ 数 百 年 モ 保 ツ 山ノ番木 是 レ ハ 石 垣 西 表 両 島 山 中 二 在 り 大 鉢 ナ トニ 作 用 ス レハ 能 ク 焼 ヲ 防 ク 山 林 焼 失 ノ 際 該 木 濁 リ 存 ス ル ヲ 以 テ 山 番ノ 稔 ア リ カ ミ ツ マ ノ 木 是 レハ 右 両 島 中 山 中 二 産ス 煎 シ 染 ム レバ 黄 色 ヲ 出 ス イ リ コ 是 レハ 所 轄 内ノ 海 中 二 産 シ普 通 海 鼠 ト 少 シ ク 質 ヲ 異 ニ シ 開 キ 干 シ モ トナ ル モ ノ ナ リ 海馬 くマ マラ 是 レ ハ 本 島 ノ 内 新 城 島ユ リ 捕 護 ス ル モノ ニ シテ 其 方 法 ハ 長 ケ 六 拾 丈 程 ノ 網 ヲ 調 ヒ 弐 ツ ニ 分 ケ 以 テ 四 反 帆 弐 艘 へ 積 ミ 入 レ 人 夫 三 十 人 余 乗 リ 合 凡 小 舟 壱 艘 ユ レハ 海馬 認メ 人 ト申 シ 人 夫 弐 人 乗 組 ミ 該 島 三 四 里或 ハ 五 六 里ノ 方 二 之 レ有 ル 潟 ノ 場 所 ヲ 見 合 セ 舟ヲ 漕 キ 付テ 震 二 六 七 日 程 仮 止 宿 イ タ シ 海 馬 ノ 海 草 ヲ 食ス ル ヲ 見 本 シ 即 木 ヲ 立 置 満 潮 二 至 テ 右 小 舟ハ 海 馬 ノ 去 留 ヲ 伺 フ 為メ 濱 涯 ユ リ 漕 廻 り 四 反 帆 二 艘 ハ外 辺 ヨ リ 漕 キ 廻 ル 折 創 船 乗 合 ノ モ ノ 海 馬 ヲ 見付 候イ ハ 即 チ 相 圖 致 シ 両 方 二 分 シ 弐艘 ノ 綱 ヲ 合 シ双 方 ヨ リ 弐 重 三 重 二 園 テ 干 潮 ヲ 待 テ 縄 ヲ 以 テ 搦 捕 リ 四 反 帆 船 へ 引 登 セ 候 間 ハ ツ キ 俣 (ハ ツ キ 俣 ト ハ 海 馬 ノ 堅 要 タ ル 水 カ キ ナ リ) ト 申 ス 所 ヲ 切 取 リ 捕 護 ス 又 皮 ヲ 剥 キ 取 り 乾 シ置 胎 婦 ノ 産 二 臨 時 煎 シ 呑 マ シム リ ハ 平産 ス ル 妙 薬 ト傳 言 セ リ 一 76 一
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