2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 チュニジアにおけるイスラーム武装闘争派の動向 若桑 遼(上智大学大学院・博士後期課程) はじめに 本稿では、チュニジアのイスラーム武装闘争派の動向を報告する。チュニ ジ ア は 「 対 話 」 の 精 神 に 基 づ く 政 治 プ ロ セ ス が 評 価 さ れ 、 2015 年 10 月 、 4 団 体 が ノ ー ベ ル 平 和 賞 を 授 与 さ れ た 一 方 、2015 年 に は 国 の 史 上 類 を 見 な い ほ ど 甚 大 な 犠 牲 者 を 出 し た 凄 惨 な テ ロ が 起 き 、2015 年 3 月 の 国 立 博 物 館 襲 撃 で は 邦 人 の 命 も 奪 わ れ た 。2013 年 1 月 に は 、隣 国 ア ル ジ ェ リ ア の イ ナ メ ナ ス の ガス・プラント襲撃でも多数の邦人が犠牲になっている。イスラーム武装闘 争派は、国境を越える広域の人的ネットワークを構築維持しながら、都市部 及び山間部で遊撃的な戦闘行為を継続させている。 チ ュ ニ ジ ア の イ ス ラ ー ム 武 装 闘 争 派 は 、 2011 年 の 革 命 以 後 、 モ ス ク な ど の 拠 点 に 加 え て 、 大 学 構 内 や SNS を 通 じ て 宣 伝 を 行 い 、 動 員 に 成 功 し て き た 。 その動きにさらなる弾みをつけたのが、 「 イ ス ラ ー ム 国( Islamic State)」の 台 頭 で あ る 。IS を は じ め と す る 国 外 の ジ ハ ー ド 主 義 組 織 に 加 入 す る た め に 渡 航 を 禁 じ ら れ た チ ュ ニ ジ ア 出 身 者 の 数 は 増 加 の 一 途 を た ど り 、2015 年 9 月 時 点 で 実 際 に 戦 闘 に 参 加 す る チ ュ ニ ジ ア 人 義 勇 兵 の 数 は 5000 人 に の ぼ る と 試 算 されている。国際社会がテロ防止・根絶を訴えるなか、これらの組織に加入 する者が増加していることは、チュニジア一国の将来はもちろん、国際社会 全体にとって深刻な懸念事項だと認識すべきであろう。 1.「 イ ス ラ ー ム 武 装 闘 争 派 の 人 材 供 給 源 」 と し て の チ ュ ニ ジ ア 特定の地域にテロの脅威が存在するかどうかは、どの程度の「動員」があ るかが指標となる。まず、チュニジア国内でテロ行為に関与した検挙者数を み て み よ う 。チ ュ ニ ジ ア 内 務 省 の 統 計 資 料 に よ れ ば 、2013 年 の 一 年 間 に 何 ら か の 形 で テ ロ 行 為 に 関 与 し た と し て 検 挙 さ れ た 者 の 総 数 は 1155 人 で あ っ た 。 2014 年 (1 月 1 日 か ら 12 月 17 日 ま で )に は 、検 挙 者 数 は 3017 人 と 倍 増 し 、う 1 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 ち 19 パ ー セ ン ト に あ た る 517 人 は 、シ リ ア 渡 航 支 援 ネ ッ ト ワ ー ク に 加 担 し て いた人物であった。また同資料によれば、チュニジア国内で治安当局によっ て 掃 討 さ れ た テ ロ リ ス ト は 、2013 年 に は 16 人 、2014 年 は 21 人( う ち 2 人 は ア ル ジ ェ リ ア 人 ) で あ っ た 1 。 内 務 省 は 2015 年 の 数 字 を 公 表 し て い な い が 、 国内の相次ぐテロ事件で検挙者数は増加していると推測される。 次にシリア又はイラクへの渡航を禁じられたチュニジア人「ジハード志願 者」の数をみてみよう。チュニジア内務省は国外のテロ組織への加入を禁じ るため、司法当局の許可を得て当事者の旅券を強制返納する措置を取ってい る 。2014 年 2 月 の 時 点 で 、こ の 措 置 に よ っ て シ リ ア 又 は イ ラ ク へ の 渡 航 を 差 し 止 め ら れ た チ ュ ニ ジ ア 人 の 総 数 8000 人 未 満 で あ っ た が 2 、こ の 数 は 2015 年 7 月 時 点 で は 1 万 5000 人 に 達 し た 3 。 2014 年 11 月 末 の 時 点 で 、 お よ そ 2500 人 か ら 3000 人 の チ ュ ニ ジ ア 出 身 者 が シ リ ア 及 び イ ラ ク の IS に 帰 属 し た と み ら れ る 4 。 2015 年 9 月 に は 、 そ の 数 は 推 定 5000 人 に 達 し 、ア ラ ブ 諸 国 内 で 最 多 数 を 記 録 し た 。さ ら に 陸 続 き の リ ビ ア に は 1000 人 か ら 1500 人 の チ ュ ニ ジ ア 人 戦 闘 員 が 潜 伏 し て い る と さ れ る 5 。 厳 密 な 人 数 は 把 握 さ れ て い な い も の の 、 マ リ に は 60 人 、 イ エ メ ン に 50 人 程 度 の チ ュ ニ ジ ア 出 身 の 義 勇 兵 が い る と み ら れ て い る 6 。ま た す で に 戦 地 か ら 帰 国 し た 者 も お り 、 625 人 が 司 法 の 訴 追 を 受 け て い る 7 。 注 目 す べ き は 、 2015 年 に IS に よ る 国 内 の 相 次 ぐ 大 き な テ ロ 攻 撃 が 起 こ っ たにも関わらず、動員が衰えるどころか、それを契機としてさらに増加傾向 が み ら れ る と こ ろ で あ る 。表 1 が 示 す よ う に 、シ リ ア 及 び イ ラ ク の IS に 帰 属 するチュニジア人戦闘員の数は、他国のそれに比べて突出して多い。さらに 隣 国 リ ビ ア の IS に 帰 属 す る 構 成 員 も 相 当 数 存 在 す る 。ま た 国 内 に は「 ジ ハ ー ド志願者」を抱えている。イスラーム武装闘争組織への動員の程度から判断 すれば、チュニジアは依然として高いテロの脅威に晒されているといえる。 2 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 表 1 IS の 外 国 人 戦 闘 員 の 出 身 国 ( 2015 年 9 月 時 点 ) ( 出 所 ) The Homeland Security Committee, Final Report on the Task Force on Combating Terrorist and Foreign Fighter Travel (Washington, D.C., United States. Congress. House. Committee on Homeland Security, 2015), p. 11<http://www.hsdl.org/?view&did=787528>, accessed February 29, 2016. 2.「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア 」 (1)組織の概要 革 命 後 に 結 成 さ れ た「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア( Anṣār al-Sharīʻa bi-Tūnis)」は 、チ ュ ニ ジ ア の イ ス ラ ー ム 武 装 闘 争 派 の 動 き を 理 解 す る う え で 重 要 で あ る 。ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア は 、2011 年 革 命 後 の チ ュ ニ ジ アに誕生したカーイダの系統を汲む「サラフィー・ジハード主義」の組織で ある。同組織は、活発な教宣活動を通じて社会と接触を図り、ほぼチュニジ ア全域に支部を拡大させることに成功した。アンサール・シャリーアの構成 員 は 4000 人 程 度 で あ っ た が 、 モ ス ク を 拠 点 と し て 各 地 で 教 宣 活 動 ( 勉 強 会 、 講演会など)を行い、より広範囲の潜在的な支持者・共鳴者がいたと思われ る。 創 設 者 は 1965 年 生 ま れ の サ イ フ ッ ラ ー・イ ブ ン・フ サ イ ン( 戦 士 名 ア ブ ー・ イーヤード・トゥーニスィー)である。彼は、ロンドン在住のサラフィー・ 3 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 ジハード主義者アブー・カターダ・フィラスティーニーと親交があり、ロン ドンからパキスタン、アフガニスタンに移り、カーイダの軍事キャンプに加 わり闘争に従事した。 ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア の 構 成 員 を 含 む サ ラ フ ィ ー 主 義 者 た ち は 、2012 年 9 月 14 日 、預 言 者 ム ハ ン マ ド を 冒 涜 す る ア メ リ カ 映 画 に 抗 議 す る た め に 在 チ ュニジア・アメリカ合衆国大使館及びアメリカ人学校を襲撃放火したとして 多数が検挙された。この事件は、アメリカ大使を含む 4 人が殺害されたリビ ア ・ ベ ン ガ ー ズ ィ ー の ア メ リ カ 大 使 館 襲 撃 ( 2012 年 9 月 12 日 ) と 時 期 を ほ ぼ同じくしている。 (2)活動領域及び他のジハード主義組織とのかかわり チュニジアのアンサール・シャリーアは、カーイダとの関係が深い。アブ ー・イーヤードは、カーイダの主要な幹部とのコネクションを持っていた。 2012 年 の シ リ ア 内 戦 勃 発 後 、ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア は「 ヌ ス ラ 戦 線( Jubha al-Nuṣra)」 と の 関 係 を 保 ち 、 比 較 的 早 い 段 階 か ら 戦 闘 員 を 戦 地 に 供 給 し て き た。他方、北アフリカやサハラ・サーヘル地域で実動する「イスラーム・マ グ リ ブ の 地 に お け る カ ー イ ダ( AQMI)」は 、2013 年 5 月 の 声 明 で「 シ ャ リ ー ア( イ ス ラ ー ム 法 )」に よ る 統 治 の 実 現 に 尽 力 す る チ ュ ニ ジ ア の ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア に 対 す る 支 援 を 表 明 し た 8 。革 命 後 に 結 成 さ れ た チ ュ ニ ジ ア 人 構 成 員 を 主 体 と す る「 ウ ク バ・イ ブ ン・ナ ー フ ィ ウ 部 隊( Katība ʻUqba ibn Nāfiʻ)」 は 、 AQMI の チ ュ ニ ジ ア 支 部 で あ る 。 同 部 隊 は 、 ア ル ジ ェ リ ア 国 境 付 近 の カ セリーン県シャアーニビー山及び周辺の山岳地帯に潜伏し、地雷や伏撃によ り国軍に対して度重なる攻撃を行っている。ウクバ・イブン・ナーフィウ部 隊の声明がアンサール・シャリーアの宣伝部門バヤーリク・メディアから発 出されたように、両団体は密接な関係にあり、幹部・構成員間の行き来がみ られ、武器・資金のやり取りが行われた。 た だ し 2014 年 以 降 、ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア の 構 成 員 を 含 む チ ュ ニ ジ ア 人 ジハード主義者たちは、カーイダの指導部の方向性を批判して離反し、多く は「 イ ラ ク と シ ャ ー ム の イ ス ラ ー ム 国( Dawla al-Islām fī al-ʻIrāq wa al-Shām)」 に帰属を移した。現在、同組織の構成員の間では、シャリーアに忠実な統治 4 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 の 実 現 を 目 指 す IS に 支 持 が 集 ま っ て い る 。他 方 、創 設 者 の ア ブ ー・イ ー ヤ ー ドは依然としてカーイダに忠誠を誓いつづけ、彼が率いる部隊はリビア国内 に 潜 伏 し て い る と み ら れ る 9。 ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア は 、 2013 年 2 月 中 旬 、 次 い で 7 月 下 旬 に 起 こ っ た 野党政治家の暗殺を首謀したとして、チュニジア政府によりテロ組織に指定 された。政府は、徹底的な掃討作戦を遂行し、その結果、アンサール・シャ リーアの主要な幹部は治安当局に殺害され、逮捕拘留されるか、又は国外に 亡命した。 なおアメリカはベンガーズィーとダルナの同名の団体とともに、アンサー ル ・ シ ャ リ ー ア を 国 外 テ ロ 組 織 に 指 定 し( 2014 年 1 月 10 日 )、国 連 安 全 保 障 理 事 会 の カ ー イ ダ 制 裁 員 会 も 同 組 織 を 制 裁 対 象 に 加 え て い る( 2014 年 9 月 23 日 )。 3.「 ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア 以 後 」 の チ ュ ニ ジ ア の ジ ハ ー ド 主 義 組 織 ・ 集 団 2013 年 2 月 、 次 い で 7 月 に 起 こ っ た 政 治 家 の 暗 殺 事 件 後 、チ ュ ニ ジ ア の 国 内 情 勢 は 未 曾 有 の 混 乱 に 陥 っ た 。 チ ュ ニ ジ ア 政 府 は 、 2013 年 8 月 28 日 、 テ ロ 実 行 犯 を 中 核 メ ン バ ー に 含 む ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア を テ ロ 組 織 に 指 定 し 、 「 反 テ ロ 闘 争 」を 掲 げ て 徹 底 的 な 弾 圧 を 加 え た 。暗 殺 事 件 に 関 与 し た 幹 部 は 、 当局との衝突で死亡するか、投獄された。また治安当局の手から逃れた者は 近隣諸国に亡命し、その地でジハード主義組織に加わった者もいる。彼らの な か に は 、シ リ ア や イ ラ ク 、ま た リ ビ ア の IS の 支 配 地 域 に 移 り 、戦 闘 で 死 亡 した者も多い。 ただし、アンサール・シャリーアの構成員のなかで、チュニジア国内に留 ま り 、 地 下 運 動 に 従 事 す る 者 も い た 。 2014 年 半 ば か ら 2015 年 前 半 ま で の チ ュ ニ ジ ア 人 ジ ハ ー ド 主 義 者 の 動 き に 関 し て「 イ フ リ ー キ ヤ・メ デ ィ ア( Ifrīqiya lil-Iʻlām)」と い う「 ロ ー カ ル 」な ジ ハ ー ド 主 義 メ デ ィ ア の 情 報 が 参 考 に な る 。 イフリーキヤ・メディアは、アンサール・シャリーアの元構成員が運営する SNS の ア カ ウ ン ト で 、 AQMI 傘 下 の ウ ク バ ・ イ ブ ン ・ ナ ー フ ィ ウ 部 隊 を は じ めとするジハード主義者や組織・集団の発する声明や宣伝を発信してきた。 2014 年 11 月 に 運 営 者 自 身 が IS に 忠 誠 を 誓 う こ と を 発 表 し た 1 0 。 同 メ デ ィ ア 5 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 は 、IS に 帰 属 を 移 し た チ ュ ニ ジ ア 人 ジ ハ ー ド 主 義 者 の メ ッ セ ー ジ を 度 々 掲 載 し た 。た と え ば 、2014 年 12 月 、ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア の 教 宣 者 カ マ ー ル ・ ザ ッ ル ー ク は 、IS の 支 配 地 域 か ら 音 声 メ ッ セ ー ジ を 寄 せ た 。そ の な か で 彼 は 、 チ ュ ニ ジ ア 人 青 年 に「 移 住( ヒ ジ ュ ラ )」を 呼 び か け る 一 方 、チ ュ ニ ジ ア の「 世 俗 主 義 」 政 治 家 を 非 難 し 、 IS に よ る チ ュ ニ ジ ア の 「 征 服 」 が 近 い こ と を 伝 え た 1 1 。 ま た 、 2015 年 5 月 頃 、 イ ラ ク の サ ラ ー フ ッ デ ィ ー ン で 自 爆 攻 撃 に よ り 「 殉 教 」 し た IS の 戦 闘 員 シ ャ ム ス ・ ア ブ ー ・ ア フ マ ド ・ ト ゥ ー ニ ス ィ ー は 、 イ フ リ ー キ ヤ ・ メ デ ィ ア の 通 信 員 で あ っ た 1 2 。 彼 の 「 殉 教 」 は 、 IS の 公 式 声 明 で も 発 表 さ れ て い る ( 1436 年 ラ ジ ャ ブ 月 28 日 / 2015 年 5 月 17 日 付 )。 イ フリーキヤ・メディアは、広域のジハード主義組織や集団とのネットワーク をもっており、そのなかにはナイジェリアのボコ・ハラーム、北アフリカ広 域 で 活 動 す る ム ラ ー ビ ト ゥ ー ン も 含 ま れ て い る 13。 ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア の 元 構 成 員 た ち は 、 IS に 忠 誠 を 誓 っ た 後 、 チ ュ ニ ジアの国家権力との「戦闘」に備えて国内のジハード主義細胞の組織化を試 み 、ア ル ジ ェ リ ア 、ト リ ポ リ 、バ ル カ 、フ ァ ッ ザ ー ン の IS の「 州 」と 協 働 し たと述べている。彼らが拠点としたのは、アルジェリア国境付近の山岳地帯 で あ っ た 。イ フ リ ー キ ヤ・メ デ ィ ア に よ れ ば 、 「〔 2014 年 、チ ュ ニ ジ ア 国 内 の 〕 ジ ハ ー ド 戦 士 た ち の 数 は 増 加 し 、〔 IS 本 体 に よ り 〕 忠 誠 の 誓 い が 受 理 さ れ 、 敵 が『 軍 事 的 閉 鎖 地 帯 』と 呼 ぶ 場 所 の な か で 軍 事 キ ャ ン プ が 創 設 さ れ た 。 〔中 略 〕我 々 は 、我 々 以 外 の IS の 構 成 員 た ち と 連 係 を と る が で き 、可 能 な 限 り 彼 ら を 支 援 し た 14」 と さ れ る 。 ム ハ ン マ ド ・ ム ン ス ィ フ ・ マ ル ズ ー キ ー 大 統 領 ( 当 時 ) は 、 2014 年 4 月 11 日 付 の 共 和 国 ア レ テ で 、 標 高 1500m を 超 え る シ ャアーニビー山とそれに隣接する山岳地帯(サンマーマ山、サルーム山、ム ギーラ山)を軍事的閉鎖地帯と設定し、同地帯の進入をチュニジア及びアル ジ ェ リ ア の 国 軍 に 限 定 し た 。 AQMI 傘 下 の ウ ク バ ・ イ ブ ン ・ ナ ー フ ィ ウ 部 隊 に対する軍事的作戦を遂行する措置であった。 6 201 16/2/29 JIIA「安全保 保障政策のリア アリティ・チェッ ック―新安保法 法制・ガイドライ インと朝鮮半島 島・中東情勢」 『Radical Islamist Reseearch Report』Vol. 4 図 1 「 イ フリ ー キ ヤ ・ メ デ ィ ア」 の 現 在の ア カ ウ ン ト ( 出 所 ) Ifrīqqiya lil-Iʻlāām, twitterr post<http ://twitter.co om/ifrikiya445>, acces sed Auguust 23, 201 5. ア カ ウ ン ト 凍 結 を 逃 れ る た め に 、 現 在 は 一 切 ツ イ ー ト さ れ て い な い 。 2015 年 5 月 中 旬 に IS 本 体 に 「 忠 誠 の 誓 い 」 が 受 理 さ れ て 以 降 、 右 上 に 黒 字 で 「 イ ス ラ ー ム 国 ( al-Dawla a al -Islāmīya)」 の ロ ゴ タ イ プ が 入 っ た 。 20 13 年 以 降 の 当 局 に よ る ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア 掃 討 作 戦 の 結 果 、チ ュ ニ ジ ア 国 内 の ジ ハ ー ド 主義 組 織 ・ 集 団 は 、 治安 当 局 の 摘発 を 恐 れ て 公 然 活動 を せ ず 、 地 下 に 潜 行 し てい る 。 上 記 の イ フ リー キ ヤ ・ メデ ィ ア は 、 バ ル ドー 国 なジ 立 博 物 館 襲 撃 後 、2015 年 3 月 30 日 付 の ツ イ ー ト で 、4 つ の「 ロ ー カ ル 」な 織 団 の 存 在 を 明 か し た 1 5 。そ れ に よ れ ば 、AQM MI 傘 下 の「 「ウ ハ ー ド 主 義 組 織・集 ク バ ・ イ ブ ン ・ ナ ー フ ィ ウ 部 隊 」 に 加 え て 、 IS に 忠 誠 を 誓 う 「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 集 団 ( Jamā ʻa Jund al--Khilāfa bi -Tūnis)」 及 び 「 ヒ ラ ー 衛 Ṭalā’iʻ Jund al-Khhilāfa)」、い い ず れ の 組 織 に も 帰 属 し な い「 「イ フ ァ 兵 士 の 前 衛( フ リ ー キ ヤ の 地 に お け る タ ウ ヒ ー ド ・ ジ ハ ー ド 集 団 ( Jamāʻa aal-Tawḥīd wa )」 が 国 内 に 存 在 し 、 こ れ ら の 比 較 的 小 さ な 単 位 の 細 al-Jihhād bi-Bilāād Ifrīqiya) 胞 組 織 は 、チ ュ ニ ジ ア 全 土 で 地 下 活 動 を 行 っ て い る と い う 。た だ し「 ウ ク バ ・ イ ブ ン・ナ ー フ ィ ウ 部 隊 」と「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 」以 外 は 、 活動の実態がほとんど明らかにな っていない。 「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 」 は 、 2014 年 9 月 頃 、 チ ュ ニ ジ ア 人 A 傘 下 の ウ ク バ・イ ブ ン・ナ ナ ー フ ィ ウ部 隊 の 構 成 員 の うち 、 を 主 体 と す る AQMI MI か ら 離 反 し 、 IS の 指 導 者 に 忠 誠 を 誓 っ た 集 団 を 前 身 と す る 。 こ の 部 隊 AQM は 、22015 年 4 月 に ア ル ジ ェ リ ア 国 境 付 近 の マ ギ ー ラ 山 及 び サ ル ー ム 山 で チ ュ ニ ジ ア 国 軍 に 対 す る 攻撃 を 行 っ た 。 そ し て 4 月 下 旬 の声 明 で 「 チ ュ ニ ジア に 7 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 」 と い う 部 隊 を 新 た に 結 成 し た こ と を 発 表 し た 16。 同 部 隊 は 「 イ フ リ ー キ ヤ に お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 機 構 ( Mu’assasa Ajnād al-Khilāfa bi-Ifrīqiya)」 と い う 名 称 の メ デ ィ ア を も ち 、 2015 年 前 半 に は テ ロ 攻 撃 の 声 明 や 映 像 メ ッ セ ー ジ を 発 し た 。 同 年 5 月 18 日 、 IS 本 体 が 公 開 し た 音 声 フ ァ イ ル「 カ イ ラ ワ ー ン・チ ュ ニ ジ ア の ム ジ ャ ー ヒ ド ゥ ー ン か ら の 声 明: ムスリムたちのハリーファ、シャイフ・アブー・バクル・バグダーディーに 対 す る 忠 誠 の 誓 い 」は 、 「 チ ュ ニ ジ ア に お け る ハ リ ー フ ァ 兵 士 」が 行 っ た も の だと考えられる。 4 .「 イ ス ラ ー ム ・ マ グ リ ブ 」 を 舞 台 と す る IS の 新 た な 戦 略 2015 年 11 月 13 日 に 起 こ っ た パ リ 同 時 テ ロ の 実 行 者 は 、ヨ ー ロ ッ パ 国 籍 を 有するモロッコ系、アルジェリア系移民であり、マグリブ系移民社会へのジ ハ ー ド 主 義 ネ ッ ト ワ ー ク の 浸 透 を 浮 き 彫 り に し た 。 2016 年 1 月 中 旬 に IS は マ グ リ ブ 諸 国 ( 主 に チ ュ ニ ジ ア 、 リ ビ ア 、 ア ル ジ ェ リ ア 、 モ ロ ッ コ ) の IS の 支 持 者 ・ 共 鳴 者 に 向 け て 、 11 本 の プ ロ パ ガ ン ダ 映 像 を 公 開 し た 1 7 。 IS 本 体 がマグリブ諸国を対象として同時期にこのような宣伝を一斉に公開すること はおそらく初であろう。 「 イ ス ラ ー ム・マ グ リ ブ 」の 統 一 を 掲 げ 、同 地 域 を 戦 略的に重要視しはじめたことがうかがえる。 こ の 映 像 は 、 IS の 実 効 支 配 す る バ ラ カ 、 ジ ャ ズ ィ ー ラ 、 ア ン バ ー ル 、 ハ イ ル、ラッカ、ニーナワー、シナイ、フラート、ダマスカス、ヒムス、アルジ ェリアの「各州」の宣伝部門が作成したもので、主にマグリブ諸国出身の戦 闘 員 計 34 人 が 出 演 し て い る 。出 演 者 の 出 身 国 又 は 地 域 別 の 人 数 を み る と 、チ ュ ニ ジ ア と モ ロ ッ コ 出 身 者 が 各 10 人 で 最 多 で あ る 。こ の 映 像 の な か で 彼 ら は 「 同 郷 人 」に 対 し て IS の 動 員 に 応 じ る よ う 呼 び か け 、行 動 を 共 に し て 各 国 の 体制に対して攻撃を行うことを表明した。たとえば「ハイル州」のチュニジ ア人戦闘員は「パリの警備状況〔をかいくぐること〕は、チュニジアのそれ よ り も 簡 単 だ ろ う か〔 い や そ う で は な い 〕」と 問 い か け 、パ リ と 同 程 度 の 組 織 的な攻撃をチュニジアで行うことを「宣言」している。チュニジア、モロッ コ は 、ア ラ ブ 諸 国 の な か で も IS に 帰 属 す る 戦 闘 員 の 数 が 多 く 、今 後 も 地 域 の 武装闘争派の動向を注視していく必要があるだろう。 8 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 表2 2016 年 1 月 中 旬 に 公 開 さ れ た「 イ ス ラ ー ム・マ グ リ ブ( al-Maghrib al-Islāmī)」 の 統 一 を 呼 び か け る IS の プ ロ パ ガ ン ダ 映 像 11 本 に 出 演 し た IS の 戦 闘 員 の 出 身 地 国又は地域 数(人) 帰 属 す る IS の ウ ィ ラ ー ヤ ( 州 ) の 内 訳 ( カ ッ コ 内 は 人 数 )、 並びに備考 チュニジア 10 ジ ャ ズ ィ ー ラ 、 ア ン バ ー ル ( 3 人 )、 ハ イ ル ( 3 人 )、 ラ ッ カ 、 フラート、ダマスカス モロッコ 10 ジ ャ ズ ィ ー ラ 、ハ ラ ブ( ア レ ッ ポ・3 人 )、ハ イ ル 、ラ ッ カ( 2 人 )、 ニ ー ナ ワ ー ( 2 人 )、 ヒ ム ス ( ホ ム ス ) リビア 5 ハ イ ル ( 2 人 )、 ラ ッ カ ( 2 人 )、 ヒ ム ス ( ホ ム ス ) アフリカ 1 バラカ アンダルス 1 ハイル イラク 1 アンバール エジプト 1 サイナー(シナイ) 不明 6 ハイル、ニーナワー、サイナー、アルジェリア(3 人) 総数 34 * 計 11 の 「 ウ ィ ラ ー ヤ ( 州 )」 の 宣 伝 部 門 が そ れ ぞ れ 映 像 を * 作成した。 ( 注 )「 ア ン ダ ル ス 」 は 、 普 通 「 中 世 の ム ス リ ム 統 治 下 の イ ベ リ ア 半 島 」 を 表 す が 、 こ こで「アンダルス」が具体的にどこを指すかは不明。 (出所)筆者作成。 図 2 IS の 「 ハ イ ル 州( Wilāya al-Khayr)」( シ リ ア )の 宣 伝 部 門 が 作 成 し た プロパガンダ映像に出演したチュニジア人戦闘員 ( 出 所 ) Al-Dawla al-Islāmīya, ʻʻSaḥarū a ̒ y una al-nāsi wa istarhabū-hum,’’ Al-Maktaba al-Iʻlāmī li-Wilāya al-Khayr, Jumādā al-Thānī 1437 [January 2016]. 9 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 5. リ ビ ア の IS と の 関 係 IS は 設 立 当 初 か ら 有 力 な 幹 部 を 派 遣 す る な ど 、 リ ビ ア を 欧 州 及 び ア フ リ カ の 交 差 す る 戦 略 上 の 要 衝 だ と み て い る 1 8 。 IS リ ビ ア の 「 委 任 指 揮 官 」 カ フ タ ー ニ ー に よ れ ば 、 IS は ト リ ポ リ 、 ミ ス ラ ー タ 、 ト ゥ ブ ル ク 、 バ イ ダ ー 、 サ ブ ラ ー タ 、 ア ジ ュ ダ ー ビ ー ヤ で 作 戦 を 遂 行 し て い る 19。 IS に 帰 属 し よ う と す る チ ュ ニ ジ ア 人 に と っ て 、 陸 続 き の リ ビ ア は も っ と も 接 近 し や す い 場 所 で あ る 。 リ ビ ア 当 局 は 、 同 国 内 に は 4000 人 か ら 5000 人 の 外 国 人 戦 闘 員 が 存 在 す る と 述 べ て い る が 2 0 、チ ュ ニ ジ ア 人 は リ ビ ア の IS の 主 要 な 構 成 員 で 、 1000 人 か ら 1500 人 程 度 が リ ビ ア に 潜 伏 す る と 推 定 さ れ て い 「トリポ る 2 1 。2015 年 に チ ュ ニ ジ ア 国 内 で 相 次 い で 起 こ っ た テ ロ の 実 行 者 は 、 リ 州 」 の サ ブ ラ ー タ ( Ṣabrāta) で 軍 事 訓 練 を 施 さ れ 、 チ ュ ニ ジ ア の 国 家 権 力 の影響力の及ばないリビアからチュニジア国内の攻撃を計画したことが明ら か に な っ て い る 2 2 。ま た IS だ け で な く 、北 ア フ リ カ の 広 域 で 活 動 す る AQMI、 ムラービトゥーン、チュニジアにおけるアンサール・シャリーアも統治能力 の脆弱なリビアを後方基地としていることも付言する必要がある。 チュニジアのアンサール・シャリーアは、チュニジア当局によりテロ組織 と指定され、国内で徹底的な掃討作戦を受けると、リビアに軍事部門の拠点 を形成した。言及に値すると思われるのは、アフマド・ルワイスィー(戦士 名アブー・ザカリヤー・トゥーニスィー)というアンサール・シャリーアの 中 核 メ ン バ ー の 担 っ た 役 割 で あ る 。ル ワ イ ス ィ ー は 、2013 年 に 起 こ っ た チ ュ ニジア人政治家暗殺の実行犯としてチュニジア治安当局に指名手配を受けた が 、リ ビ ア で 軍 事 訓 練 キ ャ ン プ を 指 揮 し 、2015 年 3 月 に 親 ト リ ポ リ 政 府 の「 リ ビ ア の 夜 明 け ( Fajr Lībiyā)」 と の 戦 闘 で 死 亡 し た 。 彼 は 、 多 数 の チ ュ ニ ジ ア 人青年に軍事訓練を施し、チュニジア人の「移住者」に対して避難場所及び 資金を提供し、武器の購入及び密輸を行った。 ア ン サ ー ル・シ ャ リ ー ア の 元 構 成 員 で 、治 安 当 局 の 指 名 手 配 を 受 け た ブ ー・ バ ク ル ・ ハ キ ー ム (戦 士 名 ア ブ ー ・ ム カ ー テ ィ ル ・ ト ゥ ー ニ ス ィ ー )は 、 IS の 機 関 誌 『 ダ ー ビ ク 』( 8 号 ) で 、「 同 僚 」 の ル ワ イ ス ィ ー の 役 割 を 次 の よ う に 証言している。 10 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 我々〔チュニジアのアンサール・シャリーア〕がリビアに軍事訓練 キャンプを形成したとき、ルワイスィーは〔リビアの〕軍事訓練キャ ン プ の 責 任 者 の ひ と り で あ っ た 。彼 は 、軍 事 部 門 に 卓 越 し て い た た め 、 同胞に訓練を施したのだ。また彼は、我々がチュニジアに武器を密輸 し は じ め た と き 、 我 々 〔 の 活 動 〕 を 支 援 し た 。〔 中 略 〕〔 2013 年 2 月 、 野党政治家の〕シュクリー・ビルアイードを暗殺した後、ルワイスィ ーは〔チュニジア当局から〕指名手配を受けた。このため彼はリビア に戻り、そこで同胞に訓練を施し、チュニジア国内での作戦を実行す るために〔人員を〕派遣する活動を続けた。その後、彼がスィルトに 移 っ た と き 、〔 リ ビ ア の 〕 IS に 加 わ り 、 ハ リ ー フ ァ に 忠 誠 の 誓 い を 行 い 、〔 IS の 〕 軍 事 訓 練 キ ャ ン プ の 責 任 者 に な っ た 2 3 。 上の証言から判明するとおり、ルワイスィーはアンサール・シャリーアか ら IS に 帰 属 を 移 し た チ ュ ニ ジ ア 人 ジ ハ ー ド 主 義 者 の 事 例 に 含 ま れ る 。① ア ン サール・シャリーアはリビアに軍事訓練キャンプを設け、③武器を組織的に チュニジア国内に密輸・供給し、③リビアを拠点としてチュニジア国内のテ ロを企図したことがわかる。 IS に 帰 属 を 望 む チ ュ ニ ジ ア 人 の 多 く は 「 ト リ ポ リ 州 」 に 入 る 。 彼 ら は 、 こ こで初歩的な軍事訓練を受け、空路トルコを経由してシリアに入るか、又は リビア国内に留まる。トリポリ政府内務省に帰属する「ラダア・ハーッサ ( al-Radaʻ al-Khāṣṣa)」部 隊 は 、フ ェ イ ス ブ ッ ク の 公 式 ペ ー ジ 上 で 、リ ビ ア の IS に 帰 属 す る チ ュ ニ ジ ア 人 検 挙 者 の 自 供 映 像 を 公 開 し て い る 2 4 。こ の 自 供 は 、 リ ビ ア の IS に 帰 属 す る チ ュ ニ ジ ア 人 戦 闘 員 の 足 跡 を 示 し て い る 。チ ュ ニ ジ ア 南 部 ジ ェ ル バ 島 出 身 の 自 供 者 は 、チ ュ ニ ジ ア 南 部 砂 漠 か ら リ ビ ア に 密 入 国 し 、 リ ビ ア 西 部 の ジ ャ ミ ー ラ( al-Jamīla)、次 い で サ ブ ラ ー タ に 移 動 し た 。シ リ ア 渡航のための偽造パスポートが供給されると、彼はミスラータの空港からト ルコに入ったが、トルコ当局により入国拒否を受け、ミスラータに返還され た 。ス ィ ル ト の IS 幹 部 は 、こ の 人 物 に 対 し て リ ビ ア に 留 ま る こ と を 要 請 し た た め 、彼 は そ れ に 従 い 、ト リ ポ リ 近 郊 の IS 組 織 が 実 行 し た 作 戦 を 続 け る と と も に 、チ ュ ニ ジ ア の 観 光 地 を 標 的 と し た テ ロ を 実 行 す る こ と を 計 画 し て い た 。 11 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 こ の よ う に 、IS の 構 成 員 は リ ビ ア 西 部 の 諸 都 市 間 を 移 動 し な が ら 、ト ル コ か らシリアに入る機会をうかがうと同時に、チュニジア及びリビアのテロ攻撃 を実行しようとしているのである。 リ ビ ア 当 局 に よ れ ば 、 IS の 「 ト リ ポ リ 州 」 の 指 揮 官 は チ ュ ニ ジ ア 人 で あ る 25 。首 都 ト リ ポ リ 近 郊 で 起 こ っ た い く つ か の テ ロ は 、ス ィ ル ト の IS の 指 揮 監 督 の も と 、チ ュ ニ ジ ア 人 に よ り 実 行 さ れ た 。た と え ば 2015 年 1 月 下 旬 、ト リ ポリのコリンシア・ホテル襲撃の実行犯は、チュニジア出身者とスーダン出 身 者 ( 各 1 人 ) で あ っ た 2 6 。 ま た 2015 年 9 月 18 日 、 ト リ ポ リ の ミ ウ テ ィ ー ガ空軍基地内の刑務所が襲撃されたが、このとき実行者のスーダン人 2 人、 モ ロ ッ コ 人 1 人 、チ ュ ニ ジ ア 人 1 人 が 自 爆 攻 撃 で 死 ん だ 。IS は 、2014 年 か ら 2015 年 に か け て ト リ ポ リ 市 内 の い く つ か の 在 外 公 館 の 爆 破 襲 撃 事 件 を 起 こ し て い る 2 7 。 他 方 、 リ ビ ア 東 部 「 バ ル カ 州 」 の ベ ン ガ ー ズ ィ ー ( Banghāzī) で も 相 次 い で IS の 戦 闘 員 に よ る 自 爆 攻 撃 が 行 わ れ た が 、実 行 者 は チ ュ ニ ジ ア 、 エ ジ プ ト 、 リ ビ ア 出 身 者 が 含 ま れ て い た 28。 以上のように統治能力の脆弱なリビアは、国外のジハード主義者たちに利 用されており、チュニジアをはじめとする周辺国の安全保障にも直接的な影 響を与えているのである。 おわりに IS は 「 国 境 」 を 超 え る 人 的 ネ ッ ト ワ ー ク を も ち 「 イ デ オ ロ ギ ー 」 と 達 成 す べ き 政 治 目 標 を 共 有 す る 。冒 頭 に 記 述 し た と お り 、IS に 帰 属 す る チ ュ ニ ジ ア 出身者は増え続けており、これはチュニジアの安全保障上のリスクが増大し ていることを意味する。リビアで軍事訓練を受け、シリアやイラクで戦闘に 従事するチュニジア人義勇兵は、獲得した「ノウハウ」をチュニジア国内で の 武 装 闘 争 に 利 用 し よ う と し 、IS は 大 規 模 な テ ロ 行 為 を 遂 行 す る こ と で 国 際 社会に自らの存在感を誇示宣伝しようとする。動員が継続する限り、チュニ ジアの「民主主義体制」の地盤は安定しているとはいえない。チュニジアが 「アラブの春」の成功事例というためには、さらなるプロセスを積み重ねる 必要がある。 武装闘争派が実際の攻撃の対象とするのは、国の軍隊や警察などの治安機 12 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 関、政治家、ジャーナリストであるが、外交官、外国人ビジネスマン、観光 客 な ど の 「 非 ム ス リ ム 」 も 含 ま れ る 。 IS 本 体 の ス ポ ー ク ス マ ン は 、 2015 年 1 月 下 旬 、全 世 界 の IS の 支 持 者 ・共 鳴 者 に 対 し て「 近 く の 十 字 軍 」を 無 差 別 に 攻 撃 す る よ う 声 明 を 発 し た 。 2015 年 に IS の チ ュ ニ ジ ア 人 戦 闘 員 が 関 与 し た テロ(リビア・トリポリのコリンシア・ホテル襲撃、チュニジアの国立博物 館襲撃、スースのビーチリゾート襲撃)は、主に西洋諸国出身の外国人一時 滞在者を標的とした。アルジェリア・イナメナス事件、シリアでの人質事件 でみられたとおり、イスラーム武装闘争派にとって在外邦人も攻撃の対象と な り う る 。ま た リ ビ ア の ト リ ポ リ で は 在 外 公 館 が 相 次 い で IS に 襲 撃 さ れ た こ とから、場合によっては在外公館も標的となりうる。 2016 年 1 月 に 入 り 、 IS 本 体 は 新 た な 戦 略 と し て 「 イ ス ラ ー ム ・ マ グ リ ブ ( al-Maghrib al-Islāmī)」 統 合 の ス ロ ー ガ ン の も と 、 動 員 に 応 じ る よ う 呼 び か け、三カ国の体制に対する攻撃を「予告」するようになった。パリのテロ事 件 の 実 行 犯 に は 、モ ロ ッ コ 系 、ア ル ジ ェ リ ア 系 移 民 が い た こ と が 確 認 さ れ る 。 チュニジアとモロッコは、アラブ諸国のなかでも戦闘員の人数が多く、ムス リムが大半を占めるマグリブ諸国にテロが波及するリスクが強まっている。 今後もこれらの地域におけるイスラーム武装闘争派の動静を見守る必要があ る。 ―注― 1 Ministère de l’Intérieur - Tunisie’s Facebook page< http://www.facebook.com/ministere.interieur.tunisie/photos/a.967236813303695.1073741940. 192600677433983/967236913303685/? type=1&thea ter >, accessed February 10, 2016. 2 A. N., ʻʻLūṭfi ben Jiddū (Wazīr al-Dākhilīya) fī ḥiwār muṭawwal li-Shurūq: intaṣarnā ʻalā al-irhāb wa qarīban al-ḥasm fī al-Shaʻānibī( ル ト フ ィ ー ・ ベ ン ・ ジ ッ ド ゥ 内 相 が シ ュ ル ー ク と の 長 い 対 話 : 我 々 は テ ロ に 勝 利 し 、 近 く シ ャ ア ー ニ ビ ー は 終 了 す る ) ,’’ Shurūq (Tunisia), February 23, 2014. 3 France 24, ʻʻTunisie: 1000 arrestations depuis l’attentat du Bardo,’’ France 24, July 10, 2015 <http://www.france24.com/fr/20150710-tunisie-1000-arrestations-terrorisme-essid-premier-m inistre-antiterrorisme-attentat-bardo-sousse>, accessed February 10, 2016,. 4 ʻUthmān Laḥy ānī, ʻʻWazīr al-Dākhilīya al-Tūnisī Luṭfī ben Jiddū fī ḥiwār lil-Khabar: Athriy ā’ khalījīy ūn y umawwilūn al-irhāb fī Tūnis( ル ト フ ィ ー ・ ベ ン ・ ジ ッ ド ゥ ・ チ ュ ニ ジ ア 内 相 と『 ハ バ ル 』の 対 話:湾 岸 の 富 裕 層 が チ ュ ニ ジ ア の テ ロ に 資 金 提 供 し て い る ),’’ al-Khabar (Algeria), November 29, 2014. 5 The Homeland Security Committee, Final Report on the Task Force on Combating Terrorist and Foreign Fighter Travel (Washington, D.C., United States. Congress. House Committee on Homeland Security, 2015), p. 11<http://www.hsdl.org/? view&did=787528>, accessed February 29, 2016. 13 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 6 Ibid. Ibid. 8 Tanẓīm al-Qāʻida bi-Bilād al-Maghrib al-Islāmī, ʻʻRisāla naṣḥ wa bayān li-Ḥaraka al-Nahḍa bi-Tūnis al-Qay rawān( チ ュ ニ ジ ア ・ カ イ ラ ワ ー ン の ナ フ ダ 運 動 に 対 す る 忠 告 の メ ッ セ ー ジ と 声 明 ) ,’’ Andalus al-Intāj al-Iʻlāmī, May 2015. 9 ʻUthmān Laḥy ānī, ʻʻWazīr al-Dākhilīya al-Tūnisī Luṭfī ben Jiddū fī ḥiwār lil-Khabar: Athriy ā’ khalījīy ūn y umawwilūn al-irhāb fī Tūnis( ル ト フ ィ ー ・ ベ ン ・ ジ ッ ド ゥ ・ チ ュ ニ ジ ア 内 相 と『 ハ バ ル 』の 対 話:湾 岸 の 富 裕 層 が チ ュ ニ ジ ア の テ ロ に 資 金 提 供 し て い る ),’’ al-Khabar (Algeria), November 29, 2014. 10 A. N., ‘‘Bayān wa Iʻlām li-Ahl al-Tawḥīd wa al-Islām( タ ウ ヒ ー ド と イ ス ラ ー ム の 民 に 対 す る 声 明 と 通 達 ) ,’’ Ifrīqiya lil-Iʻlām, November 11, 2014<https://justpaste.it/Bay aEfrikiaIS>, accessed 10 February, 2016. 11 Cf. Kamāl Zarrūq, ‘‘Waṣīya al-Shaykh Kamāl Zarrūq li-shabāb al-musli mīn ʻāmmatan wa ilā shabāb Tūnis khāṣṣatan (jadīd) bi-Ta’rīkh 6/12/2014( 2014〔 年 〕 /12〔 月 〕 6〔 日 〕、 シ ャ イ フ ・ カ マ ー ル ・ ザ ッ ル ー ク に よ る ム ス リ ム た ち 全 般 、と く に チ ュ ニ ジ ア の 青 年 に 対 す る 勧 告 ) ,’’ Ifrīqiya lil-Iʻlām, [ca. December 2014]< http://soundcloud.com/ifriky a/06122014a>, accessed 10 February, 2016. 12 A. N., ʻʻIstishhāda Akhī-nā Shams Abū Aḥmad al-Ḥarbī al-Tūnisī kamā naḥsibu-hu taqabbala-hu Allāh( 我 々 の 同 胞 、 シ ャ ム ス ・ ア ブ ー ・ ア フ マ ド ・ ハ ル ビ ー ・ ト ゥ ー ニ ス ィ ー の 殉 教 ) ,’’ [Ifrīqiya lil-Iʻlām], May 18, 2015<http://justpaste.it/l6qp>, accessed 10 February, 2016. 13 A. N., ‘‘Wa akhīran… Taʻlīq ʻalā al-bay ʻa allatī ṭāla intiẓār-hā( 終 に …長 き に 渡 っ て 待 ち 望 ま れ た 忠 誠 の 誓 い に つ い て の 解 説 ) ,’’ Ifrīqiya lil-Iʻlām, May 30, 2015<http://justpaste.it/finally>, accessed February 10, 2016. 14 Ibid. 15 Ifrikiy a lil-Iʻlām, twitter post, March 30, 2015, http://twitter.com/riif0BB9. 16 A. N. ʻʻAjnad al-Khilafa (Caliphate Soldiers) in Ifriqiya (Tunisia) released its first statement,’’ Mu’assasa Ajnād al-Khilāfa, April 30, 2015<http://justpaste.it/ISTunisia>, accessed 10 February, 2016. 同 部 隊 に 関 し て は 、し ば し ば 異 な る 名 称 が 用 い ら れ る 。た と え ば 「 カ イ ラ ワ ー ン の ハ リ ー フ ァ 兵 士 ( Jund al-Khilāfa bil-Qay rawān)」 や 「 チ ュ ニ ジ ア の ハ リ ー フ ァ 兵 士 た ち ( Junūd al-Khilāfa fi Tūnis)」 な ど で あ る 。 17 映 像 の リ ン ク に つ い て は 、 以 下 を 参 照 。 A. N., ʻʻal-Iṣdārāt al-rasmīya min al-Dawla al-Islāmīy a = #al-Maghrib _al-Islāmī( IS の 公 式 映 像 =#イ ス ラ ー ム ・ マ グ リ ブ ) ,’’ January 20, 2016<https://justpaste.it/IslamicMo>, accessed 29 February, 2016. 18 Cf. Charlie Winter, Libya: The Strategic Gateway for the Islamic State: Translation and Analysis of IS Recruitment Propaganda f or Libya (London: Quilliam Fondation, 2015) <http://www.quilliamfoundation.org/wp/wp-content/uploads/publications/free/liby a-the-strat egic-gateway-for-the-is.pdf>, accessed Feburuary 10, 2016; ʻʻInterview with Abul-Mughīrah al-Qahtānī (the delegated leader for the Libyan Wilāyāt),’’ Dabiq, issue 11, Dhū al-Qaʻda 1436 [August -September 2015], pp. 60-63. 19 Opt. cit., p. 60. 20 A. N., ʻʻQā’id arkān al-jay sh al-lībī al-ʻaqīd Aḥmad al-Mismārī lil-Shurūq: Hun ālika 4 alāf jihādī ajnabī fī Lībiy ā wa na’sif li-maqqif al-Jazāir al-muʻāriḍ li-taslīḥi-nā( 退 役 し た リ ビ ア 国 軍 総 指 揮 官 ア フ マ ド ・ミ ス マ ー リ ー が『 シ ュ ル ー ク 』に:リ ビ ア に は 4 千 人 の 外 国 人 ジ ハ ー ド 主 義 者 が お り 、我 々 は 武 器 提 供 に 反 対 す る ア ル ジ ェ リ ア の 立 場 を 遺 憾 に 思 う ),’’ Al-Shurūq (Algeria), February 26, 2015; ʻʻWazīr khārijīya Lībīyā: nuwājih khaṭar ilā inzilāq ḥarb al-ahlīya mithl Sūriya( 大 臣 : リ ビ ア は 、シ リ ア と 同 じ く 内 戦 に よ る 崩 壊 の 危 機 に 直 面 し て い る ) ,’’ al-Sharq al-Awṣaṭ, February 5, 2015<http://aawsat.com/node/node/298926>, accessed March 1, 2015. 21 United Nations, Office of the High Commissioner for Human Rights, “Preliminary Findings by the United Nations Working Group on the Use of Mercenaries on its Official Visit to Tunisia—1 to 8 July, 2015” <http://www.ohchr.org/en/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx? NewsID=16219&LangID=E>, accessed February 10, 2016. 22 2016 年 2 月 19 日 早 朝 、 ア メ リ カ 軍 は IS に 帰 属 す る チ ュ ニ ジ ア 人 戦 闘 員 の 軍 事 訓 練 キ ャ ン プ を 標 的 と し て 、サ ブ ラ ー タ の 家 屋 を 空 爆 し た 。空 爆 で 、女 性 を 含 む 少 な く と も 41 人 が 死 亡 し 、多 数 の 負 傷 者 が 出 た 。死 亡 し た の は 、大 半 が チ ュ ニ ジ ア 国 籍 を 有 す る 者 であった。そのなかで、チュニジア国内で起きたテロ事件(バルドー国立博物館襲撃、 7 14 2016/2/29 JIIA「安全保障政策のリアリティ・チェック―新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢」 『Radical Islamist Research Report』Vol. 4 ス ー ス の ビ ー チ リ ゾ ー ト 襲 撃 )を 画 策 し た 、ア ン サ ー ル ・ シ ャ リ ー ア の 元 構 成 員 ヌ ー ル ッディーン・シューシャーンが殺害された。 23 ‘‘Interview with Abū Muqātil,’’ Dabiq, issue 8, Jumādā al-Ikhīra 1436 [March-April 2015], pp. 59-62. 24 Qūwa al-Radaʻ al-Khāṣsa’s Facebook page<http://www.facebook.com/QwtAlra daAlhaast/videos/vb.520514087968553/ 11166608250 20540/? ty pe=3&theater>, accessed Feburuary 10, 2016. 25 ʻʻWazīr khārijīy a Lībīy ā: nuwājih khaṭar ilā inzilāq ḥarb al-ahlīya mithl Sūriy a( リ ビ ア 内 相 : 我 々 は シ リ ア の よ う な 内 戦 に よ る 崩 壊 の 危 機 に 直 面 し て い る ) ,’’ al-Sharq al-Awṣaṭ, February 5, 2015<http://aawsat.com/node/node/298926>, accessed March 1, 2015. 26 Al-Dawla al-Islāmīy a, ʻʻGhazwa al-Tha’r lil-Shay kh Abī Anas al-Lībī –taqabbala-hu Allāh, fī Ṭarābuls( ト リ ポ リ に お け る シ ャ イ フ ・ ア ブ ー ・ ア ナ ス ・ リ ー ビ ー ( ア ッ ラ ー よ 、 彼 を 受 け 入 れ た ま え ) の 復 讐 の 戦 役 ) ,’’ al-Maktaba al-Iʻlāmī li-Wilāya Ṭarābuls, January 27, 2015<http://nasher.me/bauan>, accessed January 29, 2015; Al-Dawla al-Islāmīya, ʻʻQawāfil al-Istishhādīy īn 1( 殉 教 者 た ち の キ ャ ラ バ ン 1 ),’’ al-Maktaba al-Iʻlāmī li-Wilāya Ṭarābuls. Ju mādā al-Ūlā 1436, [February -March 2015]. 27 た と え ば 在 ト リ ポ リ の エ ジ プ ト 大 使 館 及 び ア ラ ブ 首 長 国 連 邦 大 使 館( 2014 年 11 月 13 日 )、 ア ル ジ ェ リ ア 大 使 館 ( 2015 年 1 月 17 日 )、 韓 国 大 使 館 ( 2015 年 4 月 12 日 ) が IS による攻撃の標的となった。 28 Al-Dawla al-Islāmīya, ʻʻIstishhādīy ū al-Khilāfa fī malāḥim Banghāzī( ベ ン ガ ー ズ ィ ー の 戦 闘 に お け る ヒ ラ ー フ ァ の 殉 教 者 た ち ) ,’’ al-Maktaba al-Iʻlāmīya li-Wilāya Barqa, November 16, 2014<http://manbar.me/isteshhade>, accessed November 17, 2014. 15
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