二人連れ 神栄作 ない相棒なのでそう無碍にも出来ない。 じいは生活費には絶対手を出さないし、ばあは資金を別 じいは色々あって競馬資金と生活饗を峻別している。 場に来ているのかというと、レースごとにじいの買った 馬の話は全く曲来ないのである。では何が面白くて競馬 ない。流されるように澗く長い道を歩んでいる。結果の が手暇が一種一級に更新された︶なので通院は死ぬまで 治りっこない難病の一つ︵元々右腕のない身障者だった 世界のお宝だと思っている。じいがいくら負けても生活 じいとばあが老いの道をぶらぶら歩いているうちにじ 続くことになる。ばあは益々元気でこれはわたしの仕事 費に響かないので﹁損こいた﹂悪戦はないとはいえ資金 スタンドのシルバー席で ﹁そこだ。セイカイ︵松凹堪過行けぇ! 馬券を扇形に持ってわくわくしているのである。 馬のディープは知っているかどうか。とにかくじいと競 とばかり蒲院に付添って来ては何かと世話をやいている。 が豊かだとばあも和むのである。じいはこの観念を植付 である。 とばあもどこから出るのか里同い声で悲鳴をあげるの ﹁きゃあぁあ。それぇぇ!﹂ じいが絶叫すると、 じいには夢がある。そのうち大きいのを一つ捕ってと。 の 雷 帝 ︶ 。 買って。すると大穴が次々と当りー。そんなのである。 日頃資金不足で買う気になれない大穴馬券を心置きなく ーし﹂とやる気が出る。何よりも生きる勇気がふつふつ いをばあはじいと一心同体になった気になれるのが嬉 二人の視点はこの時ばかりは同じゼッケンに集中して しいのである。 も一つ運の微風がこっちに吹けば夢の成就は明日にでも と思うのだ。あまり俗っぽ過ぎるので口外したりはしな 連れて来た馬で当りを確めて野球選手よろしく拳と拳 事実大穴のす〆、傍には数えきれない程いっているので、 競馬は二十二年前退職してから始めた。当時はしゃか いが内心あすなろの気分なのである。いい年をして馬鹿 に競馬は元気の源なのである。 りきになれる両日さがあったが、苦労を重ねて馬券のノ をガッツンコさせて喜びを㌦ちょっとしたパフォーマ 好い事は二つと続かないが外れの方は緩くと際限がな ンスだが誰も見てない所で二人は輝くのである。 競馬場にはばあもついて来て病院間撥世話をや′ヽ場 だなあ、あすなろなんて子供心だろうがと言いたくなる。 所が場所だけにうるさいと思うが裟婆ではなくてほなら た所が多くなり依然として負け犬である。乾坤一轍の大 勝負なんてのには憧れはするが所詮絵空車としかうつら ウハウを覚え角が大分とれたように思うがその分すまし と湧いて来るのがいい。何かにつけ襲えを感じている身 資金の調達がついて日曜日は競馬だぞともなれば﹁よ 。 た が空いているのほじいにとってせめてもの幸せなのだっ 日暮しの三分の一は透析にとられているものの日曜日 通院のため生活サイクルを五時起きの九時就寝に変えた。 騎手は岡部︵引退したのに︶、武くらいなら知っているが ばあは馬券を買わない。競馬新聞など見向きもしない。 学で人生勉強(好きな本を読んでたってこと 行け、行げぇ。抜いちゃぇ!﹂ いた﹂という感情の捨て場に困ることがあるで て受賞の報をいただいても暫くは信じられま せんでした。納得した時の不覚の涙。老いた 人生も捨てたものではれ\と喜んでおります。 ●プロフィール じん・えいさく 高小卒業で国鉄麟闘区に入り作業中怪我を して右上腕を失う。以後三下で三十四年を過 し退職。年金暮しの申世間知らずを自覚。独 けるのに骨を折って成功して内心北望笑んでいるのだが、 損は面白さで十分バランスがとれてるつもりでも﹁損こ のでした。でも一年に一度のことでこれくら い頑張らなければボケてしまうと続けていた のです。近年になるとポッ癖がついていまし 資金のやり′えソには四苦八苦している︵勝てば即解決な いの方は寄る年波に勝てず留不全になり火木土曜は四時 ●受賞のことば 退職してから二十二年もの間「優駿エッセ イ篇」には応募し続けていました。物事を考 えることをしていなかったものですから(現職 の頃も同の頭の体操にしてはかか)過酷なも その日のたびにばたばたしたくないからである。 間の透析を受けなければならない妹になってしまった。 園田 です)。あとは競馬暦二十二年があるだけです。 2007NO惟MBER−YUSHUN174
© Copyright 2025 ExpyDoc