5月28日 - NPO法人江戸東京野菜コンシェルジュ協会公式ブログ

はじめての江戸東京野菜講座
江戸東京野菜には物語があります。
この講座は、東京にも伝統野菜があることを
もっと多くの方に知っていただきたいとの願いから開催します。
人の手によって、種から種へと命をつなぎつづける東京の伝統野菜の物語。
和食が世界から注目されるなか、初心者の方にも楽しんでいただける入門講座です。
この機会にぜひご参加ください。
(受講されたあと、さらに詳しく知りたい方には別途専門コースもご案内します。
)
|日 時| 5月28日(土)13:00 〜 16:00
|会 場|新宿御苑「インフォメーショセンター」2階レクチャールーム
東京都新宿区内藤町 11(下の地図をご参照ください)
|講 師|大竹道茂(江戸東京野菜コンシェルジュ協会 会長)
上原恭子(江戸東京野菜コンシェルジュ協会 理事)
|内 容|江戸東京野菜にまつわるエピソードや歴史をとおして、
江戸からの食文化の変遷と、種から種へと命をつないで伝わってきた
東京の伝統野菜について、食味体験も含めてお話しします。
*ご希望の方には、当日 11:00 より新宿御苑内の四季折々の自然の見所や
歴史をご紹介するガイドツアーを開催します。お気軽にご参加ください。
|受講料|3,
500円(当日お支払いください)
お申し込み・お問い合わせ受付メールアドレス:[email protected]
*お申し込みの際は、メールタイトルを 新宿御苑 5 月講座申し込み とし、
本文に以下の事項をご入力のうえ、送信してください。
新宿御苑
氏名 / フリガナ / 郵便番号 / 住所 / 電話番号(できれば携帯)/ メールアドレス
新宿門
*受付後、申込み受付完了メールをお送りいたします。
*定員になり次第、受付を締め切らせていただきます。
*受付完了メールが届かない場合は、お手数ですが下記までお電話ください。
TEL. 090−2423−0831
新宿通り
新宿御苑前
目
三丁
新宿
JR
新宿駅
受信設定をしている場合は、上記アドレスが受信できるように設定変更してください。
インフォメーション
センター
国民公園「新宿御苑」
新宿区内藤町11
主催:特定非営利活動法人 江戸東京野菜コンシェルジュ協会、一般財団法人 国民公園協会新宿御苑 共催:環境省自然環境局 新宿御苑管理事務所
江戸東京野菜って?
江戸時代から昭和 40 年代頃まで、東京都内の農地
で数世代以上にわたって栽培されていた固定種(自家
採種した種子からほぼ同じ形質のものが育つもの)の野
菜をいいます。それぞれの野菜にはさまざまな物語が
あり、味や形など個性あふれる特徴も。まさに東京
の伝統野菜で、現在 42 種類が認定されています。
伝統小松菜
8代将軍・徳川吉宗が鷹狩りに
出かけた際、小松川村で休息し
た。そこで食べた青菜をいたく
気に入り、地名から名付けたと
されている。
砂村一本ネギ
伝統大蔵ダイコン
天 正 年 間(1573 〜 1592)
に摂津(大坂)から、江戸の
砂村(現在の江東区北砂・南
砂)や品川などに持ち込まれ
た葱。関東では葉葱の栽 培
が難しく、根 本を土寄せして
白葱が生まれたという。
江戸時 代、豊多摩 郡(現 在の
杉並区あたり)の源 内という
農民が作りだした「源内つまり
大根」が源。のちに明治初期、
世田谷区大蔵の石井泰治郎氏
が、秋づまり大根と、代々木の
源内大根の自然交雑 種を改良
し、選抜固定した。
亀戸ダイコン
文 久年 間(1860 〜 64) の 頃か
ら昭和初期まで、亀戸香取神社周
辺で栽培され、明治の頃は先端の
葉の形から「おかめ大根」
「お多福
大根」と呼ばれていたが、大正初
期に産地の名をつけて「亀戸大根」
と呼ばれるようになった。
奥多摩ワサビ
日本原産の伝統香辛料で、文政
6年(1823)の『武藏名勝図絵』
の多摩・梅沢村の項に「山葵(わ
さび)この地の名産なり、多く作
り手江戸神田へ出す」とある。
ノラボウ菜
馬込半白キュウリ
明和 4 年(1767)に
関東郡代官が、食用・
(じゃ
油用として
「闍婆菜
ばな)
」 の 種を、 五日
市村など 12 村に配布
するよう命じた古文書
が 残る。 のち、 この
菜が天明や天保 期の
大凶 作の際に人命を
救った。
馬込三寸ニンジン
大田区西馬込の篤農家の品種改良に
より生まれた、長さ 10cm ほどの人
参。元となる西洋種の人参が伝わっ
たのは明治初期の頃で、それまでは
「滝野川人参」に代表される長さ 1m
もある長人参が主流だった。
新宿御苑と江戸東京野菜
たかとう
新宿御苑は、江戸時代には信州・高遠藩 内藤家の下屋敷のあったところです。
内藤家の菜園では「内藤カボチャ」
「内藤トウガラシ」が栽培され、特産物
となりました。明治になると、その地に官営農事試験場「内藤新宿試験場」
が設けられ、日本の農業・園芸の先駆的な役割を担いました。
瓜と「大井胡瓜 」を掛け合わせて
改良した下半分が白い胡瓜。明治
30 年頃から改良を重ね、節になる
形になったのは明治 37 〜 38 年頃
で、
「馬込半白節成(ふしなり)胡瓜」
と呼ばれるように。
品川カブ
(滝野川カブ、東京長カブ)
漬け物として食べられ、現
在の品川区付近で栽培され
ていたことから「品川蕪」と
いわれた。北区滝野川産の
ものは「滝野川蕪」
。
東京ウド
寺島ナス
(蔓細千成ナス)
内藤トウガラシ
品種は八房(やつふさ)唐辛子。
七色唐辛子(七味と呼ぶのは上
方風、江戸では七色)などに調
合され、広く親しまれてきた。
内藤カボチャ
内藤家の菊座南瓜(きくざかぼちゃ)
つのはず
は新宿で名をはせ、周辺の角筈村や
柏木村でも栽培されるようになり、地
場野菜として定着していった。
『新編 武蔵風土記稿』に
葛飾郡の茄子について「他
の産に比すれば最も早し。
よりて形は小さいなれど、
早 生なすと呼 び 賞美す」
とあり、寺島辺りでも盛ん
に栽培されていたことから
名づけられた。
幕末に多摩郡の吉祥寺
で始められたウド栽 培
は、多くの関係者が技
術開発、改良に尽力し
た。その結果、北多摩
一円は品質・生産 量と
もに日本一のウド産 地
に成長したという。
(江戸東京野菜写真提供:福島秀史)