谷 崎潤一郎 40 す い し ん ょう あ 2016年度春の特別展 〜「ナオミ の家」から 「倚松庵」まで〜 「鎖瀾閣」で三味線を弾く谷崎 年の生涯に 回以上も 転居を繰り返した谷崎潤一郎(1886〜 解体前の「ナオミの家」 1965年)。小 説のイメージが浮かぶとその物 語にふさわしい棲 み家を 求め、次々に移 り 住んだのです。昨 年 移 築された「ナオミの家」 の解体前と移築後の写真や、今はなき「鎖瀾閣」の模型と部材、 「細雪」 の舞台となった「倚松庵」のテーブルといすなど展示物は約100点。谷 展示品は時期によって入れ替えがあります。 ※ 崎愛用のいすは実際に座ることができます。物語が醸成された濃密な空 間をぜひ体感してください。 79 物語の棲み家 「倚松庵」のテーブルといす(撮影:小池義忠さん) 4 月 2日 (土)~ 6月 26日 (日) 午前10 時 ~ 午後5 時(入館は4 時30 分まで) 毎週月曜休館 2016年は谷崎生誕 130 年に当たります 。当 館 は 「文豪 は時空 を超 えて 」 を共通 テーマに 多彩 な企画 を展開しています 。 【会 場】芦屋市谷崎潤一郎記念館 【観覧料】一般 400円、大高生300円、 中学生以下無料 ※団体料金(20人以上)は観覧料の 2 割引き ※6 5 歳以上および身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、 療育手帳をお持ちの方、ならびにその介護の方 1 名は半額 【主催】 〒659-0052 兵庫県芦屋市伊勢町12の15 e-mail [email protected] ホームページ http://www.tanizakikan.com 【後援】 読売新聞大阪本社 武庫川女子大学 大阪よみうり文化センター 【協力】中央公論新社 阪神間の 主な邸宅 1923年(大正12 年)の関東 大震災で関西へ逃れ、1945 年 (昭和 20年) の空襲で自宅を焼 失するまで、谷崎は主に阪神 間に住み、13 か所も住居を移 りながら創作の絶頂期を迎え ました。物語を生み出した主 な舞台をたどります。 「マツチの箱のやうに白い 壁で包んだ外側」と『痴人 の愛』に描写された洋館。 谷崎は 1924 年(大正 13 年) から 2 年半を神戸市東灘区 にあったこの家で暮らし、奔 放な美少女ナオミを主人公と する同作を書き上げました。 家は2006 年に解体され、そ の際『痴人の愛』にちなん で「ナオミの家」と名づけら れました。 谷崎没後 50 年 に当たる昨年12月、和歌山県 有田川町へ移築=写真=。 「鎖瀾閣」 円本ブーム (1 冊 1 円の文学全集) で巨 額の印 税を手にした谷 崎は、 1928 年(昭和 3 年) 、神戸市東灘 区に自らの設計で理想の豪邸を造り 上げました。税金がかさんで 3 年で 手放す結果になりましたが、ここで 執筆した『蓼喰ふ蟲』は「私の作 家としての生 涯の一つの曲り角に 立っている」という代表作に。家は 阪神大震災で全壊し、短編『鶴唳』 にちなんで「鎖瀾閣」と名づけられ ました。 「富田砕花旧居」 大阪・船場の御寮人、 松 子 を 愛 し た 谷 崎 は、 1934年(昭和 9 年)に芦 屋市宮川町に現存する日 本家屋でひっそりと所帯を 持ちました。この家で 最 初の『潤一郎訳 源氏物 語』を書き始め、芦屋を 舞 台にした『猫と庄 造と 二人のをんな』を完成さ せたのです。家の名は谷 崎の後にこの家に住んだ 詩人、富田砕花にちなむ もの。2016 年 5月1日にリ ニューアルオープンし、毎 週水・日曜のみ公開され ます。 「ナオミの家」 「倚松庵」 松 子と晴 れ て 式 を 挙 げ、その妹たちを引き取っ た谷崎は、家族とお手伝 いが暮らせる広い屋敷を 探し求めました。神戸市 東灘区の住吉川のほとり に建つこの邸宅で、一家 は 1936 年(昭和 11 年) から 7 年間暮らし、その日 常生活はことこまかに『細 雪』に 描き出され ます。 六甲ライナーの建設にとも ない、1990 年 北 へ150m 移築され、以来「倚松庵」 と呼ばれています。 谷崎ゆかりの邸宅を訪ねて ~「富田砕花旧居」見学会~ 日時 ❶ 5月14日 (土)午後 2 時 ~ 3時30分 ❷ 6月 4日 (土) 同 場所 芦屋市谷崎潤一郎記念館集合→「富田砕花旧居」 へ移動 (徒歩約20分) →現地解散 【案内・解説】井上勝博、永井敦子(当館学芸員) 【定員】各回 30人(予約優先、申し込みは当館へ) 参加費 500 円(入館料込み)
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