市川緑の市民フォーラム 会報 2016 年4月 通巻 147 号

市川の自然と文化とまちづくりを発信する情報誌
市川緑の市民フォーラム 会報 2016 年4月 通巻 147 号
前回の宮久保山道を曽谷へ向かうと、国分からの道と出会う。
この県道高塚新田市川線は国分からまっすぐ東に曽谷の台地上へ延びている。明治 13 年の地図では、田ん
ぼの中をクランク三回繰り返して曽谷の台地にぶつかり、その裾野を少し廻って坂を上っている。その田んぼ
道がそのまま台地上にまっすぐ繋がったのは、いつのことだろう。
「開道碑」という碑が台地上の春日神社の一角にある。浮谷竹次郎市長以下工事関係者、出資者の名前を裏
に刻んだ道路改修記念碑で、昭和 12(1937)年に建てられた。
「開道」であるから、この時台地上から一直線
に国分までつながったのに違いない。
【第6回】国分~曽谷
古地図片手に
曽谷貝塚・弁天池
春日神社脇を北へ行くと馬蹄形貝塚としては日本最大級の曽谷貝塚がある。開道と同じ頃ここで発掘され
た土器は「曽谷式土器」と命名されたがその後行方不明となり、何度も発掘調査がなされた。昭和 54(1979)
年、曽谷貝塚は国の史跡に指定され、「幻の土器」は昭和 62(1987)年になってやっと再発見される。
史跡に立つと、起伏のある台地上を遥か縄文からの風が今も吹いているかのようである。畑には白い貝殻
のかけらが無数に散らばっていた。
貝塚をさらに北に行くと、緩やかな下り坂になり、台地下には妙曽池といわれた池がある。弁天様が祀ら
れ、市内では珍しい黄菖蒲と睡蓮の群落があったという。今は弁天池と名前が変わっていた。
◆ 特集:シリーズ「古地図片手に」 一年間を振り返って
◆ トピックス:国府台フジバカマの里リーフレット完成
外環に適切な「事後調査」は行われるのか
フォーラム
こんなことがありました / フォーラムの活動をご報告します
2月
1日(月)・ 編集部 会報146号の印刷と発送
2日(火)・ 市川の空気を調べる会 月間計交換作業
3日(水)・ 市川の空気を調べる会日本環境学会 月間計に関する企画セッション打合せ
10日(水)・ 例会部 打合せ 男女共同参画センター
11日(木)・ 三番瀬署名ネット幹事会議 船橋FACE
12日(金)・ 赤レンガをいかす会 運営委員会 千葉商大 カフェテリア
17日(水)・ 市川の空気を調べる会 運営委員会 西部公民館
21日(日)・ 第157回2月のフォーラム「文人たちの描いた国府台の軍隊」市川公民館
・ 市川の空気を調べる会 月間計分析 約150本
22日(月)・ 編集部 ふぉーらむ147号企画会議 マルシェ
23日(火)・ 真間山の緑地を守る会 運営委員会 市川公民館
・ 真間川改修事務所との話し合い 真間川改修事務所
24日(水)・ フォーラム運営委員会 市川公民館 25日(木)・ さようなら原発市川市民のつどい第3回実行委員会 市川教育会館
26日(金)・ フジバカマの里 ワンド生き物調査 国府台高校と市民有志 現地
28日(日)・ 赤レンガをいかす会 運営委員会 市川公民館
3月 1日(火)・ 市川の空気を調べる会 月間計交換作業
2日(水)・ 市川の空気を調べる会日本環境学会 月間計に関する企画セッション打合せ
・ 第2回 フジバカマの里ネットワーク運営会議 市川公民館
・ 市川市長が県知事に対し「赤レンガを文化財に・行徳野鳥観察舎を保存」要望書提出
3日(木)・ フジバカマの里 ワンド生き物調査 市民有志 現地
6日(日)・ 国分川調節池自然観察会 国分川調節池
11日(金)・ 赤レンガをいかす会 市川市2月議会 傍聴
12日(土)・ 県 三番瀬ミーティング 行徳公民館 13日(日)・ 三番瀬署名ネット総会と講演 船橋
・ 「さよなら原発市川パレード」
16日(水)・ さようなら原発市川市民のつどい2016宣伝 千葉県立市川昴高等学校
17日(木)・ 第11回江戸川の稚アユ救出作戦 国交省江戸川河川事務所と打合せ 江戸川河口出張所
・ 市議会「血清研跡地保存と野鳥観察舎の設置要望意見書採択
意見書」が、賛成多数で可決
18日(金)・ 第11回江戸川の稚アユ救出作戦 市川市環境政策課他と打合せ 市役所
・ 市川の空気を調べる会 会計打合せ クレール
・ 編集部表紙取材 曽谷春日神社 曽谷貝塚 弁天池
19日(土)・ 市 生物多様性モニタリング調査研修会 手児奈霊堂 真間山周辺
20日(日)・ 市川の空気を調べる会 2015年度測定報告まとめと印刷 22日(火)・ 赤レンガをいかす会 運営委員会 市川公民館
25日(金)・ フォーラム運営委員会 市川公民館
26日(土)・ 市川の空気を調べる会 第20回総会・報告会・講演会 市川公民館
28日(月)・ 編集部 会報147号の版下仕上げと入稿
29日(火)・ 真間山の緑地を守る会 運営委員会 市川公民館
31日(木)・ 国府台フジバカマの里 作業・今後の調査の打合せ 現地
でいだらぼっち
カエルから見た市内の生物多様性
佐野
郷美
昨年のこと、都内のペットショップで、
アマガエルが小さなプラスチック水槽に入
れられて売られているのを見て驚いた。値
段は 800 円だった。
アマガエルといえば、梅雨時の、雨が今
にも降りそうな空の下、市内の住宅街の垣
根の中から「クワッ、クワッ、クワッ」と
都市化の進んだ港区の調査では、在来種
のアズマヒキガエルと外来種のウシガエル
のみ生息が確認されている。かつては港区
でも市川と同様な種類が生息していたはず
なのだが…。
とすれば、このまま市川市も都市化が進
めば、6 種類いたカエルがどんどん種類数
かん高く鳴く声がよく聞かれたものだ。鮮
やかな緑色、小ぶりで指先の大きな吸盤が
可愛いカエル。都市にも似合う風貌の持ち
主だ。
芥川龍之介もどこで見かけたのだろう。あ
の鮮やかな緑色に感動してか、
『あおがえる
お前はペンキ 塗りたてか』という句を残
している。
都市化が進行する地域では、かつてどこ
にでもいたこのアマガエルが激減している。
を減らし、アズマヒキガエルとウシガエル
のみになってしまうのかもしれない。
カエル類は、生態系の中では餌動物とし
て他の動物たちの命を支えている。例えば、
シマヘビもヤマカガシもカエルを主に食べ
るヘビだから、カエルがいなくなるとこれ
らのヘビも姿を消す。地域の生物多様性の
保全を考えたら、カエル類の絶滅はとても
心配な兆候なのである。
昭和 50 年代後半に保全された大町自然
水田に依存するカエルだから、水田の減少
が彼らの生息には致命的なのだ。どこでも
簡単に手に入らなくなり、しかも美しく可
愛い姿に商品価値があると踏んだのだろう。
だから都内で売られていたのである。
市川には 2000 年前後まで 6 種のカエル
が生息していた。もともと古くから市内に
生息していた在来種はアマガエル、アカガ
エル、トウキョウダルマガエル、シュレー
ゲルアオガエル、アズマヒキガエルの 5 種。
観察園(かつての大町自然公園)の水辺は、
アズマヒキガエルとアカガエルの大産卵地
として市内では貴重な場所である。
2007 年にオープンした大柏川第一調節池
緑地は、市内から失われゆく内陸低湿地の
自然を復元しようと、用地内に浅い池をい
くつも造成した。今その浅い池がアカガエ
ルの産卵場所になっている。
カエル類が産卵する水辺を市内に確保し
てカエル類の多様性を維持し、その結果と
残り1種は北米原産の外来種ウシガエル
(食用ガエル)である。しかし、最近トウ
キョウダルマガエル、シュレーゲルアオガ
エルは市内から姿を消した。絶滅したと考
えられる。あれだけ身近にいたアマガエル
もめったに見かけない。絶滅に瀕している
と言って良いだろう。水田がほとんど埋立
てられたのだから無理もない。
して、ヘビ類をはじめとする他の生物たち
の多様性も守りたいものだ。
今年 1 月、国府台フジバカマの里の一画
に、増水時にのみ江戸川と繋がるワンドを
国交省に造成してもらった。この水辺がや
がてカエル類の産卵場所になり、この地域
の生物多様性を支える大切な場になってほ
しいと期待しているところである。
真間山/環境保全の取組みに積極的に参加しよう!
春分を過ぎて自然は春の装いとなり、木々の
枝にも足元の土にも芽吹きが見られるように
なった。国府台フジバカマの里も芽吹きの時を
迎え、日毎に緑がひろがってゆく。1月に掘削
が完了してワンド(水辺湿地)が作られ、フジ
バカマの里はこれまで以上に変化に富む河川
敷となった。今後、この豊かな自然環境を保
全・育成していくにはどのような計画のもとに
活動を続けるかが課題であろう。ネットワーク
のメンバーとして、活動計画を立てて取組むべ
き課題だと思う。
『真間山並びに周辺緑地、環境及び景観の保
全のための活動を行う』を目的(規約第1条)
とする当会としては、活動に積極的に参加し、
環境学習のフィールドとしても活用される貴
重なこの環境を未来に引き継いで行かなけれ
ば――と思う。
――4月、5月の行事――
1、ノウルシ観察と樹木調査
4月6日(水)10:00~11:30
メジャーなどあれば持って来て下さい。
2、ツル草除去
4月25日(月)10:00~11:30
ハサミ、軍手をご用意ください。
第13回 総会
市川公民館
5月22日(日)13:30~16:00
秋元久枝 記
外 環/外環に適切な「事後調査」は行われるのか?
外環に適切な「事後調査」は行われるのか?
昨年、国土交通省首都国道事務所は外環供用
後道路事業者として行う環境監視計画の案を
松戸、市川の両市に示した。それによると「松
戸市内 1 か所(中矢切)と市川市内の 2 か所
(平田、田尻)に大気汚染の常時測定局を設置
し、気象条件とともに窒素酸化物と浮遊粒子状
物質(SPM)を測定する。騒音と振動につい
ては松戸市内 2 か所と市川市内 8 か所で交通
量とともに年 1 回(秋季)測定する」ことにし
ている。
2011 年 4 月の環境影響評価法の改正によ
り、環境影響評価に際して事業終了後の環境事
後調査の計画を定め、その確実な実施と結果の
公表などの規定が設けられた。事後調査は事業
終了後、環境影響評価の結果を検証し、追加的
な環境対策が必要かどうかを判断することが
目的である。そのため事前の予測評価の段階で
は適当な予測手法がなかった事項や、不確定性
が大きい事項を重視し、重点的に行うことにな
っている。
外環の影響予測ではPM2.5 の原因ともなる
デイーゼル微粒子の影響は予測項目に入って
いない。ジャンクションなど構造が複雑な場所
での大気汚染や騒音の影響予測は不十分であ
る。自然環境や景観への影響については安易な
見通しに基づく作文に止まっていて、詳細な検
証が求められる。しかし首都国道事務所の環境
監視計画案にはこうした項目はない。「外環は
事後調査が法で定められる以前の計画決定だ」
というのが理由だが、そんな理由で済ましてよ
いのだろうか。
当初、国側では県を含め、昨年十月中の「環
境監視計画」の決定を目指していたが、市川市、
松戸市との調整が難航し年度末まで持ち越さ
れている。地元両市の対応に少しは期待したい
ところだ。
長く松戸地区の外環対策協議会の代表を務
めてこられた井上スイ子さんが 2 月 23 日亡く
なられた。89 才であったという。外環反対運
動は今年でまる 45 年である。当初、井上さん
は 44 才だったことになる。高齢になられてか
らは実務的なことは既に娘の浅井ゆきさんに
譲られていたが、毎月の外環連合会議には、ご
く最近まで出席されていた。お住まいの家が外
環用地内にあり、土地収用の最終段階まで地権
者として頑張られた。
高柳俊暢 記
行徳野鳥観察舎の存続を求めて
会報 2 月号でもお伝えしましたが、昨年 12
月、千葉県は行徳野鳥観察舎の無期休館を発表
し、現在、保護区を訪れても観察舎に入ること
はできません。トイレを使うこともできなくな
っています。耐震性能が非常に低く、補強の必
要性があり、現時点で利用者の安全を確保でき
ないという理由からです。
今後の対応については、千葉県行政改革審議
会では廃止の方向で検討されています。
一方的なこの決定に対して、「行徳野鳥観察
舎を愛する者一同」と「千葉県野鳥の会」がそ
れぞれ独自に署名運動を展開し、千葉県内はも
ちろん全国の様々な会が要望書を千葉県知事
宛に提出しています。
当フォーラムも、まず 12 月中にネットを利
用して「存続要望書」を知事宛送信しました。
また、運営委員はそれぞれに多数の署名を集め
て、「愛する者一同」と「野鳥の会」の署名に
も協力しています。さらに、ネットで送信した
「要望書」は一個人の意見としてしか扱われな
いということを知って、あらためて 3 月初めに
「存続要望書」を再度知事あてに郵送しました。
市川市長も 2 月 3 日千葉県知事森田氏と会
談し、野鳥観察舎の存続と赤レンガ建物(これ
については別に13頁報告)の保存を求める要
望書を提出しています。その中で、「応分の負
担をする」とも述べています。
今後は、3 月 25 日と4月後半に千葉県行政
改革審議会が開催され、再度その場で検討。そ
の答申を受けて県が方針を決定し、パブコメに
かける事になっています。
佐野郷美 記
フジバカマの里/国府台フジバカマの里、リーフレットの完成
市川市北西部水と緑の回廊構想を市川市に
提言して以来、絶滅危惧種フジバカマが自生す
る旧坂川河口域周辺をフィールドに、真間山の
緑地を守る会とともに植物、鳥類、昆虫類等に
ついて専門家とともに調査をしてきました。
調査をしていく中で、この一帯の景観と生物
多様性を守っていきたいという思いがさらに
強まり、昨年 10 月 12 日にこの地の自然や生
物に関するシンポジウムを開催して、その日
「国府台フジバカマの里ネットワーク」を結成
しました。現在は当フォーラムと真間山の緑地
を守る会でこのネットワークを作っています
が、今後他の会やこの地に関心のある個人にも
ネットワークへの参加を呼びかけます。
そのシンポジウムの際に参加者に配布した
資料をもとに、今回「国府台フジバカマの里リ
ーフレット」を完成させました。B5 版 8 頁オ
ールカラーのリーフレットです。
この中には、旧坂川河口域がなぜ大切なのか、
今の地形になった経緯(国交省が堤防を曲げて
この環境が残されています)、この場所をわか
りやすく示した鳥瞰図と生息する生物写真、今
まで行われてきた調査の概要と観察された生
物リスト、そしてアクセスマップと私たちの思
いを掲載しています。
当フォーラムや真間山の緑地を守る会の会
員の皆さんには、ぜひともご覧いただきたいリ
ーフレットです。今後、調査に参加してくださ
った専門家の皆さん、国交省江戸川河川事務所、
市川市長をはじめとする市役所内の関連部署、
県議会・市議会議員等にも贈呈して、この場所
の認知度を高めていきたいと思っています。
頒布価格は 1 部 100 円です。購入後希望の
方は、例会に参加いただければ受付で購入でき
ます。または当フォーラム事務局までご連絡く
ださい。ぜひ、ご購入くださるようお願いしま
す。
佐野郷美 記
☆関連記事
4頁、13頁
2 月のフォーラム報告
第 157 回例会
文人たちの描いた国府台の軍隊
〜赤レンガ建築物の文化的価値につなげて 〜
14 井上ひさし「東京セブンローズ」
ことを学ぶこととしている。今回は、市川民話の会会員
戦中の国府台の様子が描かれている小説
の根岸英之さんに講師をお願いし、国府台の軍隊を文学
15 井上ひさし「きらめく星座」
者たちがどう描いたかについて勉強してみることとした。
戦中に国府台砲兵隊から脱走した兵士を描いた小説
取り上げた文学者と作品、その概要は次のとおりである。
毎年フォーラム 2 月の例会は、文化的側面から市川の
1 正岡子規 「総武鉄道」
明治27年頃の国府台の様子を描いた紀行文
2 齋藤緑雨 「ひかへ帳」
明治31年頃の市川・国府台のことを書いた見聞記
3 伊藤 整 「年々の花」
明治25年に父の陸軍教導団入団の時のことを書
いた文章
4 志賀直哉 「日記」
明治43年に国府台の砲兵隊に配属された直哉の
徴兵忌避の様子
5 里見 弴 「君と私と」
友人の描いた志賀直哉の徴兵忌避の様子
6 幸田 文 「あとひき桜」
大正時代の初め、国府台でのお花見と当時の砲兵隊
の様子
7 田山花袋 「東京近郊一日の行楽」
大正12年頃、国府台兵営の周辺についての描写
8 清水幾太郎「大震災は私を変えた」
大正12年に避難して来た国府台の兵営での生活
9 安岡章太郎「自伝的旅行」
幼時に市川に住んだが、その頃の様子。市川に寄せ
る思い
10 斎藤茂太 「国府台の人々」
昭和19年頃、茂太が国府台陸軍病院に勤務した思
い出
12 島尾敏雄 「日を繋(か)けて」
昭和30年代、まだ陸軍当時の面影が多く残ってい
た国府台病院精神科病棟に妻を入院させた時の様
子を描いた小説
13 宗 左近 「縄文まで-自伝抄」
東京大空襲時、本所で友人を失った時の様子、思い
以上のとおり、どれも、当時の市川をよく描いた作品
ばかりであるが、まず伊藤整の文章が目を引いた。父の
陸軍教導団入団の時のこと書いたものであるけれども、
当時どのような人が教導団に入団していたのかがよくわ
かった。
次に志賀直哉の日記が面白かった。すぐ徴兵忌避して
しまったが、直哉が国府台の砲兵隊と関わりがあったと
いうのは初めて知ったことである。
さらに、安岡章太郎の文章のうち「市川には、いわゆ
る新しい都会文化とはどうしても溶けあわない異質の何
かが根を張っており、固有の自己を主張し続けている」
という一文に関心が集まった。「自分たちもそう思う。
我々が目指す市川のまちづくりにもつながる」という意
見も出された。
島尾敏雄の文章については、参加者の中に当時の病院
の様子を覚えている人もいて、院内の精神科病棟の間の
四角い池でモツゴ(クチボソ)釣りをした人もいた。
また、今回、若い人、中学3年生の方の参加があった
のはうれしいことだった。
国府台の軍隊について歴史を学んだり、その痕跡をた
どるだけでなく、今回のように文学を通じて学ぶという
のも、また面白い体験だと思う。赤レンガの保存につい
ても、市川市が動き出した。今後も、こんな問題につい
て勉強を深めてしていきたい。
[ 報告:例会部・中島行雄 ]
1
千葉県教育振興財団・文化財センター調査
外環道路計画路線内の遺跡をめぐって(19)
【後通遺跡の中世屋敷関連遺構】
高 柳 俊 暢
砂州上から多数の溝跡や土坑
右上の図は須和田の後通遺跡における外環路
路線を示している。この図中にある六所神社に通
じる東西方向の市道辺りが須和田砂州の南端にあ
たり、これより北側は砂州上ということになる。
この砂州上の調査では多数の溝状の遺構や土坑が
出土し、土坑の中のいくつかは井戸枠を伴わない
井戸(厳密には井戸状遺構)であるとされている。
時代は中世(鎌倉・室町期)が中心であるが古代
(奈良・平安期)のもの相当数あり、一部には古
墳時代のものもある
出土した溝の多くは居住地や耕作地を分ける区
画溝かと思われるが、右下の写真に写っている2
条の溝のうち、画面左側のものは堰と見られる木
組みが設けられ、溝の底部には泥が堆積していて、
水路である(時代は中世とされていた)
。
図 須和田後通地域における外環計画路線。
湯浅氏による神主屋敷の領域、下の写真中の中世
水路、前々回記事の平安時代井戸跡とともに北端
地区で出土した道路遺構(中世)を記入してある。
六所神社神主桑原氏の中世以降の館と関連
砂州上のこうした遺構の発見は元禄時代の絵図
「下総の国葛飾郡須和田村絵図」に「神主屋敷」
として描かれている桑原氏の館との関連で注目さ
れている。「市立市川歴史博物館報」(平成 17 年
度)にある湯浅治久氏の研究論文によると桑原氏
は国府時代の国衙の官人で、中世以降、近現代ま
では六所神社の神主を務めた一族である。
湯浅氏は絵図にある「神主屋敷」の場所を現代
の地図上に落としている。その領域を右上の図で
当てはめてみると、外環道路路線は「神主屋敷」
の東縁部にあたっていることになる。溝や土坑か
らは鎌倉時代の青磁や白磁の破片が出ているもの
もあり、格式の高い屋敷との関連を示している。
写真 神主屋敷北端部に隣接する場所で出土した
水路跡(左側溝)と溝状遺構。いずれも中世とさ
れている。(調査見学時に調査担当者の許可を得
て撮影)
古地図 片手に
時代とともに道は移り変わり、地図も書きかえられていく。
道も地図も時代とともに
はっきりした道が描かれている。それは今の道のどこにあたり、古地図からはどんな風景が読みとれるのだろう。
2015 年度の会報「みどりのふぉーらむ」では表紙テーマを「古地図片手に」として、明治 13 年発行
の「フランス式彩色地図」を参考にしながら市内を歩いてみた。明治初期、国府台も国分も真間もまだ村
昨年 6 月の会報(142 号)から今回(147 号)まで、表紙イラストに取り上げた 6 ヶ所を明治の地図に配し、
古地図片手に歩いた道をあらためて紹介したい。
となっていて、一帯はほとんどが田や畑である。萱、梨と表記されている所もある。その中に、何本かの
※ 地図には修正を加えています。現在の道と違う場合があります。
新道
土手道
人々の往来が多くなると、シ
昔の道は、土手道を利用して
ョートカット的な道が自然に、
いるところが多い。143 号の
あるいは必要に応じて作られ
矢切渡し場道はその雰囲気を
今に伝えている。一方、市川広
矢切渡し場道 143 号
ていく。そして、その分岐には
道標が立てられたり目印の松
小路から 144 号の稲荷木一本
が植えられたりした。一本松か
松への道は今では大半が産業
曽谷貝塚 147 号
道路に変わり、土手道だった面
ら八幡へぬける八幡新道(今の
影は残っていない。しかし「江
行徳街道)も、田尻から鬼越に
戸名所図会」の「行徳塩浜の図」
142 号 千葉商大のエノキ
ぬける 145 号掲載の「新作道
商大のエノキ 142 号
(中山道)」も、田んぼの中に人
にあるような土手道がかつて
はここにもあったに違いない。
山を越えるような場所には、
宮
久
保
山
道
切通しが作られた。トンネルの
技術のない時代には、労力はか
市川
国分寺へとぬける切通しはい
つ頃作られたのだろう。国衙や
国分寺が建てられたときだろ
うか?持国坂に残る文化五年
(1808)の 道標 に は国 分寺 へ
の里程がしるされており、そこ
神明寺のイチョウ
号で訪れた諏訪神社から菅野
にぬける「宮久保山道」のよう
に、人々の自然の流れが道を形
成していったと思われるもの
平田緑地 146 号
もある。そういう道を作る努力
は、その時代のニーズにそって
かるが、確かな方法である。
142 号で訪れた真間山下から
145 号
工的に作られたものだ。146
国府台
切通し
143 号 矢切渡し場道
道標
八
幡
新
道
進められていく。曽谷台地から
本八幡
稲荷木一本松 144 号
国分へと一直線に伸びる今の
神明寺 145 号
道(147 号掲載)もそうである。
新
作
道
下総中山
145号
浮谷竹次郎市長以下これに携
わった人々の名前が春日神社
146 号 平田
諏訪神社
の「開道碑」に刻まれているよ
西船橋
うに、その時代の要請があった
に道標を必要とするほど人々
ものなのだろう。市川の駅や市
の往来があったことを示して
場へと行きやすくなったに違
いる。
いない。
人と道
古道歩き・街道歩きがブームとか。古代から現代にいたるまで、人は歩き、交流し、物も動いてきた。新しく作られた道が開通する一方、それまで人々
が日常的に使ってきた道がつぶされたり消えてしまったりすることもある。その時代時代に必要な情報が書き込まれてきた地図は、ある意味その時代を
144 号 稲荷木一本松
しのぶよすがでもある。一方、現代の地図から古い時代の道やその土地の生業などの痕跡を見つけることも可能である。
ここで紹介した地図や道はほんの一部だが、地図を片手にまちを歩いたら何が見えてくるか、いろいろな楽しみ方ができるのではないだろうか。
147 号 曽谷貝塚
みどりのふぉーらむ 147 号 2016.4.1.
我々は明日どこに住むのか
けて鉄道の発達に合わせて宅地開発がされた。
〜
家とまちのかたち〜
昭和8年、国府台の陸軍用地を博覧会の用地に充
てたらどうかと言う記事が新聞に載った。陸軍を移
転させるなどと言う大胆な意見がよくぞこの時代
に公言できたと思うが、もし実現していたら博覧会
の跡地は、さしずめ江戸川に面した斜面林には木内
地域の資源をいかした
江戸川リバーサイドタウンの提案
髙木彬夫(建築家)
幕張新都心住区の街並みと緑地の観察ワークシ
ョップを行った。1980 年に埋め立て造成を終えた
522ha のまっさらな土地に、当時の都市計画・ラ
ンドスケープ・建築等の先進的考え方を駆使して総
合的に造られた町である。
別邸のような大邸宅が並び、裾野には高級屋敷群が
実現していたのかもしれない。なぜなら発案者は時
の衆議院議員、京成電鉄社長だったから。
1964 年のオリンピック以降、人口の首都圏集
中にあわせて市川市の人口も急増する。行徳・塩浜
地区には中高層の集合住宅が建設されたが、江戸川
以北には中山団地と南大野高層住宅群だけで、殆ど
は戸建て住宅で緑地は減った。市川の街並み景観の
象徴であった格調高い屋敷町も、経済事情や相続の
問題からクロマツの木立とともに消えてきた。さら
に今、人口の減少を食い止めたいと市が計画してい
る武蔵野線新駅と都市開発案は、市街化調整区域を
開発に回し貴重な緑地をつぶす、時代の趨勢に逆行
する開発型の計画である。
発想の転換をして、今ある住宅地を改良して魅力
ある町に造り替える、人口減少の機会を利用して住
海浜幕張駅のあるタウンセンター地区・業務研究
地区・文教地区に対して、公園緑地を緩衝地帯とし
た住宅街区約 38ha が整然と配置されている。計画
居住人口は 26,000 人で、住宅街区の人口密度は
670 人/ha だから高密度である。しかし街区の印象
が明るくゆったりしているのは、街路が約 100m
の格子状に造られ、これに面する住宅棟がすべて街
路側に正面を向ける設計になっていること、計画時
に決められた基本ルールによって、街路の幅と建物
の関係を規定していることなどがあげられる。
南面日照を得ることが最大の目標であったこれ
までの住宅設計の方式を敢えて捨てることで、市街
地の住宅の在り方に問題提起しているのである。街
路側から裏が見えない、共有の街路空間がデザイン
的にコントロールされている中庭型市街地住宅の
例である。
昔の農村集落から始まった住居の考え方を根底
に、広い敷地にぽつぽつと住居を配置する屋敷の形
態が理想形となり、市川市も大正から昭和前期にか
居も緑もより質の良い街に造り替えることは考え
られないか。
産業道路と江戸川堤防に挟まれた地域は、地盤が
低く出水しやすいところで、今は工場と住居が混在
していてあまり快適な居住地とは言えない。そこへ
外環道・京葉道路のジャンクションが出来ればます
ます環境が悪くなる。しかし見方を変えれば、JR
市川駅・本八幡駅にも近く交通の便は良い。ジャン
クション周りをクロマツ緑地につくり替え、江戸川
河畔に沿った水辺の景観を生かせば、期待できる地
域であることが見えてくる。地盤改良・インフラ整
備・街区のデザインを総合して進めれば、ランドス
ケープと建築が融合した新しい高密度な街区がで
きるだろう。対岸の行徳側も含めた既存の地域の特
色をいかした総合的まちづくり事業は、市川市の新
しい顔と言えるような美しい景観の町になる。
将来に向けて魅力を持ち続ける新名所「江戸川リ
バーサイドタウン」を提唱したい。
幕張新都心で実証されたまちづくりの基本を、さ
らに発展させた近未来のまちづくりである。
文芸からみる市川の自然 【59】
うデマが広まり、朝鮮人が殺害されるという悲しい
行徳の災害遺跡をたずねて
出来事が起こりましたが、南行徳でも、日本人3人
〜災害の歴史を伝えてくれるもの 〜
が朝鮮人と間違えられ殺害される事件がありました。
市川民話の会
根岸英之
その死者を供養する塔が、欠真間(かけまま)の源
心寺に建てられています。また、現在、架け替え工
事の進む行徳橋でも、多くの朝鮮人が虐殺され埋め
2011年の東日本大震災から、5年目を迎えます。
津波、原発からの復興は、まだまだといったところ
ですが、市川での被害の記憶は、残念ながら、薄れ
ている面も否定できません。
られたという証言が、『週刊金曜日』2013年8月
30日号に掲載されています。
江戸時代に遡ってみると、先の妙好寺の参道には、
1767(明和4)年建立の「南無妙法蓮華経」塔が、
行徳図書館では、「災害に備えてー忘れまい震災
1855(安政2)年の地震と、安政3年の水難の津
をー」をテーマに、本の特集展示を4月27日まで開
波で折れたものを、供養を兼ねて再建した形で遺さ
催しています。それに合わせて、行徳の東日本大震
れています。
災のときの被害状況を地図や写真で紹介するほか、
妙典の清寿(せいじゅ)寺にも、同じく安政2年の地
「行徳の災害遺跡」として、「関東大震災」「大正
震と、安政3年の水難者の供養塔が、無縁仏の塚の
6年の大津波」「江戸時代の震災遺跡」「災害から
中央に建てられています。
守るかみほとけ」といったテーマで、災害に関する
遺跡を、写真とミニ解説で展示しています。
市川市の東日本大震災の記録は、『東日本大震災
における市川市の被害及び対応の記録』市川市危機
管理室危機管理課
関ヶ島の徳蔵寺に残る常夜燈は、1829(文政12)
年に建立されたものですが、やはり安政2年の地震
で崩壊し再興したと側面に刻印されています。
妙典、本塩(ほんしお)、湊(みなと)新田、南行徳に
2013(平成 25)年にまとめら
は、
「龍宮」という水の守り神が、かつての海岸線近
れています。それを見ると、行徳地区は、塩浜や市
くに祀られていますが、これは、塩田が盛んだった
川漁港などの沿岸埋立地を中心に、液状化による被
ころ、塩田の繁栄と水難から守ってもらうために、
害が多くあったことが分かります。
祀られたものです。
また、『市川市史編さん調査編集委員会(自然部
ほかに、新井(あらい)の御経塚(おきょうつか)は、
会) 調査記録2』2013(平成 25)年 市川市
宝永年間(1704~1710)、あいつぐ地震や津波か
史編さん調査委員会(自然部会)には、江戸川放水
ら村人を救うため、新井(しんせい)寺の慈潭和尚(じ
路で遊船業を営む人から、震災時の聞き取りが記録
たんおしょう)が、経文を書いた貝殻を塚に埋めて祈っ
されていますが、それらを読むと、行徳にも、津波
た塚、本行徳の教信(きょうしん)寺の馬頭(ばとう)観
が押し寄せていたことが分かります。
音は、1708(宝永5)年、相次ぐ地震、津波から
江戸川放水路に近い妙典(みょうでん)の妙好(みょう
こう)寺の「妙田(みょうでん)地蔵尊」は、震災による
堂屋根が崩壊し、地蔵も下敷きになってしまいまし
塩浜の復興を祈願し、千日念仏を行った起誉 (きよ)
法師が造営したもの。
災害遺跡は、過去の歴史を伝えてくれるのです。
た。この地蔵尊は、行徳で「大正6年の大津波」と
語り伝えられる大型台風による高潮で、大きな被害
を受けた行徳の犠牲者を供養するために建てられた
ものです。東日本大震災で倒壊したため、地元では
「身代わりになってくれたのでは」と言われました。
翌 2012 年、東日本大震災の供養と合わせて、堂宇
は再建されました。2つの災害に関わる遺跡といえ
ます。
関東大震災のときには、朝鮮人が悪さをするとい
【妙好寺の妙田地蔵尊】
暖
冬
と
報
じ
て
お
り
ぬ
温
き
日
は
動
き
易
き
も
将さ
来き
を
思
え
り
墨絵と書:東素子
豌
豆
の
葉
に
ポ
ツ
ポ
ツ
と
音
の
た
つ
待
ち
し
慈
雨
の
落
ち
来
る
あ
朝 した
車
窓
に
続
く
田
畑
の
黒
々
と
田
水
増
し
お
り
穀
雨
も
近
し
短歌:森島朝子
日
を
つ
ぎ
て
北
へ
向
け
ゆ
く
桜は
花な
便
り
暫
し
は
人
の
波
に
埋
も
れ
ん
ひ
と
し
き
り
煙
立
つ
が
の
畑
土
が
い
っ
時
治
ま
る
天
の
配
剤
第 11 回江戸川の稚アユ救出作戦を見に来てください!
日時
2016年4月17日(日)
午前10時~12時終了予定
会場
江戸川水閘門前
詳細は同封のチラシをご覧下さい。
毎年この会報 4 月号のニュースでは利根川・江戸川流域ネットワークが主催する「江戸
川の稚アユ救出作戦」を紹介してきましたが、とうとう今年で第 11 回目を迎えることに
なりました。2005 年から開催し、東北大震災のあった 2011 年だけ実施を見送ったので
すが、その後 2012 年から再開しました。
江戸川区と市川市内の小学生とその親たちが 100~200 名くらい集まり、大型紙芝居
で江戸川のアユの暮らしを学び、E ボートという 10 人乗りの大型ゴムボートに乗って、
江戸川閘門を下流から上流に通過するときに閘門の下流部に溜まって遡上できない稚アユ
たちを手助けしようというイベントです。
まだ、見ていない方、子どもさんやお孫さんに江戸川のアユを見せたい、稚アユの遡上
を手助けしたいという方、ぜひお越しください。
問い合わせ 佐野 郷美 090-6146-1067
意見書採択「血清研究所跡地の保存と野鳥観察舎施設の設置」
市民の心を議会が受けとめ、議会が意見書の提出。県はこれを重く受け止める。
3 月 17 日市議会最終日に意見書が賛成 35、反対 5 で採択された。これに
よって本市議会は県に対し、県血清研究所跡地の保存と、行徳野鳥観察舎施設
の設置を要望することになった。市民の願いに応えて各党の皆さんがこぞって
賛同してくれたことに感謝したい。
(以下は市議会ホームページより)
発議第 41 号
千葉県血清研究所跡地の保存と野鳥観察舎施設の設置を要望する意見書の提
出について
上記議案を別紙のとおり市川市議会会議規則第 14 条の規定により提出いた
します。
平成 28 年 3 月 17 日
提出者 市議会議員 金子貞作 堀越優
賛成者 市議会議員 石原よしのり
千葉県血清研究所跡地の保存と野鳥観察舎施設の設置を要望する意見書
国府台にある千葉県血清研究所は、平成 14 年 9 月末に閉鎖され、跡地には、
老朽化した複数の建物が放置されたまま、立ち入りができない状態となってい
る。その中で、
「赤レンガ」建造物は、明治時代に建てられ、レンガもフラン
ス積みという大変歴史的文化的価値の高い建造物である。また「赤レンガ」は、
武器庫としても利用されていたもので、国府台が軍都であるあかしを示す建物
となっている。年に 1 回の見学会には、300 人以上が集まり、関心の高さを示
している。
また、千葉県行徳野鳥観察舎は、昭和 54 年に開館し、野鳥の生態に触れる
ことのできる施設として、観察舎内には 44 台の望遠鏡が設置され小学校の課
外授業などで利用されている。写真愛好家の皆さんにも大変、人気のある場所
となっている。近年では毎年 1 万人の利用者が来館されていたが、耐震診断の
結果を受けて、平成 27 年 12 月 28 日から休館となっている。行徳地区におい
て、市民が野鳥や自然を観察することのできる施設として存続すべきであると
考える。
本市も、千葉県に対して、
「国府台地区の良好な環境に少なからず影響を及
ぼしていることも懸念されますので、当該建造物の保存も勘案し、跡地利用の
検討を進めていただけるよう」、
「行徳鳥獣保護区において野鳥観察や環境学習
などを行うことができる施設を引き続き設置していただけるよう」要望書を提
出した。
よって、本市議会は千葉県に対し、千葉県血清研究所跡地の保存と、行徳野
鳥観察舎施設の設置を強く要望するものである。
以上、地方自治法第 99 条の規定により意見書を提出する。
提案理由
関係行政庁に対し、千葉県血清研究所跡地の保存と野鳥観察舎施設の設置を
要望する意見書を提出するため提案するものである。
絵手紙 梅谷瑛子
三番瀬・猫実川河口域は“宝
の海”。今年も、2016 年度
三番瀬市民調査が始まる。
三番瀬市民調査の会は、三番
瀬の猫実川河口域のありのま
まを把握したいと、2003 年
に始まり今に続く。市民、学
生を中心に、専門家や研究者
の指導を受け、学習しながら
調査・観察を続けている。三
番瀬の中でもっとも生物の多
い海域であり、東京湾漁業に
とっても大切な“いのちのゆ
りかご”である。
調査項目は、生き物、アナ
ジャコ巣穴数、塩分濃度等々。
今年の調査予定日
(日程・大潮の時刻・水深)
「フジバカマの里」ワンドも水をたたえ生き物は春の準備
フジバカマの里にも大きな変化が起こりました。国交省がかつて造成し
たワンドをさらに拡大して掘削してくれたのです。現在はしみ出した水が
溜まっているだけですが、すでに植物の芽が出始めています。3 月中に、
注意を促す看板と、江戸川からゴミが流入しないように川からの入り口に
「竹杭」を打ち込む予定にしています。江戸川堤防からこのワンドはよく
見えます。どんな生き物たちが生息するようになるのか、県立国府台高校
の生徒たちと一緒に調査をします。
佐野郷美 記
ノウルシ
黄色に色づき
ギ
ワンド
水がひたひた
4月9日(土)12:17
5cm
5月7日(土)11:18 -5cm
6月4日(土)10:16
5cm
7月3日(日)10:00 14cm
8月 20 日(土)12:17 29cm
ノカラマツは一斉に芽吹き
常連客アオサギ
環境グループネットワーク通信
この欄は交流のために各グループに開放しています。
フォーラムの主張ではないので問い合わせは各連絡先へお願いします。
掲載希望の団体は、フォーラム HP または事務局までご連絡ください。
緑のみずがき隊
千葉県野鳥の会
ミニ自然園は、アカガエルが産卵し、梅が咲き、フ
キノトウなど野草が芽吹き、生きものたちで活気づい
ています。 田んぼは、不耕起を3年続けましたが昨秋
は収量が大きく減り、今春は田起こし(天地返し)を
して回復を図ります。田植えに向けて人手がいくらあ
っても足りません。体を動かすのに良い季節、第2、
4土曜に野良仕事をやっていますので、気軽にお出で
ください。
鎌ヶ谷・船橋・市川の市境に築造中の第二調節池で
は、稀少植物を保護する移植池が設けられ、千葉県と
市民有志が協働して調査を行っています。事前に県が
■~春の渡りのシギ・チドリを観察しましょう~
三番瀬自然観察会
集合日時:4月3日(日)午前10時~
集合場所:ふなばし三番瀬海浜公園バス停
交通:京成船橋駅南口から、ふなばし海浜公園行きバ
スに乗車、終点下車。
9:20発に乗車してください。
案内:シギ・チドリのほか、干潟でカニや貝など観察
するので、長靴を持参のこと。
◆ 事務局 加藤敬美 047-343-0635
行った生態系調査や私達市民の提案は豊富な湧水や貴
重な動植物の保全を指摘しており、築造や完成後の利
用・維持管理に具体的に反映させるのが課題です。治
水と自然環境の保全の両立を実現させるべく、鎌ヶ谷
の市民の方々と共に働きかけていきます。
◆ 事務局
272-0802 市川市柏井町 4-329-5 谷藤方
TEL 090-8777-7186(森角)
FAX 047-338-1535(森角)
市川の空気を調べる会
3 月 26 日の総会で、2015 年度測定報告書のまとめ
をお配りしました。6 月、12 月度とも市内の NO2 濃度
はこれまでと同様の低減傾向が続いています。また従来
は 0.01ppm 以上あった沿道地と住宅地の濃度差が縮ま
る傾向も続いています。これは車の排気ガス規制で、1
台ごとが排出する汚染物質は減少しても、車による物流
の増加で、排出される多量の排気ガスが住宅地にも及ん
でいるためと考えられます。地域別の比較でも、大型道
路の走る地域は住宅地濃度も高くなっています。建設中
行徳野鳥観察舎友の会
無期限休館開始からまる3カ月。隣接する旧管理人
棟への事務所機能の移転がいちおう済みました。
「行徳
野鳥観察舎を愛する者一同」という別組織で続けてい
る署名運動は開始後3カ月を待たずに1万5千名を超
え、市川市議会も賛成多数で存続の意見書を採択。少
しずつでもよい方向に動きますように。
すっかり葉桜になった河津桜の後を受けて、寒緋桜
系の実生木が花をつけ、山桜並木のうち手前の1本も
咲き始めました。お花見の時期、お客様に申し訳ない
気持ちでいっぱいですが、なんとか通常業務をこなし
て行きます。掲示やメールで情報発信をしっかり。行
事も滞りなく。ぼやぼやしてはいられません。
近々白鳥たちが福島県いわき市にお輿入れ。広々と
した囲いとプールで、のびのびと暮らせることでしょ
う。
3月21日、夏鳥のコチドリ初認。 季節は着々と動
いています。
◆ 蓮尾純子 TEL:047-397-1175
の外環道路等による大気汚染の増加が懸念されます。
◆
鈴木 一義 TEL:047-373-8369
事務局 秋元 久枝 TEL:047-373-1971
4月のフォーラム例会(4/24 市川公民館)では「行徳野鳥
観察舎の歩み」と題して、蓮尾純子さんにお話ししていただ
きます。詳細は 16 頁かわらばんをご覧ください。
真間川の桜並木を守る市民の会
この春も寒暖の差が激しいですね。最近は極端なお
天気が多く、雨の降り方も同じように極端で、昨年は
茨城県常総市で鬼怒川の決壊により大水害が起きまし
た。この時、茨城県で降り始めからの総雨量が一番多
かったのは古河市の 298 ミリ、上流の栃木県日光市
五十里では 627 ミリだったそうです。上流の栃木県
でたくさん降っていたのです。自分たちの住んでいる
町の雨量は気に掛けますが、その上流でどれだけ降っ
ているかを注意しなくてはならないのです。川は市境
を越えて流れています。
「県」
「市」単位ではなく「流
域」という発想が大切です。真間川の流域は、松戸市・
鎌ヶ谷市・船橋市を含みます。どのように水が集まっ
てくるのかを知り、上流とどう連携するかが重要だと
考えさせられました。
◆ 連絡先 鳥居雪子 047-333-0852
まちづくり家づくり Cafe Ichikawa
■幕張ベイタウンの街並みウォッチングをしまし
た。海浜と言う立地を生かした新しいコンセプトの
街づくり、
住民の皆さんも暮らしを楽しんでいます。
■街並み 50 選のまとめの方向と作業予定打合せ
4 月 10 日:13:00~16:00 菅野公民館
これまでにマツ・みち・まち・・・まち歩きワーク
ショップで撮りためた写真を整理、場所ごとにコメ
ントをつける。
景観みどころ案内マップ=1 のまとめ作業に入りま
す。
引き続き、2 号、3 号の編集方針の打ち合わせをし
ます。
新参加者歓迎、ご一緒に作業をしませんか。
◆ 連絡先:髙木 彬夫
TEL:047-705-4817(Fax 兼用)
Email:[email protected]
市川三番瀬を守る会
市川三番瀬を守る会は 3 月 27 日、2016 年度の
総会を行い、2015 年度活動報告と 2016 年度活動
方針を決めまました。方針は、三番瀬の人工干潟化や
第二湾岸道路建設を完全に断念させ、ラムサール条約
登録を実現する、また行徳野鳥観察舎の存続再開を実
現する。そのためには常に新しい情報収集と行政への
働きかけをする、現地調査や学習会、署名活動など幅
広く市民に呼び掛ける。また、三番瀬関連団体との連
携を強化することです。具体化は次回の役員会で決め
ます。
◆ 谷藤利子 TEL:090-7250-7852
関さんの森を育む会
今年も「関さんの森・花まつり」を 4 月 3 日に開催
いたします。メニューは、自然観察会と庭のガイド、
写真展、古文書展示、おはなし会、竹がえし、お手玉、
わなげ、それに人気のごちそうタイムと音楽会と盛り
沢山です。
お子さんだけでなく、大人の方々の参加もお待ちし
ています。
あらゆる生きものの生命がもっとも輝く春のこの
一時を、参加される一人ひとりが木や草、鳥、虫とな
って生きることの素晴らしさ、大変さを彼等と共有し
てみてはいかがでしょうか。
◆ 関美智子 TEL:047-341-0327
北国分外環対策協議会
今期2回目の小塚山からじゅんさい池までのバード
ウォッチングが 2 月 21 日(日)にありました。当日
はくもり空で小雨がちらつく天気でしたが、コゲラ、
カワセミ、ヒヨドリ、コガモ、キンクロハジロなど 25
種の野鳥が声を聞かせてくれたり、姿を見せてくれた
りしました。森の中ではメジロ、シジュウカラなどの
小鳥達が群れて飛び交う姿が見られました。案内人の
村岡さんのお話はとても楽しいものです。次回は 4 月
29 日(祝)です。参加をお待ちしています。
◆連絡先:佐々木陽子 電話:047-371-9528
◆第 158 回例会
4月のフォーラム
行徳野鳥観察舎の歩み
~過去、現在、未来に向けて~
講
師
蓮尾純子さん
行徳野鳥観察舎友の会
講師からのメッセージ
初めて新浜と出会ったのは 1964 年 6 月のこと。新
浜鴨場内にあったサギコロニーの見学会に参加したと
きでした。1975 年 12 月からは、行徳鳥獣保護区の一
角に建てられた「行徳野鳥観察舎」で、夫嘉彪(よした
け)と共に住み込みの管理人として働き、現在に至って
います。観察舎と保護区が果たしている役割は、この先
も重くなっても消えることはないと思っています。現在
置かれている状況を含め、生いたちから、やってきたこ
と、将来の夢までをお話しできれば――と思います。
日
時:2016 年 4 月 24 日(日)13:30~16:30
場 所:市川公民館 第一会議室
(JR 市川駅北口徒歩5分)
参加費:300 円(資料代等)
問合せ 例会部 秋元久枝 047-373-1971(F兼)
市川緑の市民フォーラム 会員募集中
「市川緑の市民フォーラム」に参加して、市川の自
然環境や歴史、文化を学び、一緒にこの街をよりよ
いものにしませんか。
■2ヶ月に一度、例会を設けています
■自然観察会・歩く会・講演会・写真展の他、施設見学
会などが企画されています
■出版物の発行
■会報「みどりのふぉーらむ」の発行
入会の方法
郵便局で年会費を振り込んでください
口座番号:00140-3-652393
加入者名:市川緑の市民フォーラム
年会費:1500 円(高校生以下は 500 円)
問い合わせは事務局
川島千鶴子 田尻4-7-20-103 TEL/FAX370-4581
佐野 郷美 曽谷 7-24-3 TEL/FAX373-3219
会費の切れている方は手続きをお願いします
◆ みずがき隊だより
みどりの寺子屋・野草をたべて見よう!
日時:4月16日(土)午前10時~正午(雨天翌17日)
場所:北方ミニ自然園(市民プール駐車場前)
内容:身近な野草を、天ぷらやおひたしなどにして味
わい、五感を通して観察。子どもも大人も、春を
楽しみましょう!
・受付は10時45分まで。参加費 1 人 300 円、小
学生以下は保護者同伴。
・おはしとお皿を持って、汚れても良い服・長靴でお
越しください。
みどりの寺子屋・田植えと水辺の生き物観察
日時:5月21日(土)午前10時~正午
(小雨決行、雨具を持参ください。荒天時は翌22日)
場所:北方ミニ自然園(市民プール駐車場前)
・参加費1人 100 円、小学生以下は保護者同伴。
・田んぼの中に裸足で入ります。汚れても良い服装・長
靴でお越しください。
みずがき隊事務局・森角 090-8777− 7166
編 集 閑 話
故郷中津には、広大な干潟があります。今は
亡き父から、2~3年前「ささひび漁」という
のを聞いたことがあります。干潮の時に笹を立
てて作った垣で、満潮の時に入ってきた魚が干
潮になって逃げられなくなったところを獲る方
法です。
父が子供の頃(大正~昭和初期)、着物を着て
いて、その魚のおこぼれを袖に入れて帰り、食
料の足しにしたそうです。貧しかったから子ど
もなりに知恵を使ったのでしょう。今となって
は懐かしい父の話です。
パステル
みどりのふぉーらむ(通巻 147)
2016年 4 月1日 発行(偶数月発行)
発行所――市川緑の市民フォーラム
編集所――同編集部・尾崎めぐみ
〒272-0827
市川市国府台 4-10-16 TEL/FAX 047-374-1755
パステル
E-メール [email protected].
http://www.ichikawa-midori.net