全 国 モ ー タ ー ボ ー ト競 走 施行者協議 会助成事業 平 成 26年 度 地域 医療実習報告書 自治 医科 大 学 医 学 部 は じめ に 本書 は 、今年 の 7月 か ら 9月 にか けて行 われ た 、平成 26年 度 地域 医療派遣 団 の報告書 を ま とめた もの とな ってお ります。 地域 医療派遣 団は、地域 医療 の現状 を理解 し、地域 医療 へ の意欲 をか きた て る と共 に、 自身 の将来 のた めに幅広 い 知見 を得 る機 会 を、 自治 医大生 に提供 し支援す る ことを 目的 と した事業 です。 毎年希望 した学生 が 、夏休 み を利用 して 、 自身 の 出身都道府 県 と異 な る地 。 域 の診療所や 中核病院 で働 く卒業生 を訪れて、見学 研修 させ て い ただ いて お ります。 今年 の地域 医療派遣 団 では、 1年 生 か ら 5年 生 まで、9グ ルー プ計 12名 の学 生が参加 し ま した。各 グルー プが研修先 を 自由に選択 で きる とい う特徴 を活 か し、各 々の 関 心 の ある 現場 へ と向か い ま した。 そ して 、初 めて赴 いた地で見聞 き し感 じ取 つた 内容 をま とめた報 告書 は、机上 の学習 だ けでは十分 に学ぶ ことので きな い地域 医療 の現状 が 随所 に見 られ る、 大変興味深 い ものに仕 上が って お ります。 最後 に、本書 を通 じて 、皆 さんが 自身 の 地域 の現状 につい て興味 を持 ち、何 か考 えるき っか け とな つて も らえれ ば幸 いです。また、来年度以降 も本企画 は継続 してい きます ので 、 興味 の ある学生 は是非参加 してみて くだ さい。 自治 医科大学 卒後対策委員長 医学部 4年 住 吉秀太郎 平成 26年 度地域医療実習参加者 一覧 No 1 施 設 名 東 京都 小笠原村 立 小 笠 原 村 母 島診 療 所 , コ 和 歌 山県 高野町立 高野 山総 合診 療 所 受入卒業 生 (期 ) 高山 陽 廣内 氏 幸雄 中川 習 学 生 道府 県 学 年 出身者Б 名 間 期 5年 岩 手県 7/28′ ^V7/29 愛 3年 大 阪府 8/12′ ∼8/14 小 田島 (東 京 33期 ) (和 歌 山 1期 実 歓 ) 3 沖縄県 渡嘉敷診療所 村 田 祥子 (沖 縄 33期 ) 守本 陽一 3年 兵庫 県 8/15-8/17 4 島根県 隠岐 広域連合 立 隠岐島前病院 白石 古彦 (徳 島 15期 ) 小山 史恭 1年 鳥取県 8/20-8/22 沖縄県 伊是名 診療所 与那覇 翔 電34期 ) (沖 糸 落合 秀也 2年 青森県 5 手塚 雄大 2年 栃木県 6 岐阜県 白川村国民健康保険 白川診療所/平 瀬診療所 伊左 次 悟 (岐 阜 26期 ) 風間 菜摘 3年 埼 玉県 8/25-8/28 7 東京 都 新 島村 国 民健 康保 険 本 村診 療 所 岡 田 祐樹 (東 京 31期 ) 齊藤 志穂 3年 山形 県 8/28 8/25ヽ υ 堂嶽 洋 一 (鹿 児 島30期 ) 4年 京都府 8 鹿 児 島県 永 田へ き地 出張診 療 所 / 口永 良部 島 へ き地 出張診 療 所 沖縄県 渡嘉敷診療所 村 田 祥子 (沖 縄 33期 ) 9 佐 々木 友香 8/25′ 平田 植村 ま りの 4年 埼 玉県 和平 4年 北海 道 寛 4年 ` V8/29 9/3-9/4 高橋 計 -1- ‐8/27 8/25′ へ 8施 設 山形 県 9グ ル ー プ 12名 2.和 歌 山県・ 高野 町 立高 野 山総合診 療所 3年 実習施 設 高野 町 立 高 野 山総合診 療所 実習期 間 8月 12日 指 導 医 廣内 中川 愛 -́8月 14日 幸雄 先 生 (1期 ) 研 修 ス ケ ジ ュール 午後 午前 オ リエ ンテー シ ヨン 8月 12日 訪 問看護 、外 来 施設 見学 、町役場 8月 13日 検 査 、訪 問診 療 外 来、放射線 8月 14日 検 査室、訪 問看護 外 来 、 ま とめ 普段 の学校 生活 で はなか なか見学す る こ とので きな い 地域 医療 、特 に今 回 は僻 地 か 光 地 の 地域 医療 をみ る こ と、そ して 、 そ の特徴や課題 を知 る こ と、また、医師以 外 つ観 の コメ デ ィカル の仕事 をみ る こと、 を 目的 に研修 に行 きま した。 高野町 は和歌 山県北東部 、標 高 850mの 山上 の町です。和歌 山県 は温暖 な地域 です が 、高 野 山では例外的 に雪が積 も ります。 高野 山は 816年 、弘法 大師 (空 海 )に よ り開創 され た 真言宗 の聖地で、2004年 に「紀伊 山地 の霊場 と参詣道」と して世界遺産 に登録 されま した。 町 の 中心 集落 である高野 山山上 には、157の 寺院 、警 察、消防、病院 、小 中学校 、高校 、大 学 までそ ろ つてお り、我 が 国有数 の宗教 、観 光都 市 と して 多 くの文化的遺 産 を有 して い ま す。町 の人 口の約 4千 人 の うち、約 千 人が僧 侶 とい う独 特 の特色 を持 つた 町 で もあ ります。 高齢化 は進行 してお り、人 口は年 々減少傾 向 です 。 それ に対 して高野 山を訪 れ る観 光 客 は 「 年 間約 150万 人。そ の 中 には多 くの外 国人観 光客 が含 まれ ています。特 にフラ ンスでは 下 界 とは異 な る時間 が 流れ てい る町」 として報道 され 、人気 が ある といい ます。 さて、高野 山総合診療所 の前身 で ある高野 山病院 は 1980年 か ら自治 医大卒業 生が 中心 と な つて勤務 して きま した。今 回 の研修 を担 当 して くだ さつた廣 内先生 も、 1980年 に派遣 さ れ て 以来、高野 山病院 で勤務 され 、現在 は病院長 を務 め られ てい ます。最 も数 が 多 か った -6- ときに 7名 いた 医師 も、2006年 か らは 4名 に 、そ して病 院 が診療所 にな つた 翌年 の 2013年 には 3名 にな りま した。 そ の うち 1名 が義務 年限内 で和歌 山県 か ら派遣 され て い る 自治 医 大卒業生です。冨1院 長 は現在病気 の た め休職 中 で 、現在 の 常勤医は 2名 です。 (さ らに私 が 研修 に行 った 時 は、県か ら派遣 され て い た先生が病気 の 治療 の た めに一 時的 に体 まれ てい たため、実質 、廣 内先生お 一 人 が 常勤 医 とい う状況 で した。)眼 科 と形成外科 はそれぞれ他 の病院 か らの非 常勤 の 先生 が週 1で 診察 しています 。 診療所 は従来 、24時 間救急患者 を受 け入れ て きま した。 ところが、先 ほ ど述 べ ま した よ うに 、常勤 の 医師 が減少 したため、2013年 4月 か ら、夜 間 の救急 の受 け入れ を維持 で きな くな りま した。現在 、橋本市 民病院や和歌 山県 立 医科 大学 な どか ら医師 の応援 を うけ てい ます が 、 それ で も夜 間救急 は参拝 客 の 多 い 土曜 日に対応 す るのがや つ ととい う状況 です 。 2次 医療機 関ま で 、車 で片道 最低 1時 間 かか ります が、医師不 足で診療所 での 急患 の受 け入れ が困難 にな つたた め 、町 に 2台 しかな い救急車 が どち らも出払 つて しま う 診療所 か ら 場面 が急増 しています 。 こ う した状況 を受 け、町 は必死 にな つて 医師 を確 保 しよ うと して い ますが、なかな か人 が 見 つ か らな いのが現状 の よ うです .来 年 2015年 は高野 山開倉11200 年 で例年以上 に多 くの観 光客 が訪 れ る こ とが予想 され るそ うです が 、今 の 医療 体制 では厳 しい 状況 にな る と言 わ ざるを得 ませ ん。 高野 山での医療 の重要 な もののひ とつ に観 光地 医療 が あ ります。1980年 か ら 2012年 まで の 32年 間 で 759人 の観 光客 が入 院 しま したが 、 これ は全入院患者 の 10人 に 1人 以 上が観 光客 だった こ とにな ります。地元住 民 が入 院す る場合 の疾病 は消化器 系、呼吸器 系、循環 。 器 系 の疾患 が 多 い のに対 し、観 光客 が入 院す る場合 の疾病 は圧倒 的 に損傷 中毒 が 多 く、 次 に循環器 系 が 多 くな っています。外 国人観 光客 の受診 も多 く、言葉 が通 じない ときは ス マ ホの翻訳 アプ リを利 用 しています っ また、外 国人観 光客 が治療費 を現金 で払 うこ とがで きない ケー スが 多 か ったため 、 ク レジ ッ トカ ー ド払 い に も対応 してい るそ うです。 診療所 では訪 問診療 と訪 問看護 を行 つてい ます。訪 問看護 の仕事 内容 は服薬管理 、イ ン ス リン注射 、清拭 、入浴 ・ トイ レ介助 、バ イ タル チ ェ ックな どです。 ヘ ル パ ー と仕事 内容 が被 ってい る ところ もあ ります が 、病気 がベ ー ス にあ る とヘ ル パー の人 が怖 が つて しま う ことが 多 く、訪 問看護 の一 環 で行 ってい るそ うです 。 訪 問看護 に行 つて み て初 めて患 者 さん の住 んでい る状況 がわか る こ ともあ ります。 とあ るおばあちゃんは高野 山山上 の集落 か ら少 し離れ た ところに住 んでいます。病院 まで連れ て くるの は、同居 してい る高齢 の娘 です。家 か ら診療所 に向か う道 は とて も細 く、大変危 険 な ところで した。初 めて訪 問看護 に行 つた ときは、今 まで 「診療所 に来 て くだ さい 」 と なん と気軽 に言 つていた こ とか 、 なん と非情 な こ とを要求 して いたのか と看護 師 さんは思 った そ うです。 -7- 今 回 の研修 では 、診 察 室 で診 る場合 と自宅 で診 る場合 では患 者 さん の様子 が全 く違 うの だ な とい うこ とを実感 しま した。 リラ ック ス した状態 で診 るこ とや 、 どの よ うな居住環境 な のか 、 どの よ うに生 活 してい るのか とい うこ とを実 際 にみ るこ とは重要 な こ とだ と知 る こ とがで きま した 。 また、先生 が 自宅 まで診 に来 て くだ さるこ とが患者 さん に とつて とて も安心 な こ とな の だ と感 じま した。高野 山 の住 民 は訪 問診 療や訪 問看護 を利 用す る こ とに まだ慣れ てお らず 、「お茶 の一杯 もだせ ず に ごめん な さい 」な どと言 って 、医師や看護 師 を お客 さん扱 い な のが新鮮 で した。 自分 の住 む地 域 で 医療 を行 うとい うこ との難 しさ も知 る こ とがで きま した。診療所 の訪 問看護 は 、看取 りが入 らない 限 り 24時 間態勢 ではあ りませ んが 、看護 師 自身 も高野 山 に住 んでお り、患者 が知 り合 いで あ るこ とが ほ とん どで 、 自宅 に夜 電話 がかか つて くる こ とも あ ります。地域住 民 としての付 き合 い な どもあ り、邪 険 にす る こ とはで きず 、夜 で も対応 す る こ ともあ るそ うです。もちろん 医師 も同 じです。勤務 時間外 に電話 がかかつて きた り、 夕食 に誘 われ た りと、患者 さん との距離 が よ くも悪 くも近 いです。全部対応 して いて は体 が持 ちませ ん。地域 医療 の継続 の ためには、 自分 の 時間 を しっか り持 つ こ とが大切 な のだ そ うです。 ア メ リカ人 の観 光客 が外来 に こ られ た とき 、研修 医 の先生 が 流暢 な英語 を しゃべ られ て いたのに とて も驚 きま した。英語 が御 上手 な理 由を伺 った ところ、学生時代 にバ ックパ ッ カー で海外 に一 人 で よく行 つていた り、5年 生 の ときに lヶ 月ほ どイ ギ リスで 臨床研修 を し ていたか らで した。私 は いままで 、僻 地 に行 った とした ら、英語 は医学 の論 文 を読 む くら い しか使 わな い と思 っ て い たのです が 、海外 か らの 患者 さん の対応 で役 に立 つ のだ と実感 しま した。 廣内先生 がお っ しゃ られた、「光陰矢 の如 し、少年 老 い やす く学成 り難 し」 とい うメ ッセ ー ジ を忘れず に 日々 学 んで行 こ うと思 い ます。 また 、 どんな経験 もいつ か どこかで役 に立 つ と思 うので 、学生 の うち にい ろい ろな経験 を しよ うと思 い ます 。 最後 にな りま したが 、高野 山総合診療所所長廣 内先生や事務長 中尾 さん をは じめ 、今 回 の実習 に ご協力 い ただ きま した 、診療所 の み な さん、高野町 の地域住民 の方 々 にお 礼 申 し 上 げます。 あ りが と うご ざい ま した。 -8- 一 一 一 〓 ″ 一と” , , 一 ビ一 午一 一 一 ︲︲ 翌・ ● ︱︱ ︱ ︱︱ 到 : │ : -9- 編集 後記 「へ き 地 医 療 に 回 帰 す る 」 本年度 も、無事 に地 域 医療派遣 団 の事業 が 終了 し、関係者 の皆様 には心 よ りお 礼 申 しあ げます。先 日 10月 27日 に報告 会 を開催 し、4年 生 の住 吉秀太郎君 (卒 後対策委員 )が 司会 を務 め、学生課 の 皆 さま をは じめ地域 医療学 セ ン ター 地 域 医療学部 門 の 中村 岡J史 先 生、森 田喜紀先生 に もご列席頂 きま したG 近年 、地域 医療 の重要性 が認識 され 、全 国 の 医科 大学 に次 々 と 「地域枠」 が創設 され て お ります 。 自治 医科大学 の設 立 の趣 旨は 「医療 の谷 間 に灯 を ともす Jた めに 医療 に恵 まれ な いへ き地 にお け る医療 の確保 、向上 と住 民 の福祉 の増 進 を図 る こ とです 。現在 で も多 く の 卒業生 が へ き地 医療 に従事 してお り、学生 は本 地域 医療派遣 団 を通 して離 島 をは じめ と す るへ き地 に勤務す る 自治医大 の卒業 生 の後 ろ姿 を見 るこ とができます。 学生 の報告 を聞 い て 、改 めて離 島をは じめ とす る過 酷 な状況 の へ き地 で あ るか らこそ得 るこ とがで きる こ とが本 当に多 い と思 い ま した。 勿論 、そ の 地域 にお け る独特 の疾 患や 、 地理的 な状況 、住 民 の生 活習慣 や 自然環境 を勘案 しなが らどの よ うに住 民 の健康 問題 に対 応す るか を学ぶ こ とがで きます が 、それ以 上 に医師 と しての 素養や地域 医療 マ イ ン ドの醸 成 に とて も重要 な場 である と感 じま した。現在 の 医学教育 では 、「どの よ うな健康 問題 であ つて も 日の前 の 患者 さん に最善 を尽 くす」、「地域 の需要 に合 わせ て 医療 を提 供す る」 とい つ た地 域 医療 マ イ ン ドを どの よ うに醸 成す るか までは 、 まだまだ十分 な議論 がで きてお り ませ ん。 今回、実習 に参加 して発表 した 多 くの学 生 は 、将来 ご指導頂 い た医師 の よ うにな りた い と口々 に申 してお ります 。学 生達 は 、本 実習 を通 して へ き地 で診療 に従事す る先輩 方 の後 ろ姿 か ら診療 に対す る重要 な姿勢 も感 じ取 ってい たに違 い あ りませ んc今 回 の報告 会 を通 して 、 へ き地 にお け る臨床実 習 の 有用性 を改 めて認識 しま した。 さ らに、学生 に と って この経験 は一生 の財 産 にな る ことと確信 しま した。 最後 にな ります が全 国 モー ターボー ト競走施行者 協議 会及 び 、多忙 な診療業務 の 中、学 生の面倒 をみて くだ さい ま した先 生方 に重ねてお礼 申 し上 げます。 平成 26年 11月 19日 自治 医科大学地域 医療学 セ ン ター 地域 医療学部 門 竹 島太郎 (静 岡県 23期 自治 医科大学卒 ) -34-
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