2003年春号 - 一般財団法人住総研

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ISSN0916-067
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財団法人 住
合研究財団
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藤 井 明 : ::2
特集日一一抹辺り環境色彩の視点
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ル--アイ マラ族。升棟式のる積み草葺き住居も畑や家畜の固いも、白く脆い岩石でつくられている ││︽ 風 紋 Vより。
のア イ マ ラ 族
ベ ルl ・ア ンデス
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︿焦点﹀ 住まいとまちづくb 環境色彩の視点 ・ ・
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まちの色を読む・まちの色を整える
街並みの色 彩ー ー 鎚 斡 説 法 認 出 さ れる、
乾正雄
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概略 i大)+ 吉 田 慎 悟 (拍酌家) 司会H片 山 和 俊 (糊鯨芸大)
尾登誠一 (
,
、
むらの色・まちの色lrl農村環境の色彩 田口数子 :::詔
色彩調節の沿革とー
︿寸まい寸の テク ノロジー﹀研究の最新 動 向 千 々 岩 英 彰 : : ・ 訂
ルイス・勺 フガンに学ぶ 建 築 と 色 彩 の 可 能 性 粛 藤 裕 ・ ::n h
,
︿私のすまいろん﹀ 我が﹁巣崎﹂ ││家を 遊ぶ 福田 繁雄 :
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後
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助成研究要旨 :
:
・日
︿住総研図書室だより﹀ 請 負 る ひ も と き 、 遠 藤 和 義 :::開
/ 建設業の現 在 を 知 る ー
ひろば ﹀ブルlノ・
タクト の住宅団地とその色 彩 '稲 葉 唯 史 :::印
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︿すまい再発 見﹀ 一枚のモシドリアン 上小沢敏博:::印
住総研 ニューズレタl ::位
編
集
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刊
総
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棟 高 四 千 m近 い荒涼とし
目
︿風紋﹀ 白い岩の集落
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/正;山から住居と家*の聞いを兄る。
2/腕fj;:の棟と水包台。
3/凍結乾燥したジャガイモ、チュ ーニョを
つ くる作業場。
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住居平麗図
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住居震E
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ベル i ・アンデスの山中央地帯はアルティ・ブラノと呼ばれる高原になっている。
標高が高いために、ここでは船木が生育せず、地形の起伏が剥き出しになっている。
カンチャ・プランカは、チチカカ湖の西岸の町ブi ノから南西に一 OOM余りの
所にあるアイマラ族の寒村である。カンチャ・プランカという地名は﹁白い山吉を
意味するが、平原のそこかしこに突出している奇怪な形の岩山は、白くて脆いお石
から成っている。この白い岩以外にめぼしい郷土材料がないために、この地域では
これが主要な建築資材になっている。住民は岩山を背景にした緩斜面につくられて
いる。荒涼とした景観の中で目を引くのは、住居と岩山との間に築かれた、不帥波形
な石隠一による広大な開いである。これらは、住居に近い側は家斎(牛、ロパ、半、
アルパカ)の問いで、その奥は支畑や牧草地の閤いである。この大地に延々と築か
れた白い境界が、アンデスの自然条件の政しさを暗示している。
住居は分棟型で、山中央の広場を取り囲むように主屋、腕一殿、物設などが並んでい
る。この中躍には行常生活がはみ出していて、思外の炉や水場、それに地霊を配っ
た小さな嗣などがある。入り日の脇にある細長い石約一みの囲いは、チュ!ニョと呼
ばれる凍結乾燥させたジャガイモをつくるための作業場である。建物も荒く割った
石による級結迭で、石と石との隊問には泥が没り込んである。各棟は切妻・平入り
で、屋根は綱木の母患の上に直級、世間十が葺かれている。この平蒜き屋根は強風に吹
き飛ばされないように、上に抑制がかけてある。入口脇にある犬小屋も石造である。
主践の内部には左右にベッドがこつあるが、どちらもその上に衣類や織物、雑貨
等が山のように殺まれている。インディオの性底には収納家具が粉どない。そのた
めに、大きな物は床やベッドに直に置かれ、小さい物は壁のニッチに叩泣かれるか、
天井から吊される。紡錘のような尖った小物は平屋根に直接差し込まれる。どの家
躍もその内部は乱雑の極みにある。師側一房の妻山恨の一部が外側に突出していて炉にな
っている。ここにも台所用品や食料などが所狭しと詰め込まれている。
この住民にはお婆さんと二人の孫が住んでいる。夕方、牧羊犬に追われて羊とア
ルパカの群れが放牧地から帰ってきたが、その開も風が音を立てて広場を吹き抜け
ふじい・あきら/東京大学生応技術開川究所教佼)
ていた。持参したGPSの高度計は三九七O mを示していた。
F議自
主 いと
色彩と建築の出会い
ちつくり
出会いは誰にでもありそうだ。しかも、海外ではじめて色彩に気がついた
ない青い空があることを知った。またスウェーデン旧市ガムラスタンに紛れ
アッシジの聖堂壁画に描かれたジオットの空に出会い、日本では見たことが
ともいえない。からだ。色があって色がない環境、それが今の日本である。
き目にみても雑多とか氾濫としかいえない状態にある。ぷ主体としては何色
たされる。町も住まいもさまざまな色に溢れている。それなのにいくらひい
ところが帰り旅として今の日本の町を見渡してみると、奇妙な気持ちに満
色彩と建築 l 戦後の系譜
ラl シ テ ィ の レ ン ゾ ・ ピ ア ノ に よ る 外 壁 の 控 色 が 、 寒 さ を 視 覚 的 に 補 う 有 効
た。ブルl ノ・タウトのジl ド ル ン ク 外 壁 の 黄 色 や 最 近 の ベ ル リ ン ・ ダ イ ム
そして建築家が生み出した数々の環境からも、色彩の魅力を教えられてき
万 博 の 頃 に 始 ま っ た と い っ て 良 い だ ろ う 。 そ し て 七0年 代 の 経 済 成 長 と と も
ったのは東京のアテネ・フランセ(吉阪降正)だが、一つの流れとしては、
るのはある程度の経済復興がなってからである。私が知っている限りで早か
を反映し、時代と共に変化してきているといえそうだ。建築に色彩が登場す
返るのは別の機会に譲るとして戦後を振り返ってみると、おおよそ色は時代
けれども色について、日本でも試みがなかったわけではない。古まで振り
な色彩であることを、 E-G・アス。フルンドの劇場の内装の赤い色には、北
度 経 済 成 長 の 歪 み が 見 え 出 し た 時 と 重 な る 。 そ れ が 八0年 代 に な る と 、 明 ら
に 、 色 彩 が 環 境 を 彩 る よ う に な る 。 新 宿1、 2番館(竹山実)のストライプ、
クリート打放しは、現代建築の慣れ親しんだ建築言語になってはいるが、そ
か に 時 代 の 意 識 が 変 わ り 、 建 築 の テi マ が 自 然 回 帰 や 地 域 性 と な り 、 自 然 素
欧の長い冬を乗り越える楽しみと深い関係があることを、である。また、パ
の大胆さと絶妙さはやはりコルビュジェという独特な才能によることを実感
材や伝統色への傾斜が強くなる。今帰仁中央公民館や名護市庁舎(象設計集
秋田相互銀行(宮脇檀)の黄色などが話題になった。が同時にその頃は、高
した。そして最近ではルイス・パラガン。その強烈な色彩世界とそこに宿る
団)、伊豆長八美術館(石山修武)などが、その代表的な例であろう。
楽しさを助長する効果を教えられた。そしてル・コルビュジェの原色とコン
不思議な静寂さに、魅了され続けている。しかも、その色彩がメキシコの風
イカl集 合 住 宅 で は 、 ラ ル フ ・ ア ー ス キ ン の 大 胆 な 色 づ か い に 、 住 む 環 境 の
うな毒々しい色づかいに言葉を失い、文化の違いを目で感じた。
ペ イ ン ・ セ ゴ ビ ア の 城 ア ル カ サi ル の 室 内 で は 、 ま る で 動 物 の 内 臓 を 見 る よ
った。色がなかったら、どんなに暗く寒々しい環境であろうか。あるいはス
込んで、狭い路地の両側に高く立ち上がる外壌が、さまざまな色彩に彩られ
ほど豊かで特有な色の建築や町が、世界には広がっている。
パリの賞味がかった石の色、インドの赤い町など、数え上げたらきりがない
がしてならない。そしてギリシャの島々の白い外壁、ロンドンのレンガ色、
土に深く関わることを知るに及んで、色の使い方の本質を垣間見たような気
占
ているのを見て、天空からの弱い光を色彩が増幅し導く媒体であることを知
人が、案外多いのではないだろうか。実は私もその一人である。イタリア・
彩
の
そして八0年 代 後 半 か ら は 、 ポ ス ト モ ダ ン や グ ロ ー バ ル 化 が 進 行 し 、 国 レ
グ環境色彩。という耐を中心にシンポジウムや﹁公共の色彩賞﹂による表彰
スに対する改善運動を契機にして﹁公共の色彩を考える会﹂が発足した。こ
などを行ないながら、怠長く運動を続けてきている。グ騒色。とは、周辺環
の会は、その後、騒色公害の汚名を着る日本各地の町並みの改善を目指し、
れ が 表 れ て い る 。 そ し て 九0年 代 の 吾 妻 橋 ホl ル(フィリップ・スタルク)
境との調和を著しく乱すとともに、人びとに不安や不快感を与える望ましく
ベルを越えて建築が諮られてくる。バーナード・チュミのラ・ヴィレットや
やティ i ム ・ デ ィ ズ ニ ー ビ ル デ ィ ン グ ( 磯 崎 新 ) で は 色 彩 が 立 体 化 し た よ う
な い 色 づ か い を 指 し 、 八 五 年 、 位 田 谷 区 のE大赤色ネオン広告、八六年、古川
ベルリンの国際住宅展のアルド・ロッシ、高松伸、早川邦彦などの作品にそ
な建築が生まれた。こうした建築家の創作活動と並行して、キヤナルシティ
もちろん横浜市のような先進的な行政では早い時期から色彩が捉えられて
崎市の蛍光赤色カメラ応などとともに、未解決なままになっている横浜市青
いる。七0年 代 に 始 ま っ た ま ち づ く り の 中 で 色 彩 的 側 面 か ら の 検 討 が な さ れ
博多(ジャ l デl ・パ!トナi シ ッ プ ) の よ う な 強 烈 な 色 彩 を も っ た 両 業 空
あり方に、従米の常識は通用しない。ここは建築の堅苦しさとは無縁の世界、
ている。さらに最近では、大規模な住環境を生み出していく創出的なプロジェ
葉 台 ピ ン ク マ ン シ ョ ン な ど が ホi ムペ i ジに掲載されている。
むしろバーチャルな世界がそのままつくられるディズニーランドのような環
ク ト の 中 で も 、 環 境 色 彩 的 役 割 が 導 入 さ れ て き て い る 。 多 摩 ニ ュ l タウン・
間が萱場する。もはや建築から色彩が独立し、環境の一部を占拠したような
活シi ン を 渡 り 歩 く と い う 現 代 の 都 市 生 活 か ら す れ ば 、 こ う し た 環 境 を 特 別
境に近い。日常生活自体が、﹁非日常的批界﹂として展開するさまざまな生
ベリコリi ヌ 南 大 沢 で マ ス タ ー ア ー キ テ ク ト 制 度 が 取 り 入 れ ら れ 、 幕 張 ベ イ
の中でのカラi リ ス ト の 存 在 が 報 告 さ れ て い る 。 そ し て 多 く の ま ち づ く り で
プ ・ デ ザ イ ナ ー や 照 明 デ ザ イ ナ ー な ど に よ る コ ラ ボ レ l ションが実現し、そ
タ ウ ン や 長 野 オ リ ン ピ ッ ク 宿 泊 施 設 な ど で は 、 複 数 の 建 築 家 、 ラ ン ド ス ケi
視する京地は既になさそうだ(長谷川な﹃現代建築の色彩世界﹂)。
もう一つの系譜 l 環境色彩ヘ
そして色彩と環境の膝史には、もう一つの系識がある。これまで述べてき
このように創出的空間の中では、色づかいを積極的に持ち込もうとする試
も景観条例が策定され、被告書に環境色彩からの検討が増えてきている。
して、一般的な何や住まい、アノニマスな環境がもっ色彩環境の系議である。
みと、もう一つの結果としての環境の中での色づかいを抑、えようとする試み
た系議が、主に色彩を用いて建築家が生み出した創出的な空酷であるのに対
、多くの場
4
が、同時並行的に進行している。その両方の要請が環境色彩という分野を成
さまざまな単位が色をもって集まったグ結果としての色彩環境
合、色彩の氾瀧や混乱をどう調整し整えるかという環境管現的な側面をもっ
立させている背景と考えられる。
思うが、緑濃い明治神宮の森の近くに外壁が赤く塗られ、﹁鶏﹂と捕かれた
﹁盛物の色を決める﹂というのは、一般に自信過剰と忠われている建築家に
ところで色に自信があるという人は、案外少ないのではないだろうか。
色はセンスではない環境色彩の可能性
腔史である。
この系譜でジャ i ナ ル な 話 題 に な っ た 一 つ に 、 東 京 千 駄 ヶ 谷 の 赤 い ど ル の
建物ができて物議を醸した。その数年後にやはり東京後楽図に黄色いビルが
とっても、案外ハードルが高い作業である。選んだ色が、実際に塗って予想
出 現 が あ っ た と 記 憶 し て い る 。 私 が 社 会 人 に な っ た 頃 ( 七0年 代 初 め ) だ と
出現し、新開に取り上げられたが、長続きするような問題にはならなかった。
に反して良かったり悪かったり、ハラハラドキドキすることも多い。まさに
水物だ。思い起こしてみると、色についてはまともに勉強したことがない人
赤いビルも数年で塗り替えられてしまった。
一方、一九八一年に主にデザイナーを中心に、東京都に出現した黄・赤パ
問題が起きてくる。グ色はセンス刊感覚。の問題として単純に片付けられず、
ると、建築家に限らずつくり手側の自由な発想に委ねただけでよいかという
という場合や、多くの人に影響をもたらす既存環境という広がりになってく
い場合もあるからだ。けれども、個の建築がより広い環境の主要な構成車位
そのこと自体悪いことではない。個々の自由な感覚が発揮された方が面白
ら、時にハラハラドキドキしながら決めている、というのが実態であるだろう。
なっているだけだ。♂逆は必ずしも真ならずヘ建築家は自分の感覚と判断か
っていない。グセンス。の問題として、センスがある人が設計をやることに
が殆どなのだから無理もない。否、勉強してできるような範障に初めから入
とは、本当に難しそうだ。さらに斎藤先生の報告は、白に起点と基調がある
ていることが読み取れる。感覚的に﹁美しい
握から色彩コントロールに至るまでを厳密なフレーム設定によって進められ
の報告からは、農村の色彩景観の混乱が、都市問題の裏返しであり、その把
持ち得ない﹂という指摘は、端的なだけに考えさせられる。一方、田口先生
報告の乾先生の﹁人類は中世にしか美しい町を持たなかった。これからも
る。議論の応酬にはならなかったが、扉を開けるには十分な内容と忠われる。
は日本の建築教育に欠けている根本的な点の一つであり、実感がこもってい
スがあれば、カラlリ ス ト な ん て 要 ら な い ョ へ 尾 登 先 生 の 最 後 の 一 言 は 、 実
り、ランクロと日本の関係が深いことなどと共に興味深い。﹁建築家にセン
よって地域性が高められるという指摘も、実践を通してのことで説得力があ
こと、臆病なほど色づかいに慎重であったことなど、パラガンの深層に的確
ことを証明し構築していくこ
多くの人が納得するような環境を色彩から構築する場面が生じてくる。それ
こうして見てくると、環境色彩はまちづくりや日常生活全般の上で、もっ
に追った論考で面白い。また、千々岩先生の色彩調節の運動がアメリカに始
L
が汐環境色彩。という分野の必要性と扱う範閤を示している。
使利
と注日されてよい分野ではある。単にグ選ぴにくい色を選んでくれる
まり、色彩の心理的効果についての研究が継続的に行なわれてきたという地
4
﹁すまい再発見﹂の上小沢先生の﹁色によって住居を心地表く見せようと
な専門家ではなく、色を通じて環境の特徴や構造を捉え、色がその環境にと
て色彩を扱う感性とともに、色彩を通じてその地区の人たちのコンセンサス
する:・:・不純なものを感じる﹂あたりは、いかにも先生らしい。やはり絵は
味な歴史に、違う意味の感銘を受けた。
を つ く り 出 す 構 築 力 、 そ れ を 実 現 す る 継 続 力 が カ ラi リ ス ト 側 に は 求 め ら れ
浴びた彩色が、今や適度に抑えられたものに感じられることは、まさに色彩
なくてよかったと思う。﹁ひろば﹂に述べられた、タウトの建設当時非難を
ってどういう役割を果たすかを明らかにする専門家としてである。したがっ
てくるに違いない。最近まちづくり調査に環境色彩からの検討が加えられる
環境の現況を言い当てている。最後に﹁私のすまいろん﹂は、工夫して止ま
など、流行の兆しが見られるが、。環境色彩の分野。の参画が各地のまちづ
くりや環境形成に確かな地歩を築けるかどうかは、少し時間をかけて見守っ
ない福田先生の面目擢如たるところが描かれ、先生に色を託したらどうなる
片山和俊/かたやま・かずとし
東京芸術大宇建築科教授、本誌編集委員。
﹃色彩建築モダニズムとフォークロア﹄ INAX出版。
・公共の色彩を考、える会編﹃まちの色彩作法提言集﹄都市文化社。
︿参考文献﹀
解が少しでも深まってくれればと祈るばかりである。
期待以上の論考を前にして、このことによってか環境色彩。への関心と理
かという類推が広がる一文である。
ていく必要がありそうだ。
環境色彩の実際と広がりを展開されている。既存環境調査に基づいた調整に
は、まさにつくり手のモノだ。一方、吉田先生は、さまざまな事例を通して
指摘をされている。コンセプトにこだわりそれを色に変換するという方法論
がキーワードであること、日本の場合には色を情報として使い過ぎるという
した。その扉を開けてもらうことを託したミニシンポで、尾登先生は﹁風土﹂
今回の特集は、建築計画では馴染みが薄いか環境色彩。という分野に着目
*
特集⑧住まいとまち.つくり潔境色彩の視点
読む冷
風の色、土の色を読む
喜 誠
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部一-A
ザ
T
ン
イ
科
教
授
//おのぼり・せいいち
ーーーヴアナキュラ!なまちの色彩のありょう
諮登
一九七三年、来京芸術大学美術学部工芸科
(インダストリアル・デザイン専攻)卒業。イ
タリア、ジョルジオ・デクルス・デザインオ
フィス勤務などを経て、フリ│号、 Jスデザイ
ナーとして泌総。工品決裂円山や山本日対などのデザ
イン、さまざまな述築物や安問のカラi プラ
ンニングなどに携わる。東京五術大川子美術学
郊講師問、助款問刊を絞て現職。
鮭毘
通
え
慎悟/よしだしんご
一九七一一年、氏波野災術大山一f必泌デザイン科
卒業。環境色彩を専門とし、川崎市都心部色
品納税条例色彩法準作成、
彩諸点ナ同純一辺、兵隊 mmM
江ノお終別決抑制限 V
成地収色彩計前向、熊本県以以
後形成色彩ガイドライン作成、トム姉崎市柄拘境色
彩ガイドライン作成など、色彩叶叶則前例・器対中作
成などを手がける。熊本県、北九州市、仲間須
災市などの禁制問アドバイザiを務める。武知政
協U
美術大叫ナ、ド民間内造形大人山下非常勤議刻。地引市 u
にァまちの色をつくるい(山崎町品川資料研究社}な
どがある。
色彩計一倍家、カラiプランニングセンター
吉田
lii色彩計商の一一一つのキ i ワlド
司会1
片出和俊//かたやまかずとし
建築家、東京芸術大学美術学部建築科教授
一九六六午、東京ぷ術大渋建築科学祭。同大
川千院修トん認知旬修了。間大町下地附側、助教筏を刊紙
て攻防判。住宅を中心に設計治到のほか、市中間同
氏印刷潟市凡、会州地のは吊期協調交を手掛ける。﹁彩
の凶ふれあいのお﹂でJ I A紡人投受針。木
正時一⋮開条委久長。
関係性を整える、地域性を大事にする、
公共性(市民参加)
の
壁
片山(司会)私はふだん住宅を中心に建築の設計をしており、その関連でまちづくりと
よりも環境の中に組み込まれるプロダクト製品、たとえば車とか家電製品、家具等
もできます。いわゆる工業デザイン、プロダクトデザインの領域で、環境そのもの
おそらく吉田先生からみれば、﹁かなり乱暴な方法論﹂ということになるのでし
開する子法をとることが特徴かもしれません。
環境とはどちらかといえば門外漢で、テザインの方法論を環境色彩に重ねながら展
で 、 イ ン テ リ ア カ ラ ー プ ラ ン を 手 掛 け た の が ス タi ト で し た 。 私 の 場 合 、 色 彩 と か
? リ オ ・ ベ リl ニ が 全 体 の 外 構 計 爾 を し た 横 浜 の 天 王 町 に あ る 横 浜 ビ ジ ネ ス パ ー ク
ン の 専 門 家 で も あ り ま せ ん 。 私 が 環 境 色 彩 に 関 わ っ た き っ か け は 、 一 五 l 一六年前、
をデザインすることを専門とします。というわけで、色彩の専門家でも環境デザイ
か街並み景観の仕事もしています。建築家というのは、物事を詰めていくときに型原で攻
めていくたちで、色彩に関して自信をもってやっているかというと、そうでもありません。
色彩について勉強しているようで実はどこで勉強したかわからないという人がほとんど。
﹁無学色亡日﹂とどこかに書いでありましたけれど、色を決めるときは、時間がないのをい
いことに瞬間芸のように、まさに感覚的に決めているということです。色彩は建築家、建
築関係の研究者のウイークポイントではないかと思います。日本の伝統は素材とか生地を
尊ぶ風土がありますから、仏]は素材についてくるものという思いがあるし、むしろ色はな
ところが、最近話題になっているメキシコの建築家、ルイス・パラガンの作品をみると、
ょうけれど、デザイン(色彩設計)の方法論が当時見当たらず、自分なりに計画概
いほうがいい、という感じもあります。
メキシカンピンクというか、シヨソキングピンクのような強い色を使いながら、そこに出
念を組み立て、結果、コンセプト震視になりました。色彩のデザインは計画によっ
今回は、私が仕事を通じて実感した何点かの具体的な課題を提起しながら、環境
本としています。
ようとか見せようを環境や建築、住宅のなかでフレームワークするという方法を基
て組み立てられたコンセプトの翻訳であって、色彩センスよりもむしろ色彩のあり
てくる空間は静絞で、むしろ奴想的な感じがします。色にはそういうことがあるのだなと、
自分の小に憧れはあるのですが、災はあまり使い切れないのが色ではないかと思います。
⋮方、日本の街には、氾濫なのか、盟かさなのか、非常に色があふれでいる。なかおっ
建築家が計画したものは、純一彩色にこだわって、色を排除しているという妙な現象があり
ます。では、色彩に関心が寸法いかというと、そうでもなく、カラl コーディネータ!の資
色彩の視点を考えていきたいと忍います。
総に年間八万人もが受験している。一九九五 1二O O二年の八年間の累計で六五万人にも
なるそうです。世間谷区の人口が八O万人で、杉並区が五O万人ですから、ちょうどその
自本人と環境色彩ーーその課題
まり、色彩に対して消極的な姿勢、素材重視、色彩軽視という傾向を、まず指摘さ
に勝つ空間、形態、構造に挑戦していないのではないかと想像してしまいます。つ
くり馴染んでいる。この場にして非常に失礼かもしれませんが、日本の建築家は赤
その建築は、形と色が対等、もしくは色彩が空間や形態に明確な意味をもってしっ
つまり、色彩が形に勝ってしまうんですね。ルイス・パラガンの話が出ましたが、
を一不す。どうして?何故?いろいろと考えてみました。赤は自己主張の強い色です。
という印象を持つことが意外に多い。赤を使うデザイン案を出すと、必ず拒否反応
いろいろな委員会、多くの建築家とのつき合いのなかで、﹁建築家は赤が嫌い﹂
中間ぐらいの一一恨の人口に民敵します。すごいことだなと忠います。
﹁環境色彩﹂に閲する研究をみましたら、僕はカラiはセンスかと思っていたら、非常
に厳密な調べ方をし、ポ判常に理性的、科学的だということもわかってきました。そのあた
りの関係を解くのもおもしろいと思いました。このミニシンポジウムでは長終的には、は
たして色彩から住環境をとらえることができるのかということで、その方法とか可能性、
あるいは限界を含めてお話をしていただこうと思います。
瞬闘の、土のを読む
ヴァナキュラーなまちの色彩のありょう
111
これもいろいろな会合で言われるのですが、﹁色はスパイスでいいよ﹂という意
せていただきます。
も素材も決まる建築の最終段階で、﹁何か物足りないのだけど、どうにかしてよ﹂
尾登
私の専門は、 機能造形デザイン、 直 訳 す れ ば フ ァ ン ク シ ョ ン ・ デ ザ イ ン と い う こ
というのが多いんですね。つまり一般通念としての色彩操作は、調理の腕怖の坂やコ
見をよく耳にする。要するに、建築プロセスのなかで色彩が問題祝されるのは、形
と に な り ま す が 、 最 近 で は パ フ ォi マ ン ス や ア フ ォi ダ ン ス の デ ザ イ ン と い う 解 釈
誠
ショウと同じスパイスとしてしか認識されていない。 叫怖が足りないからどうにかし
で 、 結 果 、 満 足 な 効 果 を 得 ら れ な い 。 基 本 的 に 私 は 、 カ ラlプ ラ ン ニ ン グ 、 カ ラ
てくれ、というのが多いわけです。
ーコーディネーションは、スパイスではなくて調理そのものだと考えています。色
という素材を用いて環境とか建築に応用しながらどう調理するのか。そのへんが日
ごろ環境色彩、景観色彩にかかわりながら感じている印象であり、第二点目は色彩
ワードが必ずあるということです。
(←写真、図版はμ 1お賞、カラi頁にまとめて掲載しています)。
そういったことを、スライドでご覧いただきたいと思います。
EE
・・
aは サ ン マ ル コ 広 場 の 銭 楼 か ら
bッ。ハのまちの色 l[i公・共・私と歴史性の観点から
写 真i
lle--aic イタリア・ベネツィアの景観。
コ
﹃
﹁情報﹂として多用しすg る 。 公 共 の サ イ ン で も そ う で す 。 妙 に 親 切 す ぎ て 、 色 を
としての色彩を拾おうとしてもなかなか難しい。 bは、公共空間の色彩事例として、
乾正雄さんが論文で述べているように、基本色と構成色しかない。街並みから情報
調和が感じられる。このなかではほとんど臼とベージュっぽい色しか見えてこない。
フ ィ レ ン ツ 工 、 さ ら に ヨi ロ ッ パ の 街 並 み は あ る 色 調 で 統 一 さ れ 、 全 体 的 な 秩 序 の
みた景観です。術噸すると屋狼色が統一されて美しい。ベネツィアに限らずミラノ、
情報として使いすぎ消化不良を起こしている。これらの状況は、情報の量と情報の
色大理石を使ったサンマルコ広場です。パブリックスペースにはあまり色が出てこ
そして第三点目、都市の色彩の混乱の原因は何かというと、日本の都市は色奇
とのつきあい方の再認識ということになります。
います。
公の州場に情報は非常に少ない。素材色が主で、看板色のような強調色は見られない
な い 。 使 う と し て も 、 低 層 部 の 底 舗 フ ァ サl ド に 少 し 出 て く る ぐ ら い で 、 基 本 的 に
質の両方に起因するのですが、これらに対する対応が非常に暖昧なような気がして
以 前 、 上 野 、 秋 葉 原 、 神 間 、 銀 座 の フ ィ ー ル ド サi ヴ ェ イ を し た こ と が あ り ま す
ファサl ド に き れ い に 馴 染 ん で い る
ヨーロッパの色の魅力はエイジングの魅力ですね。時間によって醸成された色が
ということです。
が、電器街の秋葉原に近づくにつれて色がふえ、看板建築が街並みを形成すること
を 目 の 当 た り に す る 。 秋 葉 原 に 限 ら ず 日 本 の 建 築 は 情 報 が フ ア サl ド に も ろ に 出 て
がする。時間も色をつくる重要な要阪であるということです。日本でこのような景
くる状況が多く、それが街説みのイメージをつくり、そしてノイズ化している。銀
座にいくと、意外と看板類は少ないですね。あつでもある稜の規制が働いている。
観を探すのは結構難しいですね。
。方く汚いのではなくて、心地良い感じ
ヨーロッパでは、設置箇所を限定したり、縦横の比率を決め、看板の大きさや形ま
の小漁村です。ここは個人他人が思いのままに建物の壁面を塗り非常にカラフルで
ベ ネ ツ ィ ア か ら 船 で 一 時 間 ぐ ら い の ブ ラi ノというこ000泣帯ぐらい
(C)
で定めてしまう。臼本の場合は形も大きさも位置もバラバラで、さらにす同彩皮の色
写真
12
住環境で色が問題になるのは外装の場合が多いようです。内部の場合は、それぞ
彩を情報として建築に付加し、それが街並みの中で騒色化し、問題化をしている。
かというのですが、それにしては結構きれいなんですね。公の抑え気味の色彩環境
す。一説によると、船を塗った後の余ったペイントを建物に塗っているのではない
に対して、プライベート空間は色が自由に溢れ出てくる。ヨーロッパを回って感じ
れ住む人の好みがありますから、色彩的方法論というより建築家の提案する住まい
るのは、水のある風景は色を非常に大胆に使うということでした。水面にただよい
方に色を沿わせることでさほど問題は生じない。私が依頼されるのは、インテリジ
ェントピルとかオフィスビルのパブリックスペースが多く、その場合は、ある穏の
で す が 、 臼 鐙 に ロl シ ェ ン ナ の 屋 根 、 ミ ラ ノ で も 郊 外 は こ う い う 風 景 が 典 製 的 景 観
ノ風景が残っています。このへんはアーティストが多く住んでいるナヴィリオ地区
写真 l 1 3 ミ ラ ノ に は レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ピ ン チ が 設 計 し た 遂 河 が あ っ て 、 昔 の ミ ラ
映る多色な色彩環境は実に魅力的です。
方法論を組み立てる必要があります。
何故なら、環境とか景観の色彩には、﹁公共性﹂という客観的視点がポイントに
ブリック)を据え、私と公をつなぐ概念に共(コミュニティ)を位置づける。環境
として残っています。
なる。つまり、多様な色で語られる他日私(プライベート)の対極に全休日公(パ
ュニティが非常に色として見えることではないかなという気がします。
写 真141ab イタリア溺部、 ア ル ベ ロ べ ッ ロ と い う 小 さ な 村 は 、 家 を 石 を 積 ん
色彩における﹁公共性﹂の重要性を第四点目にあげたい。ヨーロッパの良さはコミ
そ し て 第 五 点 目 に 、 環 境 、 あ る い は 景 観 と い う 概 念 の 中 に 、 ﹁ 風 土 ﹂ と い う キl
はないかと忠われる布灰の臼を塗っています。これは風土に根ざした景観といえま
タリア、スペインは陪射しが非常に強く、これを反射するため明度九・五ぐらいで
が素材のため、イタリアの風景というよりもギリシャに近い印象を持ちました。イ
でつくるトゥルリという様式の集落で知られています。トゥルリの家屋は石と石灰
うに一ブッピングパスを走らせていますが、情報洪水の東京の街並みに走る様は、さ
違います。非常にきれいで、愉快で楽しくていいんですね。最近、東京都も同じよ
路 面 電 車 が 走 っ て い ま す (b)。 結 構 大 胆 に デ ザ イ ン さ れ て い て 、 一 台 一 台 表 情 が
アムステルダムのきれいな公共の街並みのなかを、派手にぺインティングされた
写 真 ゆ laic
い景観ですね。
らに騒色な状況を増幅させ、決して美しくない。悶際都市としては非常に恥ずかし
5 a i c スペインはあまり杷えた土壌ではなく、非常に荒涼とした中に
のゆを車でいくと、臼い
ハイデルベルク。 aは 城 か ら 見 た 景 観 で す 。 こ こ で も 基 調 色 は
す
。
写真
(a)
臼とロ l シ ェ ン ナ と 祭 。 東 京 は 中 景 、 遠 景 か ら み て も 情 報 と し て の 色 が 出 て く る の
オリーブやひまわり畑が統いている。こういう風景
石 灰 で 塗 り 同 め た 小 さ い 村 が 突 然 あ ら わ れ ま す (b)。 乾 燥 し た 風 土 の 中 の 住 居 の
街抜みを近景で見ると、最初は古く汚く映るのですが、見ているうちにだんだん
ですが、ここではそれが見当たりません。
Cは マ ラ ガ の 街 並 み で す 。 や は
味が出てくる。ペイントは時間の経緯で味が出るということはないのですが、素材
スペインの新しい建物はどうなのかということで、
街並みですが、先ほどのブラ│ノあの漁村の風景とは全く異なる風景です。しかし
り 培 は 臼 く 、 屋 根 は ヨi ロ ッ パ 各 地 で み ら れ る よ う な ロ l シ ェ ン ナ が こ こ で も 使 わ
。窓とい
うのは、﹁{﹂に﹁公﹂の﹁心﹂と書きますね。内側と外側、つまり私と公をつな
(C)
ぐ生活にいちばん近いコミュニティの表情であるという気がします。街並みの全体
窓はプライべ i ト に い ち ば ん 近 い コ ミ ュ ニ テ ィ の 表 出 と い え ま す
れています。
6 リ ピ エ ラ 海 岸 に あ る マ ル ゲ リ │ 夕 と か ボ ル ト フ ィl ノなどの避暑地には、
は、時間のひと色が加わって深みのようなものが出る。エイジングというのはその
町 の 歴 史 や 生 活 を イ ロ イ ロ 想 像 さ せ る 環 境 色 彩 の 重 要 な 要 素 で す (b)。
写真
街並みがあります。プレスコ防風の一一線のスーパ i グ ラ フ ィ ッ ク と い え な く も あ り
景観の中に生活の色がうまく組み込まれている。
ち ょ っ と 変 わ っ た 例 で す が 、 素 材 感 を ペ イ ン ト に よ っ て 表 現 し フ ァ サiド を つ く る
ている例も結構あります。
iH ドイツのチェレの⋮歴史的な街並みは色を結構使っています。それでいて
写真
ません。この一帯は観光地ですが、舞台装置のような感じがありました。窓を描い
少しも違和感がない。機式が統一されていると同時に、ここでも使っている色のト
ーを街並みの色彩トーンに合わせ、考慮しながらデザインされていました。
i ン が 定 め ら れ て い る 。 街 な か の マ ク ド ナ ル ド も 例 外 で は な く 、 コ ー ポ レl ト カ ラ
に 五 つ の 漁 村 が あ る 地 域 は 、 ヴ ェ ネ チ ア の ブ ラi ノ 烏 と 同 じ よ う に 大 胆 に 色 を 使 う
集 落 で す 。 多 色 使 い を し な が ら 他 人 個 人 の 住 宅 は べ l ル系のトl ンでまとまってい
写 真1 7 8 b イ タ リ ア 、 リ グ リ ア 海 に 臨 む チ ン ク エ テ ッ ラ と い う 断 崖 絶 壁 の 上
ます。
ン は 参 考 に な り ま す 。 非 常 に 色 自 体 が 洗 練 さ れ て い て 、 組 み 合 わ せ 方 も 、 7まいです。
写真 印 a b 使 用 す る 色 そ の も の の 美 し さ の 代 表 例 と し て 、 パ リ の 応 舗 デ ザ イ
illljj
ロンドンの街並みです。ダークな色調の絡並みは、ホワイトをうまく使いながら、
写 真1 8 a b 陽光の段、しいイタリア、スペインとは気候を奥にするイギリス、
フランス人のエスプリを感じますね。
写 真 は lab ドイツの代表的街、 B本 人 が 好 む ロ マ ン テ ィ ッ ク 街 道 の 終 点 の 城
。ロンドンで
が 、 ロ ン ド ン で は こ う い う 街 並 み が メ イ ン ス ト リi ト に は 多 い
塞都市ロ│テンブルクです。近代化の影響を受けず城壁で閉ざされた街ですが、そ
(a)
も公のストリートと比べて住居では、もっと色を自由に建物に使用する景観があり
こでは色以前の街並みのかたち・連続性のようなものの重要性をポイントとして発
意外に時さ、重さを感じない。黒は、建築ではなかなか使わない色だと芯うのです
ま す 。 フ ル ハ ム ロ ー ド の 一 角 の 住 宅 (b) で す が 、 ベ ー ル 系 の 色 を 使 い な が ら 、 先
アムステルダムです。公と私をどういうふうに線引きしているの
思の色、土の色 l i﹁大阪の風土色﹂の調査から
見できます。ここでは看板の大きさが一定で、その中でいろいろ工夫していました。
98b
私の色彩計闘の方法論はコンセプトに重きを置くと一言いましたが、
﹁大阪の風土
ほどのダークな街並みに変化を与えています。
写真一
かわからないのですが、土日からあるパラッツォは公共的な建物で、外装はロンドン
ほどではありませんが、かなりダークなブラウン系の色を使用しています(a)。
n
u
l
立する概念だということです。ギブソン流にいえば、アフォーダンスは、﹁環境か
境の寸前中力という条件に支配されてできた道呉なんです。章一カがなくなると椅子はあ
ら受ける潜夜的な機能﹂ということです。皆さんがいま座っている待子は、地球環
りえない。働きを与える情報はすべて環境に潜んでいる。情報というと、われわれ
色﹂の調査をあるところから依頼されたとき、風土性の解釈を、まず風と土に分け、
われわれが使う自然素材の色は実に土的です。土、石、木、紙、それぞれの色は
人間がつくったように考えがちですが、そうではなくて、情報というのはそもそも
さらにそのはざまで営まれる生活や文化を合めて組み立ててみました。
い 素 材 は 風 的 だ と い え ま す 。 つ ま り 土 的 な 色 H変 化 の ゆ る や か な 色 、 こ れ に 対 し て
環境のなかに仕組まれているというのがギブソンの主張なんです。つまり色(情
土着の色として位置づけることができます。これに対してガラスとか人工的な新し
報)は、本来、環境に仕組まれて存在するということなんですね。
さ ら に 色 と 関 連 す る 重 要 な 視 点 に 、 サl フェイスという﹁阿﹂の問題、﹁きめ﹂
風的な色 H変 化 の 激 し い 色 と 考 え て い ま す 。 そ う い う 意 味 で 日 本 の 都 市 は 、 ど ち ら
の問題があります。石川口を想像してください。私たちはサl フェイスの連続、きめ
かというと風的ですし、ヨーロッパの都市は土的であると一一一一日えなくもありません。
そしてその狭間で人間がつくり上げた色を拾っていくと、衣食住の生活の色や、文
﹁われわれは常にサl フ ェ イ ス ( 鮒 ) に よ っ て 情 搬 を 受 け て い る ﹂ こ と を 述 べ て い
化 ・ 芸 術 の 色 が 風 土 と 関 連 さ せ な が ら 州 出 で き る 。 図ilia-bは コ ン セ プ ト 概
iidは 土 や 植 栽 に み ら れ る 変 化 の ゆ る
の連続で遠近感を知覚している。キブソンはアフォーダンス税論のなかでも特に、
この考え方を大阪にあてはめると、図
念 問 、 関 [ │ C は風土色のイメージマトリックスです。
の色lil突 の 色 、 そ れ ぞ れ イ メ ー ジ コ ラ ー ジ ュ し て み ま し た 。 そ し て 図illhは
対象は常に環境に組み込まれることを忍えば、色彩のハタラキをアフォーダンスの
ある。色は単独で見られることはなく、関係性の中で克られる。我々のデザインの
い。そしてアフォーダンスはより環境と密接に関連するハタラキ(機能)の概念で
ファンクションは人間臭さに欠け、パフォーマンスは人間の本能的ハタラキに近
ます。
大 阪 風 太 色 の カ ラl パレットです。
視点で考えることの必要性を埋解していただけると思います。
l g は隆史、文化、芸術
ileは 都 市 と し て の 新 し い 表 情 、 変 化 す る 風 的 な 色 、 国l
片山東京でやると迷った結果になるんですか。同じだったりしないですか。
片山ありがとうこざいました。次に吉田さんから、環境色彩の実務にふれるお話
i f は 衣 食 住 の 生 活 色 1 1 1こ こ で は 花 の 色 、 そ し て 図
やかな土的な色、関
の色として多分に暖色系と重なる傾向があるように忠います。
尾登いや、変わると忍います。大阪は近松とか井原凶鶴の人情話が生活色や文化
をいただきます。
ちがそのころに紹介された本﹃現代デザイン理論のエッセンス﹂でマックス・ピル
門分化し、そのような状況に若干批判的なカリキュラムが始まった頃でした。私た
私の大学時代、デザインは慨に広告、プロダクト、建築デザインというように導
吉田慎悟
i l色彩計画の三つのキーワード
関係性を整える、地域性を大
事にする、公共性(高民参加)
片山佐界をあっちいったりこっちいったりしたので、ついていくのがやっとでし
た け れ ど 、 尾 登 先 生 の 話 は ヨi ロッパを、玉体にして、日本に帰ってきたところで終
目立娘に一一員われた﹁アフォi 、ダンス・デザイン﹂というのを、簡単にご説明いただ
わりました。
きたいと忍います。
尾登﹁アフォーダンス﹂というのは、二十数年前、生態心理学・認知科学者のジ
ェi ム ス ・ ギ ブ ソ ン が ﹁ 提 供 す る ﹂ と か ﹁ 与 、 え る ﹂ と い う 意 味 の ア フ ォ ー ド
o
E
) というキーワードから意味づけした造語です。当然、辞書を引いてもあ
(回虫
りません。私の専門は機能造形、つまり、ある働きがあるものをデザインするわけ
ですが、﹁ファンクション﹂(機能)は、効率性、合理性、規格性、平均化を沼指す
あまり、人間性の疎外をイメージされがちです。という訳でいまや者い連中にはあ
ところで﹁アフォi ダ ン ス ﹂ と は 、 す べ て の 働 き は 環 境 か ら あ る 情 報 を 受 け て 成
まり人気がない。
が﹁環境形成﹂ということを一言っていて、デザインの対象を環境を構成するものと
建 具 は 自 由 に ペ ン キ で 塗 っ て い る わ け で す が 、 た と え ば パ リ で は 比 較 的 ダl クグリ
i ンが多く、ある色幅の中におさまっているのです。高楽街区にいくと、低層の庖
建具の色はこうなっているというように同じサイズの色票に表現していきました。
舗部分は自由に色を塗っていますが、二階から上はある統一感、ある色彩の帽のな
して考えて全体をつないでいくということを述べていました。この環境形成という
考え方にとても興味を持ちました。
大学の最後のころに、スーパーグラフィックの運動が起こり、建築に鮮やかな色
を塗る、あるいは大きなグラフィックで建築を包んでいくということが始まりまし
日本に一決ってきて、色彩計画を仕事と定めて始めたのですが、そのころはこのよ
かにおさまっている。私はランクロのそういう調査に非常に驚き、共感しました。
インが起こってきて、建築だけでは街にならない、もう少し建築の関係性を考えて
うな仕事がなかったのでずいぶん苦労しました。しかしちょうど日本でも都市デザ
た。それまで近代建築は色とは無関係で、コンクリートと鉄とガラスで禁欲的に設
ックが一気に世界中で流行したのだと思います。同時に近代建築が少し破綻をきた
に修景できる、関係性を再生できるということで、注目されたと思います。そうい
街をつくろうということが出てきた頃でもありました。そこで、色は比較的経済的
計していたわけですから、そういうものと違った空間を求めて、スーパーグラフィ
す時期でもあり、もっとヴアナキュラ!なもの、地域性を考えようということとも
わけですが、それらの白は決して同じ色は出てこない。正確に測っていくと、微妙
期に兵庫県で幾つかの街の調査をしましたが、丹波篠山は臼い漆喰壁の建物が続く
私はランクロがつくり出した手法で日本の古い街並みの調査を行ないました。初
う視点は少しずつ浸透していきました。
連動していました。
ところが、このスーパーグラフィックは、日本の場合は作品づくりに終始して終
は景観論争を起こし、オイルショックのときに衰退していくことになりましたが、
わったのではないかと思います。最終的には商業建築に多用されて、あるところで
大阪万博の頃はこの運動の絶項期で、官民一九つ赤や原色の黄色のパビリオンが多くつく
にですが、違っている。ちょっと年月がたつてより黄ばんでいたり、漆喰の種類が
しずつ色が違います。そういう微細な変化が、ある全体感をつくっている。それら
思います。また、出石は赤土壁の街並みが続いていますが、土ですから、多様で少
違っていて若干色が違う。そういう色の幅が街並み景色を奥深いものにしていると
られました。
ランクロに学んだ﹁色の風土性﹂
フランスのジャン・フィリップ・ランクロは、最初はスーパーグラフィストとし
街の姿は、かつては基本的にそういう統一感を持っていたと思います。会部同じ
を測ると、ある小さな幅に収束し、統一感をもっています。
色ではなく多様で、しかしある幅のなかにおさまっているから、それぞれの他性が
て 世 に 出 ま し た 。 私 が パ リ の ア ト リ エ を 訪 れ た 頃 は 、 スi パl グ ラ フ ィ ッ ク 的 な 作
ンスの街並みの色彩調査を始めていました。建物の外壁や建具の色、屋根の色など
品をつくりながら﹁色の風土佐﹂とか﹁風土色﹂ということを重視し出して、フラ
です。
そういう色のあり方からいまの東京の街をみると、ちょっと混乱していると田心い
出てくるし、変化もある。歩いていくといろいろな見え方がして、おもしろいわけ
ます。かつて日本の街並みがもっていたような統一感と多様性をもう一度見直して、
が見出せました。それぞれ地域の色は違うということを説明していきました。
実は彼は京都に留学していたことがあって、地方色の存在を京都で感じたと言い
を測っていく。すると、南仏には南仏の、ノルマンティーにはノルマンディ!の色
ます。京都にきた当初は、なんて暗い、色味がない景色かと患ったらしいのですが、
都市がもう少しきれいな姿にならないだろうかということを考えています。
ばしば建物を自分の作品として街の中に埋め込みたいという思いが強すぎることが
建築家はもちろん周辺との関係を考えながら設計を行なっていくわけですが、し
環境色彩計画の実際と一一一つのキーワード
住んでいると、お守の景色は非常にきれいで、四季折々の緑の色が生きている。あ
るいは、池のさざ波なんかをすごく美しく感じる。そういうことに気がついて、フ
ランスでもその地域、地域に合った色があるのではないかということで調査を始め
色 菜 を も っ て い っ て 、 街 の 外 壁 の 色 を 測 っ て い き ま し た 。 私 た ち は ﹁ カ ラl パレ
あると思います。パースを描くときでも、自分の建築だけを描いてまわりは描かな
たのだそうです。
ット﹂と呼んでいましたが、ある街の外壁の色はこんな色、屋根の色はこんな色で、
ぃ。関連性は描かない。尾登さんも一言われたように、色は単色では良い惑いという
によって吸収されていきました。色彩は関係性を整えるということが非常に重要だ
き て し ま っ た ち ょ っ と き つ め の ブ ルl グ リ ー ン の 建 物 も 、 腐 り が 寒 色 系 で 揃 う こ と
くて、それを合む建物が群となって風景になっていくことが望ましいと思っていま
を働かせることが必要です。自分が頼まれた対象物だけがきれいにみえるのではな
自分の趣味で色を決めることはしない。周りを読んで、周りとつき合うために色
というのがキーワードの一つ白です。
のはなく、関係できれいにもなるし、汚くもなる。環境色彩は、その関係がどうな
るかということを考えるのだと思います。私たちは計画を進める時には、周りの色
はなく、マンションの色、一戸建て住宅の色彩設計からスタi ト し ま し た が 、 小 さ な
を必ず調査することにしています。当初は、まだ都市デザイン的なレベルでの仕事
住宅でもまず周辺を調査しました。周りの建物、特に両隣りの建物がどうなってい
があります。
す。ですから、私の仕事は、自分の建物だけを、主張したい設計者とはぶつかること
写真山東京都と住宅供給公社と都市基援護備公団で行なった南千住の再開発の
るのかを調べて、それらと一緒になって美しい街並みになる色を提案するのですが、
ことやるな﹂と言われることもあって、自分の思いが伝わらないこともありました。
オーナーからは﹁私はこの色は嫌いだ﹂とか、﹁私が金を出しているのに、好きな
ときも、色彩の調獲役として呼ばれました。
いいという色相調和型と、いろいろな色があってもいいけれども、色の強さ、つま
は簡単ですが、そうではなく、色相はそろえて、濃淡とか彩度変化が少しあっても
ていきます。全部同じ色にする、あるいは近い色で全部まとめてしまうということ
していくわけです。出てきた色をもとに、ストーリーをつくり、色彩の調和を留っ
ブロックごとにそれぞれの設計者がいるわけで、それぞれ提案してくる色を調整
色彩は趣味でやりあったらお金を出すほうが強いだろうと考え、色彩の仕事は少し
ずつ公共的な部分にシフトしていきました。
(←写真、図版は幻im賞、カラl真にまとめて掲載しています)。
では、私の関わった﹁色彩計画﹂の実例をいくつか紹介します。
キーワード1一濁りを読んで関係性を獲えること
ス テ ム を 考 え ま し た 。 そ し て こ こ で は トl ン調和型で調整しました。
り 色 の 明 度 、 彩 度 は 一 緒 に す る と い う トl ン 調 和 型 等 で 検 討 し て 、 全 体 の カ ラl シ
公団棟は手前の二つの建物です。向こう側の既存の東京都の建物がかなり強いピ
彩環境を調整しながら計画を進めています。
ここは当初は色彩の方針ははっきりしていなかったのですが、マイケル・グレイ
ンクっぽい色を使っていたことを受けて、-寸前側が寒色系、都側は赤に近い色とい
写 真 ー ー は 横 浜 の ポlト サ イ ド 地 区 で す 。 横 浜 で は 都 市 デ ザ イ ン 室 が 地 区 ご と に 色
ブスが都市基盤整備公団の建物(写真右奥)を設計して、日本では見かけない色を
うことで、色相を四つ用意して、既存の街区にもつながっていくというふうにして
で調整しました。
が 、 自 分 の 感 覚 だ け で は な く 、 カ ラi シ ス テ ム を つ く っ て 風 景 を つ く る と い う こ と
建築家からは、﹁自分の建物をもっと目立たせたい﹂という主張もあったのです
関係性をつくりました。
使 い ま し た 。 濃 紺 が 中 心 部 に あ り 、 周 り が ブ ルl グ リi ン 系 の 色 で す 。 そ の 建 物 が
こ の 埋 立 地 で 最 初 に で き た の で 、 ブ ルl グ リ ー ン と テ ラ コ ッ タ と い う テl マカラー
が決まっていきました。
し か し ヨ 本 人 は ブ ルi グ リ ー ン 系 の 色 を 使 う こ と に は 慣 れ て い ま せ ん か ら 、 そ の
手 前 に で き た 建 物 の と き に か な り 強 い ブ ルi グ リ ー ン を 使 っ て 、 評 判 が あ ま り よ く
ていて、設計調整者が各街区ごとにいます。そして一つの街区は一人では設計でき
写真同
右は長谷川逸子さん設計の建物ですが、そこにもデザイン室は調整に入って、﹁少
ちょうどそのころタイルが寒色系の微妙な色まで焼けるようになっていました。
ます。建築で街並みをつくるということが強く意識されています。私は設計調整者
したくないので、設計調整者をおいて各住棟をつなげていくということをやってい
出て、複雑な変化のある景色ができることを期待しています。しかしバラバラには
なくて、複数の人で設計します。そうすることによってそれぞれの設計者の個性が
a b 幕張ベイタウンです。ここは非常におもしろい設計の手法をとっ
とテラコッタというテl マカラi が妥当かどうか検証するために私は呼ばれました。
ありませんでした。そして公団の高層住棟(写真左)をつくるとき、ブルl グリーン
ブルlグ リ ー ン は 非 常 に 難 し い 色 で あ り 、 よ く 使 わ れ る アi ス カ ラ ー で は あ り ま せ
に呼ばれて、色の調整を依頼されました。
しブルl グ リ ー ン 系 の 色 を 受 け て く だ さ い ﹂ と い う こ と で 合 わ せ て い た だ き ま し た 。
んが、全体の関係さえうまく調整すればそんなにおかしいことにならない。既にで
。設計
をつけたらどうか﹂とか、白山にすると﹁統一感がなさすぎる﹂ということを一言っ
議論を楽しむ人で﹁それはちょっとまとまりすぎるのではないか。もっと自由に色
ペ イ ン ト で 実 際 に 見 本 を つ く っ て 差 し 等 、 え て 、 検 証 し ま し た (b)。 設 計 誤 整 者 は
いきました。この日調整は大変労力が要ります。色を変更するたぴにエマルジョン・
明度、彩度が一方だけ高すぎる、あるいは低すぎるということを、関係で調整して
た色を提出してもらって同じ条件で立岡図に色をつけました。そして並んだときに、
三人の異なる設計者がそれぞれ住棟のデザインを行ない、最初にそれぞれが考え
築物が有名になって、多くの観光客が訪れます。この建物はそういうなかにニョキ
さめるように提案しました。この建物が主役ではなくて、いま門可港はレトロの建
景の山から相当浮き上がって目立つので、少し明度を下げて山の緑に洛ち着けてお
を残すことにしました。ついでに、上部の公開住宅の外壁は白っぽい色なので、背
え、材料を調整してもらいました。鉄板は無地にして、足元はなんとか煉瓦タイル
速くからみたらい除いた石のようにみえる材料です。しかしまがい物はよくないと考
た。その鉄板はレトロの雰由気を山山すために印刷の石目模様を使うという案でした。
とになりました。計画では予算が少なく、剥がしたあとは鉄板で巻くという話でし
しかし、 傷 み が 激 し く 、 と に か く 全 て タ イ ル を 剥 が さ な け れ ば い け な い と い う こ
それはすべて遠います。同じようにみえても棟ごとに全部違います。﹁それぐらい
した。ここで基調色として働かせているちょっとグリーンがかったグレーですが、
景になれば変化が出てくるという幅を自分の中で予想できるようになってきていま
私はいままでの古い街並みの調交から、これぐらいの幅だと統一感があって、近
ていくと、そんなに白出でもない。尾設さんも一斉われたように、土の色、石の色、
明度は 6とか 7ぐ ら い が 小 心 で す 。 建 物 の 色 は い ろ い ろ あ る よ う で 、 た く さ ん 測 っ
で し た 。 煉 瓦 は 鮮 や か め の 色 も あ り ま し た け れ ど 、 石 と か 土 に な る と 彩 皮3以下、
ー レ ッ ド 系 統 ) か Y系 ( イ エ ロ ー 系 統 ) 、 も っ と 細 か く い う と 叩Y Rぐ ら い が 小 心
ス ク ラ ッ チ タ イ ル も 、 石 も あ り ま す 。 そ れ ら の 色 を 測 っ て み る と 、 Y R系(イエロ
レトロな建築物を探っていくと、煉瓦ばかりではなくて、煉瓦のあとに出てきた
です。
ッと生えているわけで、少しでもレトロ建築物になじませたほうが良いと考、えたの
て、いつまでも議論し絞ける人でした(笑)。出来上った色は、幕張べイタウンの
なかではよりまとまりを強くしたという街区になっていると思います
(a)
調整者は、﹁まとまりすぎる。一人でやったみたいじゃないか﹂という議論をまた
微妙な色だったら、一緒でもいいのではないか﹂ともいわれたのですが、全て変え
砂の色、十小が朽ちた色、そういうF
M然 材 の 色 と 相 当 重 な り ま す ( 図1
2)。
最後にふっかけていました。
に深みを与えたと忠っています。
ました。私は変えたときの効巣を知っていて、山中庭に入ったときに包まれる雰囲気
最終的には、金属板は石日模様はやめてもらって、べ i ジュ系の単色としてもら
新しい個性をつくるのですが、北日はその士地でとれた材料でつくった街並みがあり、
もう一点は、地域性ということを重視しています。新しい建物は、新しい地域性、
若いて見栄えが良くなったと思います。タイルの小口のところは割って粗面をみせ
制かいところまで行き屑いていないこともあるのですが、煉瓦タイルは前より落ち
いました。これは私が設計したわけではなく、アドバイザーの範囲で行なったので、
ある栄えた時代の様式でできているとか、何か個性的な特徴を持っていたと思いま
キーワード 2 一地域にある特徴をとらえて地域性を整える
す。そういうものをなるべく調蕊によって拙出して、そこに添わせようと考、えてい
ています。粗面を混ぜ深みのある陰影を大切にしました。さらには、黄緑だった門
司 港 文 化 セ ン タ ー の 文 字 も ス テ ン レ ス の 箱 文 字 に し て も ら い ま し た (b)。
。この地区は古い建物を残して﹁門司港レトロ﹂という卒業をやってい
人の住宅でも外抑制は多くの人に見られます。このように公共性を持っていますから、
キーワードの三つ院は公共性です。色は公共性をもつべきだと思っています。他
キーワード 3 一公共性をもつこと、市民参加で考えること
が増す。そういうことのために環境色彩計画というのはあると考えています。
このように、地域にある特徴をとらえて、なるべくそれに附馴染ませる。改修をし
たり、これからできていくものによって衡の風景がだんだん強化され、地域らしさ
ます。
a b 私は北九州市の景観アドバイザーをしていますが、門司港文化セ
(a)
ンターという建物のタイルが剥がれて改修する際、色彩のアドバイスを依頼されま
写真げ
した
ます。古い建物の外装材との関係から﹁この煉瓦タイルのままで良いのではないか、
ったらどうか﹂というのが私の最初の提案でした。
剥がれているところ以外、タイルはあまり傷んでいないので、補修してこのまま使
デ ザ イ ナ ー と か オlナi が 勝 手 に そ の 色 も 決 め て は
いけません。周辺の住民に対して説明支任があると樹
思います。絡
写真i 目iab 最 近 、 市 民 参 加 の ま ち づ く り が 活 ト
発になってきました。私も地元でまちづくり協議会れ
に参加しています。道路をつくるときにも、協議会引
の人たちが集まって、市の人たちと話し合います。ぺ
川崎市の溝ノ口駅前の道路整備のときは、舗装材料カ
はあるメーカーのリサイクル口聞のなかからとすでに料
決められていて、選ぶときにあまり自由度がありま装
か、もっと赤いアンツーカーみたいな煉瓦色。私はた
せ ん で し た 。 ラ イ ト グ レi か 、 あ ま り よ く な い 黄 色 州
迷ったら道路はその土地の土の色が良いと思っていの
るので、いちばん土の色に近い、土が半分濡れたよ議
。
(a)
また、最近の工業製品は色ムラがなく均質に仕上つ
うな色を提案しました
がります。私は少し色ムラはあったほうが好ましいま
と思っていますが、メーカーは﹁うちのはムラがあて
りません。それぐらいしっかりしたものをつくって際
いる﹂といいます。よく聞くと、本当はムラが出る備
のだけれど、それははねてしまうということでした。
それではもったいないから、﹁はねているのも混ぜ'和
でください﹂とお願いしました。自然界にはあまり叩
均質な大きな色の而というのはありません。タイル凶
←叶,
フ
一
や
4
Jn1
,q
M
れ
n
ち
人
会
カ朋
/¥
ち
!
レ
作人巳
首一
船
a
Jノ
間釈
醐
も瓦も、適度なムラがあったほうが良いと閉山いますが、自然なムラはなかなかでき
地元のまちづくり協議会では、みんなで色を検討して、考え方を共有して地域の
にくくなっている。工業製品はそれも問題だと思っています。
をやりました。
こにパットマウント・ギャラリーというのをつくっ
て 、 植 え た 花 の 種 類 を 説 明 し た り し て い ま す (b)。
街が楽しくなることが重要だと思います。都市マス
0
ター フ ラ ン と か 都 市 計 画 と い う の は 難 し く て 、 な か
なか住民のが Jえ の な か に 入 り に く い の で す が 、 色 ぐ
らいならわかる。好き嫌いがあるし、関係性が災く
なるということもやってみればわかる。そういうこ
とをテコにして、色をもうちょっと公共性をもって
考えるというところまで広げられないかと怠ってい
ます。
写真│山 iab も う 一 つ 市 民 参 加 の 例 で 、 横 須 賀
市で色彩の議肢を頼まれたのですが、色は話をする
だけではなかなか実感がありませんから、みんなで
実際に塗ってみようということをやっています。み
んなで色を提案して、自分たちが決めた色を塗装す
ています。これまで住宅を塗ったり、工場の塀を塗
るとどうなるのか体験してみようということを続け
っ た り し て い ま す が 、 昨 年 は 公 閣 の 遊 具 を テl マに
しました。遊具の色としてのよし惑しばかりではな
く、この街全体が良くなるよう考えて取り組んでい
ます。腐りのマンションの色をみたり、その公園に
来る子どもたちがどんな遊ぴ方をするかを考え、色
を提案してもらいます。五つほどのグループに分か
れて色を考え、プレゼンテーションするということ
このとき日本塗料工業会の色票で色を検討していくわけですが、小さい色楽一から
大きな師積の塗り上がった色を想定するのは相当の経験が必要です。この色は一メ
ーター角に塗るとこんなふうに見えるということも党えてもらって、小さな色楽だ
結構暑い夏でも小まめに花を縮、ぇ替えてくれて、きれいな花を咲かせています。こ
暖色系の三色、中火、色系の一一一色というふうに交互になっています。これはいままでど
遊間共には派手な色を使いました。幾つかの色の組み合わせがあって、赤系統とか
けで決めないようにしました。
の道は電柱がなくなったので、パットマウント(配電盤)が山山てくるのですが、そ
ここは﹁高津花街道﹂と呼んでいます。地域の人たちが花壇の管理をしていて、
色を守っていくということを少し始めています。
おi
須賀市の市民参加!の例。色彩鈴鹿に加え、公払!の遊具+や工場の塀などの色を提案、実際に決ってみる。
こでも遊具で使っていた色なんですが、暖色系だけ三色、束、色だけ一二色というふう
(a)
に割り振ることによって、公開問の景色はずいぶん変わりました。子どもたちの遊び
。
それに加えて色まで強くすると、どうやっても目立つものになる。土日の建物をみる
と色は、緑が死んで朽ちた土とか、木でも古ぴて彩度がなくなったもの、あるいは、
土を焼いた瓦:::、自然界のなかで動かない大きなものがもっていた彩度範囲にお
っ と 新 し い 可 能 性 を 出 し た い と こ ろ は 、 そ れ な り に ルi ル を つ く っ て 、 横 浜 の ポ ー
さまっていたと思います。建築物の色は基本的にその範回で良いのではないか。も
方もずいぶん変わりました
ある女性がアイディアを出して、携帯電話から顔文字を呼び出してペインティン
直江津の海の近くの民家は、外壁に木を葺いて、潮風で洗われて灰銀色のように
トサイドのように、ある地区を決めてやるべきだと思っています。
グ し て い ま す (b)。 か つ て は タ ヌ キ が 揃 い で あ っ た り 、 パ ン ダ が 扱 い で あ っ た り 、
質の良くない具象的な絵でした。それが色と顔文字で非常に現代的な新しいものに
です。東京で同じ板を葺いてもこういう色にはならない。やはり地域の気候風土が
な っ て い る 。 す ご く き れ い で す (b)。 た ぶ ん こ う い う 気 候 風 土 で し か で き な い 色
変身しました。こういうことによって、ここに遊ぴにくる人たちが変わってくると
いうことがあるわけで、色も捨てたものじゃないと忠います。なるべく地域に広げ
いは自分たちの自由にさせろ﹂という人が多いと忠うのです。私はどちらかという
いだというようには見えない。やっぱり色彩的な調和に問題があると思いますね。
先ほどの尾鷲さんのイタリアの例のように、思い思いにやっているのになんかきれ
ところが、思い思いの折板の色もあります。これがアジア的できれいかというと、
して、日本人も少し誇りをもつべきだと思います。とてもきれいですよね。
敵するようなエイジングとか素材の美しさがある。そういうものをしっかりと見直
一 宮 の 直 江 津 は 、 な か な か 風 情 が あ り ま す 。 先 ほ ど 見 た ヨi ロ ツ パ の 街 並 み に も 匹
そこの景色をつくる。
るために、市民参加で色をたくさん使っていくことは良いのではないかと思います。
まずは公共建築の色彩基準*つくりから lii上越市の場合
そういうことを踏ま、えながら、関係性、地域性、市民参加の問題にも広げて色彩
と色彩基準を椛逃している側です。いまの日本では数値として基準があったほうが
計画を行なっているのですが、色彩基準を決めると、たぶん建築の方では﹁色ぐら
良いのではないかと考えています。いままでの調安から、慣例的に使われる色幅が
国131aie
だに原色が使われています。
いまでも屋根の補修塗料を頼むと、﹁赤と青しかありません﹂といわれる。いま
もきれいにみえると思いますが、これまでの調資から、建築の色には明確な傾向が
ない建物の色を測って、彩度、鮮やかさの範囲を見出し、基準づくりをしました。
わかってきました。色自体に良い怒いはありませんから、うまく使、えばどんな色で
あると感じています。そこから出る場合には、それなりの作法が必要だと思います。
。昔の建物は木造が多く、屋敷林の中におさまっていたりす
とです。
3 e の各チャートの左
り、赤い屋根にしない。経木の町があるのだから、師柏木らしさを生かす﹂というこ
たとえば、﹁周りに燦史的な建物が残っているのだったら、看板だけ派手にした
ましょう﹂、そういうことが七つほどのチェック項目として加えられています。
﹁関係性に気をつけましょう﹂﹁それぞれの地域に特性があれば、それを大事にし
いままで上越にあった伝統的な建物とか、みんなが違和感を感じ
周りに﹁私はこういう色を使います。絶対に関係はおかしくなりません﹂というこ
まず公共建築から直そうということで、上越市で公共建築物の色彩調査をして、
とをしっかりと説明すべきではないかと考えています。
(a)
m a b 上越の街を見ると、緑がきれいで、焔があって、なかなか美しい
公共建築物の色彩基準をつくりました。
写真
景色があります
いままで調査したものでいちばん多い色の範囲を、図
側 に 緑 の ラ イ ン で 示 し て い ま す が 、 色 相 ご と に 相 当 遠 い ま す 。 Y R系 あ た り で は 彩
る。ところが、特に戦後からだと思いますが、折板屋根で赤とか青い屋根が出てき
て、周辺の緑から浮き立っている。﹁そのほうが雪国では楽しくて良い﹂という人
れいな滋んだクリーム色も日本人はあまり好んでいません。
彩 度 で ブ ル ! と か 紫 を 塗 る と と ん で も な く さ つ い と 感 じ ま す 。 パ ス テ ル トi ンのき
の色とか赤い土の色であれば、援に塗ってもそんなに違和感はない。しかし、同じ
皮6と か 、 明 度 が 低 い と 彩 皮7とか 8ぐ ら い で も そ ん な に 違 和 感 が な い 。 茶 色 い 土
上越は自然の景色が相当大事だと思います。むしろそれらが主役で、建物は色彩
もいますが、本来はそういう景色ではなかったと思います。
的には背景で良いのではないかと思っています。
三日、。
-、
周りの山とか木に対して、造形したものはどうしても勝つ。 i
ドドf
を日J/¥4'T
刀山犯し
lnhu
紫になると、彩皮を相当落さないと、自立つわけです。そういう難しい色なので、
こういう色を使いたい人は景観審議会に報脱臼して、その色の必要性を前もってみん
なに説明してくださいとお願いしています。パチンコ屋さんなんかはとんでもない
色を使ったりするけれど、いままで慣例的に使っていた色はこの範囲だということ
にして、みんなおもしろいというふうにならなくてよいのではないか。その地域に
をまず知って、色を選択してほしいと思っています。衡はなにもみんな作品だらけ
合ったものを引き継いで、本当に新しく良いものはコンペか何かでみんなで決めて、
あるべき場所で、新しい時代の色を使うと良いのではないかと思っています。
(
Y
) ・赤 (
R
) ・緑 (
G
) ・青 (
B
) ・紫 (P) に割り、
そ れ で で き る 五 角 形 の 、 赤 と 貨 の 聞 がY R、 黄 と 総 の 間 がG Y、 総 と 青 の 間 がB G、
相仰を基本的に五つl 黄
これで一 O色 相 に な っ て い ま す け れ ど も 、 マ ン セ ル は 当 初 そ の 聞 を ま た 一 O に割
青 と 紫 の 聞 がP Bというふうに、間の色相を呼んでいます。
、
、
り
、
叩
ま
で
い
っ
た
ら
、
次
に
Y
2
Y
:
:
:
Y
と
一
O
O
色
抑
制
つ
く
l
y
R
2
Y
R
:
:
:
ったのですが、いまJ I Sでは閤O色 相 を 基 本 に し て い ま す 。 四O色 相 の な か の
m
Y Rと い う の は 、 貰 と 寅 赤 の ゆ 間 ぐ ら い の 色 あ た り に な り ま す 。 日 本 の 建 築 を 測 っ
て み る と い ち ば ん 多 い 色 祁 で す 。 日Y Rのなかで彩度は3以 下 ぐ ら い で 明 る め の 色
ですね(笑)。
片 山 ま ず は 日 本 の 建 築 外 按 色 は 叩Y Rと 、 き ょ う は こ れ を 覚 え て 帰 る だ け で い い
が慣例的に使われています。
i ロッパではあたりまえなんですね。いままでの色の範鴎から超、えるということは、
士 ロ 沼 迷 っ た ら 叩Y Rの彩皮 3以下としておけば、 たぶん間違いないです。
色彩基準は基本的にネガティブチェックだと思っています。このようなことはヨ
相当慎重に行なうべきだと思いますが、今は結構白出ですね。工業製品が赤や青い
きょうは、色彩で住環境がつくっていけるかということが最終的な目標なの
公・共・私の概念と格色づくり
ディスカッション
折板屋根でこれを超えるものになっているので、そういうことを直していくために
も、色彩基準をつくったほうが良いというのが私の考え方です。
片山私も設計するときに既存に合わせる側ですから、すごく共感してお話をうか
がいました。
吉田先生のお話の中にも難しい言葉がありました。色彩が専門の方はよくわかっ
て い る の だ と 思 う の で す が 、 ﹁ 叩Y R﹂ と い う の は わ れ わ れ に は よ く わ か ら な い の
で、説明をお願いします。
のではないかというお話がありました。それから、環境について﹁格色づくり﹂と
いろいろな街をみせていただき、ヨーロッパでは公共の﹁共﹂がうまくいっている
そこへ話題が流れていくといいと思っています。尾登先生には、ヨーロッパの
が﹁明度を下げてくれ﹂といっても、﹁それは何ですか。濃度ですか﹂とか、﹁冴
色彩のつくり方に関係しないかなと思っているのですが、どうでしょうか。
いうことを、主張されていると伺っています。そのこつが関連づけられると、環境の
セ ル ・ シ ス テ ム を 使 っ て い ま す 。 日 本 のJ I Sが 標 準 色 粟 と し て 採 用 し て い る 方 法
伊
尾登一般には公共と﹁公﹂とよ(﹂を一括りにしますが、欧米
する。また、﹁ハ﹂は屋根、開放の意味があり、﹁私﹂にこれがかぶさると﹁公﹂に
そうです。﹁禾﹂は穀物(食料)を表し、﹁私﹂とは、個人がこれを囲むことを意味
﹁公﹂にも﹁私﹂にも﹁ム﹂が入っていますが、これは本来人間偶人を表している
に﹁ハ﹂をかぶせます。また﹁私﹂は﹁禾﹂を﹁ム﹂で囲みます。司
公共性というときに、よごとは何かが暖味ですね。﹁公﹂は﹁ム﹂磯野トヤぷ撃
ブリックと﹁私﹂ Hプ ラ イ ベ ー ト は 対 概 念 に 意 味 付 け ら れ ま す が 、 ご い 仁 川
i!
なので、環境色彩でもマンセル・システムを使うことが良いのではないかと思って
と 日 本 で は 、 公 と 共 の 認 識 に 差 違 を 感 じ ま す 。 通 常 は ﹁ 公 ﹂ H パム一麟欝墾ペグ鍾勝
値化することができます。
日Y Rと い う の は 、 色 相 の あ る と こ ろ の 点 を 指 し て い る の で す が 、
マンセルは色
くわけです。三つ目は、明るさの度合いで明度、この一ニつの属性ですべての色を数
度。いちばん鮮やかな真っ赤からだんだん彩度が落ちていくと、色が鈍くなってい
(赤燈寅緑地問護紫)のように、色みの迷いです。ニつ白は、鮮やかさの度合いで彩
マンセルでは三つの属性ですべての色を表せます。一つは色相です。虹の七色
います。
色を数値化するときに幾つか方法があるのですが、日本塗料工業会の色票もマン
えですか﹂とか、いろいろな言葉が出てくる。
吉田私たちも仕事上、色を表す共通一言語がなくて闘ったことがあります。こちら
で片
山
なる。要するに、﹁公﹂のなかにも必ず﹁私﹂があるということです。ところで
﹁共﹂ですが、﹁私﹂と﹁公﹂が共有する場を﹁コミュニティ﹂とするのが欧米の
意識ではないかと考えています。
また、﹁コミュニティ﹂は地域性も表しますが、地域性は真に﹁私﹂と﹁公﹂の
融合部分。ヨーロッパの広場、日本では鎮守の社がこれに該当する。
議患な謁︺者望む場所、 空間もある
片山吉田先生のお話には、三つの視点が呉体的に説明されてわかりやすかったの
ですが、私も既存を大事にして、馴染んでいくという設計のしかたをしています。
しかし少しはそれを打ち破りたいという気持ちもあって、 mYRの彩度3以下にす
逆に、打ち破るための条件、方法を伺いたいのです。
ある広がりのなかでやっぱりこういうことをやりたいなという忠いも出ますよね。
川できなかったりするのですが、そうではないのではないかという人間の欲求とか、
ればいいと決めてしまえばすごく楽なんだけれど、何かやりたいと思いながら、結
(パブリック)ということになります。そして二つをつなぐものが﹁共﹂(コミュ
とか学校以外は、住宅の内側は﹁私﹂(プライベートてまた、外側はすべて﹁公﹂
吉田内と外の関係でいけば、内側では色をもっと臼出に使って私議
建築の場合はインテリアとエクステリアがありますが、インテリアの場人口、会社
ニティ)だと考、えます。昔の住宅の縁側、あるいは窓は、内側と外側をつなぐ生活
ょいと悶仙います。学校でも外側は既存環境に合わせておいて、中ゑ︿へとなムソ
?〆(務第議刊しミュ還義務拶
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乞
ゴ
ベ
ペ
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JJ安
場に最も近いコミュニティ装置といえます。
ヨーロッパで素晴らしいと思うのは、窓の飾り方です。日本人は内側は飾るけれ
か畿線、
レ
に入ったときに、エントランスで派手な色が出てくるとか、イン
ー
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テリアのなかでも動的な部分、たとえば廊下とか階段室は、人間ぷ綴務母子襲撃
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川町ドいれいい撚ハ一ー⋮♂丸山一⋮総締約
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ど、外側は意外と無神経。周辺の状況と全く関係なく外装をデザインすることが多
が動いているので色があっても良いと思います。
必繍総“ 一 k
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u一
二、少し
コミュニティで﹁公﹂につなげるという感覚があります。要するに、﹁私﹂と﹁公﹂
いのではないかと思います。欧米は、プライベートの意識を重要視するのですが、
ど、動くものがもっている。花は動かないけれど、一瞬間で散ってしまうというよ
たぶん色は動的なところにあるのだと思います。自然界の色をみても、烏や蝶な
片山それが﹁格色づくり﹂ですか。
ると、それはすごく貴重で宝石になってしまうわけで、それは希少傾値だと思うん
うに、生きているもので動くものが派手な色をもっている。動かない石がもってい
の山中間に必ず﹁私﹂と﹁公﹂を融合させたよハ﹂の領域﹁コミュニティ﹂がある。
ことを意味します。人格や町格等は、これに相当するわけで、色にこだわり、主義
です。
尾登﹁格式﹂の格は法則や規則を示すとともに、伎や上位に至ることや、極める
を付与するとき、私は、色格を持たせることができると考、えています。つまり、絡
だから、色を使うのは生きていて動くもの。よくメンテナンスをして保っている
とか、流行によって色が変わっていくということに対応していないと、見すぽらし
式を格色(色格)づくりと解釈しています。
色彩は、明度、彩度、色相という一一一属性によって独自の体系(システム)を持ち
出てきても良いのではないか。あるいは、宣伝広告の色が四季折々変わるというの
くなるのではないかと考、えます。その意味では商業のオl ニングは結構派手な色が
も、色のあり方としては合っているのではないかと思うんですね。インテリアで使
ます。一方、都市とか環境、建築も非常に複雑多岐なシステムを持ちます。環境の
うにしても、部屋のなかは動かないので少し色を抑えておいて、廊下とか階段室な
色を考える場合、環境システムに色のシステムをかぶせていく。色はバラバラでは
なくて、システムとして組み立てない限りちっとも問題解決にはならない。格色づ
都市部のほうが人が動的ですから、そちらのほうに色が出てくるのがいいのではな
くりとは、いうなれば、色の見え方を形態や空間の在り方に則して、見せ方を示す
いかと考えています。自然とのアナロジi、 連 関 が あ っ た ほ う が 人 に 受 け 入 れ ら れ
どの動くところは少し色が強めでも良いのではないか。住宅地と都市部だったら、
格色づくりのためには、色彩そのもの、色をかぶせる形、具体的な形をもったも
ると忍います。
システムデザインといえます。
の が 霞 か れ る 環 境 の 三 つ の 相 性 操 作 が 必 要 で す 。 ヨ i ロッパの景観は、これらの操
欲求もあります。あまり伝統的でなかった景観、たとえば工場街などでは相当きつ
けれども、私もいま一一一口われたように、何かおもしろいことをやってみたいという
作が、公・共・私というシステムで枠組みされ、それにこだわりを持つ色彩をデザ
インしているという意味で、格色づくりが明快に見てとれるということになるので
しょうか。
ばエントランスには、ここは出入口だという情報を付加する必要がある。誰が見て
尾 登 先 ほ ど 色 は 情 報 だ と い い ま し た 。 ア フ ォi ダ ン ス の 視 点 か ら い え ば 、 た と え
お
り
・
・
・
・
。
片山そのへんは尾登先生はどうですか。むしろ色を楽しむということのようだか
間はあると思っていて、そういうときは思いつきり色を使います。
れでそんなに違和感はないと思っています。適材適所というか、色を望むような空
い色を使ってスi パl ・ グ ラ フ ィ ッ ク 的 な こ と を や っ た こ と も あ り ま す 。 そ れ は そ
トーリーを想像し、感じさせるような色を仕掛けとして表情付けしたいということ
くかわからない楽しさを想像できる色がいいと思いませんか?垂直移動し次のス
力の介入を許す色だと考えています。エレべ i タ!のドア色は、これからどこにい
を間{乏してしまう。紫は中尉ですから、赤でも青でもなく系でもない神秘的で想像
もない赤でもない中間の色です。車問とか赤は冷たいとか綬かいとか意外にイメージ
村総研のYPBビ ル の と き に 、 エ レ ベ ー タ ー の 色 を 紫 色 に し た ん で す 。 紫 色 は 青 で
ーをつくっていくと、意識的に破る、壊すことを試みることもあります。横浜の野
色 を 文 脈 に よ っ て 織 り 上 げ て い く 、 而 ! 線i 点 と い う つ な が り で 色 彩 の ス トi リ
そ う し た ら 、 あ る 女 性 カ ラl コ ー デ ィ ネ ー タl に言われました。ご﹂の色は顔の
で紫にしました。
も唆↑と同色よりも違う色のほうがわかる。非常口は色だけではなくて、わざわざ問⋮
色を情報としてとらえたときにそのデザインは、コンテキスト(文脈)によって
明して誘良性に配慮する。
わかっていない。全体を考えながら、部分のデザインを、既成概念にとらわれない
エレベーターのドアの色は、期待や不安を映す想像の鏡でいいというコンセプトが
イメージで変化付けしてみる。そのようなメリハリの演出も必要だと考えます。
色 を 美 し く 見 せ な い ﹂ と 。 確 か に パ ウ ダ ー ルl ムではそのような配慮は必要ですが、
むときと同じようにメリハリのある流れがある。非常に緊張するとか、心が和むと
や機能性を最適色で演出することが求められる。それは、われわれが小説や詩を読
片山私がこの開設計した家はフランスに阿武くいた人の家だった
ルであろうが、住宅であろうが、必ずそこには人の関わる文脈があって、空間特性
か、必ず京問機能から描けるイメージがあるはずです。
l見 本 か ら 選 ん だ 黄 色 を 送 っ た ら 、 ﹁ と て も い い 色 だ ﹂ と い う ん
さまざまな繋ぎ方が描ける。たと、えばまちづくりであろうが、インテリジェントビ
吉田先生が先ほど一一沿った叩Y R系 の 色 は 、 我 々 が よ く つ き あ う 色 で す ね 。 い ろ い
ろ 素 材 色 を 調 べ て い く と 、 木 の 色 、 土 の 色 、 和 紙 の 色 、 全 てY R系 の 色 で す 。 さ ら
に
、 Y R系 は 暖 色 系 で す か ら 、 人 間 を 包 む 環 境 色 と し て 好 ま れ る 傾 向 に あ る 。 一 O
O のオフィスのインテリア色を一年間誠査したことがあるのですが、日本のオフィ
ですね。それだけ私の中に伝統色がしみ込んでいて、僕としては結構派手な黄色を
喝
です。﹁汚い﹂という表現がわからなかったのだけれど、﹁暖かい﹂といえばいいん
i
l
l
;
に決まらなくて、最後は頭にきて、フランスの伝統色というカラ鍾欝統率警
な黄色を選んでも﹁片山さんがきのは汚い﹂といわれて、つい三一
A
V
認
んです。黄色ということになったのだけれど、私が選ぶと、どん均五議
VK
スは八O%がY R系 の 色 を 使 用 し て い ま し た 。 ど ん な 先 進 の オ フ ィ ス で も 多 く がY
R系 な ん で す 。 ベ ー シ ッ ク な 色 と し て 日 本 人 の 感 覚 と 相 性 が 良 い 。 つ ま り 、 内 装 色
選んでいたのだけれど、いっさい受け入れられなかったというのは、非常におもし
ろい経験でした。
に塗つであった。洗磁所はオイルペイントのピカピカの真っ赤っか。トイレにいく
吉 田 ラ ン ク ロ さ ん の フ ラ ン ス の ア ト リ エ に い っ た ら 、 壁 面 が 全 部 ブ ル l パlプル
環境の色がプロダクトと違って非常に厳しいのは、間違ったから塗り替えようと
を考えるとき、文脈の中心の基本色として設定されることが予想できる。
いうことが非常に難しい。プロダクト製品は、嫌な色はしまえばいいのですが、環
なる(笑)とか、青い部屋にずっといると鎮静効果が働いて診になるというのを思
とピンク。大学時代の色彩心理学を思い出して、赤い部屋に長時間いると気違いに
境 の 色 は 隠 せ ま せ ん 。 そ こ で 重 要 に な る の が 、 慣 用 の 色 な ん で すomYRの色は、
常に人間にとって違和感がない色は、環境色として重要なポイントになる。赤で
一一沿い換、えれば、日本人が好んで使う慣用色といえるのではないでしょうか。
色には時間経過によって飽きの来ないフィルターがかかっている。公共の色という
面陶器で、周りが真っ赤な抵でも、なかなか個性的でクールに感じました。心理学
だ け ど 、 そ ん な こ と は あ り ま せ ん で し た 。 床 は か な り 明 る い グ レ l、 真 っ 白 な 洗
い出して、いやまずいな、長くいてはおかしくなるなと怠ったんです。
のは、一人ではなくて不特定多数の人間がよしとする色を使わなければならない場
は色をみて、これは媛色、災、色というけれども、空間になったときにはもうちょっ
あっても違和感のない色はあるし、逆に臼であっても違和感のある色がある。慣用
合が多く、私は、慣用色を股間の碁本にする手法をよくとります。
士間悶日本人は障子を開けると四季折々の色がそこにあるというのに慣れていて、
片山それは、どうしてダメでしたか。
ないです。
めに決めてコ l デ ィ 、 不 ! 卜 し て み た ん で す が ダ メ で し た ね ( 笑 ) 。 ど う も 落 ち 着 か
たので、自分でも実験してみようと忠って、帰ってきて自分の小さい部屋を色を強
と複雑で、赤だからといって単純に熱い空間にはならない。それがなかなかよかっ
案と受けとめてください。
も一例で、印刷土色をこういうふうにとらえる考、ぇ方もあるのではないか、という提
尾 登 風 土 色 は こ の 色 だ と 最 後 に カ ラl パレットを一不しましたが、あれはあくまで
ージ調査っぽいところがあるでしょう。
ね。先に一言ってしまったらまずいんだけどね(笑)。あの大阪調査は、かなりイメ
ういう特徴があると一言ってとるのもかなり当たっているのではないかと思うんです
うプロジェクトがあったわけです。その地点を、大げさにいえば大阪、神戸、京都
また、大阪城から臨海部にいたる東西軸もあります。その結節点に新梅日開発とい
大阪を地図上で見ると、北の梅凶から南は難波・心斎橋という南北軸があります。
の よ う に 、 サ ク レ クl ル寺院が向こうにみえるという硬い都市定期の中にいると、
も含む関西地域のなかで位置づけ、大阪の風土色とは何かを考えました。
色は生きたものとしてあるのではないかと思います。ところが、パリのアトリエで
つくられた人工的な公樹にいくか、あるいは臼分の家の中を塗ってみたくなるので
日本は、いまは都市化して硬い小さい空間に住んでいるけれども、かつてはどこ
なりました。テーマは風と土で、土は永遠に変わらない色。大地の土や石の色は何
れど、いろいろな閣や土地には、変わる色と変わらない色があるということが気に
われわれは風土を、なんとなく地域とか気候、歴史ということで片づけているけ
はないかなと思う。人工的な空間を色を使って自分の巣にしないと生きていけない、
でも四季折々変わる空間があって、陣子を聞ければそういう色と接することができ
してもそう簡単には変わらない色、土着の色なんです。一方、風は、変化そのもの。
千年、何万年かかってその土地に根づいた色だということからすれば、変えようと
ということがあるのではないでしょうか。
た。その豊かな色を邪魔しないほうがいい。土壁の色も、紅殺とかいろいろあるけ
先ほどスライドをお見せしながら、ヨーロッパは土的だと話しました。ヨーロッ
時代を反映して、ダイナミックに変容する色を風の色としてとらえることができる。
れども、自然のなかで少し強めかなという範凶ですよね。それを超えないようなと
ころに慣れていると思うんです。
においても建築は一 O O年 、 あ る い は 二O O年くらいをライフサイクルとする﹂と。
パ は ﹁ 変 わ ら な く て あ た り ま え ﹂ な ん で す 。 ョi ロ ッ パ の 建 築 家 と 話 す と 、 ﹁ 現 代
吉 函 ラ ン ク ロ は 一 九 七O 年の大阪万博のフランス館のデザイナーとして米日し、
るわけですから、建てながら風化することもあたりまえなんですね。ミラノのドゥ
ガ ウ デ ィ の サ グ ラ ダ ・ フ ァ ミ リ ア は 一 O O年前に建て始められて、後一 O O年かか
色彩計画は ﹁変わらない色﹂を基本に
そこから三年かけて﹁東京の色彩﹂という調査を行なっています。丸の内、深川・
オ モ は 完 成 に 悶O O年 か か っ て い ま す 。 ヨ ー ロ ッ パ を 凶 っ て 、 変 わ り つ つ あ る と 感
木場の下町、新宿・渋谷と、東京を幾つかの間介畑山に分けると、彼は地一区ごとの﹁色
の傾向がある﹂とい、つんです。丸の内あたりはピンキッシュなグレ l 、 深 川 ・ 木 場
じ た の は ベ ル リ ン と か パ リ の デ フ ァ ン ス ぐ ら い で 、 二O年 ぐ ら い の 年 月 で は 景 観 は
んに質問ですが、光ほどの﹁大阪の風土色﹂調査はどうやってとったのかなと。何
く さ ん の デi タ を と っ て と い う や り 方 が 通 り や す い で は な い で す か 。 そ こ で 尾 鷲 さ
いうことを言われました。日本人が調査をすると、なるべく科学的に、客観的にた
阪のなかにも、変わらない土的な部分と、新しい表情をもった風的な部分があって、
は、東京と何ら変わらない表情をもっ新しいビルが建ったりしている。おそらく大
が、大級の土者性みたいなものが感じられる。それに対して、大阪駅周辺、臨海部
大阪の調官でも、心斎橋など雨のほうは変化がゆるやかです。看板も多いのです
急激に変化しすぎると不安になるのかもしれません。
それに対して、日本は短サイクルで変わりすぎる。人間の成長よりも環境の方が
少しも変わらない。変わらない環境という器の中で人間は安心できる。
は褐色系、焦げ茶色だと。
その調査については、サンプル数のことでだいぶ噛みついた人たちがいて、﹁木
坊を一 O O粁 測 っ て い る け れ ど も 、 そ の 一 O O粁はどうやって決めたのか﹂とか、
を大阪らしいと決めたのか興味があるのだけれど、逆にそのやり方は面白いと思っ
七と風のはざまで、人聞は毎日どういうファッションや食文化が今様だとか、芸術
﹁サンプルはかなり恋意的にあなたが決めている。あなたのセンスじゃないか﹂と
ているところもあって、ランクロが自分の感覚で日本はこういうものだ、木場はこ
ハ
U
q/
﹄
にいろいろと而臼い物語が描けますが、基本は土的な部分に、計画のポイントは滋
は花を咲かせ突をつける。景観色彩も風太色として解釈していくと、変化のつけ方
や文化がなんだということを繰り返している。自然界では風が種を運んできて植物
見えてしまうんです。それでみんな鮮やかな色を指定してしまって、殺ってみたら
きに、ご﹂こから選んでおいて﹂と置いていく。きれいな色がみんなグレーに汚く
で、どうしても鮮やかなほうに慈かれてしまう。一般の戸建て住宅を塗り替えると
からみて、色の選択が難しいんですね。鮮やかな色がとなりに並んでいたりするの
ってください﹂とか、そういうことも要るのかなと思います。
くする。かなり制限するか、分けておいて、慣れないときは﹁こっちの半分から使
﹁そんなつもりではなかった﹂というのが多い。実際のツi ルを整理して使いやす
んでいるように考えています。
そうかもしれませんね。
いうことですよね。
片 山 結 局 、 大 阪 の ミ ナ ミ は ア フ ォ ー ダ ン ス が 変 わ ら な い か ら 、 色が変わらないと
尾登
それも合めて、いまの景観条例のなかで現取をしっかりと説明して、色彩基準を
良いと思いますが、そういうものを仙設備してなるべく知ってもらう。知ってもらう
つくって、みんなが違和感をもっ色が山山てこないように、ネ-ガティブチェック型で
片山環境色彩の見方とか内家はいろいろわかってきましたが、いいものも除問に
過程で市民参加を促して、なるべく多くの人が実感をもって、﹁そういうことが大
色を選ぶツiルを使いやすくすることから
広がっていかなければ意味がないと思うので、合口問先生のお話の市民参加が一つの
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zzw嘉数援護錦繍欝議離贈を
受けたいと思います。
係、コンサル、学生と、さまざまな方がいらっしゃるようです。会場からも質問を
片山会場におこしの方々は、色の専門家、住宅などをつくっている方、お役所関
かと思います。
そこにお金を払う人たちがふえれば、もっと加速度的に景観は由民くなるのではない
いうことに会いました。色も資産になる、街並みも資絞だという考え方が迎解され、
現実に住宅街で経験した例で、色彩がきれいになったら資産価値が下がらないと
キiだと思いますが、そのあたりについて一一斉ずついただきたいと思います。
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事だ﹂ということを広めていくことが必姿だと思います。
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クステリアカラi ・ サ ン プ ル を つ く り ま し た 。 要 す 二 ⋮ γ 2丸、韓畿験機一三﹁
、叫ぶ町一回制
〆滋緩畿幾綴綴綴変y
る に 、 市 警cれているペイントがデザインに対応し一⋮一一=一一 J;( 鱗欝務剛山内
ていないんです。誰が使つでもそれなりの配色にな一⋮一一一一一麟機麟欝ゆ
官以富市芯欝議議離縁鱗麟髄錨市九
子需品懇話九一
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るように、一・五の明度差一段階で組み合わせできる一ニ一一一鱗麟鱗議離引
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ょうつくられています。また誠査結果を牛ふかして、一⋮⋮⋮, J
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くるのですが、エイジングを考えたときに、ただ色を物に絞せてい
急彩計画は素材を無視しては成り立たない
石 橋 ( 東 京 芸 大 ) 色 彩 と い う 考 え 方 で 街 を み て い く と 、 サl フェ
ラーも、これをある程度参考にしながら選べます。調,撃機撃
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結 構Y R系 の 幅 を ふ や し て い ま す 。 こ う い う も の を 一 ⋮ 一 ⋮ 叫 ん 屡 警 騒 騒 欝 也
まずつくってしまえばいい。色そのものにこだわれ一三;も襲警い
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ばいいのではないか。裂とか援のインテリア・カ一⋮⋮⋮⋮トシ
議機機離れ
イスつまり、物に色を表一回的に絞せてあげるという考え方になって
くだけでは対応できない。素材感までも考えないといけないという
額縁務脇鶴媛務畿謬謡品川刀
料)として捉えることもデザインの議要な役割だと考えて、こういうものをつくる
考え方が生まれてきますが、環境色彩の視点から素材感のところまで踏み込んで考
私は I Dが 専 門 で す か ら 、 色 そ の も の を 商 品 ( 塗 議 欝 鱗 議 出
わ け で す が 、 そ の 使 い 方 、 応 用 の し 方 は 、 建 築 家 と か カ ラl ・コーディネーターの
尾 登 ア フ ォ i ダ ン ス の 視 点 で 考 え る と 、 サl フェイスは決して固定していない。
特 に 光 の 影 響 は 大 き く 、 季 節 ・ 天 候 ・ 時 間 変 化 に よ っ て サi フェイスはテクスチユ
える、﹂とはあるのでしょうか。
片山素材をつくっちゃう、調吸法もつくっちゃう、それ以外やってはいけないと。
アとの相関性を強く表情に表すようになる。色の下地の状態、つまり材質の肌理に
人たちが考えればいい。調理でいえば素材提供ですね。市民参加の方法も、何を素
非常にわかりやすいです。
よって見、ぇ方は異なってくる。
材として提供できるかを具体化していかないと先に進みません。
吉 田 塗 料 屋 さ ん が よ く 使 う の は 日 本 塗 料 工 業 会 の 色 見 本 帳 で す が 、 それは並ぴ方
素材の問題が大きく関係していて、むしろそっちのほうが大きいのかなと思います。
は一対一ぐらい、工場の屋根は二対八ぐらいになる。そういう岡積比の問題とか、
かというと、その景色に馴染まないんですね。屋根・壁の見た目の而積比が背の家
ス)は凶の構造化によって成立する。インターフェイスという一斉葉がありますが、
本当に地域の景観を育てていくためには、さまざまな問題をもっと深く考えていか
色 彩 デ ザ イ ン の 場 合 、 形 態 に し ろ 空 間 に し ろ 、 色 が 被 わ れ る 表 而 ( サl フェイ
つくる。それは、素材と同織のこだわりが必要です。塗料やプラスチック稲に素材
尾貨建築もデザインも、造形は基本的に形態と素材と色彩によって成立します。
なければいけないと思います。
面 の も つ 境 界 性 や 接 続 性 に 配 慮 し な が ら 、 表 情 を 持 つ 、 感 情 を も っ サi フェイスを
と同様のエイジング効果を期待するのは無理ですが、ある程度の時間帥仰を加えなが
います。形態と素材と色彩、そのどれを抜いても造形は成立しないということを私
建築の素材需品視の立場は、大学教育においても色彩をあまり教えない状況を生んで
ら色を選ぶ必要性は、前にも述べたとおり、条件付けられます。
素材色というのは基本的に自由にならない。インテリアの場合でもタイルとかカ
力と同等の神経の使いようで、無限にある色彩をビンポイントしていく姿勢が重要
ンキで塗る計画は、おそらくないといっていいですね。素材のもつエ l ジングの魅
世間出景観条例をつくっているところで、色彩基準をもっているところもふえてき
、
っ
カ
八円がありますが、 そ れ は 一 般 に い き わ た っ て 知 ら れ て い る の で し ょ
垣間同(色彩講師)
景観条例、 地区計画、 建築協定:::色彩基準を守れ
たちはもっと認識すべきです。
ーペットは色数が無限にあるわけではないですから、まずコンセプトが明篠になっ
た時点で、それを満足させてくれる素材色を選んでしまう。素材から入って、徐々
に自由度がおい塗装色、あるいは色がお山になるようなもので細かいシ│ンに対応
ですね。
ましたが、それは大規模な建築物のコントロールが多く、戸建て住宅にまでは及ば
いですね。むしろ素材を合わせていく。私が実際に計画するときにも、ペンキのよ
景観の係がパンフレットを配って、﹁こういう考え方で鮮やかすぎる色は遠慮して
観に対して大きな影響を与えるであろう建築物に関しては、建築確認を下ろす前に
市町村で色彩を規制する条例をつくっている場
吉国私も、日本人にとっては色彩よりも素材のほうが大事ではないかと思ってい
ない。一 000平 米 を 超 え る と か 、 高 さ が 一 五 メ ー ト ル を 超 え る と い う よ う に 、 景
していく。建築とか環岐の色彩計画は素材を無視しては絶対に成立しない。全部ペ
ロッパのように右の壁にきれいな色の建具を対比させるという方法はあまり使わな
て、色表現としての幅は相当狭いのではないかと思ってもいます。日本では、ヨー
うに剥がすと中の素材が出てくるのは少し軽く感じます。部っても中までその色が
川のときには、﹁基府一部は石、上部はタイルとする﹂と書かれています。藤沢の江
コストに関係するので、難しいことがあることはあるけれど、たとえばフア│レ立
吉田もう一つ景観形成地区に指定するという方法があります。それは住民の合意
いわけですね。
垣間そうすると、まだ街並み全体をきれいにしていくというところまではいかな
しれませんけれども、確実にふえていると思います。
てもらうという方法をとっています。それは数からいうとそんなに多くはないかも
ください﹂と。どうしてもというときには、景観審議会にかけて、きちんと説明し
ノ島では、壁は吹き付けタイルではなくリシン掻き落し、屋根はコロニアルとかで
それで、色彩基準のなかにもなるべくそういうことを書き込もうとしています。
入っていて、色が奥からにじみ出てくるようなもののほうに側値観を感じます。
はなく瓦を勧めています。
が必要なので、いまのところは歴史的街並みが優先的に出てきていますが、地域の
ロi ルすることができます。新しくできる一戸建て住宅も全部含めてその色の範囲に
人たちがこういう街が良いと確認して色を決めれば、それを壊さないようにコント
地域の素材が伝統的に決まっているときは、それに腕染ませるというのは書きや
タイルも使えなくて吹き付けタイルというような持代には、素材まで指定すること
地以の指定はなかなか仰ぴないところはあります。
ると考える入、そういうのをかけると資産価値が落ちるから鎌だという人がいて、
おさめていこうということをやっています。ただ、そういうことは私権の侵害にな
すいけれど、新しい計画地で、現在のように予算が落とされて良い素材が使えず、
色を合わせておけばよいというものでもありません。たとえば東広島に御殿造の
はなかなか難しいですね。
妓物で赤瓦の尽恨の家があります。そこで近くにある工場にも赤瓦を載せればいい
かわれるだろうかという話のなかで、それを法的に担保しようと。
いうのが進んできているんです。先ほどの、住民がどういう形でか
新明(新環境建築研究所)最、近、まちづくりのなかで地区計画と
ガティブな形で、いっさい指導もなく、当然罰則規定もない。上越市のようなガイ
ェックなしです。つくば市の場合は、色祁・明度・彩度が決まっている。でも、ネ
現で、現物をみせることもなく確認申請が通る。実際にどういう色になったかはチ
建物はガイドラインにのっとっていても、看板やテントのほうがひどいわけです
ョンのように壊すことになるのか、いきなりペンキで塗り替えられちゃうのか:::。
ドラインができたとき、それに違反したものに対してどうするのか。国立のマンシ
から、条例なりガイドラインをつくっても、その先の問題が非常に大きいと思いま
﹁
周
二O年 ぐ ら い 前 は せ い ぜ い 壁 面 線 の 後 退 と か 建 物 の 高 さ ぐ ら い し か
辺に調和すること﹂と書いてありまして、これは誰がどうやって審査するのだろう
なかったわけですが、最近は色彩もずいぶんあるんです。しかしその内容は、
か。ある町で、その町がもっている色彩を使ってこういう街並みをつくりましょう、
ころが、自立の件で揺らぐかなと閉山っているんですけれども。
確立していくとすると、色彩のことも結構大きいかなと。罰則がなかったというと
吉田確かに景観条例は罰則をもっていないので、やられたら終わりなんですよね。
す。国立のマンションのように、どういう内容かさっぱりわからないまま景観権が
色を決めるときは、単純に色を決めるだけではだめで、量の問題、バランス、関係
がシミュレーションするのですが、きれいかもしれないけれど全然おもしろくない。
性の問題をやらなければいけないのだなと。どこにでも専門家がいるわけではない
いで日本でも住民参加がとても活発になってきて、地域の街並みを自分たちで考え
そういうことがおかしいという住民がふえてこないと守られません。ここ五年ぐら
という色彩のガイドラインをつくった。これをある時他物でやったときに、メーカー
ので、どうやって審査のしかたを考えていったらいいのだろうかということ。質問
て、自己実任をもってきれいにしよう、という雰臨気が出てきつつあると思うので、
させていただきます。
吉田一つは、調査が重要だと思っていて、基本的には、周辺に馴染ませるという
そこに期待したいですね。
ければなりません。文京区であれば、東大のところは結構茶系の色が多いとか、そ
い判決だと思っています。
くり返ったりするかもしれないけれど、景観を議論する可法の場ができて、私はい
裁判に持ち込まれたらわからないですよね。国立の例は、上級審にいくとまたひっ
違反者の氏名を公表するというシステムをもっているところもありますけれど、
ことは、田川辺の傾向を知っていれば、ある程度はできると恩います。周辺の傾向を
う い う デl タ を も っ て い れ ば 、 ネ ガ テ ィ ブ チ ェ ッ ク だ け で は な く て 、 周 囲 に 合 わ せ
尾登いままでは景観をマーケティングしすぎた感があり、その結果、土に足が付
しっかりと調べて、ここの界隈はこういう色になっているということを知っていな
ても継続できるシステムをつくることが大切です。それがあれば、知識がなくても
る 誘 導 が で き る の で 、 調 査 が 大 切 で す 。 そ し て デi タ化しておいて、初一当が代わっ
かないブレファブ環境や、コスメティック環境としか映らない環境が乱造されてし
ま い ま し た 。 フ ァ ー ス ト フl ド で は な い け れ ど 、 フ ァ ー ス ト 景 観 み た い な 、 時 間 の
軸 を 入 れ な い 計 画 が 多 か っ た の で は な い か と い う 気 が し ま す 。 一 O O年とか、二O
O年 と い う ﹁ ス ロ ー な サ イ ク ル ﹂ を 真 剣 に 考 え て も 良 い と 思 い ま す 。 基 本 的 に は 建
もう少し良くするためには、専門家の判断が要ると思います。閉じ色でもこの材
てくれとか、あるいはちょっとこういう色をきかせてくれとか、そういうバランス
高揚によって、形と素材と色がしっかりつながってくる。そういうふうにならない
築家はもっと色彩に気を使うセンスをもつべきです。建築家の色彩に対する認識の
ひどいものは出にくくなり、馴染ませるぐらいのことはできます。
は数値とかパンフレットに書こうとするとものすごく大変なことになる。そこまで
多摩市の場合は、明度・彩度が決められていて、色相は自由です。
定 と 条 例 で 色 彩 の 規 定 が あ る ケl スにぶつかったことがあります。
菊地(ア!キタイプ建築設計事務所)多摩市とつくば市で建築協
そこから先はやっぱり人を育てるしかないと思います。
う。どうもありがとうございました。(文資自編集部)
た と 思 い ま す 。 少 な く と も ﹁ 叩Y Rの彩皮3以下﹂ということを党、えて帰りましょ
ますけどね。きょうはものすごく広がりのある分野で、その一端はみることができ
片山私がセンスがないようにみられているみたい(笑てそういうところはあり
と、景観は少しも良くならないというのが実感です。
費でなくてマットなほうが良いとか、同じように見えても、タイルにはつりを入れ
は書き込めないと思います。馴染ませる大きな方向くらいはなんとかなるけれども、
色名という欄があって、薄茶色とかベージュという非常に緩味な表
E
義登誠一『風の色、ニヒの色を読む一一ウ‘アナキュラーなまちの色彩のありょう」の図版(→本文トl1J
T参J1H
)
写真一 I-b
サンマルコ広場の景観。
写真一 2ー壁面をカラフルに塗ったブラーノの建物。
写真一 I-a イタリア・ベネツィアの f
軒並みを見下ろす。
写真 3
ミラノの運河沿いに残る古い街並み。
写真 4-b
写真 4 a イ-)1
)ア南部、アルベ口ベッ口の街並み c
アルベロベッロの住宅。
写真一 5-a
スペインの荒涼とした風景。
写真一 5 c スベイン・マラガの新しい建物。 写真 5-b スペインの匝?の景観。
写真一 6 1
) ピエラ,毎岸にある素材感をペイントによ
って表現してファサードをつくる街主主み。
写真 7-a
イタリア、リグリア j
毎に臨むチン
クエテッラ。
写 真 9 b アムステルダムの路面電車。
写 真 8 b カラフルなフルハムロードの一角。
写真 1
1
ドイツ・チェレの歴史的な街並み c
写真 1
0
-b ハイデJ
レベルクの街なか。
写真一 1
3
-b
ローテンブルクの街並み。
写 真 12-a b パリの~舗デザイン。
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ホジ C/i!::ング
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「大阪の風土色」
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風土色のイメ
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図 1 b
グランドカラーの概念化
図ー I-a
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図-I-d 変わらない色
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図-I-h
抽出された色のカラーパレッ卜
凶
I-g 蓄積された色(歴史、文化、芸術の色)一一実
図
ト f 呼吸する色(衣食住の生活色)一一一花
吉田懐悟 r
濁係性を整える、 4地域性を大事にする、公共性(市民参加ト一一色彩計箇の三つのキーワード』の図版(→本文 11-23}ll参照)
写真一 1
5 都と公社と公包で行なった南千伎の湾問発。
調和主主で調整。
トーン
写奨 1
4 横浜のポートサイド地区。 M. グレイブスが最初に使っ
.
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ニ色に合わせ、ブルーグリーンとテラコッタをテーマカラーとする。
写
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1
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;-16-a
建築で街並みをつくるということが強〈意識され、設計調整者をお
いて各住棟を計画した幕張ベイタウン。
写真 1
6
-b エマルジョン・ペイントで見本をつくって検討。
総
胸
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削れれンク
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門司港文化センターの外壁改修
符に色彩設整のアドバイザーと
して参加。改修によって街の嵐
去が強化され、地域らしさが増
すことを自指す。
舛俊治符 3場I
~ (
1
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関一 2 門胃港文化センター外受改修の色彩設計。
写葵 17-b 改修後。
横須賀市の市民参加の例。公箇
の遊具の色を子是主義し実際に 分
たちで塗ってみる。携帯電話の
顔文字をペイン卜したり、王晃代
的なものに変身した。
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写真寸チ b
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文字の遊具。
写真一 1
9
-a 滋具に塗った色。
写真一 1
8
-b 花怒。
写Z
喜
一 18-a
l
整備された銭装。
上越市環境色彩
ガイドライン
緑が美しい上越市。自然の景色
が主役で、建物は色彩的には背
景で良い。エイジングとか素材
の美しさを大事にし、それに誇
りをもたなくてはいけない。
写真一20-b 美しいヱイジング。写真 2
0
-a
… 諮 問 よ る 諮
甜宍空きさ三
み 田 M 肝 躍 司 む 謀 略Z
護持"".脚郡部制
問園の景観。
一三塁霊雲三室
台すう:~.弓存立さ?士三[
10YR8
.
0/1.5
図-3-d 色彩の表示法についても解説。
図 3-c 景観形成のための環境色彩基準。
関 3 a、 b
ノ
J
〆 同
君
主
図 3-8
カラーシステム。色棺ごとに基調色としてふさわしい色、限界の色、避けたい色を明示している。
i
富
;
ゐ
瓦霊多喜
色彩調和のニつの法則
しかしながら、長い中設が終わり、都市の近代化、現代化がはじまると、
のはギリシャ、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど(正確を期すなら、
末のウィーンのリングシュトラ│セの建設がいい例だろうが、そこに並んだ
街の姿かたちはくずれる。商欧では、まず様式の混乱がおこった。一九世紀
長年、都市景観を研究してきでたどりついた結論の一つは、日本といわず
すべてに﹁ネオ﹂という接頭誌をつけるべきだが)の諸様式の併存だった。
﹁リング様式﹂と戯称されるが、どう見ても本物ではない。同じ頃、産業革
人類のつくった町が古代に美しかったかどうかはよくわからないが、建材
や様式云々とは無縁の、鉄とガラスとコンクリートから成る近代ビルと化す。
やはり様式的にはさまざまなビル群が立ち並んだ。ほどなく、それらはもは
命を経てビジネスの一大中心地となったロンドンでは、近代化一歩手前の、
もろくに揃わなかったほどの大昔、街並みが整っていたとはちょっと考えに
込んだ。第二次大戦後はとりわけアメリカ仕込みの巨大ビルが増えている。
日本には、明治維新以後、ヨーロッパ諸国の建物が壊を切ったように流れ
側々の建物の様式が確立し、ひいては整然とした街並みが出現したと見るべ
現代のたいていの日本人はいまさらピルを西洋産とは凡ないだろうが、ビル
などに残る山中位の街並みを思い浮かべれば、右のような情景は目の前に訪仰
たとえば、今井、金沢、倉敷、萩、シエナ、へント、ディジョン、ベルン
服に追いやられたのに似て、限られた地点に見本市のごとく残っているにす
故に今でもれっきとした市民権をもっているのに対して、日本では和服が洋
確かなことだ。そして、中世の町は、ヨーロッパでは建物の歴史の連続性の
の出白を問えば、疑いなく商洋産であることは、洋服の西洋産と同じくらい
とするであろう。いや挙例はか、えって誤解を招きそうだ。ほかのどこでもよ
洋の東西を間わず、現代都市を一般的に美しいなどと見る人はまずいない
ぎない。
近かろう。
い、繁栄した当時のすべての街並みは同程度に整っていたという方が事実に
たものとして削切れたにちがいない。
きであろう。そのとき町は、色彩的に兄ても、十分に秩序のある配色をもっ
くい。中世になって、屋根工法が発達し、石や木の使い方が垢抜けてくると、
もしれない。だが、この主張そのものの理解者はきっと少なくないと思う。
のような場では、何の役にも立たない後ろ向きの空念仏だと受け取られるか
単純な言いようだと忠われるかもしれない。これからの住まいを考える本誌
ヨーロッパといわず、中枇の町は美しいということである。これはあまりに
る 得9
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中 」
悶
土
士
中世の街並みは美しい
雄
3
並f
z
みi
正
世憲主義
乾
であろう。現代の街並みのひどさは、都市の美的統一原理の欠如、性格不明
の建材の過剰、ビルの大き過ぎ、広告や看板の多すぎ、などによって説明さ
れるだろうが、これらのどの要因にもかかわっているのが色彩の混乱である。
色彩の混乱は昨日も今日も刻々とすすんでいる。混乱が少なくなる可能性は
永劫、美しい町など二度と持ち得ないのかもしれない。
似た配色が集中して見える関柄は調和である
中世の街並みから抽出できる色彩調和の法則的は何かと考えてみると、﹁似
ライン川上流のスイスの小さな町、シュタインアムラインの中心部の家並み。各戸のファ
サードはさまぶまな壁画で覆われていて、統ーがあるようには見えないが、顔料の制約の
せいで、全体にソースをかけたような茶色一色の印象がある。
た配色が集中して見える図柄は調和に属する﹂という法則が立てられる。
写真一 2 一色の印象を与える図柄は謁和である
少ない。
ハーフティンバードハウスが揃っているドイツ中部の小さな町、ハンミュンデンの中心広
場の景観。
もしかしたら人類は中世にしか美しい町を持ち得なかったし、今後も未来
写真一 1 似た酎色が集中して見える図柄は調和である
ペ
nd
n
H
u
茶の瓦のときは木骨と色相が類似、そのような住宅がたくさん並ぶのは規則
白壁と木骨との明度が対比、屋根が銀ねず瓦のときは白壁と色相が類似、赤
れに当てはまる。これらが何故調和なのかを既存の色彩調和論で説明すれば、
日本の真壁造やヨーロッパのハ l フティンパ iドハウスの並ぶ街並みはこ
漆喰塗り壁などの色彩は自ずときまるが、木部については、さらに﹁生地仕
色調とし、果、白、灰および茶系統を基調とする﹂とある。屋根や庇の瓦、
などを定めているが、色彩に関しては﹁城下町にふさわしい落ち着きのある
くりかえた。条例では、建物の高さ、建物の街路からの後退距離、修景基準
一戸一一戸の持ち主の協力を得て、通りの両側を江戸時代そっくりの家並みにつ
上げ・灰墨入り紅柄仕上げまたはそれに類する色﹂と細かい。塀の木部の場
性、などから調和だといえるが、そう改まって説明するまでもない。
自然界では、動植鉱物とも、地域によって似たものが集中している。人間
ートルの区間に約九O軒のよく似た配色の門家々が並んで快い。ただ難をいえ
完成後、この通りは﹁夢京橋キヤツスルロ lド﹂と名づけられ、一二五0 メ
という表現も出てくる。
白人の髪の色も、かつては棲み分けができていたはずである。晴乳類でも昆
ば、これは江戸時代の町家の保存でも修復でもない。現代に昔の町家を新築
L
虫でも、これらは今も、問種のものが一地域に集まっている。植物は、今は
する矛盾、車道と歩道が区別され並木が植えられるほどの広い街路に、もと
合には﹁古色仕上げ
かなり人間の子が入ったが、かつては開じ樹種が集まって森をつくり、問じ
では、かつては黄色人種、白色人種、黒色人種がきれいに楼み分けていた。
花が一つところに咲き乱れていた。相似た配色対象が集まっているのが本来
もとは狭い街路向きの日本家屋が建つ矛眉などには、多少の異論が出ても仕
同一色の大壁造の家が並ぶ西洋風の街並みは、一色の印象を与える。それ
一色の印象を与える図柄は調和である
方がないだろう。
の自然であり、人工物はそのあり方を模倣するのがもっとも自然なのだ。
ハーフティンパ lド ハ ウ ス が た く さ ん 揃 っ て い る こ と で 知 ら れ る ド イ ツ 中
i) は 、 右 の 法 則 ど お り
部 の 小 さ な 町 、 ハ ン ミ ュ ン デ ン の 中 心 広 場 ( 写 真i
に出来上がっている。ていねいに見ると、個々の建物は、似てはいても、正
ンといい、それぞれが好き勝手だ。しかし、少しずつちがうのが自然なので
はファサードが石であろうと漆喰であろうとちがわない。日本家屋ではそう
確に同じではない。屋根の形といい、軒の高さといい、ファサiドのデザイ
あって、精密に計算したように揃つてはかえっていけない。そして、各部の
いう例は少ないが、明治時代の日本橋や川越で流行った黒瓦黒壁土蔵造の建
物は、回一一ご色の印象を与える。今一つの色彩調和の法出として、﹁一色の印
色彩は自然に多い暖色か無彩色から成る。
ハi フティンパ iドハウスで有名な観光都市には、ストラスプール、チェ
ュンデンやシュヴェ i ビ ッ シ ュ ハ ル が お す す め だ 。 コ ル マ ル の よ う に 、 本 米
グレイなどの無彩色になる配色は調和であるとしている。しかし、われわれ
ある派の色彩調和論では、関柄内のすべての色を混色したとき、白、黒、
象を与える国柄は調和に属する﹂という法則を立てなくてはならない。
白色だったと考えられる漆喰を、中彩度のピンク、黄、は称、青などで色彩化
の経験によれば、混色の結果は必ずしも無彩色にならなくてもよい、黄色で
スタl、ロ!テンブルクなどがあるが、調査のためなら、より小さいハンミ
したものは、歪曲した保存の例に数えられる。
の城下町彦根の中心部がそうなっている。彦根には、築城時から京に通じる
が祭く見える。もしそれが紅葉時の初雪だったら、黄葉や紅葉も混ざって見
雪景色のきれいさはそれであろう。雪の白のなかには、木の幹や枝や小道
も茶色でも何か一色の印象を与えれば調和を感じさせるといってよい。
幅員六メ iトルの京橋通りがあるが、近年は交通渋滞がひどかった。そこで
える。しかし、印象としては白一色である。ちょうどモンドリアンの抽象絵
現代の街並みでも、似た配色を集中させることは可能である。琵琶湖沿い
市は通りを一挙に三倍の幅員一八メートルにまで拡幅整備するとともに、
画の配色だ。あるいは、緑の木々のきれいさ。前景に椋の庭園、背景に緑の
ールのなかではあまりに小さいのだ。
この通りは歩いてもあっという向に通りすぎてしまうほど短い。東京のスケ
中世の向から二つの色彩調和の法則を抽出したが、このような技法は、意
中世の模倣の可能性
林があって、山中央の⋮軒の別荘にも緑の蔦が這っている。印象は緑一色。ク
リムトの﹁アッタ│湖畔の別荘﹂の色使いを思い出す。これらは、自然に存
在する色彩現象にほかならない。
の 一 並 ぴ の 家 々 ( 写 真 [ 2 ) の 場 合 が お も し ろ い 。 各 戸 の フ ァ サl ド は さ ま
識してか無意識でかは別にして、もっと大規模な開発のなかでも使われてい
ライン川上流に沿ったスイスの小さな町、シュタインアムラインの中心部
ざまな壁画で襲われていて、そこに統一いがあるとはとても見えない。色相も
る。一七世紀のロンドン大火以来の、ロンドンで最大の大開発といわれるド
建築が少なからず保存されているので、一大悶際金融センターを担う摩天楼
さ ま ざ ま だ 。 け れ ど も 顔 料 の 制 約 の せ い で 、 全 体 に ソi ス を か け た よ う な 茶
アルプス周辺の町や村には、よくこんな壁画だらけの通りがある。もちろ
やオフィスやアパートなど大量の新建築群も、それら過去の建築遺産を無視
ックランズには、中世とはいかないが、その流れを汲んだ近世の、由緒ある
ん無地のファサードのつづく街路もあり、そこでは一色の印象はもっと強い。
できない。
色一色の印象がある。
石 造 の 街 路 で は ベ ル ン の 砂 岩 の 茶 、 ヌl シ ャ テ ル の 石 灰 岩 の 賞 、 ク レ ル モ ン
このかた、
その際、 一新旧建物のコントラストを鮮明に効かすのは、ポストモダン時代
して見えることや、一色の印象を与えることなどの法則の実例も、槌所に発
フェランの花崩岩の田市などが有名だが、漆喰の街並みではパ l ゼルの臼が厳
てから色彩化がすすんだ。同じ色彩化でも、パステルカラーに限定され、色
重に保存されている例である。アルプス山中の白い漆喰壁は一一O 世紀になっ
見される。紙数がないので具体的に述べる余裕はないが、なかにはこれはと
一つの技法としてだれでも知るようになったが、似た配色が集中
相だけが変化するザルツブルクは感じがよいが、彩度の高い色を頻用するイ
忠われる好例もある。おそらくは古い建物が残っていることがヒントになっ
同じようでも、ドックランズでなく東京湾岸の開発だと、色彩設計のより
て、新建築のデザインにもよい影響が現れた結果のようだ。
ルサイドテラスを問む統一的なまちづくりは成功している。みんなで八つほ
どころとなる過去の遺産が皆無なので、色彩をコンピュータ画面で探すかの
一色の印象を与える現代の街並みは案外数があるが、なかでも代官山のヒ
ンスブルックやその近くの田舎町となると、色彩のあばれがわずらわしい。
バ
ように自由に選ぶことができる。制約がなくなるかわりに過去とのつながり
どあるヒルサイドテラスの建物群は、一人の建築家、横文彦が、大地主の一叫 H
した委嘱により、約三十年にわたって、一つまた一つと設計してきた。フア
もない、 相変わらず日本らしい開発がすすんでいる。
東京工業大学名誉教授、武蔵工業大学教授。
一九五八年、米京大九千工学部建築学科卒業、
六一一一年、附大学院博士課税修了。七一二年度日
本建築示会賞、七八年度照明学会伎を受賞。
主な著書に、[建築の色彩設計﹂(脱向山山版
会)、吋照明と視環境﹄(理工図書)、つやわらか
い環境論﹂(海鳩社)などがある。
乾正維/いぬい・まきお
サlド に は 、 打 ち 放 し コ ン ク リ ー ト あ り 塗 装 面 あ り 、 タ イ ル あ り パ ネ ル あ り
でさまざまだし、建築のスタイルもわずかずつ異なる。しかし、大きく見れ
ばよく似た建築たちだ。とくに、すべての建物の基調を臼みのグレイ(厳密
にいえばわずかに貰みのあるグレイ)で通したのが効いている。
この一角を眺めれば、どんなにデザインに鈍感な素人でも、一つの色彩が
地域のまとまりに役立つことを感じるだろう。ここでは臼みのグレイは、歩
道のタイルや近隣の建物にも及び、一色の印象は強化される。惜しいことに、
@まちの
特 集 ⑧ 住 ま い と ま ち づ く りlli環境色彩の視点
むらの
冊目
子
農村環境の
組みが進められています。農村に住む人ぴとが望ましいと考える景観は、都
いずれも農村景観の背景、つまり﹁地﹂となる色調・基調色となっています。
しかし、農村はいくつかの問題も抱えています。先に挙げた都市生活者と
この基調色を背景にして人びとの生活環境が﹁図﹂となり、基調色との調和
ミュニティづくりを強く打ち出しています。たとえば都市生活者が畑仕事を
の交流に伴う問題以外にも、自然景観はこれまでの土地改良事業の結果、生
市生活者にとっても記憶のなかの原風景であり、保全されるべきだと望む人
楽しむ週末住宅・クラインガルテンの計画も各地で進んでおり、市民に開か
態系に大きな影響を受けることになりました。深刻さの度合いが増している
山林や田畑の紘を背景にしてレモンイエローやブルi の壁をもっ住宅が都市
行なわれ、農村にさまざまな職業の人びとが参入してくる時代になりました。
また、平地の農村のみならず、山林に閉まれた山間村に住宅団地の造成が
﹁図﹂となる景観構成要素にもさまざまな変化が現れています。農村部の
変化による休耕地の出現とその荒れ方が景観の視覚的ノイズとなっています。
有の美しい色調を乱しています。ニ次自然の景観においても、農業の構造的
生態系の破壊は、自然景観がもっ地形、気候風土の特質がっくりだす地域国
生活のスタイルを持ち込み、農村に活気をもたらす効果を生み出しています
ングセンター建設や商業施設の進出に伴う商業サイン(看板類)の掲出等は、
市街地化は大量生産の建材使用の建物群を出現させています。大型ショッピ
なかで圧倒的な面積を占める空の青、変幻自在に動く白からグレ l の微妙な
農村における﹁見える環境・景観﹂のなかでの色彩の特質は、まず景観の
います。そのうえ、都市部からはみ出してきた倉庫群や資材置き場といった
ンの色彩、建物の色彩によって均質化してしまう、といったことが起こって
濃く残す素材を使用した集落の色彩の間辺が、全国間一を目指した商業サイ
農村景観に都市景観の問題を持ち込んでいます。たとえば、本米地域性を色
色調を見せる雲の群れ、さまざまな緑色の集積としての樹木の連なりの山々、
る農村景観との共生をどのように見出してゆくのかが問われでもいます。
が、一方で、人と自然が躍史的に調和して形成されてきた、自然を基調とす
が見られます。
れた農地という方針のもとに、農村と都市の交流の実現に向けて活発な勤き
をつくりだすことで﹁美しい農村景観﹂が生まれます。
人の子が入った山林や回畑のように生産に関わる︹二次自然︺に区分され、
自然景観にあります。これらの自然景観は、人の予が入らない(自然]と、
波打つ稲穂や四季の変化を伴いながら鮮やかな色彩を見せている農作物等の
彩
は多いのではないでしょうか。現在、農村では多様な人びとに支えられたコ
近年、﹁美しい農村景観﹂に対する関心が高まり、各地でさまざまな取り
農村の問題は都市の問題そのもの
敦
観の地域性の喪失は、季節を実感させてくれ、豊かな色彩やかたちを見せて
景観を損ねる業種の進出も、農村景観の問題を深刻なものにしています。景
まず現状を把握する調査の方法
法開発について述べてみることにします(図!)。
設のコントロール手法の開発も並行して進めてきました。そこでまずこの手
感測色と写真測色を行ないます。本研究では環境色彩調査によって出てきた
しました。環境色彩調査は地域の基調色を明確にすることが目的であり、視
現状を把握する調査は、環境色彩調査と住民意識調査の二つの調査を柱と
くれる祭りや風習に関わる種々の装置群が急速に姿を消していることからも
うかがえます。
農村環境における色彩コントロールのあり方
トの開発をしました(図12←必頁、カラ l図版参照)。視感測色によって得ら
結果を入力することで、色彩分布を定量的に把握することができる専用ソフ
このような現況にある農村景
れ た ( 視 感 測 色 カ ラi パレット︺では全体のトータル、遠景、中近景、自然・
3)。 基 本 方 針 づ く り に つ い て
自然をそのまま生かしたい、無機化(都市型)の方向で都市化したい、
どのような方向を意図しているのかを読み取り、有機化(自然型)の方向で
はマトリックスを作成しました(図1
4)。 縦 軸 は 住 民 意 識 調 査 か ら 、 住 民 が
定し、色彩コントロール作業を進めます(図
環 境 色 彩 調 査 に よ る 現 状 把 握 と 、 住 民 意 識 調 査 の デl タから基本方針を決
建物の色彩をコントロールする手法へ
ます。
来、それぞれ言語イメージ、色彩イメ i ジ、概念イメ i ジの三種にて調査し
性を把握するための作業です。住民の居住地に対するイメージを、現在と将
次に住民意識調査ですが、景観形成を行なう上で住民の景観に対する志向
て、地域住民に活用してもらうことにしました。
して作成し、これまで専門家が使用してきた色菓より簡便に使える色累とし
る色の頻度や分布を検証し、二五O色前後の色票を農村環境色彩専用色栗と
農 村 環 境 色 彩 の 典 型 モ デ ル 作 成 で 収 集 さ れ た デi タから、農村環境に出現す
現状を詳細なデiタで検討することができます。また、研究の自的であった
示され色彩の両積対比が把握できる等、務々の機能を持ち、調査対象地域の
観の整備に向けて、平成一 O年
調色に対して色彩決定すべき施
色そのものの形成ではなく、基
色彩の固有の問題として、基調
立案の子法とともに、農村環境
できる現状調査手法、基本方針
感され、これらの人ぴとが実施
が関わることが大切であると実
あろう地域住民や、自治体職員
ザイン等に関わりの薄かったで
からの景観整備には、景観やデ
たが、その調査過程から、これ
ルを見出す調査が主な目的でし
国の農村環境の色彩の典型モデ
行ないました。この研究はわが
ントロールのあり方﹂の研究を
て、﹁農村環境における色彩コ
二次自然、人工といった項呂別に集計が可能であり、地域の風景の特性や、
i
民十
から一ニ年にかけて多摩美術大
調査地点の写真描影
調査
どのような色彩の集積からできているのかを表示してくれます。対して写真
まちの特性調べ
学環境色彩研究会は佃農村環境
用具準備
準備
の画面を入力すると写真をモザイク化した(写真測色カラl パレット︺が表
環境色彩調査のプロセス
整備センターからの委託を受け
l 農村環境の色彩計画ーます現況を把握する作業フローチャート
図
彩
=
d
呈ロ
'Ttrr
杉一
w
tD
異質化
(対比裂)
祭機化
(都市製)
に対して他と区別して目立たせたい、に二分し、その度合いを計ります。
色彩コントロールの作業は、まず景観構成要素の特性を確認するとともに、
景観のなかで、景観構成要素相互の造形的な関係を捉えておかなければなり
ません。コントロールは色彩相互の関係による調和を見出すことが多いから
です。そこで、広大な三次元の農村景観を﹁地﹂と﹁図﹂の二次元に量き換
えることで、相互的関係を容易に見出すことを試みました(殴 │5)0 ﹁もの
(景観形成要素)﹂は、色相(色味の遠いで赤とか脊とかの違い)、彩度(鮮
やかさの相違とその度合い)、明度(明るさの違いとその度合い)の相違に
よって周聞から区分されて、問辺の色彩を﹁地﹂として、﹁図﹂と﹁地﹂の
境界(線)は﹁図﹂の輪郭(線)となることで形態の特性が浮かび上がると
いうことです。このとき﹁図﹂はものとして実在的に知覚され、﹁地﹂は等
質の素材を感じる漠然とした性質をもって知覚されます。この見え方の特質
を利用して、具体的なコントロール対象(施設・装置)を﹁図﹂として﹁地﹂
5のレイヤー図は、道路際に立つ人が遠くまで眺望できる視点
との関係のなかで捉えます。
なお、図
場を想定した想像図であり、このような図をつくるときは、景観はそれを見
ている人との関係によって摘んでおきます。
景観構成要素がもっそれぞれの色彩の相互的関係を把握し終ったら、調和
について考えてみます。景観の調和というとき、景観形成要素である自然景
観や人ぴとの生活を反映する施設群の成り立ち(賂史)や機能・意味が互い
に影響し合い、釣り合い(調和)がとられなければならないのが環境全体の
目標であることは当然ですが、ここではもちろん色彩の調和のみ考えます。
二色以上の配色によって得られる誠和には、明るきゃ色味、鮮やかさを統一
するといった配色の組み合わせをつくりだす類似型調和と、対立的(対照的)
図 5 景観構成要素を r
地」と r図J の二次元に醤き換え、対象物
の栂対関係をとらえる
の効果は感じられなくなってしまい
主張して統一感は損なわれ、類似型
ると、各色相が個々に自身の色味を
の度合いが高い色(高彩度)が集ま
然が活き活きと見えます。鮮やかさ
の色彩はこれより低彩度にすると自
繰で彩度8ですから、﹁函﹂の人工物
樹では概ね彩度3程度、高彩度の新
木の葉の彩度は6以下であり、常緑
つことが大切です。基調色である樹
のは明度と同じですが彩度は低く保
の統一の場合、色味が種々使われる
紘等々)の明度を統一します。彩度
な色味(色相といい、赤や青・黄・
明るさの統一であれば、さまざま
っている場合があります。
な色の組み合わせによって得られる対立的調和があります。色を組み合わせ
4ト
種
参
重
量
色ト
一
一
回ヤ
色ロ
のフ
ZE
境業
環作
村る
農た
、
高
義
重
量
図決図シ徽
有機化
(自然裂)
る時、たとえば青系の色を使うなら、淡い青(高明度)から鮮やかな青(高
3に
色彩計画の方針のチェック
分し、その度合いを計ります。横軸は環境色彩調査と住民意識調資から色彩
色彩決定
(近似型調和)です。美しい景観をもっ集落の居根や壁の色がこの効果を持
一定一一剛糊
ν
-
シE ン図作成
ンミュレ
彩度)、暗い脊(低明度)で統一する方法等々が、色味を揃える類叡型調和
色彩コント口ールの樟討
計画の方針を探り、同化(類似型)の方向で風景の基調色に対して違和感な
回J
の隠慌で捉える
景観を「地jとf
く同調させたい、異質化(対比型・ランドマ lク型)の方向で風景の基調色
色彩コント口…ル対象物の
特性を確認する
ます。
和の美しさとしては、日本の美しい景観の一つであるなまこ壁の民家の集落
対比)でもつくり出せます。これを対比型調和といいます。明度の対比型調
鈍い色の組み合わせ(彩度対比)、赤系と脊系の色の組み合わせ等々(色相
な配急である明るい色と暗い色の組み合わせ(明暗対比)や、鮮やかな色と
さ(彩度)、色味が似ている(色相)﹀を配色することだけではなく、対立的
れた黄色味と青味が互いに作用して、特に面積対比の小さい施設はこの現象
いう現象)という厄介な現象を引き起こし、﹁地﹂と﹁図﹂双方の緑に含ま
互いの見え方に作用し、互いに相手の色の特性の反対側に引かれて見えると
青昧の強い緑 (GB系 ) を 選 択 す る と 、 同 時 対 比 現 象 ( 二 色 の 色 は そ れ ぞ れ
暗い色を選択すると、類似型調和として美しい調和が得られやすいのですが、
い縁が選択されている地域が多く見られます。黄色味が少し強い緑で明度が
合わせて﹁緑系﹂を選択する例が多く、それも無数の縁のなかから青昧の強
物やストリートファニチュアの色彩を類似型調和を目指して﹁地﹂の繰群に
が挙げられます。また景観のなかには、周辺の色彩から﹁かたち﹂がより浮
の影響を受けやすく、結は黄色味の反対に向かい、実際の色より青味を強く
色の調和は、単に似たような色︿明るさが近い(明度)、同じような鮮やか
が求められる施設・装置(ガードレール、標識等)があります。その施設・
かび上がる効果(誘目性)を求められたり、遠くから見えること(視認性)
としても暖昧な効果となり、対比型としても明確な効果を挙げることができ
感じてしまいます。青が強調された緑と黄色味の強い緑の配色は類似型調和
ったもので彩度、明度が低い色が、落ち着いたなかに明確な差異を感じさせ
なくなります。対比型調和を目指す時には、暖色系の色を選び、黄色味が入
装置の機能を充分果たすための配色が求められる場合には、対比型誠和は大
きな力を発揮します。
類似型調和は景観のなかの色彩が互いに融合する関係となり、誌やかな色
る調和を見せてくれるようです。
*
調の景観形成ができますが、注意して類似の色を選択しないと、ぼんやりと
した印象(イメージ)の環境色彩形成となります。基調色が圧倒的な面積を
以上、本稿では誌面の関係で概略を述べさせていただきましたが、我々の
いますのでご覧いただければ幸いです。
村環境の色彩前日間﹄
mM
(共夜、州問淡村深山崎護備センター)などがある。
﹁むらの色まちの色・
検討委員なとを務めているほか、神奈川県、
税局然、川崎市、千菜市などの都市景観や屋
外広告の務談会委員を務めている。主な著者
につ企業空間のサイン﹄(共法官、六熔社)、司パ
ブリックデザイン本山肌(﹄(共者、山版業。調資会)、
鐙術センター中央委円以、同州民村景観慾備技術
多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン
学科教佼(環筑グラフイソクス専攻)。
多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。日本
広告学会評議長、日本デザイン学会攻一午、日
本サインデザイン協会常任月一挙、州問問比村環境
即日敦子/たぐち・あっこ
まちの色・農村環境の色彩計画﹄(社出法人農村環境怒備センター)を発行して
研究内容の普及を自的として、専用ソフトと専用色栗を添付した﹃むらの色
占める農村では、コントロール対象物の色彩によっては、基調色にのみ込ま
れて印象の薄い環境色彩をつくってしまいます。
対して対比型調和は、活き活きとした活気が感じられ、施設の色彩決定に
対比型調和を目指すとその施設は地域のランドマ lクとしての効果をつくり
出します。ただし、注意しないと対比型の調和は環境色彩としてケパケパし
い景観形成となってしまい、視覚的なノイズにすらなってしまうことがあり
ます。また、対比型調和の場合、荷積対比に慎重にならなければなりません。
最後に調査中に気になった色相の調和について取り上げてみます。わが国
の基調色の緑は生態系の特性によってほぽ全国的に黄色味を帯ぴた縁(マン
セル記号・ Y G系 ) の 濃 淡 ( 明 度 ) の 度 合 と 彩 度 の 相 違 、 色 味 の 相 違 を 集 積
した色調です。したがって、コントロールすべき施設の色彩決定は背景に融
合させる類似型調和にしろ、対比型調和にしろ、黄色味が含まれた色彩の選
択が効果的な調和の一っと解ってきました。ところが、橋のような大型建造
、
九,
.
.
/
1
特集@住まいとまちづくり111
環境色彩の視点
すまいのテクノロジー
千々岩
帯主;
らしい。だから何でも興奮を要する部屋即ち音楽
リアの色彩調節を行ない、作業性を高めたり、生
暖色と寒色とを使い分けることによってインテ
一戸ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇
静を要する所は青に近い色で飾り付けをする。と
てる。また寝室とか休息室とか、すべて精神の安
室とか書斎とか一五ふものは、なるべく赤く塗り立
活を快適なものにするという試みは、相当古くか
病院では、操病患者の治療室は青色に塗られてい
同じ頃、斎藤茂吉の日本で最初の本格的脳神経
心の満足と見える。﹂
)O
た、と息子の茂太さんは﹃精神科医三代﹄(山中公新
しかし、色彩によって環境を調節し、有形無形
品昔、一九七一年)の中で書いている。
ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調
の効果を上げようとする試みが広く行なわれるよ
の発現は
この二色に外ならんと一五ふ点に存する
を青色と赤色に分って装飾していると云ふ話を忠
﹁:::ダヌンチオと一五ふ人が、自分の家の部屋
朝日新聞に述載
ら﹄の中で、次のように書いている(明治則ニ年、
ら行なわれていたらしく、夏目激石は吋それか
日本における色彩調節運動の沿革
英
まとまり度、明るさ度、鮮やかさ度、調和度、なじみ度の五つで評価すると
うになったのは、戦後である。そして今では、
れは当然のことと忠われるようになった。
ル色空間の同一色相函で直線上の色を選ぶと得ら
明るい色を使、っ。凶調和的組み合わせは、マンセ
縁、青、買および灰色が一般的で、彩度の低い、
な け れ ば な ら な い 。 天 井 に は 八O %以 上 の 臼 を 用
いる。壁は最低五O%、 床 と 家 具 、 機 械 は 最 低 三
ω彩度は四を越してはならない。ω色相は
O%。
夫妻は次のように述べている。山反射率は高く
たとされる。
i ン・スベンサi夫妻も、 これに積極的に協力し
といった人びとであった。 色彩調和論で有名なム
表する色彩学者、アボット、ピレン、 チェスキン
と啓蒙活動を行なったのは、当時のアメリカを代
のは工場や病院、学校などである。理論的裏付け
ットを作って普及に力を入れた。それを採用した
塗料会社は色彩調節用の塗料を供給し、パンフレ
会社であった。デユポン社やアルコ社など大手の
カで始まった。これを提鴎し推進したのは、塗料
色 彩 調 節 運 動 は 、 一 九 四0年 代 の 初 め 、 ア メ リ
くはない。
一般の人のこの問題に対する意識はまだ決して高
の当たりにすれば変わるかもしれないけれども、
観が良くなり、住宅の資産価値が上がることを目
い。色彩を計画的に使用することによって街の景
るみの迷動として展開されるまでには至っていな
に色彩調節が施されていても、街ぐるみ、社会ぐ
とはいえ、個人や公共の建物の内部はそれなり
日
、
「担
学者の本の紹介以外に、岩波書底から稲村耕雄の
究所内に設けられた色彩管理委員会は、一一一年開の
に工場の建設に生かされた。大阪府立産業能率研
この色彩調節の理念と技術は、戦後の日本の主
の方面の発展のための貴重な礎石となるものと確
に適したことであり、この書はわが国におけるこ
問われることになった。このことはまことに時宜
れ、このたび基礎的な研究を一書にまとめ、サ一に
員会を設けて色彩管理について着々研究が進めら
には時間がかかった。また、これを採用すること
人為的に色彩を調節するというこの運動が拡がる
異なり、援や柱に塗料を塗る習慣がなかったから、
根付いていったと見られるが、日本はアメリカと
こうして、色彩調節運動は日本の社会に次第に
大阪府立産業能率研究所では、つとに特別な委
研究の成果をまとめ、昭和二九年三月に﹃色彩管
信し、立派な指針として大方に推薦する次第であ
れる。
理ハンドブック﹄(鮒大阪能率協会)を出版してい
﹃色彩論﹄が出版されている?。
る。工業技術院長・駒形作次の序文は、次のよう
による効果や調節技術などが十分分かっていなか
は関西ペイントの広瀬誠て児島修このほかに、
コンピュータを利用したインテリア
ったことも、普及が遅れた理由である。
る
。
﹂
佐川箆らの方法(東芝 fえれきてる J
.6
6号・ 1
9
9
7年、より)
である。
な色彩をほどこすことによって、作業の能率を高
大学の山崎勝弘、電気試験所の岡田喜義など、二
この委員会の事業部会長は大橋伸光で、委員に
め災害の防止を図ろうとする、いわゆるカラi ダ
二名もの名前が載っている。
市 制 即 位 臥
O
によると、快適な空間であるか否かは、明るさ感
シミュレーション画像を使って行なった実験結果
鹿 島 建 設 の 輔 田 茂 や 中 村 洋 一 が 病 院 内 の カ ラi
きた。
究が盛んに行なわれ、だいたいのことが分かって
一九六O年頃からオスグットのS D法を使った研
インテリアの色彩調節の心理的効果については、
というのも、暗くて変だ。
合わせられるはずがない。床は反射率三O%以上
色は茶色系が一般的である。それと縁や青を組み
B本の住宅は主に木質系建材でできているから、
宅にも適用できるかどうかは大いに疑問がある
もだいたい当てはまると考えられるが、日本の住
における色彩調節上の留意事項は、日本の工場に
ムi ンとスペンサi夫 妻 が い う ア メ リ カ の 工 場
の色彩診断に関する最近の研究
2
﹁工場施設および工場内の機械設備などに適当
イナミックス、カラi コンディショニングはアメ
また、一故人向けにはこの頃、 アメリカの色彩
1
リカにおいて発達し、多大な効果を上げているが、
わが国でも進歩的な工場、鉱山などで、すでに一
部取り入れているところもある。しかし色彩に対
色J!!分布図
彩度分布自
する反応は作業員の体質、生活条件はもとより作
一一
塁γゾ色 1~
業現場の環境条件によって異なるので、外国で良
い効果を上げたからといって、その方式をそのま
まわが国に取り入れても十分な効果が期待できる
ものではない。しかもこの問題についてのわが国
における研究はまだ日が浅く、はっきりした指導
書というものはなく、取り入れ方によってはかえ
って好ましくない事態をひきおこすことが懸念さ
通商産業省においてもこの問題を重視し検討を
れる。
始め、今回その最初の続格として、グ安全色彩使
用通則。を制定した。しかし今後研究すべき問題
が多く残されていると思われる。
一位一
一 ,一
Ple¥軍特
と暖かさ感、すっきり感、豊かさ感、広さ感の五
の画像を雑誌その他から蒐集分析した色彩統計や
つれ、その補助的役割を和一うことができるように
そして、別に行なった各種色彩画像の評価実験
なるかもしれない。
一一つは色彩と直接関係し、残りは物の配置や材質、
結果により予め。分かっている、この五つの要因の
こうして求められたインテリアの色彩環境とは、
千々山石英彰/ちぢいわ・ひであき
武蔵野美術大学造形学部教授、色彩心理学。
東京都立大学大学院博士課程修了。日本色彩
研究所長を経て現職。 NEDOの平成七年度
最先端分野研究開発﹁色彩に対する官能値の
国際的データベース構築とそれを生活環境の
色彩設計に反映させるシステム間開発研究﹂に
従事。著書に、﹃色彩学概説﹄(京大出版会)、
﹃図解・世界の色彩感情事典﹄(河出書一一房新
社)がある。日本デザイン学会評議員、日本
色彩学会、日本心理学会に所属。
建材見本を測色した統計に照らして決まる。
面積などが関係する。結局、明るい暖色系の色彩
重回帰係数を参考に当面する画像の総合評価値を
住宅居間の色彩の快適度を主な使用色の数と鮮や
一一言でいえば、色のまとまりがあり(色数が少な
これは、突き詰めると、色みのない部屋が最も
側東芝。
チェックする﹂(﹃えれきてる﹄第ω号
、m
l幻頁所収)、
7 千々岩英彰﹁なじみ度、鮮やかさ、明るさ、調和度で
mlm頁所収﹀。
ムの研究開発﹂(﹃カラl フォiラム JAPAN
切論文集﹄、
6 千々岩英彰﹁色彩設計のための色彩快適性評価システ
ni
5 佐川賢﹁色の数と鮮やかさで快適度を採点する﹂(﹃、ぇ
れきてる﹄第川町号、
お頁所収)、納東芝。
lm頁所収)。
験的検討﹂(﹃照明学会誌﹄尚乃、 m
4 佐川賢、清水笠﹁色彩環境の祝党的快適性に関する実
mlm頁所収)、例日本科学技術連盟、一九八三年。
象として﹂(﹃第日凶官能検査シンポジウム発表報文集ぺ
3 中村洋一﹁病室の快適性についての評価││視覚的印
m支所収)、倒日本科
査シンポジウム発表報文集﹄、問i
学技術連盟、一九八一年。
2 縞岡茂﹁病院の外来待令室の快適性﹂(﹃第ロ回官能検
l 稲村耕雄司色彩論﹄岩波新書、一九六O年
。
︿参考文献 v
つの因子で説明できるという。このうち、最初の
を 使 う と い い こ と に な る1、30
かさの程度の二つから予測するか色彩環境コンブ
く)、人びとになじまれてきたポピュラーな色が
版参照)。
瞬 時 に 割 り 出 す ( 図i2← H真
U 、カラ l図
ォi ト メ ー タ ー 。 を 開 発 す る 研 究 を 行 な っ て い る 。
使われた、比較的おとなしい色を使った環境とい
一方、生命工学工業技術研究所の佐川賢らは、
これは、インテリアの視覚的印象は、用いられ
すにつれ悪化することに着目した研究開発である。
快適であるということになりかねず、非現実的で
う こ と に な る ( 図13←札頁、カラ i図版参照)。
インテリアの色彩画像を処理して色数と鮮やかさ
また、部屋ごとに色彩環境は違って当然であると
あるというのであれば、見直しをする必要がある。
ている色数が多くなるにつれ、また鮮やかさが増
が 分 か れ ば ( 図1
1) 、 別 に 行 な っ た 各 種 の 色 彩
最近はインテリアのカラ!コーディネーターや
みが行なわれていることは、注目されてよい。
彩の感性を心理工学的方法で問題にするという試
のはまだ先の話である。しかし、インテリアの色
こうした研究は始まったばかりで、実用化する
らなくなる。
そういう場面での色彩の評価実験をしなければな
やホテル、病院など)にこの方法を適用するには、
ておくことが必要になる。住宅以外(レストラン
すれば、五つの要因の部屋ごとの係数を別途求め
画像の快適性評価の実験結果を参考に、簡単に指
数 化 で き る と い う わ け で あ るt、50
(NEDO) の委託を受けて、
これに対して、筆者らは、新エネルギー・産業
技術総合開発機構
70
色彩環境評価のためのソフトウェアを開発すべく
研究を行なっている:、
評価の視点は、まとまり度、明るさ度、鮮やか
さ度、調和度、なじみ度の五つである。
まとまり度は佐川らの研究と同様、色数で決ま
る。色数が多いとまとまり度は低くなる。明るさ
度は各部位の明度、鮮やかさ度は各部位の彩度、
資格を認定する制度が整いつつあるが、こうした
カラi コ ン サ ル タ ン ト の 志 願 者 が 多 く 、 ま た そ の
や類似色の場合は調和度が高いとみなす。なじみ
コンピュータによる色彩診断法の精度が上がるに
調和度は各部住の色同士の関係で決まる。同系色
度は、いわゆるグ見慣れ。のことで、インテリア
回 口 敦 子 「 む ら の 色 ・ ま ち の 色 一 一 燦 村 環 境 の 色 彩 → 本 文3
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図
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農村環境色彩調資の方法
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ことで、色彩分イ'tiをヌ主力t!
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の五つの要 i
大i
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1帰係数を参考に、当面する画像の総合評価値を i
燐持に害1]り出す。
図
3 学生もコンビュータも高い評定をする画像例と低い評定をする画像例
(上段がおい評定の画像/下段が低い評定の画像)
籍、ありとあらゆるものが自を射るような蛍光色に近い色で塗られており、
べられている。民芸品市場では、動物の木彫り、子どものおもちゃ、織物や
トは自の覚めるようなピンクや赤、その下には色とりどりの野菜や果物が並
で明朗な色が輝いて見える。衝の市場へ足を向けると、頭上に張られたテン
メキシコは色彩の国だ。すべてに色が強い。強い陽射しの下、 ストレート
に大昔から芽生えており、それが綿々と受け継がれてきたのである。
が、それを染料にした。この国では、色でつくる環境の意識が人ぴとのなか
サボテンにつくカイガラムシの一種で、その卵を潰すと赤い液体が法み山山る
殿もあったらしい。ピンクは﹁コチニ i ジ ヤ ﹂ を 壁 に 塗 っ た も の だ 。 こ れ は
色の宮殿が建っていたという。また、壁面がすべてピンクに彩られていた宮
ではない。ユカタン半島の方では、ジャングルのなか、赤を中心とした極彩
メキシコの建築家、ルイス・パラガン(一九O二i八八)について考える
インターナショナル@スタイルから ﹁
白
﹂ の発見ヘ
﹁派手だ﹂と思う人はいないだろうし、家の外壁がオレンジや黄色に塗つで
を建築に使いだしたのは、一九五0年代に入ってからのことだった。五O歳
とき、この国の風土や文化が培ってきた独特な色の意識が、彼の建築に深い
メキシコ・シティから北京へ四十キロほど行くと、紀元前後から七世紀ま
を過ぎてから、ようやく色を自分の建築手法として確立していく。一九四七
あっても誰も特別には忠わない。日常の風景であるとともに、色は生活のな
で栄、えたインカ帝国の遺跡、ティオティワカンがある。巨大な石のピラミッ
年に完成したタクパヤの自邸は、屋上の壁に赤などの色が塗られているが、
影響を与えたことは疑う余地がない。しかしまた、パラガンという人は、結
ドとケツアルコアトルの神殿が残されている。この神殿、いまは石の地肌が
建てられた当初はしばらく白だった。一九五O年に竣工したプリエト邸も、
かに欠かせないものであり、人びとにパワーを、そして、思めを与える存在
剥きだしになっているが、当初は赤や繰などの鮮やかな色が全面に塗られて
現在のファサlドはオレンジ系の黄土色が塗られているが、これは施主が塗
病とい、えるほど色を使うことに慎重だったことも確かだ。彼が色という要素
いたという。その壁の復元が、街なかにある人類学博物館に展示されている。
である。この園では、色は活力だ。
たりま、えの感覚、何も特別なものではない。ドピンクの色の搬を着ていても
そういう国で生まれ育った人ぴとにとって、鮮やかな色は身近にあってあ
メキシコ人がもっ先天的な色の感覚を見せつけられる感がある。
おり、彼らの色への意識のル l ツを垣間見るような気がする。この遺跡だけ
それを見ていると、メキシコの人びとが太古から強い色に閉まれて暮らして
ルイス@パラガンに学ぶ建築と色彩の可能性
裕
色でつくる環境
粛
藤
ばかりが目につくかもしれないが、彼がたどった道のりを見てみると、色へ
ったもので、もともとはすべて白だった。パラガンの建築というと強烈な色
経ることによって、初めて得られた色だと思う。重要なのは、この点こそが
た鮮やかな色というのは、インターナショナル・スタイルの﹁臼の時代﹂を
めていくのである。のちにパラガンが駆使することになったピンクを主とし
のと、パラガンの建築とを隔てる大きな違いであることだ。パラガンの建築
の自覚めは﹁白﹂から始まったことであり、﹁白﹂が起点であったことがわ
には、まず徹底的な臼の空間への探求があるのだ。色はそれからの話である。
メキシコの民家や、パラガン・スタイルを好むのちの建築家たちが建てたも
その転機は一九三六年、三四歳で故郷のグアダラハラ市からメキシコ・シ
ま た 、 も し 地 中 海i ムl ア 様 式 の 建 築 を そ の 後 も 彼 が 建 て 続 け て い た と し た
かってくるのである。
ティへ移り住んだときにおとずれた。その後五年近く、パラガンは白一色の
メキシコ・シティへ移って四年後、彼は親友のディアス・モラレスに、
壁面と、大きなガラスを山飲めたインターナショナル・スタイルの住宅やアパ
を 切 り 、 ニ 度 の ヨ ー ロ ッ パ 旅 行 を 通 し て 強 い 感 化 を 、 つ け た 地 中 海 ム i ア様
﹁クライアントの好みを聞き入れるのはもうたくさんだ。いままでのクライ
ら、ピンクを、赤を、その空間に塗ることは決してなかっただろう。
式をアレンジし、何軒かを手がけていた。当時の代表作にルナ邸(一九二八
アントから離れて、これからは私自身がクライアントになろうと思う﹂と語
ートを建て続ける。それまでは故郷のグアダラハラで建築家としてスタート
年)があるが、壁はナチュラルなベージュ色で、この時期の作品には個性的
る。自己資本のディベロッパ!としてやっていく決意をするのである。それ
てインターナショナル・スタイルがメキシコへも流入してきた折で、ル・コ
アントを探し、経済的な糧を得るのに苦労する。当時、新しい建築思潮とし
シティへ移り住むことになるのだが、足場のないメキシコ・シティでクライ
ての財産を失ってしまったという事清がある。そこで心機一転、メキシコ・
メキシコ全土で行なわれ、荘閤主の息子であったパラガンは、ほとんどすべ
ヤ地匿は庶民的な下町で、ピンクや黄色などに塗られた小さな家々が立ち並
その窓にしても、外からなかの様子が覗える透明ガラスは使わない。タクパ
徹底して外の通りに対して閉じる手法をとる。外壁に窓はわずかしかなく、
外へ聞いたインターナショナル・スタイルを捨てる。逆に、高い壁を立て、
ま で の 考 え 方 と は 一 八O度 変 え た こ と に あ る 。 彼 は 、 透 明 ガ ラ ス 窓 を 用 い て
だ。このプロジェクトが重要なのは、﹁外﹂に対する建築のあり方を、それ
タクパヤ地区の開発、なかでも自邸は、パラガンの金字塔ともいえる作品
自邸の誠みi │白いキャンパスと色
らも分譲住宅地として開発する。
から間もなく、いまも自邸が残るタクパヤ地区の土地を購入し、小規模なが
な色への探求は見られない。
パラガンがメキシコ・シティへ拠点を移してから、地中海や北アフリカと
いった特定の地方性に根ざす建築の要素を切り捨て、まるで自分のアイデン
ティティを漂白するかのように、﹁インターナショナル﹂な建築へと向かっ
ルピジュエの作品を目の当たりにしていた洋行帰りの若い建築家にとって、
んでいるが、パラガン郡はそんな町並みのなかでも拍子抜けするほど地味な
たのはなぜだろう。外的な要因としては、一九三六年に大々的な農地改革が
の一つの方法であったに違いない。
外観だ。まるで通用口かと思うような素っ気ないスチール製の扉がメインの
そのスタイルを望む都会の知的階層を相手に建てることは、生きていくため
だが、たとえそれがクライアントを見つける術であったとしても、この時
逆説的だが、外に対して壁で閉じきることが、逆にパラガンの感性を解放
玄関口である。
の建築スタイルを通して、パラガンは臼という色に向き合う。そして、臼を
す る こ と に な る 。 閉 じ る こ と が 、 満 ち 足 り た 空 間 と は 何 か と い う テl マを深
期がなければのちのルイス・パラガンの作品は生まれなかったであろう。そ
発見する。臼のもつ抽象力に目覚め、自を用いて空間を抽象化する探求を深
光の質と設について徹底した探求がなされていることである。パラガン邸と
間に対して、各々に最適な空間ヴォリュ i ム、さらに、そこにあってほしい
は、居間、書斎、寝室といった住宅に必要な部屋や、階段・廊下といった空
める大きな契機となり、推進カとなっていくのである。この住宅がすごいの
ていく。空間の核をつかんだ上で、ストレートに、シンプルに空間を組み立
禁欲的といえるほど、もっとも深い核ともいえるところまで思考を掘り下げ
部屋がどのような空間であるべきかを、スタイルや既成概念にとらわれず、
誼で盟かな空気感であり、光である。色ではない。パラガンは、ある一つの
の家に身を中泣いてみて、まず何よりも圧倒されるのは、空間全体に流れる静
phv
探求に時間とエネルギーをかけていたかがうかがえる。彼はメキシコの風土
このような話からも、パラガンが並外れた情熱を色に傾け、いかに色への
ロー、そして、強烈なメキシコのアシド・イエローなどである﹂。
うる限りの黄色を選び出した。クロム/ジンク/カドミウム/ナポリ・イエ
週間後には、黄色がその日の主題となった。彼は膨大な蔵書のなかから探し
る。生き生きとしていて、自意識過剰でない凸などと主張するのだった。一
ュ!チョの絵は、自然で大胆な表現のなかに色が生命感をもって息づいてい
色彩について造詣が深いと、愉快な語り口で私を納得させようとした。﹃チ
ソルフェリーノ(紫を帯ぴた深紅色)、フクシヤ(鮮やかな赤紫)といった
チョの絵の方が、専門家である私のドイツ人教授よりも、レッド、ロ!ズ、
彼の友人である画家のチユ│チョ・レイエスが描いた絵を取りだし、チ子│
入れ、赤いシリーズのプレートを書斎の階段へ立てかけていった。それから、
﹁パ一フガンは、アルパ l ス の シ ル ク ・ ス ク リ ー ン の ポl ト フ ォ リ オ を 手 に
に回想する。
学ぶことができたことだ﹂といい、彼と一緒に過ごしたひとときをこのよう
って非常に幸運だったのは、脱膨大な時間をかけてパラガンから色彩について
半から数年間、メキシコでパラガンと共働した人である。彼女は、﹁私にと
ル大学でジョセフ・アルパ l ス の も と で 色 彩 と 絵 画 を 学 び 、 一 九 五0年 代 後
ア メ リ カ 人 の テ キ ス タ イ ル ・ ア ー テ ィ ス ト 、 シi ラ ・ ヒ ッ ク ス は 、 イ エ ー
ラガンが偉大なのは、ここで無邪気に、簡単に答えを出さなかったことだ。
れたことになる。そのキャンパスに何色をどんなふうに塗ればよいのか。パ
いうなれば、この作品でようやく彼は自分自身の白いキャンパスを手に入
い う と 、 写 真 の 印 象 か ら 、 ま っ 先 に ピ ン ク の 階 段 ホi ル を 頭 に 浮 か べ る 人 も
ノ
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ク年
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てようとする。その抽象化の過程で選択される色は、白に他ならなかった。
芹斎。
いるかもしれない。だが実は、空間のほぽすべてが白なのである。実襟にこ
パ ラ ガ ン 自 邸 (1
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7年)
ギラルディ邸(1
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7
8年)
ダイニングルームへ至る賞色い腕干。
撮影/資藤裕む
写真 4点とも
ギラルディ邸(1
9
7
8年)
5月、ジャカランダの花が佼の色と融け合う。
に あ る 土 着 的 な 色 か ら 、 パ ウ ハ ウ ス 出 身 の ジ ョ セ フ ・ ア ル パ i スの色彩学ま
で、実に幅広い視野で研究し、自分の建築に使う色の感覚を養っていったの
だった。その膨大な時間と専心を経てたどりついたのが、あのピンクであり、
赤錆色であった。そうして、ようやく自邸の白い空間のキャンパスに色の筆
を下ろすことになる。
色もうひとつの風景
しかし、 そ の ﹁ 筆 づ か い ﹂ は 非 常 に 慎 重 で 戦 略 的 で あ り 、 パ ラ ガ ン 独 自 の
スキ│ムに則って筆が下ろされていく。たとえば、色のヴォリュ i ムである。
空間全体に色を塗るのではなく、壁の一面だけに塗る。白い壁をまわりに残
すのである。自邸のすぐあとに手がけたガルベス邸やカプチン派修道院など
も同じやり方だが、一面の壁だけをオレンジやピンクの鮮烈な色で塗り、そ
こに白然光を当てる。すると、オレンジやピンクがまわりの白い壁に反射し
て、空間全体がまるでその色の光の粒子で染め上げられた感じになる。
さらには、白い空間のなかで色をどの部分に使うか、その判断がたいへん
的確である。実際、パラガンが鮮烈な色を塗った部分はかなり限定されてい
る。もちろん作品によって違うが、内部空間において彩色された部分は全体
の一割にも満たない。たとえば、烏の庭が印象的なサン・クリストパルでは、
庭に立つ控や噴水はピンクや赤錆色だが、住宅部分については外壁も内部も
中庭も全部白である。パラガンの作品において彩色される部分は、ファサー
ド や 屋 上 と い っ た 外 や 庭 に 面 し た 壁 面 、 内 部 で は 階 段 ホl ル、廊下、ダイニ
ング・ルl ムの壁であり、ダインニング・ルl ムについては、普段の食事を
する小さな食堂は白、一方、特別な機会や大勢人が集まったときに使う大き
い食堂にはピンクなどの鮮やかな色を塗り、違いをつける。
なぜ、それら特定の部分だけに色を塗ったのか。その意図を考えてみる。
パラガンは、日々の生活のなかで何らか気持ちの切り替、えが欲しい場所に色
を置く。それは日常のなかに非日常を組み込む志向であり、その可能性を色
に託したとでもいえばよいだろうか。たとえば、ガルベス邸の水のパティオ
る。自邸では、外から廊下を通って階段ホ!ルに出るまで、ほんの六メート
のピンク、ギラルディ邸の黄色い廊下、自邸の階段ホ!ルのピンクなどであ
ジヤカランダの木の花が満開になるが、その花の色は薄紫で、壁に塗られた
近いことに気がついた。また、五月にギラルティ邸を訪ねると、中庭にある
キシコの街に溢れんばかりに咲いているブi ゲンピリアの花の色に限りなく
ぴったりくるものがないことに驚いた。そして、あるとき、それがまさにメ
色とまったく閉じ色だった。そんなふうにしてメキシコの風土に呂を向ける
ルの距離しかない。だが、暗く細い廊下から吹抜けの階段ホi ルへ出たとき
パクトによって、訪れる人はほんの数秒間のうちにまったく気分が変わって
と、赤錆色はパラガンが育った郷里の大地の赤土色であるし、パラガンの選
の開放感や光の明暗のコントラスト、しかも、そこにあるピンクの壁のイン
しまう。ギラルディ邸の黄色い廊下については、いうまでもないだろう。施
ぴ抜いた色が、すべてメキシコの風土の表象であり、人びとが長年、眼に刻
彼の建築が鮮烈な色を使いながらも、ケパケパしさや安っぽきがないのは、
主のギラルディ氏(故人)は、自宅から一ブロック離れたところにオフィス
ピンクや赤錆色、薄紫色に塗られた壁が﹁もうひとつの風景﹂として、いわ
みつくほど見てきた色であることに気がついた。パラガンはメキシコの風土
黄色く染めあげられた光のシャワーを浴びることで、気分が切り替わる。近
ば、心の眼で見る抽象化されたメキシコの風土として、人びとの魂に語りか
があり、毎日友人やお客さんを連れて昼ごはんを食べに家に帰ってくる。そ
くにオフィスがある施主のライフ・スタイルを考えて、これもパラガンが仕
け、慰撫するからであろう。そして、パラガンの作品が色の建築として世界
から上澄み液だけをすくうようにして色を抽出し、それを壌に託して空間を
組んだ色による空間の仕掛けの一つである。それは、音楽を聴いたとき、日
のとき、一 0 メートル以上ある貰色い廊下を通ってダイニング・ル l ムへ行
常の気分が切り替わっていく感覚に近い。色がそこに住まう人間、訪れる人
中の人びとを魅了しつづけるのは、その色が土着に深く根づきつつも、メキ
構成したのである。
間の気分のモデュレ iD11(変調器)となりうることにパラガンは目覚めて
シコという一地方性を越えて、誰にでも共有できる抽象化された風土へと高
く の だ が ( そ し て 、 そ こ に は ス イ ミ ン グ ・ プl ルが横たわっている:::)、
いたし、色がもっそのような可能性を求めて、的確に、無駄なく、しかも最
0
M
務総裕/さいとう・ゆたか
建築家。独学で建築を学び、一九七O年、務
総裕建築研究所を設立、現在に至る。﹁るるる
る附一段﹂で日本建築家協会新入賞、﹁好日印刷﹂
H 月間﹂で行本建築学会
でお削五1・八社、﹁ 災
党、日本建築学会選奨などを受賞。清治日・作
品集に﹁建築のエッセンス﹄ (ADAEDI
TATokyo)、吋資藤総の建築﹄ (TOT
総務裕﹂
a シリーズ
O出版)、﹃現代の建築 泳
r
(鹿島山山町刷会)のほか、ルイス・パラガンのv
兵集(後仰向た)などがある。
められているからであろう。
・努藤裕﹃カi サ・パラガン﹄ T O T O出版。
・融制藤裕﹃ルイス・パラガンの建築﹄ TOTO出 版
︿隅間違図審 v
大限の効力を発揮するよう色を空陪に組み込んだのである。
晩年、パラガンはパ iキ ン ソ ン 病 を 患 い 、 長 い 闘 病 生 活 を 送 っ た が 、 病 床
ではいつもピンクの薄紙を枕元に寵き、指先で触ったり、ただ眺めたりして
色を感じていたという。そんな話を聞いても、彼がいかに強く色に感応した
間に及ぽす効果を、分析的にも誼感的にも、パラガンほど深く掘り下げた建
建築家であったかがうかがえる。色が人間の心理に与える影響、そして、空
築家はいないだろう。
彼は最終的に七色を選ぴ、その白い空間に塗った。ピンク、赤錆色、赤、
黄色、黄土色、青、薄紫である。他の色は決して使わなかった。私は、メキ
シコへ通いだした頃、いったいパラガンの色がどこから採られたものかと、
入手できる眼りの色見本帳をもっていって、パラガンの壁のピンクと比較し
てみたことがある。しかし、一 0 0種 類 ほ ど も あ る ピ ン ク の な か で 、 ど れ も
私のすまいろん
我が﹁巣附
福田
L
家を遊ぶ
角錐形の緑の躍
南と東の道路の角地の庭で四季を通して楽しめ
るスペースである。住宅街とあって、近所のお宅
には庭師が季節を通して作業をしに来ている。私
は直接聞いた訳ではないが、庭師や造国家が﹁あ
の樹は切るべきだ﹂と、我が庭で育ち始めた記念
樹の桂の木を名指しで言っているのだ。この桂は、
岩手県植樹祭のシンボルマ l クやポスターデザイ
ンを私が協力したお礼にと当時の知事から贈られ
た、我が庭のいわば宝樹なのである。この桂は当
時から庭の樹木の中で一番の高さを誇っていた。
そこで、この桂の木を中心に庭づくりができない
現在は電柱よりも巨木になっているが、当時は
かと考え始めたのである。
六 メ ー ト ル ほ ど で 、 そ の 先 端 か ら ロ lプを張り、
a
四角形の庭の塀の高さで 踏を一周すると、桂の先
端を項点とする角錐形が形成されることになる、
この目に見えない角錐形から育つてはみ出た樹々
の枝は切る:::。植木を鶴や象の形に刈り上げた
例はあるが、自然に逆らう鋭角な幾何形態は絶対
に函白いと、数日はこの計画で仕事が手につかな
緑の庭になるのに何年かかるのか、冬は?と考え、
しかし、樹々が脊ち、見た目にも巨大な角錐の
かった記憶がある。
このアイデアはシャボン玉が消えるように頭のス
クラップに封印することになった。
と、それなりのブレーキがかかることになって実
庭づくりの発想から記憶をたどりながら
れられるか、ということだけを考えているので、
なのは、何か新しいことを考え実行しようとする
ノぐリで売ったトリック b
干の壁紙。アトリエのビューポイン卜。
:lfn/波古I
l
f
t
f
n
'
i
現できなかったことがあったからである。
も、自分の家ぐらいは、自由で自分らしいモノと
考えていたことは確かであった。あったと過去形
ま
。ず
自分の住む空間は﹁紺屋の臼袴﹂である。それで
日頃面白さをいかに造形に、自分らしく取り入
繁
雄
イギリス式迷路の庭の構想
とりかかったが、図面はできたものの、いざ柏木
﹁足元を見る﹂というシステムだ。玄関という入
は客の靴を見て品定めをするらしい、いわゆる
の建築用語に﹁門構え﹂というのがある。商売人
口がなくても裏口が一つあれば、などと私は考え
メートルあまりの大きさになると千円の十倍、使
用 す る 本 数 が 数 百 本 、 こ れ で は フ ク ダ テl マ パ !
てしまう。考えるだけで済んでしまえば何事も起
をと積算してみたら、必要な刺のある終日の木が牟
戦したのは、現在のアトリエに拡張新築した時期
クでも二の足を踏んでしまう。という訳で両白フ
このことに臆することなく次なる庭づくりに挑
だった。中世のイギリス貴族が自分の邸に植栽に
こらないのだが、そこはクリエ i タi、 こ の 玄 関
よグにと騒がしい訪問客に襲われる日々が続いて、
自転車群回にご﹂こだ/これだよ/この扉だ
この爆は有名になり過ぎて、休日などは、学童の
扉っき玄関は、まずまずの成功だった。それから、
れることがある。ことはど左様に、このだましの
に届け物を押しつけていて、私の方が口木気にとら
少したつと、わざと扉を開けて真而自顔で白い壁
て、顔面蒼白、振り返り続けて帰られていたが、
郵便や宅配便の配達人は初めのうちはびっくりし
が、そこは白い壁という仕掛け、だまし扉なのだ。
組み。取り付けられている扉は、開くことは聞く
押し開けられて福出家の者が顔を出す/という仕
i い﹂::・客は待つ・・::。白い右手の壁の一部が
チャイムを押して待つ。内側から返事がある﹁は
チャイムもその扉の右手に付ける。訪門客はその
実行に移した玄関は、実際の扉を取り付ける。
すでに存在している。
しまう予法、これも面白いが、古今東西の史実に
最大の要点は玄間にあった。玄関をすべて描いて
い、アトリエを二階に増築することにして、その
ザインという仕事、どうしても手狭になってしま
に挑戦することになるのである。木造平屋ではデ
クダガーデンは夢のまた夢になってしまった。
だまし扉の玄関
本論の住まい、住宅となると
まず玄関。
よる迷路をつくり、門から入った訪問客が玄関ま
で近づけずその迷路で迷いとまどっている情景を
邸の階上のベランダから楽しんだという史実を知
って、これを我が庭にと思いつき、迷路の作図に
本
日
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木造 2/
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ての 1
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ス ト は 郵 便 受 。 " . I
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R進(来r
訪日相'ザ災古Jl)
量たるや、想像を絶する。そこで、またもや玄関
品を五十から百枚程度保存するとなると、その重
作り続けると、千三百点をも超えてしまう。一作
スターの製作が主流である。五十年もポスターを
私の仕事はグラフィックデザイン、 いわゆるポ
になってしまった・::。
本当に近所迷惑で恐縮ものだったが、 それも平気
思えるほど狭く小さい。逆遠近法の応用、視覚ト
見えた山口は手をのばすと天井にとどくのではと
トルもあった人口の編も狭くなっていく。大きく
進むにつれて、小さくなっていくのです。二一メー
の柱も、天井のグリッドも、私が一歩⋮歩と奥に
った。正方形の床敷石も、左布に立ち続く二一本
いように見える。私は胸を躍らせて柱蹄の中に入
知られている。柱廊の長さが想像される。奥は深
た。ベルニ l ニは出時から大作主義の作家として
向う側の庭のベルニ!ニの彫刻が小さく見えてい
たのだが、やはり﹁紺屋の臼袴﹂というわけであ
はこの白い壁に私の自画像でも描こうと思ってい
けることはできるが、開けてもそこは白い援。実
この高さ一メートル足らずの扉をひざまづいて開
の奥行は実際の距離よりも速く涼く見えてしまう。
まで実は一二メートルほどの距離なのだが、先細り
ている扉は二分の一のサイズである。道路から扉
井に頭をぶつけることになる。当然取り付けられ
も、急に狭まって、扉の前では屈み込まないと天
そして、扉に向かって進むと、左右の壁も、天井
逆遠近法な玄関に
に挑戦するチャンスに恵まれるのである。鉄骨構
る
。
たどりつけない本物の玄関
リックの建造物の名作だ。入口では巨大に思い込
チ足らず。徹底したトリック空間だった。
んでいたベルニ l ニの彫刻も、実は古川さ七十セン
造に建て直す必要になったのである。
ところで、制作したポスター作品を何故そんな
に保存する必要があるかと思われる人のために説
ートルに積み上げられるポスター収納慨が八か所
で、新しい鉄骨構造の二階のアトリエは高さ二メ
四倍も必要になるという訳なのである。:・:そこ
る、というわけで、一作品の部数が従来の三倍も
そして、文化交流のポスター展も次々と開催され
ポスターのコンクールは、十八の多くを数、える。
日、建築現場でベニヤ板を壁面に見立てての悪戦
で、視覚的な人工の遠近が仕掛けられるのか、数
度で壁を立て、天井を傾け、そして床を敷くこと
いたのだが、玄関の前の道路に立って、どんな角
大 学 建 築 科 の 当 時 助 手 だ っ た Y氏 に お 願 い を し て
きた。建築進行、建材その他の協力を、東京工業
能であることが、 フランを進めるうちにわかって
である。しかし、視覚の効果は図面では表現不可
玄関の基本をこの逆遠近法の応用再現と決めたの
築したいと私は思い続けていた。そこで、新しい
は実現できなかった。現在はこの空間の壁面は全
を上った二時が本物の玄関。さすがにこの。フラン
抜けの﹁外﹂で、外灯に誘導されて自の前の石段
そこはレンガの壁、床は石田宮という一大井のない吹
である。更に、ようやく赤い本物の玄関を入ると、
にもう一度びっくりさせられるという仕掛けなの
道路に一民りかけて、このミラi に映っている自分
当りは全面ミラーなので、小さな扉にとまどって、
なのである。しかし、もう一つ、右の通銘の突き
て、その先の左にある赤い金属の扉が本物の玄関
実は入口をくぐってすぐの右手に曲る通路があっ
えている扉に気をとられて気が付かないのだが、
それでは、屋内に入る入口はというと、奥に見
に設置され、仕事場も広く使えるようになった。
苦闘だった。しかし、逆遠近の玄関がこれででき
部書棚になってしまっている。:::とここまでが、
逆遠近法の応用は、何時の日か実空間の中に構
そして、玄関/
るのだという夢の嬉しさでいっぱいだった。道路
明すると、今日、世界各自、各都市で開催される
フランチェスコ・ボッロミl ニがロ i マに建てた
から入口の正面に立つと、八メートル先に玄関の
我が住宅の現状なのである。
建築家たちの視覚のトリックがド敷になっている
0
パラッツォ・スパ i ダ 官 の 柱 廊 を 私 が く ぐ っ た の
扉が見える、更に入口は九度ほど右に傾いている。
この玄関の発想は、一七佐紀のバロック時代の
は 、 も う 十 数 年 も 前 に な る 。 そ の アl チの入口の
0
高さは私の四倍もあった。その'奥に小さな出口、
のぼれない階段
道路に立ち上った外壁に士直接二階の玄関に通じ
ったプランもある。
デアではあった。実際にできたのに実現できなか
出すこともないので取りはずしたのだが、住宅地
思って屋上に取り付けてみたのだ。この鶏、逃げ
の感性は何事もない平凡さだと認めることにした。
J泊回さんのお宅の屋根の上に鶏がいると、
ある夕刻、駅前の警察交番から電話がかかって
たなかったように思う。働くためにちょっと休む
みると、我が国には生活を楽しむという理念が育
実現できなかった住宅の楽しみ術だった。考えて
きた。
で、アメリカやヨーロッパの人びとのように遊ぶ
屋根に乗った鶏
できない。なぜならその援に沿った階段の幅は、
近所の方々から電話があるのですが:::﹂と一一一一向う
の問題は住宅から離れて文化論になるので、飛び
ために働くという生活信条はないように思う。こ
る金属の階段を取り付けてあって、米客がその階
一段一段登るにしたがって狭くなってゆく仕掛け
のだ。近所迷惑になるのかな?と考えたが、﹁え、
宅J,!右ーの欽宇-1-建築の玄関。奥にトリックの採が見える。
段を上っても、ニ階の玄関にはたどり着くことは
で、最後は外壁の中に溶け込むように消えてしま
越えることにする。
の鶏はウインドウディスプレイのために制作した
員などを務める。
イ ナi協 会 会 長 、 東 京ADC委口氏、東京芸術
大学美術館評議員、制附西洋美術振興財殴評議
活銀、ワルシャワ悶際ポスタービエンナーレ
金賞をはじめ関内外のさまざまなコンクール
で受賞する。現夜、附即日本グラフィックデザ
学部容員教授。
一九五六年、東京芸術大学樹祭科卒業。州側味
の宇治広告部を経て、フリi デ ザ イ ナ ー と し て
グ ラ フ ィ ッ ク デ ザ イ ナi。 東 京 芸 術 大 学 美 術
福間繁雄/ふくだ・しげお
面白文化の世紀なのだから・・・・・・。
や、機能主義の時代は古い昔に去ったはずである。
しい空間と装飾と仕掛けを持ちたいと思う。もは
自分の住む家ぐらい、自分(家族ともども)ら
***
そうですか、すぐに取り押えます:::﹂。実はこ
リアルなプラスチック裂なのだ。楽しい飾りにと
うのだ。来客はまた階段を後ろ向きに下りなけれ
﹂のプランも実現できなかったが、残念なアイ
ばならない。
一 一
日
Nhd
υ
襲陸話
論文の本編および研究論文評は、
2
0
0
1年度の当財団の助成研究および昨年未掲載分の 2
0
0
0年度助成研究の姿旨を掲 紋しています。
W ji)f 究 51"報 29号~ (
2
0
0
3
{
f
o
3月3
1日発行)をご覧下さし、。
B
研究胤自1日1
││阪神大震災の復興事例を
対象として
計画決定のメカニズムか
らみた市街地立地マンシ
ョンの問問題と課題
研究臨B182
の作成に向けて
﹃環境ノイズガイドマップ﹄
i11
住宅地の環境形成におい
て環境ノイズが果たす役
割についての研究
研究地5104
に関する系統的理解
折究
j i近 代 都 市 住 宅 の 形 成 過 程
近代京都における都市住
宅の構成と特質に関する
研究地0105
若目して
住宅まちづくりにおける
景観コントロールとその
効果に関する研究
i i日英の景観まちづくりに
成熟した低層既成市街地に個
災の復興事例を対象として、
向、誘導する景観に﹁雑音﹂
理念であるゾl ニング制が志
され、近代都市計闘の中心的
ド
花川一じしま、日ふり
P百﹁陛 ii 一宝
白河
44E引 ゲサノft 者4
に障害物あるいは異物とみな
、上査
裂﹂﹁箱型﹂)に類型化でき、
連結型﹂﹁洋館付設型﹂﹁看板
屋構成の特徴から四種(﹁洋館
した。その結果、これらは家
的特徴について類型的に検討
現存する近代洋風町家の建築
主査
大場修
確保するためのコントロール
別に建設されるマンションの、
や﹁ほころび﹂をもたらして
純洋風家屋(煉瓦造やR C造
宮本経明
手法について明らかにするこ
市街地整慌へ向けての問題と
いると考えられる空間エレメ
を合む)を建築レベルで取り
杉山茂
とを目的として、特に、白地
諜題を採るものである。ここ
ントを、肯定的に﹁環境ノイ
三二
E
t
f
r
、
↑一ノEA
地域、都市計画区域外を持つ
ズエレメント﹂と名付けて、
とを明らかにした。特に﹁箱
込むことにより形成されたラ﹂
村水美貴
自治体の景観コントロールの
では、卒業収支と法規制に大
住宅地の環境形成におけるそ
なる問題の構迭を明らかにし
発規模、供給方式によって異
道路拡張に伴う粁切りや隅切
した類裂とみなした。また、
型﹂削門家は近代に新たに成立
本研究は、京都旧市街地に
在り方と規制手段、英国の景
画決定のメカニズムを、マン
きく左右されるマンション計
の有効性について検証したも
Li--;
観規制方法との比較を通して
ションの実態調査と関係者へ
のである。
上で、景観コントロi ルを行
りで生じた狭小あるいは変形
J
今後の日本の景観コントロー
のヒアリング誠査によって分
なう上で、色彩、形態等を導
た上で、﹁地区のグランドデザ
や看板型町家が多く建てられ
宅地には、その制約から箱型
本研究は、阪﹃州・淡路大震
ルを考、えている。日英の比較
析した。調査結問一恥からは、開
くためのガイドラインづくり、
ョンの計同﹂、﹁小小規模マン
た。その特殊な敷地形状は、
インに照らした大規模マンシ
ションを対象とした地区駐車
の外観や平面形式を形成する
伝統形式を払拭した洋風意匠
特に、日本では、都市計画規
から、まちづくり条例での罰
マンションに対する景観形成
契機となったと考えられた。
場共同利用システム﹂、﹁賃貸
示した。
誘導策﹂を検討課題として提
ルを担保するための仕組みが
必要なことを提言した。
則規定等の、景観コントロ i
制が英国に比較して弱いこと
本研究は、良好な住環境を
ジョンの構築の必要性、その
分析を通して、明械な都市ビ
王
立
研究地0107
研究地810日
中圏の古代住宅の展開と
日本住宅との関連性に関
する研究
研究臨DIES
タイの住宅におけるアク
ティヴィティと住空間に
関する研究
研究机0110
寝殿造の祖形は中国の間合
例を通してタイにおける住空
本研究では、一一つの住宅事
主査
設であり、その間合院は中国
大同敏昭
同潤会江戸川アパートでは、
主査
歴史的集合住宅の継承と
再生の手法に関する研究
ーーー江戸川アパートメントの
再建に向けて
三十数年に一日一って建替が検討
橋本文隆
本研究は、明治期における
間の特性を明らかにすること
、主交
明治期における巡幸施設
の建築犠式と使い方に関
する研究
i i皇 室 に み る 洋 風 か ら 和 風
への間帰とその背景
明治天皇巡幸、皇太子(大正
古代から清代まで一貫して主
松本正寓
本研究は、東京都立川地区
されてきたが、平成一二年三
では多目的に使用される広関
を目的としている。。ノイ住民
小沢朝江
における米山中ハウスについて、
天皇)巡啓に用いられた巡幸
流であったとするこれまでの
主査
その成立と経緯の過程、建築
月漸く建替決議された。一方
画された他に類をみない事例
施設の建築とその室礼につい
鎖的な悶合誌に変化した、一
に 建 設 さ れ た 木 造 高 床 ロi ハ
である。一九一二O i四0 年 代
的概要を取りまとめ、ここで
方日本の寝殿造はそのような
ウスの六O年 以 上 に 及 ぶ 居 住
空間がみられるが、タイ国有
唐代の住宅を模倣したが、そ
過程を明らかにし、広間山張関
定説に対して、中国席代の上
連づけて行ない得るかを検討
の後中般にかけてより開放化
が保持されてきた背景には日
で、集合住宅の歴史性継承が
建築の規範を用いて天皇の座
建替議論の詳細な検討より、
することを目的とした。まず、
し、方位に関係なく道に面し
常生活だけでなく儀礼時の役
て検討した。明治天皇の巡幸
所という﹁格﹂が表現された。
分譲集合住宅建替の凶賊さを
て住宅を構える正耐性へと変
割が大きいことを明らかにし
の居住者の住環境に対する行
を 考 察 す る こ と をg的 と し て
また、天白認が使用する椅子・
浮き彫りにした。更に、建悠
化した、とする仮設を設定し
鉄道職員のための集合住宅は
いる。対象としたハウスは、
テi ブル等は持参し、諸国貿・
議論の過程で提示された部分
た。その仮設を実証するため
ている。また、水辺住宅でも
級住宅は四合院が主流ではな
G H Qの 示 し た 欧 米 の 空 間 構
御簾など和風の鵡度を用いて
保存案について、部分保存案
に唐代住宅の実態を明らかに
は夜接結びつかず、日中の居
広関空間は保持されるが水と
社会的関心を呼んでいる。本
成を基本とはするものの、民
王座が設えられた。一方、明
実現のための膝史的意義付け
し、併せて中国古代住宅と日
では和風建築が圧部的に多く、
間による伝統的工法や寸法体
治後期の皇太子巡砕では、御
.制度的粂件の検討を行ない、
本古代、住宅の異なる炭開を比
為、創意工夫やしつらえ全般
系に準じたものであった。住
座所以外に寝室や謁見所が別
諸制度・行政判断上の陣容を
広関空間が共用空間として計
まい方の調安からは、玄関の
室で設けられ、各室に多種多
明らかにした。一方で民間長
場所となる別の多呂的空間が
が、その後清代にみられる閉
機能を有する空間は従米同様
様の調度が設えられるなど、
較考察し、その文化的背景を
水と接するようにつくられる
く治代よりも関欣的であった
に要望されていること、浴室
生活空間としての﹁質﹂が重
期経過集合住宅でも所有・利
採るものである。
研究は、江戸川アパートの再
に関しては和式での入浴を志
用・管理形態に応じた継承方
建において、再生と継承を関
向しつつも、欧米タイプの浴
視 さ れ た 。 ま た 、 椅 子 ・ テi
法の可能性が充分にあり得る
洋風建築の場合も内部に畳を
槽とトイレを一室に納める形
ブル掛・同叶風等による皇室特
ことを明らかにしている。
有の窓礼の定型が確立し、建
ことを示した。
が可能になった。
築様式に関わらない身分表現
式を肯定する傾向を現解した。
敷きトコを設けるなど、和風
m
て、現代住宅における住要望
主式日
望 構 刀 II
吾
築米!官
に草 1
見ハ I
Q
るウ 1日
現ス
代の
居居
住住
の者
をヶ構築。の観点から分析し
麻
要の立 i
理
研究臨8111
大正@昭和初期の大阪市
営月賦住宅における住環
境の変遷について
j11
北畠・杭全住宅の住宅及
び住宅地の現状調資
研究臨8112
研究地8113
介護保険法導入に伴う個
人の社会化と住まいの開
放化に関する研究
研究地0114
アムステルダム・ベイル
マミl ア高層住宅団地の
再生に関する研究
研究胤a115
││総合的アプローチによる
持続可能なコミュニティの建設
上肢障害者の住宅におけ
る生活行為に関する研究
1 1療 養 と 看 取 り か ら み た 住
まいの研究
コミュニティケアと循環
型生活ネットワーク
水村容子
本研究の目的は、アムステ
主査
ル ダ ム ・ ベ イ ル マ ミi ア高層
主
河
lil自 発 的 コ ミ ュ ニ テ ィ に お
けるノンフォーマルケアの考
要介護者と介護者の住まい
角橋徹也
本研究は、サリドマイド胎
山本和恵
本研究は、コミュニティケ
住宅団地の失敗の阪国を採り、
福本住附い
本研究では、大 ー
7 から昭和
と住まい方を調査し、﹁個人の
を明らかにすることにある。
事業の全容と再生手法の特徴
芽病による上肢障害者および
人の社会化を、生活の自立度
アに向けて住民がどのような
肢障害配慮の手法を検討する
初期にかけて供給された大阪
っているかを具体的なフィー
新たに開始された大規模再生
と同時に供給当初から現在に
の低下にともなう他者の援助
戦後住宅難解消のため大量建
ものである。サリドマイド者
設 さ れ た ベ イ ル マ ミi ア団地
ルド調査(診療所活動、まち
の付加ととらえ、住まいの開
は、その社会的、技術的欠陥
奈るまでの住宅地の姿を、時
放化は家族の見守りに着目し
こで採られた統合的アプロー
調査では、住宅内での生活行
層悪化している状況が、高齢
た﹁内部への開放性﹂と外部
の専門サービスに対する﹁外
チは空間的再生にのみ重点を
為に伴う身体の痛みがより一
結 果 と し て 、 ① ノ ン フ ォi マ
者調査では、住宅における加
部への開放性﹂について考察
置く従米手法とは異なり、ソ
づくり活動、地域通告ハ)に基
住宅建設後に計嗣さ
は、北 'Mm
ルケアには﹁認知﹂を﹁交流﹂
齢対応計闘は、一般的な身体
聞を持つ住宅が支配的である。
する。対象空間は和室の続き
フト・ハ i ド 両 稲 に わ た る 総
合的、多面的なものであった。
づいて考察したものである。
れた杭全住宅では、住戸の配
へと変容させてゆく機会財と
の老化に伴う上肢の機能低下
になっても移動することは少
要介護者の寝室は介護が必要
一九九九年、当局は再生事業
事業着手後一 O 年を経過した
ることを試みた。供給計両で
置に関して工夫がみられるこ
しての役割があること、②地
へ対応している一方、上肢障
ない。要介護者寝室は、介護
ては家並みの印象が残る傾向
調べた結果、北白間住宅におい
現状における建物残存状況を
よそ中学校区を上限としてい
ーマルケアの対象圏域はおお
状況が明らかになった。リウ
た場合には、対応しきれない
J
はほぼ順調に成果をあげてい
ること、③複数のテ!?に基
マチ怠者調査では、サニタリ
主要であり、居間等との連結
にあるのに対し、杭全住宅に
づく多世代型のノンフォーマ
│諸室における行為および調
が求められる。高齢者介護に
おいては供給当初の印象が薄
ルケアを確立するうえで地域
ると総括している。本研究で
は、統合的手法が他の公団方
れつつも、躯体を活用しての
理行為や収納部分の利用行為
らかにして今後の団地再生や
式やオーブンビルディングと
通貨のシステムが有効である
が困難な者が多く、住宅改修
であると結論づけている。
都市再生事業の教訓とすべき
であることが観察できた。要
増改築が積極的に試みられて
こと、④都市部と農漁村部で
形と、他家族の領域と交差せ
ず独立し、外部に伺くことを
は開放性の高い統き間が有効
いることが把握された。さら
解決を図る一方、人的サービ
意識した形が考えられる。
た優れた手法であることを明
はコミュニティケアにおける
スの利用が少ない状況が判明
比較して地域的特性に適合し
フォーマルケアの位置づけが
した。
介護高齢者寝室は、居間等と
に、杭全住宅においては、居
具、なること、などが明らかに
や福祉用具の利用を取り入れ
住地評価のアンケートを実施
なった。
の述結性を考慮した開放的な
した結果、住宅地の中心部の
ることが明らかとなった。
公閣が積極的に利用されてい
から失敗が明白となった。そ
とが明らかとなった。また、
域社会を基殺におくノンフォ
害を生じさせる疾忠を発症し
者からの﹁兇守りやすさ﹂が
系列的な視点を踏まえて捉え
社会化﹂と﹁住まいの開放化﹂
iJ
をテーマとして考察する。個
オく
高齢者、リウマチ忠者を調査
王
対象者とし、住宅におけるよ
ヨホ﹄
T
E
フォi マルなケア活動に関わ
r
t
l
態度や意識を育みつつ、ノン
起
子
の背景、内容を明らかにする
J
:
'
I
市営月賦住宅について、供給
f
r
研究胞日115
研究地8117
寄 せ 場 型 地 域 ll
出替、釜
ヶ崎における野宿生活
者への鹿住支援
研究地E118
研究臨日125
近世ならび近代初期の建
築用語に関する基礎的調
査研究
研究M8121
多くのヴアリアントを含み
源愛日児
つつ建築を記述してきた近世⋮
主査
一戸建住宅の増改築・建替
要因に関する研究
i14民 間 開 発 の 大 規 模 分 譲 住
宅団地を対象として
本研究は、建売住宅・団地
曽根陽子
の変容過稼と住宅改変の仕組
主交
本研究は、野宿生活者のグ自
中島明子
iil﹁自立﹂支開放と総合した居
住支援の課題
日本の公的賃貸住宅管理
システムの変革
堀田祐三子
住宅所有の構造再編に関
する研究
、
ヱ
資
ーーーイギリス型モデルの創造
的適用
平山洋介
i11日本・英国の比較分析を
素材として
主張
立支援。と結合した居住支媛
本研究では、日英両国の公
のは顧みられなくなっていっ
営住宅管理の実態について、
住宅所有システムは構造再
た。本調査研究は、それらの
編の時期を迎えている。その
る郊外建売六団地である。内
近世、近代初期の建築用語を
近代初期の多様な迷築用語が、
容は山団地別にみた家族状況
近代化過程の中で術語として
て、山谷及び釜ヶ怖の地域特
や住宅の変化、間ライフサイ
みを明らかにすることを目的
性、日出宅保護受給者の居住支
の可能性を追究したものであ
がイギリスから学ぶべき点に
援 を 行 な っ て い る サ ポl ティ
ことを目的としている。その
拾逃し、その基礎資料を作る
イギリスの居住者管理組織に
ついて考察した。日英の公営
クルの住宅改善行為への影響、
結果、七篇の近世大工蓄を電
実態と合意を日本・英闘の比
所有が安定して拡張した。ゴ
住宅はともにストック改善と
ブハウス居住者の実態、簡易
の築年数と建穫との関係、凶
問転入世般の家族構成や住宅
子テキスト化し(これまでの
あるものは整理され、あるも
ールデン・エイジ。とは異なり、
宿泊所の絞営動向等を調査し
研究分を含め二一ニ篇)、四五O
と す る 。 調 査 対 象 は 一 九 七O
現代のかグローバル・エイジグ
入居者の高齢・低所得化が問
た。その結果、第一に、両地
住宅改務行為における近隣の
年会前半の民間大手開発によ
では、白木・英国に共通して
ムについては、日本がイギリ
題となっている。管理システ
域は寄せ場地域としての共通
影響である。
る。現在野宿生活者が集中し
住宅価格の流動化、住宅所有
の特性をもちながら、行政の
ている寄せ相場地域を対象とし
者の多様化、住宅市場の規制
スから学ぶべき点として、
対応の遠いにより氏関(簡易
よる管理と大阪府営住宅を事
緩和が進行した。しかし同時
①管理人士体の役割の明確化、
例として実態を調資し、日本
に、住宅価格の上昇・下降の
②居住者参加の体制、③アカ
が異なる。第二に居住確保の
宿治所、非営利組織)の対応
が本研究の主眼である。住宅
実態、住宅資産の社会・文化
ウンタビリティ、④効率化、
質化に向かい、しかし国ごと
支援を行なう客鋭的、主体的
を活用した野宿生活者の局、住
要である。第三に簡易宿泊所
成する、﹂とが出米た。
余の用語のデータベースを作
に関する両国間の差異は際だ
的意味、持家政策の具体内等
⑤専門性と活動支援、の五点
の歴史条件を媒介して住宅所
条件は潜在している。寄せ場
援の内容については検討が必
重要性は明らかであるが、支
を指摘した。
という理論仮説が本研究の結
型地域においては、地域資淑
住支援の可能性がみられる。
を活用した地域再生の山中で居
論である。
有をめぐる差異を発生させる、
イジ。の社会・経済条件は均
っている。。グローバル・エ
較分析を通じて分析すること
主
査
公共賃貸住宅ストック改
善のしくみ。つくりに関す
る研究
研究臨日122
││設計図書・施工者選定・
工事監理の適正化
分譲集合住宅のリニュー
アル工事の品質確保支援
に関する研究
研究MolE3
f
t 大塚毅彦
、
ゴ
ォ
ー
阪神@淡路大震災におけ
る仮設転居間眉の住宅@生
活復興に関する研究
研究臨B124
i i居 住 状 態 の 化 学 物 賢 放 数
量に関する調査研究
空間一様発生法による住
宅の換気量測定手法の開
発研究
研究胤B1E5
iii土 の 実 験 住 宅 ワ ー ク
研究地0125
分譲集合住宅のリニュ i ア
宅(加古川市)と明石市の仮
本研究は、東加古川仮設住
州制定することができる空間一
本研究では簡便に換気量を
の建設、性能測定を通して現
室を計画し、セルフビルドで
版築工法を用いて土の実験居
本研究は、十日米から伝わる
畑中久美子
ショップをとおして
現代における土造り住宅
の室内環境に関する研究
ーーー神奈川県公社住宅の二つ
の建替市宇例を返して
ル工事は内容の多様さや工事
様発生法に基づく換気量測定
坂口淳
神奈川県住宅供給公社の二
設住宅からの転医者を対象に、
秋山哲
つの賃貸住宅団地(山中幸町住
の品質が既存住宅の品質等に
代における建築素材としての
血多
l印刷i
宅、下平間団地)の建日後一卒業
の居住持の平均換気量と室内
造実験居室建設をとおして施
手法を開発し、木造戸建住宅
て検証した。さらに、建設後
工性、精度や施工管理につい
仮設住宅から恒久住宅での住
の室内環境測定やシミュレー
まいと生活の復興状況および
ことを確認し、毛細管ピペッ
ションにより、居住性能とし
左右されることから、新築工
経年的に検討した。本調査の
レーサi ガ ス 発 生 量 を コ ン ト
ト及びパイアル瓶を用い、ト
ての熱環境の而からも検証を
事に比べて品質確保の前提と
者である管現組合が、価格優
った。①移転先の恒久住宅に
結果、以下の点が明らかにな
ロールする基礎的デl タを得
では、一反り入居家賃問題の解
先の怠思決定をしてきた。限
た。木造住宅を対象とした空
決日居住者団体が提案し公社
交えたパートナーシップ方式
られた工事費のなかで、施工
興格差が拡がっており、健康
より課題は倒別・多様化し復
ワークショップ形式での版築
の確立、専門家によるアドボ
者が適切な施工を行なってい
行ない、夏期においては、夜
土の可能性を探ることである。
カシl、 居 住 者 主 体 の 設 計 提
るかどうかを発注者の交場か
間一様発生法による換気量の
化学物質濃度を同時に測定を
案など、数々の注目すべき予
面や生活の不安定な復興途上
課題、恒久住宅での居住支援
法としくみづくりが試みられ
ら確認すべき工事院理業務の
なる標準的な設計図書が準俄
ている。二つの住宅団地の活
達成感と愛者は大きく、現代
は常に外気滋より低い結果が
においてはこのような建築ス
間換気を行なうことで、室温
の一一冗化、共有化を行なうこ
0 ・三回/ hから0 ・ 七 回 /
h の範囲に入り、換気量と V
O C濃 度 か ら V O C放 散 速 度
タイルにも側値があり、必要
宅の住宅全体の換気回数は
とで生活総体の支援を可能と
を算出したところパラジクロ
とされていることが感じられ
測定の結果、今回測定した住
し、被災者にとって安心の見
ロベンゼン、トルエン、ベン
の被災者も多い。②ケアネッ
状況である。本研究は分譲集
守りシステムを構築した。今
ゼンの放散迷皮が多いことが
ト・システムは、被災者情報
焦点をあて、設計図書作成か
合住宅のリニュ i ア ル 工 事 に
後の地域での新たなケアネッ
た
。
内等についても十分な検討が
ら施工者の選定・契約、さら
ト・システムへの構築に向け
明らかとなった。
行なわれているとはいい難い
て、﹂れらの手法を組み込んだ
には工事監理までの一述のプ
ての足がかりを得ることがで
どのように建替事業に関わっ
か、明らかにし、公共賃貸住
ロセスの実態を整理し、工事
きた。
フピルドでつくることによる
得られた。また、版築をセル
宅のストック改善のあり方に
の口問一位確保のありょうを検討
ついて考える。
した。
動、公社住宅自治会協議会が
によって制度化される新旧家
t
二
行なう。トレi サ ー ガ ス に は
f
l
f
HFE7100が使用できる
ヨ
i
サービス・ケア(明石市ケア
ゴ
ち
:
ネット・システム)について
1
二
されてこなかった。また、工
一
&
:
:
m
:
事の品質を見分けるべき発注
日i
居住者団体・公社・市などを
EI
賃格差調整金制度、居住者・
7
f
、4
する研究
木質住宅における生物劣
化の非破壊診断技術に関
研究臨0127
性能設計に基づく建築材
料選定支援システム構築
研究院0128
現 代 大 都 市 の ホ l ムレス
問 題 と イ ン ナ l シティに
おけるまちづくり
研究胤ODE-
外国人集住地区を例にして
ili寄せ場、同和地区、在日
に関する研究
- i データベース構築のため
の調査・研究
藤井義久
高齢社会における農村住
宅の研究
研究臨0010
向に関する研究
111
準近底の存在からみた老
親世帯の自立と支援
家族構造の変化に伴う高
齢者のサポート居住の動
研究胤日日1 2
上和田茂
lll農 村 住 宅 の バ リ ア フ リ ー
化と地域施設的利用
、五資
本研究は、親子両世帯が距
主査
HF
離的に維れて居住していなが
二
日Ithh乙
i
J
id
本研究は、高齢化率がおい
ら、日常的に密な接触、交流、
水内俊雄
大阪市西成区は、あいりん
にもかかわらず、バリアフリ
協力、支援を通して互いに支
、玉木且
住宅建築の外壁を構成する
地域、釜ケ崎と呼ばれる日一雇
住居について、今後の住居の
i化の進んでいない農村部の
野口食文
本研究では木造戸建住宅に
部材・材料の性能値と、住空
区、在日コリアンや沖縄県出
労働者街、日本最大の同和地
、
五
十
川
且
おける腐朽や虫宏同等の生物劣
の関係を把握し、ユーザーま
農村住宅には、容易に取り除
とする。中部、近畿、中田、
的に明らかにすることを目的
え合う居住関係を、高齢者支
くことが可能なバリアと、住
四国、九州の五地方の計三二
予法について、基礎研究およ
宅密集地匿という、都市問題、
文化・住様式と密接に関係し
の高齢者を含む計二七一一世
市町村に在住する六五歳以上
援の視点から﹁サポート居住﹂
社会問題の極めて厳しい側面
容易に取り除けない、あるい
あり方を提案する、﹂とを目的
を 複 雑 に 有 し た イ ン ナl シテ
は取り除くべきでないバリア
査を実施した。その結果、依
幣を対象としてアンケート調
身者の集住、高齢単身者、障
構築するための基礎的資料を
ィである。本研究の目的はこ
が存在すること、②一般に続
然として同居の占有率は高い
たは設計者の要求から目減速な
作成することが本研究の目的
う し た イ ン ナl シティでの新
き間と呼ばれる連続した座敷
と再認識し、その動向を全国
エミッション (AE)による木
である。住宅金体、内部空間
たなまちづくりの特徴を以下
は、日常的な使用はほとんど
ものの、その減少傾向は著し
としている。本研究では、以
造建築物内のシロアリや他の
の各種性能に関して外援が関
の三つの素材から考察するこ
ない。さらに、その他の室と
顕箸であること。県内別居の
く、代わって準近居の増加が
下のことを明らかにした。①
木材加害昆虫の非破壊検出の
るが、それらを各レベルで明
連する性能事項は多岐にわた
とにある。①現代に展掬する
は連続した安である必要性や
準近尽においては、重層的な
して零細商工業混在の木造住
試験と、レーダ探査技術を用
選定することが重要である。
確にし、最適な材料・部材を
まちづくりの基礎となる西成
利用形態となっていないこと、
家族サポートと近隣によるサ
害者、野宿生活者の多住、そ
いた木材内部の腐朽や空洞な
そこで、建築物が製品として
セスとその系議、②全市的な
毘の戦後のまちづくりのプロ
求はおく、特に住宅で稽古
③稽古事・習い事に対する要
﹁材料選定支援システム﹂を
どの欠点の検出する手法の基
合理的に生産される﹁工業化
野宿生活者問題の認知がうな
ポートネットワークが形成さ
外壁の構成材料を決定する
礎研究により、住宅における
住宅﹂の生産過程を調査対象
がしたあいりん地滅での新た
事・叩世間い十字をしたいという要
のバランスがとれた居住関係
れており、﹁自立﹂と﹁支援﹂
び実用化のための開発研究を
生物劣化を総合的に評価・診
アリング調査をすることで、
として、各住宅メーカーにヒ
なまちづくりの運動の系議、
望が高いこと、である。その
断することについて検討した。
設計評価手法と管理システム
よで今後の住居の考え方を提
であることが明らかになった。
そして③新しいまち、つくりの
案した。
動きの実態分析および評価か
ら構成される。
を検証した。
行なった。アコ i スティック・
間に対して要求される性能と
D.
化部伎を非破壊で検出し、そ
オミ
れらの分布や程度を評価する
ニ
ヨ
戸町d
ρ0
者住宅の計画基準と地域
生活施設の配置
デンマークにおける高齢
研究臨B813
洋風軸組・木骨造の導入
過程と在来軸組工法に与
えた影響について
研究臨日日E日
の計画基準と在宅居住を行な
ークにおける高齢者向け住宅
である。本研究では、デンマ
の経験を検討することは章一要
へ と 転 換 し て い る デ ン マi ク
一九八七年より施設から住宅
在宅の方向にあるが、すでに
の木骨煉瓦造、そして、木骨
充模型の木骨煉瓦造、被覆型
流れがあることが分かった。
その結果、普及期には一二つの
うに消えていったかを調べた。
どのように導入され、どのよ
どんな建物をいうのか、また、
られた﹁洋風木骨造﹂とは、
イプの住宅計画がなされてい
の生活様式に応じた様々なタ
され、これを活用して高齢者
通性を持った計画基準が設定
外に共用部分を確保できる融
て検討した。その結果、住戸
状況について実態調査を通じ
げとして、現代に引き継がれ
経て、木造モルタル塗り仕上
火性能は、木造タイル貼りを
受ける。一方、その優れた紡
は関東地震で決定的な打撃を
裂に収束していき、最終的に
地震を経て、木骨に被覆する
は明治時代後半のいくつかの
石造である。そして、それら
ること、高齢者が来所しやす
ていったことを明らかにした。
重要性、が指摘された。
こと、送迎サービスを行なう
ーセンターが配置されている
を単位としてアクティビティ
い基本行政区と一致した閤域
ィセンターの活動内容・配置
う上で連携したアクティビテ
明治から大正にかけて建て
大橋好光
主査
光
││計画原則の検討と居住者
実態調査による評価
主査
}
I
I
わが国の高齢者居住施策も
正
おことわり 1 1 1
すまいろん
側年夏号
七月発行
次号予告
アーバンビレッジ
特集 H
︿
佐
川
占
⋮
﹀
アーバンビレツジを巡る話題
服部等生(千葉大学)
︿ミニシンポジウム﹀
アーバンビレツジ巡行
松永安光(鹿児島大学・建築家)
楠田実(住宅連築評論家)
司会一服部本生(千葉大学)
︿論文﹀
英国のアーバンピレッジ事情
漆原弘
京都とアーバンビレッジ
平竹耕一二(京都市役所)
サスティナブル開発への貢献
日本の超高層建築ブ!ムとアーバンビレッジ
滋恵介(大阪ガス鰯エネルギー文化研究所)
訳/鈴水雅之(千葉大学)
B- フランクリン(カl デイフ大学)
︿すまいのテクノロジー﹀
密度論からみるアーバンビレツジの意味
杉山茂一(大阪市立大学)
︿私のすまいろん﹀
問阿部昭診(文祭家)
︿ひろば﹀
アートからの町づくり
高木アヤラ・タカユキ(千葉大学)
︿すまい再発見﹀
名古屋アレクサンダ!団地の経験
凶郷裕之(市浦都市開発建築コンサルタンツ)
研究述営委員会での審議の結果、
︿住総研ニューズレタ│﹀
︿関書室だより一猟書文献探索の楽しみ﹀
鈴木謙次(日本女子大学)
タイトルは仮題、執来者は変わることがあります。
二O O一年度の助成研究二編と
二000年度の効成研究一一編は、
不掲載扱いとなりました。
内として、 建設業を理解するための文献、 資料を紹
建 設 業 は 、 一 九 五O 年 に 制 定 さ れ た 建 設 業 法 の
介したい。
﹃元議、下総その他いかなる名義をもってするかを
こで求められる知識や技術を明解し、戦絡的に学べ
るような状況を供するのもその役割と考える。ぞれ
築だけでなく、初学者が建設立版業の成り立ちと、そ
が産業の将米をつくる。
建築業界、住宅業界は依然として厳しい状況にあ
@建設産業の現在
ら三O兆 円 を 割 り 込 む と こ ろ ま で 落 ち 込 ん だ 。 住 宅
る。昨年の建築投資はバブル時のピi ク五二兆円か
問わず、建設工事の完成を請け負う営業をいう﹄と
る。民法は、
負う﹂ものと規定している。議点同一の定義は民法にあ
いう定義に狼拠を持つ。つまり工事の完成を﹁請け
@建設産業図書館の開館
一月、建設産業図書館が東京築地に開館した。﹁娃
成することを約し、相手方がその仕事の結果に対し
建設産業研究にとって明るい話題もある。昨年十
着工も一一五万戸で、最近のピークである一九九六
ともなう工事政の低下も著しく、産業に対する変革
設産業﹂を中心テl マとする専門凶書鉛で、来日本
年の一六三万戸から約三O %減った。市場の縮小に
建設業保証附の創立五O周年記念卒業として開設さ
受けて厳しい状況が続いている。就職活動自体も大
建築を学ぶ学生の就職活動も、当然、この彩細管を
史、工事誌、関連統計、時処設業経営等の新旧の書籍
れた。建築・土木、社史・団体史・伝記、時叫設産業
その効力を生ず﹂となる。つまり、建設工事の発注
て、これに報酬を与えることを約することによって
笈は当事者の一方がある仕事を完
J
m
m
h
の圧力は相当に高まっている。
学や研究室を通した推薦山中心からI Tによる自由市
工事一式の代金や工期などを請負者との問で取り決
の原型は、近叶一初期に成立したとされる防相同慣にある。
め、その完成に対して報酬を支払う。この工事請負
者は、工事目的物を設計図書等で翁負者に明示し、
建設産業史の研究半切である菊岡倶也館長が収集さ
約 二 万 冊 、 雑 誌 二 九O タイトルが所蔵され、広く一
れた建設関連の社史・団体史のコレクションも開架
の一式請負契約文書 11l ご間宮大社文書﹄にみる﹂
般に公開されている。
供するネット上の情報は、一方通行となりがちで、
されている。また、戦後の建設産業政策に深く関わ
ット上の情報に右往左往せざるを得ない。企業が提
就職した後に重要となるその業界・企業の歴史や風
られた故・古川修京大名誉教授の蔵書、資料類が特
場へと様変わりしている。狭き門をくぐるため、ネ
土は伝わりにくい。そのため、入社後のミスマッチ
の配付資料に、雨宮大社三重塔の務状奥書がある。
の現荏を知る 遠 藤 和 義
建設産業図書館の第一間余幽展示、﹁わが国初期
もよく開く。
に、書籍、報告書などの一部が開架されている。業
設の﹁十日川修文庫﹂に収められ、目録の怒備ととも
建設産業研究に関わるものとして、現状への処方
ネコンやプレブアブメーカーのビジネスモデルであ
z
g
ある。攻在、祭者もそれらの整埋に関わらせていた
る一式訪負の誕生当時を伝える支震なものである。
館﹂の横断検索システムに参加している。とくに学
重之塔伽抑止翌日諸織の分に討論見、右の代銀に相究め、
治状は、﹃惣代銀合せて七拾食尽也。右、南官三
⑧ビジネスモデルをひもとく
生やさまざまな分野の若予研究者の方々が、実務の
L
と始まる。
一式の仁李総はと工期がポされ、治負としての基本
前に急度仕立上げ中すべく候
条、協に御請け取し絞。詑分念を入れ、米年七月以
注文指上げ中し候処に、万事⋮式に仰せ付けられ候
ここでは、そうした問題意識へのささやかな道案
畿建設業とは?
30
砂一界との接点として活発に利用される、﹂とを願いた
学会の﹁建築・都市・住宅・建設産業分野専門図書
住総研図書室と同様、建設産業開書館も日本建築
だいている。
界紙のスクラップは昭和二0年代からのストックが
文 書 や 解 説 は 、 ホi ムぺ i ジ (UR
七三¥当者名・&2
むからダウンロ
一3
8V¥5
ミ
¥
門 S U ¥門口μ巾
ロ
ロ
iド で き る 。 こ の 文 書 は 、 請 負 、 と り わ け 現 代 の ゼ
猟書:文献探索の楽しみ
は建設業の上九搬すべき課題の一っともなった。
どに揺らぎはあった。
づみ出来し候時は、縦い五年、一一一年過ぎ候とも、何
ている。その背景には、冒頭⋮に述べた市場の縮小の
方式、
P Fー な ど 多 様 化 し 、 再 度 選 択 の 時 期 を 迎 え
そ し て 現 在 、 分 縦 発 注 やC M方 式 、 設 計 施 工 一 貫
も佐直し申すべく候﹄と、現代の品質保証、殺庇祁⋮
の選択は、今後、請負がそうであったように建築関
みならず、請負そのものの性質も関わっている。こ
また、﹃大工仕事など、悪しく仕り、ゆがみ、ひ
めは、﹁無沙汰仕り絞はば、本人の儀は申すに及は
判断に加わっていただければと考える。
生や若手研究者の方々もこの課題を潔解して、その
係者の世界に広く影響する可能性が高い。是非、学
保責任に通じる精神が表明されている。また、とど
ず、請人ともに、家屋敷、家財残らず刀口上げられ、
山市干に仰せ付けらるべく
ι とあり、責任重大である。
過去、現代を問わず、一般に連築工事の履行には
U R L :h
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c
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畿ビジネスモデルのゆくえ
れば、請負というビジネスモデルの必要性は薄れ、
利用料金無料
遠藤和義/えんどう・かずよし
1学院大宇建築学科教授。
一九八三年、芝浦工業大学工学部後築工学科
卒業、八七年、東京大学大学続陣土端部線中退。
京都大学助手を経て、九三年より工学院大学
建築学科へ。講師、助教佼を経て二 O O三年
より現職。建築生産、建築経済を専門領域と
する。同士(工学)。
浜i
雄氏建設プラザ 1附
FAX:0
3
3
5
4
5
5
1
4
1
I
l
日
館i
侍1
:
1:91
:
1
<
30分 -1611古30分
休館日:[:・日 n
l
l
l
l
l、祝日、年末年始、特別l
怒号[!刻 f
H
J
さまざまなリスクが含まれている。契約の履行に関
請負者であるゼネコンやブレファブメーカーも当然
ただし、このビジネスモデルの過去も決して盤石
,
連して起こりうるすべてのリスクを排除して契約す
工法等の指定はなく、請負者の裁量による下請の管
的な要件をまず満たしている。文書中に具体的な施
⋮方、発注者も、信頼のおける請負者を選定すれ
その存在理由を失う。つまり、建築工事に合まれる
ば、工事目的物の完成に関わる負担や責任は少なく、
理等の良否が工事の経営を左右する。一戸一口外にその
日を作業日に充てるのはこのビジネスの必然であり、
効小学的に目的を達しやすい。つまり、発注者、受注
て、その業態は成り立っている。
工期一年の工事で毎週土曜日を休みとすれば、それ
者双方に利益があってこのビジネスモデルは普及し
本質的で適度なリスクの抑制とそれへの対価によっ
だけで工期は一か月半延び、工事獲得の機会が減る。
もし、降雨や強風で平日の作業日が減れば、日曜
ただし、管理がうまくいけば利幅は拡大し、それは
でに定北相していたから、設計者の業務範閥から蚤屑
た。西洋のシステムが導入される以前に、これはす
﹁リスク﹂は請負者側にあることが一ぶされている。
請負者のものとなる。こうした建設業の特性はこの
のとなっている。建築教育の内容、我々建築に関わ
下請制に至るまで、その影響を受けた日本独特のも
頃から不変のはずである。
また、可御意に入らざる所は何ケ皮も、御好み次
L
第に佐直し申すべき候﹄とあり、一顧 符 満 足 度 を 追 求
であったわけではない。詳しくは述べないが、少な
る者のメンタリティ然りである。
く と も 明 治 初 期 の 凶 洋 建 築 技 術 導 入 期 、 戦 後 のG H
する現代の品質管理にも通じる考え方がやや過剰に
スク要悶でもあり、結果的にそれを吸収するために
表明されている。請負者にとって発注者の要求はり
Q 政 策 下 、 昭 和 問0年 代 後 半 の オ イ ル シ ョ ッ ク 時 な
.
1 ・0
3
3
5
4
5
5
1
2
9
請負をひもとき%
請負者側の希望する工事費はエスカレートしがちで
5
9
1
1
l
t話番
7
ある。結果、バブル崩壊直後、過剰品質と高コスト
建設産業団書館
所主地:東京、若1
'
1
'央 1
,
,
:
築
地 5-51
2
住総崩図書室だより一一一一一一一一
ブルiノ・タクトの住宅団地とその色彩
稲葉唯史
。
ヲム日
スである。その間関に二層のテラスハウス
府+屋根裂の階段室型アパートメントハウ
が放射状に並べられ、それらを護るように、
住附聞は位指ごとに外径が塗り分けられ、
設があてられる。馬締形の住棟の外側慨を向
連結住応というよりも小さな戸建ての住宅
つけられている。小径に北から人って左側、
長大な三局+屋抑制裳の階段室型アパ iトメ
西を向く而は、黄と赤茶が二世帯毎に交互
ュのモルタルリシンで、屋根市誕階の部分は
いた外壁は一l一二層の居住階部分がベージ
が放んでいるような印象を受ける。外同僚の
にある。タウトは全体計幽から関わり、交
に塗られている。小径をはさんで対阪、東
広川崎形の僚は東側を開き、そこに公共施
通計尚も行なっている。当初は七五M の敷
を向く面は、色味の印象が少し強くなる。
ントが街区を回んでいる。
科学者で色彩学おの稲村耕雄氏は務脅
地に七000人の印刷住者を予定していたが、
五除後連絡で濃紺を中心に淡い賞色と茶色
色は、小径の河側の械で彩皮、明度に北町一が
﹃色彩論﹄の中で、二O世紀は﹁色彩の世
いない。工事は二期にわたり、一期日は一
第一次大戦の勃発により一部しか災現して
③色彩の世紀、色彩の建築家
紀﹂であったと述べている。合成顔料と人
階段室はお隊形外側に配註され、その階段
濃紺に塗られている。各住一戸へ入るための
室部分の外壁も濃紺である。階段室部分と
*20
二期工事は一九一五年に行なわれ、一期
が挟む。それが二煉述続する
工照明が放口及し、一九世紀までとは比較に
o
mほ ど の 小 路 を 凶 う よ う に 、 勾 配 屋 根 を 持
き 、 住 棟 周 闘 を 廻 る 。 さ ら に 、 一 ・ 五 mほ
屋根市誕階部分が連続する濃紺のT の字を描
九一一一一年に行なわれた。南北に長さ一五
部分の凶、緩やかな円弧を描くように背後
ならないほど笠笥な色彩が身の回りに氾滋
つ二階のテラスハウスと階段室型アパート
の丘へ上る滋に沿って、テラスハウスと階
することになった。保守的な人びとを憤慨
させたが、それは新たな環境をつくり出す
段室恕アパートメントハウスが建てられた。
ど屋根庇が山山ていることもあって、建物の
メント型ハウスが配置されている。小径か
輪郭がはっきりし、特問地(な形体と圧倒的量
小庭に商した壁は薄いグレーのモルタルリ
か所のトンネルからも入る、﹂とができる。
山中庭へは烏締形の円弧の部分に開いた一一一
感を強調している。
に比べるとグラフィカルだ。震直と水平に
トの住棟がある。その山鉱山山はテラスハウス
所あるトンネルの位援を中躍のどこからで
シンで、居住階部分と原根裏階部分との塗
も確認できる。馬蹄形外側と遠い、中庭側
茶の殺を入れ、升目の中を品目と賞で殺り分
た棟、山系い援聞に赤と臼で幾何模様を搭き、
の墜には水平を感じさせる要素が少ない。
の関口部の古川さまでレンガが張られ、一ニか
窓枠まで赤にした棟と多彩である。住棟の
また、屋根斑も山山ず、グレ!の壁面が、す
り分けはない。トンネルの部分は屋根裏階
ボリュ i ムと色彩の変化がアクセントにな
け、赤茶の雨戸を付けた棟、山笠岡を寅とオ
り、街区に心地よいリズム感を生んでいる。
*30
され、テラスの内壁が濃紺に彩色されてい
たれている。テラス部分はレンガで縁取り
市中庭を向く同町地面には各俊一戸のテラスが穿
っと上方へ延びていくようだ。
た
空間と内部空間の架け橋﹁外部の際問(ア
る。この演出は、タウトが主張する、外部
一九二五 1一一一一一一年、ベルリン市南東ブリ
の一つだろう。
ウセンヴォ l ンラウム)﹂の呉現化のため
ブリッツ・ジ1 ドルンク
か-烏締形のジ!ドルンク
ツツ地区、一二三加の敷地に建設された。こ
qL
の住宅団地の核は馬蹄形プランをした⋮一一
4
不忠議な一体感をつくっているように忍、え
住棟と色彩の構成によって、住宅団地全体に
レンジの市松模様で埋め、緑のドアを付け
の間に、ところどころ三階のアパ iトメン
に股侍ごとに塗り分けられている。その棟
テラスハウスは一刻のタイプと同じよう
ら棟の反対側は世帯ごとの小路になってい
フルI ノ・タウトは、建築に色彩を核怪
1
1指ごとに外壁がサマ リ分けられた l知l
の掛((ト)と
U
Iの
!
J
l
(
(
1
J
J。
よりグラフイカルな 2J
可能性も持っていた。
的に持ち込んだ最初の建築家である。ニO
股紀初頭、タウトがベルリンに設計した住
宅問地も建設当初は非難を浴び、論争を巻
き起こした。当時、ベルリンに激増した労
働者のために計附された住宅団地を、タウ
トはパレソトから絵の具を選ぶように彩色
したからである。
しかし、それら住宅団地の多くは、一九
八0年 代 以 降 、 フ ァ サ ー ド は 建 設 当 初 の 姿
に修復され、住民はんマも住み統けている。
色彩が氾滋した現代においては、住宅問地
内の色彩はむしろ、適度に整、えられたもの
に感じられる。住民も愛着を持って暮らし
ているようだTo タウトの住宅団地日ジ i
ドルンクの、小続税団地と大規模団地の代
表的な二つについて、以下に記したい。
@住宅湿地と色彩
噌EA
間関都市フアルケンベルク
ぷ間の具箱のジ1 ドルンク 4
ベルリン市の南京郊外、グリュナウ地区
盟国都市ファンケンベルク
n
u
nnu
直 後 が 一 五Omも あ る 中 庭 は 特 異 な 空 間
ネ50
上に、中心の沼に向かってすり鉢状に窪む。
時に色彩はビビッドで刺激的だが、子ども
人あたりの柔らかさのようなものがある。
ウスの建築家たちの集合住宅と違う、何か
タウトの住宅団地には、同時代のパウハ
ろ
、7
その府間は間層の建物が凶んでいて、周囲
が揃いた絵のような微笑ましさが伴う。パ
である。山!駐として広大なスケールである
から隔絶された感が強い。そして、自然と、
と述べている:。だから、各位一戸の フラン
すことができる。そのための色彩である、
うだ。また、限定計画もコストパフォーマ
という明白ばかりで選択されてはいないよ
稲葉唯史/いなば・ただし
京京芸術大手美術学部建築科助手。
市本京芸術大学建築科卒業、同大学段修士
謀程修了。
な楽しさと自由さがあった。
ネフ社の彩色積み木を、大地に並べたよう
O年 に 製 作 し た ﹁ ガ ラ ス の 建 築 積 み 木 ﹂ や
タウトの住宅団地には、タウトが一九二
は、時に自ら発光しているように光り輝く。
だろう。タウトの住宅団地の彩られた住棟
光に満ちていなければならないと考えたの
に務き、﹁ガラスのパビリオン﹂のように
一である住宅団地も﹁アルプス建築﹂のよう
プス建築を描いた。そして、市民生活の場
を受け、ガラスのパビリオンをつくり、アル
で作家のシェ l アバルトとの対話から啓一不
ようとしたものであった。タウトは思想家
ジーに反政を翻し、市民の生の力を解放し
義の芸術巡動は、出体制や新興ブルジョア
タウトが第一次大戦前に傾倒した表現、主
耐の自由皮のおさのためだと思う。
メソッドを臨機応変に崩してみせる色彩計
少しずれた(行者のような)配設計画や、
さを持つ。それは、幾何学的な厳格さから
の住宅団地は、住民と対話するような気安
ザインで圧倒しているのに対して、タウ卜
集合住宅が、建築理論の古川潔さと厳松町なデ
ウハウスの建築家(例えばグロピウス)の
に塗られ、形体も色彩も強い重足感を持ち、
はこの時代の椋輩的といえ、機能的だ。ま
0
⑧住民のための色彩、住漢のための大地
た 、 色 彩 以 外 の デ ィ テi ル に 変 わ っ た 所 は
あまり感じられない。
の設計がいかにコストパフォーマンスに優
L
れていて、また、低コストでも住民の﹁他
ンスだけを章祝すれば違う選択もあっただ
しかし、色彩は﹁隣の家と差異化する
人と述、7家 に 住 み た い ﹂ と い う 要 求 を 満 た
身 も ﹁ ジi ドルンク覚え書﹂の山中で、自分
トは最も重姿な設計条件である。タウ卜自
労働者のための住宅である以上、低コス
まさに城壁のようである。
階段室型アパートメントは、赤茶と焦げ茶
街一区の悶悶に建つ長大な三階十屋根裏の
ことを械つてのことだろうか。
というには強すぎる印象だが、単調になる
が鮮やかな青に塗られていた。アクセント
絞する住棟を順に追っていくと、問の一戸
色彩も人間的で安心感がある。しかし、述
棟 が 圧 倒 的 量 感 な の に 対 し 、 ボ リ ュ i ムも
で彩色されている。これらは、あ締形の住
スが建つ。玄関扉は側々に異なるパターン
には、黄土色や赤茶に塗られたテラスハウ
っている。敷地の外へ放射状に延びる小径
の広場があり、赤茶色のテラスハウスが岡山
えられている。円弧の背後、西側には変形
二階のテラスハウスには濃度のおい色が与
ス カ ラ ー に し て い る の に 対 し 、 問m
mに並ぶ
馬 蹄 形 の 住 械 が グ レ ー や べ i ジュをベー
識を強くする要凶であろう。
へ消、えていくようなデザインも、計への意
喰一大きく附かれた空へ怠識が向くように
配置凶
よら総形の j
j械の外観
と中民主!!刊の景観。
なる。壁面の稜線が強制されずに、壁が山工
ブリッツ・ジードルンク
公定﹀
1 ベルリン在住の建築 系
μ 、建築修復家、ヴィ
ンフリド・ブレン、平氏の研究の成巣によっ
て、フアサlドが修復され、後設当初の鮮や
かな色彩が蘇っている。
2 色彩の選択は、利タの開閉光の色味の遠いに
対する筏党的効来を考えてのことだろうか。
タウ卜は後にベルリン郊外に建てた自印刷(一
九二六 1二七)で外壁の京商を泉、凶面を臼
に中一り分け、品約エネルギ!の高効率化を試み
ているが、この住宅団地では違う考えで色彩
が選ばれているようだ。
3 ﹁絵の兵符のジ lドルンク﹂と処設当初、
新聞記者がこう名付けた時は批判的な意味が
込められていたようだ。住民の反対運動も起
きた。しかし、今では﹁絵の具箱のジ iドル
ンク﹂という言葉は好意的に佼われることの
方が多い。
4 ブ ル lノ・タウ卜﹃統建築とは何か﹄。
5 敷地に余裕がなかった住宅団地カール・レギ
-ンでは、整然とした配鼠計幽がされている。
-ブル iノ・タウト﹃絞建築とは何か込(篠田
︿参考文献﹀
Mmw
印口町円円
Ef
WC
0
英雄訳)市民白川出版会。
・ 7ンフレ iド・シュパイデル﹃ブル│ノ・タ
ウト一八八0 1一九三八﹄セゾン美術館編
.SD編集部編﹃ブル!ノ・タウト一八八O
i 一九三八﹄描出向山版会。
・土肥美土人﹃タウト芸術への旅アルプス建築
への道﹄岩波書成。
・杉本俊多﹁ベルリン都市は進化する﹂講談
社現代新書。
吋ドイツ表現主義の芸術展カタログ﹄
-E・ロ iタl ス編寸ベルリン一九一 0 1一九
一ニ瓦芸術と社会﹄(多木治二・持制季未
子・梅本洋一訳)岩波害賠。
e
。同コロロ内同﹄
-同E
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望
活動概況
畿二OO二年度の総括
0[B]ハウスアダプテーション研究委員
1
0
/1 第1
会
1
0
/6 第 1
5回{主教育フォーラム「お父さんたち
の子育て・まち育て」
1
0
/
1
1 第 65回情報委員会
世界のすまい方委員会
1
0
/
2
4 第 7回t
第 3回世界のすまい方フォーラム「アジ
アのくあの坐り方〉とく低い腰掛>J
2回すまいろん編集委員会
1
0
/
2
9 第7
5
4図江戸東京フォーラム「向島の成
1
1
/
1
4 第1
立と下町気質」
1
2
/
2
0 第5
3回すまいろんミニシンポジウム「住
まいとまちっくり一環境色彩の視点」
d会
、
M
1
2
/
2
5 第 B回世界のすまい方委員会
2003年
1
/
1
5 第 4回世界のすまい方フォ ラム f住ま
いーモ/一人間〈ソウルスタイル〉の視
線
」
0
6図研究運営委員会
1
/
2
1 第1
3回すまいろん編集委員会
1
/
2
7 第7
6凶情報委員会
1
/
2
8 第6
江戸東京フォーラム、住教脊フォーラム、
交枯げがあり、新年皮での新委員の活動が期
年度も研究巡常委員一名、情報委員二名の
そのほか、長として研究者を対象とした、一 に 新 し い 体 制 で 巡 営 さ れ て い る 。 二OO二
ハウスアダブテl シ ヨ ン フ ォ ー ラ ム 、 お よ
待される。
多数の応募があり、発表会、論文集、事例
ン事例募集・発表会﹂も、昨年に引き続き
研究年初慨に指紋している研究論文・委託
研究論文・委託論文の検索システム
構築
簿
一
一OO三年度の活動
び、世界のすまい方フォーラムも計的どおり
住教育の﹁第四割実践報告・論文募集・
開俄でき、延べ参加者は二七五名に上った。
住総研シンポジウム﹁郊外住宅地のエイ
発 表 会 ﹂ 、 ﹁ 第 二 回 ハ ウ ス ア タ プ テl シヨ
ジング(と再生ごは、参加申し込みされた
集など、開催後のまとめに期待がかかる。
成・ホ│ムベ i ジ 掲 載 は 、 創 刊 号 ま で 遡 っ
近々 CDlROMの 試 行 発 行 を 行 な う 予 定
不可能なキーワード検索が可能となり、
論文の検索システムが構築され、者絡では
共催の第二回公開フォーラム﹁大江戸八百
て完了し、研・究者の論文検索に寄与するこ
である。
﹃研究年報﹂に仰向叩制された論文の裂回日作
八町日本橋界限﹂は、博物館としても始ま
ととなった。近く研究者に利用していただ
ど)との公正かつ適正な情報交換が行な、ぇ
すまい予と専門家(設計指・了一務院な
すまい手と専門家を結ぶ市誌フォー
ラムの開催
く具体的な方法を検討中である。
常設委員会である﹁研究巡悦委員会﹂
委員の交替による委員会活動の
活性化
って以米という五OO名 を 超 え る 一 般 市 民
き事態となった。また、江戸東京博物館と
1
2
/2 第 1
1回ハウスアダブテーション研究委員
の米場で、補助席を急迭問志するという事
態になったほどである。
昨年度出版した﹁マンションの大規模修
繕﹂をテキストにしたシンポジウムを側マ
ンション管理センターと共催で大阪で間開催
1
/
3
1 江戸東京拡大フォーラム「大江戸八百八
回 丁 と 日 本 橋 界 隈 烈 代 勝 覧 」 の 世 界j
1回ハウスアダブテーション研究委員
2
/
1
1 第1
バ昼、
主教育委員会
2/17 第48回f
M
9回{主数育委員会
2/24 第 4
2/28 第 9回世界のすまい方委員会
3/29 第 4回「住まい・まち学習」実践報告・
論文発表会
7凹情報委員会
4/22 第6
5
/6 第 73閉すまいろん編集委員会
0
8図研究還営委員会
7
/5 第 1
7
/ 6 江戸東京拡大フォーラム
3回 f
主総研シンポジウム
7/28 第 2
ラムを食尚し共催する。
専門家を結ぶ仕組みつくりのためのフォ i
当財団相互の利点を活かして、すまい手と
すまい予との、不ットワi クを持つ団体と
他団体との共同事業を誰進
の協力をお願いしていく。
に収録件数を増やすために、新たに設計者
目途に公開する予定である。なお、継続的
し、利用に向けての数備を終える六月末を
設 計 者 の 協 力 を 得 て 、 九 件 の 収 録 が 完7
住宅設計図アーカイブの公開
する予定。
団 が も っ 利 点 を 活 か し て フ ォi ラ ム を 共 催
る仕組み‘つくりのために、関係団体とか寸財
0
7回研究運営委員会
4/24 第 1
と近
11/26 第 1
5
5凹江戸東京フォーラム「関
代大阪の再創造」
﹁情報委員会﹂は任期を厳白山に運用し、常
1
1
/
2
5 第 2白ノ、ウスアダブテーションフォーラ
ム f臼英の事例から学ぶハウスアダブテ
ーション協働のあり方を問う J
し、ニニ六名の参加を得て嫌況組に終、えた。
2002年
方の欠席がないという、初めての特筆すべ
情報発信活動がフル回転
吉5
2回すまいろんミニシンポジウム「都
市居住の普遂と変容」
1
0
/4
N
o
.
1
6
関監ws
L
荏T
T
霊
段
常設委員会
第川臨研究運営委員会
一月一二日開催
優秀助成研究選奨四編、不掲載三編
研究論文評二一四編の審議
今回は研究主査の皆さんのこ協力で、提
出期限がん寸られ、委員が円十くから査読に入
ることができた。
昨年皮から、助成研究の水準向上を視野
に、計画との議離の大きい場合は、計同州に
いる、村上周一一一(慶路義塾大学教授)、石川
な観点から検討する。慨に論文を委託して
きな問題となっているテl 7を、さまざま
いただく予定。
外国入居住者の住まい方について講演して
の研究をされている稲葉佳子氏をお招きし、
元(ひと・環境計闘代表)に加え、周辺新
定員二二
参加費一無料
折口(北里研究所病院医学センター長)、高橋
一(早稲間大学教授)の四氏が知当の吉野
庁山氏。ロ耳目にて詳綿お知らせしています。
ZG-¥、者宅若宮田cr巾ロヨミ・]℃¥君。門戸弘 i町田})同
日時六月二八日(土)
ンクール優秀事例発表フォーラム
第二回ハウスアダプテ1 ション・コ
O名
博委員(東北大学教授)の司会で議論を深
一月二八日開催
める。七月二八日(月)午後、建築会館ホ
i ルで開催。詳細は白百(参照。
第何回情報委員会
新委員に安武、横手両氏
シンポジウム/フォーラム関擢
第4回世界のすまい方フォーラム一月一五日開催
﹁ 住 ま い モ ノi 人間﹃ソウルスタイ
ル﹄の視点﹂
講演・佐藤浩司氏(国立民族学博物館助教授)
司会一清水郁郎委員(倒立民族学博物館講師)
昨年、大阪・国立民族学博物館で開催さ
れた﹁ソウルスタイルーま工己ん一家のくら
し﹂は、ソウルのアパートに住む中晶子さん一
込められた社会関係や家族関係を明らかに
定番の推薦問書の審議に統き、委員交政日
し、豊かな人間を描くことを目的に収集し
たが、今年度は、研究目的に歪らなかった
沿った研究を廷に一年お願いすることとし
が決まった。五十嵐太郎、大月敏雄両委員
世相記コンクールは一月三二日締め切り、
一方、委員会で話題になりながら具体化
新しい傾向が期待される。
人とも読書が好きとあって、図書推薦にも
大月研究室補予)の就任が決定した。お二
まれ、対象者である高鈴者や障害者の自立
教脊など多分野の連携・協働により取り組
計尚に携わった建築・医療・保健・福祉・
家の生活を捉、えることは不可能であり、佃
た。しかしモノを集めてみても、李さん一
つの意味を追求することにより、それらに
いう内災円であった。生活財(モノ)一つ一
の六年間の任期満了にともない、建築史分
全国各地から寄せられた応募事例の中から、
家の家財道具をすべて収集し、展示すると
研究三編については、年報への掲絞を見合
野の横手議口洋氏(東京大学鈴木研究室助手)、
一
一
一
一
一
三0 1一七一 O O
わせ、再提出するか、研究を終わりとして
建築計画分野の安武淳子氏(東京礎科大学
しなかった、優れた研究論文の顕彰を実現
会場建築会館会議室(港区芝)
いう措置を執った。
不掲載とするかを、王交の判断にゆだねると
したいと、今凶初めて﹁選奨﹂として四編
の発表フォーラムを行なう。
促進や、社会参加に繋がった、優れた事例
O名(参加費無料)
宛に申し込む。
何!
ζ 山口(庄司自⑧︺ロ印o
r巾
己主
ロ
・0
でハウスアダブテi ション担当
FAXSω ーに∞十可申とまたは
切}
ζ 即日]アドレスを明記のうえ、
④ 電 話 番 号 、 ⑤FAX番号、⑥
申し込み一①氏名、②所属、③連絡先住所、
定員一五
を選んだ。次年度の、王査の皆さんへ、好例
シンポジウム/フォーラム予告
新宿区大久保地区における外国人居住者
会 場 北 沢 タ ウ ン ホl ル第二会議室
ニO 一
一
一
一O
一八一 001
日待一五月一五日(木)
講師一稲葉佳子氏(鍋ジオ・プランニング)
第五回世界のすまい方フォーラム
として内等を発表していただく予定である。
研究論文評は、委員会が研究日的への迫
り方、結果としての達成度、現在の研究レ
ベルとの比較等で評倒しているが、研究者
にとっては一不本意な場合もあり、反論・川北(
論を委員会と繰り返すことが多い。
シックハウス問題最前線現状と今
後の諜題 i i第幻函住総研シンポジウム
法制化が進められるなど、初会的にも大
「第 4回世界のすまい方フォーラム」会場風景。
司令d
nhv
佐界﹂と題し、江戸東京得物館と共催した。
ム﹂のべ l ジからダウンロ lドできます
。
A 4判、初べ l ジ
人を語るにとどまったと、佐藤氏は話され
﹁聞紙代勝覧﹂のデジタル同抽出を見ながら、
外山山口説一編者﹃グループホl ム読本﹄は、
ス ウ ェ ー デ ン の グ ル ー プ ホ l ムに関する記
小津弘委員(江戸東ぃ以降物館教授)のコ i
木﹂発行人)は大通りの人びとの山引心づかい、
森まゆみ委員(作白人永・﹁火口山中・根津・千駄
一
Tml蜘東京都佐川谷区船続 4 l m 8
k 、当財団あて、左記に送付して下さい。
予を貼った A 4判の封筒に返送先を明記の
利問いたださたい。
に関する凶ざを収集しているので、ぜひご
住総研図書家ではお齢者・障害者の居住
平岡凶や災例も紹介している。
述 の ほ か 、 日 本 に お け る グ ル ー プ ホi ムの
た。後日談では、他人にとって持通のあり
ZG一¥¥司3J]ga出口 'C﹁︺℃¥山口一qc町一戸ニ母国
O
ふれたモノにも、太子さん一家にとっては悩
ディネlト で 進 め た 。 波 多 野 総 委 員 ( 日 本
竹内誠氏(江戸東京博物館館長)は情報発
高齢者・障害者の居住に関する図書
八マ則は高齢者および隙害者の印刷伎に関す
る凶設を紹介する。
M
凶解居住バ
日比野正己・夢設⋮一一一川⋮編者 r
昨年一 O月に行なった第日間住教育フォ
なっている。脳卒中・や脳性麻線など隙容の
がイラスト付きで絞っており分かりゃすく
築川詩集、リハビリや介護に関する別話集
日思すの高齢者の居住政策に関する概要、建
ウム記録・委託論文一一一編を収録している。
年度研究助成五縦、一一O O二年度シンポジ
住 総 研 吋 研 究 年 報 umm﹂
@新刊刊行物のご案内
ZG¥¥22ιgo-go﹁}℃¥言百円5225
詳納お問い合わせ一
りません)
m形 態 ・ 完 全 開 架 式 ( 資 料 貸 出 は し て お
利m
利別資絡一十八歳以上の方
間、創立記念口 H 一一月六日)
日間の休日(夏季・冬季の休暇期
休(金一土眼目日終日祝祭日当財
側室時間一九一一一一0 1 一六一 0 0
図書室案内
住救出 H担中川一永問、子介
戸東京博物館学芸員)は魚河岸を中心とし
博物館大ホール超満員の参加者たちは、
た江戸の経済についてコメントがあった。
スクリ!ンに映し出された江戸の成熟した
文明に誘われ、絵巻のなかに紛れた。
フ
対iラム記録頒布
関醤案内
信基地としての日本係地区、市川克明氏(江
郵送を希望される方は、一六O 円分の切
当 財 団 ホ l ムベ i ジ ﹁ 住 教 育 フ ォ ー ラ
依があることを見出すようになったという
工業大学教佼)は江戸の住宅や都市開刑法、
月一一二日開催
泌が興味深かった。
第附沼江戸東京拡大フォiラム
二O O年前の日本嬬大通りにタイム
トラベル
口同
本
タ
﹂
﹃九回晋
町
八景
百底
JI
江﹂
F会
大界
﹁註
ムの
ーラム﹁お父さんたちの子育て・まち育て
特性別に住宅改修のポイントを述べている。
すものとしておい評価を得ている。
リア・フリl百科﹄は、問、高約者住宅川対
i 総合的な学視の可能性を拓く﹂の記録。汐
医僚、一焔祉、山地築的川間隔と、複数の捌削減か
﹁住・まちづくりフォーラムかわら版﹂日号発刊
見総幸氏(東京火学)﹁学校と地域の境目を
ら解説したバリアフリーに関する事典とい
⋮酔見
︻
7J
江橋
可能性﹂、山序裕司氏(秋涼コミュニティ顧
解くi 子どもが生き生きする総合的学問の
A 4判・仰ベ l ジ・本体価格2 4 0 0円十税
京一
東隈
戸界
ム仏下
フ代
大照
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f川
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i
1
、lis:fcf21m3釘
iHr何 日 即 ﹂ カ 訂 F非 ιUAM物
“
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口仁
える一間である。
iG日NHV
へ
)
(お中し込みは、丸佐官口営業部︿屯話8
1
ω
日叶N
この論文集は我が国の住研究の水準を示
二O O 一年度研究助成二六編・二000
で開催され、ベルリン京派美術ぬ所践の﹁削除
問 ) ﹁ 父 親 が 輝 く コ ミ ュ ニ テ ィ を 育 むi 総
日本建築家協会東海文部愛知地技会編
b
合的学務への創造約なアプローチ﹂の講泌、
吋人にやさしい住・宅読本代は、図書という
代勝覧(きだいしよう りんごという彩色絵巻が
本邦初公開された。これは⋮八O O年ごろ
およぴ全体討論を収録している。
が掲哉されている。
建 材 ・ 住 設 機 器 ・ 福 祉 札 機 器 メ カ lワスト
ついても説明されている。巻末には、住宅
事例のほか、介護保険に関する法礎知識に
よりも小間子に近いが、住宅改修に開削する
の今川焔からH'
本橋までのふ人通りを米側か
の
研究年緑町
ら術撤している。絵師は不明だが、九O余
る約一七O O人を制かな筆致で姉いている。
mや身分が災な
粁 の 問 屋 や 問 、 魚 河 隊 、 職m
B
拡火フォーラムはこれを取り上げ、﹁大江
戸八百八町と日本橋界絞l 威川代勝覧
1
5
第口四位総研シンポジウム
シックハウス開題最前線
現状と今後の課題
﹁すまいろん
L のご購読について
@発刊日は原則として、冬号一月、春日万四
最新号とさせていただきます。なお、購
月、変号七月、秋号一 O 月 で す 。 し た が
いまして、送付開始は、購読料受領後の
昨今のシソクハウス問題に対処するために、川川有七月に建築基準法の一部が改正され、それを受けて往材の使川一向核の制限と述絞機械投気の設中前
読手続きには約一週間同かかりますので、
趣旨
義務が成り込まれた技術的基前中友が作成された。それらの基準は今年仁川には施行される。地球混同地化や化万資、以枯渇のために進めてきた省子一平ル
品曜時納読満了時にご通知いたしますので、引
r巾
電話一 03348415381HW15山ニ一喝 E U C⑤ 吉 田c
ロ
・2 弓
m8
電話 ( 0 3 ) 3 2 9 i 3 3 5
千代凶区神田神保町 l
購読の受け付けはしておりませんて
品瞳南洋覚書応
財団法人住宅総合研究財団
附主甲小部附一川谷区一船体例凹]目
﹀
電話(03)34841538FAX(0334845794
一m
T
幻
ますので、ご利用ください(府政での予約
﹁すまいろん﹂は次の山一政でも販売しており
はいたしません。
行いたしません。
@購読期間中の購読中止による購読料返金
@領収書は、郵便局の払込祭兼受領証で代
えさせていただき、財団からは改めて発
お支払い方法
三 年 間 五 000円(送料共)
購読料は次のとおりです。
一 年 間 二000円(送料品ム()
認ドさい。
ております。ご希望の方は、あらかじめ
在庫の有無、送料を左記財伺まで、こ舷
申し上げます。
@パックナンパ i のお求めにもおこたえし
き'続きご麟説いただきますよう、お阪い
お含みおき下さい。
ギl の一潔としての気街化が、新山叫材の利川による汚染物質の発生や換気不足のために室内の安気汚染をもたらし、シックハウスの版閃となった o
気汚染の紡除のためには換気が京市古な子段であるが、過剰な換気はエネルギー消授の場加を招く。したがって、シックハウスの紡止は省エ、不ルギ
Mt
名の日常生活、②アレル
討論を深めるために、①化学物質過敏続出 ω
ギー性淡必の発杭・進版、③シックハウス絞伎群と吹党過敏等につ
篤(東北
いて、必者自身、角川和彦(坂総合病院小児科)、武
大学)各氏にコメントを頂く予定にしている。
議山政の泌題、パネリストルヴに変児が生じる州場合もあります。
m
M伎俳や化学物質過敏誌の一診断技術も近年、総段に向上してきでいる。
l化と制点させなければならない。一万、シソクハウス a
近の動き、防止対策に関する研究動向、診断技術、新
これらを跨まえ、シックハウス問題故前線と聞出してシックハウス防止対策のための各界の HK
ザーなどがこの間川越にどのように取り組んでいくべきかについて討論する。
ie
00
しい、仏宅設計法などについて抑制的いただき、設計者、施仁者、ユ
ooj 一七
日時一七月二八日(月)一三一
会 場 一 建 築 会 館 ホi ル ( 東 京 都 港 区 芝 五 丁 目 お 茶 初 号 )
討議
副司会一在塚礼子(崎玉大学教佼)
講演
村上田川コ一(俊熔義抜大学教授)
田辺新一(前拘)
石川哲(前掲)
E
高織元(前掲)
石川脅(北史研究所病院臨床環境医学センター長)
パネリスト一村上周一一一(前掲)
司会一吉野博(東北大学教授)
〒
m
l蜘 東 京 都 世 間 谷 区 船 橋 4 J日 m告訴町8nv
お問い合わせは、財団法人住宅総合研究財闇﹁シンポジウム﹂担おまで
申 し 込 み 郵 便 振 込 先 ( 来 o o - - 0 3 6 6 3 9 刑問団法人住宅総合研究財同)
小
口
振 込 締 切 日 七 月 一 四 日 ( 月 ) 先 着 順 に て 、 定 員 一 五O名 に な り 次 第 締 切
参加費一般一一一000向 学 生 一 000円
高橋元(ひと・環境計州代表)
計の立場から
シックハウス防止のための設計計一向と住まい方一設
田辺新一(早稲川大学教授)
化学物質汚染の測定法一
シックハウス症候群と健康影響一医学の立場から
I シックハウス問題の現在と課題一総論
2
3
4
幸還を支えるには、不運の時にも増して大きな勇気が必要である一一ラ・ロッシュフーコー
一枚のモンドリアン
l/
神保哲夫
写真・図(いずれも現況を示す
文/上小沢敏博
ている。デ・スティールという文字を見た瞬
他にない。今後は生活の簡素化と健全化とに
うであれば、自己実現への途は節約を措いて
この度は心が動いた。恐らくその心の中に、
意識して排除してきた。それにもかかわらず、
まで色彩は、住居の静説を乱す要因として、
間、モンドリアンはどうか、と閃いた。それ
の住宅が載った。コンテナーが釣合梁に乗っ
よって無駄を徹底的に削ぎ落さねばならない、
密かに敬愛する建築家によってこのように認
庶民にとって一生の収入は知れている。そ
@我も又アルカディアに
て中空に浮んでいるような白い箱の家。矢も
められたという絞りが少しはあったからであ
一九六八年、﹃婦人画報﹄の九月号に異色
@ホンダS600
楯もたまらず、画家の故大塚清六氏のそのお
と決心した。そして、一つの浪費は一つの建
貧を楽しむことができる。約しい生活の反而、
人間、大志を持てば貧に耐えられる、いや、
臼の地に黒の太い格子模様が不等間隔に走り、
あった。渋谷の東急ハンズにおいてであった。
みに合わぬものもある。およそコ一か月、遂に
絵探しが始まった。モンドリアンと競も好
hhuJ﹄
設の犠牲を意味することを銘記しつつ、この
家それ自体の質は年を逐うて向上した。広瀬、
赤および賞に塗り治された矩形がそれぞれ数
いえど
いや、小意気な2 シl タi、臼の S600から
ろ
、
つ
。
宅へ見学に赴いた。箱の下に件む小生意気な、
して既に、その家の主が徒人でないことを告げ
決心を実行した。
したその主によってアトリエに招じ入れられ
先生の骨格は大切に残しながら、殆ど再構築
ていた。限は嫡々と輝き、肌は真黒に日焼け
た時、絶句した。純白の昇に固まれた純白の
といってよい工事の数々を、先生の孫弟子に
でいて淡白な作品であった。アメリカ製のそ
筒所、青い矩形が一箇所ある、力強く、それ
つま
ル 紐 に 一 枚 の 真 黄 色 の T シャツが干されてい
パティオ、そこに左右に張られた白のビニー
に進めた結果である。成果はそればかりでは
れはプレインでよ質な白い枠に入れられてい
当る建築家・神保皆夫氏と二人三脚で精力的
た。自宅に戻るや否や、居室の壁面に現寸大
ニヤニヤしていた。
な い 。 氏 が 母 家 に 合 わ せ て っ く り 直 し た カi
た。上には真青な空。彼は目尻に織を寄せて
ポlトには、 911が
、 NSXが
、 SL500が
出家中どこにも什器は殆ど見当たらなかった。
不思議なことに、商売道具でさ、えそうであっ
の一辺八O mの 正 方 形 を 臼 の ビ ニ ー ル テiプ
なるほど、岸氏の一一員のように、内外どこか
で画き、絵が掲げられた時の姿を想像した。
ら見ても我が家のデザイン上のモチーフは矩
次々とやって来た。改革はほほ成功であった。
ところが昨年、妙な事件が起った。トーマ
形ではないか。あの絵は嫌らしいほどこの家
@未知の神
一年一二月、﹃INAX
ス・マンの一一一一口う﹁未知の神の到米﹂とは正に
ズ・ブルl の石段だけが自に突き刺さった。
話がこの家の設計者に及んだ時、それが広瀬
これであろうか。
ツの如く、青い石般の如く、強烈に自己を主
に 合 う 答 で あ る 。 大 塚 邸 の あ の 黄 色 い T シャ
た 。 喰 臼 ば か り 、 白 い 浴 室 の 中 の タl コイ
鎌二先生であることが判明した。拙宅の設計
-REPORT﹄凶号に岸和郎氏が広瀬、先生
春時代以来模索していた理想の生活像が、そ
ていた。この生き方が何とも舷しかった。青
しかもそこにはピリッとした現代の味が利い
の生活全体に渉って禁欲的な豊かさが漂い、
指摘せられ、そしてそこでは﹁水平面と垂夜
宅に感じられる﹁圧倒的な合理性の感党﹂を
態に現在ある﹂と認めて下さった岸氏は、拙
﹁この住宅は竣工当時以上にオリジナルな状
られ、その中で拙宅をもお取り上げになった。
た。モンドリアンは我が家に米たいと叫んで
がまだ売れていないことを確認しては安域し
に二度三度と渋谷へ足を運んだ。そしてそれ
の鋒い上った気持に何事をも差し置いて、週
違いない、と思って逸る心を抑え兼ねた。そ
張してこの住底を効果的に演出してくれるに
O
者その人である。それと知らずに先生の作品
の作品に関する論文﹁建築への意志﹂を寄せ
こにくっきりと収飲していたからである。彼
商 と に よ る デ ・ ス テ ィ l ル的な構成﹂が﹁デ
元 モ デ ル の 夫 人 と の こ の イ ラ ス ト レi タi
S H 6 0に吸い寄せられていたのである。
という知己を得て、若い私は自分の人生を根
ィテールまでを支配している﹂とおっしゃっ
LJム
‘
、
-n-O
本的に考え直すことになった。
1959
設計=広瀬鎌二
上小沢邸
道路
1
/3
0
0
奪われる体験を何度かする。この体験は試練
人問、一生の内に、ある対象に異常に心を
人 は 無 で 勝 負 で き る 。 そ の よ う な 住宅におい
純なものを感じる。建築自体に実力があれば
地よく見せようとする魂胆には、時として不
かったのではないか。色によって住居を居心
な い 人 間 に は そ の 色 の 一点でさえ無くて も よ
である。心を奪うこの対象は、それまでの生
-踏み止まる勇気
活の正当性を改めて認識させることもある。
が支配する。色が欲しければ、ガラス戸越し
て は 、 生 花 の 一本 も 目 障 り な く ら い の 厳 し さ
の庭木の緑を見るがよい、椿の赤を見るがよ
その生活を一新させることもある。また時に
い。こう考えるうちに何時しか、慢心による
は破滅させることもある。モンドリアンの入
来を目前にして思案に暮れた。しばしあって、
心の弛みのた め に 道 を 見 失 い そ う に な っ た 自
ゆる
で済むとは思えなかった。次に来る絵が必ず
気 持 の 沸 騰 は 治 ま っ た 。 一 旦 許 せ ば そ れ 一枚
分を脈甲斐なく思う気持になっていた。
矢張り、モノクロウムの我が道を行こう、
ある。それはカッサンドラの﹁北方急行﹂で
にしよう、と堅い覚悟ができた。それまで制
装飾ゼロの世界を貫こう、絵は入れないこと
あ る か も し れ な い 。 ﹁ ノ ル マ ン デ ィl 号 ﹂ か
も し れ な い 。 あ る い は 真 紅 の ポ ル シ ェ 356
た、という確信が、自信が走った。
御 を 失 っ て い た 心の中に、 今 ブ レーキは利い
を 置 い た 鈴 木 英 人 の ヨ y卜・ハーパ l の絵か
も知れない。そう思うと、モンドリアンの絶
恋 は 吹 っ切 れ た 。 白 い ビ ニ ー ル テ ー プ は 静
-レスイズモア
対性は潮が引くように薄れ、事態をやや客観
やがて絵を入れることに対する次のような
的に見ることができるようになった。
かに剥がした。次に渋谷へ行った時、モンドリ
もた
疑いが頭を撞げた。即ち、好みの絵を懸けて
一歩誤れば日頃軽蔑している俗人に堕ちてい
アンは既になかった。危ういところであった。
好事モ無キニ如
たのである。碧巌録の中の ﹁
置くことは自分の好みを一つの 具 体的な形で
カ ズ ﹂ と い う 一言 葉 の 重 み が 今 に し て 分 っ た 。
一不す こ と で あ る 、 そ れ を 一 枚 の 絵 に よ って限
ことは自由な状態である、無の壁面に好きな
上小沢敏博/かみこさわ・としひろ
東京大学文学部独文科卒業。東京農工大学名
誉教授。日本建築家協会第四回﹁二五年賞 ﹂
受賞。
上小沢邸については、 ﹃
建築文化 ﹄一九六 O
年一月号において初めて発表され、 ﹃
住宅建築 ﹄
九六年九月号にシリーズ﹁時代を超、えた住い﹂
の一つとして片山和俊 氏によ って取り上げら
れた。また、﹁自動車のある住宅 ﹂としての上
N A VI﹄
O 一年二月号
小沢邸については、 ﹃
において川畑博哉氏によって紹介された。
定することである、他方、何の絵も掲げない
絵を好きな時に思い画くことのできる状態で
ある、むしろこの方が単純で束縛のない生活
か、という疑いであった。
を心掛けている者には向いているのではない
思い起こせば、あの衝撃の大塚邸には絵な
んぞ一枚もなかった。彼は無の中に一点、日
用品を使って鮮烈に色を際立たせていた。し
かし、今考、えてみると、アウゲンメンシュで
編集後記
-
一をつくる家並みとしてはそれでよいかも
一 し れ な‘
い
‘が 、 冴 え な い こ と は 確 か で あ る 。
ー
れただろ 一と考えてきて 、あ こがれのルイス・パラ
﹁何か﹂汚いわよ﹂と何回言わ e
一 ガ ン は 絶 対 に で き な いえ
ことに気がついた 。
うか 。 最 近 設 計 し た パ リ に 長 く 暮 ら し た
住 宅 総 合 研 究 財 団 ( 略 称 U住 総 研 )は
昭和 二 年 、当時の清水建設社長・清水
一
プ
,
康 雄 に よ り 一 戦 後 の窮迫しわ住宅問題を、
500円
発 行 人 H峰 政 克 義
も知れない 。
けれど 、 も う 少 し 色 彩 に 多 く の 人 が 関
心とし、﹁研究年報﹂﹁研究論文﹂を発刊、
〆
し て 、 成 果 の 一端 を 、 市 民 、 実 務 者 、 研
m ヨE
一-Eωoroコ@ヨ三ヨωωプコ
O 壱
T E Lz
(03)34845381
F AX(03)3484 5794
印刷・ 製 本 H慶 昌 堂 印 刷 株 式 会 社
H建 築 思 潮 研 究 所
〆
野 城 智 也 ( 東 京大学生産技術研究所教授)
服 部 本 生 ( 千 葉 大学大学院教授)
中谷礼仁(大阪市立大学建築学科専任講師)
立 松 久 昌 (月刊﹁住宅建築﹂顧問)
小林秀樹(千葉大学工 学部助教授)
ま た 住 に 関 す る 専 門 図書 室 、 セ ミ ナ ー 室
E 22?? Z E orgo
ご
百¥
・
﹁
〆
等 を 整 備 、 公 開 、 社 会 の お 役 に 立 つ よ う、
編 集 委 員w
*│ 委員長
片山和俊(東京芸術大学建 築科教授)ホ
公益事業につとめております。
7'
発 行 H財 団 法 人 住 宅 総 合 研 究 財 団
実践、普及によって解決することを目的
住宅の総合的研究、および成果の公開、
しようということになって、塗装工業会 一てみても、結局、周囲の環境の違いがそ
心をもち、トライしてもよいのではない
1
T2
0
0
3
年
春
蜘東京都世田谷区船橋四丁目加斤 8
T
一m
と印刷色見本帳かゆ候補を選び、現場で
勝 負 に な っ て し ま っ た 。 よ う や く 決3 っ
かと思う 。 無 関 心 の 結 果 の 混 乱 が 一 番 困
見+
げを 検 討 し て パ リ に 送 る と 、 思 っ て い 一 わ れ わ れ は パ ラ ガ ン が 絶 対 で き な い ﹁ 四
る 黄 色 と 違 うとい 寸 答 え が 返 っ て く る 。
十八茶百鼠﹂のパラガン培目指すべきか
何回やりとりしても決まらず 、時間との
たのは﹁フランスの伝統色﹂という見本
ってであった。
つ、
た 事 態 である 。 そ し て そ の 事 態 が 貝 本
自 分 で は 気 が つ か な い が 、 日 本 の 風 土 。 で は 戦 後 六0年間続いているのだから、
究 者 の 皆 様 に 、 よ り 広 く 、より手軽にご
こ の ﹁ す ま い ろ ん ﹂ は 、 活 動 の 一環と
住環 境 の 色 彩 が 良 て な る わ け が な い 。
理解いただくとともに、その意見交流の
a
帳を手に入れ、そニから選んだ黄芭によ
現 在 は 住 宅 に 関 す る 研 究 助 成事 業 を 中
一 れ を 許 さ な い だ ろ う か ら で あ る 。 むしろ、
一たとえ設計した空間をパラガン流に塗つ
年 念
四 、
フ
と し て 設 立 さ れ た 財 団 法 へ で あ り ま す。
人の住宅についてである 。 外壁を黄色に
L‘
月
季
二
制作
.
といわれる中間色にど
﹁汚いわよ﹂とか﹁センスがない﹂とい
/
L
o
、
﹁四十八茶百鼠
発'
九J
/
っぷりっかり、どこかで渋い色がいいと
/
〆
思ってじまっている感性がありそうだ
白う
,,
場になることを願って刊行(季刊)され
,I
-'e
"
,
ているものです。
'ご 利 用 の ほ ど 、 よ ろ し
4
‘,
,
、
4
くお願い申し上げます。
、
、
う コ メ ン ト に め げ ず 、 ま ず は 。環 境 色
、
彩。から逃げない姿勢が求められる。
"
、
、
.
.
(本号 責 任 編 集U 片 山 和 俊 )
1
.
,
O 刊
O .
c
頒
価
ノ
そういえば最近の量産住宅の外壁や外装
/-
、
今回の特集は、%のための第一歩である 。
、
建材も、砂ア l ス カ ラ ー 。 の 美 名 の も と
"" ーー
。
一地
に 、 何 と な く 薄 汚 れ非﹂色が 多 い。
。
〆